僕こと天寿《てんじゅ》シオリの人生は平凡なものだった。 身長、体重、成績、運動、髪型から服装まで、 中央値を取ったら僕になると思ってくれていい。 平凡を競う世界選手権があったら、きっと金メダルを獲得できるだろう。 秀でた才能があるわけでもなく、 高校生になるまで人と深く関わらず無難に生きてきた。 恋愛イベントは欠片も起きず、 主人公たちの恋愛事情をこっそり見守るモブのような人生だった。 キスはもちろん、異性と手を握ったのは幼稚園が最後。 名前はハナちゃんだったかユキちゃんだったか。 とにかくそのあたりで顔も覚えていない。 顔も中性的で、男か女かわからないと言われたことは数え切れずある。 女の先輩には「カワイイ」といわれ、文化祭があれば女装させられる。 「男の娘」といって同級生の男どもに発情される以外には、特に辛いこともない。 高校デビューとはほど遠い、実に退屈な日々が過ぎようとしていた。 ◆◆◆◆◆ だが、人生とは、ある日突然変わるものらしい。 昨日までは思いもしなかったことが、一瞬の邂逅《かいごう》で起きてしまう。 それが楽しいという人もいるだろうが、平凡な僕としては、 平凡に人生が過ぎ去ってくれたほうがずっと楽だ。 学校から帰ってきて、玄関扉を開けると、 なかから、親父と女の人の声がした。 (まだ夕方なのに、なぜ親父がいるんだ?) (もしかして浮気現場に僕が居合わせてしまった?) そんなことを考えながら、恐る恐る居間をのぞいた。 それが、そもそもの間違いだったことを後で知ることになる。 ――親父と話をしていたのは天使だった。 親戚のおばさん、ではない。母親でもない。 ちなみに母親はもういない。 そして、比喩でもない。 正真正銘の、天使だった。 背中には大きな白い翼が生え、頭には、光の輪が乗っていた。 (コスプレか?) と物語の主人公たちは思うようだけれど、作り物の翼と、本物の翼が見分けられないほど、僕の視力は悪くない。 腰まで届きそうな金色の長い髪に、宝石のように光る青い瞳。 目元は鋭く、その目の奥には賢そうな雰囲気が漂っていた。 「やあ、君は息子さんかな?」 天使というにはそぐわないような口調で、茱萸《しゅゆ》のように紅い唇が問う。 「あ……はい……。あの、どちら様で?」 「私はチャミュ。まあ、見ての通り、天使だな」 「……はあ」 なんとも答えようがない。 人生において、「私は天使だ」と名乗られたことのある高校生がどれほどいるだろうか。いたとしたら、随分大変な人生を歩んでいることになる。 「久しぶりに下界に降りてきてね。飲み屋で、しっぽりとアジの干物と熱燗を飲んでいたところに、君の父上と意気投合したのだよ」 「飲み屋に……天使が?」 どこからツッコんだらいいのかわからない、と思う僕に、チャミュはにこりと笑う。 「ポテトサラダも手作りなんだ。やはり人間界に来たら、飲み屋にいくのが一番だ」 そんな「人間界の歩き方」を語られても、僕にはさっぱりわからない。 そもそも高校生だ。まだ居酒屋に行ける歳でもない。 「それで、今日はこの家を借りに来た」 「は!?」 「人間界で暮らしてみたいという友人がいてね。これが、なかなかの苦労もので、天界では落ち着ける場所がないのだ。人間界でゆっくり休養させようと思って、住む場所を探していたが……。天界の人間がこちらで住もうと思っても、なにかと不便でな」 「まあ、戸籍とかなさそうですし。保証人もいなそうですし。そもそも、人間界のお金も持ってなさそうですし」 「そういうことだ。それで悩んでいたら、君の父上に会ったというわけだ」 つまり、人間界に物件探しに来るという口実で、酒を飲んでいたという訳だ。 その友人も、酒を飲むための言い訳だったのではないかと思ってしまう。 親父の方をちらと見る。 やけに上機嫌な顔が憎たらしい。 「部屋、一つ空いてただろ、そこを使わせてやりゃいいじゃねぇか」 お前は黙ってろ。話がややこしくなるから。 この親は、親父という立場ではあるが放任主義も良いところだ。 年単位で家に帰ってこないことなんか当たり前。 家のことは全部僕がやっているのだ。 そして、この家に他人を住まわせるなんて、断じて許さない。 毎日自分一人のご飯を用意するだけでも大変なのだ。 人が増えたら、その分気を遣う。 断固として拒否しなければ。 「でも、ご友人も、嫌がると思いますよ。見ず知らずな間柄なわけですし……。それに、お友達になにかあったら……」 「心配には及ばない。たまに私が見に来る。それに、君になにか間違いが起こせるとも思えないしね」 その顔は、言外に「彼女出来たことないだろう?」と言っていた。 その通り過ぎて、二の句が継げない。 「そういえば、まだ当の本人を紹介していなかったな。ソフィア、入ってきて」 いや、勝手に話を進めないでください――。 そう言おうとして振り向いたとき、僕は、目を奪われてしまった。 『可愛い』が服を着て歩いてきた。 世界中の平凡を集めたのが僕だとしたら、 世界中の可愛さを集めたのがソフィアだった。 栗色のふんわりとしたミディアムヘア。 キューティクルは光り輝いている。 憂いを帯びた瞳に、天使の正装とでも言うのか、 真っ白で綺麗な衣装。 すらりと細い手足に、整ったくびれ。 触りたくなるような主張の激しい胸。 思わず目を丸くして、固まってしまった。 誰もが見惚れるような美女が、目の前に立っていたのだ。 「彼女がソフィアだ。この家で世話になる」 話が勝手に進んでいるのだが、目の前の女の子に目を奪われて反論できない。 「ソフィアの生活費はもう父上に渡してある。教会に奉納されていたものを拝借してな。多少余裕もあるだろう」 親父の方を一瞥《いちべつ》する。 テヘッと舌を出す親父。 こいつ、しっかり買収されてやがる……。 「……ソフィアと申します。あの、よろしくお願い致します」 床に正座し、三つ指を立てて深々とお辞儀をするソフィア。 ――声まで可愛いなんて。 顔を赤くして「どうも……」と返事してから、ふと気づいた。 ――この可愛い子と同居!? いくらなんでもアウトでしょ!  僕の心が唐突に我に返る。 「あの、さすがに僕も一般男子なので、女の子と同居は……」 「ああ、そういえば言ってなかったな。ソフィアはサキュバスだ。近づけばエネルギーを吸い取られる。行為をすれば最悪、死に至るから。ま、気を付けるように」 「え?」 「サキュバス。知らないか? 男の精気を吸い取って生きる悪魔だ」 「いや、それは知ってますが。え? ソフィアさんが、サキュバス?」 もう一度、ソフィアを見る。 首を小さくかしげて「やはり、だめでしょうか……?」と問う。 だめ、と力強くは言えない。 だが、こんなに可愛い子と同居、しかもサキュバスと? もう、頭が追いつかなかった。 そもそも、天使と悪魔が友達とはどういうことだ? 「じゃあ、ソフィアちゃん、部屋を案内するよ」 親父がうれしそうに、二階に連れて行こうとする。 「待て親父! おかしいでしょ! 無理だよ!」 必死に止める俺に、天使が腕を組んで悩んだ顔をする。 「シオリ君、ソフィアは天界で居場所がないんだ」 「いや、でも……」 「少しだけでもいい。場所を貸してやってくれないだろうか」 そうお願いされても、一緒に暮らせそうなイメージが涌かない。 「あの、おとなしくしていますので…お願いします」 ソフィアも頭を下げる。 待って、待って、そんなのされたら……断ることなんて、できないじゃないか。 「…まぁ、少しだけだったら」 「ありがとう、助かるよ」 天使はにこやかな笑顔を見せると、近付いてきてこそっと耳打ちをする。 「君がそんなことをするとは思えないが、もし、ソフィアに手を出したら――」 「……出したら?」 「君の命の保証はできない」 「……」 なんと言う。 サキュバスに手を出したら、そもそも命の危険がある。 そこで殺されなくても、天使が後ろにはついている。 ヤクザが後ろについている、極道の娘みたいなものだ。 「がんばります……」 気迫に押されてそんな返事しかな出せなかった僕が情けない。 かくして、見知らぬサキュバス・ソフィアと、 平凡代表の僕の、奇妙な同棲生活が始まったのであった。 ** ソフィアは、気遣いのできる女の子だった。 普段、親父は仕事で家を空けてばかりだ。 家のことは大体一人でやっていたが、ソフィアの手伝いのおかげで いくらか時間もつくれるようになった。 流石に自分の下着を洗ってもらうのは恥ずかしいので、 食事の手伝いや掃除をやってもらっているが。 そんな中、一緒に暮らすようになって気付いたことがある。 「ねえ、ソフィア。なんで目を合わせてくれないの?」 「え?」 「いつもうつ向いてるし。そんなに僕のことが嫌いとか……?」 「いえ! 実はあの、サキュバスは、目を合わせると、相手を殺してしまうことがあって」 「へ!?」 僕は驚いて、一歩後ろに下がる。 日常にそんな危険があるなんて聞いてない。 「あ、あの、目を合わせたからと言って、すぐにエネルギーを奪うとかではないんです。 ただ、サキュバスの能力が発動して、魅了状態になり……つまり……」 「死ぬまで、搾り取ってしまうと」 「はい……すみません……」 「いや、謝られても困るけども」 どうやら、ソフィアは能力を自由に使えるわけではないらしい。 目と目を合わせれば、自動的に死に至る。 そんなメデューサみたいな……と思ったが、気軽に試せるわけもない。 正直、ソフィアがサキュバスだと聞いたときは、 エッチなことを期待していた僕がいた。 だが、実在の彼女はまったくと言っていいほどサキュバスらしくないのだ。 整理整頓はきちんとする。 行儀は良い。 食事をする時に不用意に音を立てない。 服は大抵が長袖、下も肌が極力見えない物を履いて、 下手に挑発しないよう気を付ける。 誘惑してくるようなことも、もちろん、ない。 むしろ、必要がなければ近付いてこないほどだ。 サキュバスの名に負けない体なのに、いやらしさのかけらもない。 人間でも、ここまで可愛くて品の良い女の子はいないと思うくらいだった。 そんな生活だから、目の事を言われるまでは、 ソフィアがサキュバスだということすら疑っていたものだ。 あの出来事が起こるまでは──。 ◆◆◆◆◆ ある日のこと。 「ソフィア、今日のご飯どうする?」 今日は土曜日。 食料も切らしてたので、スーパーにでも買いに行こうと思った。 ついでにソフィアが気になる食べ物があればつくってみようか。 ソフィアは料理に興味があるみたいで、色んな料理の本を見ては目を輝かせていた。 「そうですね、前にテレビで見たのを食べてみたいです。 なんでしたっけ……はんばーぐ? あれは美味しそうですね」 少し嬉しそうな声。 こっちを向いてる、けど相変わらず視線はどこかそれている。 ソフィアは我が家に来てから、まだちゃんと外に出たことがない。 もっぱら、テレビか読書で情報を集めている。 人間界もそう簡単に来れるものではないらしく、人間の情報を見ては一喜一憂している。 「はんばーぐ、私にもつくれるでしょうか?」 「もちろん。ソフィアなら簡単に出来るよ」 「ホントですかっ」 今まで聞いたことのないトーンの高い声。 やっぱり、嬉しいみたいだ。 「せっかくだし、一緒に買い物行ってみる?」 「あっ…」 軽い気持ちで言ってみたのだが、 ソフィアの声が暗くなってしまった。 まずかったか。 「いや、無理しなくていいよ。材料買ってくるからさ、ソフィアは待ってて」 「あ、あの…」 絞り出すような声で、ソフィアが懇願《こんがん》する。 うるうるした瞳を、目を合わせないように背けながらも、 その可愛さは隠しきれるものではない。 「私、迷惑かけちゃいそうで、怖くて……あの……」 能力のことを心配してるのか。 外で他人にあって、目が合ってしまったらどうしよう、と。 「大丈夫だよ、別に暮らしてみても、なんともないでしょ。 それに、不用意に近づかなければいいだけだから」 「……そうですね、じゃあご一緒していいですか」 ソフィアは行く気になり、僕らは近場のスーパーに向かった。 すれ違う人がみんな、ソフィアを見ていく。 いや、「見る」なんてかわいいものじゃない。 離れていくまでずっと凝視されているのだ。 可愛いから見たくなるのもわかるが、これもサキュバスの能力なのだろうか。 これだけ上から下まで舐めるように見られたんじゃ気分も悪くなるよな。 彼女には悪いことをしたな…と思いながら店に向って歩く。 「なんか、ごめんね……」 「いえ、天界でも似たようなものでしたので……」 流石に細かく聞くのはやめた。 彼女のトラウマに触れてしまいそうだったからだ。 僕が住んでいるところはそれほど都会でもなく、 かといって田舎というわけでもない。 ただ、基本的な移動手段としては車を使うことが多いので、 通りを歩いている人はそれほど多いわけではない。 「天界だと外に出ることすら一苦労なので。 今は、楽しいですよ。色んな景色を見られて」 「そっか、なら良かった」 突き刺さるような視線に耐えながら、スーパーの前までたどり着く。 家の近所でもわりと使うお店で、品揃えが豊富なお店だ。 精肉コーナーへと向かうと、明るい声が聞こえてきた。 「只今試食を行っておりまーす。お客様、おひとついかがですか?」 よくあるウインナーの試食コーナーだ。 ウインナーのかけらが刺さったつまようじを渡される。 にしても、随分と綺麗な人が店員なんだな。 それにどこかで聞いた声、と思いながら再度顔を見やる。 「じゃあ、一つだけ……って、え!?」 金色の長い髪。今は後ろ手に一つで結ばれている。 数日前に会ったはずの天使が、微笑みを絶やさずに立っていた。 今日は翼もなく、スーパーのマークが入った制服に白いエプロンを付けている。 「チャ、チャミュ! 」 「奇遇だね。調子はどうだい。はい、ソフィアもどうぞ」 チャミュはソフィアにもウインナーを渡しながら話しかけてくる。 「なんでこんなところに、って思ってるね?」 「えっ! ?」 「そりゃわかるよ、天使だからね」 ニッと笑うチャミュ。この天使、人の心まで読めるのか。 「勉強の一環だよ、人間界の仕事を知るのも悪くないだろう?」 「そういうものなの? 天界の仕事はいいわけ?」 「お休みをもらってるからね、大丈夫。 さ、無駄話してると怒られちゃうからね。 どうだい、今日の夕飯に。お得だよ」 そう言って三〇%増量お買い得パックのウインナーのビニール袋を掲げる。 「いや、いいよ。今日のメニューはもう決まってるから」 「ほう。なんだい?」 「ハンバーグにするの。この前テレビで見たらから、つくってみたくて」 ソフィアが明るい声でいう。 やはり友人の前だと、雰囲気が変わる。 「ハンバーグか! いいね。あれは美味しい」 「食べたことあるの?」 「ああ、人間界にはちょいちょい来てるからね。 げんこつハンバーグなるものは大きくて肉厚でそれはもう……」 「へぇ」 天使って豚とか牛とか食べていいんだろうか?  なんとなく、野菜や果物ばかり食べているイメージがあるんだけど。 「こらっ、チャミュさん! 」 その時、後ろの方からチャミュを叱る声がした。 どこかで聞いたことがある声だと思えば、 同じクラスの香山成美《かやまなるみ》だった。 黒髪にポニーテールの快活な女の子で、スポーティな印象の子だ。 チャミュと同じように、スーパーのロゴの入った制服を着ている。 「香山? ここでバイトなんてしてたの?」 「あ、天寿《てんじゅ》くん。買い物?」 そう言って僕とソフィアを交互に見やる。 とっさに視線をそらすソフィア。 「なになに、彼女さん? 天寿くんも隅におけないな」 うりうりと肘でつついてくる。 こいつはいいやつなんだが、クラスでも恋愛系となると途端に目を輝かせる。 成美に知られたら最後、校内中に恋愛関係が知れ渡ると評判だ。 「違うよ、この子は知り合いで」 本当のことを話しても余計ややこしくなるので適当にごまかす。 さすがに、親父が天使と居酒屋で会って、天使の友達の悪魔・サキュバスと同居することになりました、なんて言えない。そもそも、言っても信じてもらえないだろう。 「えー、ホントかなー。ま、いいや。私までおしゃべりしてたら店長に怒られちゃうし。チャミュさんも、あんまり喋ってばかりだと怒られちゃいますよ」 「はいはい、ちゃんと働かないとね。それじゃ、またね」 そう言うと、チャミュは香山と一緒に店の奥へ行ってしまった。 「…お知り合いですか?」 「ああ、うん。クラスメイト。どうかした?」 「いえ、少しふらふらしてたような気がして。疲れてるのかな、と」 「そうかな? 気付かなかった」 ソフィアは心配していたようだが、特にそんな風には見えなかった。 そんなことより、チャミュに出会ったことで、余計に時間を使ってしまった。 帰ってハンバーグをつくる時間も必要だし、さっさと帰らないと。 ◆◆◆◆◆ 「だいぶ買いましたね」 「うん、足りないものもいくつかあったし」 ハンバーグに必要な具材、そして調味料。 これだけあれば十分だろう。 スーパーから出ると、バックヤードで香山が荷下ろしをしているのが見えた。 おつかれ、と香山に声をかけようとした時、 段ボールを持っていた香山が少しふらつき、力が抜けたように倒れる。 刹那、思考が一気に頭の中を駆け巡る。 自分の両手は買い物袋で塞がってしまっている。 だが、このまま何もしなければ香山は怪我をしてしまうだろう。 荷物を置いてからでは間に合わない。どうすればいい!  その時だ。 ソフィアが、香山をさっと支えたのだった。 一瞬の出来事にあっけにとられる僕。 「大丈夫ですか!?」 「え? あ、あれ、ごめんなさい。私、ふらっとしちゃって……」 自分より先に香山を守ったソフィアを見て、申し訳なくなる。 そして同時に、僕はチャミュの言葉を思い出していた。 《不用意に触れなければ大丈夫だろう》 二人の方をもう一度見やる。 香山の顔色が紅潮している気がする……。 「あれ、なんだろ……凄く良い気持ち、ふふ、ふふふ」 見たことのない笑い方を始めてるし、明らかにまずいやつだ。 「ソフィア、これ、もしかして」 「ええ、私の、せいですね……」 ソフィアが困惑したような顔をする。 これが、サキュバスの能力なのか。 少し近づいただけで、相手を魅了してしまう。 なぜかブラウスに手をかけ、ひとつずつボタンを外していく香山。 薄緑色のシンプルなデザインのブラジャーがちらりと見えそうだ。 とっさに目線を外そうとするが、なにか不思議な力が加わって、それができない。 不思議な力、つまり、思春期の男子や女子だけがもつ、そういう力の事だ。 「あなた、結構可愛い顔してるのね……もっと良く見せて……」 妖艶《ようえん》な雰囲気を漂わせ始め、ソフィアの頬に手を寄せ、近づけようとする香山。 ソフィアは視線を合わせないようにしながらも、馬乗りになられた状態から必死にもがく。 「お、落ち着いてください。こんなことは……」 「あなたを見てると、もっと触れたいって思っちゃう……」 そう言って、ソフィアのシャツを捲っていく香山。 胸の形が手で押されたことによってぐにゅりと変形する。 「あ……っ」 ソフィアが可愛い声を出す。 「だ、だめです。香山さん、目を覚まして」 必死に、香山から離れようとするソフィア。 離れれば、能力の効果も薄まるのだろうか。 しかし、更に香山は脚をからめ、片方の手でソフィアの腕を掴む。 「逃がさない……あなたは、私のもの……」 女の子同士って、なんでこんなに美しいんだろう……。 目の前で繰り広げられている艶やかな光景に僕は見とれ……ている場合じゃなかった!  ハッと正気を取り戻す。このままだとソフィアが危ない!  「香山! 落ち着け! やめるんだ!」 ビニール袋を置いて香山をソフィアから引きはがそうとする。 「ぐっ、ぐぐっ…」 ビクともしない、香山ってこんなに力が強かったのか。 いや、違う。さすがに、香山に負けるほど弱くはない。 これはサキュバス能力にかかっているせいに違いない。 「シオリさん、サキュバス能力がかかると、力も強くなるんです」 「そういうのは先に言って!? ほら、香山。離れるんだ!」 力いっぱい香山を引っ張った反動で、ソフィアから引き剥がすことに成功。 だが代わりに、仰向けの自分に香山が馬乗りする体勢になってしまった。 「なによ、せっかくいいところだったのに……あら」 香山が僕を見つめる。 「あなたも案外可愛い顔してるじゃない」 まずい、矛先がこっちに向いてる。 火照った顔をしながら顔を徐々に近付けてくる香山。 普段なら絶対見ることのない、熱を帯びた潤んだ瞳はやけに色っぽく見えた。 「香山! 目を覚まして!」 「ねえ、一緒に気持ち良くなりましょうよ…」 香山の腕を押しのけようとするが、まったく歯が立たず、逆にもっと体を近づけてくる。 ブラウスは完全にはだけ、さらに密着させてくる香山。 「あなたとくっついてると気持ち良いぃ……」 ぴたりと体をくっつけてくる香山。顔の距離は目と鼻の先だ。 見えない力で押さえられているように、香山を押しのけることができない。 自分の中の天使と悪魔が頭の中を走り回る。 (こんなチャンス滅多にないんだろ! 流れに身をまかせちまえよ!) 悪魔の囁き (いけません、冷静になるのです……しかし、こんな状態ではどうにもなりませんね、自然にいきましょう) 天使の諦め いや、天使諦めてんじゃねぇよ!  などとつっこみをいれている間に、香山の柔らかそうな唇が徐々に迫ってくる。 心臓は今までにないくらい激しく鳴っている。 もうダメか……。 その時、香山の顔がピタリと止まった。 ん? 何が起きたんだ?  恐る恐る、香山の顔を見る。 目の色は、普段のものに戻っている。 「て、て、てんじゅくん? こ、こ、これってどういう…」 あれ、もしかして正気に戻った? 「な、な、なんで、わ、わ、わたしの下にいるのかな……?」 パニック状態の香山。 もう何を言ってもまずい状態だ。 自分の今の状況をようやく把握して顔を真っ赤にする香山。 服をはだけさせ、馬乗りになって男子生徒を襲う女子生徒の図。 傍目から見るとそうにしか見えない。しかし。 「きゃー! 変態!」 パァーン!  清々しいほどに爽やかな音。 しなりを生かしたスポーツ女の子らしい平手打ちが僕の左頬を襲った。 まったくもって理不尽だ。 何故、ハンバーグの材料を買いに行っただけでこんな目に遭うのだろうか。 「大変すぎるだろ、この人生……」 そう呟いたところで、救いの天使が登場した。 取り乱した香山の首にそっと手刀を入れて気絶させ、静かにさせるチャミュ。 手際が鮮やか過ぎて恐ろしいわ。 「すまないね、シオリ君。ソフィアの能力が発動されたのは感じ取っていたんだけど、お客さんをさばくのに忙しくてね」 「いえ、あのお忙しいところを……」 と言いながら、香山を抱き起こし服装を整える。 「この子は私がなんとかするから、君はソフィアは家に戻るといい。 大丈夫、記憶も上手い具合にしておくから」 まかせておきなさい、と親指を突き出すチャミュ。 この天使、やけに俗っぽいんだけど、平気なんだろうか。 「わかった。じゃあ、あとは頼む」 「あぁ、ソフィアのことをよろしく頼むよ」 僕は買い物袋を手に取ると、うずくまっているソフィアの元まで歩いていった。 「ソフィア、大丈夫か…」 「……」 相当ショックだったんだろうな、と思う。 迷惑をかけないようあれだけ気にしていた能力を、 不意にとはいえ発動させてしまったんだから。 でも、ここでしょげているわけにもいかない。 「ソフィア、帰ろう」 「でも……」 「大丈夫。まあ、もし僕があの状態になったら張り倒してよ。 香山のことは、乱暴にできなかったんでしょ?」 「さ、さすがに女の子に手を上げることはできないと思って……」 「僕なら男だし、多少殴られても死なないから。ほら、帰ろう」 そういって、僕はソフィアの手を取る。 そうでもしないと、ソフィアは動きそうになかったから。 家への帰り道、ソフィアは何度も「ごめんなさい……」と謝っていた。 ◆◆◆◆◆ 「さぁ、ハンバーグをつくろう!」 さっきの事件もあり、すっかり静かになってしまったソフィア。 ここで僕まで元気をなくしてはいけない、明るく振る舞わなくては。 ハッピーになるには美味しいものを食べるのが一番!  「ソフィア、今から夕飯の用意するから待ってて」 「……私も、手伝います」 ようやく言葉を発したソフィア。 「うん、じゃあ玉ねぎをみじん切りに、お願い」 トントントントン。 包丁の音だけが聞こえる。 「玉ねぎ、目痒くなっちゃうから気をつけてね」 「……はい」 「さっきさ、香山倒れそうだったじゃん。助けてくれてありがとう」 「でも、そのあと……」 「そんなの関係ないよ。そっちはサキュバスの能力のせいでしょ。 でも能力の関係ないソフィアは、人を助けた。 それって、僕はすごいことだと思う」 「……」 トントン トントントン。 「……」 ポロ ポロポロッ。 ソフィアは、大粒の涙を流しはじめた。 「だ、大丈夫!?」 「目が……痒くて……ぐすっ……大丈夫です」 そう言いながら、涙を流しながらみじん切りを続けるソフィア。 「今まで、そんな風に言われたことなかったので……」 目に涙を浮かべながら、玉ねぎを切るソフィア。 僕は、何も言わなかった。 ソフィアがどんな過去を過ごして来たのか、垣間見えた気がしたから。 ◆◆◆◆◆ 「よし、完成!」 綺麗に焼けたハンバーグ。 ソースは中濃ソースとケチャップに胡椒少々。 付け合わせにはジャガイモと人参。 あとはスープとご飯。 食卓に並べたご飯に、僕は満足した。 うん、バッチリだね!  「いただきます!」 「……いただきます」 早速ハンバーグに箸を入れる。 肉汁がじわっと広がり、良い匂いがしてくる。 「……美味しいっ」 「そう、良かった!」 ソフィアの驚いた声に、笑顔で返す。 視線は合わせられないけど、雰囲気で伝わると思って表情に出すことにした。 「元気になるには美味しいものを食べるのが一番。さ、食べよっ」 「はいっ」 少し元気になってくれたかな。 嬉しそうに食べるソフィアを見て少しホッとする。 ソフィアには、過去いろんなことがあったらしい。 でも、ここにいる間は少しでも楽しいと思えることができたらいいな。 そんなことを思いながら、ハンバーグを口に放り込んだ。 追伸:香山の記憶はチャミュが上手い具合に消してくれたらしい。 ただ『なにかしら天寿に迷惑をかけた』という記憶だけは消せなかったらしく、後日学校で会った時にめちゃくちゃ謝られたことだけはここに書いておく。 ** 「いたた……ごめんなさいシオリ」 「いや、大丈夫。ソフィアこそ無事?」 「え、えぇ。大丈夫なんですが、体勢がきつくて。あっ、シオリ……その、息が……」 「あ、うん。ごめん!」 「いえ、仕方のないことはわかっているのですが、くすぐったくて」 今、僕とソフィアは大変な体勢で密着する形になっていた。 仰向けになった僕の目の前には、ソフィアの柔らかそうなお尻。 お腹あたりには胸の感触もある。 とてもいい香りもするし、頭がくらくらしてくる。 落とし穴に落ちたとはいえ、ソフィアと密着できる機会なんてそうそうない。 ……とはいえ、喜んでいないで、この落とし穴から出ないと。 「なんでこんなことになったんだ」 そう呟く。話は、数時間前に遡る───。 ◆◆◆◆◆ 「ペット探し?」 「そうだ。天界で飼っていたソフィアの家のペットが、どうやらソフィアを追って人間界に来てしまったらしくてな」 天使チャミュが椅子に座って出されたお茶をすすっている。 今日は、羽も輪っかも健在だ。 隣には、サキュバスのソフィア。 ソフィアは、スーパーの一件から銀色の眼鏡をかけるようになっていた。 【封魔の眼鏡】というアイテムで、サキュバスの能力を抑えてくれる という代物で、チャミュが知り合いからもらってきたんだそうだ。 平凡代表だった僕の家で、天使と悪魔がお茶を飲む。 今となっては見慣れた光景となっているが、改めて考えると突っ込みどころしかない。 「フーマルがこちらに来ているのですか?」 「そうだ。そして行方知れずでな。ソフィア達にもフーマル探しを手伝ってもらいたい」 「もちろん。フーマルのことでしたら、私は構わないですが。シオリさんは……」 「いや、僕も手伝うよ。役に立つかはわからないけど、人は多い方がいいだろう」 そういうと、ソフィアがぱっと顔を明るくする。 「ありがとうございます」 「これくらいお安いご用さ。で、フーマルってどんな生き物なの?」 「白い毛で覆われていて、耳が大きいですね。こちらの世界だと…」 「ポメラニアンに近いだろうな」 ポメラニアン、あのふわっふわした犬か。 結構可愛い感じの生き物なんだな。 「どの辺にいそうか目星はついてるのか?」 「ソフィアの住んでいる地域は特定しているらしい。おそらくこの街のどこかだな」 「じゃあ、手分けして探すって感じかな」 「それがいいな。シオリくんとソフィアの二人でこの辺りを探してみてくれ。私は空から観察してみる」 「飛ぶの!?」 「なんのための羽根だと思っているんだ? 心配するな。人間には見えないように術を使う」 「ああ……なら、よかった」 思わず、ほっとする。今どき、天使が飛んでいたらスマホで撮られまくるに決まってる。 「それじゃ、頼んだよ」 チャミュはそう言って、マグカップを置いたのだった。 ◆◆◆◆◆ まず最初に、公園近くを探してみることにした。 そういえば、ソフィアの家族構成ってどうなってるんだろう。 「ソフィアって兄弟いるの?」 「はい、姉が一人と妹が一人」 「三人姉妹なんだ」 意外だ。 ソフィア自身がしっかりしてるから、 長女かと思っていたが、上に一人いるんだな。 「皆サキュバス?」 「そうですね、正しくは天使とサキュバスのハーフなのですが」 「ソフィアみたいに能力で苦労してたりするの?」 「姉は上手ですから……能力を上手く扱えないのは私だけなんです」 「そっか、そしたら上手く扱えるようになればいいんだね」 ソフィアが、きょとんとする。 「どうかした?」 「いえ、前もそうでしたが、シオリの言葉は前向きだなって。 以前はそんなこと考えたこともなかったので……」 ソフィアが少し笑ったような気がした。 彼女が元気になるなら、なんだって手伝ってあげたい。 そう思うようになっていた。 「できるさっ、だって、ソフィアは頑張り屋さんだし……」 と言って、公園の中央ら辺に来たところで。 ――ズボッ!  うん? 聞き慣れない音と、右足の感触。 固い反発がなく、抜けていく感触。 「うわあああ!」 奈落の底へと落ちていくような感覚を味わい、落ちていく。 ドスン!  「いったあ……」 尻をなでると、痛みにあえぐ。 落とし穴? なんでまた、こんなところに。 「キャー!」 そんなソフィアの悲鳴とともに、腹にサキュバスが落ちてくる。 「ぐえっ」 不意を突かれてさすがにダメージを負ってしまった。 ◆◆◆◆◆ 「なんでこんなところに落とし穴が……」 「おそらく、フーマルです。フーマルはいたずら好きなので……」 その情報もっと先に欲しかったよ! ペットのくせにやけに手の込んだことを。 テレビ番組のドッキリでもここまでやらないよ。 しかも今気付いたけど、下にクッション敷かれてるわ。 安全対策。 ポメラニアン似ってことで、勝手に犬をイメージしてたけど、 天界の生物だってことをすっかり忘れてた。 「お嬢、元気ですかい」 その時、落とし穴の入り口から なにやら低めのかっこいい声が聞こえてきた。 落ち着いた紳士、青年だとしたら起業しているのに それをひけらかさないイケメンの声。 「その声は……フーマルですか!?」 えっ!? フーマルなの!? すごい喋ってるけど! 「そうです! お嬢探しましたよ! 今助けますから、掴まってください」 そう言うと、可愛いらしい体の前足が一部伸び出す。 伸びた前足はソフィアをひょいと持ち上げ、地上へと運んでいく。 取り残される僕。 「あのー、僕も引き上げてもらえませんかー」 「フーマル、シオリもお願い」 「あいつ、お嬢の知り合いなんですかい? てっきり、ストーカーかと」 ストーカーが横で楽しそうに話するかっ。 「シオリは私がお世話になっている方なんですよ」 「お嬢がそこまで言うのなら仕方ない……ほら、掴まれ」 また前足が伸びてくる。 すごい不気味なのだが、掴まらないと助からないので渋々掴まることにする。 「ふう、助かった……」 そういって、ほこりを叩きながら立ち上がる。 横では、フーマルと呼ばれる白いモコモコふわふわが、 ソフィアの胸に突っ込んでは弾かれを繰り返していた。 弾力のある胸をもつ飼い主を持つと、飼い犬も大変らしい。 「お嬢ー! なんでいなくなっちゃったんですかー!」 「ごめんね、何も言わないでこっちに来ちゃって……。急に決まったことだったから」 よしよし、とフーマルを、なでるソフィア。 「お嬢、帰りましょう。ここにいてもいいことないっすよ。変な男の家は危ないですよ」 こらこら、誰が変な男だ。 だが、そう考えるのが普通だろう。 「人を落とし穴に落としておいて随分な言い草じゃないか」 「あれはお嬢を外敵から守るための手段だ。お嬢まで落とす気はなかった」 お前は信用おけない、という意志がはっきり見て取れる。 フーマル、可愛い顔して、なかなかのやり手のようだ。 「シオリくんは敵ではないよ。ソフィアの良き理解者だ」 「げっ、金髪天使!」 「げっ、とはなんだ。こんなに美人な天使を前に」 「自分で美人というな!」 「ふん。事実を言ったまでさ。さあ、ミュウが探してたぞ。天界に帰ろう」 「いやだー! いやいやいやいやー! お嬢ー! 助けてください!」 チャミュにつままれて、暴れるフーマル。 溢れ出る涙が、悲しく空に散っていく。 「シオリくんにこれ以上迷惑をかける訳にもいかないだろう。諦めるんだ」 確かに。 これ以上は面倒だとチャミュと顔を見合わせてうなずく。 「うわーん!」 ビシッ!  「あっ。フーマル! どこいく!」 チャミュの手を払いのけ、こっちに猛ダッシュ土下座してくるフーマル。 ポメラニアンでも土下座ってできるんだな、と妙なことを考える。 「兄ちゃん、すまなかった。許してくれ、お嬢を守りたい一心だったんだ」 チラッとこっちを見てくるフーマル。 したたかさが見え隠れするので、そう簡単に折れる訳にはいかない。 するとフーマルは、「ちっ。こいつ、可愛い俺を前にしてもダメか」とつぶやいてから、 ソフィアとチャミュが見えない角度に僕を誘導して懐から何か取り出した。 「な、なんだよ」 「もし兄ちゃんが俺様を居候させてくれれば、このお嬢秘蔵コレクションを見せてやる。な、どうだ?」  そこには、ソフィアが薄いシルクの布一枚で眠っている色っぽい写真や、 下のアングルから取ったきわどいスカートの写真が映っていた。 ……グッジョブ。 普段のソフィアは肌をしっかり隠し、ボディラインもはっきりしない服を好むので、 かなりレアなショットだった。 気付けば、僕はフーマルに向かってサムズアップしていた。 目と目で通じ合う瞬間。男同士でしかありえない、この雰囲気。 ああ、ソフィア。ごめんなさい。 弱い、意志の弱い僕を罵ってくれ。 交渉成立だ、という顔をしたフーマルと、一緒にチャミュとソフィアの前に帰る。 「まあ、ペット一匹くらい、なんともないよ」 「シオリ、いいのですか?」 「うん、こいつとも仲良くやっていけそうだし。な?」 「うむ」 白々しく 肩を組んで仲良しアピールをして見せる。 チャミュの疑うような視線。だらだらと冷や汗が流れる。 「まあいい、シオリ君がいいと言うなら好きにしてくれ」 わかった、という風にジェスチャーするチャミュ。 よっしゃ、と腕と腕を合わせる僕とフーマル。 ああ、神様、ごめんなさい。 弱い、意志の弱い僕を罵って……、 いや、まって。神様ってチャミュの上司? であれば、今回の事は報告しないほうがよさそうだ。 「まあ、仕方ない。ミュウの方には私から説明しておく」 「ありがとうございます」 「ただ、あいつのことだから、おそらく面倒なことになるかもな」 「ですね……」 ソフィアがうつむく。 ミュウって誰? と思いながら、聞けずにいた。 「それじゃ、また何かあったら呼んでくれ。フーマル、彼に迷惑をかけることがあればすぐに連れ帰るからな」 含みのあることを言い残し、チャミュは飛んで行ってしまった。 かくして、家に居候が一人と一匹が加わったのであった。 追伸:ソフィアの秘蔵コレクションを見せてくれたのはあれっきりで、フーマルとは毎日小競り合いを続けてます。 ** 街全体が少し肌寒い日。 ビルの屋上に仁王立ちをしている女の子がいた。 頭には左右に赤く鋭利な角。 腰あたりまである黒くて綺麗な髪をなびかせ、 フリルのついた白いブラウスに黒いプリーツスカートを履き、 細い脚には白いストッキング。 風が激しく吹き荒れ、スカートも揺れている。 身長はさほど大きくないが、 目から溢れる余裕は見た目以上の風格を漂わせている。 街を見渡したあと、ある一点を見つめ不敵に笑うのであった。 「やっと見つけたわ……」 ◆◆◆◆◆ 「くっ、この! 待てー!」 「はっはっは、遅い。遅いぞ」 場所は変わって家のリビング。 ちょこまかと逃げるフーマルを捕まえようと必死に追い回す僕。 「やっぱりフーマルを引き取るんじゃなかった!」 フーマルが来てからというもの、 今まで平穏だった暮らしがだいぶ慌ただしいものになった。 「おい。メシだ。メシをよこせ。昨日のステーキというのはよかったな」 まず、フーマルは普通にご飯を食べる。つまり食費が一人分増えた。 ポメラニアンみたいに小さな体なのに、ケルベロスくらい食べる。 「おい。布団はどうした。床で寝ろ? この可愛い俺様になんということを」 そして、寝床も要求してきた。 仕方ないから僕の部屋を貸してやったら勝手に占領し始める始末。 「おい。それは俺ではないぞ。俺がやったのではない。うむ、きっとそうだ」 厄介なことにはイタズラが大好きで、毎朝なにかしらを仕掛けてくる。 今日の朝は額に第三の目を書かれた。 おかげで、朝はフーマルとのいざこざが日課となってしまった。 「ごめんなさい、シオリ」 「ははは、気にしないで。僕とこいつの問題だから」 朝ご飯の白米にのりを載せながら、心配そうなソフィアに笑いかける。 きっと、目は笑ってなかっただろう。 「お前が俺様の領域を侵すからだ」 「元々僕の部屋なんだがな。九:一ってどう考えても無理だろうが!」 床に引かれる占有ライン。 もはや和平どころではない。弾圧である。もちろん一が僕だ。 「だからお嬢のところで寝ると言ってるだろう」 「それはだめだ」 エロポメラニアンにソフィアと一緒に寝るのを許したらそれこそ問題だ。 こいつは可愛い顔してなかなかの悪逆非道っぷりなのだ。 ソフィアが寝ている部屋にこっそり忍び込み、写真を撮ったり、 ソフィアの薄紫のブラジャーをタンスから引っ張り出しては、 匂いをこっそり嗅いでいたり。 犬でなければ犯罪者である。 しかも、それを見つけた僕を犯人に仕立て上げようとする。 前回は危うく濡れ衣を着せられるところだった。 しかし悲しいかな、 奴の諸行がばれない限り、可愛い動物を虐めている少年という図だけが出来上がり、 こちらが確実に不利なのであった。 「あの、私たちは居候の身ですので。遠慮なく言ってくださいね」 「大丈夫、ソフィアは心配しないで」 爽やかな笑顔をソフィアに返す。 ソフィアが視線を合わせていないことはわかっているが、 少しでも彼女の視界に入ればいい。 「そうですよ、お嬢。こいつに遠慮することなどありません」 「お前が言うな」 互いに言葉の刺を投げ合う醜い押収。 「ふふっ」 それを見て笑うソフィア。 「なにかおかしかった?」 「こんなに楽しい食卓、初めてなので。天界では、すべて使いの者たちがやってくれていたので、賑やかで自由な食卓は嬉しいです」 「あそこは窮屈でしたからな。無理もない」 使いの者? ということは、ソフィアって結構地位のあるサキュバスなの? 天界って天使のものだろうに、なんで悪魔が? そう思ったが、問うわけにもいかない。 ソフィアが楽しそうならいいか。 そう結論した。 それに、いつも一人で食べることが多かった自分にとっても、 この団欒は別に居心地の悪いものではなかった。 「それはそうと、シオリ。その額の目はどうしたのですか?」 一瞬ちらりとこっちを見たソフィアが少し笑いたそうにしている。 おでこの前髪を上げながら、 「あ、これ? そこのポメラニアンがやってくれてね」 「こいつは視野が狭いのでもうひとつ目を付けてやったのです」 「たちの悪い落書きだろうが!」 「ふふふ、まるで邪帝みたいですね」 「なに、邪帝って?」 「それはですね―――」 ソフィアが話そうとした時、 ――ピンポーン!  突然チャイムの音が鳴った。 「なんだ? この朝早くに。回覧板かな」 慌てて玄関の方へと向かう。 「はーい」 ガチャッとドアを開ける。 そこには、小学生くらいの女の子が仁王立ちでこっちを睨みつけるように立っていた。 「ええと、どなた様でしょうか」 「あなたが、シオリ?」 凄い威圧感。 子どもにしては随分表情に冷たさがあるように感じた。 女の子を下から上まで見たところで、あることに気付く。 角がある。 「もしかして、ソフィアの……」 「どいて! この人間風情が!」 女の子は、僕を上から下まで眺めたあと、 完全にスルーし、土足でリビングの方へ歩いて行った。 「えっ!? ちょっと!」 ズンズンと進んで行く女の子。それを追う僕。 一体どういうことだ!? 「きゃー! 姉さま―!」 なにやらドサッという音と、女の子の声が聞こえてくる。 リビングまでたどり着くと、そこにはソフィアに抱きつく女の子。 そして、……震え上がって部屋の隅にいるフーマルがいた。 ソフィアとフーマルの方をゆっくり見る僕。 ソフィアは、罰が悪そうな顔をしていた。 「……すみません、シオリさん」 「……どゆこと?」 「あのぅ……」 「妹よ! 姉さまの、妹! お前が邪悪なシオリね! 私が成敗してくれる!」 ソフィアと暮らし始めてから、僕の平凡な生活は終わりを告げたのだ。 そう、理解した瞬間だった。 ◆◆◆◆◆ 家主を差し置いて、幼女はソファにドスンと座っていた。 ソフィアは、椅子で様子を見守っている。 そして何故か女の子の前で正座をしている僕。 一体どういうことなんだ?  女の子は僕を見下すような目で僕を見ている。 生粋のサディスティックな雰囲気をビンビンに感じるのだが。 「あなたが姉さまをたぶらかした人?」 まるで僕を裁くかのように、きつい口調で言葉をぶつけてくる女の子。 「たぶらかすなんてそんな……」 「嘘をついても無駄! ちゃんと知ってるんだから。 あなたのせいで姉さまが天界に帰ってこないのを!」 ソファからぴょんと立ち、僕の前に歩み寄り、ビシッと人差し指を向ける。 「姉さまを返して!」 「か、返してって言われても……」 勢いにたじろぐ僕。 「ミュウ、別にシオリのせいじゃないの。 私のわがままでここに住まわせてもらってるだけなの」 「私知ってるの。姉さまはあの天使によって無理矢理、人間界に連れて行かれたんだって。でも、もう大丈夫。安心して。私が来たからにはすべて解決してあげるから」 ミュウと呼ばれた女の子は、自信たっぷりにソフィアに向かって笑った。 それにしても、なんか色々と話が違うような……。 一体どこから得た情報なんだろうか。 「とにかく! あの天使もそうだけど、元凶であるあなたを倒せばここはもう用済み。特に恨みはないけど、消えてもらうわ」 そう言うと、ミュウの左手に黒薔薇の模様をあしらった、 これまた刃も真っ黒なレイピアが現れる。 これ、絶対死ぬ奴だ。 一気に血の気が引いていく。 「ちょ、ちょっと待って!」 「問答無用!」 一瞬の隙をつかれ、馬乗りされる僕。 目の前には黒塗りの刃がギラリと光っている。 「出会ったばかりだけど、さようなら」 冷酷なミュウの言葉。 万事休す。俺の人生もここで終わりを迎えたのだ。 色々あった……特にこの数日間、色々あった気がする。 でもそんな日々にもお別れた。ああ、ソフィア。元気で。 チャミュも、天使としてはどうかと思うけど、とりあえず元気で。 さようなら……。 人間というのは、一瞬で走馬灯をみることができるらしい。 過去の様々なーーといっても殆どが、ソフィアとチャミュとのやりとりだったーーがよぎり、目をつむる。 「ダメー!」 ソフィアの悲痛な叫びがこだまする。 大丈夫だ、きっとソフィアなら、一人でもやっていける……。 そう思って目をつむり続けたが、三秒、五秒、十秒経っても、何も起きない。 恐る恐る目を開けると、驚いた表情のミュウが見えた。 「あ、あなた……邪帝なの…!?」 「邪帝? さっき聞いた気がするけど……なんだっけ」 ミュウは僕に突き刺す寸前だったレイピアを下ろすと、 僕の顔をまじまじと見つめ、口に手を当てブツブツと独り言を始めた。 「そんなこと聞いてないわ……。でも、どう見ても本物……え、どういうこと!? どうすればいいの私」 うろたえたような表情を見せるミュウ。 「あ、あの、どうかした?」 顔に両手を当てて、困ったような表情をしている女の子。 こっちを見て少し顔を赤らめたような気がした。 「な、なんでもないわ! 今日のことは忘れて! また出直すわ!」 そう言うと、ミュウは僕の上からパッといなくなり、一目散に逃げ出していった。 「………なんだったの、今の?」 ◆◆◆◆◆ 「大丈夫ですか、シオリ」 「ああ、うん。大した怪我じゃないから大丈夫」 転んだ時にできた傷の手当をしてくれているソフィア。 やっぱり優しいなあ。傷の手当ても手馴れている。 きっと、ミュウが怪我してよく帰って来たんだろう。 あそこまで一直線になんでも考えるなら、怪我も絶えないはずだ。 「それにしても、さっきの妹さんは、一体何が起きたの?」 「多分……シオリを邪帝と勘違いしたんだと思います」 「さっきも言ってたね。その邪帝ってなんなの?」 「これだ、これ」 フーマルがどこからか円筒形の端末を取り出す。 そこからホログラムのように、一人の若い男性が歌っている映像が映し出された。 「これって……え、僕? あ、違う? ううん??」 金色のオールバックに三つ目の青年。 顔は僕の瓜二つで、なにやらド派手にパフォーマンスをしている。 「邪帝・ザ・ギャングROX《ロックス》と呼ばれる、天界で人気の音楽バンドなんです」 天界にも、音楽バンドがあるんだ!? しかも「ザ・ギャング」って名前はなんだよ! しかも、空を飛んだりしていて、人間界よりはだいぶ派手そうだ。 「そのメインボーカル、邪帝にシオリが似ていたから、おそらく躊躇したのかと」 「えっ、でも、僕そもそも三つ目じゃな……」 そこで思い出した、今日の朝のことを。 変態イタズラポメラニアンによって、精巧な三つ目を描かれていたことを。 「そうか、三つ目だ!」 「はい、おそらくさっき倒れて髪が上がった時に、ミュウはそう思ったんだと思います。ミュウ、邪帝大好きなので」 「なるほど………。妹さん、また来るのかな…」 「おそらく……」 一難去ったものの、また面倒なことが増えて頭を抱える僕。 そこに、ポンポンと肩を叩かれる。 「僕のおかげで助かっただろ。今日の晩飯はステーキな。もちろん、サーロインで」 なんでこのポメラニアンは、毎回高いものを注文してくるんだろう。 「それとこれとは話が別だー!」 僕の今日一番の叫びが家中に響き渡ったのだった。 ** ある日の夕暮れ。 仕事帰りのサラリーマン、塾に向かう学生と人通りがちらほらある大通り。 グレーのスーツに身を包み、街中を歩いている金髪の女性。 腰まで伸びた髪がサラサラと揺れ、行き交う人の目を奪う。 「はい、こちらチャミュです……なんだって? 状況は? ……わかりました」 携帯をしまい、天を仰ぐ。 「面倒なことになったな……」 これから起こるであろう事件に頭を抱えるチャミュであった。 ◆◆◆◆◆ とある日、学校にて───。 「ごめん、天寿くん!」 「もう、気にしなくていいよ香山。僕も覚えてないから」 両手を前に合わせて必死に謝ってくる香山成美 どうやら先日のスーパーの件について謝っているらしい。 あの騒動自体は、チャミュが香山の記憶を操作して、なかったことにしているらしいのだが、『天寿くんに何かしらの迷惑をかけた』という記憶だけは残っているらしく、何かにつけて謝られるのだった。 香山に謝られる度に、ソフィアの魅了を受けて解放的になった 香山の健康的な体を思い出しそうになり、必死に思いとどまる。 「ねっ、二人になにかお詫びさせて。じゃないと私の気分が収まらないの」 まぁ、本人が気の済むのであればそれでいいのかな。 「わかった、じゃあ、なにかしてもらおうかな」 「ホント!? じゃあ、今度の日曜日空けといて。後で連絡するから!」 香山は嬉しそうに笑うとポニーテールをパタパタさせながら走っていった。 その健康的な様子に、思わず笑ってしまった。 高校生活を満喫している香山。 ふと、僕が学校にいる間、ソフィアは何をしているんだろうと気になった。 一人でずっと家事手伝いや、人間界の情報を調べているのだとしたら、寂しいだろう。 香山が遊びに来たりしたら、喜ぶかもしれない、と思った。 ◆◆◆◆◆ 「なあチャミュ、香山ってあの時のことは覚えてないんだよな?」 「なんだい急に。何かあったのかい?」 久しぶりに家に来ていたチャミュに、香山のことについて聞いてみた。 「香山くんの記憶はちゃんと消してあるよ。まぁ余程インパクトはでかかっただろうから、断片自体残ってることもあるだろうけどね」 「会う度に謝られるからさ、なんか悪いなって思ってさ」 「ふむ。まあ、そこは本人の気の済むようにさせてあげるしかないんじゃないかな。本当のことを話すわけにもいかないだろう?」 「まあ、そうなんだけどさ……」 「香山さんですか?」 本を読んでいたソフィアがこちらの会話に入ってきた。 今日はさくら色の上下のスウェットを着ている。 だいぶラフな格好だが、それでも上品さがあるのがソフィアの凄いところだ。 「そう、香山自身あの日のことは覚えてないんだけど、なにかお詫びをしたいんだってさ」 「お詫びというのなら、私の方こそ……」 「ソフィアは悪くないよ。まぁ、そういうことだからさ、ソフィアも日曜日一緒に来てよ」 「そうだな。ソフィアもこっちの世界にいるなら、シオリくん以外の人間にも慣れていかないとね。丁度良い機会だろう」 チャミュはテーブルにあったお茶を軽くすすった。 「そういえば、ミュウがこの家に来たんだって?」 「うん、突然やって来て。危うく殺されそうだったんだぞ」 「ははは、すまない」 ははは、じゃねーよ。 あなた天使でしょ。もうちょっと他に言うことあるでしょ。 「彼女はソフィアのことが大好きでな。まわりが見えなくなるタイプなんだ」 「見えなくなる、ってレベルじゃないんだよな。大体、それで殺されたら……。なぁ、これ以上面倒になることはないよな?」 チャミュに疑いの目を向ける僕。 「ふふふ」 軽く笑ってごまかそうとするチャミュ。 うん。今後彼女に希望は持たないことにしよう。 「ミュウにこの場所を知られたということは、少なからず天界に情報は渡っているだろな。何かあった時には私に連絡してくれ」 「連絡って言ったって、どうすればいいんだよ?」 「そうか、これが私の番号だ」 チャミュの電話番号を教えてもらう。 「え、スマホ持ってるの?」 「人間界にいるんだ。使いこなさなくてはな」 「じゃあ、ソフィアもスマホ持ってみる?」 「私は機械音痴なので……。やめておきます」 どうやら、天界の住人によっても向き不向きはあるようだ。 「そうだ、フーマルはいるのか?」 「そういえば、あいつ見かけないな。どこいったんだろうか?」 チャミュが来る時は決まって姿を消すフーマル。苦手意識があるんだろう。 「まぁいい。私はこの辺で帰るとするよ。なにかあったらその番号に連絡してくれ。仕事がなければ駆けつけよう」 「こっちがピンチの時には忙しくても駆けつけてくれ……」 その返答に、ハハハ、と笑うチャミュだった。 うん、やっぱり、信用しないほうがいいみたいだ。 ◆◆◆◆◆ 香山との約束の日曜日がやってきた。 その日はお昼前に集合だったので、早めに起きて、家事を一通りやることにした。 「おはようございます、シオリ」 「おはよう、ソフィア」 視線は合わせない、声だけでやりとりをする。 一見仲が悪そうに見えるが、これが今のベストな距離の取り方みたいだ。 眼鏡の能力で、見過ぎなければ魅了の影響はない、とチャミュからは言われたが、 お互い、なかなか先に踏み切れない。 香山と違って、毎日顔を合わせる身だ。 何かあったら、それこそ生活が危うくなる。 「家の掃除が終わったら出掛けるから、準備しといてね」 「はい」 家全体に掃除機をかけ、ゴミをまとめる。 約束の時間も近付いてきたので、家事を終わらせて、出かける支度をする。 「さ、では参るか」 当然のように、ソフィアのバッグに収まっている白いモサモサ。別名変態ポメラニアン。 「フーマル、お前……」 「話は聞いていたぞ!」 「やっぱり隠れてたんだな」 「油断していれば天界に戻されてしまうからな。奴からは隠れるようにしている」 「自信たっぷりに言うことじゃないんだよな……」 「シオリ、フーマルも連れて行ってもいいですか?」 「まあ、こいつだけ置いていくのもなんだし。連れて行こう」 一匹にさせたらソフィアの部屋で何をやらかすかわかったもんじゃない。 連れて行く方が安全だ。 「まあ、安心するがよい。そのクラスメイトとやらとは、喋らないでおいてやる」 「当たり前だ」 ポメラニアンが喋り出したら大問題だ。これ以上の面倒はご免こうむりたい。 フーマルをバッグの底に押し込み、僕とソフィアは家を出た。 バッグが重く肩にのしかかったので、わざと弾んで見せた。 「うぎゃー!」 という変態ポメラニアンの声が、心地よく響く。 ◆◆◆◆◆ 「天寿くーん!」 香山とは近くの公園で待ち合わせをしていた。 どうやらピクニックをしようということらしい。 入口前にいた香山が、こっちに気付いて駆け寄ってくる。 「早かったね」 「香山こそ、もう着いてたんだな」 「へへ、気合い入れたら早く着いちゃった」 キャップを被り、ジャケットに短パン、スニーカーを履いている香山。 健康的な太ももが眩しい。手には大きなかごをぶら下げている。 「こんにちは、香山さん」 「こ、こんにちは。ソフィア、さん? でいいんだよね?」 「はい」 「ごめんね、会ったことあるはずだと思うんだけど記憶が曖昧で」 はは、と頭をかきながら話す香山。 記憶を消されているんだから無理もない。 むしろ、覚えていたら、香山は一瞬で逃げ出すだろう。 俺だって、香山の立場だったら同じことになっていたはずだ。 「いえ、気にしないでください」 「今日お互い、改めて知り合えばいいんじゃないかな」 「そうね。よろしくね、ソフィアさん」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 ピョンッ。 ソフィアのバッグから飛び出すフーマル。 「ワン!」 「わっ! びっくりした! 何このワンちゃん、可愛い!」 出てきたフーマルを抱き寄せる香山。 香山の胸に顔をうずめるフーマル。 お前、犬じゃなきゃ犯罪だからな? 「あはっ、くすぐったいってこら!」 香山のジャケットの中にもぐりこもうとするエロ犬。 相変わらずの変態ポメラニアンめ……。 「と、とりあえず、移動しようか」 「そうね、あっちに良さそうな場所があるから」 公園の奥に行き、お昼を食べるのに良さそうな場所を探す。 「ここら辺がいいかな?」 平たい草原のスペースに、ピクニックシートを敷く。そこに置かれる大きなかご。 「じゃーん!」 自信満々に取り出す香山。 中には、色とりどりのサンドイッチ。 そして、からあげ、卵焼き、サラダ。 立派なピクニックご飯だった。 「おっ、凄い! これ香山が全部つくったのか?」 「そうだよ、凄いでしょー!」 両手を腰にあて、得意気な香山。 準備に結構時間かかったんだろうな。 自分も料理をするから大変さがわかる。 今日はしっかり味わおう。 「さ、食べて食べて!」 「それじゃ、せっかくだからいただこうかな。いただきます」 「いただきます」 「ワン!」 「あっ、フーマルちゃんがいると思わなかったから、特に用意してなかったんだけど。どうしよう」 「同じ物食べられるから大丈夫だよ。ほら、フーマル、降りてこい」 香山のジャケットの中から出てこないフーマルに声をかける。 フーマルは何も聞こえていないふりをして、香山の顔をなめている。 「ふふ、天寿くん、嫌われてるみたいね」 「……あんまり、その犬に油断するなよ」 まさか本当のことは言えない。 犬に毎秒セクハラされているなんて知ったら、香山のことだ。 フーマルを橋の上から突き落とすくらいのことはできるかもしれない。 一旦そっちは考えるのをやめて、サンドイッチに手をつける。 ハムとレタスのサンドイッチ、塩気が効いていて丁度良い。 「これは美味しい!」 「ホント! 良かったぁ。いっぱいあるから、気にせず食べてね。ソフィアさんも!」 「ありがとうございます」 「はい、フーマルちゃんも」 「ワン!」 香山の昼食に舌鼓を打ちながら、楽しくおしゃべりをしながら時は過ぎていった──。 「あー、食べた。ご馳走さまっ」 「ご馳走さまでした」 「お粗末さま、綺麗に食べてくれて。良かった」 満足そうな顔をしている香山。 「ホント美味しかったよ、これだけつくれりゃいつ嫁に出ても恥ずかしくないな」 「よ、嫁って。まったく、もう天寿くんってば!」 バシッ!  「いたっ!」 照れのあまり僕をはたく香山。 いや、ちょっとまってください。 高校生女子に叩かれるの二度目なんですけど。 二度とも、結構痛いんですけど、そういうもんなんですかね? しかし、そう言えるわけもない。僕は腕をさすりながら話を継ぐ。 「いや、ホントのことだよ。香山はいつも料理つくってるのか?」 「兄弟のぶんも作らないといけないからね。毎朝早起きだよ」 「親は?」 「父は早くに亡くなって、母もずっと体調崩してるんだ。だから、私が頑張らないと」 香山がバイトをしていたのはそういうことなのか。 「そっか、えらいんだな。香山は」 「そんな……。私は私の精一杯やってるだけだよ」 「香山さんは素敵なお姉さんだと思います」 「そ、そう? 改めて言われるとなんか照れるね」 恥ずかしさを隠すようにキャップを深くかぶる香山。 ソフィアの様子を伺いながら、こそっと僕に耳打ちしてくる。 「ねぇ、ソフィアさんって少し機嫌悪い? 一回も私と目を合わせてくれないんだけど」 「あぁ、心配しなくていい。ソフィアは恥ずかしがり屋なんだ。僕も一回も合わせたことがない」 「そうなの? でも、そっか。嫌われてないんだったら良かった」 ホッとする香山。 「ね、天寿くん。ソフィアさんとどんな関係なの?」 「え? どんなって……」 なんて答えればいいんだろう。 正直に答えるわけにはいかない。 「親戚の知り合い、というか」 「え、じゃあ、彼女じゃないの?」 口に含んだお茶を反射的に吐き出してしまう。 「ち、ちがうよ!」 「ほんと?」 「ホントホント!」 「ふーん、そっかぁ」 「どうかしたのか?」 「ううん、なんでもない! ちょっと気になったから」 そりゃまあ、気になるか。 なんで僕のところにこんな可愛い子がいるのか。 最近、近所でももっぱら噂の的だ。 「よし、私入れ物洗ってくるね!」 香山は起き上がると、料理が入っていたタッパを持って水洗い場まで走っていった。 「そっか、天寿くん付き合ってるわけじゃないんだ。ふふ、そっか」 心なしか嬉しそうに笑う香山。 水洗い場までつくと、さっさと洗ってしまおうと腕まくりをする。 「ここ、空いてる?」 「あ、はい。どうぞ」 洗い物をしていると、隣に女性がやってきた。 隣の強烈な視線を感じ、ちょっと怖くなる。 「あ、あの……どうかしました?」 「あなた、綺麗な目をしてるね」 「え?」 不意に言われた言葉に反応して、女性と目を合わせた香山。 その時、女性と香山の間に光の波紋が起きた。 ────。 「香山、遅いな」 香山が水洗い場に行って一五分くらい経つ。 もっと早く戻ってくると思っていたが。 「シオリ、なんか嫌な感じがします」 「なんかって……」 「香山さんの様子、見に行きましょう」 すると、ちょうどその時香山が帰ってきた。 「香山、遅かったな。なんかあったのか?」 「私……。私は……」 「香山さん? どうかされました?」 なにか様子がおかしい。足取りがふらふらしている。 「香山! どうした! 熱でもあるのか!」 香山の近くまでいき、顔を見る。赤く光っている瞳。 「これは……!?」 ソフィアの瞳を見てしまった時と同じ。 でも、今日はソフィアの瞳は見てないはず。なのに、なぜ?  「天寿、くん……」 香山は駆け寄った僕の両手を自分の指で絡めると、一気に押し倒してきた。 ――ドサッ!  幸い床は草だったのでそれほど衝撃はなかったが、香山に完全に乗っかられた形になる。 「天寿くん……」 ジャケットを肩より下にすべらせ、腰を少しあげて短パンのファスナーに手をかける香山。ファスナーがゆっくりと下ろされていき、スポーティーな香山からは想像できない、ピンクの下着がちらりと見える。 「香山! 目を覚ませ!」 前と同じだ。魅了の能力にやられてしまっている。 「香山さん!」 「ソフィア! どうにかできないか?」 「私以外のサキュバスに魅了をかけられているみたいです。方法はあるのですが……」 乗ってきた香山を動かすことができず、ソフィアに助けを求める。 一般男子くらいの力はあるはずなのに、この間と同じで、まったく力でかなわない。 「私の魅了で打ち消してあげれば、能力は消えます。でも……」 「でも?」 「直前の記憶も一緒に消えてしまいます」 今日、一緒に過ごして仲良くなった記憶も消えてしまうのか……。 美味しかったサンドウィッチ。楽しかった時間。 それがなくなるのは哀しい気がした。 それでも……。 「このままじゃ、香山が後悔することになる。ソフィア、頼む!」 「……わかりました…」 ジャケットを脱ぎ、シャツを捲ろうとしている香山。 くっきりしたくびれが徐々に見えていく。 「香山さん、ごめんなさい」 ソフィアはそう言うと、眼鏡を外して香山の瞳を見つめた。 ソフィアの瞳が赤くなり紋様が浮かび上がる。 バチン!  激しい音とともに、香山のまわりにあった見えない膜がガラスのように砕け散った。 意識を失い倒れ込む香山。それを支えるソフィア。 「上手くいったみたいです…」 「そっか……。ごめんね、能力使いたくないだろうに、ありがとう」 僕は草原に倒れながらソフィアにお礼を言った。 空は青い。だが、香山は倒れ、ソフィアはうつ向いている。 一体どうして、こんなにもめごとばかり起きるんだろう。 ◆◆◆◆◆ 「……ハッ!?」 意識を取り戻し、ガバッと起き上がる香山。 「大丈夫か?」 「天寿くん? ここどこ? あれ、天寿くんに会うのは明日じゃ」 「ここは公園だよ。香山、疲れてたんじゃないかな。公園についたらぐっすり寝ちゃったよ」 苦しい嘘だが、そう言うほかにない。 「え、うそ!? もう日曜日? お弁当は?」 「ちゃんといただいた。美味しかったよ」 「あ、お弁当は持ってきてたんだ……。ごめん、昨日の夜から、全然覚えてなくて」 「香山の気持ちは十分伝わったから。今日は楽しかったよ」 「ごめんね……。でもやっぱり、天寿くん、優しいね」 香山はキャップを上げてニコッと笑った。 その笑顔は、さっきまで見せていた痴態とはかけ離れている。 こっちの香山が本当なのだと思うと、巻き込んでしまって申し訳ない気分になった。 ◆◆◆◆◆ 香山と公園で別れての帰り道。 「香山さん、大丈夫でしょうか?」 「今日の記憶はなくなっちゃってたけど、大事にならなくて良かったよ」 「そうですよね……」 ソフィアは、まだうつ向いている。 「シオリさん、あの瞳、明らかにサキュバスの魅了にかかった瞳でした」 「うん。じゃあ、やっぱりこの街にソフィア以外にもサキュバスがいるってことか」 「えぇ、ただ目的がなんなのか……」 沈黙が続く。このままだと暗くなってしまう、なにか別の話題を……。 その時、僕はふと思い出した。 「ソフィア、覚えてる? さっき、香山を助ける時、僕と目を合わせたの」 僕は気付いていた。香山を救おうと考えを巡らせていた時、しっかりとアイコンタクトをとっていたことを。 「え、とっさのことだったので……」 「ちゃんと見てたよ。でも、僕は魅了にはかかってない。眼鏡の効果もあるかもしれないけど、大丈夫なんだよ」 「そうなん、ですかね……」 「うん、確かなことは言えないけど……。でも、これからは、その、ちゃんとソフィアの顔を見て話したい、なんて」 「シオリ……、えっと、その、私もできれば、そう、したいな、と」 もじもじと恥ずかしそうにするソフィア。 「ソフィア」 ソフィアの正面に向き直る。 「一、二、三で、目、合わせるよ?」 「は、はい…」 「一、二、三……」 ソフィアの顔を見る。 が、しかし僕はいつもの癖で若干右下の方を見てしまい、 ソフィアはソフィアで僕の視線とは反対の方向を見てしまっていた。 「ふ、ふふっ……」 「ははっ」 そんな光景がおかしくて笑い出す二人。 ひとしきり笑ってから、ソフィアを見つめる。 「ゆっくり、慣れていこうか」 「はい、そうですね」 そういって笑うと、家までの道のりを歩いて帰った。 こんな日々が、ずっと続くといい。 僕はその時、本気でそう思っていた。 ** 香山との一件以来、僕とソフィアの中で少し変化が生まれていた。 それは、お互いサキュバスの能力に向き合ってみようと思ったこと。 僕自身、ソフィアの能力のことはよく知らない。 ソフィア以外のサキュバスが僕のまわりに現れた以上、 出来ることはやっておかないと、いつ自分も魅了の能力をかけられるかわからない。 そして、僕が魅了にかけられたら、一番悲しむのはソフィアだ。 「というわけで、目を合わせる練習を、や、やってみようか」 「そ、そうですね。よろしくお願いします」 こうして、朝と夕方の食事の時に、少しだけ目を合わせる練習が始まった。 最初は眼鏡をかけたまま目を合わせていたが、次第に眼鏡を外しても大丈夫ということがわかった。 「いくよ、いっせーので」 「……」 「…………」 ソフィアと目を合わせる。 合わせたがいいものの、どうしたらいいかがまったく分からない。 お互い呼吸を止めてしまっていて、一種の我慢大会のようになっている。 目を合わせるのに呼吸を止める必要は一切ないのに。 「ふぅ」 気恥ずかしさに耐えきれず、数秒とたたないうちにお互い反対の方向に、 目を逸らしてしまう。大体、普通に話すときってどのくらい人の顔を見てたっけ。 瞬間的なにらめっこのように、 ちょっと顔を合わせては逸らすのを何回か繰り返す。 机の上の納豆をかき混ぜながら、呆れたように見ているポメラニアン一号。 「お見合いか! 二人ともだんまりか! ちょっとは喋らんかい!」 等と言ってるが、聞こえないふりをしておく。 「でも、これで僕は目を合わせてもソフィアの能力が効かないことがわかったね」 「はい、それだけでもだいぶ進歩したと思います」 朝食を食べながらソフィアと認識を合わせる(視線は合っていないが)。 「それは効果あるのか?」 ご飯を食べながらフーマルが話しかけてくる。 「ある、と思う……」 「多分、前は一切目を見られなかったので。少しは改善されているんじゃないかと」 「そもそもお嬢が、お前に目を合わせる必要もないだろう」 「そんなことない! ……と、思うんだけど」 強めに反発してしまって、少し恥ずかしくなる。 たしかに、ソフィアが僕と目を合わせたいかどうかは別問題だった。 だが、ソフィアはモジモジしながら、恥ずかしそうに言う。 「わ、私もシオリと……その、コミュニケーションはちゃんと取りたいと思ってますので…」 その答えに、ホッとする。 そうじゃなきゃ、僕はただの目を合わせることを無理強いする変態になってしまう。 「お嬢は本当にお優しいお方で。おい、感謝しろよな」 「お前は何様なんだ」 といって、フーマルをにらむ。バチバチと飛び交う火花。 どうも、フーマルとは仲良くやれそうにない。 いや、そう思ってるだけで、実際はすでに仲がいいのか? 悩みの迷路に入りそうだったので、ソフィアに声をかける。 「今日は学校帰りに食材を買って帰るけど何か食べたいのある?」 「そうですね、なぽりたんというものが気になってます」 この前、テレビの全国パスタ特集でやってたな、と思い出す。 鉄板ナポリタン、美味しそうだったもんな。 ソフィアは毎日テレビを見ているせいか、最近人間界のご飯に詳しくなっていた。 「わかった、じゃあ帰りに買ってくよ」 「はい! 楽しみにしてます」 ◆◆◆◆◆ そして、下校時間。 最近慌ただしかったこともあり、久しぶりに一人の時間をとれた気がする。 香山も、変わらず接してくれているしひとまずホッとする。 むしろ、前より色々と世話を焼いてくれている気がする。 罪悪感が残っているのだろうか? だとしたら、申し訳ない。 そもそも、こっちの事情に巻き込んでしまっただけなのだから。 「夕食の材料でも買って帰るか」 大通りを歩いていると、たこ焼きの良い匂いがしてきた。 たこ焼き屋ダグラム、この街で有名なたこ焼き屋だ。 その時、前で立ちつくしている女の子を見つけた。 ゴシックロリータな格好に艶やかな長い黒髪、二本角。 キッと上がったするどい目。 ……ソフィアの妹、ミュウだった。 この前、殺されそうになったのを思い出し、見つからないようにそーっと後ろを通ろうとする。 なのだが、通り過ぎる最中、ミュウが少し切なそうな顔をしているのを見てしまった。 「もしかして……お腹が空いている?」 思わず、呟く。 この子、普段はどうしてるんだろう。 天界と人間界を行き来してるんだろうか?  ソフィアがいなくなって寂しくて、この間、人間界に来ていたとしたら、 いまは天界で一人で過ごしているのだろうか。 「どうかしたのか?」 「……あ、あなたは!? 邪帝さま!」 びっくりしたミュウは、周りをキョロキョロ見渡すと僕を路地裏に引っ張っていった。 「いや、違うから。邪帝とかっていうのじゃないから」 「そんなはずないわ。顔そっくりだもの。それでど、どうしてこんなところに?」 「たまたま、学校の帰りだよ」 「嘘よ! 姉さまを取り返されまいと、私を狙っていたのでしょう! 邪帝さまともあろう方が、私の隙に乗じて、なんと卑劣な……」 一切会話が噛み合わない。 ソフィアは普段、この子とどんな会話をしていたんだろうか。 ――ぐぅ。 珍妙な音が鳴る。 ミュウのお腹の音だ。 「……お腹、空いてるんだね」 「そ、そそそんなことないわ! これは鳴き声よ! その辺の猫が鳴いたんじゃないの!?」 といってあたりを見回すミュウ。 でも悲しいかな、そんな猫がいるはずもない。 「わかりやすく動揺するね、君」 「む、むう。それより、姉さまのいないところで私に会ったことを後悔なさい」 くっくっくと笑いながら 左手に黒薔薇のレイピアを取り出し、僕の上に乗っかってくる。 最近この体勢になるのがお約束になってきたな。 そして、なんでこんな簡単に倒されるんだろう、僕は。 一般男子と同じ体力を持っていると思っていたけど、サキュバスや、サキュバスに魅了された人間の前には屈するしかないらしい。なんだか情けなくなってきた。 「最初は殺そうかと思ったけど、やめた。私のものにすればいいんだわ。邪帝様を私のものに……。ああ、素敵!」 不敵な笑みを浮かべ、僕の右手にレイピアを突き刺したミュウ。 「痛ぁ! ……あれ、痛くない?」 唐突な出来事に思わず顔を歪め、突き刺された右手を見る。 レイピアは手のひらを貫通し、地面に突き刺さっているが痛みは一切なかった。 怪我はしていないらしい。一体どういう原理なんだ。 「驚いた? 別に切るだけじゃないのよ、私のこの黒薔薇の剣《シュバルツローゼ》は。 こうやって、相手の動きを封じることもできる」 そう言うと、ミュウの右手には白い薔薇の剣が現れ、同じく僕の左手に突き刺す。 「そして、この白薔薇の剣《ヴァイスローゼ》もね。そして、ねぇ、私から目を離せなくなったでしょ?」 「!?」 両手を万歳して降参するポーズのまま、ミュウを見つめる僕。 視線を外そうとしても、目を動かすことができない。 蛇に睨まれたカエルよりずっと悪い。 両手を刺されて動けないのだから。 「何をしたんだ!?」 ミュウもサキュバスだ、ということはこのあと、待ち受けているのは……。 嫌な予想が頭のなかを駆け巡ってしまう。 「さぁ、私のこと、じっくり見なさいな」 僕の顔に手を当て、こっちを見るように促してくる。 ミュウと目を合わせまいと必死に目をつむろうとするが、抵抗できない。 「ほら、気になるでしょ?」 ミュウは僕の顔の前に立ったかと思うと、スカートをゆっくりとたくし上げ始めた。 「!? ミュウ、だめだ!」 「黙って見てなさいな」 ミュウのスカートが徐々に上がり、細くて綺麗な太ももが見えてくる。 小柄な体躯に似合わず、色気を醸し出しているミュウの脚。脚フェチにはたまらないであろう、黒いストッキング越しの肌は艶やかな光を放っている。 もう少しで、太ももの付け根が見えてきそうになったところで、 ドン! ミュウは僕の顔の横に右足を移動させ、更に真下から見えるように煽ってくる。 見ちゃダメだ、見ちゃダメだ、見ちゃダメだ。 そう念じながら僕は目をつむる。 幸い、目は動かせるようになった。 「私の術を破ったの!? 生意気!」 ミュウは僕に突き刺している黒と白の剣を握り、エネルギーを込める。 「こ っ ち を 向 き な さ いっての! 」 自分の目が、自分の意志とは関係なく無理矢理開かれていく。 「ぐ、ぐぐぐっ」 目を開けまいと必死に抵抗する僕と、無理矢理目を開けさせようとするミュウ。 意地の張り合いがつづく。 だが、負けるわけにはいかない。 なんといっても、ソフィアの妹なのだ。 あんなことや、そんなことになるわけにはいかないのだ。 「開けなさいってばって……あ」 互いに抵抗をしていたところ、急にミュウの体がガクッと崩れ落ちた。 僕の上に乗っかってくる。 「ミュウ!?」 白と黒の剣は霧散し、両手が自由になったところでミュウを抱えると、 彼女は目を回して倒れていた。 エネルギーを使い果たしたのであろう。 「助かった……といっていいのか……?」 ◆◆◆◆◆ ミュウを近くのベンチに抱えて休ませて数分後のこと。 「ん…んん」 「あ、起きた?」 「うーん、ここは……って!?」 自分の状況を察知したミュウはさっと起き上がる。 「まぁまぁ、落ち着いて。ほら、これでも食べなよ」 さっき買っておいた、たこ焼きをミュウに差し出す。 「なっ、なによ! 邪帝様とはいえ、敵! 敵に施しなんてうけないわ! それに、別に食べたいわけじゃないし!」 「そっか、じゃあとりあえずここに置いておくから。中は出来立てで熱いから、食べるときは気を付けるんだぞ」 冷たいお茶のペットボトルも一緒に置いて、僕はベンチを後にする。 ひとまず意識は戻ったみたいだし大丈夫だろう。 あんまり遅いとソフィア心配するだろうし。 そう思って帰ろうとする僕に、ミュウが声をかけてくる。 「だから、いらないってば!」 「じゃあ、誰かにあげてくれ。お腹空いた時は家に来ればいいよ。じゃあね」 「………」 ぐぅ。 おなかが鳴る。 「……………」 ぐぅ。 さらにお腹が鳴る。 「………………。……!」 あまりの空腹に我慢できず、たこ焼きのパックに手を伸ばすミュウ。 ソースと青のりの美味しそうな匂いが鼻に直接響いてくる。 「……美味しそうじゃないの」 耐えきれず、一つを口の中に放る。 「………あっつい!」 どんな悪魔であろうが、人間界のたこ焼きの熱さには勝てないらしい。 ◆◆◆◆◆ すっかり夜になってしまった。 ソフィアに連絡手段がないのも不便だな、と思いながらスーパーから出ようとすると。 「シオリ!?」 「ソフィア!」 「良かった……無事だったのね」 小走りで駆け寄ってくるソフィア。少し息を切らしている。 背中にはフーマルもいた。面倒そうな顔を隠さないあたり、フーマルらしい。 「どうして……。家にいたんじゃなかったの?」 「シオリのことが気になって……前のこともあったから」 「お前が遅いからお嬢が心配してだな。まったく、だから心配するだけ無駄だと言ったのです」 ソフィアは相変わらずの右下の視線だが、第一声、僕の名前を呼んでくれた時は、 ちゃんと僕の顔を見てくれていた。それが少し嬉しかった。 ソフィアも、僕を見ようとしてくれている。 それだけで、浮かれそうになる。 「ちょっと用があって遅くなっちゃってね。ちゃんと材料は買ったよ」 ナポリタンの具材が入った買い物袋を掲げて見せる。 「帰って食べようか」 「はい。あれ、シオリ、なにか食べ物の匂いがしますね?  それに……、もしかしてミュウに会いました?」 ソフィアにたこ焼きの匂いをつっこまれ、ギクッとする。 「どうして、それを」 「やっぱり、私、結構鼻は利く方なんです。ミュウがまた迷惑かけませんでしたか?」 「帰り掛けにたまたま会っただけだから。元気そうだったよ」 「なら良いのですが……。では、もうひとつの匂いは?」 「たこ焼き屋の屋台があってね」 そこまで言って、ふと気づいた。 ソフィアは、たこ焼きを食べたことはないんじゃないだろうか? 「今度、一緒にたこ焼きを食べに行こうか」 「いいですね! 賛成です!」 その時、じっと僕の方を見つめるソフィア。 「なにか僕の顔についてた?」 僕が見返すと、さっと目線をいつものように右下に落としてしまう。 「め、目を合わせる練習です」 ソフィアはそう言って恥ずかしそうに俯く。 今日の朝に僕が言っていたことを、ソフィアは実践してくれていたのだ。 そのことが、何よりも嬉しい。 「あ、そ、そうかっ。うん、そうだね」 ソフィアのことを意識してしまい恥ずかしくなり、 僕のほうこそ、ソフィアの顔を見れなくなる。 フーマルはそんな僕らを見ながら、 「若いっていいのぉ」 とつぶやくのだった。 ** 「シオリくん、仕事先からこんな物をもらったんだが、興味はないかい?」 チャミュはそう言って、チケット四枚を渡してきた。 そこには『水のテーマパーク アクエリアン一日フリーパス』と書かれている。 家から少し離れているが、街の中ではそこそこ大きなアトラクション施設だ。 「これ、どうしたんだ?」 「いやなに、取引先からもらったのはいいんだけどね。私は仕事で忙しいし、四人分も使うことはないから。ソフィアが世話になっていることもあるし、君たちで楽しんでくるといい」 「そうか」 表面上は平静を保っていたが、内心 (チャミュ、ナイス! はじめて尊敬した! まるで天使!) と小躍りをしていた。 (いや、本当に天使なんだった) そう思いなおすが、今までのことが重なり過ぎて、 どうしてもチャミュを天使だと認識できそうにない。 普段行けないアトラクション施設だ。それに、昔親父に連れて行ってとせがんで無理だった過去をもつ僕としては、なんとしても行きたい! 「その紙はなんですか?」 「あぁソフィア、これはチケットと行って、特定の建物に出入りするのに必要なものなんだ」 「へえ……便利ですね」 「うむ。それでな、水で遊べる大きな場所があってね、そこで遊んできたらどうかとシオリくんに提案していたんだよ」 「なるほど、水ですか……」 僕の気持ちとは真逆に、浮かない顔をするソフィア。 「どうしたの、ソフィア」 「いえ、水にあまり良い思い出がなくて、その……」 消極的な態度を見せるソフィア。 さっきまで上がっていたテンションが、深い海に沈むが如く下がっていく。 「ソフィア、何もここは天界の耐久遠泳のようにハードなものじゃない。ノルマもないし、むしろ楽しいものさ」 「そうなのですか、でも……」 浮かない顔をするソフィア。 そもそも、耐久遠泳ってなに? 天界ってそんな時代遅れの運動部みたいなことしてるの? 「やっぱり、私はやめておきます。シオリは楽しんできてくださいね」 そういったソフィアに、チャミュは、僕に近付いてきて耳打ちをしてくる。 「お前、ソフィアの水着姿、見たいだろう?」 はい、とは答えられない。 そんなスケベ侍だと知られたら、ソフィアは家からいなくなってしまう。 僕は精いっぱい紳士を装って(きっとその時点で紳士ではないのだ)、 冷静に、なにげなく聞いてみる。 「ソフィア」 「は、はい」 「ここは基本ゆったり遊べる場所だから大丈夫だよ。 ジャグジーバス、つまり泡の温泉もあったりして、いるだけでも楽しいからさっ」 僕が見聞きした知識の中で精一杯アピールする。 「シオリがそう言うのであれば……」 もう一押し! あとちょっとだ… 「(なにかあったら僕が守る、くらいのこと言ってやれ)」 「なにかあったら、ぼ、僕が守るからさ」 チャミュから耳打ちされたことをそのまま口に出して、数秒後に恥ずかしくなる。 ハッと驚いて目が合うソフィアと僕。 「シオリがそこまで言ってくれるなら、行きましょう」 やったー! 今世紀最高のガッツポーズを心の中で繰り出す僕。 「それはそうと、ここ最近君のまわりに現れているサキュバス、もしかしたらそこにも現れるかもしれない。その時はくれぐれも気をつけてくれよ」 公園で香山を襲ったサキュバス。 たしかにいつ現れてもおかしくないな。 「わかった、気を付けるよ」 「シオリ、あと二枚はどうしましょう?」 たしかに、チケットは四枚ある。 その時、ある人物が二人思いついた。 一人は誘えそうだが、もう一人はどうだろうか。 「ソフィアに一枚預けとくよ。もしその子が来たら、誘ってみて」 「え? ええ、わかりました」 ソフィアは困惑した顔をしていたが、ハッと理解して頷いた。 あの子なら、きっと来るだろう。そんな顔だった。 ◆◆◆◆◆ そして、当日。 バスを乗り継ぎ、『水のアトラクション・アクエリアン』の前に、僕とソフィアは到着した。後ろには、香山とミュウも降りてくる。 僕が思いついた二人とは、男友達とミュウの二人であった。 男友達は誘ったのだが、その日はどうしても外せない予定(推しのアイドルのライブだったらしい)があるらしく断られてしまった。 あてが外れて困っていたところに、丁度香山が通りかかり、 事情を話したところ二つ返事で来てくれることになった。 「天寿くんはどんなのが好き? 可愛い感じのやつ? 派手なのでも引かない?」 やけにウキウキしているように見えた香山。 香山には、最近迷惑ばかりかけていたので、喜んでくれて良かった。 ミュウは、この前の件でなんだか憎めない感じになってしまったし、 和解のきっかけになればと思いソフィアにチケットを渡しておいた。 結果、晩飯時に急に現れ、家を荒らしてきたため、そこで再度説得するはめになったが。 ともあれ、来てくれたのだし進展はしているのであろう。そう思いたい。 いや、そう思わないと、辛いというだけかもしれない。 「こんにちは、ミュウちゃん。よろしくね」 社交力の固まりである香山。 ミュウにもちゃんと挨拶をしてくれる優しい奴だ。 今日は体のラインがわりとわかりやすそうなTシャツにショートパンツ姿だ。 上にキュッと引き締まったお尻、そこから太ももにかけたラインが眩しい。 常に健康的な香山は、そういえば彼氏はいないんだろうかとふと気になる。 一方、ミュウの方はというと、 「ふんっ」 とりつく島もなし、な感じだ。 ミュウらしいと言えばその通りだが。 そんなミュウはいつも通りゴシックでロリータな衣装に身を包んでいた。 「こら、ミュウ。香山さんごめんなさい」 「ううん、気にしないでソフィアさん。私、兄弟多いし、わかるから」 慣れたように笑う香山。 人間ができてるな、と勝手に感心している僕。 「さ、着いたんだし行きましょ!」 「あ、おい!」 香山に手を取られ、店に入っていく。 ソフィアとミュウも、あとに続いた。 「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」 「四名です。えっと、これ」 チャミュからもらったチケット四枚を受付の人に渡す。 「はい、ではこちらより館内着とタオルセットをお渡し致します。 右手にお進みください」 促されるようにセットの手渡し場まで進み、袋を受け取る。 ここから先は、男女に別れて着替えだ。 「それじゃ、着替えたら入り口のところ集合で」 「わかった、じゃあ後でね天寿くん。ソフィアさん行こう!」 ソフィアの背中を押し、香山が脱衣所に入っていく。 「ちょっと、置いてかないでよ! あ、じゃなくて……。 姉さまに馴れ馴れしくしないで! 人間のくせに!」 ミュウもそういって追いかける。 なんだかんだ、仲良くやれそうだ。 「さて、じゃあ着替えるとするか」 そういって、僕も更衣室へと向かった。 ■─── 場所は変わって女子更衣室。 ワイワイと楽しそうな声が聞こえる。 「わっ! ソフィアさん大きい…これサイズいくつくらいあるの?」 後ろから抱きつく形で胸に手を伸ばす香山。 桜色のブラジャーに包まれた胸がプルンと揺れ動く。 「きゃんっ。か、香山さん……!」 「あぁ、ごめん。なかなか立派なものだったからつい」 テヘッと舌を出す香山。 「あと、私のことは成美でいいよ」 「成美。では、私もソフィアで」 「わかった、よろしくねソフィア。あと、ミュウちゃんもね」 「気安く話しかけないでちょうだいっ」 相変わらずツンとした態度のミュウ。 そんなミュウも、香山からみたら「カワイイ妹分」にしか見えないらしい。 「まーったく可愛いんだからー! ソフィアとは全然違うんだね、見た目も性格も」 「きゃー! 何勝手に触ってんのよ! 気安く話しかけないでって言ったでしょ」 触られて怒るミュウ。 香山はそんなこと気にもせず、からからと笑っている。 ◆◆◆◆◆ 「楽しそうだなぁ、あっち……」 女子更衣室から聞こえる香山とミュウの声を聞きながら一人着替えをする。 「ホント、一体どんな桃源郷が待っているのやら」 「まったくだ……。って、え? だれ?」 周りを見回すが、黙々と着替えをしている人ばかり。 まあ、男子同士でキャッキャウフフするわけもない。 「俺もあっちがよかったなあ」 「うわっ」 幻聴にしては随分聞き覚えのある声。 思わず、バッグの奥に手を伸ばす。 モサッ。なにやら柔らかい毛の感触がした。 モサモサ……モサ……モサァウ…… 「……おい、フーマル」 バッグから白い毛の塊を引っ張り出す。 「よお、シオリ」 そこには如何にも当然そうな顔をしたフーマルがいた。 「お前、着いてきたらダメだろう! 一応犬設定なんだぞ!」 「お嬢たちのあんな姿やこんな姿を拝める絶好のチャンスなんだぞ! あんなこといいな、できたらいいな、夢が広がるだろうが!」 オープンエロ全開な変態ポメラニアン。 目が完全に血走っている。 「ここはペット不可だからなぁ。バレたら僕たち出禁になっちゃうよ」 「だから、見逃してくれるだけでいい」 「そんなことができるわけが……」 「そしたら後で秘蔵のベストショットを見せてやる」 僕はフーマルを見る。 フーマルは、にやりと笑う。 前にも、こんなことがあったような。 「……本当だな?」 「武士に二言はない」 ニッと笑うフーマル。お前武士じゃないけどな。 「わかった。僕は何も見なかったことにしとく」 「それでいい。しかしお前も、大概スケベだな」 仕方ないじゃないか。男の子なんだもん。 と、いう訳にもいかず、「まあ……な」とか言葉を濁す。 エロポメラニアンは、ニヤリと笑って、すたすたと走って行った。 ああは言ったが大丈夫なのだろうか……。 大変なことにならなければいいのだが。 ◆◆◆◆◆ 「天寿くん、おっそーい!」 フーマルと話し込んでいて、すっかり遅くなってしまった。 入り口には既に三人が待ちくたびれていた。 「姉さまを待たせるなんて、どういう神経してるのかしら。 いくら邪帝さまに似てるからって許せないわ」 「遅れたのは謝るよ。ごめん」 「ふんっ」 腕組みをしてそっぽを向くミュウ。 「それより、なにか言うことがあるんじゃなくて?」 「うん?」 僕の前で色っぽいポーズをとるミュウ。 黒のラインとフリルのついたビキニ。 胸の大きさこそ、ささやかなものの、くっきりしたくびれに細い脚。 さすがサキュバスというべきか。セクシーというには充分な代物だった。 布の面積も、攻めているんじゃないかと思う。 「い、いいんじゃないかな」 「それだけ!?」 ミュウがムウッとした顔をする。 「気の利いたことも言えないなんて! やっぱり私がちゃんとしつけてあげないとダメみたいね」 やっぱりってなんだ。やっぱり、って。 ミュウの顔が、ズイッと僕の前に寄ってくる。 「別に今でも困っていないが……」 「私が困るの! 自分の奴隷をしつけられないなんてSサキュバスの名にもとるわ!」 「いつ僕が、お前の奴隷になった!?」 「まぁまぁ、それくらいにしといて。ねぇ天寿くん、私のはどう?」 腰に手を当てて、恥ずかしげにポーズをとる香山。 髪は三つ編みにしたものをお団子上にまとめている。 水着はカラフルなストライプで、紐で止めるタイプのかなり攻めたデザインだ。 胸とお尻の形も綺麗な曲線を描き、重力による柔らかさを体現している。 かけている眼鏡とのギャップもあり「放蕩な学級委員長」とでもいうべきか。 「う、うん、可愛いと思うよ」 少しドキドキしてきた。 女性の体を見つめても怒られない日がくるなんて。 ビバ! アクエリアン!  「か、可愛い? そ、そう、えへへ」 よしっ、と軽くガッツポーズをする香山。 「ほら、ソフィアも見せてあげないと」 「わ、私は、あの……」 一人、タオルを巻いて隠れていたソフィアの腕を、香山がひっぱる。 「それっ! 」 「あっ、成美……!」 タオルを剥ぎ取られ、水着姿が露わになるソフィア。 「おぉ……」 思わず、声が漏れてしまっていた。 白を基調とするビキニに、花柄の模様。 上品な佇まいに恥じらいに満ちた表情が、ソフィアの魅力を十二分に引き立てていた。 それとは裏腹に、はちきれんばかりの胸とお尻。 水着がそれぞれ食い込むくらいのボリュームを誇っている。 「あ、あの、あまり見ないでください……」 「あ、ああ、ごめん」 お互い照れて反対側を見てしまう。 「お、初初しいなあ。折角来たんだし、遊びにいこー!」 「あ、成美、待って!」 ソフィアの手を取って、香山は滑り台に走っていく。 「走ると危険だぞー!」 気をつけろよー、と声をかける。 「ミュウは行かないのか?」 「私はあの人みたいに子どもじゃないの」 至って冷静を装っているように見えるミュウ。 だが、ふと思いいたる。 十分に子どもなミュウが、泳ぎに行かない理由とは? 一つしか思い至らなかった。 「もしかして、泳げないとか?」 「そ、そんな訳ないでしょ!?」 顔を真っ赤にして怒るミュウ。 嘘をつくのが下手すぎるな、この子。 「まぁ無理はよくないよな、うん」 「だ、だから、泳げるって言ってるでしょ!  背泳ぎだって、クロールだってできるんだから!」 「へえ。そうか」 「なに、その信じてない顔! いいわ、頭に来た。ついて来なさい!」 ミュウは僕の腕を掴むと、プールへとズンズン進んでいく。 ザ・ビッグウェーブ。 ビーチのようになっており、奥から人工の大きな波が迫ってくるのを楽しめる場所だ。 波が来るか来ないかのところで恐る恐る足を踏み入れるミュウ。 「……無理しなくていいぞ?」 その言葉が、かえってミュウを煽ることになってしまったらしい。 「む、無理なんてしてないんだから! 私の華麗な泳ぎをみてなさいっ」 そういって、勢いよく水に飛び込む。 というか倒れ込む。 しーん。 ……一切浮かんでこない。 これダメなやつだ。 「だから無理するなって言っただろ!」 慌ててミュウを引き上げる。 「ぷはっ!」 水深五〇センチもないところでよく溺れられるなと逆に関心をする。 持ち上げると、半ばパニックになったようにバタバタと暴れる。 「大丈夫、大丈夫だから」 ミュウをあやすようにしっかり抱っこしてやる。 「ぐずっ…ぐすっ…。だって、なんか水、ぬめぬめするし、まとわりついてくるし、 波はザブーンってしてくるし……。ぐすっ」 よっぽど怖かったのだろう、涙目で震えて僕にしがみつくミュウ。 最初からこれくらいおとなしければ可愛いものなんだが……。 「水はコツさえ覚えれば怖くないから。ひとつずつやってみよう」 「う、うう。怖くない?」 「大丈夫。ちょっとずつやるから」 結局、僕は、ミュウに泳ぎ方を教えることになったのであった。 ** 「こら、離したら承知しないんだからね!」 「大丈夫だ、ほらちゃんと掴んでるから」 まったく泳げないミュウに、泳ぎ方を一から教えることになったのだが、 ミュウは相変わらず強気である。 まずは、浅いプールで顔をつける練習を始めた僕とミュウ。 「顔を水につける。それだけでいいから」 「わ、わかってるわよ」 緊張した面持ちで水と向き合うミュウ。 大きく息を吸い、一気に水に顔をつける。 「………」 一〇秒が経つ。 ばしゃん!  勢いよく水から顔を上げるミュウ。 しかし目は閉じたまま、ついでに言うと呼吸も……。 「ミュウ、顔上げたら呼吸していいんだからな」 「ぶはぁっ!」 僕の言葉と同時に息を吐く。 あまりに勢いがよかったせいか、むせている。 「そ、それは先に言いなさいよね! ゴホッゴホッ」 「いや、悪い。そこまでとは……。まあ、少し、休もうか」 息を切らしているミュウを支えて、ビニール製の椅子まで連れていく。 「はい、クレープ」 屋台で買ってきたクレープをミュウに渡す。 苺とチョコホイップクリームがたくさん入っている。 「………」 それを黙って受け取るミュウ。 匂いを嗅いだりして怪訝な表情を浮かべていたが、 美味しそうな物だと気付くとクレープに思いきり、かぶりつく。 「………んん!」 声には出さないが、美味! と顔に書いてあるくらいわかりやすい表情。 こういうのを見ていると、本来は素直な子なんじゃないかと思ってしまう。 「……なによ」 鼻の頭にクリームをつけながら、にらむミュウ。 「いや、なに。喜んでくれて良かったってさ」 「……このくらいで私を懐柔《かいじゅう》できたと思わないことね」 「そんなこと、思ってないよ」 「本当かしら」 ふんっ、と被りを振った後にクレープをほうばる。 疑いと喜びの表情差が激しいが、手のかかる妹だと思えば可愛いものだ。 「それはそうとあなた、姉さまのところに行かなくていいのかしら? ここで私の相手をしている暇なんてあるのかしら」 「まあ、仕方ないかな。あっちはあっちで楽しそうだし」 「……お人好しね。姉さま、ああ見えて抜けてるんだから。 まぁ、そこも姉さまの良いところなのだけど」 「ソフィアが抜けてるって?」 「姉さまはね、天界では超超超のつくほどの人気者だったの。それはもう引く手数多だったわ。でも、そのせいでいっつもトラブルに巻き込まれてたの。あなただっていくつかは思い当たるでしょ?」 たしかに、ミュウの言う通り、 ソフィアは自分でトラブルを引き起こすより、巻き込まれる側だ。 ミュウはクレープを最後まで食べ終わると、 鼻のクリームをすくい取ってペロリと舐めた。 「あなたは、この場所が姉さまに危険が及ばない場所とでも思っているのかしら?」 「どういうことだ?」 「眼鏡が外れたら、姉さまは、いえ、人間たちは魅了されてしまうのよ」 ミュウのその一言で、僕は自分の危機管理能力の低さを反省した。 ソフィアたちが向かっているところは、 アトラクションの中でも動きの激しい滑り台スプラッシュスライダーだ。 ――うっかりしていた!  もし眼鏡が外れたら、一番傷つくのはソフィアだ。 「悪い! ソフィアのところに行ってくる!」 僕は、ソフィアたちのいる滑り台へと駆けて行った。 「……ふん、世話のかかる子」 ミュウはそう言って、さっきまでいたほうのプールを見た。 今日中に、多少なりとも泳げるようになりたい。 心からそう思った。 ◆◆◆◆◆ 楽しいアトラクションに水着ということで、 すっかり浮かれていた自分に喝を入れ直し、滑り台の階段を駆け上がる。 丁度、滑り台の一番上のところにいる香山とソフィアを見つけた。 大きな浮き輪を抱え、これから滑ろうとしているところだった。 「ソフィアー!」 階段を上りながら必死で呼ぶ。 急に動いたせいで脚が悲鳴を上げながらも必死に動かす。 ソフィアは僕の声に気が付いたのか、下の方を見て手を振ってくれた。 ただ、なんて言っているか聞こえない。 笑顔でいるところをみると、危機感はないらしい。 そのうち、香山に連れられ、滑り台の方へと行ってしまった。 間に合わなかったか──。 でも、あきらめちゃダメだ!  追いつけばなんとかなる。 僕は最上階まで辿り着くと、浮き輪をとり滑り台を降りる。 ズザァァァァ!  思った以上にスピードが出る、この滑り台!  ソフィア達は大丈夫なのだろうか。 こういうのって最後にはプールに落ちて大きなしぶきが出るんだよな。 完全にまずい。 「へい、楽しんでるか、ボーイ」 後ろを見ると、同じく滑る物体がひとつ。 小さい浮き輪に乗ってサングラスをかけたフーマルだった。 お前、それ、どこから持ってきた。 「せっかくのアトラクション。楽しまないと損だぜ」 「お前……。監視員にバレたら追い出されるぞ」 「この俺様がそんなヘマをするとでも? それはそうと、お嬢がもうすぐプールに落っこちまうぜ」 「お前も気づいてたのか」 気付いてたなら早く言え、という言葉を飲みこみ、下のプールを見つめる。 次々と上がる水飛沫が見える。 「しかし、俺様ならこの危機を回避できる」 キラーンとフーマルのサングラスが光る。 「なんだって!? どうするんだ?」 フーマルの前足が触手のようにうにょりと伸びる。 それ、気持ち悪いからあまりやらないでほしい。 というか、他の人間に見られたら犬じゃないとバレるぞ。 なんなら、特殊な医療施設に送られて解体されるぞ。 「まさか、それで眼鏡を……」 「そう、これで確実にキャッチだ」 そんなことできるのか…。疑いの眼差しをフーマルに向ける。 「どうする? やるか、やらないか」 しかし背に腹は代えられない。 「頼む!」 「じゃあ、これやな」 そう言い、金を寄越せのジェスチャーをしてくるあくどいポメラニアン。 「このっ……!」 「いいのか? お嬢を見捨てることになっても」 痛いところをついてくる、考えている時間もない。 「うめぇ棒一〇本!」 「いや、二〇本!」 「一五!」 「わかった!」  それで手を打つ、と言った時、滑り台が終わり一気に大きな飛沫が僕を襲ってきた。 ガボッ!  慌てていたため、少し水を飲んでしまう。 そこに、僕の左手に握られる銀色の眼鏡。 フーマル……! よくやった! 始めてお前を尊敬したぞ! 一気に意識が覚醒し、水の中から跳び上がる。 「ぷはーっ! ソフィアー!」 大きく息を吐き、ソフィアの名前を叫ぶ。 「天寿くーん! ソフィアちゃんがー!」 香山の声だ。 声のする方へ一目散に駆けていく。 そこには、目を閉じてうずくまっているソフィア。 そして心配そうに声をかけている香山の姿があった。 「ソフィア!」 ソフィアに駆け寄って、手に持っていた眼鏡をかけてあげようとする。 が、足がもつれて前のめりに転んでしまった。 丁度ソフィアの体と接触し、眼鏡がソフィアの顔に収まる。 「ソフィア……」 「……シオリ?」 目を閉じていたソフィア。ゆっくり目を開ける。 気付けば、僕とソフィアの顔の距離は本当に目と鼻の先だった。 それはもう、お互いの鼻が触れてしまいそうなくらいに。 目と目が合う、それはほんの数秒のことだったのだが、僕にはとてつも長く感じた。 ソフィアの瞳は吸い込まれそうなほど綺麗で、薄紫の輝きが素敵だと思った。 「……!」 そして、状況を理解して急激に恥ずかしくなる二人。 「ご、ごめん!」 顔を慌てて離そうとするが、疲れで体がもつれ、激しく密着してしまう。 手を滑らせてソフィアの体にもたれかかる形になる。 胸全体でソフィアの胸の柔らかさを感じる。 ドクンドクンと鼓動が早くなる。 「あああ、そんなつもりじゃ……」 「い、いえ、大丈夫です……」 優しく抱き締めてくれるソフィア。 ソフィアの心臓の音も聞こえてくるようだ。 「僕がもう少し早く眼鏡のことに気づいていれば……」 「いえ、私も不注意でした……ありがとう。シオリのおかげで助かりました。誰も魅了せずに済みましたよね……?」 「ソフィア……」 「シオリ……」 体を起こし、互いの手をとり見つめ合う。 徐々に顔と顔が近付いていく。まるでキスするような距離だ。 緊張で頭が沸騰しそうになった、その時、 ギューッ!  突如背中に、二つ柔らかいものがくっついてくる。 「え、なに!?」 びっくりして後ろを見ると、香山が僕に抱き着いていた。 「天寿くん……、私……」 目が座っている。 腰も、くねくねと小さく動き始めた。 「……魅了が、効いていますね。手遅れでした……」 ソフィアが、落ち込んだような声でつぶやいた。 ◆◆◆◆◆ 「ふぅ……」 魅了にかかった香山をソフィアの能力で無理矢理直し(記憶はまた飛んだ)、 意識を失った香山を座らせ、休憩所で休む僕とソフィア。 「疲れたな……」 「えぇ……」 「僕、何か買ってくるよ。ソフィア、何食べたい?」 「シオリのオススメを食べてみたいです」 「わかった。じゃあ、香山のことだけ頼むよ」 「はい、気を付けて」 流石に色々動いてお腹が空いた。 ミュウの訓練をして、ソフィアを助け、香山を裏に連れて行って治す。 よく考えたら、プールを楽しんでいる、とは言えないのではないか? まあ、仕方ない。そう思って、考えを切り替える。 何を食べようか悩んでいると、足元に何か小さいものが寄って来た。 凝縮された野球ボールみたいな形状。足があるから動物のようだが……。 「上手くいったようだな」 「お前……」 「なんだ、せっかく俺様のおかげでお嬢にアピールできたというのに」 洗濯機でもまれたように毛がすっかり縮み、最早別人(犬?)だった。 「お前、水に入るとそんな感じになるんだな……」 ふわっとした丸っこさがなくて、ぬめっとした何かになる。 こいつの可愛さというのは、ほとんどが毛だったのだと認識した。 「約束、忘れてないだろうな?」 「わかってるよ。帰ったら買ってやる」 「よし、それでいい」 満足気なフーマル。 こいつのおかげで今日のトラブルも回避できた。 多少の褒美くらいあってもいいだろう、と自分を納得させる。 「楽しそうだな、皆」 「ああ、おかげさまで……って!? え!?」 そこに、思いがけない人物が現れた。 金髪をポニーテールして束ね帽子をかぶり、首からは警告用のホイッスルを下げている。 緩めのシャツの下にはなかなか攻めたV字のセクシーな水着を着ている。 リアルで着ている人、初めて見たんですが。 いや、人じゃなくて天使か。 「チャミュ!? 仕事じゃなかったのか?」 「ふふ、これが今の私の仕事だよ」 チャミュは、してやったり、とでもいうように笑った。 「監視員のバイトしてるってこと……?」 「そういうことだな」 「天使が、その水着で……?」 「天界では肌を隠すことが美徳だ。なかなか攻めた水着だろう?」 「攻めすぎだよ! 天使のイメージ皆無だよ!」 思わず叫んでしまう。 チャミュの場合、水着にドキドキする前にツッコミが殺到してしまうのだ。 「ソフィアは少しトラブルがあったものの、大丈夫だったみたいだな」 「あぁ、なんとか事故は免れたよ」 フーマルのおかげで、と言おうとして下の方を見ると そこにいたはずのフーマルが忽然と姿を消していた。 逃げたな……。相変わらず逃げ足の速い奴だ。 「どうかしたのかい?」 「いや、こっちの話」 なんでもない、とチャミュに手を振る。 「まぁ、楽しめているようで良かったよ。ゆっくりして行ってくれ」 「ああ、ありがとう。チャミュ」 そうして見送ったその時、 「きゃー!!」 ソフィアのいる方から、客の叫び声が聞こえてきた。 「!? なんだ、なにかあったのか!?」 「行ってみよう!」 急いでソフィアの元へと戻る。 そこには、ソフィアの腕をつかむ赤髪の女の姿があった。 「ソフィア!」 「シオリ……来ちゃダメ……」 「でも……!」 腕をつかまれ、苦しそうにするソフィア。 その顔には眼鏡がされていなかった。 赤髪の女性は、僕とチャミュの方を見ると意地悪くニヤッと笑った。 ソフィアを掴んだ反対の手には眼鏡があった。 「やぁ、泥棒猫」 ショートカットにピアス。 白いジャケットにミニタイトのジーンズにブーツ。 中は黒のタンクトップと実にラフな格好だ。 タンクトップの横からはエメラルド色のブラ紐がチラ見えしている。 どう見ても、客の恰好ではない。 「天界から逃げてどこに行ったのかと思ったら、こんなところにいたとはね」 「やめて、痛い……他のひとに迷惑だから……」 「そんなことを言っている場合か?」 赤い髪の女は、怒りをこらえるようにソフィアの腕に力を入れる。 苦悶の表情に歪むソフィア。 「ソフィア! 待ってろ、今助ける!」 助けに行こうとする僕をチャミュが制する。 「……チャミュ?」 「ここは私に任せてくれ。結構面倒な相手だ」 「面倒……?」 チャミュは口に人差し指を置き、呪文を詠唱したかと思うと、 首にかけていたホイッスルを銃へと変形させる。 銀色のリボルバーが光に反射されキラリと光る。 「邪魔すんなよ、天使風情が」 「それが私の役目なんでね」 赤髪の女性は、何もない空間から大きな鎌を取り出し右手で構える。 「こいつはサキュバスの女王になる素質があるの。 それをわざわざ棒に振るなんて、許されるわけないでしょ」 「それは、彼女が望んでいることではないよ」 サキュバスの女王……? 一体何の話をしているのだと思ったが、口をはさむ隙はない。 互いにけん制し合い、一歩も動けない状態が続く。 苦しそうなソフィアを見ていると、自分の胸が締め付けられるそうになった。 「ソフィアを離せ! 苦しんでいるだろ 」 「苦しんでる? バカ言わないで。むしろ良いザマよ。 勝手に逃げ出して。楽になろうなんて、そんなの私が許さない」 怒りに満ちた目を向けてくる女性。 ソフィアとの間になにがあったのだろうか。 だが、今はそんなことを考えている暇はない。 早くソフィアを助けないと……こんな形でお別れになるのは嫌だ……! その時、黒い薔薇が吹き荒れ、女性とソフィアの周りを包み込む。 「これは……!?」 身動きが取れなくなる赤髪の女性。 突然のことに苛立ちを隠せないようだった。 振り向けば、黒薔薇のレイピアを掲げたミュウが立っていた。 「ミュウ!? お前!?」 「姉さまに何してるのかしら? スカーレット」 「邪魔をするな! 小娘が!」 「あら。下品な口をきいて。もっと痛めつけてほしいみたいね」 ミュウは辛辣に告げると、スカーレットと呼ばれた女性の手から眼鏡を取り上げる。 ソフィアを助け出し、僕の前にふわりと着地する。 戦闘となると、心強さが倍増する子だ。 「姉さまを見てて」 「あ、ああ」 そう言って、僕にソフィアと眼鏡を預けてくる。 「ミュウ……ありがとう」 「あなたのためじゃない。姉さまのためだから」 ふんっ、とそっぽを向くとスカーレットの方に向き直る。 「随分と品がないわね。まぁ、元からなかったかしら」 「言わせておけば……」 スカーレットは赤いオーラを発生させると、かけ声とともに黒薔薇を吹き飛ばした。 「覚えておきなさい。次はこうはいかない」 捨てゼリフを吐き、姿を消すスカーレット。 「もう来なくていいわよ」 レイピアをピッと振り、空中に消す。 僕は、意識を失っていたソフィアの顔に眼鏡をかけてあげた。 「どう、姉さまの様子は?」 「うん、落ち着いてるみたいだ」 「そう、良かった」 ミュウの表情にも安堵の色が見える。 「ミュウ、君も来ていたんだな」 「……」 チャミュをにらむように見るミュウ。 二人の間に険悪な空気が流れる。 「君のおかげで助かったよ」 「一体何を考えているの?」 「はは、こうも正面切って言われると返答に困るな」 そう言いながらチャミュは苦笑いを浮かべた。 「シオリくん、ソフィアを抱えて帰るのは大変だろう。 今、車を手配するから待っていてくれ」 「なんで天使が車を手配できるんだ?」 「まあ、そこは企業秘密ってことで」 チャミュは持っていた銃を再びホイッスルに戻すと、更衣室の方に歩いて行った。 「じゃあ、私はここで帰るわ」 「帰っちゃうのか?」 「このままここにいても仕方ないし。 姉さまが元気になったらその時は迎えに来るから」 「お腹空いたら、家に食べに来なよ」 「……考えとくわ」 こっちを見ないまま、ミュウもいなくなってしまった。 ◆◆◆◆◆ チャミュに出してもらった車で、家への帰路へと着く。 「ソフィア、大丈夫?」 「今はぐっすり寝ているよ。大丈夫。 普段あまり外に出ないから疲れちゃったんだろうね」 僕の体にもたれかかる形で寝息を立てているソフィア。 ずっと見ていても飽きないくらい、引き込まれそうな寝顔だ。 「そっか、私も今日の記憶がまたないし。最近疲れてるのかなぁ」 香山は香山で何やら悩んだような顔。 前に引き続き今回も記憶をなくしたとあっては悩みもするだろう。 しかも、毎回俺たちに巻き込まれている。どう謝っても謝り切れない。 「ふぅ」 ボスンッ。 今度は、僕の右側に香山がもたれかかってくる。 右腕が胸で挟まれたような形になり弾力が伝わってくる。 どぎまぎしながら、運転席のチャミュの方を見る。 「なぁチャミュ、今日のって……」 「まぁ、気になるだろうな。今度、その件についてきちんと話をするよ。 今日はとにかく、ソフィアのそばにいってやってくれ」 チャミュの表情はこちらからは見えなかったが、声はとても寂しそうに聞こえた。 深追いしないほうがいいのだろう。 「わかった、今度な」 スカーレットとミュウが呼んだ女性、どう見てもソフィアやチャミュと、仲が良さそうではなかった。また、襲ってくるのだろうか。 そんなことを考えながら、 香山とソフィアに囲まれたまま、僕もまた深い眠りに入っていった。 ** 『テーマパーク アクエリアン』の一件以来、 家の雰囲気はソフィアが初めて家に来た時以来の静けさに戻っていた。 体調は元に戻ったようだが、朝の挨拶もなんとなく元気がない。 「ソフィア、具合は大丈夫?」 「ええ、すっかり良くなりました。心配かけてすみません」 「いや、元気になったのなら良かった」 「はい……」 「……」 「…………」 会話が続かない。 できるなら、僕の力で元気付けてあげたいけど。 ご飯を作ろうかとも思ったが、それは昨日もやって撃沈した。 うーん、と悩んでから、ふと思いつく。 「ソフィア、今日この後公園行かないか?」 「公園ですか? でも、また外に出て……」 「大丈夫、僕がなんとかする」 「……でも」 「大丈夫だから」 「シオリ……。わかりました。行きます」 「俺様も行くぞ」 隣でボールと戯れていたフーマルがこちらを向いた。 こいつがいると何かと便利だったりするし、まぁいいか。 「わかった、変な行動はするなよ」 「俺様を誰だと思ってるんだ」 「フーマルだろ?だから怖いんだよ」 そういうと、フーマルは「ふん」というようにそっぽを向く。 まったく、このポメラニアンは。 ◆◆◆◆◆ 「キャンッ、キャンッ」 「やん、モフモフで可愛い」 「きゃあっ。そこはダメだよぅ」 可愛らしい女子学生二人とじゃれ合うフーマル。 しっかり胸を揉んだり、スカートの中に入ってセクハラ行為を繰り返している。 「知らん顔しよ……」 ベンチに座りながら呆れ顔でその光景を見つめる僕。 ふと、横を見ると不安そうなソフィアの顔が視界に入った。 なにか気の利いたことを言わないと。 しかし、考えてみても思い浮かばない。 このまま沈黙が続くのも居心地が悪い。 「……ソフィアが来てからさ、家がだいぶ賑やかになったんだ」 僕が今思っていることを、素直に口に出してみることにした。 「僕って一人っ子で、親父も仕事でずーっと家にいなかったから。母さんもすぐに死んじゃったし……」 「………」 「でもソフィアが来て、一緒に楽しいことや辛いことを共有できて、上手く説明できないけど、もっとこういう経験がしたいなって思った」 「シオリ……」 「僕、ソフィアの力になれればっ……て!? どうしたの!?」 ソフィアの目に涙が見える。 「私、私は迷惑をかけているかと……」 「そんなことないって! 僕は、ソフィアが笑ってないとなんか寂しいんだ……ってことを伝えたくて……」 「シオリ……ありがとう」 ソフィアは片手で涙を拭った。 「私の話、少し長くなりますが聞いてくれますか?」 ソフィアの真剣な眼差し。 答えは決まっている。 「……もちろん。いくらでも、話してほしいよ」 僕はソフィアの目をまっすぐ見て頷いた。 ソフィアは目を閉じ、呼吸を整えると覚悟を決めたように話し出した。 ◆◆◆◆◆ 「私の家は、代々天使の家系でした。天使とは、神の使いです。天界において天使は清らかさ、正しさの存在そのものでした。私の母もそんな厳格な環境の中で育ちました。普通だったら、私は純粋な天使として生まれるはずだった。しかし、私たち三姉妹は天使とインキュバスのハーフとして生まれました」 「インキュバスって……いわゆるサキュバスの男性版?」 「ええ。でも母は、父について教えてくれたことはありません。私も会ったことがないので、どんな人なのか知りません」 「そっか……」 「母は天使のなかでも上位で、姉や私やミュウが暮らしたのも天界です。でも、段々、サキュバスの能力が現れるようになって。姉はサキュバスの力も、天使の能力も使いこなしていたのですが、私はどうしてもサキュバスの能力を抑えきれず……。結果、たくさんの天使に迷惑をかけてしまいました」 思い出したくないことを絞り出すように話すソフィア。 迷惑というのは、つまり天使たちが香山のようになってしまったということだろう。 ソフィアはそのたびに傷ついてきたのだと思うと、胸がしめつけられた。 「相手がどんな性格をしているかもわからないまま、大勢から一方的に求愛される毎日で怖くなってしまって……家族以外でまともに話せる相手もいなくて……」 「……」 「その時に会ったのが、チャミュだったんです。チャミュは家族以外で唯一普通に話せる天使でした」 「そうだったんだ」 「はい、それで、えっと………」 急に言葉がたどたどしくなるソフィア。 「もっと、静かに生活がしたいって思うようになったんです……。天界では、私の噂が色んな形で広まってしまっていて、どうしても無理だったので、チャミュにお願いしてこの人間界に………」 なるほど、そういうことだったのか。 今の話を聞いて合点がいった。 チャミュも、そういう事情なら人間界で住める家を探すしかなかっただろう。 「大変だったんだね」 「そんな……。本当に大変だったのは、私の周りかもしれません。私はただ迷惑をまき散らして……」 「そういう考え方はよくないよ。ソフィアも大変だった。それでいいじゃない」 ソフィアは僕をみてから、小さく、「はい」とうなずいた。 「まあ、とにかく、話してくれてよかったよ。このまま家でソフィアが笑わないままだったらどうしようと思ってたから」 「そ、それは。もう家を出ていったほうがいいかと思っていたので……」 「え!? なんで!? だめだよ、もっといて!」 「こんな私で、いいんですか?」 「むしろソフィアじゃなきゃ……」 あとの言葉は告げられなかった。 恥ずかしさが極まってしまい、僕のほうが目をそらしてしまったのだ。 お互い、ベンチでもじもじし出す。 「……話はもう終わったかしら?」 「うおわっ!」 後ろから聞こえてきた声に驚いて立ち上がる。 「姉さま、元気になったみたいね」 「ミュウ、この前はありがとう」 「な、なんてことはないんだから! 私は、姉さまのためなら……。って、そうじゃなくて、姉さまも元気になったことだし、お迎えに来たの」 「お迎えって……」 「天界に帰りましょう」 「それは前に断ったでしょう?」 「だって、私は姉さまと一緒に暮らしたいの! でも、もっと天界で自由に過ごしてもらう。そのためになんでもするつもりよ」 ミュウはそう言うと、何もない空間から黒薔薇のレイピアを取り出す。 「じゃあ、ミュウもここで一緒に暮らせばいいじゃないか」 「冗談はよしなさいな。どうして私が人間界で暮らさないといけないのかしら?」 レイピアを僕の首筋に突き立てる。 「ミュウ!?」 「姉さまは動かないで。あなた、この前のことで仲良くなれたとでも勘違いしてるんじゃないの?」  「僕は、思ってる」 刃に臆することなく、ミュウの目を見つめる。 だって、クレープも食べた。たこ焼きも食べた。 ミュウだって、人間界の食べ物を好きになっているじゃないか。 「ふんっ、その目気に入らないわ。けど、まぁ下僕になるって言うなら使ってあげないこともないけど?」 「断る」 「あなたに選択権はないのよ」 そう言って僕の目を凝視するミュウ。 ミュウの目が赤紫に光り、何かが僕の目に向かって飛び込んでくる。 「なんだ!?」 「さあ、ひざまずきなさい」 地面を指さし、勝ち誇ったように冷酷な目をするミュウ。 ミュウに言われるがまま、膝を曲げ……曲げる途中で気がついた。 自分の意志で膝を曲げようとしていることに。 危うく言われた通りにするところだった。 そのまま、元通り立つ僕。 「え? 何をしてるの、早くひざまずきなさい」 「いや、僕効いてない」 「は!?」 ミュウだって半分はサキュバスだ。 さっきは魅了の効果を僕にかけようとしたのだろう。 それが何故か、僕には一切聞いていない。 「なっ、どうして!? どうして効かないの!?」 屈辱的なことを言われ、顔を真っ赤にするミュウ。 「どうして、って言われても。困るんだけど」 「おかしい、そんなはずはないわ! もう一回!」 僕の顔をじーっと凝視してくるミュウ。 「どう? 私がほしくてたまらないでしょ?」 「いや、別に」 「なんでー!?」 混乱したように叫ぶミュウ。 実際、僕は何ともなかった。 むしろ、意地になっているミュウが可愛らしく思える。 「どうして、どうしてよ!」 「ミュウ、落ち着いて……」 「こんなの私のプライドが許さないわ……!」 サキュバスとしてのプライドをズタズタにされ、激昂するミュウ。 更に過激な行動へと出る。 「ミュウ、なにをするんだ!?」 「あなたは黙っていればいいの」 そう言うとミュウは僕の手を掴み、自分の胸へと導いていく。 僕は咄嗟に手を離そうとするが、手のひらを押さえられてしまい、 柔らかな感触が手のひらに伝わってくる。 「どう? 興奮してきたでしょ?」 「ミュウ! こ、これはサキュバスとは関係ない!」 恥ずかしくなって無理やり離れようとするが、ミュウは僕の手を握って放さない。 そのうち、僕の反応が変わらないことに段々と焦りの表情になっていく。 「ちょ、ダメだって。やめろよ、ミュウ」 「あれ、しゃべれるの?」 「当たり前だろ! ほら、離せって!」 「どうして……どうして効いてないの!? 普通なら襲ってくるはずなのに!」 ミュウの目に次第に涙がたまっていく。  「ミュ、ミュウ……?」 その時、ソフィアがそっと近寄ってきてミュウの頭を撫でた。 「ミュウ、そんな風にしてはいけないわ。離しなさい。」 「……ごめんなさい。姉さま」 僕の手を離し、ソフィアに抱きつくミュウ。 さっきとは違い、まるで赤子のように泣きじゃくる。 「どうしたんだ……?」 「この子、私と似ていて、コンプレックスがあるんです。 私とは逆で、能力が弱いことに」 「ミュウの能力が弱い? でも、戦いだって勝ってたし……」 「死ぬほどの訓練をしたんです。本当に、血を吐くほどの訓練を」 「そっか……」 「なのに、シオリには能力が効かない。弱い時のことを思い出して、悔しいんでしょう」 ミュウは、ソフィアにしがみついて、ワンワン泣いている。 ソファは、そんな妹の頭を何度もなでてやっていた。 そんな二人に、僕はただ見守ることしかできなかった。 ◆◆◆◆◆ 「すっかり寝ちゃったみたいだね」 ベンチに座る僕とソフィア。 ミュウはソフィアの膝の上ですぅすぅと寝息を立てている。 「ミュウも色々と抱えてたんだと思います」 「こうやって見ると可愛らしいんだけどね」 「私たち姉妹は色んな目にさらされてきたので。 ミュウはミュウなりに苦労してきたんだと思います」 「ミュウも家に来ればいいのに。まぁ、それを素直に受け入れるとは思えないけど」 「いつか私たちの思いがこの子にも届いてくれるといいですね」 「うん……」 「ソフィア、さっきも言ったけどさ」 「はい?」 改めてソフィアの方を見る。視線はきちんと合っている。 「あ、あのさ」 ダメだ、恥ずかしくて逸らしてしまった。 「これからも、ソフィアとは色んなこと一緒にしたいなって、思うから……よろしく」 「は、はい、こちらこそ……」 顔を真っ赤にして右下を見つめる二人。 「むにゃむにゃ、うん……」 「あっ、起きた」 「……ハッ!?」 眠りから覚め素早く起きあがるミュウ。 「ミュウ、最近ちゃんと寝てるの? 無理はダメよ」 「そうだな。疲れたなら家に来な」 「う、う、うるさいわね! あなたの世話になんかならないから!」 「すでに何度か世話しているんだが」 「されてない! い、いいもん。今日のところはこれくらいにしてあげるわ! 姉さま、次は迎えに来るからね!」 ミュウはそう言うと、公園から退散してしまった。 「ふふっ」 「はははっ」 ミュウの姿がおかしくて、二人で笑い合う。 「じゃあ、帰ろうか」 「はい! あっ、シオリ」 「なに?」 「今日はシチューをつくりましょう」 「いいね、じゃあスーパー寄ってこうか」 「はい!」 ソフィアが、またご飯に興味を持ってくれた。 それが嬉しくて、思わず足が浮き立った。 ソフィアと家に帰る。それだけで、僕は世界一幸福な人間になった気がした。 ** 「よお、遅かったじゃないさ」 その出会いは、今日一日が最悪になることを告げていた。 下校途中、突如僕の前に現れた赤髪の女。 ソフィアを天界に連れ帰そうとした女性だった。 「あ、あなたは……」 「そんなビビることないよ。別になにかしようってわけじゃないんだから。 いや、そうでもないかな?」 スカーレットはあごに手をあてて何か考えているような仕草をする。 白いジャケットにお尻のラインがわかるぴったりとしたミニスカート、 色気が全面に押し出されたセクシーなお姉さん。そんな雰囲気だ。 「まぁ、いいや。今日は聞きたいことがあって来たんだ」 「……一体なにを?」 僕はいつでも逃げられるような態勢をとる。 「まぁまぁ、そんな警戒しないで」 「!?」 気付けば、自分の後ろに回り込まれて首筋をなぞられていた。 一切、油断していなかったはずなのに。 「あら、意外と筋肉ついてるんじゃん」 お腹を軽くさすられて、首筋に唇を当てられる。 「な、なんの用なんだ?」 相手の神経を逆なでしないように恐る恐る尋ねる。 「あなたの家にソフィアがいるんでしょ?」 「あ、あぁそうだ」 「なんでソフィアを受け入れたの?」 「なんでって……」 親父とチャミュの約束だったから、というのが理由だが、 言葉に困っているとスカーレットの手が僕の服の中まで入ってきた。 「ソフィアがいると面倒じゃない?」 「そ、そんなことはない」 「本当かなぁ?」 クスクス、と笑いながら僕の耳元でささやくスカーレット。 「ソフィア、相手の大事なヒトまで奪っちゃう悪女なんだよ?」 意地悪そうな声。 だが、その声には真実味もあった。 「ソフィアはそんなことしない!」 「まぁたムキになっちゃって」 振りほどこうとする僕をあざ笑うかのように、 スカーレットは僕を羽交い絞めにしている。 「断言するよ。ソフィアと一緒にいるとあなたは不幸になる」 「そんなのわからないだろ!」 「わかるんだなぁ、これが」 スカーレットは鎌を手に、不敵に笑う。 「まぁアタシの親切が聞けないって言うなら、それはそれでいいんだけど。ソフィアを連れて帰れって言われてるだけだから、お前がどうなったところで、“誰も困らない”」 スカーレットの表情が、ピリっと辛くなる。 「一体、誰に言われてるんだ?」 「ナ・イ・ショ」 人差し指を唇に当てて、片目を閉じる。 「もう一度だけ言うよ。これが最後の忠告だ。ソフィアから手を引く気はない?」 「ない。今更何を言われたってソフィアを見捨てる気はない!」 「そう、じゃあ仕方ない」 そう言うと、スカーレットは僕の心臓に手を当てた。 「お前の覚悟がどんなものか、試してあげるよ」 ズキン!  刹那、軽い衝撃と頭に痛みが走った。 「うっ……何をしたんだ」 「アタシのマークを付けてあげたの。これから二四時間、女性が欲しくて欲しくてたまらなくなる。ソフィアが大事だって言うなら、そのくらいの誘惑に耐えられるでしょ? ソフィア、襲われるの大嫌いだものね」 左胸付近がズキズキと痛む。 「う、ううっ……」 「もしそれに耐え切れたら、ソフィアを連れ戻すの、考えてあげてもいいかな」 「……本当だな?」 「耐えられたらね? まぁ、無理だと思うけど」 「やってやるさ……」 視界が歪む。 スカーレットを見ているだけで、ムクムクと邪な感情が頭をもたげてくる。 それを必死に、理性という鎖で縛り付ける。 一度でも気を緩めたら、理性が飛びそうだった。 「じゃあ、忍耐力がどんなもんなのか楽しみにしてるから」 スカーレットはそう言うと、風と一緒に消え去って行った。 あとには、スカーレットの笑い声と、うずく体だけが残された。 ◆◆◆◆◆ 「おかえりなさい、シオリ」 「ただいま……」 ふらふらになりながら、なんとか家の玄関までたどり着く。 倒れこむように廊下に座った。 「大丈夫ですか!?」 心配して近寄ってくるソフィア。 「ああ、なんともないから……」 「でも、顔が赤いです。熱があるのでは……」 そういって、ソフィアが僕の体に触れた瞬間、全身に衝撃が走る。 体全体が稲妻に打たれたような、ソフィアにもっと触れたい衝動が思考を埋め尽くしそうになる。 「だ、大丈夫だから!」 慌ててソフィアから距離を置く。 このままでは、襲ってしまいそうになる。 呼吸が荒れ、鼓動が大きくなっていく。 「シオリ…?」 「僕、ちょっと部屋で休んでくるよ。ソフィアは気にしないで」 ふらふらしたまま、階段を上っていく。 部屋に入り、シャツを脱いで左胸を鏡で確認する。 Rを反対にしたような文字が、赤く浮かび上がっていた。 「嘘だろ……」 衝動が駆けあがってくるのを感じ、そのままベッドへと倒れこむ。 目を閉じるが、頭の中に次々と妄想が駆け巡る。 下着にセーターだけを着た妄想のソフィアが現れ、 四つん這いになって僕の方に近寄ってくる。 たわわに揺れる二つの乳房が、セーター越しにブラと一緒に見え隠れする。 (ダメだ……! 違うことを考えないと……!) 目をつむる。 ナース服を着た妄想のミュウが、横になっている僕の顔を踏みつけてくる。 スカートが徐々にまくれ上がっていき、中が見えそうで見えない絶妙な角度に……。 (違う違う!!) 頭を振り、煩悩を振り払おうとする。 また、目をつむる。 チアガール姿に変装した香山。 ポンポンを持ちながら、腰を突き出したポージングをとる。 やがて、ゆっくり開脚を始めて……。 (まずいまずいまずい!!) 頭がグルグルと回って判断力が鈍ってくる。 近くに誰かがいれば、誰でも構わず襲い掛かってしまいそうだ。 スカーレットの呪いは相当に厄介なものだった。 (どう? 結構凄いでしょ?) 頭の中に、スカーレットの声が響く。 (声が!? どうして……) (私の印があれば、いくらでも話しかけられるのよ) (なら……。これも呪いの影響なのか?) (呪いってのは聞き捨てならないな。楽しい妄想ばかりで、幸せでしょう?) 妄想の中に、スカーレットが現れる。 右膝を降り、左膝を伸ばした格好で僕を煽ってくる。 ミニスカートと太ももの隙間が、強烈に気になって気になって仕方がない。 スカーレットが徐々に近付いてくる。 (私が欲しくなったらいつでも呼んでいいよ。我慢してると体に毒だよ?) スカーレットの誘惑、猛烈に魅力的だ。 ガンッ!  その時、頭をフライパンで叩かれたような衝撃を受ける。 痛みに目を開けると、頭上にフライパンを持ったミュウがいた。 「ええ!?」 目の前をみれば、ミュウが立っていた。 その手には、フライパン。 人生で初めて、フライパンで殴られた。 初めてにして、最後であってほしい。結構痛い。 「な、なんだよ!」 「スカーレットにやられたんでしょ」 ガバッと僕のシャツをはぎ取るミュウ。 「やっぱり……。こうなったらダメね、印が消えるまでは安静にしないと。一体いつスカーレットに会ったの?」 「………学校の帰りに」 「簡単にやられちゃって。間抜け」 被害者にムチ打つミュウの言葉。容赦がない。 もうちょっと優しくしてくれてもいいはずなんだが。 「この印がある限り、見境なく女性を襲うはずなんだけど。少しは理性があるみたいね」 「……わかってるなら、離れるんだ……」 「バカじゃないの、あなたなんかに襲われるほど弱くないわ。それより良い機会だからいじめてあげる」 ミュウは意地悪く笑うと、スカートの裾に手を伸ばした。 ゆっくりとスカートをたくし上げふとももがあらわになっていく。 「ほら、気になるでしょ?」 うずくまって丸くなる僕。 「やめろって!」 「こっちを見なさいよ! もう!」 その時、ソフィアが部屋に入って来た。 スカーレットと僕との間にあったことは知っているらしく、ミュウを抑える。 「ミュウ、シオリを休ませてあげて」 「姉さま、でもこいつが弱ってることそんなにないでしょ。遊びたいじゃん!」 しれっとひどいことを言うな。 遊びたいじゃんって、こっちは、ほぼ命がけなんだぞ。 「ミュウ、無理強いはだめ。この状態で理性を保っているのが奇跡なんだし……」 「姉さまがいうなら……、わかった。あなた、姉さまに感謝することね」 わかった、と手で合図をする僕。もはや喋るだけでエネルギーが奪われていく。 そのうち、頭がふらふらしてそのまま意識を失ってしまった。 僕が気付いた時には、部屋の中は真っ暗だった。 時間はどれくらい経ったのだろうか。 ふらふらする頭を押さえて、ベッドから起き上がる。 「あ………」 リビングには、ラッピングされた炒飯とスープが置いてあった。 ソファでは、ソフィアが丸くなって眠っていた。落ちかけているタオルをかけ直してあげる。その時、一気に邪な感情が頭をもたげてくる。 (襲え……。襲っちゃえ!) スカーレットの声が聞こえてくる。 強烈な脅迫観念。僕の腕が、ソフィアの胸元へとゆっくり伸びていく。 「……う、うぅん……シオリ……。体は……大丈夫です……か……」 ソフィアの寝言が、自分の邪心に楔を打ち込んだ。 (だめだ) (なに?) (ソフィアが嫌がることはしない。絶対に、だ) (なんで!? どうして襲わないの!?) スカーレットの声が消え、頭が一気に冴え渡っていく。 思考がはっきりとし、テーブルへと向かう。 (お前の言いなりにはならない……消えろ!) (……なんでよ!) スカーレットの声が遠のく。 「ありがとう、ソフィア」 ソフィアのつくってくれた炒飯とスープを電子レンジで温める。 一口一口、噛みしめながら食べる。 一人では味わったことのない安心感。 家に誰かがいてくれるだけで、こんなに安心できるんだと教えてくれたのはソフィアだった。そのソフィアを、裏切るようなことはできない。絶対に。 ◆◆◆◆◆ 翌朝は、目もすっきり冴え、いつもより元気なほどだった。 起きてきたソフィアに挨拶する。 「昨日はありがとう、ソフィア」 「元に戻ったんですね、シオリ。良かったです」 「うん、ソフィアのおかげで助かったよ」 「私のおかげですか?」 不思議そうにこちらを見つめるソフィア。 そうか、ソフィアは寝てたから知らないのか。 「ま、色々あってね」 「そうなんですね……。シオリの役に立てたなら良かったです」 「朝ごはん、食べようか」 「はい!」 ソフィアが笑う。 この笑顔を失うところだったんだと思うと、 昨日自制できた自分を誇らしくさえ思う。 そして……。スカーレットとの対決が近づいていた。 ◆◆◆◆◆ 下校時、昨日スカーレットと会った場所までさしかかる。 来るだろうと思っていたら、声がかかった。 「アタシの印を消すなんて、予想外」 街灯の上に座っていたスカーレットが、スタッと降りてくる。 「二四時間経ってないのに、どうやったの?」 「ソフィアのおかげだ」 「愛の力だとでも言いたいの? ハハハハッ!!」 お腹を抱えて笑うスカーレット。 「何がおかしい?」 「サキュバスに対して愛を説くって。何言ってるの」 「そんなことは、どうでもいい。僕の勝ちだ、ソフィアにはもう迷惑かけるな」 「そんなにソフィアのことが大事なんだ……。なんで?」 スカーレットはムッとした表情になり、こちらに近づいてくる。 「ソフィアを奪ったら、どんな顔するかな?」 スカーレットはにっこり笑うと、僕の頬に軽くキスをした。 「なっ!?」 「決めた! お前を私のものにしよう」 「はあ!?」 「そうすれば、ソフィアも戻ってくるかもしれないし」 「ソフィアは渡さないって言ってるだろ!」 「お前は私を好きになるの。じゃあねっ」 スカーレットはくるりと一回転すると、ニッと笑っていなくなってしまった。 誰もいない通りで一人立ち尽くす僕。 ソフィアを奪うために、僕を狙う。 そうすれば、ソフィアは助かるんだろうか。 そう思いながらも、また面倒が増えたと、そう思った。 ** なんでこんなことになったのか、どこで選択を間違えたのか──。 僕は窓際の席から遠くの景色を眺めながら、数時間前のことを思い出していた。 ◆◆◆◆◆ 話は数時間前のこと―――。 スカーレットが現れたことで、僕の生活はさらに、面倒なものになった。 なにかと、僕にちょっかいをかけてくるようになったスカーレット。 ミュウもいるから、さらに大変だ。 しかも、二人の仲は最悪。 鉢合わせれば、場所は関係なくバトルへと発展する。 こう毎日毎日バトルの日々にも、いい加減うんざりしてきたところだった。  「シオリ、お茶どうぞ」 「あ、ありがとう」 「お疲れのようですね……」 ソフィアにいれてもらったお茶を飲みながら、軽くため息をつく。 「ミュウとスカーレットのせいですよね、ごめんなさい」 「いや、ソフィアのせいじゃないからさ」  笑ってみせるが、蓄積している疲れのせいか、 微妙な顔になっているのは自分でもわかる。 「それにしても、スカーレットとミュウ、どうして、あんなに仲が悪いの?」 「スカーレットはれっきとしたサキュバスなんです。天界にいた時は、私に、サキュバス側につくよう、よく誘ってきて。そこにミュウが間に入ってくれた結果、あんな感じに……」 「なるほどねえ」 ソフィアの話をしながら、天を仰ぐ。 「苦労してるようだね、シオリくん」 「あれ、チャミュ来てたのか」 ピザの配達員の格好をしたチャミュがリビングに上がってきていた。 この天使、いつも何か仕事してるな。 「ミュウとスカーレットは、私の予想としては結構イレギュラーなものでね」 「そうだろうね、こっちに来るいきさつも、ソフィアから教えてもらったよ」 「そうか、それなら話が早い。本当なら私からきちんと話をするべきだったが。ソフィア、すまないね」 「いいえ、私からシオリに聞いてほしいこともあったし、良かったと思っているわ」 「そう言ってくれるとありがたい」 チャミュはソフィアに礼を言ったあと、僕の方に向き直った。 「ある日、私とソフィアは天界での暮らしに疑問を感じたんだ。「本当にこの選択肢しかないのか?」と。シオリくん、君だったら、よく知りもしない人大勢に四六時中付け回されたらどんな気分になる?」 「それは落ち着かないね……」 「そうなるだろう? ソフィアは望まない能力のせいでずっとそんな生活をしていた。隣で見ていた私だってそうだ。ソフィアと一緒にいたいだけだというのに解決しなければいけない問題が多すぎた」 「天界ではそれが解決できないと」 「そういうことだ。ソフィアの姉妹たちには、そのことは説明せずに、ソフィアをこちらに連れてきた。理解してもらうための時間もなかったからだが。それで私が恨まれても仕方ないと思っている」 チャミュも、必死だったのだろう。 この飄々とした天使だが、ソフィアを思う気持ちは本物だとわかっていた。 「だが、ここに来て最近の流れに変化が起きていると私は思う。それがシオリくん、君だ」 「僕?」 「そう、スカーレットもミュウも君に興味を抱いている。理由はどうあれ、それが問題解決のひとつになるんじゃないかと私は思っている」 「二人の間を僕が取り持つってこと?」 チャミュが意味するところは、そういうことだろう。 「そうだ。二人はソフィアを天界に連れ戻したい筆頭だからな」 「出来るのか、僕に……」 「彼女たちも、どちらかというとソフィアと似ている。サキュバスの力ゆえに、相手との距離の取り方を知らないんだ。だから、君からそれを教えてあげてほしい」 「そうは言ったって……」 ソフィアの方をちらりと見る。 うるうると懇願するような目で、美女がこちらを見ている。 「私からもお願いします」 そんな目で見ないでくれ、断れるわけがない。 ソフィアと暮らすようになって随分経つのに、いまだに、 「なんでこんな美女が、我が家にいるんだろう」 と思ってしまう自分がいる。しかも、一日に三回くらい。 「一応、努力はしてみるよ」 「君ならそう言ってくれると思っていたよ」 握手を求めてくるチャミュ、渋々それを返す。 「期待しているよ」 ニヤリと笑う天使は「作戦通り」という顔をしていた。 チャミュがソフィアを大事にしているのは分かっている。 そのためには、僕をいくら使ってもいいと思うくらいには。 ◆◆◆◆◆ ちらりと、教室の隣の席を見る僕。 ニッと笑うスカーレットの姿。 朝のホームルームで、僕らは唐突に転校生を紹介された。 このタイミングで転校生とは珍しいなと思っていたのだが……。 「初めまして、天界高校から転校してきましたスカーレットって言います。よろしく」 沸き上がる男子の歓声。 それを冷ややかな目で見る女子たち。 当たり前だ。スカーレットは明らかな外国美女で、豊満な肉体を持っている。 高校生男子が沸き立つのも仕方ないし、 女子たちがそんな男子を「馬鹿ばっかり……」と思うのも自然の摂理だろう。 スカーレットは、白いシャツにネックレス、ミニスカと 今時のギャルでもなかなかやらなさそうな格好を着こなしていた。 ルーズソックスって、今まで見たことないぞ………。 教師のほうは、もう既にサキュバスの能力で洗脳済みらしい。 天界から人間界に来る手続きも終えた、とあとから聞いた。 矛盾だらけのこの状況が、まったくもってスルーされている。 言ってしまえば、この教室内もスカーレットの力で支配されていると言っていい。 僕が話せる数少ない貴重な男友達も、スカーレットの魅了にやられたらしい。 ずーっとスカーレットの方を見てはにへらにへらしていた。 そして、結局、スカーレットは男子を色気で籠絡《ろうらく》し、女子を力で掌握した。 見事なスクールカーストが出来上がり、僕はその中のどこにも属さない特異点と化した。 そのせいで、スカーレットに呼ばれただけで暴動が起き、血の雨が降り注いだ。 この世はまさに、地上にいながらにして地獄の様相を呈していた。 「はあ……」 永遠に続くかと思われた魔女裁判のような学校もようやく終わり帰ろうとした時、 急に何人かの男子生徒に捕まり、僕は体育倉庫まで拉致されたのだった。 「ありがとねっ」 男子生徒に投げキッスをするスカーレット。 それを受けて次々と気を失う純情ボーイズ。 「お前! あいつらの純情を!」 「人間の純情なんて、発情期のおまけみたいなもんでしょ。いくら使おうが罪じゃない」 悪魔だ、悪魔がいる。早くここから逃れようともがくが、手足をガムテープで縛られ、身動きが取れない。 「やっと二人きりになれた」 スカーレットは僕の上に乗っかるとスカートの中をチラリと見せた。 エメラルド色の腰の紐パンがかすかに見える。 「でも、学校って結構面倒なんだね」 「お前が面倒にしたんだ」 「そうなの? だって皆うるさいんだから黙らせるしかないでしょ?」 自覚ナシだった。さも当然のように言っていることが恐ろしい。 女の子たちの前で、リンゴをひとつ当たり前のようにひねりつぶしたのは昼休憩。 スカーレットに逆らってはいけないと女子たちが決めた瞬間だった。 うるさいから黙らせる、それがサキュバスの人間関係解決法なのだろうか。 「アタシはただ君のことを知りたいなって思っただけ。そのためには邪魔をつぶしてかないと。それがいけないこと?」 「だったらもっと他のやり方があるだろう」 「どんなやり方があるの?」 スカーレットは体をより密着させてくる。 体全体を滑らせるような動きをするスカーレット。 肉体の誘惑が最近多すぎて麻痺してきているが、 スカーレットのはちきれんばかりのボディは、なかなかの破壊力がある。 「体で会話する、とか?」 「なっ。それはダメ!」 「どうして?」 「健全じゃないというか、それで知れるのは体であって心じゃないだろ」 「そんなのどっちでもいいじゃん」 首をかしげて、スカーレットはそういう。 実際、サキュバスの中ではそうなのだろう。 「で、でも、ほら、まずは、普通に会話するとか」 「もうしてるじゃん」 「だから、これは普通じゃないんだって」 「そうなの?」 「そう、どこに相手を縛ってから仲良くなろうって奴がいるんだ」 今、僕の目の前に一人いるわけだが……。 「だって、シオリが私の方を見てくれないから」 「あの状況で関われば、僕が集中放火を浴びるのはわかるだろう!」 「んー、わかんないっ」 ケロッとした表情で答えるスカーレット。 ここに来て、ようやく互いの価値観の大きなズレに絶望した。 「……なぁ、スカーレットって天界はずっとこんな感じで暮らしてたのか?」 「そうだよ。ソフィアから聞いた? 私たちサキュバスはこうやって生きてるの。アタシは邪魔されるのがイヤ、自分の力で全部変えてやったの」 「そうか……」 これはスカーレットなりの自衛の手段だったわけだ。 そして、サキュバス界では、このやり方が黙認されているのだ。 あのおとなしいソフィアが、サキュバス界に行きたくないという理由もよくわかる。 「スカーレット、わかった。でも人間界では、そのやり方じゃダメだ。本当にはお互いを理解できない」 「理解する? へぇ、どういうこと?」 「サキュバスの力じゃ、お互い対等にはなれないってことさ」 「アタシ別に対等にならなくてもいいよ?」 「僕がなりたいのさ」 スカーレットの方を真っ直ぐ見つめる。 「ふっ! あはは、おかしい」 僕の上に乗ったまま、笑い転げるスカーレット。 スカートがめくれているが、気にしていないらしい。 僕は目線を外しながらも、この真剣な会話をきっちり続ける意義を見出した。 対等でいなくていい恋愛なんて、恋愛じゃない。 「そんなのよりアタシの能力にかかった方がずっと早いじゃん。 シオリはアタシのことを好きになる、アタシはシオリが気になる。でしょ?」 「そうしないと、落ち着かないんだろ? 僕が優位に立てないと安心できなくなるんだろう?」 スカーレットはずっとそうやって生きてきたんだ。 ちょっとやそっとで変えられるものじゃない。 核心をつかれ、ちょっと怒った表情になるスカーレット。 「気に入らない、今の言葉。もういい、君のこと知ったら少しは変わるかもと思ったけど、勘違いだったみたい。ほら、さっさと“オス”になっちゃえ」 そう言って、僕の目を見つめる。 魅了の力。スカーレットの目が赤紫に光る。 でも……。僕のなかでひとつの確信があった。 「それは、効かないよ」 「………なんで!?」 予想外の言葉に驚きを隠せないスカーレット。 「……私は純血のサキュバスだよ!? 覚醒していないソフィアたちとも違う。これが効かない人間がいるなんて」 「スカーレット……まだ間に合う、一から始めよう」 「イヤだ! そんなのイヤ!」 スカーレットは体を起こすとシャツを脱ぎ、 ブラジャーを軽く外し両手で押さえる。 そのまま体を倒してくる。 キスされそうになるほど顔が近づいて、思わずのけぞる。 ここでキスされたら、それこそ対等な関係は一生作れない。 「ねえ、どうしてアタシのこと好きにならないの?」 「言っただろ、相手のことを理解しないと好きって気持ちは生まれないって」 「……どうしても?」 「どうしても。サキュバスのやり方も、スカーレットのやり方も、僕は好きじゃない」 好きじゃない、という言い方が、スカーレットには驚きだったらしい。 口の中でそれを呟きながら、「そっか……」とうつむく。 「………わかった」 「スカーレット……ごめん。言い方きつかったかもだけど、そういうもんなんだ」 「……うん。つまり、しゃべって、アタシを好きにさせればいいんでしょ」 「えっ?」 「絶対好きにさせてみる。アタシがいないと困るって、言わせてみせる」 スカーレットはいつの間にか目にためていた涙を拭うと、ニッと笑った。 僕の上から立ち上がり、スカートのまま仁王立ちになる。 外したボタンから、ブラジャーが隠れ見えた。 「今日のところはこれで終わりにしてあげる。 でも、次からはこうはいかないから」 スカーレットはそう言うと服を整え、体育倉庫を出て行った。 「また、面倒なことになったぞ」 思わず、そう呟く。 僕は選択肢を間違えたのか?  どうしたものかと思いながら、僕はまずこの場をどうしようか考えていた。 なんといっても僕は、両手両足をガムテープで縛られて、放置されていたのだ。 「あの、誰か! 誰かいますかー! スカーレットまだいる!? ここから出してほしいんですけど。誰かー!」 僕の間抜けな声は体育館にむなしく響くだけだった。 助けが来たのは夜七時。巡回に来た警備員さんだった。 いじめかと勘違いされたが否定する他ない。 平凡代表の僕が、なんでこんな目にあわなきゃいけないんだ……。 ** 「シオリ、今度買い物に、い、行きませんかっ」 珍しくソフィアからの誘いがあったのは、ある日の夕食での出来事だった。 今思えばなんであんな対応をしてしまったのか後悔しかない。 ここ最近立て続けにスカーレットとミュウからのアタックに疲れ切っていたので、 あの時どんな表情をしていたのかは覚えていなかった。 「シオリ……?」 「あぁ、ごめん。ボーッとしてた。何?」 「い、いえ……」 「………」 しまった、と思いつつも、頭もフラフラで会話を遡ろうとする元気がない。 何かソフィアが言おうとしていた気がする。でも、なんだっけ? 次の日に聞けばいいだろう。そう思ったのだ。 結局、ご飯を食べ終えて、ソフィアに聞き返すこともなく部屋に戻ってしまった。 それが、間違いだったということに気付くのは次の日の朝だった。 「ソフィア、おはよう」 「おはようございます……」 「あれ? 元気ないけど、どうしたの?」 「いえ、別に……」 最近はようやく目を見て話ができるようになったと思っていたのに。 今日は意図的に避けられたように感じた。 「……僕、何かした……?」 「…………」 食卓に流れる沈黙。 空気を呼んでいるのか、今日はフーマルもおとなしくご飯を食べている。 目を向けても、視線を外された。 「あ、あのさ、昨日なにか僕に話しかけてなかった? ぼうっとしてて、気づかなかったかもなんだけど」 「いえ、別に大したことではないので。気にしないでください」 「そ、そうか……」 そっけなく返される。こうなると、さらに聞き返すこともできない。 声も心なしか突き放すような感じだった。 「………」 「………………」 再び流れる沈黙。 まずいぞ、でも、どうしたらいい? こんな状況に今までなったことがないのでどうすればいいかわからない。 結局、朝はそれから大した会話にもならず、逃げるように学校に来てしまった。 「まいった……」 なんであの時、話をちゃんと聞いてなかったんだろう。 頭を抱えて机に突っ伏す。 余談だが、あの一件以来、スカーレットのスクールカーストは少し収まった。 少し、というのは僕に対するクラスの当たりが弱くなったことくらいの話なのだが。 スカーレットが僕にちょっかいをかける時に暴動が起きなくなっただけ、マシだ。 彼女の僕に対する様々な嫌がらせも一通り終わり、ぐったりと席に座っていた。 「どうした、シオリ。元気がないな」 同じクラスの男友達・伊達が見兼ねて声をかけてきた。 あまり社交的ではない僕にも気さくに話かけてくれるいい奴だ。 伊達政宗ネタでクラスからいじられたことがきっかけで右目に眼帯をするようになった彼。 アニメ、ゲームの影響を受けやすい高校生、仕方ないことだが、 彼がこれを黒歴史と称するときはくるのだろうか。 そんな心配はさておき、僕は伊達に今日起きたことを話した。 「そりゃあ、お前が悪いな」 即答。わかっていたことではあるが、改めて言われると心にくるものがある。 「まぁ、たしかにそうなんだよ」 「謝ったらいいんじゃないのか? 優しい子なんだろ? 許してくれると思うけどな」 「うーん。ただ今まで喧嘩らしい喧嘩もしたことなかったから、どうやって謝ればいいのかわからなくてさ」 「そしたら、こういうのはどうだ?」 名案があると、伊達が僕に耳打ちしてくる。 男が二人でこそこそ耳打ちするなんて、あんまりいい光景じゃない。 現に、BLを嗜んでいると噂の女子たちが、僕らを凝視している。 うう、いつか僕らのことを描いた本が出たりするのだろうか。 「………なるほど、それならいけるかも。ありがとう伊達」 「ま、伊達に、伊達は名乗ってないからな」 決め顔を向けてくる伊達。 今のセリフが最近の彼の流行らしい。 伊達男は、そんなダジャレは言わないと思うのだが。 まあ、気にしないでおこう。 人間だれしも、黒歴史の時代はあるはずなのだから。 「ありがとう、頑張ってみるよ」 「おう、頑張れ」 伊達にお礼を言って、席を立つ。 早速伊達に教えてもらったことを試してみるか。 ◆◆◆◆◆ スカーレットを撒くことに成功し、 学校の帰りにやってきたのは、花屋だった。 伊達曰く「女性は花が好き、彼女の好きな花を買っていけば、謝るきっかけになるだろう」ということだった。 その真偽は、僕にはわからない。 なんといっても女性と付き合ったこともなく、手を繋いだのも幼稚園のときが最後。 そんな僕が、いまはサキュバス三人と話しているのだから不思議な話だ。 だが、とにかく、花があれば、自然に謝れそうな気がする。 問題はどんな花にするかだ。 知識がまったくないせいで、何がいいのか皆目見当もつかない。 「なにかお困りですか?」 「あ、どんな花にするかを悩んで……って、え!?」 何回かこの下りを経験したことがある。長い金髪を首の横あたりで三つ編みにしている店員は、ニコニコしながらこちらに近づいてきた。 「ソフィアに買って行くのかい?」 「チャミュ……花屋もやってたのか」 「ふふ、私は万能だからね」 この天使、どこにでも出没するな。 「花を探してるのかい?」 「あ、ええとソフィアに、花を、とおもって寄ったんだけど、どんなのがいいかなって」 言葉がたどたどしい。 とても喧嘩をしたとは言えず、どう説明しようか迷っていると、チャミュは優しい黄色い花の鉢植えを持ってきた。 「これなんかどうかな、マーガレットアイビー。花言葉は仲直り、だそうだ」 「なんでもお見通しか……」 「まぁね」 チャミュにはかなわないな。 「私がソフィアと君の家に初めて行った時のことは覚えているかな?」 「あ、ああ覚えてるよ」 「その時は、君がここまでソフィアに影響を与えるとは思っていなかった。私自身、ソフィアが自分の意志で何かをしたいって言ったことは数えるくらいしかない。ソフィアにとって、初めてちゃんとコミュニケーションのとれた異性が君だ」 「天界では、僕みたいなのはいなかったの?」 「みんな彼女に魅了されてしまったからね。だから君は貴重な実験体……じゃない、貴重な人間なんだよ」 「今なんか不穏な言葉が聞こえたけど」 「まあ、つまり、彼女の想いを大切にしてあげてくれ、ということだ」 チャミュは、マーガレットアイビーの鉢植えを包装すると僕に手渡してくれた。 優しい色と香りで、心がゆっくりと落ち着いてきた。 「ありがとう、チャミュ」 「ソフィアのためだからね、お安いご用さ」 チャミュはそう言って手を振ると、お店の中に消えていった。 花の入った袋を下げ、家へと向かう。 ソフィアは、昨日僕に何かをしたいって言ってた気がする。 彼女にとって、提案をするということは他の人の何十倍も何百倍も勇気のいることだ。 そのことにやっと気がついて、自分が恥ずかしくなる。 「あ、ソフィア……」 家の近くまで来ると、ソフィアが一人座っているのが見えた。 うずくまるように座るソフィアは、親とはぐれた子どもみたいだった。 「シオリ……」 ソフィアが僕に気がついて、ゆっくりこっちに歩いてくる。 「昨日は、その、ごめん……」 謝りながら、花の入った袋を前に出す。 花を渡すなんて初めてで、これでいいのかが分からない。 でも、とにかく気持ちを伝えよう。それだけを考えていた。 「ソフィアの話、ちゃんと聞いてなかった」 「………」 向き合った二人。視線は右下のまま。 沈黙が流れる。これから判決でも言い渡されるような気分だ。 どうしよう、やっぱり許してくれないのかな。もう無理なのかな。 ソフィアがゆっくり口を開く。目にはうっすら涙を浮かべながら。 「こんな気持ち、初めてだったんです。シオリに言葉が届かなくて、それが悲しいなんて……」 「ソフィア……」 「天界では、誰かに言葉を届けよう、なんて思いすらしませんでしたから。どうせ無理だって最初からあきらめて。でもシオリなら聞いてくれるかもって思ってしまって……。でも、届かなくて。だから、やっぱり自分から何かしたいって変なのかなって、自信なくなっちゃって……」 うるんだ目でささやくように言うソフィアに、今まで沢山抱えてこんできたのだと知る。 その言葉を聞いて、咄嗟にソフィアの震える手を掴んでいた。 花のバランスが崩れて、思わず片手で抱きなおす。 「ごめん、僕ソフィアに甘えてた。明日聞けばいいやって……。ソフィアがどうしてこっちに来たのか、忘れちゃってた」 ソフィアは潤んだ目でこちらを見てくる。 「また、私の話、聞いてくれますか?」 「うん」 「……じゃあ、許します」 ソフィアはニッコリ笑う、それと同時に一筋の涙がこぼれた。 雪があたたかくほどけたように、美しい涙だった。 けれどその美しさは、ソフィアが悲しんだことから生まれるのだ。 僕はソフィアの手を握りなおし、本当に、もうしないことを誓った。 「忘れないでくださいね」 「うん、もう忘れない」 僕とソフィアは見つめ合うと、お互いの手を優しく握り合った。 ソフィアを見ると、目には大粒の涙を溜めていた。今にも泣き出しそうだ。 それを近くに抱き寄せる。 ソフィアの体は思ったより細くて、柔らかくて、 お風呂上がりのシャンプーのような優しい匂いがした。 ひとしきり泣き終わった後に、目を合わせる。 花は、もう地面に置いていた。 ソフィアの目は真っ赤になっていた。 「見ないでください…恥ずかしくて…」 あまりの恥ずかしさに瞬間湯沸かし器のように真っ赤になるソフィア。 顔を見られまいと僕の胸に顔をうずめる。 ソフィアの頭をポンポンとなでてやる。 「さあ、帰ろうか」 「はい」 二人で手を繋ぎながら、家までの道を歩く。 ソフィアは、嬉しそうに花のにおいをかいでいた。 「ソフィア」 「なんですか?」 「今度さ、買い物にでも行こうよ」 「ふふっ、いいですね。賛成です」 ソフィアはそう言うと、今日一番の笑顔で笑った。 何がおかしかったんだろう、と思ったが、「もしかして、ソフィアが僕に言おうとしたのも、買い物に行こうってことだった?」と気づいて、思わず笑ってしまった。 僕らはすでに、似たもの同士なのだ。 ** これは、スカーレットがシオリにちょっかいを出し始めたころの、ミュウのお話──。 自分の「奴隷」を追い掛け回す不届きものを、自称Sサキュバスが「成敗」するお話。 ◆◆◆◆◆ その日、私は苛立っていた。お邪魔虫が増えたからだ。 元々は天界に姉を連れ戻すために人間界に来たのに、気が付けば邪魔なサキュバスまで地上に降りてきていた。私はスカーレットのことが大嫌いだ。 自分のことを理解して優しくしてくれた姉とは違い、 スカーレットは対極に位置する存在だった。 身長も、サキュバスの能力も私とは大違いだ。 バスト、ヒップ、云々。女の魅力もすべて劣る。 加えてスカーレットの人の神経を逆なでする奔放な性格。 「気に入らない」 姉さまとシオリという居場所に、いきなり現れて土足で荒らされたようでとても気分が悪かった。 「はい、ミュウちゃん」 私の前に冷たいカフェオレを出す初老の男性。 ひょろっとした上背に髪は短髪、白髪で丸縁の眼鏡。 清潔感のあるグレーのベストに黒のパンツ。如何にも紳士、といった風体の男性。 柔和な表情からは、様々な経験を積んできたであろう、しわが刻まれている。 「……いただくわ」 ぶすっとした表情のまま、ストローに口を付ける。 ちなみに、私は仕事中。 私は今、喫茶店らーぷらすの主人 楠源十郎《くすのきげんじゅうろう》が一人で切り盛りしているお店でウエイトレスとして働いている。私が人間界に来たばかりで右も左もわからない時に、ご飯や寝床を提供してくれた珍しい人物。 それ以来、代わりに時間が空いている時にはウエイトレスとして手伝うようにしている。 源十郎が頼んできたわけではないのだけれど、無償でお世話になっていることに申し訳なさもあって、せめてものお返しだった。 夕方前は客が誰もいないので、カウンターに座って床に届かない足をぶらぶらさせながら源十郎の話を黙って聞いている。源十郎の話は決まって同じなので、私もいつも同じタイミングで相槌を返す。 昼や夕方過ぎになるとサラリーマンで席が埋まる。白いシャツ黒いスカート、に黒いエプロン姿のスタンダードなウエイトレス姿はおじさん達に大変人気で、私にぞんざいな扱いをされるのがかえってたまらないみたい。そんなわけで角も特に隠していない。 「ミュウちゃん、今日は休んでもいいんだよ? いつも働いてもらっちゃってるし」 「別にかまわないわ。源十郎には世話になっていることだし」 「そうかい、それじゃ頼むよ。ミュウちゃんがいてくれると、お店が繁盛するから大助かりだ」 源十郎は無邪気に笑うと拭いていたグラスを棚にしまい始めた。 一七時。夕方のお店が開く時間だ。数分すると、ちらほらと客が入ってくる。 「ミュウちゃん、はいこれ」 小太りで眼鏡をかけた人のよさそうなサラリーマンが紙袋を手渡してくる。 中には高級チョコレートが入っていた。小さい箱にしたってなかなかな物だ。 ここの客はなにかと私にプレゼントを送りたがる。別に受け取って嫌なものはないから受け取るけれど、そんなにお金に余裕があるようには見えないのよね。 「別にいらないって言ったじゃない」 「でも、ミュウちゃんが欲しいって言ってたの聞いたからさ」 「一体誰に聞いたのよ。まぁいいわ、受け取ってあげる」 「くぅ、今日も可愛い」 傍から見ていると、辛辣な対応に見えるのだけれどそれが良いらしい。 その後も、次々とプレゼントを受け取り、ちぎっては投げ、ちぎっては投げていく(明らかにプレゼントを受け取る対応の仕方ではないと思う)。その対応は塩対応を通り越している。にもかかわらず客は皆満足そうに帰っていく。この店の客は変態が多いらしい。源十郎も「まさかここまでとは思わなかった」と驚いていた。 ピークを過ぎ、少し落ち着いたころ、新しく客が入ってきた。 それは女に連れられてきたシオリだった。 びっくりして、テーブルに置こうとしたコーヒーを落としそうになる(客が天才的な瞬発力でキャッチした。この客は、あとでミュウからの、お礼という名のツンデレを堪能して昇天しそうな幸福な顔になった)。 「あれ、ミュウじゃないか」 こちらに気が付いて声をかけてくるシオリ。一気に頭が真っ白になる。 今までに味わったことのない感情。 「な、な、なんであなたがここに!」 動揺を隠そうとするが手が震えてしまい、上手くごまかせない。 おかしいわ、百戦錬磨数多の男を手玉にとってきた(と思っている)私がこんな男一人に! 「香山が、どうしても食べさせたいケーキがあるって言うから、無理矢理……」 「天寿くん、知り合い?」 後ろから顔を出すポニーテールの女、こいつが香山か。以前姉さまの話で聞いたことがある。シオリ、姉さまがいるのに別な女とこんなところに来て……。 バキッ。 注文を取るためのボールペンが勢いよく折れる(すかさず新しい新品の万年筆と入れ替える客一同)。 たしかにここのホットケーキは美味しいけれど、それは百歩譲って姉さまと来るものではないかしら……。まさか、この男にかぎって浮気なんて……。いや、でも浮気? そもそも私は、姉さまとこの男の仲を許したわけではないわ。だったら、この苛立ちはいったいなに? 悩んでいる私をよそに、女は源十郎に馴れ馴れしく声をかける。 「おじいちゃん、久しぶり!」 「おお、成美じゃないか! よく来たね!」 源十郎、やけに香山と親しそうね。知り合いだったのかしら。 「あれが久しぶりに食べたくなっちゃって。三つ、お願い!」 「可愛い孫に頼まれちゃぁ仕方ないな。でも、三つなのかい? 二人しかいないじゃないか」 「いいの、後からもう一人来るから」 そう言って香山は奥の席へと移動する。 源十郎に軽く挨拶をして、着いていくシオリ。 一体どういうこと? 誰が来るっていうの? この男の新しい浮気相手? ああ、だから浮気相手じゃなくて……。 そんな煩悶をしていると、しばらくすると、また一人新しく客が入ってきた。 おそるおそる扉を開ける女性。 品のあるスカーフに白いセーター、長めの刺繍が入ったスカートにブーツ。 世界一綺麗な女性……つまり、姉さまだった。 「姉さま!? どうしてここに!」 「あっ! ソフィアー! こっちー!」 姉さまに気付いた香山は店の中から大きく手を振る。なかなかやかましい女ね。 「あっ、成美。シオリ!」 嬉しそうな姉さまの声。それと同時に心がズキンと音を立てる。 私の知らないところで、姉さまが友達を作っているなんて。 天界では、あんなにいつも辛そうな顔をしていたのに。 私にできなかった「姉さまを笑顔にする」を当たり前にできる人がいる。 それが悔しくて辛くて、私なんていてもいなくても同じに思えた。 「ミュウ? あなたがどうしてここに?」 私に気付いた姉さまがきょとんとした顔をしている。 「私、ここで働いてるの」 「へぇ、しっかりお仕事してるのね。えらいわ、ミュウ」 そう言って優しくなでてくる。 他の人間だったら壁際まで吹き飛ばしているところだが、姉さまだけは例外。 「ソフィア、迷わず来れて良かったよ」 優しく姉さまを招くシオリを、少し離れて見る。 それを見る姉さまの嬉しそうな笑顔がとてもまぶしい。 天界にいた時は、私たち姉妹以外には目を合わせることのできなかった(唯一あの天使はいたけれど)のに。 うつ向いていたら、源十郎が私もあの中に混ざるよう促してきた。 「お店も落ち着いたし、話をしてくるといい。ミュウちゃんの分もホットケーキつくってあげるから」 「別にいいわよ。ちゃんと働くから」 「でも……」 「いいの!」 ちょっと大きな声を出すと、店の客たちがいっせいにこっちをみる。 (ツンデレだ) (ツンデレが始まったぞ) (お姉ちゃんの友達に混ざりにいきたいけど、恥ずかしいんだな) (お姉ちゃんの邪魔をしちゃいけない、でも取られるのは悔しいと) (いいぞ、ミュウちゃん。それでこそ妹属性のSっ子だ。最高だぞ) そんな声が聞こえてくるが、無視する。 客ども、あとで覚えてろよ。ご奉仕(チョコと飴で)させてやる。 そう思っていたのに、結局、まわりの常連客たちと源十郎に押されて、気付けば四人席のシオリの隣に座る羽目になっていた。 向かいには香山。シオリの向かいに姉さま。心臓が少しドキドキしてくる。 「ミュウがここのお店で働いてるとはな」 「な、なによ。悪いの」 「いや、今まで人間界のどこにいるんだろうって思ってたからさ。聞けば香山のお爺さんのお店みたいだし。安心したよ」 ホッとした表情を見せるシオリ。この男は本当に裏表がない。 いつでも受け入れてくれそうな感じは、今まで会った人間との違いだ。 自分のことを心配してくれていたことを知って、少しも嬉しくなる。 い、いや、嬉しくなんかないんだから! 私の「奴隷」なんだから、それくらい当たり前だし! 顔を赤くしていると、常連客達が (青春だ) (青春だな) (俺にもあんな頃が……) (ミュウちゃん、がんばれ!!) と、ひそひそ話してくる。何をがんばれというのよ! 私はそもそも「ご主人様」なんだから頑張る必要すらないの! 「ミュウちゃん、私は香山成美。よろしくね」 この女、源十郎の孫らしい。無碍にはできないわね。 「ミュウよ。よろしく」 「ミュウ、その制服似合っているわ。素敵よ」 「ありがとう姉さま。なんてことはない、ただの給仕服だけどね」 「僕も似合ってると思う」 「あ、あ、あなたは黙ってなさい」 急に褒めるなんて卑怯よ。いきなり褒められたら、心がどぎまぎするじゃない。 (なんだ、あの顔!) (ミュウちゃんが顔を赤くした!?) (もしやあの男……ミュウちゃんの初恋の相手!?) (くぅっ。うらやましい! でも幸せならオッケーです!) 初恋でもなんでもないから! そう思っても、源十郎と客たちは完全にシオリを私の初恋相手認定してしまった。 「可愛いウエイトレスのおかげでお店が大繁盛っておじいちゃん言ってたけど、ソフィアの妹さんのことだったのね」 「まさか、こんな繋がりがあるとは思わなかったわ」 「そうだね、世間は狭いねぇ。おっ、出来たみたいだよ」 ホットケーキの良い匂いがしてくる。 現十郎のつくる二段重ねホットケーキは厚みと柔らかさが絶妙だ。 バターとメイプルシロップが合わさると、それはもう極上の美味しさとなる。 ケーキを運びにいこうとして立つが、源十郎に「いいから座ってて」と止められる。 「はい、特製のホットケーキだよ。温かいうちに召し上がれ。ミュウちゃんにはいつもお世話になってるからね、お友達の分もドリンクはサービスだ」 「いいんですか?」 「あぁ、気にせず食べておくれ。お礼はミュウちゃんにね」 「ミュウ、ありがとう」 「う、うるさいわね! 別に私はなにも……!」 「いやあ、おじいちゃん、最近元気なかったからよかったよ。ミュウちゃん、助かったわ」 「だから何もしてないってば! ちょっとお店手伝ってるだけ!」 「もう。ミュウったら。恥ずかしがっちゃって」 姉さまがそういって、源十郎にお礼をする。 昔とは、雰囲気が変わったなと思う。 人間界に来るまでは相手の目を見て話をするなんてなかったのに。 それも、シオリのおかげなのだろうか。 「ミュウ、どうした?」 「なんでもないわ。さ、せっかくいただいたんだし、食べましょ。はい、口を開けなさい」 「う、えぇ、僕?」 人間界では、あーんという、食べ物を食べさせる行為をすると相手を恥ずかしくさせることができるということを教えてもらっていたので、やってみることにする。 この男が慌てる姿は見ていて楽しいわ。 「なによ、だめなの?」 「だ、だめじゃないけど、恥ずかしいというか」 「ふふふ。でしょう? 恥ずかしいでしょう? 思惑通りね」 「思惑通り!? ちなみにこれは断る権利は……」 「ないに決まってるでしょ」 そういって、切ったホットケーキをフォークに刺し、シオリの口元まで持っていく。 ほら、照れてる照れてる。そのウブな感じ、優越感に浸れて愉快だわ。 (ミュウちゃんの「あーん」だと……!?) (写真を、写真を誰かとっておいてくれないか!) (その写真、俺にもくれ! 自分の顔と合成するから!) (今日なんていい日なんだ! 神様、愛してます! ありがとう!) どよめくサラリーマン席。源十郎も目をキラキラさせている。 チラッと姉さまの方を見たシオリだが、姉さまがニコニコして頷いたため、観念して差し出されたホットケーキをパクッと食べる。 「おぉ、美味しい!」 「よかったわ」 そういって悦にひたっていたが、元気な声がかき消してくる。 「良かった! おじいちゃんのホットケーキは美味しいんだぁ。 私小さい頃から食べてるから。はい、じゃあ次こっち」 パクッ さりげに会話に加わった香山が、シオリに差し出したホットケーキを邪魔する。勝手に与えようとしてるんじゃないわよ。 「あれ、もしかしてミュウちゃん食いしん坊?」 「違うわよ! シオリにあーんしていいのは私か姉さまなの」 「えー! なにそれずるーい! 私もあげたい!」 「香山、これ以上は恥ずかしいから」 「あらなに、姉さまのは食べられないって言うの?」 シオリに追い打ちをかける。 「え、えぇ? いや、それは」 シオリは自分のホットケーキを切り分けると、フォークに刺して姉さまに差し出した。 「食べる側だと、恥ずかしいから。ソフィア、はい」 「わ、私ですか」 恥ずかしそうに顔を赤らめる姉さま。これは新鮮だわ。シオリと姉さま、二人して恥ずかしそうに見つめ合う。 「えっと、ではせっかくなので……」 「はい、あーん」 「あ、あーん……」 シオリのさしだしたホットケーキを、一生懸命食べる姉さま。 艶っぽくて神秘的で、姉さまは何をしても素敵。 シオリは、私と姉さまに感謝すべきね。 「ぶー、いいなあ」 文句を言いながら一人で食べる香山。あなたはその位置でいいの。 その後も楽しく談笑し、姉さまたちは帰って行った。 「暇があれば、またウチに来いよ」 「そうです。遠慮しないで」 「まあ、気が向いたらね」 そう突き放そうと思ったが、香山が話に割り込んでくる。 「えっ。じゃあ、私も行くね!?」 「あなたは別でしょう!」 私と姉さまとシオリの仲に、ずかずかと入り込んでくる香山。 あの天使のように遠慮がない。 思わず口論になり、シオリとソフィアが「まあまあ」と止める。 私はふてくされて店に帰り、常連客達も映画を見終わったあとのような充実した顔で次々に帰っていった。閉店時間になり、洗い物をはじめる。 「今日は色々悪かったわね。明日は二倍、働くわ」 「ミュウちゃんの楽しそうな顔を見れて私は満足だよ」 「私が? 楽しそう?」 「あぁ、今まで見たことないくらい良い顔をしていたよ。シオリくんと言ったかな? 彼のことずっと気になってただろう」 ガタン!  シンクにコップを落としてしまう。 「な、な、な」 「隠さなくたっていい。孫にはまた彼を連れてくるように言っておいたから。あの笑顔をまた私たちに見せておくれ」 「余計なお世話よ……ん、私たちってなによ?」 「常連客とミュウちゃんの表情で盛り上がっててな。それは大興奮だったよ」 「なに勝手に盛り上がってるのよ! ……ま、一応感謝しとくわ」 「今日も一日ありがとう。はい」 源十郎はそう言って温かいカフェオレを出してくれた。今日はちょっと甘めだ。 何も言わなくても、その時の気分に応じて丁度よいものに調整されているのを私は知っていた。彼の凄いところだ。 どんなに楽しくても、姉さまのことをシオリに取られたのは変わりがない。 だから今日は、いつもより甘めなんだろう。 「……美味しい」 「ありがとう」 源十郎はにっこり笑うと、拭いたコップを棚にしまい始めた。 今日は騒がしかったけれど、悪くない一日だった。 いつの間に私は残りのカフェオレを飲みながら、次はいつ会いに行くかを考えていた。 ** 「野球対決?」 その話があったのは数日前、学校帰りのことだった。 突如数人の野球部員に拉致されて、学校の屋上に連れて行かれた。 なんだ、僕はこれから突き落とされでもするのか。 そんな縁起でもないことを考えていると、視界に映ったのはスカーレットと、野球部の部長だった。丸刈りのガタイのいい男子生徒だ。戦ったら叶いそうもない。 「先輩! 天寿さんを連れてきました!」 僕を拉致してきた野球部員Aが元気な声で先輩に報告した。 そんな嬉々として言われても。 「よし、下がっていいぞ」 上下関係とはいえ、人を連行するのに使ったりしていいんだろうか。 丸刈り野球部部長は、僕の前にどんと仁王立ちした。 これから野球の練習なのであろう。練習着姿だった。 「僕の名前は津田沼球児。硬式野球部の部長をやっている。いきなりだが、君に野球の対決を申し込みたい」 「はあ?」 本当にいきなりな話だった。全然話がつかめない。 部長の後ろで立っているスカーレットの方に目を向けると、僕の顔を見てニヤッと笑った。こいつが発端だな……察するのにそう時間はかからなかった。 「先ほど、スカーレットさんに交際を申し込んだのだが断られてな。どうすれば付き合ってもらえるかと尋ねたところ……」 「シオリに勝ったらいいよ、って答えたのっ」 僕にウインクをして、いたずらっぽく答えるスカーレット。 また話を面倒にしてきたな……。 そして、野球部部長までがスカーレットの毒牙にかかっていたとは。 校内に、シオリの毒牙にかかっていない男子はどれだけ残っているんだろうか。 「勝った方が、アタシを好きにしていいよ」 両腕で胸を挟み、腰をくねらせる。 色気たっぷりのポーズに、野球部部長は鼻の下を伸ばす。 僕としては、好きにしていいよ、ではないのだが。 むしろ「好きにされる」方なんだが。 「と、いうことだ」 かっこよく決めようとしてますけど、先輩すごい鼻血出てますよ。 「それ僕にメリットないじゃないか」 「えっ、ひどーい。アタシを好きにしていいんだよ? あんなことや、こんなことまで……」 文句を言いながら僕に近付いてきたスカーレットは、僕の手をとり自分の胸へとあてがう。 「な? うれしいだろ?」 「!? スカーレットさん!?」 部長が、怒りが込み上げた顔で僕を見る。 その顔は戦意にあふれており、このまま殺されてもおかしくないほどだった。 クソゥ、こいつ悪魔だ。サキュバスらしいと言えばそこまでだけど、これ以上話をややこしくしないでほしい。 僕は胸の感触が残った手を、スカーレットから遠ざけるように後ずさる。 「天寿くん、君はこの対決を受けなければいけない。男と男の勝負だ」 「そんな。勝手に決められましても……」 そもそも、鼻血を出しながら言われても困る。 スケベ心満点だし、勝負って言ったって野球で戦うのじゃ、自分の得意分野じゃないか。 「でも、僕、野球素人ですよ……」 同じ土俵で戦うのは得策じゃない。そうじゃなくたって、僕のいる高校は地区内でもベスト四には毎回入るくらいの実力を持っているチームなのだ。 部長の勝ちはほぼ間違いないだろう。 「僕が負けるに決まってますし……あ」 「どうした?」 「そうか。この勝負、僕が勝たなくてもいいのか」 スカーレットが誰と付き合おうが、別に僕の知ったところではないのだ。 僕やソフィアに迷惑をかけない範囲でやってくれれば問題ない。 「勝負をする前に負けを認めてしまえば、スカーレットは部長と付き合う。僕は自由になる……と」 「なに?」 「うん。あの、僕、別にスカーレットと付き合ってるわけではないので、あとはお二人で話し合っていただければ」 「ええっ。シオリー! ひどーい、あの日あんなにアタシを求めたのは遊びだったって言うの?」 部長の精神を荒立てるような言葉を投げてくるスカーレット。 本当に人を弄ぶのが好きな悪女だ。 「求めとらんわ! いつの話だ! 大体付き合ってないだろ!」 「あんなにベッドで好きだって、愛してるって言ってくれたのに」 「言ってない。言ってない」 地面にしゃがみこみ、わざとらしく泣くスカーレット。 合間にチラリとスカートをあげて紐パンアピールをしてくるあざとさを忘れない。 顔を動かさず目線だけそちらに向けてガン見する部長。いや必死だなオイ!  「部長、色仕掛けにかかってますが大丈夫ですか?」 思わずそう聞いたが、部長は僕を睨み返す。 完全に、僕を敵だと認識したようだ。 「君がそんなに人間のクズだとは思わなかったな!」 「いや、あの」 「ここで逃げるようであれば、これ以上被害者が増えないよう全校に知らさなければならない!」 ひどい話だ、初対面で人間のクズと言われ、嘘の情報をばらまくのだという。 恋に盲目にも程がある。流石に言われたい放題の状況に少しばかり腹が立ってきた。 「部長、それは聞き捨てならないですね。僕はそんなことをしていない」 「ならば、勝って証明してみせることだな」 「……いいでしょう」 ん? あれ、やべっ。勢いで言ってしまったが勝負に乗る形になってしまった。今更訂正することもできない。 「シオリ! アタシのために戦ってくれるのね、嬉しい!」 「違うって! 僕の無実を証明するだけだ。スカーレットは関係ない」 「そんなこと言って。勝ったらとっておきのご褒美用意してるゾ」 スカーレットは僕に抱きついて、シャツの中のブラをチラッと見せてくる。 「ス、スカーレットさん! か、勝ったら僕にも」 「もちろん、部長が勝ったら、もっと、凄いことし て あ げるっ(ハート)」 鼻血を吹き出して倒れるスケベ部長。 エロポメラニアンといい、世の中にはスケベな男しかいないんだろうか。 いや、僕もきっとその一人ではあるのだろうけれども、だがしかし……。 こうして、何故か数日後に野球部部長との野球対決が決まってしまったのであった。 ◆◆◆◆◆ 「あなた、バカじゃないの?」 ことの顛末を話しての第一声。 家に来ていたミュウから発せられた。 「すっかり乗せられてるじゃないの。しかも相手の土俵に」 「うん、まぁ、そうなんだ……」  ミュウに説教されてシュンとする僕。 実際僕も、我に返ってみて「あれ? まずいんじゃないか?」と気づいた。 ソフィアが優しく僕をなぐさめてくれる。 「シオリ、その野球というのは経験があるのですか?」 「まぁ、体育の授業で少しやったくらいかな。 授業でっていうのは、つまり学校の先生が数時間程度、教えてくれたって意味」 「それは……大変ですね……」 「そうなんだよ……。ルールを知っているだけ。野球部の部長に勝てるかって言うと……」 ふんっと鼻息を荒立てるミュウ。 「にしてもスカーレット、また厄介なこと…。まったく、人をオモチャにして遊ぶことしか考えてないんだわ」 スカーレットとは仲が悪いので、今回みたいな時は味方になってくれる。 そして味方にすれば、ミュウほど心強い相手もいない。 「対決は何日後ですか?」 「一週間後、学校のグラウンドで」 「勝負の方法は?」 「勝負は部長がピッチャー、僕がバッターで、フェアグラウンドに打ち返したら僕の勝ち、一アウトとったら部長の勝ち」 「ええと……」 「校庭に白線をひいて、その内側に打ち返せれば僕の勝ちってことだね。多少なりとも、部長も手心を加えてくれたってこと」 「じゃ、勝可能性はあるってことなんですね」 ソフィアは嬉しそうな顔をする。 「うーん、どうかな。相手はあの部長だし。 校内屈指の名ピッチャーと言われているだけに攻略するのはとても大変だと思うよ」 本当に、なんでスカーレットに乗せられてしまったのだろう。 後悔ばかりが頭をよぎる。 「それじゃ、特訓しましょ」 「えっ、特訓?」 「そうよ、素人のあなたが対策もしないで勝てるわけないでしょ」 「たしかに…」 ミュウに真正面からド正論を突きつけられ、グゥの音も出ない。 「敵の情報は私が調べてくおくわ」 「ミュウ……なんて頼もしい……」 「ふん。アイツを倒すためだからね。 あなたは毎日これを付けて素振り五〇〇本しなさい」 そういって、重りの着いたリストバンドと激重いバット、そして眼鏡を渡される。 「これはいったい……」 「リストバンドとバットは訓練用。眼鏡は『明鏡止水』と呼ばれる天界アイテムよ。あなたに今必要なのはバットを振る軌道を覚えることと、打つタイミングを見極めること。その眼鏡は集中力を高めると、物が止まって見えるようになるの。精神が完全に研ぎ澄まされたとき、逆転に持ってこいの曲が頭に流れるからすぐわかるわ」 「そんなすごいものをいいのか?」 「だから、あなたのためじゃないから!」 ミュウは顔を赤くする。 まったく、わかりやすい子だ。 「それはそうと、さっき言ってた敵の情報を調べてくるって?」 「それは後で話すから待ってなさい」 よくわからなかったが、ミュウが自信たっぷりに言うので任せることにした。 「私はなにか手伝えることありますか?」 「姉さまには姉さまにしか出来ないことがあるから、後で説明する」 「ミュウがいると頼もしいな、ありがとう」 「だから! 本当に! あんたのためなんかじゃないんだからね!!」 そう言って、ミュウは顔を赤くして家から逃げて行ってしまった。 いや、逃げるほどのことか? そう思うも、ソフィアと顔を見合わせる。 「シオリ、頑張ってくださいね!」 「うん。絶対買ってみせるよ」 そうして、一週間の特訓が始まった。 ◆◆◆◆◆ 特訓を始めて二日、リストバンドと毎日の素振りで腕がパンパンだ。 両手にはまめが出来、ちょっと動かすだけでも痛い。 学校ではスカーレットがちょっかいをかけて来たが、腕を動かせないのでいつも以上に好き勝手されてしまった。 精魂尽き果て席で休んでいると、伊達がやってきた。 「あれ、お前眼鏡なんてかけてたか?」 「あぁ、とある事情で一時的にな」 「なんだそりゃ。まぁいいや、おい聞いたか?」 「なにを?」 「野球部に道場破りが現れたって話」 またなんか面倒な話が出てきたな……次は一体なんだ。 「道場破り? どういうことだ?」 「角を生やした小さな女の子が来て、部長にタイマンで勝負を申し込んできたらしい。しかも黒と白のバットを両手に持っていたとかなんとか」 ダラダラと冷や汗が出る。小さな女の子、角、黒と白……。思い当たり過ぎる。 調べてくるってまさか……。 「へ、へぇ。変わった子もいるもんだな…」  「だよな、しかも、ホントかわからないんだが、片手でホームランにしちまったらしいぜ」 「……」 言葉が出ない。 「どうした?」 「いや、なんでもないよ……」 「なんだか、ファンタジーみたいだよなー、今その話で校内持ちきりだよ。僕も見てみたかったなー」 「は、ははは……」 不思議なこともあるもんだ、とうなずく伊達。 僕は乾いた笑いで返すしかできなかった。 ◆◆◆◆◆ 「ズバリ、ストレートね」 カフェオレを飲みながら、僕の方に向き直るミュウ。 今日は喫茶店の仕事をしているのでウエイトレス姿だ。仕事中なのにカフェオレを飲んでいるのはいいのか。学校の帰りに寄りなさいとミュウに言われ、寄った第一声がそれだった。 「昨日、野球部のところに行った?」 「ええ」 「部長と対決した?」 「ええ」 「バット二本で?」 「ええ」 「ホームランにした?」 「ええ。使ったのは黒薔薇だけだったけれど」 ホントだったー!  頭を抱えうずくまる僕。まさか敵陣に単騎で乗り込んで行くとは思わなかった。 自信たっぷりに言っていたからなにかと思えば自ら確かめに行くとは。 そんな、将軍右腕が自ら先陣切って特攻するような真似して。 「危ない目にあったらどうするつもりだったんだよ」 「な、なによ。心配してるわけ?」 「そりゃ当たり前だろ。ミュウに何かあったら……」 「ふ、ふん! 奴隷ごときが厚かましい。大体ね、人間が私に傷一つ負わせられるはずがないの!」 そういって、ミュウはカフェオレを一気に呑み込む。 「あっつ!」 おかげでアツアツのカフェオレ被害に遭い、僕は思わず水を差しだした。 横から、店長が新しい水とカフェオレを持ってくる。 「と、とにかくね。 右投げのピッチャーにしてはそこそこだったんじゃないかしら?  それも、人間だったらという程度だけれど」 さらりと答えるミュウ。 そこまでの腕前だったとは。 「シオリ、狙うのはストレート、それ一本よ」 ミュウはノートを広げると、四角を九つに区切ったストライクゾーンを書いて説明してくれる。 「部長が使う球種はストレート、カーブ、スライダーの三つ。そのうちカーブとスライダーは右バッターから見ると離れるように曲がっていくわ」 「お、おう」 「また右投げに対して右打ちだと玉のリリースが見にくいから内角を攻められると太刀打ちできないでしょう。ストレートは見たところ一三〇kmくらいだったし、それを狙うのが妥当な線ね」 「……想像以上にまともな解説だな……」 「当たり前でしょ」 「サキュバスが学校まで調べに行くって言ったら、普通ならもっとこう、色々、他にもありそうなもんだが」 そう言ってから、ミュウがハッとした顔をした。 「そうか。寝床に忍び込めばよかったんだわ」 「いや、まあ、そういう素直にストレートなところが、ミュウだよな。可愛いと思うよ」 ミュウはまたカフェオレを一気飲みして場をごまかそうとしたので、店長が気づいてそっとマグカップを取り上げる。無事、水のほうを呑み込んだので、ミュウの口内には被害はなかったようだ。 「と、とにかくね! あなた、勝ちたいんでしょ?」 「う、うん」 「じゃあちゃんと聞きなさい。いい?  部長はとても見栄っ張り。 まわりを気にするから、決め球はストレートのはず。 そこを逃さず打ちなさい」 「一三〇kmってなかなかの速度だがな」 「ええ。そうよ。期限はあと五日しかないわ。打ち分けを覚えている余裕はない。だとしたら、そのスピードに慣れる、それが一番よ。どれだけ速くたって慣れてしまえば出来ないことはないわ」 「なるほど」 説得力に満ちたミュウの言葉。 「そういえば、野球のルールなんて知ってたのか?」 「知らないに決まってるでしょ。あのあと、勉強したのよ」 「ミュウちゃん、徹夜で頑張ってたんだよねえ。やっぱり初恋の……いや、なんでもない。君のためならなんでもしちゃう子なんだよね、ミュウちゃんは」 店長がそう言って、慌ててミュウが口をふさぐ。 「そういうんじゃないから! もういい! あなた、さっさと家に帰りなさい! 姉さまには話しておいたから!」 「ん? 何を話しておいたんだ?」 「帰ればわかるわ!」 常連客の皆様は、俺の顔を見ながら、 (ミュウちゃん、毎日野球の本ばっかり読んでたしなあ) (俺にも声をかけてくれたんだぜ! 昔野球やっててよかったなあ) (カウンターでうとうとしているミュウちゃんの写真もばっちり撮れてるよ!) (ありがとう初恋の男! むかつくけど仕方ない。ミュウちゃんのために勝てよ!) などと言っている。 一体どういうことだと思いつつ、見送られて喫茶店を後にした。 とにかく、あの店のアットホームな雰囲気は良いと思う。あれならミュウも安心だ。 家にたどり着き、玄関を開ける。 「あ、シオリ。お帰りなさい」 「ただいま……ってソフィア、その恰好は?」 僕の目の前に立っているソフィア。 彼女は、ソフトボールのユニフォームを着ていたのだった。 「さぁ、シオリ。特訓ですよ!」 その笑顔は、いつものソフィアのもののはずだった。 けれど僕の脳裏には、その頭に二つ、いや三つ、いや、百の角が見えた。 鬼上司、そういって憚らないほどの圧があったのだ。 ** どこのチームかはわからないがソフトボールのユニフォームを身にまとっているソフィア。ショートパンツとニーハイソックスの太ももにどうしても目がいってしまう。 「どうですか? 似合ってます?」 「あ、ああ、よく似合ってるけど……」 「そうですか。良かった!」 照れながらくるりと回るソフィア。 普段着ている以外の服をなかなか見たことがなかったので、新鮮だし可愛いと思う。 だが、ソフィアが僕を特訓する……。嫌な予感しかいない。 人間界にいるとはいえ、ミュウやスカーレットと同じサキュバスだ。 一癖も、二癖もある気がする。 「では、早速特訓の方に移りましょう」 そう言って、ソフィアは階段を上がっていく。 有無を言わさぬ口調だった。 「上に行くの?」 「ええ、練習場所に行きます。着いてきてください」 「ええ?」 ソフィアの言っていることはよくわからないが取りあえず着いていくことにする。 階段を上り、今はソフィアが使っている部屋の前に立つ。 「では、今から練習場所へと移動します。 すみませんがシオリ、目をつむってもらえますか?」 「どうして?」 「目をつむればわかります」 「ううん……?」 これ以上聞いても話が進まなさそうなので、素直に目をつむる。 「では、行きますね。そのまま閉じていてください。絶対ですよ?」 「わかった」 ソフィアの柔らかな匂いと、なにか柔らかいものが近くに近付いてきたのを境に周りの感覚が一変したように感じた。 「はい、もう目を開けて大丈夫です」 恐る恐る目を開けて見ると、そこは奥まで広がる綺麗なグラウンドだった。 「え!? ここどこ!?」 「ちょっとした練習場所です。野球のイメージってこんな感じで合ってます?」 「うん、むしろこっちの方が広いくらいだよ。ここで練習するの?」 「ええ、そうです。自由に使って大丈夫でから」 そう言うと、ソフィアは僕にバットを渡すとマウンドの方に駆けていく。 家にこんな場所があったのか?  いや、そんなはずはない。あっという間にこの場所に連れてこられてきたというのか。 やはり、ソフィアは人間ではないのだ。そう改めて、実感する。 マウンドには、沢山ボールが入った大きなカゴがあった。この場所といい設備といい、どうやって用意したかは分からないが、取り敢えず練習を優先することにする。 勝たないと、不名誉な噂を流される。 そうしたら、ソフィアだって困るかもしれない。 僕はバッターボックスまで歩いていき、ソフィアと対峙する。 ようやく気がついたが、どうやらソフィア自身が投げるらしい。 ソフィアはカゴからボールをとると、プレートに足をかけて僕の方を見た(ピッチャーは白い長方形のプレートと呼ばれる部分に必ず足をつけた状態で投げるというルールがある)。 「ミュウから話は聞きましたか?」 「うん、聞いたよ」 「ミュウにはシオリにストレートの感覚を慣れさせてほしいとお願いされました。これから、私が野球部の部長さんを真似て、一三〇kmのスピードでボールを投げます。シオリはそれをよく見て打ち返してください」 「真似て、ってそんなことができるわけが……」 一三〇kmのボールをかよわい女の子が投げるなんて。 「試しに投げてみますねー」 ビュゴォォォッ!!  「………」 高校球児も驚きの速球が僕の横を通過していった。 一三〇kmって思っていたより速い!?  今までソフィアが激しく運動をしているところは見たことがなかったけど、 そういえば、香山を助けたときも俊敏な動きしてたか。 オーバースローのモーションからしなやかな腕の振り、野球についてはほぼ素人だが綺麗な投球フォームだと思う。 「シオリ、しっかりボールを見て打ち返してくださいね。どんどんいきますからね」 「わ、わかった! さぁ、こい!」 こうしてソフィアとの特訓が始まった。 始めの頃は一切かすりもしなかったが、回数を重ねていくことで徐々に目が慣れてきた。 あれだけ速いと思っていたボールも、集中することで見えるようになってくる。これがミュウから借りた眼鏡の効果なのだろうか。 次第に、バットがボールに当たりはするようになったが、芯に当たらずなかなか前に飛ばない。 「そ、ソフィア。そろそろ、手が痺れて動かせなくなってきたんだけど」 「そうですか。頑張れませんか?」 「うう、鬼教官がいる……そうだね……ちょっと厳しいかも」 「まだノルマには達していませんが……仕方ありません。終わりにしましょう」 そういって、ソフィアは片付けを始める。 「最初に比べると、だいぶ良くなりましたね」 「おかげで感覚がつかめてきたよ。後は前に飛ばせるようになるだけだ。 それにしても、あれだけ投げ込んで、体は大丈夫? ソフィアだってこんなに運動するのは久しぶりじゃないの?」 「ええ、私のことは心配しないでください。イメ……じゃなかった、こう見えて私頑丈ですから」 「イメ?? まぁ、無理だけはしないでくれよな」 「ありがとう、シオリ。では、戻りましょうか。 行きと同じく目をつむってくださいね」 ソフィアに言われた通りする。 しばらくすると、僕はまた自分の家に戻ってきていた。 「はい、戻りましたよ。お風呂に入ったらご飯にしましょうか」 それから、対決の日までソフィアと二人で特訓の日々が続いた。 一三〇kmのボールを打ち返すべく、真剣にボールに集中する。 そんな日々だから、もちろん学校の授業に身が入るわけもない。 筋肉痛で眠れない日々が続き、授業中に睡眠をとり、放課後はまた特訓だった。 それでも、対決の前日になる頃には、ピッチャーに向かって打球を打ち返すことが出来るくらいまで上達した。 「シオリ、やりましたね! これだけ打てれば十分です」 「うーん。でも、今日が最後なのに、あの曲がかかることはないなあ」 「でも、ここまで出来ればなんとか戦えると思いますよ!」 「ソフィアのおかげだね。ありがとう」 「いつもシオリにはお世話になっているので私に出来ることがあれば……」 「その気持ちで十分嬉しいよ」 ボッと顔を赤くするソフィア。 ミュウとは違ったところで顔を赤くするのが、ソフィアだ。 やっぱり、かわいい。 「あとは、明日に備えて体を休めよう」 「シオリ……」 「ソフィア、どうした?」 視線を合わさずもじもじしているソフィア。 最近ではあまり見ない仕草だ。 「シ、シオリの役に立てればと思って、ですね、あの……」 「うん」 「あの……えぇと、やっぱり恥ずかしいので! …また、今度で」 「う、うん。無理しなくてホント大丈夫だからね?」 「すみません……心の準備が……」 恥ずかしそうな、悲しそうな表情をするソフィア。 本人が言いたくないことを聞く主義でもないので、晩御飯の話にシフトする。 そうして、僕らはどこにあるのかわからない謎グラウンドを後にした。 ◆◆◆◆◆ いよいよ対決の日、場所は学校のグラウンドで行われることになった。 僕の方はミュウ、喫茶店の店長と常連のおじさんたち、香山、ソフィアにフーマルという面々。ミュウはユニフォームの上に赤いジャケットを羽織り、サングラスをかけている。 さながら監督といった風体だ。 「ミュウ。なんだ、その恰好……」 「形から入るのも大事なのよ」 「ま、まぁ好きにしてくれ……」 誰がミュウにこの衣装を吹き込んだのか。 きっと喫茶店の常連客だろう。 (ミュウちゃんが、初めて僕の話を聞いてくれた! ありがとう初恋の男!) そんな声も聞こえてくる。これ以上は、やぶ蛇になりそうだからスルーする。 香山も、店長から話を聞いたらしく、お弁当を持って駆けつけてくれていた。 友達から借りたという青いチアガールの衣装にポニーテール、となかなか健康的かつセクシーな格好だ。スカートも際どく、ジャンプしたら見えちゃうんじゃないかとハラハラしてしまう。 「今日はこれで天寿くんを応援するね!」 「あぁ、ありがとう。香山」 両手にポンポンを持って可愛らしく振る香山。 衣装で隠されていない二の腕とお尻周りからの太ももは、なかなかなフェティズムをそそるのではないか、と同行していた変態ポメラニアンが解説していた(反応はしないことにした)。 そしてソフィアはと言うと、ソフトボールの衣装を着てくるのかと思いきや、 いつもと変わらない格好だった。 あの格好、わりと良いなと思っていたので少し残念。 まぁ、仕方ないか。 「シオリ、練習を思い出して思い切りいきましょう。あなたなら出来ます」 「うん、絶対勝ってくるよ」 ソフィアの顔を見てニッと笑う。 特訓のおかげで、よりお互い自然に顔を合わせられるようになってきたと思う。 ミュウに感謝だ、いや、部長にか? いやいや、スカーレットに? ちょっとスカーレットに感謝するのは腹が立つので、やめておくことにする。 しばらくすると、野球部部長の面々が到着した。 試合用のユニフォームを身にまとい、準備万端の様子だ。 後ろには休みに無理矢理駆り出されたであろう可哀相な後輩たちが、 同じくユニフォームを着てビシッと立っていた。 そして、肝心のスカーレットはというと、ベースは野球のユニフォームではあるものの、ショートパンツにおなかのくびれがしっかり見えるかなりセクシーな衣装を着て現れた。帽子もキャップではなく、バイザーになっている。 スカーレットは、タイミングは違えどもスカーレットのことをずっとチラ見している。それはこんな近くに誘惑の塊があれば、毒にしかならないだろうと思う。 ちなみに僕はと言えば、中身がスカーレットなことと、毎日スカーレットから受けるちょっかいで、このくらいだとびくともしなくなった。 「やぁ天寿くん、逃げないでよく来たね」 挑発がてら挨拶してくる部長。 「逃げる必要ないですからね、僕との勝負を後悔させてあげますよ」 互いに笑みを浮かべながらにらみ合う。 大きな口をたたいたはいいものの、本当に大丈夫だろうかと唐突に不安になる。 「良い度胸じゃないか。それじゃあ早速始めるとしようか。その前に、約束は覚えているね?」 「ああ、あなたが勝ったら、僕は人間のクズであると認める。だが、僕が勝ったら僕をクズ呼ばわりしたことを謝罪してもらう。スカーレットのことは好きにしてくれ」 「ちょっと! ひどーいっ。せっかく、オシャレしてきたのにー」 スカーレットを相手しているとラチがあかないので、スルーして話を進める。 「私が勝ったらスカーレットさんとつき合える、それはいい。だが、君が負けた場合の罰は今のままだと、いささか面白みに欠けるな」 「いや、十分だと思いますけど」 「いやいや、そんなことはない」 部長は意地悪く笑みを浮かべる。 「今のままでは、君も必死になれないだろう。 聞けば君は、スカーレットではなく、そこの彼女のことを気にしているそうじゃないか。 私が勝ったら彼女にはこれを着て校内一周をしてもらおう」 部長はそう言って、僕の後ろにいたソフィアのことを指差した。部長の手には布面積の極めて少ない黒ビキニ、黒ネコ耳としっぽのセットが入った袋が掲げられている。 「はあ!? 姉さまに!? あいつ黙らせてくるわ…」 「ミュウちゃん! ストップストップ!」 「離しなさいよ!」 「離したら警察沙汰になりそうなんだけど!?」 殴り込みにいこうとするミュウを抑える香山。 「ふざけるな! どう考えたって不公平じゃないか!」 僕も、ソフィアをそんな風に見ていた部長に純粋に腹が立った。 頭に血が上りそうになっていたところを、ソフィアが近くに来て制止する。 「わかりました、シオリが負けたらその罰を実行しましょう」 ソフィアの言葉に、野球部員たちから歓声が上がる。 スカーレットは、「めんどくさいことを……」という顔をしていた。 ソフィアに着替えさせるようにしたら、僕が勝てるように張り切ると理解しているのだ。 「ただ、シオリが勝ったらシオリの言うことを聞いてもらいます。いいですね?」 凛とした目で部長を見つめるソフィア。 「面白い、いいだろう」 見下したようにソフィアを見つめる部長。 こんなに美女の子なのに、部長はどうしてソフィアの虜にはならないんだろう。 ソフィアは振り返ると、僕の近くまで来て僕の手を握った。 「シオリ、あなたのことを信じます」 ソフィアのまっすぐな瞳。 「ソフィア……」 「だから、頑張ってください」 「うん……わかった」 「部長は、既にスカーレットの魅了の術にかかっています。 力も強くなっていますが、術にかかり続ければ死んでしまうこともあります」 「えっ」 「解除するには、シオリが勝負に勝つしかありません」 「なるほど……それなら、頑張らないとな」 たしかに、部長の目は、赤紫に変色していた。 部長のため、僕の名誉のため、そしてソフィアのため……。 僕はこの勝負に勝たなければいけない。なにがあっても。 ◆◆◆◆◆ 戦いの火ぶたが切って落とされた。 それぞれ一塁ベンチと三塁ベンチに別れ、対決の最後の準備を整える。 僕は付けていたリストバンドを外し、眼鏡をかける。 金属バットを手に取り、スイングを確かめる。 月並みな感想だが、腕に重りがない分バットが軽く感じる。これならいけそうだ。 「いい? 短い期間とはいえ、あなたはしっかり練習してきた。 あとは、あの変態野郎に一発かましてやりなさい」 ミュウ監督からのありがたいお言葉。 「ありがとう、ミュウ。ミュウが部長の情報を調べてくれなければ、しっかりとした対策は練れなかったよ」 「ふんっ。感謝は勝ってからにしなさい」 「あぁ」 「天寿くん、ファイトだよ!」 ポンポンを上に掲げ、フレーフレーと動かす香山。 「香山、ありがとう」 僕を心配させまいと気丈に振る舞うソフィア。 「シオリ、練習の成果を、あなたを信じて」 「うん、大丈夫、絶対勝ってくるから」 サムズアップをし、笑顔で返す。 皆の声援を一心に受け、バッターボックスへと向かう。 「覚悟はいいか? 三ストライクをとれば私の勝ち。 どんな当たりでもいい、フェアグラウンドに打ち返せば君の勝ちだ」 「わかった。さぁ、始めよう」 バットを構え、部長と対峙する。 こうやって実際に向かい合うとソフィアよりかは上背がある分、より迫力があるように見える。 大きく振りかぶった部長から放たれる一球目。 ズドン!!  ド真ん中にストレートがくる。だが、それは僕が練習してイメージしてきたものより速いスピードの球だった。 「ストライーク! 」 後輩が勤める審判からのストライク宣言。 「そんな、一三〇kmはあいつが出せる最高速度で算出したスピードよ? 今のはどう見ても一四〇kmは出てる……あの筋力と技術で出せるスピードではないわ…」 計算外のことに驚きを隠せないミュウ。なにも一三〇kmは当てずっぽうに出した数字ではない。部長の投球フォーム、身長、体重、技術量、練習風景、そして実際に対峙してみて出した数字なのだ。それ以上の数字を出すことは今の部長には不可能なはず。ただ『一点の外的要因』を除いては……。 「あ、そうか。姉さま、あの男って」 「ええ、スカーレットの魅了に支配されてるわ」 「じゃあ、“肉体強化”も」 「ええ。シオリにはさっき伝えたのだけれど、やっぱりそうみたいね」 スカーレットのサキュバスとしての能力は自分に従わせるだけではなく、かかった対象の身体能力を無理矢理上げる力も持っている。 今回、ミュウはそのことを考慮していなかった。スカーレットがそこまで出来ると思っていなかったからだ。 「よっぽど姉さまに恥をかかせたいようね……」 ギリ、と歯を軋ませるミュウ。 「ごめんなさい姉さま、考えが足りなかったわ」 「大丈夫よ、ミュウ。ミュウが頑張ってくれたことは知ってるわ」 「姉さま……」 「それにね、シオリはそんなにヤワじゃない」 ソフィアは表情を変えず、じっとただ一点を見つめ続ける。 「絶対大丈夫よ」 そんな会話のなか、一人たじろいでいる、僕。 「ははは! どうした! バットを動かすことすら出来ないか?」 僕が微動だに出来なかったことに高笑いする部長。 冷汗が流れた。 たしかにさっきのは僕が予想していた球よりだいぶ速かった。 「……切り替えよう」 そう一人でつぶやく。 部長は強い。対応できない訳じゃない。 初めからその速さがくるとわかっていれば、あとは体が覚えている。 「さ、次いきましょう、次」 「いいだろう、これを打てるものなら打ってみろ!」 第二球、またもや速球がキャッチャーのミット目掛けて飛んでいく。 ガキィン!  鈍い音が響く。 ボールをなんとかバットに当てたものの、勢いに負けてボールは後ろに飛んでしまう。 「ファール!」 いててて……ここまでの衝撃とは。ボールには対応できる。 後はなんとか前に出さなくては。 「ふっ、かすったくらいで勝てると思うな。もう二ストライク、あと一球で終わりだ。そしたらそこの彼女にはその恥ずかしい衣装で校内一周だ。好きな女も守れない惨めな思いをするがいい」 怒りがわいた。 三塁ベンチからは、ビキニ、ビキニと下世話なコールが発せられる。 野球部員たちは、スカーレットでも、ソフィアでも誰でもいいらしい。 えっちな恰好が見れれば、誰でも。 それは、スカーレットにも、ソフィアにも失礼じゃないか。 怒る気持ちを抑え、精神を集中させる。 ボールには対応できる。難しいことじゃない。 心を落ち着かせてバットを構える。 投げられた三球目。 そこで球の軌道、スピードが違うことに気付く。カーブだ。 タイミングを完全にずらされながらも、間一髪バットにかすらせてカットすることに成功する。 一塁ベンチからはフーッという溜め息が漏れる。 「今のはダメかと思ったよ」 「なんとか当てたみたいね。ホント、いやらしい奴」 危ない。終わるところだった。 このまま球種を色々使われるのはこっちに不利だ。絞らないと。 「あれ、カーブで終わらせようって、ことですか。 ストレート打たれそうだからってビビっちゃったんですか?」 部長を挑発する。 「余程私を怒らせたいようだな。いいだろう、挑発に乗ってやろうじゃないか。 さぁ、最後の一球だ」 豪快に投げられる四球目、宣言通りのストレート。 ……いける!  練習通りにスイングを始める。 ソフィアと何度もやった訓練。 学業返上で先生い怒られながらがんばった成果。 ミュウの叱咤激励と、単身学校に乗り込んだ勇気。 香山の真剣な、悲壮なほどの「ガンバレー!」の声。 フーマルの……いや、フーマルはどうでもいいか。寝てるし。 そのすべてをバッドにこめて、打ち返す。 カキィン!  思わず立ち上がるベンチ陣。 しかし、打球は惜しくもライン外。 「ファール!」 あーっ、と残念な溜め息が漏れる一塁側。 惜しかった、あと少し。あと少し内側だったら……。 そのあと、五、六、七球目とすべて打ち返すが、そのどれもがライン外。 七球目にいたっては、球二つ分といったところまで迫っていた。 徐々にタイミングを合わせられていることを感じ、焦りを抑えられていない部長。 「天寿くーん! あと少しー、ファイトー!」 「シオリー! いい調子ですー!」 「とっとと打ち返してあげなさい!」 皆の声援がありがたい。タイミングはもう掴んだ。次でいける。 「さぁ、これで終わりにしましょう。部長。」 「なめた口を……!」 その時、部長がモーションに入る前に、ニヤッと口元が笑った。 ……なにかが、来る。 また、冷汗が流れた。 八球目。 部長から放たれたボールは勢いそのままに、 キャッチャーのミットではなく、僕の頭を目掛けて向かってきた。 咄嗟のことで避けることなどできずに直撃を食らう。 弾け飛んだヘルメットと眼鏡が後方に舞った。 「シオリ!?」 ** 僕の頭にボールが当たり、慌てて駆け寄るソフィア。 ミュウも腕組みを解いてベンチから立ち上がる。 「いやー、悪い悪い。力みすぎたせいか、つい手が滑ってしまって。 どうする? これ以上は続行できないだろう。後日、また改めようか」 部長の白々しい言葉。今のは明らかに僕の頭を狙った行為だ。 コントロールが悪い人じゃない、さっきの戦いの中だけでもわかる。 三塁ベンチでは、スカーレットがあちゃーという顔をしていた。 「……あいつっ! ? 自分が何をしたかわかってないの!?」 香山は語気を荒げながら抗議する。 「香山、黙って見てなさい」 「ミュウちゃん!? だって、あれ明らかにわざとだったでしょ!」 「わかってるわ。だから黙ってなさいと言ってるの」 ミュウがぎゅっと袖を掴んでいるのを見て、香山は黙ってベンチに座り直す。 ミュウが我慢している。つまり、香山の出る幕ではないと思ったのだ。 「ソフィア、大丈夫だ」 心配して駆け寄ってきたソフィアの手を握り、僕は優しく見つめる。 泣きそうな顔のソフィア。 こんなに心配してくれる人が近くにいることを、僕は嬉しく思う。 「僕なら大丈夫だから。見ていてくれ」 僕は起きあがると、ふらふらする頭を支える。 弾け飛んだヘルメットと眼鏡をとりバッターボックスサークルに入る。 眼鏡は吹き飛んだ衝撃で使い物にならなくなっていた。 ――すまないミュウ、壊してしまった。 眼鏡をポケットにしまい、ヘルメットの位置を直す。 あの一球でわかった。 目の前にいるのは部長そのものじゃない。 魅了でおかしくなった欲望の塊そのものだ。 だったら僕は、その塊ごと打ち破ってみせる!  その時、あの曲が頭の中になり始める。逆転ホームランの曲だ。 心は完全に明鏡止水、集中力は完全に研ぎ澄まされていた。 静かに、けれど確かに胸が熱くなる曲だ。 「何? この曲」 あたりをキョロキョロと見回す香山。 他のギャラリーも同じようにあたりを見回している。 「勝ったわね」 どこぞの機関の指令ばりに、貫禄を見せるミュウ。 「あなたにも聴こえているのでしょう?  あの眼鏡は、かけることに意味があるんじゃないの。 集中を体得することに意味があるのよ」 ミュウの視線の先、僕はバットを部長の方に向け、高らかと宣言をする。 「怖かったんでしょう、部長。僕に打ち返されるのが」 「なんだと?」 「わかりますよ、その焦り。でもね、スポーツマンだったらやっちゃいけないことがあるんですよ! さぁこい、そんな姑息な手では僕に勝てないことを証明してやりますよ!」 「せっかくやめる機会を与えてやったというのに、君という奴は……私を甘く見たことを後悔するがいい! これで終わりだぁぁ!!」 怒りに震えた部長の大きなモーションから、最後の一球が放たれる。 ドンピシャだ。 部長の選択した球種はストレート、サキュバスの能力で多少スピードが上がっていようが関係ない。今の僕には球の軌道が手に取るようにはっきりとわかる。 僕はソフィアと積み上げた練習で染み付いたスイングをそのままボールへのインパクトに繋げていく。 カキィン! !  金属バットが芯を食い、ボールは部長が咄嗟に出したグローブを弾き飛ばした。 地面にペタンと座り込む部長。 「私が、打たれただと……」 「天寿くん! やったぁ!」 「ふん。やるじゃない」 ベンチで飛び跳ねる香山と満足気に笑うミュウ。 「シオリー!」 「ははっ、ソフィアやったよ」 飛び込んできたソフィアを抱き締め、一緒に喜びを分かち合う。 照れながらも互いの顔を見つめる。 「心配したんですからね…」 「ごめん、勝てた。勝てたよ、ソフィアのおかげで」 「私は勝負よりシオリの体が心配です…」 「うん、ごめん…」 「ぶつけたところは大丈夫ですか?」 「ちょっとクラクラするけど大丈夫だよ」 「……早く、帰らないとですね」 「うん」 「さて、いつまでそうやってるのかしら」 いつの間にか近くまで来ていたミュウと香山。 コホン、と咳払いをするミュウ。 慌てて、抱きしめていた手を離す僕。 あはは、と笑いながらごまかす。 「ま、良くやったんじゃない?」 「ミュウのおかげで助かった」 「当然よ。今度またあれ御馳走しなさい。たこ焼き」 「あぁ、スペシャルなやつでな」 互いに笑い合う。ミュウとも少しずつ打ち解けてきたな。 「ちぇっ、勝っちゃうなんてつまんないのー」 その時、スカーレットが地面の土を蹴りながら、こっちに近付いてきた。 「あなたね、よくもノコノコと…」 詰め寄るミュウを無視して僕に近付いてくるスカーレット。 食ってかかろうとするミュウを香山が慌てて制止する。 「まさか、シオリが勝っちゃうなんてね……。 君って実に面白いね、もっと興味沸いてきちゃった」 そう言って僕の近くに来て怪我した頭にキスをする。 とつぜんのことに対応できずうろたえる僕。 「面白くなればなーって能力使ったけど、怪我させちゃったのだけ想定外だった。 ごめんね。じゃ、またねー」 スカーレットは罰が悪そうに笑うと、そのまま帰って行ってしまった。 「……ちょっと、何キスされちゃってるのよ」 機嫌の悪そうなミュウ。 「えっ、あれは避けられないよ!?」 「どうだか……あなたのそういう無防備なところは良くないと思う」 「そんなあ……」 「まぁまぁ、今日のところは天受くんも怪我してることだし。ね?」 ミュウの扱いが上手くなってきている香山。 「帰ろうか……」 「はい」 そう言ったきり、今日一日の疲れが一気に押し寄せた僕はそのまま深い眠りへと入っていった。 ◆◆◆◆◆ 頭に、大きなマシュマロが二つ乗っている。 それはもう、ぽよんぽよんのたゆんたゆんで柔らかさの最上級のようなものだ。 そのマシュマロが今僕に向かってゆっくりと……。 ――うぅ、一体僕はなんの夢を見ていたんだ…。 意識が戻り、目を開ける。 しかし、目の前は真っ暗。 なのに目の前がやけに柔らかいもので覆われている気がする。 後頭部も柔らかいなにかで、しっかりサポートされている。 それにとてもいい匂いがするのだ。 優しくて、包まれるだけで幸せになるそんな包容力のある匂い。 ソフィアみたいな匂いだ。 「あ、シオリ! 目が覚めました?」 「うん。ソフィア、近くにいるのか?」 「はい、そうです」 「目を開けても目の前が真っ暗なんだけど」 「それは……少し我慢してください」 「…………どのくらい?」 「シオリの頭の痛みが治まるまでです。どうですか? 痛みが和らいでませんか?」 「そう言われると、頭の痛みが徐々に引いてきている気がするけど」 よかった、とソフィアの声が漏れた。 「今、私の天使の能力でシオリの怪我を治癒しています。 なので、それが収まるまではじっとしていてください」 「天使の力…」 ソフィアはサキュバスと天使のハーフだ。 でも、いままで、天使の能力のほうは聞いたことがなかったな。 というか、天使って能力あるんだ。チャミュも、天使の力を行使しているところを僕の前で見せたことはない。 それにしても、顔全体を覆っている大きな柔らかいもの。 これはなんなんだろう?  気になって左手で触ってみる。 ぷにっとした柔らかい触感と、ちょっと固めの出っ張り。 なんだこの固いのは。 「ひゃぅんっ」 「え?」 今までに聞いたことのない高めのちょっと艶っぽい声。 「ど、どうしたの、ソフィア」 「シオリ…手を動かしてはダメです」 「え、どうして?」 「それは……。とにかく! 次動かしたら治療を止めますから!」 「あ、ああ、ごめん……」 なんだかよくわからないが、ソフィアの機嫌を損ねてしまったらしい。 「いえ……説明しなかった私も悪いので…。怪我の具合はどうですか?」 「本当に痛みが消えていくみたいだ。それにとても安心する、気持ちいいよ」 「そうですか、それは良かったです」 ソフィアの安心したような声が聞こえてくる。 だが、ソフィアの声がまた凛として、くぎを刺してくる。 「シオリ、一つ断っておきますがこの治療を受けたのはあなたが初めてですから」 「え、そうなの?」 「はい」 「そんな貴重な能力、僕に使って良かったのか?」 「シオリ以外には使おうとは思えません。 シオリにだって、今回の怪我がなければ使うのをとても、とてもためらったのです……」 「そうなんだ。なんか申し訳ないな」 「いえ、あなたの怪我に比べたら、私のこのことなんて。 でも、とても恥ずかしい……じゃなくて、大きな覚悟の元、この治癒能力を使っていると思ってくださいね」 「う、うん、わかった」 よくわからないが、大層ありがたい治療を受けているんだな。 それを直接見ることが出来ないのがなんとも惜しい。 まぁ、贅沢は言うまい。ソフィアを衆目の目から守れてよかった。 「今日はお疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね」 「うん……。ソフィアもね。特訓頑張ってたから」 僕はそのまま、心地良さに誘われ再び眠りについてしまった。 「こんなところ、絶対誰にも見せられませんね……」 ソフィアは苦笑しながらも、ぐっすり眠るシオリを優しく撫でるのだった。 もちろん、シオリが触ったのは、ソフィアの豊かな胸だった。 そんなことが分かったら、シオリは顔を真っ赤にするだろうから、ソフィアは胸に秘めておくことにするのだった。 ◆◆◆◆◆ 翌日、ソフィアの治癒能力のおかげで、頭の痛みはまったくなくなった。 ソフィアからは治癒能力のことは絶対秘密と言われたので、痛みに効く薬をもらったということにしておいた。 結局、野球部部長は、スカーレットの魅了の能力にかかった哀れな被害者の一人ということがわかり、不問に処すこととなった。 香山の記憶を消したのと同様、ソフィアに記憶を消してもらったので今回の対決のことは覚えていない。 ただ、やはりというか『何かしらの迷惑をかけた』ということは消せていないらしく、新たに『何か困ったら助けてくれる人リスト』の中に加わることとなったのであった。 魅了にかかった部長が持っていた黒ビキニネコ耳セットは、うちの変態ポメラニアンが大層気に入っていて、ソフィアに着させられないものかとあれこれ考えていたらしい。 スカーレットの行動も相変わらずよくわからないのだが、今回の件で、少しこりてくれたらなと思う。 「すこしは平和になるかなあ」 僕はそうつぶやくと、学校屋上の床に寝転んだのだった。 ** ソフィアと仲直りをして数日経ったころ、珍しくソフィアはチャミュと出かけると言って朝から忙しそうだった。 チャミュは、我が家のリビングでお茶を飲みながら、ソフィアを待っている。 「いまだに、二人が友達って不思議な気がするんだけど」 「天界でもよく言われたが、いったい何が不思議なのだ? この万能天使が、可愛いサキュバスを愛して何が悪い」 「それって、友達っていうの? チャミュの一方的な愛じゃなくて?」 そこに、ソフィアが帰ってくる。 「わ、私もチャミュが好きですよ! ずっと守ってくれましたし、とても頼りになりますし、なんでも話せますし」 「ほらな。シオリ。ソフィアが気を許しているのは君だけではないということだ」 そういって、ドヤ顔をした天使は、ソフィアを連れて出かけて行った。 言いたいことは色々あるが、やめておこう。 僕としても、ソフィアの純情は、そのままにしてあげたい。 家には僕とフーマルだけ。 僕はソファに座りながら、なんとなくテレビを見ていた。 フーマルが僕の近くまで来て、僕の顔をペチペチと叩いてくる。 「いたっ、なんだよ」 「お前があまりにも不甲斐ないから、俺様がアドバイスしてやる」 「いきなりなんだよ」 「まぁいい、聞け」 「ぐふっ」 フーマルは僕に体当たりをすると、真正面に座した。 こいつ、絶対、わざとやってるだろ。 傷つけながらじゃないと話しちゃいけないという戒律はないんだがな? 「前にお嬢を怒らせたことあっただろ。 あの時、お嬢はお前と買い物に行きたいって言ってたんだぞ」 「ちゃんと聞いてたのか。だったら、その時教えてくれても良かったじゃないか」 「なんで俺様がお前のミスをフォローせにゃならんのだ」 「ぐ、そうなんだけどさ…」 「いいか、お嬢の機嫌が悪いと警戒心が強くなる」 「警戒心ってなんのことだよ……」 「あ、あぁこっちの話だ気にするな」 あからさまな話題そらし。こいつ、絶対よからぬことを考えてやがる。 「とにかくだ、お嬢のために一日を使う。そんな日があっても悪くないだろう?」 「ま、まぁそうだけどさ…」 「今日お嬢が帰ってきたら誘うんだぞ、わかったか」 「わかったよ」 まぁ、この前ソフィアをがっかりさせたことのお詫びはしたいと思っていた。 丁度よいのかもしれない。 「そういえば、お前秘蔵コレクション全然見せてくれないじゃないか」 「だれが無料《タダ》で見せると言った。それは会員制だ。月額三九八〇円から」 「高いな! しかも、から、ってことは上があるのかよ!」 「そうだ、俺様が厳選に厳選を重ねたお嬢他美女たちのセクシーショットだぞ。他では見れないアングルが満載だ」 「それって盗撮だよな……」 「ちゃんと敬意の念は払っておる!」 「許可とってない時点で盗撮なんだって!」 「とか言って、お前も見たいんだろう?」 ニヤリと笑いながらこっちを見るフーマル。 本当ゲスな顔になると元の可愛さとのギャップが際立つな。 そして、すぐに断れない自分の弱さにも腹が立つ。 「くくく。さすが、健康な高校男子。迷っておるな」 「うう……い、いや見たくない! 本人たちの許可がないなら……」 「そうか? お嬢の着替えシーンなんかたまらんぞ。 お嬢のダイナミックなボディは画面には収めきれないほどだ」 「うう……」 「ミュウの細い足、スカーレットとわがままボディ、どれもこれも一級品で」 「だー! そんなもの撮るんじゃない! 犬だと思ってなんでも許されると思うなよ!?」 「ふん。むしろ撮らないと失礼にあたるというものだ」 出た、犯罪者のトンデモ理論。 「お嬢の写真は秘蔵コレクションにたくさんあるぞ、どうだ今なら入会手数料無料だ」 そう言って会員カードらしきものを二枚取り出す。 変態ポメラニアンとこの上ない低レベルな次元の言い争いをして昼間を過ごす。 こんな無駄な一日があっていいんだろうかと思うくらい、無駄だった。 いつもはソフィアと穏やかに時間を過ごす分、無駄も際立つ。 やがて、おやつの時間になってソフィアとチャミュが帰ってきた。 「シオリ、今帰りました」 「あ、お帰り。ソフィア」 「フーマル、おとなしくしてましたか?」 「ハッ、万事滞りなく」 なにがハッ、だよ……。裏表激しすぎなんだよな。 ソフィアの前でだけカッコつけるとか、どういうことだよ。 そしてソフィア。いつまでフーマルの可愛いフリに騙されるんだ……? 「シオリ、どうかしました?」 「フーマルが……」 「キャンキャン!(写真捨てるぞ!)」 「い、いや、なんでもないよ。ソフィアも帰ってきたし、夕飯の支度をしようか」 「あっ、今日はチャミュと私がつくるので大丈夫です。そのための食材も用意したので」 「ソフィアがつくりたい料理があるらしくてね、それを私も手伝うことにしたよ」 チャミュが後ろからたくさん買ったであろう買い物袋を掲げてみせる。 彼女の姿を見た途端、フーマルはささっと僕の後ろに隠れた。 「そっか、じゃあ今日はお願いしようかな」 「はい、楽しみにしててくださいね。チャミュ、つくりましょう」 「うん。そういうことなのでシオリくんはゆっくりしていてくれ」 ソフィアとチャミュはキッチンの方へ歩いていった。 一体何をつくるんだろう?  最近は気になる料理雑誌があるというから、それを買ってあげたらずっと読んでいた。 楽しみに待っていると、フーマルが耳打ちしてくる。 「シオリ、俺様は飯時になったらいなくなる。お嬢にはそう伝えておいてくれ」 「チャミュがいるといつもいなくなるよな、お前」 「あの天使は苦手なんだ。察しろ」 まあ、なんとなくわかる気がする。おそらく、過去になにかあったのだろう。 ソフィアの手伝いをしようとしたが、楽しみに待っていてくれ、とチャミュに戻されてしまった。 仕方ないのでリビングでテレビの続きでも見ていると、巷で大人気の愛の無限プリンというのが紹介されていた。 カップが二つくっついた形で、八を横にしたような感じだ(というか無限のマークだと言ってて気が付いた)。 なんでも、それをカップルで食べるとずっと幸福が訪れるらしい。 “幸福が訪れる”というのがなんとも曖昧な表現だ。 とはいえ、実際美味しく連日売り切れてしまうらしい。 「シオリ、これを買えばよいのではないか?」 「これって、ソフィアにこのプリンを?」 「あぁ、ばっちりじゃないか」 「すぐ品切れって言ってるけど」 「だからいいんじゃないか。頑張ってお前がゲットする。 それをお嬢に渡す。お嬢は喜ぶ。俺様はそれを撮ってハッピー」 「お前のためにかよ!」 思わず突っ込むと、 「でも、いいんじゃないの?」 と声がした。 「おわっ!」 隣を見ると、ソファに座ってテレビを見ているミュウがいた。 「いつの間に!?」 「扉開いてたわよ。不用心じゃないかしら? 呼んでも誰もこなかったから上がらせてもらった」 足をパタパタさせながら、テレビを見ているミュウ。 「扉が開いてたとしても勝手に入り込むなよ」 「いつでも来いって言ったのは誰かしら」 「まあ、そうだけど」 「ところで、姉さまはどこ?」 「今キッチンで料理をしてるよ」 「そう」 ソファから立ち上がるとキッチンの方へと歩いていく。 「姉さま、来たわよ」 「あ、ミュウ。いらっしゃい」 「ごめん。勝手に入ってきちゃったらしくて」 「いえ、今日は一緒に夕飯を食べましょうって私が呼んだんです」 「なるほど、そういうことだったのね」 「お、ミュウくん久しぶり」 「チャミュ、あなたもいたのね」  「なんだ、その顔は。ほら、姉の友人だぞ? 喜ばんか」 「喜べるわけないでしょ!? 姉さまに何かしたら承知しないから!」 「ミュウ、失礼なこと言わないの!」 「だって、姉さまぁ……」 チャミュとミュウの仲も、相変わらずのようだ。 というより、チャミュと仲いいのって、もしかしてソフィアだけでは? あまりそこは考えないようにしようと思っていると、 キッチンから戻ってきたミュウはまたソファの方に戻ってきた。 座り直すのかと思いきや、僕の膝の上に馬乗りになる。 膝の上にぷにっと可愛らしい感触が乗っかる。 ミュウはそのままゆっくりと僕の首に手を回す。 「ミュウ、これはなんだ」 「私がサキュバスだってこと忘れてるみたいだから思い出させてあげようと思って」 「覚えてる、覚えてるから、どけ!」 片手でスカートをゆっくりたくし上げるミュウ。 「あなたのために下着も新調したんだから。光栄に思いなさい」 「いやいやいや。待てって!」 スカートが上がりきらないよう僕の手で抑える。 「大体、その金はどこで手に入れた!」 「店長がバイト代って言ってくれるの。あとは店の常連客がね、コーヒーを運ぶたびにちょっとずつくれるから貯めたのよ」 「なんで日本なのにチップ制度導入されてるの?」 「ちっぷ? よく分からないけど、店長に渡そうとしたら、「それはミュウへのお小遣いだから、貰っておきなさい」って」 「まあ、可愛がられているようで何よりだよ……」 あの店にかわいい店員がいて、罵ってくれたりゴミを見るような目で見てくれると評判になっているのは、僕も聞いている。 大変人気で、うちの学校の生徒も多数通っているらしい。 どうなってるの、この街。 「ほら、見たくないの?」 「だめだろ、こういうのは」 なんというか見た目的に。 ミュウは正直、中学生、いや、小学生くらいに見えるわけだから。 それに高校生が手を出しているように見えるのは、とてもまずい。 俺の社会的信用……があるのかは分からないが、それが消えてしまう。 「何を言ってるのよ。サキュバスなんだから当たり前じゃない。 雄の精を糧にするのがサキュバスなのだから」 「でも、ソフィアはこんなことしないぞ」 「姉さまは特別なの。サキュバスであってサキュバスではない。 あなたに姉さまの苦悩がわかって?」 「いや、わからないけどさ。というか、それどういう意味だ?」 「まぁ完全なサキュバスと違って天使の面も持ち合わせているってこと」 「それって、ミュウも、別に雄の精がいらないってことじゃないか?」 「あ、」 しまった、という顔をするミュウ。 賢いようで抜けている子だ。らしいといえばらしい。 「そ、そういうことではないの! 私の奴隷のくせに、私にドキドキしないあなたが癪に障るの!」 キッと僕の方をにらむミュウ。 ぐっと体を近づけてくる。 だが、胸はささやかなおかげで、ソフィアやスカーレットや香山のときと違って、特に体に接触する面積はない。 「む、むぅ。難しいわね。とにかくね! あなたを私の虜にしないと気が済まないの。ということで、ほら、触りなさい!」 「そんな無茶苦茶な……」 手をつかまれ、スカートの中へと誘導されていく。 薄々感づいてはいたことだが彼女の方が圧倒的に力が強い。 華奢な体な癖して、僕程度の反抗じゃビクともしない。 ミュウの柔らかい太ももの感触が手のひら全体に伝わる。 「待って! ストップ! ストップ! ドキドキしてる、ドキドキしてるから!」 「ほんと?」 「ほんとだって! もう心臓とまりそう!」 「そう?」 ミュウが僕の胸に耳を寄せる。 一秒、二秒、三秒。 「全然普通じゃない!」 「え、えええ。だってそれは……」 「もう知らないから!」 再び動き出す手。徐々に太ももの付け根への感触へと変わっていく。 「あーっと! そう、ミュウってとっても可愛いなって。 なんていうか、そう愛らしい、みたいな」 「じーっ………」 「………」 「全然ダメみたいね」 「あーっ!!」 ミュウの心にはまったく響いていなかったらしい。手がミュウの太ももと太ももの間に挟まれたところでソフィアがひょいと顔を出して助け船を出してくれた。 「ミュウ、あまりシオリを困らせてはダメですよー」 ミュウの手が放されたところでパッと手を戻す。 「だ、大丈夫よ姉さま、仲良くやってるわ。ねぇ?」 「あ、あぁ」 「シオリも遠慮しないでくださいね。ミュウははっきり言わないとわからないんですから」 「そんなことないわ、ねぇシオリ」 手をつねられる。上目遣いに睨みつけてくるミュウ。 「だ、大丈夫。なにかあったら言うようにするよ」 「そうしてくださいね」 ソフィアはまたキッチンへと戻って行った。 「ふぅ、そういえば前から気になってたんだけど、ミュウはどうしてチャミュのことを嫌うんだ?」 この際なので疑問に思っていることをぶつけてみることにした。 「そんなの決まってるじゃない」 「なに?」 「知りたい?」 「あぁ」 「じゃあ、私をお姫様だっこしなさい」 「ハァ?」 ミュウの突飛な提案に戸惑う僕。 「質問に答えることとお姫様だっこ、どう関係しているんだ?」 「どうでもいいでしょ。とにかく、私を満足させたら、答えてあげる」 「そうか……じゃあ別に聞かなくていいや」 面倒な感じになってきたので、お断り申し上げることにした。 「どうしてよ! いいじゃない、お姫様だっこくらい!」 「いやあ、だってさあ……」 「今までしてもらったことないの! 女の子の夢でしょ!? ほら、してよ!」 そういって、両手を差し伸べるミュウ。 こういうところは、やっぱり可愛らしい。 まぁ、お姫様だっこくらいなら可愛いものか。 腕を上げるミュウの腰に手を回し、座った状態でお姫様だっこをする。 また腕を僕の方に回すミュウ。 お互いがお互いを見つめる形になる。なにやら嬉しそうな顔をしている。 「悪くないわね、いいわ教えてあげる」 「別に知りたいわけでもないんだがな」 お姫様だっこされた形でミュウが話し出す。 傍目から見るとだいぶシュールな光景だ。 「あの天使は私から姉さまを奪った元凶なの」 「ああ、ソフィアを人間界に連れてきたから?」 「ええ。たしかに天界で姉さまが大変苦悩されていたのは知っていたわ。けど、私だって姉さまが必要だったのに。その話を聞いた時は耳を疑ったわ」 「それは誰から聞いたんだ?」 「知り合いの天使よ。天界では姉さまがいなくなって大騒ぎよ。まぁ、大抵は姉さまを利用しようとしてたロクでもない奴らばかりだったから知ったことではないけれど」 「利用? ソフィアを利用しようとするやつがいるのか」 「そうよ……。あっと、喋りすぎたわね」 ミュウが、ハッと気づいた顔をする。 「ソフィアってそんなにたくさんの人から狙われてたのか?」 「当然でしょ……。はい、このお話はもうおしまい」 「サキュバスとのハーフだから? それだけじゃない口ぶりだったけど」 「言ったでしょ、もうおしまいよ」 「少しだけでもいいから」 「じゃあ、ここを舐めて」 そう言ってシャツを少し広げて鎖骨を僕に見せる。 「ここって、鎖骨を?」 「そう、ゾクゾクするから好きなの」 「でも、それは……」 圧倒的犯罪の匂い……。 そのまま青少年保護法で捕まってもおかしくない。 いや、捕まる前に、ソフィアとチャミュに断罪されそうだ。 「甘くて美味しいわよ?」 「美味しいってそんなわけないだろ」 「失礼ね。サキュバスはどこを舐めても美味しいのよ。知らないの?」 「初耳だな……」 「じゃあ、自ら試せるいい機会じゃない。私はそう人には舐めさせないし、なかなか名誉なことなのよ?」 とんだ名誉もあったもんだ。 「サキュバスは皆舐めると味がするのか?」 「そうね、その方が雄も喜ぶでしょ?」 「そういうものなのかな……舐めたことがないから分からんが」 「甘い味のする飴と、なにも味がしない飴のどっちがいいって話ね」 「いやあ……ミュウは飴じゃないだろ」 「雄にとっては同じようなものでしょ」 「つまり、ソフィアも味がするってこと?」 「そうよ。さぁ、舐めないなら姉さまのことは教えないわよ」 二択に一つ。 ここでミュウの鎖骨を舐めるとソフィアの過去を教えてもらえる。 舐めなければ、ソフィアのことは絶対に教えてもらえない。 しかし、舐めると何か大事なものを失う気がする………。 僕が迷っていると、ソフィアとチャミュがサラダを持ってきた。 「ミュウ、あまりシオリを困らせないの」 「あら、別に困らせてはいないわ。シオリだって嬉しかったでしょ?」 「いや、嬉しいかって言われると微妙なところなんだけど……」 ドスッ。ミュウのボディブローが入る。 「うっ」 「素直じゃないのね、まったく」 「ははっ、ミュウくんはすっかりシオリくんがお気に入りなんだね」 「そうね、あなたより何百倍もマシよ」 チャミュの方を向かず辛辣に言い放つミュウ。 そのぶん、俺の首にぎゅっと腕が回される。 「ははっ。これは手厳しい」 対するチャミュは、まったく動揺していない。 こいつが驚いている姿を一度でいいから見てみたいものだ。 「シオリ、ご飯ができました。食べましょう!」 あれ、この匂いって……。 気付けばキッチンの方から凄くいい匂いがしてきた。 「ソフィア、この匂いって」 「ふふ、そうですよ。どうぞ!」 ソフィアがお皿を運んでくる。 「ロールキャベツか! 僕の大好物だ」 「大変だったんだぞ。ソフィアは、キャベツ選びのために三軒も八百屋をはしごしてな」 「もうチャミュ、言わないでください!」 「最高のロールキャベツを作るっていって聞かないんだからな」 たしかに、しっかりとキャベツが巻かれていて形のいいロールキャベツだ。 思わずよだれが出てくる。 「シオリが好きだって言っていたから……。一度作ってあげたいと思って」 「凄く美味しそうだ! 嬉しいよ!」 テンションが上がっている僕の顔を見てソフィアも嬉しそうだ。 「ソフィアの自信作だな。私はソフィアに言われてまわりの手伝いをしただけだ」 「チャミュは料理するのか?」 「人並みに。いや、天使並にというのか、まぁ天使は、料理はしないのだが」 「そうなんだ?」 「天界では従者がほとんどやってくれるからね。自分で何かをするということはほとんどないよ」 なるほど。従者。 改めて、チャミュが身分のたかい天使だったことを思い出す。 くまのフリフリエプロンを着ていると、まったくそうは見えないが。 「ソフィアもそうだったのか?」 「うーん。母も身分が高いですし、従者はいましたね。ただ、誰かと一緒に食べるというよりは、給仕されることでほとんどで、基本的にはいつも一人で」 「ミュウがいるのに一人?」 「私も一人で食べてたの。天界では、身分の高い天使は、姉妹でも一緒に食事をとらないのよ」 「そうか……それは寂しいな」 思わずそういうと、ミュウはプイと顔をそむけた。 「さ、冷めちゃう前に食べましょう」 「おっ、そうだね。それじゃ、いっただきまーす!」 ロールキャベツは箸で簡単に切れるほど柔らかかった。 口に入れたらキャベツの甘みと肉のしっかりした味が広がってきた。 「うん! 美味しい! 美味しいよ、ソフィア」 「喜んでもらえて良かったです。おかわりもありますから」 「ほんと! やったね!」 ご飯も、どんどん進んでいく。ソフィアのご飯はいつも美味しいが、今日は自分の好物だったこともあり三杯もおかわりしてしまった。 たらふくご飯を食べて一息つく。 ロールキャベツの余韻がまだ残っていて、珍しくニヘニヘとした顔をしていた。 隣でお茶を飲んでいるチャミュがこっちを見ていたのに気付く。 「どうしたんだ? チャミュ」 「いや、君は不思議な奴だと思ってな」 「不思議って?」 「ソフィアがここまで君と打ち解けるとは思っていなかった。 珍しく無害な人間もいるものだと思っていたが、それだけではないようだ」 最初の頃にディスられたのを思い出す。そう言えばそんなこと言ってたな。 「ソフィアがここまで笑顔を見せるようになったのは、間違いなくシオリくん、君のおかげだ」 言われてソフィアの方を見る。 照れた感じで目線をそらしてしまうソフィア。 「そうなのか、まぁソフィアが楽しそうなら良かったよ」 「姉さまが人間界の男性と一緒に住んでいるなんて知れたら、天界では騒動になるでしょうね」 今まで黙々とご飯を食べていたミュウがようやく口を開いた。 「ああ、大騒動レベルで済めばいいが」 「そ、そんな、大袈裟な」 ミュウもチャミュも、随分と大袈裟に言うので流石に僕も心配になってきた。 「なにも大袈裟ではないよ、それにミュウくんはさっき知られたら、なんて言っていたがもう既に天界の一部では知られている」 「えっ、それってソフィアが僕の家に住んでいるってことをか?」 「ああ、流石に家までは知られていないが、この街にいるということは伝わっている 可能性が高い」 「どこから得たのよ、その情報は?」 「天界の知り合いからさ。だからシオリくん、これからはソフィアを天界に戻そうとする奴らが君の前にも現れるかもしれない。その時はソフィアを守ってあげてほしい」 「それって、ミュウからも守れってこと?」 「ミュウは大丈夫ですよ。私の嫌がることはしませんから」 ソフィアがにこにこと笑う。 ミュウは、ううう、と言いながら頭を抱えた。 たしかに、こんなにうれしそうな顔を見たら「天界に戻ろうよ!」とは言えないだろう。 ミュウもミュウで、喫茶店でうまくやっているようだし チャミュはいつになく真剣な顔をしている。 小さい十字架のような剣型のキーホルダーを取り出すと、僕の前に差し出した。 「君にはこれを渡しておく」 「これは?」 「君とソフィアを敵から守ってくれるものだ。困ったときはこれに話しかけるといい。きっと助けてくれるだろう」 「よくわからないけど、ありがたく受け取っておくよ」 キーホルダーを受け取る。見た目以上にずっしり重さがあるものだった。 「今、私が聞いている情報だとソフィアの行方を探っている者がいるらしい。直接姿を現すかはわからないが、もしそんなことがあれば私に連絡するか、すぐ逃げてくれ」 「そんなにまずい奴らなのか?」 「わからない、ただ、ソフィアを求める奴らは大体が私利私欲だ。ロクなことにはならない。まぁ、これはあくまで可能性の話でしかない。ただ、一応君たちには話しておかないと、と思ってね」 チャミュはお茶を飲み干すとテーブルに置いた。 「さて、私はここで失礼するよ。ソフィア、夕食ご馳走様」 「ええ、こちらこそ手伝ってくれてありがとう」 チャミュはソフィアを軽くハグしたあと、リビングを出て行った。 「さて、夕飯の片付けでもするよ。ソフィアは休んでて」 「え、そんないいですよ。私がやります」 「私もやるわ。姉さまは夕食つくったんだから休んでいて」 ミュウも立ち上がり、食器を運んでいく。 結局、夕飯の洗い物は僕とミュウですることになった。 「ねぇ、そのお皿とって」 「あ、ああ。はい」 「ありがとう」 食器をミュウに渡し、僕は洗い終わった食器を拭いていく。 「ねぇ、シオリ」 「ん、どうした?」 「あの天使と同じことを言うのは癪だけれど、姉さまの嬉しそうな顔、最近よく見るようになった」 「ああ、うん」 「そのことについては、感謝する」 ミュウからお礼を言われると思っていなかったので少し面食らってしまう。 ミュウは、赤い顔をして、キッとこちらを睨む。 「なによ?」 「いや、ミュウから感謝って言葉が聞けるとは思ってなくて」 「失礼ね! 私をなんだと思ってるのよ」 「ああ、ごめんごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ」 「じゃあどんなつもりだったのよ」 「あーいや、ミュウってソフィア想いなんだなって」 「言ったでしょ。姉さまは私のすべてだったんだから」 ミュウはすべての洗い物を終え、タオルで手を拭く。 「だから、はい」 今度はミュウから、アヒル型のホイッスルのようなものがついたペンダントを渡された。 「これは?」 「姉さまがピンチになった時、それを吹きなさい。駆け付けてあげるから」 「これで?」 「疑ってるのね? いい? 冗談で使おう物ならあなたの精、すべて搾り取るわ」 「う、うん、わかった」 ミュウだと本当にやりかねないので、冗談では吹かないとかたく約束をした。 ミュウなりの姉を心配する思いを知り、またひとつ姉妹の絆を感じるのだった。 とはいえ、アヒル型のホイッスル……。なぜ……。 「姉さま、今日はありがとう」 「ミュウも来てくれて良かったわ。またご飯食べにいらっしゃい」 「うん、待ってるから」 「……考えとくわ」 ミュウは照れ臭そうに笑うと帰っていった。 「ソフィア、今日はお疲れ様」 「シオリもお疲れさまでした」 ミュウを見送ったあと、二人顔を見合わせる。 「あ、あのさ、今日テレビで見たんだけど、なんか人気のプリンがあるんだって」 「へー、そんなのがあるんですね」 「う、うん。それでさ、次の休みの日に、一緒に食べに行かないか?」 そう言って、ソフィアの方を見る。 少し驚いた顔で、こっちを見ているソフィア。 「ソフィア?」 「あ、はい。すみません、ちょっと驚いちゃって」 ソフィアはもう一度僕の顔を見てにっこり笑った。 「シオリからのお誘い、待ってました。嬉しいです」 満面の笑み、この可愛さならなんでも許してしまいそうだ。 「じゃあ」 「はい、次のお休みに行きましょう」 こうして次の休日、僕とソフィアは初めてデートをすることになった。 女の子とする初めてのデートが、大好きなソフィアと。 そのことに感動してしまっている僕がいた。 ソフィアが天界で狙われている……。 そのことが頭から抜け落ちるほどに。 ** ソフィアとのデート当日。 楽しみを抑えきれないせいか、僕はいつもより少し早めに目が覚めた。 隣にはピンクのパジャマ、すべすべでいい匂いのする柔らかな肌が密着している。 たゆんたゆんと揺れる物体を触りながら持ち主の顔を見ると―――。 「……あれ、ソフィア。おはよう」 「…」 「……」 「…………」 唐突なことに頭が回らない。 ソフィアが隣で寝ている!? どういうことだ!? なんでそうなった!?  「ごめん! 僕、部屋間違えた!?」 そう言って慌てて、ベッドを飛び出し部屋を出て扉を閉める。 閉めて、心を落ち着かせる。 心臓がとんでもなく早くなっている。 ソフィアの部屋を間違えた? でも、昨日普通に僕の部屋で寝たはずなんだけどな…。 徐々に頭が覚醒して、扉に掛けてある札を見る……あれ、僕の部屋だ。 そーっと、部屋を開けてベッドまで近付く。 僕の枕を抱いたまま安らかな寝息を立てているソフィア。 どうしよう、このままにしておこうか。 仕方なく、リビングに降りてテレビでも見ることにする。 しばらくすると、僕の部屋から「きゃーっ」と言う言葉が聞こえてきた。 うん、やっぱり、部屋から出てきてよかった。 ◆◆◆◆◆ 「ごめんなさい……シオリ……。まさか、寝ぼけて部屋に侵入してしまうなんて」 「いやいや、誰にでも間違いはあるよ」 起きてきて、第一声僕に謝るソフィア。 「ほら、昨日疲れてたんだよ、きっと」 「あぅぅ……」 ソフィアは申し訳なそうで、所在なさげだ。 「大丈夫だから。ほら、コーヒーでも飲んで」 「あ、ありがとうございます」 ピンクのパジャマのまま、ソファに座ってコーヒーを飲むソフィア。 サイズのゆったりしているパジャマだが、そこからでもソフィアのしなやかな体のラインが見て取れる。ついそのラインを目で追ってしまっていた。 ソフィアと目が合い少し気恥ずかしくなる。 コーヒーを飲んだことで少し落ち着いてくれたようだ。 「今日は天気良いみたいですね」 「そっか、じゃあ傘は持たなくてよさそうだね」 「はい、ちなみに今日はどちらに向かうんですか?」 「公園の方に行こうかなって」 「いいですね!」 「ソフィアが公園が好きだからね」 「はい、天界でいつも逃げ場所にしていたところを思い出して」 おっと。意外と重い話が来たぞ? 「そこに、チャミュもよくいたんです。チャミュも、他の天使とうまくやれなかったみたいで」 そういうことか、と合点がいく。 たしかに、あの性格で天界で順調だというほうがおかしい。 チャミュと同じ性格の天使ばかりの天界というのも、なかなか想像したくない。 「そ、そっか。公園に昨日話してたお菓子屋さんがあるみたいなんだ」 「じゃあ軽く公園で食べられるように用意していきますね」 「僕も手伝うよ。食材なにか残ってたっけ?」 「サンドイッチならつくれそうですよ」 二人でキッチンに向かい、公園に持って行けそうな料理を模索する。 たまご焼きに、ベーコンレタスのサンドイッチ。 ウインナー等々ピクニック向けのお弁当を手際よく用意していく。 「たまご焼き、こんな感じでどうでしょう」 ソフィアがたまご焼きの切れ端を僕に食べさせてくれる。 「あーん」をしてくれたわけだが、心が浮き立ってしまう。 程よい甘さが口の中に広がって、幸福をかみしめた。 「うん、美味しい」 「シオリは少し甘い方が好きなんですよね」 はにかむソフィア。 純朴とした可愛らしさにソフィアがサキュバスであるということを忘れてしまう。 「シオリ…」 なにやら艶っぽい声。普段こんな感じだったっけ? 上目遣いで少しもじもじしているように見える。 普段出さない色気にドキッとしてしまう。 「ソフィア?」 「い、いえ。それじゃあ、私出掛ける支度してきますね。 シオリはゆっくりしていてください」 「わかった。じゃあまた後でね」 僕も出掛ける準備をしておくか。 身だしなみを整えるために洗面台へと移動する。 ふと、さっきのたまご焼きを食べさせてもらったのは、恋人同士っぽかったなと思い出して顔が赤くなるのを感じるのだった。 「いや、そもそも、デートするのが恋人っぽいのか!」 思わず気づいて、顔が真っ赤になる。 初めてのデートが、近づいてきているのだ! 支度が終わり、ソファでゆっくりしているとソフィアが降りてきた。 いつもより短めの淡い色のスカートが目を引く。 外側を覆っている部分が透けているスカートのようだ。 トップスも首がゆったりめのセーターでソフィアの小顔がより際立つ。 「シオリ、準備が出来ました」 「うん、じゃあ行こうか」 戸締まりを確認して、二人で家を出る。 フーマルは用事があるとかで、昨日の夜から家にはいなかった。あの変態ポメラニアンの用事ってなんなのか一抹の不安を覚えるが、気にしないことにする。 気にしたら、この初デートを楽しめない気がした。 ◆◆◆◆◆ 家から公園までは歩いていける距離なので、二人並んで歩く。 幸いなことに天気にも恵まれ、今日は外に出るには最高の一日になりそうだ。 「そういえば、頭の怪我は大丈夫ですか?」 この前、野球部の部長と対戦した時に頭に受けた傷は、今はもうすっかり良くなっていた。ソフィアに治療してもらったおかげだろう。 「うん、ソフィアのおかげですっかり良くなったよ」 「特に後遺症もないみたいで安心ですね」 「にしても、あの治療凄かった。心地良かったし、機会があればまたお願いしたいな」 「え、ええと、あれは…」 顔を真っ赤にしてうつむくソフィア。なにかまずかったかな。 「あ、あの、あれはシオリが、本当に大変な時だけです」 「そっか、やっぱ貴重な能力なんだな」 「は、はい、そう思ってもらえると助かります…。」 そう言って、ソフィアは僕の腕に手を回してくる。 「ソ、ソフィア?」 突然のことにドキッと反応してしまう僕。 「きょ、今日は、デートなんですよね? デートとは、男女がこうして、手をくむと本に……ええと、たまたま、たまたまですよ? ソファの下にあった本に書いてあって……」 「ソファの下……?」 僕はドキリとする。そこには、青春をしている男子の秘蔵の品、つまり……あんなことやこんなことをしている本が入っているはずだ。 「その、他のことは、その、できるかどうか、その、まだ分からないのですけれども」 「そこは! 見なかったことにしてください!」 「は、はい……。で、でも手を繋いだり、腕を組むのはいいと思うので……だめですか?」 ソフィアはたどたどしく言葉をたどる。 ソフィアの柔らかな胸が腕に軽く触れて、鼓動がこちらまで伝わってくるようだ。 普段主張しないソフィアがこれだけ表に出してくるんだから、余程勇気を振り絞ってるんだろうな。これはソフィアにリードさせるのは漢としてはやってはいけない。 「デ、デートだからね、こ、このくらい当然だよ」 格好つけようとするが、声がうわずる。 もちろん、当然かどうか分からない。 いままでデートしている人さえ目にしてこなかった。 もちろん、世の中にはデートしている人はたくさんいただろう。 ただ、自分が恋人に縁がなかったため、自動的に視界から削除してきたらしい。 どうしたら正解なのかわからず、ソフィアの腕のあたたかさに胸がジンとなる。 「そ、そうですか。じゃ、じゃあこんな感じで」 「う、うん。じゃ、じゃあ行こうか」 「そ、そうですね。あ、」 「どうしたの?」 「歩き方を忘れたような」 「ぼ、僕も。ええと右足から出して、次、左足で……」 二人とも緊張でカチコチになる。 同じ方の手と足が前に出てなんともぎこちない歩き方をしながら、公園にたどりついたのはそれから一時間もあとだった。 きっと、誰かが見ていたら、色々ツッコミが入るだろう。 ◆◆◆◆◆ 「シオリ、楽しいですね」 「ただ歩いてるだけだよ?」 ソフィアの顔を見る僕。微笑んだ顔が可愛らしい。 はにかむような顔で、本当に幸せ層だった。 「それがいいんです」 ソフィアにとって、この体験自体が貴重なのかもしれない。 天界にいた時は色んなところから狙われてたって聞くし。 こっちでも、ソフィアの可愛さからよく二度見されることはあるけど、前の暮らしに比べれば楽しいのだろう。 「でもですね、シオリ」 「どうしたの?」 「昨日のミュウとのやり取り。私あまり良くは思ってませんからね」 ギクッ。 やっぱり、ソフィア怒ってたのか。 「ミュウだってサキュバスなのですから異性を求めたくなる気持ちは理解します。ですがシオリ、あなたでなくてもいいはずです」 ごもっともな意見だ。 「ソフィア、気にしてたんだね」 「と、当然です。サキュバスは一人に絞らないといけない決まりはありません。むしろ多ければ多いほど、オスに……失礼しました。男の人に負担をかけないのでいいといわれます。でも私には……独占欲だってあります!」 顔を真っ赤にして抗議するソフィア。 今までに見たことのない表情をするソフィアがたまらなく愛おしく感じる。 これが、デートの特権というものか! 「わかった、じゃあ次にミュウやスカーレットが誘惑してきたときは、ソフィアのところに行くよ」 「そ、そ、それはそれで恥ずかしいです」 「でも、そうしないと逃げられないし」 「そ、そ、そうですよね……」 頭をグルグルと悩ませるソフィア。 気になるけど強くは言えない。ソフィアの性格を考えるとそれはそうだとも思うのだが。 「ソフィアってサキュバスの欲求が抑えられない時ってあるの?」 「普段はないです。この眼鏡がありますから。ただ……」 「ただ?」 「あのですね……」 「うん?」 照れながらも話そうとするソフィア。その時、視線の端で、前を歩いていたお婆さんのバッグを引ったくって逃げる男が目に入った。 「えっ!?」 「ド、ドロボー!」 バッグを取られたお婆さんが叫ぶ。 「ソフィア、ちょっと待ってて」 「あ、シオリ!」 とっさにバッグを盗んだ男を追いかける。 見た感じそんなに速いわけではない、追いつけそうだ。 「待てー!」 角を曲がり、袋小路へも追い詰める。 「さあ、盗んだバッグを返すんだ」 「うるせえ! なんだテメェは!」 逆上し、ナイフを取り出す犯人。 まずい、この状況は想像していなかった。一気に形勢が不利になる。 流石に刃物相手に勝てるほどの技術は持ち合わせていない。 怒り狂った犯人はナイフを振り上げ僕の方へと向かってくる。 ――万事休す、このままだとやられる。 その時、意外なところから一撃が飛んできた。 パァン!  振り下ろされた腕を回し蹴りではたき落とす男性。 それは洗練された動きで一切の無駄のない回転だった。 一体誰だ? 男はそのまま犯人を地面へ転ばせると腕を押さえてその上に乗っかった。 「ぐえっ!」 犯人は一瞬の出来事に対処できず倒れ込む。 「にいちゃん、途中までは良かったがツメが甘いな」 短髪で逆立った髪をした男性はニッと笑うと僕の方を見た。 男性はどこかからロープを取り出すと、犯人をグルグル巻きにして壁際に立てかける。 「こんなもんでいいだろ」 「あ、あの、ありがとうございました」 パンパンと手を払う男性。構わん、と快活に笑う。 今気付いたが、すらっとした長身でモデルのような体型だ。 ん? あれ?  この人頭に犬耳をつけている。 アクセサリー? だよな?  でも、こんなイケメンが、犬耳のアクセサリーを? 一体どういうことだ? ミュウのいる喫茶店といい、この街はおかしくなったのか? 「人間界にも、まだ正義感持った奴がいるってことがわかっただけでも、まだこっちの世界は捨てたもんじゃないってな」 「は、はあ。……え、人間界?」 何か言葉に違和感を感じたが、犬耳をじっと見たまま相づちを打つ。 「シオリ!」 息を切らしながら走ってくるソフィア。 「シオリ、大丈夫でしたか」 「うん、この人に助けてもらって」 ソフィアに、今しがた会ったばかりの名も知らない男性のことを説明する。 「そうでしたか、危ないところを助けていただいてありがとうございました」 男性に深々とお礼をするソフィア。 「いやいや、なかなか見所のある男だよ。ツメはちょっと甘いけどな」 「はは。返す言葉がないです」 「にしても、」 男性はずいっと近付いてソフィアの顔を見る。 「な、なにか?」 「いや、俺の主人が探してる人になんか似てるなって思ってよ。ま、人違いだろ」 この人、今ソフィアの目を間近で見たけど、大丈夫だろうか。 眼鏡はあるから大丈夫だとは思うのだが、あんまり近づきすぎると危ないはずだ。 「なぁ、助けたついでに、次は俺のことを助けてくれねえか?」 「はい?」 同時に首を傾げた僕らだった。 ◆◆◆◆◆ 「ハッハッハ、いや助かったよ」 男性は大笑いしながら僕の後をついてくる。 話を聞いてみると、男性は、僕とソフィアが向かおうとしていたお菓子屋の愛の無限プリンを探していたらしい。用事が一緒ということで、その店まで連れて行くことにした。 「まさか、目的が一緒だとはな」 「やっぱ人気なんですね、あのプリン」 「主人がどうしても食べたいから買ってこいってうるさくてな」 「甘党なんですか?」 「そりゃあもう。買ってくるまで帰ってくるなと」 「それはまた随分と、ひどい主人もいたものですね」 男性は、苦笑いする。 「ま、そう言ってくれるな。俺は下っ端だからな、俺は。そうだ、まだちゃんと名乗ってなかったな。俺の名前はカゲトラと呼んでくれ」 「カゲトラ。格好いい名前ですね」 「だろう? 主人がつけてくれた名前でな」 「素敵ですね」 主人、主人というが、その人とは、いわゆるSM関係ということなのだろうか? そういうのは、ミュウの専売特許なので、詳しくは分からない。 「突っ走り少年がシオリ、こっちの可愛いお嬢さんがソフィアだな。よし、覚えた」 カゲトラはにこやかに笑う。とても爽やかな好青年と言った感じだ。 気になっていたことをソフィアに耳打ちする。 「(カゲトラさん、犬耳つけてるよね?)」 「(あれは本物ですね)」 「(え!? そうなの?)」 「(おそらく、使い魔的な何かだと思います) 「(じゃあ、天界からの回し者?)」 「(うーん。でも、悪い方ではないみたいなので、大丈夫ですよ)」 「(わかった、ならよかったよ)」 こそこそ話す僕らに、カゲトラさんが首をかしげてう。 「ん? どうした?」 「いや、なんでもないです」 平然と装う僕とソフィア。危険はないとしても、天界の人とあまり行動するのもよくない。ひとまずプリンの場所を教えて別れる、が良さそうだな。 ひとり合点し、カゲトラをお菓子屋さんまで連れて行く。 ここで問題が発生した。 『愛の無限プリン 残り一個』 昼時だというのに最早プリンは一つしか残っていなかった。 せっかくソフィアに食べさせようと思っていたのだが、さっきの話を聞いた後ではとてもじゃないが買い辛い。カゲトラさんが帰れないのは、かわいそうだ。 「シオリ、プリンはカゲトラさんに譲ってあげてください」 「いいのか、ソフィア?」 「はい、カゲトラさんにはシオリを助けていただきましたし」 「……そっか。じゃあまた今度買いにこよう。カゲトラさん、どうぞ」 プリンをカゲトラに譲る。 「って、え!? どうしたんですか!?」 男泣きなのか、涙を流しながらこっちをみるカゲトラ。 「夫婦揃って譲り合いの心まで持ってるとは、俺は、俺は今感動している」 なにか心に響いたようだ。めちゃめちゃ感情が表に出る人なんだな。 とはいいつつ、夫婦ってなんだ? 僕と同じく、顔を真っ赤にしているソフィア。 僕も照れながら訂正するが聞こえてないようだ。 「これがないと俺も帰れねぇ、すまねえが今回は恩に着る。 ただ、このことは忘れねぇ。俺の名にかけてシオリとソフィアにはなにかしら礼をさせてもらう」 「いえ、このくらいで別に。僕も命を助けてもらったんだし、このくらい安いもんですって」 「そうか……。いやしかし、俺の気が済まない」 一度納得しかけたが、やはり何かしないと気が済まない風のカゲトラ。 このまま押し問答をしているとソフィアとのデートの時間がなくなってしまう。 「じゃあ、今度僕が困った時に助けてください」 「わかった! じゃあそうするとしよう」 カゲトラと厚い握手を交わし、帰りを見送る。彼は僕たちが見えなくなる最後まで大きく手を振っていた。 「熱い方でしたね」 「うん、そうだね。ソフィア、ごめんね。プリン……。」 「気にしないでください。シオリが私のために考えてくれたことが嬉しいですから。プリンはまたいつでも食べられます」 「うん。それじゃあ、少し遅くなったけど、お昼食べようか」 「はいっ」 公園の日当たりの良さそうな場所を探し、二人で並んで座ってお弁当を取り出す。 途中はどうなることかと思ったが、二人でゆっくりできる時間がとれて良かった。 今日は珍しくスカーレットもミュウもいないので落ち着いてソフィアと話ができる。邪魔がないって素晴らしいんだな。 「この街は、穏やかですね」 「そうだね。街の人も優しいし」 「シオリのいる街に来れて良かったです」 公園の湖を眺めながら感慨深げに話すソフィア。 彼女がそう感じてくれているのだったら、それは嬉しいことだ。 ストンッ。 ソフィアが僕の肩にもたれかかってくる。 自然にというよりかは、起き上がり小法師の起き上がらないバージョンがそのままコロンと倒れてきた感じだ。故にぎこちない。 「ソフィア?」 「こ、これもですね、あの、本に書いてあったので。ど、どんな気持ちですか」 「う、うん、なんだろう。不思議な感覚だよ」 ソフィアの優しい髪の匂いがしてきた。 思わず近くに抱き寄せたくなるような、そんな気になる。 こ、こういう時はどうすればいいんだ?  一切頭の中に選択肢が思い浮かばない。 僕も、もっと本を読んで勉強しないといけない。 あんなことや、こんなことの本だけじゃなくて、 恋人を大切にする方法が書かれた本を読まなくちゃ。 固まるソフィアを受け止めたまま、僕も何もできずに肩寄せ合うどんぐりみたいな光景が出来上がる。 「ふふっ」 思わず笑いだすソフィア。僕も連れて笑う。 お互いしきりに笑ったあと、草原に寝ころんだ。仰向けになった僕の上に、ソフィアが壁ドンの床バージョンのようなものをして乗っかってくる。 「そ、ソフィア、どうしたの?」 「シオリ、さっき聞きましたよね? サキュバスの欲求が抑えられない時があるのかって」 「う、うん」 ソフィアの目は真剣だ。 「あるんです。年に数回、どうしようもなく甘えたくなる日が」 「え……!?」 ソフィアは顔が真っ赤になりながらも言葉を続ける。 「今までは誰にも会わないことで回避してきましたが……自分ではどうしようもなくて……」 まさか……。 「も、もしかして、今日?」 「……はい」 「じゃあ、朝から少し様子がおかしかったのって……」 「そうですね……」 ソフィアは顔を真っ赤にして目を逸らす。 「じゃあ、今日の朝の、寝間違えたのも?」 「…気をつけてはいたのですが、こちらに来てリズムが変わったみたいで、無意識に……」 ソフィアは部屋を間違ったのではなく、寝ている時に無意識に僕を求めてしまったらしい。 「それって、僕で抑えられるものなの?」 「はい、シオリがそばにいてくれればそれだけで」 なんだ、それならなんとかなりそうだ。さすがん、ソフィアにミュウやスカーレットみたいなことをされたら、僕も我慢できそうにない。 「それだったらお安いご用だよ。僕なんかでよければ」 「シオリ」 ペタンと僕の体に乗っかってくるソフィア。胸の柔らかさが伝わってくる。 「少しこのままでいさせてください」 「うん」 普段見たことのないベッタリしたソフィア。 それはそれで新鮮だった。 「なので、今日はシオリに甘えさせてください。 今度、私に甘えていい日をつくりますから」 それはそれでなにやら、おいしいイベントだ。 「じゃあ、少しこのままでいよっか」 「はい」 そうして、ゆっくりしようとした矢先、湖の向こうから物凄いスピードでこっちに向かってくるアヒルさんボートが見えた。 アヒルさんボートの上にはなにやら人が立っている。 あぁ、また面倒事がやってきたな。 そう僕は直感した。 アヒルさんボートは謎運動によりターンすると、境目のところで止まった。 ターンの反動で波飛沫が全部こっちに降ってくる。 バケツを頭からかぶったように僕とソフィアはびしょびしょに濡れてしまった。 「…」 「………」 アヒルさんボートからは一人の女性と男性が降りてくる。 男性は、先程別れたカゲトラだった。呆然と立ち尽くす僕とソフィアの前に女性がやってくる。アヒルさんボートの女性はと、ソフィアに向かってビシッと指を指した。 「やっと見つけたわ。天帝様の命令で、あなたを迎えに来たわよ!」 *** いきなり水をかけられて、びしょびしょのまま立ち尽くす僕とソフィア。 せっかくのデートを台無しにされて、沸々と怒りが沸いてくる。 目の前に仁王立ちで立っている女の子は一体何者なんだ。 ツインテールて飾りにはリボンをつけて白い軍隊のような制服を着ている。 スカートは短めで、ニーソックスを履いたすらっとした脚の長さが際立つ。 「まさかこんなところにいるとは思わなかったけど。さぁ犬、彼女をさっさと捕まえちゃって!」 女の子は、そういって隣のカゲトラに命令する。 やっぱり、天界の人、しかもソフィアを捕まえに来た人か、と思う。 ソフィアを守ろうとするが、その必要はなかったみたいだった。 「てちょっと犬! なにしてんのよ!」 ツインテールの女の子はカゲトラに命令したのだが、当のカゲトラは僕とソフィアにタオルを渡してくれていた。 「すまねぇ、力加減がわからなくて力一杯漕いだら水を引っ掛けちまった」 「い、いや、大丈夫だよ」 「タオル、ありがとうございます」 カゲトラからタオルを受け取り濡れている体を服の上から拭いた。 「カゲトラは天帝の使いだったんだね」 「あぁ、正しくはうちの主人だがな」 「そうか……」 残念だ。出来ればカゲトラとは敵対する形にはなりたくなかった。 「俺もだ。まさかソフィアがうちの主人が探していた相手だったとはな」 カゲトラも残念そうに答える。 「こら犬! なにのんきに敵と話してるのよ!」 「ご主人、彼らは俺を助けてくれたんだ」 「だからどうしたっていうの? 私の命令が聞けないって?」 「そうは言ってない。でも、今日じゃなくてもいいんじゃないか?」 「天帝様は彼女を早く見つけてこいって言ってるの」 イライラしながら答える女の子。 やっぱり、この女の子が、カゲトラのご主人様らしい。 「君は一体誰なんだ?」 僕は、ソフィアを後ろに隠しながらツインテールの女の子に尋ねる。 「ハァ? あなた誰よ。どうせもうじき消えるんだから、知らなくていいわ」 「うちの主人、ラムだ」 「何勝手に喋ってんのよ! 犬!」 激怒するラム。 どうやら、カゲトラを完全に制御できてるわけでもないらしいな? 「カゲトラ、ソフィアを連れていく気なのか?」 「ご主人にはそういう風に言われているな」 「悪いがソフィアを渡すわけにはいかない」 「そうだろうな……参ったな。シオリ、お前のことは嫌いじゃない。むしろこの人間界で出会った奴の中では、一番好感が持てる。俺の鼻がそう告げてる。ただ、俺は主人の使い魔である以上、命令は聞かないとといけない」 カゲトラは困ったように笑ったあと、僕の目を見据えた。 「主人がソフィアを連れていく、という以上俺はそれを実行するだけだ。だが、使いにも誇りはある。勝手に奪うといったことはしない。シオリ、お前に勝負を申し込む」 真剣な表情のカゲトラ。カゲトラなりの僕に対する誠意なんだろう。 そういうところは、僕も嫌いじゃない。 だから、なおさら戦わないといけないのは嫌だ。 でも、ソフィアを失うのはもっと嫌だ。 「戦う以外の方法はないのか?」 「ないな、残念だが」 カゲトラは首を横に振って答える。 「ラムと言いましたか、天帝に言ってください。私はあなたのものにはならないと」 ソフィアはタオルで髪を拭き終わると、ラムに向かってそう言った。 濡れたスカートがソフィアの腰にぴったりと貼りついて下着の形が浮き上がっている。刺激の強い映像に、つい視線を奪われそうになる。 「あなたの意志なんて関係ない。私は天帝様にあなたを連れてこいと言われただけ。そんなに嫌なら直接言ったらどう?」 とりつく島もない。 ソフィアに対するあからさまな敵意が向けられている。 「会いにも行きません。絶対に」 二人の中でバチバチと火花が散る。 「シオリ、どの道ここから逃げることは難しそうです。ですが、」 ソフィアは僕に近付いて耳打ちをする。 「(さっき邪魔をされてしまったせいでサキュバスの欲求が、抑えきれません……。今だけ、私の手を握ってください……)」 苦しそうなソフィアの声。 ソフィアに言われた通り手を握ってあげる。 それで抑えられるのかは分からなかったが、ソフィアがいうなら言う通りしようと思った。 「何、話の途中でイチャイチャ始めてんのよ。そんなに余裕だってわけ?」 「ラムって言ったな。話は僕が聞く」 「ゴミは黙ってなさいよ」 「ゴ、ゴミって…」 辛辣な言葉に凹む。 ミュウはSサキュバスを自称しているが、なんだかんだ可愛げがある。 そもそも、SMとは、お互いの信頼感と愛情がなくては成り立たないという。 SはサービスのSだというくらいだ。つまり、ミュウは誰よりもサービスがうまいということだろうか? 一方、このラムというのは、ミュウとは違って、とにかく自分の言うとおりにしないと気が済まないらしい。ある意味ではスカーレットに似ているが、カゲトラに対するやり方を見ている限り、スカーレットより独善的らしい。スカーレットは真正面から挑んでくるが、ラムというのはカゲトラを使役してくる。 サキュバスと言っても色々あるのだな、と思った。 「ソフィアは渡せない」 「だからゴミは黙ってろって言ったでしょ」 ラムは怒りがピークに達したのか、体のまわりに電撃をバチバチと放ち出す。 「ご主人、それはいけない! 被害がでかい」 「知らないわよ! イチャイチャして! もういいわ、黙らせて連れて行くから」 ラムは人差し指を立て僕とソフィアに向ける。 ラムのまわりに浮いていた電撃が一気に走り出す。 避けられない!  その時、カゲトラが驚きの行動に出た。僕とソフィアの前に割り込み、雷を弾き上げたのだ。バリバリバリと電撃は上に舞い上がっていく。 「ご主人、ソフィアに傷でもついたら天帝様が怒る」 「ぐぅ……」 カゲトラに弱いところを突かれ悔しそうなラム。 「まぁ、いいわ。興が冷めた。勝負でもなんでもしたらいいじゃない」 「ありがとう、ご主人」 「じゃあもうこれで決めなさいよ」 そう言ってラムは自分たちが乗ってきたアヒルさんボートを指差す。 「この乗り物面白いのよね。これで私たちに勝ったら今日のところは見逃してあげるわ」 おそらくまともに戦って勝ち目がある相手ではないだろう。 シュールな形ではあるが、レースであればまだ勝てるかもしれない。 「わかった、受けて立つ」 僕は、用意されたアヒルさんボートへと向かう。 「私も一緒に」 ソフィアが僕のあと、をついてくる。 「いや、でも、危ないよ」 「私に考えがあります。一緒に乗せてください」 「わかった」 一人でアヒルさんボートに乗るのも孤独だ。 ソフィアの申し出を、ありがたく受け入れることにした。 ◆◆◆◆◆ 「それじゃあ準備はいい? 湖を一周した方の勝ち」 「ああ、わかった」 「じゃあ、いくわよ、よーいスタート!」 ラムの合図とともにスタートするアヒルさんボート。 カゲトラの乗るアヒルさんは白。 僕とソフィアの乗るアヒルさんは黄色だ。 僕は持てる力を振り絞ってペダルを漕ぐ。 キコキコという音ともに前へ進むアヒルさん二号。 思った以上に、しっかりと漕がないと前に進んで行かない。 さっき水で濡れたせいもあり体が冷たくなっていた。 温めないと、身体が萎縮して堅く感じる。 カゲトラは一人猛然とペダルを漕いでいる。 真剣勝負、一切手を抜くことなく試合に臨んでいる。 カゲトラが疲れるのを待つのはあまり賢いとはいえない。 僕は距離を離されないように必死に食らいつく。 はたからみたらシュール以外の何物でもない光景だが、僕らは真剣だった。 半分まで差し掛かったところで、ふくらはぎに疲労がたまってきたのを感じ始めた。 流石にずっとこぎ続けるのは身体にとってハードだ。 心肺機能もじきに限界を迎えるだろう。 「はぁ、くそっ……」 大きく息を吐きながら、懸命にペダルを漕ぐ。 優しいフェイスとは裏腹に激しい攻防を見せる二艘のアヒルさんボート。 三分の二を過ぎたところで、カゲトラとの差が徐々に徐々に広がってきた。 まずい、このままでは勝てない。 その時、突如ソフィアが僕に後ろから抱きついてきた。 「ソフィア!?」 「シオリ、前を見ていてください!」 ソフィアに言われるまま、前に集中する。 背中にソフィアの柔らかな胸の感触を感じながら、ペダルをこぎ続ける。 「今からシオリの疲労を私の方で受け取ります。その隙に前へ」 「え、どういうこと?」 「いいから、漕ぎ続けてください!」 ソフィアがそう言うと、僕の体の周りに淡い光が出始める。 それと同時に体の疲労感が一気に消えていくのを感じた。 ペダルを漕ぐ脚が軽くなる! これならいける!  「うおおおおお!!」 僕は今持てる力を最大限振り絞ってこぎ続けた。 「なにぃっ!!?」 「嘘っ! どういうことよ!」 カゲトラとラムが同時に言う。 最後の最後、猛追を仕掛けた僕とソフィアのアヒルさんボートは、くちばし先で差しきり逆転に成功した。 「なんだ最後のスピードは……」 カゲトラは手を抜かなかった。自分の持てる力を出して、最後に抜かれてしまった。 「やるじゃねえか、シオリ」 「ハァハァ…」 「ハァハァ……」 だが、僕らには答える余力はない。 すべての力を出し切り、脚がけいれんを起こしている。 ソフィアも僕の疲労を一心に受けたせいで、同じ状態に陥っていた。 「参った、俺の負けだ。今日のところは引き下がろう」 「アヒルさんボート、やっぱり面白いわね。ふん、まぁいいわ、ソフィアを連れてくのはまた別の日にってことで。犬、帰るわよ」 ラムとカゲトラはグッタリした僕たちを置いて帰っていった。 約束を守ってくれたのは良かったが、それからソフィアが回復するまではしばらく二人重なって倒れこんでいたのであった。 ◆◆◆◆◆ 思わぬ敵との戦いも終わり、ボロボロの体で家へと帰る僕とソフィア。 途中まで楽しかったゆったりした日々が嘘のように、後半は激しかった。 結局、あれから動けなくなったソフィアをおんぶして家にたどり着いた頃には夜になっていた。僕ではどうしようもなかったので、チャミュを呼びソフィアを着替えさせてもらった。 「無事に済んで良かったが、天帝の使いが現れたとなるとな」 「対策を考えないといけないな」 チャミュの言うことにうなく。 水で濡れた体を温め、ようやく落ち着くことができた。 少し動けるようになったソフィアもパジャマ姿でソファに座っていた。 「ソフィア、今日はありがとう……」 「いえ、シオリが頑張ってくれたおかげです……」 力の入らない二人、ぐにゃぐにゃになりながら互いに感謝し合う。 「シオリ、ひとつお願いがあるのですが……」 「……なに?」 「実は、あの時能力を使ったことで体のリズムがまた変になったみたいで……サキュバスの発作が止まらないんです……」 「え……」 「シオリ、今日一日だけ、一日だけでいいので……一緒に寝てくれませんか…」 ソフィアの哀願する表情。動けないのも相まって、余計につらそうなソフィア。 そんな顔を見て断れるはずがなかった。 そもそも、断りたいのか? 好きな人が隣で寝てくれる。 こんな嬉しいことを断れるわけがあるか? ソフィアを僕のベッドまで抱っこしていき、一緒に横になる。 ソフィアの顔が、僕の目の前になる。 ベッドの中で僕にぴったりとくっついてくるソフィア。 「お、お、落ち着いた?」 「はい、だいぶ体が楽です…」 つきものが取れたように安堵した表情になる。 そのうち、すぅすぅと寝息を立て始める。 僕のほうは、ギンギンに目が覚めてしまって眠ることは不可能に思えた。 ――こうやって見るとただの可愛い女の子なんだけどな。 最後も僕を助けるために無理矢理能力を使ったらしい。 サキュバスの発作も相当我慢していたんだろう。 ソフィアにとって今日のデートは少しでも楽しいものだったのだろうか。 それが少し心配だ。 「シオリ…」 「ん?」 答えるが、特に返事はない。寝ぼけているのか。 「……ダメです……そこは……んんっ」 夢の僕は何をしているんだろう。 妄想が膨らんでくるのを慌ててシャットダウンする。 いま妄想してしまったら、ソフィアにもっと触れたくなる。 部屋にソフィアの匂いが充満しているだけで結構辛いのに。 疲れすぎていて体が動かないのが幸いだった。 そうじゃなかったらこのシチュエーションには耐えきれなかっただろう。 ソフィアの肌の温もりを感じながら、僕もまどろみの中へと落ちていった。 こうして僕とソフィアの初デートは、想像していたのとはとんでもない方向で、とんでもなく濃厚なものとなった。これはしばらく忘れられそうにない。 追伸:翌日以降、サキュバスの発作が収まったソフィアは、あまりの恥ずかしさに耐えきれず、僕をなにかと避ける日が続いたのであった。 ** カゲトラとラムがソフィアを迎えに来て数日が経った。天帝がソフィアの居場所を突き止めようとしていることがわかり、チャミュが今後の対策を話すために家にやってきた。 ソフィアの呼びかけでミュウも渋々ながら家に来ることになった。 「で、なんでその時私を呼ばなかったのかしら」 せっかく渡したペンダントが使われなかったことがミュウは不満のようだ。 「いや、そんな暇なかったんだよ」 「天帝の使いが来た時以外でいつ使うっていうのよ」 ソファに座っていたミュウは、俺の方に詰め寄ってくる。 「ミュウくん、シオリも精一杯だったんだろう」 「それで姉さまが連れていかれちゃ世話ないでしょ」 「まぁ、それはもっともだな。まぁ、まさか、こんなに早く彼らと出くわすとは思っていなかったのもあるが」 「シオリくん、この前渡したやつ、持っているかい?」 「えっと、これだよな」 チャミュからもらったキーホルダーを取り出す。 「予定では、ソフィアがピンチになると作動するはずだったんだが。ちょっと失礼」 チャミュはキーホルダーの中心にある球体を長押しする。 すると、球体は真っ赤な色に変色しまた元の色に戻った。 「今のはなんだったの?」 「……あーっと、すまないシオリくん。どうやら“魔力切れ”だったようだ」 「はい?」 チャミュからまさかの返答。 充電切れみたいなものだろうか。 「本来であれば、ソフィアたちのピンチにこのキーホルダーに搭載されている『守護天使』と呼ばれるものが起動されるはずだった。のだが、だいぶ前のものを引っ張り出してきたせいで、エネルギーの供給が途絶えていたようだ」 「チャミュ……」 「すまない、本当にすまない」 両手を合わせて謝意を示すチャミュ。 今回はよかったものの、もっとピンチに同じことになっていたら、まずかった。 「どうすれば動くんだ?」 「一旦、修理を頼まないとだな」 チャミュはそう言ってどこかに連絡をし始めた。 「もしもし、あぁ、私だ。守護天使の修理を頼みたくてな、あぁ。わかった」 チャミュは携帯を閉じてこっちに向き直る。 「携帯で通じる相手なわけ!?」 「まあな。天界も最近、こっち系に強くなっている」 「私はまだ慣れませんが……」 「ソフィアは本当に機械音痴だからなあ……まあ、とにかく、修理を頼めることになった。明日、そこに行くが君も来てみるかい?」 「俺も?」 予想していなかったチャミュの提案。 「行くってどこに?」 「私の知り合いがこちらの世界で骨董屋を営んでいてね。少々変わり者なんだが腕は確かなんだ。今後、シオリが使う物でもあるし、挨拶しておくのもいいだろう」 「それもそうか。じゃあ明日。どこに向かえばいいんだ?」 「私が迎えにくるよ。ソフィアも一緒に行こう」 「はい、私も会ったことがないので楽しみです」 「ミュウはどうする?」 パス、と手を振って合図をする。まぁ、そうだろうなとは思ったが、聞かないのはそれはそれで機嫌を損ねそうだったので一応聞いておくことにした。 「いい? 次に何かあったら絶対呼ぶのよ」 「わ、わかった」 「ミュウくんもなんだかんだで心配なんだね、シオリくんのことが」 「私が心配しているのは姉さまよ!」 いーっとチャミュに歯を見せて威嚇するミュウ。 「はは、相変わらずだな。さてシオリくん、じゃあ明日迎えにくるよ」 「わかった」 翌日、俺とソフィアはチャミュの迎えで骨董屋に向かうことになった。 ◆◆◆◆◆ 場所は変わって、天界にあるとある宮殿の一室。 そこにはベッドに寝そべっているラムとリンゴを剥いているカゲトラがいた。 ラムはベッドのまわりにある小さなクッションを取ってはカゲトラに投げつける。 虫の居所が悪いようだ。 「もー、天帝様が会ってくれないー」 「ソフィアを連れてくるまではダメ、と。あれはかなり執着してますね」 「ソフィアなんてどうでもいいでしょ。天帝様、なんで私を見てくれないの。あー、あの女、いつも天帝様の側にいてむかつくわ……」 天帝には秘書のような存在の天使がいつもそばにいる。 ラムが天帝に会いに行った時も、その天使に門前払いを食らってしまったのだった。 「まぁまぁ、ほらリンゴ剥けたんで」 ラムはカゲトラからリンゴを受け取るとしゃりしゃり音を立てながら食べ始める。 「天帝様がなんであんなにサキュバス天使に執着するのかがわからないわ。 自分で制御できない魅了能力なんて危ないだけじゃない」 「天帝さまは、一度欲しがると止まらない方ですからね」 その時、リンリンと誰かが来た鐘の音が鳴り響く。 「誰か来たようで」 「犬、出て」 脚で指図するラム。 「はいはい」 人遣い、いや犬遣いの荒い方だ、とカゲトラはため息をつきながら扉の前に出る。 とはいえ、この人をご主人に選んだのも自分だ。周りは「あんな主人でいいのか」と聞いてくるが、特に不満もない。実際は優しい人間だと、カゲトラだけが知っている。 「どちら様で?」 「私だ。天帝直属天士長リーガロウだ」 リーガロウ。天帝を護衛する立場にある天士、その中の長にあたる人物だ。 階級としてはラムと同列。だが、性格は正反対。ラムが気分屋や半面、この男は見た目通りの堅物。滅多なことでは笑わず、いつも怒っているような顔をしている。 「リーガさんでしたか、今開けますんで」 カゲトラは扉を開け、リーガロウを中へと招き入れる。 「あら、天使長がなんでこんなところに?」 カゲトラはいつでもラムとリーガロウの仲裁に入れるように身構える。 この二人、初めて見た人でもすぐわかるくらい、仲が悪いのだ。 それはもう水と油のように、決して交わることがない。 「天帝よりサキュバス天使捕縛の命を預かった。ただ今より、私もその任に着くこととなる」 「ハァ? 天帝様が? 私がその命をうけたのに?」 「お前は失敗しただろ」 「一回だけでしょ!?」 「一度でも二度でも、失敗したことに変わりはない」 「天帝は早々に目標を連れて来いとのことだ。最早一刻の猶予も許されない」 リーガロウの言葉に苛立ちを隠せないラム。手柄を横取りされる可能性が増えたのだから、心中穏やかではないのは想像に難くない。 「私の他にももう一人、ネツキの部隊も同じく動き出している。 先に見つけたものには褒美を与える、だそうだ。では用件は伝えたからな」 そう言って用件だけ伝えて帰っていくリーガロウ。 ラムは怒り狂い、カゲトラにありったけのクッションを投げつける。 カゲトラは、その一つ一つをきちんとキャッチし、床に積んでゆく。 手慣れた様子だった。 「なんなのあいつ! 前々からむかつく奴だと思ってたけど、なにが「最早一刻の猶予も許されない」よ! バカにしてんじゃないわよ!」 「ご主人、落ち着いて」 もはや、クッションはカゲトラの身長ほども積み上がっている。 「ご主人、俺たちも動かないと先を越される。リーガさんはまずい、あの人は目的のためには手段選ばないから」 「わかってるわよ。まったく、せっかく私のペースでやろうと思ってたのに。行くわよ、犬」 上着を取って飛び出していくラム、カゲトラはその後を追うように部屋を出て行った。 ◆◆◆◆◆ 場所は再び人間界。 チャミュに連れられて俺とソフィアは、街はずれの古びた骨董屋の前まで来ていた。 傷んだ木造の建物は、見るからに入りづらそうな雰囲気を醸し出していた。 「ここって店やってるのか?」 「一応、彼女が言うには開いているらしいが」 チャミュも自信なさそうに答える。 「まぁ、入ってみればわかるだろう」 ギィ……。鈍い音と共に扉が開く。 中は薄暗く、誰が買うのかわからない壺や陶器が所狭しと置かれていた。 「エデモア、いるかー?」 部屋の奥に向かって声をかけるが、特に反応はない。 「誰もいないんでしょうか?」 「いや、そんなはずはない。だとしたら店も閉まっているはずだ」 「そうだよな」 キョロキョロと辺りを見回すと、奥の扉からかすかに光が漏れているのに気が付いた。 「チャミュ、あれって」 「あれは……。行ってみようか」 チャミュを先頭にその扉へと近づいていく。 が扉を開けてみると、中からまぶしい光が漏れだす。 急な光に目が慣れず、目を覆ってしまう。 「……ここは」 次に目を開けた時に飛び込んできた光景は、骨董屋とは一変、青々と茂った自然が広がる草原だった。 「綺麗……、でもさっきまで骨董屋だったのに」 「エデモア、人間界と天界を繋いだな……」 困ったな、と頭を抱えるチャミュ。 この異次元に繋がる光景って、前に経験した覚えがある。 あれは、たしかソフィアに──。 「これって、前ソフィアが連れってくれた野球場みたいな――も、もごっ」 「しーっ」 ソフィアに喋っている最中に口を押えられる。 「(その話は二人の内緒です)」 「(あ、あぁそうだった、ごめん)」 「どうしたんだ? 二人とも」 「いや、こっちの話。なんでもないよ」 ははは、と笑いながらごまかす。 その時、視線の端で人が動いたのを感じ取る。 「チャミュ、あっち」 「あぁ、あそこにいるみたいだな。おーい、エデモアー」 チャミュと俺、ソフィアは人影の方へと歩いていく。 そこに白衣を着た小さい子が銀色の鎧を前に何やらブツブツつぶやいていた。 紫色の髪の毛は腰まで長く、前髪も鼻下まであって目が隠れているため表情が見えない。 「エデモア、連絡した通り来たぞ」 「やや。チャミュじゃないか。どうしてここに?」 「どうしてって、守護天使を直してほしいと連絡しただろう」 「………あーっ!」 首をぐいーっと横に捻って考え込んでいたエデモアは突如思い出したように声を出す。 「したね! たしかに!」 「だろう? お前の物忘れの激しさはいつ治るんだ?」 「はは。そうだな、千年も生きれば治るかな」 「まったく。それで、これを見てほしいんだが」 チャミュはエデモアのテンションの落差にも動じず話を進める。 やけに慣れた感じだ。 「これ、もう動かなくなってしまっていてね」 チャミュはエデモアに剣型のキーホルダーを渡す。 「あー、これはだいぶ古い奴だねぇ。すべて取り替えないと動かないよ」 「そうなのか? 困ったなあ。まぁこれは修理に出すとして、他に使えそうなものはないかい?」 「代替品ならいくつか置いてあるから適当に持って行っていいよ。でも、チャミュって守護天使って使ったっけ?」 「私じゃないよ、彼が使うんだ」 そう言って俺の方を指さす。 「ん?」 エデモアは俺の周りをぐるぐる回りながらジロジロ見つめてくる。 「な、なにか?」 「君はーー誰?」 「ぼ、僕は天寿シオリです」 「彼には人間界で世話になっていてね。訳あって天帝との戦いに巻き込まれそうなので、 護身用の物が欲しいんだ」 「はぇー、そういうことかー。相変わらず大変だねー。で、こっちのはー」 ジロジロとソフィアを見るエデモア、ソフィアは照れて目をそらす。 「彼女はソフィアだ。エデモアも聞いたことはあるだろう?」 「ん……あー! あのお姫様!」 ポンッと手を叩くエデモア。 「初めて見た! ってことは……」 そう言って目を覆う仕草をするエデモア。 「エデモア、大丈夫だ。今の彼女の能力は眼鏡によって守られている」 「そーなの? じゃあ、安心」 「エデモアはね、エデモアって言うのだ。よろしくーー」 「ソフィアです、よろしくお願いします」 若干引き気味のソフィアだが、軽く握手を交わす。 「で、シオリって言ったっけ。好きなの持っていっていいよ」 そう言って、エデモアは草原の中にある棚を指さす。 そこには、乱雑に置かれた、平たく言えばガラクタの山があった。 その中にいくつか、チャミュから渡されたキーホルダーに似た形のものがある。 「エデモアは造るのは得意なんだが、整理整頓が苦手でな……」 「そうなんだ、これってどれでもいいの?」 「そうみたいだね」 「守護天使ってどんな感じなの?」 「あぁそうか、そういえばどういうものか見せていなかったね」 チャミュはそう言うと、近くにあった盾型のキーホルダーをとって中心の球体を押す。 すると、球体が青く光、キーホルダーから銀色の羽が生えた甲冑が現れた。 甲冑はチャミュの背中の上で浮遊している。 「これが守護天使だ。別名、身代わり天使と言ってね、ダメージを代わりに受けてくれる」 もう一度球体を押すと、甲冑はキーホルダーの中へと消えてしまった。 「なるほど。この間、ソフィアが僕の疲れを身代わりに受けてくれたんだけど、そんな感じかな」 「そうだな。天帝がどんな手を使ってソフィアをさらいに来るかわからないからね。シオリくんが危ない目に遭わないとも限らないし」 「チャミュも色々考えていたんだね」 「君、いったい私をなんだと思っているんだ?」 その問いには、あえて答えないことにした。 しかし、色々な形状があって何を基準に選んでよいのかわからない。 その中で、他とは違う色、形状をしている物を見つけた。 黒く光り、中央の球体は一つではなく、三つ付いている。 「これは?」 「はて、なんだろう。他の守護天使とはまた形が違うね」 「あーーーー、それはねーーーーーエデモアの師匠が造ったやつ」 ヒョイっと間に入ってくるエデモア。 「師匠?」 「そう、喋るよ、その子ーーーーー」 「へ?」 丁度球体を押したときにエデモアが言った。 キーホルダーの中から黒くて大きな翼を背負った甲冑が現れる。 俺の体の二倍くらいはありそうだ。 「どこだここは?」 甲冑から声が聞こえてくる。 「ホントだ、喋った」 「俺を起こしたのはお前か?」 低く、野太い声 「は、はい」 不機嫌そうな声に押されて少し後ずさる。 「用がないなら俺は戻る」 「え?」 そう言うと黒い甲冑は再びキーホルダーの中へ戻っていってしまった。 「戻っちゃった……」 「だな……」 「ですね……」 「その子、ずーっとそこに置いてあったんだ。師匠が造ったからエデモアにもよくわかんなくて」 「置いてあったって、どのくらい?」 「んーーーーーと、わかんない」 「シオリ?」 僕は悩んだ末に、うん、とうなずいて顔を上げる。 「……わかった、じゃあこいつにするよ」 「いいんですか?」 「うん、不愛想だけど、悪い奴じゃなさそうだし。話ができるなら守護天使のこと教えてもらおうかなって」 「なるほど、シオリくんらしいな」 「エデモア、いいか?」 「いいよー。ただ壊したら直し方わからないから、扱いだけ気を付けてねー」 「師匠の造ったものなのにいいのか? そんな簡単に」 「それは関係ないよー。物はちゃんと使われた方が嬉しいでしょ」 「たしかに、その通りだな。じゃあ、修理の方は頼んだよ」 「まかされてー」 エデモアに挨拶をして、骨董屋を後にする。 「シオリくん、また天帝の使いが現れるような時は私に連絡してくれ。今回の話はそう簡単には解決しなさそうだからな」 「わかった、そうするよ」 「ごめんなさいシオリ……」 「ソフィアが謝ることじゃないよ。ソフィアをさらおうとする奴らが悪いのさ。それに、ソフィアがいなくなったら寂しいし」 「シオリ…」 言って互いに目が合い赤面する。 「それは私が帰ってからにしてくれると助かる」 「い、いやそういうので言ったんじゃないって! 」 「ははは、冗談だよ。それじゃ、帰りには気を付けて」 そう言って、チャミュは帰っていった。 守護天使を手に入れたことで、心が少し軽くなる。 この先、未知の者との戦いは生身だけでは不安があったからだ。 後で使い方を色々聞いてみることにしよう。 俺はキーホルダーをポケットにしまうと、ソフィアと一緒に歩いて家へと帰った。 もちろん、また誰かソフィアをさらいに来ないかと警戒しながら。 ** 守護天使をもらってから数日、事あるごとに起動してみるのだが。 「用がなければ呼ぶな」 と勝手に引っ込んでしまう守護天使。 そのせいで、ちゃんと話ができないでいた。 ――選択をミスったかもしれないな。 そう思い始めた。だが、何回か呼び出したところで、キーホルダーの状態でもこちらの話が聞こえていることがわかり、呼びかけを続けているがまだちゃんと返事をもらったことはない。 「それ、本当にちゃんと動くのか?」 フーマルが朝飯を食べながらキーホルダーを覗き込む。 「たしかに他の物とは色も形状も違うみたいだが。役に立つのかねぇ」 「エデモアは大丈夫だって言ってたし。あとはちゃんと会話が出来ればいいんだけど。おーい」 「……」 「やっぱダメか」 「そう言えば、こ名前はつけてあげたのですか?」 「名前?」 「はい、守護天使には固有の名前を付けてあげることで使用者との相性を良くすることができるそうです」 「へぇ、名前かぁ。何がいいんだろう? そうだ、前に名前って誰かにつけられた?」 「……」 黙り込む守護天使。 「ダメか…」 「いつかきちんと話を聞いてくれますよ」 「そうだな、根気強く行くとするか」 僕は朝食を食べ終えると、学校の支度を整えて玄関に向かった。 「はい、シオリ。お弁当」 「ソフィア、わざわざ悪いね」 「ずっとお世話になりっぱなしですので、これくらいは。今日は普通通りの帰りですか?」 「うん、そうだね」 「わかりました、夕飯の支度をして待ってますね」 「ありがとう、帰ったら僕も手伝うよ。それじゃ行ってきます」 「いってらっしゃい」 ソフィアとの日常の挨拶もすっかり自然になってきたな。 このまま色々うまくいくといいんだけど。でも天帝の件は、すぐに解決はしそうにない。 僕はぎゅっと鞄をにぎって、通学路を歩いて行った。 ◆◆◆◆◆ 「シオリーー!」 学校の玄関まで来ると、スカーレットが待ち構えており僕に乗っかってくる。 身のこなしはまるでサーカスの団員かのようだ。 「シオリ、最近会えなくて寂しかったよ」 「いや、スカーレットが学校休んでるだけだろ。僕は学校来てるよ」 「そうだっけ?」 僕に抱きついたままとぼけるスカーレット。 「そうだよ」 「まぁまぁいいじゃん」 スカーレットは僕の肩に足を乗せると一気に体を起こす。いわゆる肩車の態勢だ。 「何やってるんだよ」 「いいじゃんいいじゃん、さぁレッツゴー」 校門を指差すスカーレット。 しかし生活指導の先生に見つかりすぐに降ろされることになった。 「にしても随分軽かったな、スカーレット」 「え、そう? シオリ、お世辞まで言えるようになるとはやるな。このこの」 スカーレットが僕の腕をとって体を寄せてくる。 「サキュバスって、人間と同じくらいは体重あるんだけどな。しかも私、ほら、胸大きいからさ」 「へえ」 「へえ、って。触りたい、とか思わないの?」 「別に」 「相変わらず、私に対しては塩対応だな!」 スカーレットはそういって、僕の腕を胸に押し付ける。 「いや、でも、本当に軽いね。全然重さを感じないからさ」 「シオリ、いつの間にか力持ちになったんじゃないの?」 「そんなことはないと思うんだけどなぁ」 不思議に思いながら教室へと向かう。 授業自体は特に変わりなく過ぎていったのだが(スカーレットはいつも通り先生に魅力をかけ保健室で寝ていた)、昼休み中にまた不思議なことがあった。 クラスの宿題ノートをまとめて運んでいる香山がいた。 見るからに重たそうに運んでいたので見かねて声をかけた。 「香山、それ手伝おうか」 「あ、天寿くん。でも、結構重たいよこれ」 「大丈夫だよ、これくらいなら」 香山が持っていたノートをひょいと受け取る。 「ん? 軽いな」 「え、そんなことないよ。毎回重くて大変なんだから。 そんなに軽いって言うなら今度から天寿くんに運んでもらおっかな」 「いや、流石にそれは」 「冗談冗談、手伝ってくれてありがとね。そういえばソフィアは元気?」 「うん、変わらず元気だよ」 「そっか、今度お菓子持って遊びに行くね」 「ありがとう、ソフィアも喜ぶよ」 ノートを職員室まで運ぶと、そのまま香山と別れる。その時、 「シオリ、シオリ」 保健室の入り口から僕を手招きする声。 「どうしたんだ?」 気になって保健室の入り口まで行くがスカーレットは中に引っ込んでしまった。 「あ、おい」 慌てて後を追う。 「スカーレット?」 保健室には誰もいなく、中へと入る。 ガチャッ。鍵がかかる音。 振り返るとスカーレットが保健室の扉を閉めて立っていた。 「ふふ、つかまえた」 「スカーレット、またよからぬことを…」 「そんなことないよ、ほらこっちこっち」 「おわっ」 スカーレットは僕の手を掴み保健室のベッドに押し倒す。 仰向けになった僕の上に覆い被さるスカーレット。 完全にマウントをとられた状態だ。 僕は何度、この体制になればいいんだ? ミュウもスカーレットも、男を組み敷くのが好きなものなんだろうか。 もしかして、サキュバスの特性? だとしたら、もしかしてソフィアも……? そんなことを考えている間にも、スカーレットは僕で遊ぼうとしている。 「ふっふっふー」 僕のシャツに手をかけ、脱がそうとするスカーレットの腕を掴む。 「あれ?」 腕をまったく動かせないことに驚くスカーレット。 僕も、自分の力がここまであることに驚いている。 「シオリってこんなに力強かったっけ?」 「いや、そんなでもなかったと思うけど……」 スカーレットの両腕を押さえたまま上体を起こす。 スカーレットは僕の腰の上に跨がる形になる。 スカーレットはそこから僕が倒れ込み、つられて今度は僕がマウントする態勢になる。 「うーん……」 「あ、ごめん。痛かった?」 「大丈夫。でも……だ・い・た・ん」 「そんなんじゃないから!」 「シオリに襲われるのも、悪くないかな」 「いやそういうつもりじゃないんだけど……」 僕を見つめてくるスカーレットに照れ、目をそらす。 いくらソフィアのことが好きとはいえ、可愛い女の子を目の前にすれば、恥ずかしくなるのは仕方ない。 「スカーレットは天帝って知ってるか?」 「天帝? 知ってるよ」 「それが今ソフィアのことを付け狙っているらしいんだ」 「うん、だろうね」 「どうしたらソフィアのことを諦めてもらえるんだ?」 「無理だと思うよ。自分の手に入れたい物はどうやっても手に入れるから。私みたいに」 そう言って脚を僕の腰に回してがっちりとホールドする。 「ふふ、捕まえた」 「スカーレット、僕は天帝にソフィアのことを諦めてもらいたい。だから、協力してくれないか」 「イヤだって言ったら?」 「仕方ない、あとはこっちでなんとかするよ」 「えー、なんでそんな簡単に引き下がっちゃうのさー」 「だってスカーレットが言ったことだろ、イヤだって」 逃げようとするが、スカーレットは渾身の力をこめる。 「仮に、の話よ。シオリが私のものになるなら、天帝のこと助けてあげる」 「それはできないな」 「やっぱりそういうのねー。じゃあこういうのはどう、一回助けるのに、一日なんでも私の言うことを聞いて、それだったら悪くない取引でしょ?」 「一日か……」 「私にしては最大の譲歩だと思うけど?」 たしかに、まったく手伝ってくれない、というわけでもなさそうだ。 あとは僕の心次第、というところだが……。 ソフィアに、約束したのだ。 次にスカーレットやミュウが僕で遊ぼうとしたら、ちゃんと相談すると。 一人で決めることは、絶対にできない。 「考えさせてくれ」 「いいわ」 スカーレットはそう言って僕に唇を近づけてくる。 僕はスカーレットの腕を抑えながらスカーレットの唇を回避する。 「むー、かたくなだなー、ホント。まぁ、だからもっと欲しくなっちゃうんだけど」 スカーレットは僕から離れるとぴょんっとベッドから起き上がった。 「良い返事、期待してるね」 腰に手を当て、可愛らしいポーズを決めてから、スカーレットはそのまま、保健室から軽やかに出て行った。 まったく、世話がやける……。 「天寿くーん、ちょっといいかなー」 保健室から出ようとした僕を後ろから香山が呼び止める。 このあと、保健室に鍵をかけて使ったことをめちゃめちゃ怒られたのは、また別の話だ。 ◆◆◆◆◆ 下校時間になり、トボトボと帰路に着く。 スカーレットの話に付き合っただけだというのに、香山から怒られるわ、先生から呼び出しを食らうわ、ひどい目に遭ったものだ。 帰ったらソフィアがご飯をつくってくれているし、早く帰ろう。 そういえば、と、僕は今日一日のことをふと振り返ってみた。 スカーレットのことや香山のこと。その中である一つの結論に至る。 「なぁ、もしかして今日助けてくれたのか?」 守護天使に話しかける。 「……」 だが、返答はない。それでも僕は言葉を続けた。 「おかげで助かったよ。また頼むな」 「……」 まぁ、そう簡単に距離は縮められないか。 今日は力を貸してくれたことに感謝をしよう。 その時、前を歩いているミュウが目に入った。 ウエイトレス姿をしているということは、買い出しかなにかか?  なにやらメモを見ながら歩いている。前方には自転車が。 お互い、建物が死角になっていて接近しているのに気づいていない。 このままだとぶつかる……!  「ミュウ危ない!」 とっさに僕は走り出し、ミュウを抱きかかえてスライディングする。 間一髪、自転車との衝突は回避された。 「な、なによ……シオリ?」 「よそ見してちゃダメじゃないか、危なかったんだぞ」 「品物覚えるのに必死だったのよ……にしてもあなた、随分たくましくなったのね」 軽々とミュウを抱えているのを不思議に思ったのだろう。 「……ふん。しばらくこのままでもいいわね」 「いいわけないだろう、下ろすよ」 「あっ、もう」 こんなところをソフィアに見られたら、誤解されてしまう。 「危ないところをありがとう、お礼を言っておく」 「ミュウが礼をいうなんて珍しいな」 「ふふん。奴隷にもご褒美をあげないとね」 ミュウは僕のほっぺにキスをする。 「なっ……」 「驚いた? でも、海外ではこのくらい挨拶みたいなものらしいわよ。勉強したんだから。また姉さまを連れてお店に来なさい。少しはもてなしてあげるわ」 そう言ってミュウは、スーパーの方へと歩いて行った。 「やっぱ、助けてくれてんだな」 再度、キーホルダーに向かって話しかける。 「ありがとう」 「……」 返事はないが、こいつは悪いやつじゃない。 僕は、そう確信した。 ◆◆◆◆◆ 「ただいま」 無事、家に辿り着く。 「あ、シオリお帰りなさい。今日はどうでした?」 「うん、まぁ色々あったからご飯食べながら話すよ」 「わかりました、もうご飯できてますから一緒に食べましょう」 ソフィアの夕飯に舌つづみを打ちながら、今日一日起きたことを話した。 「──そういうわけでさ、こいつが色々助けてくれたんだ」 テーブルに置いてあるキーホルダーに話しかける。 「そうだったんですね、ありがとうございます。キーホルダーさん」 「……シェイドだ」 「え?」 「……」 「今、キーホルダーさんが「シェイドだ」って」 「シェイドって言うのか」 やっと喋ってくれた、と僕とソフィアで笑みを浮かべる。 「私の主人はやたらと面倒事が好きなようでな。おかげで忙しい一日だった」 シェイドが呆れたように話し出す。 「別に好きで巻き込まれてるんじゃないよ」 「私にはそうは見えなかったが、まぁ用心することだ」 「わかったよ、今日は助かったよシェイド」 「当然の仕事をしたまでだ」 ぶっきらぼうなしゃべり方は変わらないが、名前が聞けたのは一歩前進だ。 「シェイド、面倒事ってなにかあったのですか?」 「主人は保健室でスカーレッ―――」 「だーっ! シェイド待って待って! 」 今日一日あったことを赤裸々に語ろうとするシェイドを止めに入る。 危ない、こいつには一部始終を見られてるんだから気を付けないと。 そのあと、ソフィアには、何があったかをきちんと話した。 たぶん、ちゃんと話さないと逆に疑われると思ったからだ。 ソフィアは「そうなんですね」とニコニコしていたが、その笑顔に隠された圧を僕が見逃すはずもない。ソフィアが来てから、それなりの時間が経っているんだから。 頼むよ、スカーレット。そしてミュウ。 僕をもう面倒に巻き込まないでくれ。 心の底から、そう思ったのだった。 ** それから数日後の夕方。 学校からまっすぐ帰ってソフィアと夕飯を食べているとチャミュが家を訪れた。 「食事をしているところ悪いね。二人に知らせておきたいことがあって」 「なにかあったのか?」 「あぁ、天帝の息のかかった者が続々とこの街に現れているらしい。彼らの狙いはもちろんソフィアだ。外を出る際には十分注意してくれ」 「わかった。にしても、天帝はどうしてそこまでソフィアを狙うんだ?」 「前にも言っただろう、天帝は他とは違う天使を自分の元に集めたがるんだ。希少性が高いものに価値があると信じている天使だからね」 「なるほどね」 「一度欲しいとなると執着が凄い方だからな。どうにかして解決する方法を探らないと」 何度も色々なひとに言われているが、天帝となれば心も純粋そうだが、違うらしい。 「それなんだけどさ。ソフィアとも話をしたんだけど、天帝と話し合うことってできないのかな」 「シオリ、それは無理な話だ。天帝は言わば子どもが権力を使って駄々をこねているようなものだからね。聞く耳をもたないだろう」 「にしたってこのままじゃソフィアも安心して暮らせないし。僕たちの生活の邪魔はしないって約束させないと」 「まぁ、ソフィアをさらうようなことだけはやめるようにさせなければならないな。それが多少荒っぽいことになったとしても」 「できれば争いごとはなくすませたいですが……」 心配そうな顔をするソフィア。 争うたびに、ソフィアが傷ついているのを僕は知っている。 体の事ではない。心だ。僕を巻き込んでしまっているとソフィアは思っているらしい。 僕が、自分からソフィアのために戦っているのだが、それでもソフィアは罪悪感を覚えてしまう優しい子なのだ。 「そうだね、ソフィアを荒っぽいことに巻き込みたくはない」 「天帝に直談判する方向は、なにかしら検討しておく。もしかしたら天界に行く必要も出てくるかもしれない」 「僕も必要な時には声をかけてくれ」 「そう言ってもらえると助かるよ」 「シオリ、天帝にソフィアは自分のものだと宣言してはどうだ」 「シェイド!?」 話を聞いていたシェイドが突如口を開く。 あまりに、突拍子もないことだった。 「そんなこと言ったら、神経を逆なでしちゃうんじゃないか。それに、ソフィアをもの扱いするのは、それこそ天帝と同じになるから好きじゃないな」 「何故だ、自分の所有物であると宣言するのはとても大事なことだ」 「こういうのはね、デリケートな話なんだよ」 優しく諭すようにシェイドに語りかける。 合理主義というか、どちらかというと天帝側の意見に近いんじゃないかと思う。 ソフィアは顔を真っ赤にしながら、照れるのをごまかすように食卓の後片付けを始める。 「シェイドと言ったか、まぁそういう面も一理あるかもしれない。ただ天帝はそれで引き下がる天使ではないからな。しつこい相手を諦めさせる手を考えないといけない」 「何かと面倒なのだな」 「そういうこと」 「また新しい情報を手に入れたら来ることにするよ。それじゃあまた」 「わかった、チャミュも気をつけてな」 僕とソフィアはチャミュを見送るとリビングに戻った。 そういえばチャミュは最近仕事姿をみない。大方、人間界の仕事を一通りやってみて、飽きてしまったのだろう。最近は天界にもよく帰っているという。 きっと、ソフィアに関する情報を調達しているのだろう。 チャミュはおかしなやつだが、ソフィアを思う気持ちだけは本当だ。 「天帝か、どんな人物なんだろう。ソフィアは会ったことあるの?」 「はい…。自己中心的な方で、私は好きな方ではないです」 「そうなんだ、それこそソフィアの能力の影響とかで?」 「天帝には私の魅了が効かなかったみたいです。ですが、魅了にかかった方と行動はあまり変わらなくて……」 「元からそんな感じなのはまずいな……」 僕は、思わず天をあおぐ。 魅了にかかる前から、魅了状態って。 それ、純粋にソフィアを好きってこと? 一番厄介な奴じゃないか……。そんなやつと張り合わなきゃいけないのか。 「近くに置いた天使も厚遇すると聞いています。なので、まわりから慕われる面もあるかと思うのですが、私は自由に恋愛をしてみたかったので。向こうから一方的にというのは……」 「まぁ、そうだよね。好きな人は自分で決めたいよね」 「はい……。シオリもそうですか?」 「もちろん」 そう言ってソフィアの方を見たときに一瞬目が合う。 気恥ずかしさに視線をそらす二人。 自由に選びたいといって選んだのが、いま目の前にいる相手だということを、あらためて認識する。 「と、とにかく、ソフィアがこっちの世界で楽しく過ごせるようになんとかするからさ」 「あ、ありがとう、シオリ。シオリといると、なぜか心が穏やかになれます」 ゆっくり視線を戻していく僕とソフィア。 ソフィアの瞳が潤んでいるのがわかる。 徐々にソフィアとの距離を縮めていく。 その時、 「やはり、早く自分の所有物であることを天帝に宣言することを提案する」 「「シェイド!」」 空気を読まないシェイドの言葉に僕とソフィアは二人合わせて叫んだ。 ◆◆◆◆◆ 翌日、学校の授業も終わり帰る支度をしていると伊達がやってきた。 「よおシオリ、帰りにクレープでも食べて帰らないか」 「クレープ? いきなりだな」 「最近、屋台で美味いクレープ屋を見つけたんだよ」 見かけに寄らず、甘いものが好きな伊達。 「人を見た目で判断するのはいけないが、伊達は醤油とかしょっぱいものが好きそうな感じなんだけどな」 「まあ、純和風な名前だしな。どうする? 行くか?」 「いいね、行こう」 その日は特に用事もなかったので伊達に付き合うことにする。 可愛らしいワゴンタイプのピンクの車が公園に停めてある。いたるところがハートでデコレーションされており、いかにもラブリーな雰囲気を醸し出している。 「これまた結構なデザインだな」 「だろう。これが食べてみるとびっくり、美味しいんだな」 そう言って伊達は店員にチョコバナナホイップクリームを注文する。ガッツリ甘いやつだ。この店構えでも臆さず注文できるのは凄いと思う。 僕だったら、絶対に自分一人で注文に行けない。 僕は別に甘いものを食べたい気分でもなかったのでツナサラダを注文した。 「確かに、美味しいな」 「いや、確かに美味いんだろうけどせっかくなら甘いのを食べろよ」 「いや、今甘いのを食べたい気分じゃなかったからさ」 「誘いがいのない奴だなぁ」 伊達は呆れながらクレープを頬張る。 嬉しそうにクレープを食べるその姿は完全に女子だ。伊達だが。 「お前、ソフィアちゃんとはどうなんだよ」 「ぶふぉっ。いきなり、なんだよ」 唐突な伊達の質問に持っていたクレープを落としそうになる。 「そりゃあんだけ可愛い子と一緒に暮らしてるって聞いたら気にならないわけないだろう。で。どこまでいったんだ?」 「な、なにもないよ」 まぁ、伊達が期待しているようなことはなにもしていないから、ないと言っておく。 デートをして、手を繋いで、腕を組んで、草原で一緒に寝転んで、アヒルさんボートに一緒に乗った。それだけといえば、それだけだが、逐一報告するのも気が引けた。 「んなわけあるか! 男やろ! なんもないわけないやろ!」 「伊達、口調変わってる……」 取り乱す伊達を落ち着かせる。 「ったく、ボヤボヤしてると誰かに奪われるかもしれないぞ。あんだけ可愛いんだから」 「大丈夫だって」 そう言いつつ、天帝がソフィアを狙っていることを思い出し一抹の不安がよぎる。 大丈夫、だよな……? 「どうかしたか?」 「いや、なんでもないよ」 「好きだったらちゃんと言わないと伝わらないぞ」 「そ、そう言うお前はどうなんだよ!」 「僕か、僕はそういうのいいからさ」 そう言って伊達ははぐらかす。 伊達には学校で気になる子とかいないのだろうか。 「いいから、ってなんだよ」 「まあまあ。ほら、そろそろ帰るとしよう」 僕と伊達は公園の出口まで歩いていく。 「じゃあまたな」 「ああ、学校で」 伊達と別れて少し歩く。 すると、その時、キーホルダーから声がした。 「シオリ、前方に不審者だ。こっちをずっと見ている」 「えっ」 言われて足を止める。 「人間のエネルギーではない。おそらく天帝の使いだ。それも大きいものだ」 「どうすればいい」 「まずはチャミュとミュウを呼んでおいた方がいいだろう」 「そ、そうだな……」 そう言って携帯を取り出す。 しかし、圏外マークになっていて通話することができない。 「どうして、ここ街のすぐ近くだぞ?」 「結界だな。邪魔が入らないように隔離されている。ターゲットは完全に私たちらしい」 「どうすれば……」 気付かないうちに敵に狙いを定められていたことを知り、焦る。 ダメ元でミュウからもらった、ヒヨコさんのホイッスルのを吹いてみることにする。 「ピスーッ」 空気の流れる音はするのだが、肝心の音が聞こえない。 「僕の吹き方が下手なのか……?」 しかし、何回やっても同じだった。 「音が出ない……」 「遊ばれたようだな」 「そんなー!!」 シェイドの無慈悲な返答。 僕の悲痛な叫びとは裏腹に、事態は更に悪化していく。 黒い軍服のような制服にマントを羽織った大柄の男が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。 静かな威圧を放っているのが、この距離でもわかる。 金色の短髪に海外の俳優のような端正な顔立ち。 これは見るからに強そうな男が現れた。 「結構まずいんじゃないか……」 「見るからに手ごわそうだな。逃げることを提案する」 その場を離れようと足を動かそうとする。 だが、地面に張り付いたようにまったく動かない。 「な、なんだこれ……か、身体が重い……」 「重力を制御されているようだ。私たちにとてつもない重圧がかかっている」 男が近づくたびに重圧はさらに増していき、僕は地面にひざをついた。 男は近くまでくると僕を見下ろし、口を開いた。 「私の名は天帝直属天士長リーガロウ」 「天帝直属?」 「天帝の命でサキュバス天使を迎えに来た。そのためにはお前が有用と情報を得ている」 そう言うと、リーガロウは僕の胸ぐらを掴み軽々と持ち上げる。 「しかし、こんな男が本当に必要なのか? 何ら特別なものは感じないが」 「随分な言い草だな……」 体は依然として重く、指先一つ動かすことが出来ない。 せめてもの反抗として言ってみたが、口を開くだけでも相当に辛い。 「己の運の悪さを呪うんだな」 リーガロウはもう片方の手から球体の宝石のようなものを取り出す。 僕に近づけてくると、石はまばゆい光を放つ。 まるで吸い込まれそうな感覚を覚える。 「シオリよ、これは危機だ。捕縛石に閉じ込められてしまう」 「捕縛石!? でも、逃げようにも身動きが……」 宝石が体に触れようとしたその時、 ヒュッ!  黒い薔薇を模《かたど》った剣が僕を掴んでいるリーガロウの手に飛んでくる。 「ミュウ!」 すんでのところで剣を弾くリーガロウ。 その影響で僕は掴まれていた状況から離される。 「……この俺の邪魔をするとは、誰だ?」 剣が飛んできた方向を向くリーガロウ。 「まったく、買い物の途中だったのだけれど」 ウエイトレスの服を着た女性は、落ちた剣を吸い寄せるとピッと剣を振り直す。 そこには不満そうな顔をしてミュウが立っていた。 まったく、本当に頼りになる子だ。 「吹くのは一回で十分よ。何回もいらないわ」 ミュウはゆっくり歩きながら僕の方に近付いてくる。 「ちゃんと聞こえてたんだな。音がならないのかと思ったよ」 「私にしか感知できないようにしているのよ。…それで、天帝の使いがシオリに何の用なのかしら?」 ミュウは黒薔薇の剣を持ち直すと、リーガロウに剣を向けた。 ハッとした表情でミュウのことを見つめているリーガロウ。 「なにやら衝撃を受けているように見える。シオリ、こちらの重圧が解除された」 シェイドの声で、立ち上がる僕。 「むっ! そうはさせん」 リーガロウは僕が動いたのに気付くと再び重圧をかけてくる。一気に重さが乗っかったせいで地面にへばりつく形になる僕。 「うぐぐ……重い……」 「ちょっと、どうして私を無視するのよ」 怒ったような口調のミュウが、僕とリーガロウの間に割って入る。 「ミュウ、危ない。逃げるんだ」 見上げると、ミュウが丁度僕の前にいるような形になる。 スカートの空間は真っ暗になっていて何も見えない。 「何言ってるのよ。あなたが助けを呼んだんでしょ。で、名前は知らないけど、敵さん?あなた、なんでさっきから黙ったままなのかしら」 「ぐ……」 詰め寄るミュウに後ずさりを始めるリーガロウ。 「なぁ、シェイド……」 「彼の顔が随分と赤い」 「そう思うよな……」 リーガロウは何にうろたえているのだろうか。 それに、どうやらミュウには重圧がかかっていないらしい。 「ねぇ、聞いてるの?」 更に詰め寄るミュウ。リーガロウの顔がもっと赤くなる。 「シェイド、まさかとは思うが……」 「ロリータコンプレックス、俗にいうロリコンというやつだな」 明らかにミュウがきてからリーガロウがうろたえている。 リーガロウの頭の中では、ミュウを初めて見た衝撃が頭を離れないでいた。 幼い顔立ちに似合わずきつめの口調。すらっとした体に上品なウエイトレス服。 自分にとって好ましい対象が目の前に現れたことで、迷いが生じてしまっていた。 「な、名は……」 「はい?」 「名はなんという」 「私? ミュウよ。そんなあなたは誰かしら」 「私は天帝直属天士長リーガロウだ」 「やっぱり天帝の使いだったのね。シオリを人質にでもとるつもりだったのかしら。そんなの、絶対に許さないから」 ミュウは白い薔薇の剣を取り出すと、地面に倒れている僕を後ろ手に切りつけた。 緑色の斬撃が走り、僕の体が軽くなる。 「おっ、動ける。ってあれ、真っ暗だ」 「重圧を斬ったわ……って何をしているのかしら」 ミュウが重圧を解除してくれた反動で起きあがろうとするが、丁度スカートの中にもぐりこんでしまった。 ミュウの柔らかいお尻が顔にぷにょんと当たる。 それに、クレープより甘い匂いが鼻に残る。 「わっ、ごめん!」 「そんなに私に興味あったのかしら?」 ミュウの少し嬉しそうな声が聞こえる。 「間違っただけだって!」 ミュウのスカートの中から慌てて、起きあがる。 「貴様、なんという恥知らずなことを……!」 僕の行動に怒りを示すリーガロウ。 やけに怒っているな。たしかにHなことに対して耐性はなさそうではあるが。 「シオリ、私のお尻に触れておいて何か言うことはないの?」 「だから、ごめんって」 「そうじゃなくて」 ミュウは不満そうに僕に近付くと、耳元で囁く。 「前に比べて肉付きが良くなったねとか。下着がシルク生地になったんだねとか」 「前と比べてとかわかんないよ! それに僕そんなこと言ったことないし!」 「あら、心外ね。もっと私の変化に敏感にならないと」 「そう言ったってなぁ」 「シオリ、敵の精神に揺らぎを感じる。どうやらダメージを受けているらしい」 僕とミュウのやりとりで、リーガロウがダメージを受けている? たしかに、なにか僕に対しての敵意が増しているような気がする。 「リーガロウって言ったっけ。まだ僕を捕まえる気なのか?」 「無論だ。それが私の任務だからな」 「それは私がさせない」 「な、なんだと」 ミュウが黒薔薇の剣から花びらの竜巻を起こすと、リーガロウを囲む。 「くっ……」 「これまたあっさりと囲まれたな……」 「ロリコン恐るべし。まったく反撃してないぞ」 ミュウに対して露骨に弱くなっているリーガロウ。 このままミュウにお願いして退場してもらうのが良さそうだ。 「ミュウ、頼む」 「しょうがないわね。薔薇の暴風《ローゼシュトゥルムビント》! 」 ミュウの掛け声とともにリーガロウとともに薔薇が巻き上がっていく。 「うわぁぁぁぁ!」 吹き飛ぶリーガロウ。まわりの景色も、元の景色に戻っていく。 「今ので結界が解除されたようだな」 「案外あっけなかったわね」 「ここまで露骨に弱点だとね……」 「クソッ、今回は出直す! だが、覚えておくがいい。貴様の命は常に狙われていると」 「いまの痴態を見せたうえで毒づかれても、怖くないんだけど」 「く……っ。そ、そしてそこの少女、体は大事にするんだぞ。お腹は冷やしてないか? 腹巻はいるか? そろそろ冬になるからな、靴下もちゃんと履くんだぞ。お風呂に入った時は体を冷やさないように半身浴をして……」 「こいつ、退場が遅いな」 思わずつぶやく。 リーガロウも自覚していたのか、「む、むぐぅ……。また会おう!」と言って去っていった。 残される僕とミュウ。 「ありがとうミュウ、助かったよ」 「そうね……なにかご褒美が欲しいわね」 思案を始めるミュウ。ただならぬ展開を感じる。 「キスを」 「却下」 即答で返す。ソフィアともしたことがないのに、できるわけがない。 「甘いわよ? 美味しいって言われるんだけどな」 「そういう問題じゃない!」 「じゃあ、今晩私の隣にいてくれないかしら」 「って言うと、一緒に寝るってこと?」 「そう」 「それは……」 「シオリ、ここは条件を飲むことを提案する」 「あら、飾りもたまにはいいことを言うじゃない」 「(シェイド)」 こっそりと、シェイドに話しかける。 「(このまま断り続けても条件は難しくなるだけだ。寝るだけであれば私が監視しておく。そうすればこの娘も下手なことはできないだろう)」 「(…わかったよ)」 「ミュウ、わかった。それでいこう」 「あら、意外にすんなり決まったわね。いいわ、もしそれがダメだったら私の体の弱いところを触りながらじっくり覚えてもらうつもりだったのだけれど」 「もっとダメだよ! じゃあ、帰ろうか」 「そうね」 「買い物の途中だったんだろ? 一緒に行くよ」 ミュウと僕はスーパーで買い物を済ませると、喫茶店に向かった。 にしても、天帝の使いって外見まともそうに見えてクセのある人ばっかりだな……。 天帝に対する印象がまたひとつ変わっていくのであった。 ** リーガロウ襲来の一件で、ミュウに助けてもらったお礼としてなぜか一緒に寝ることになってしまった僕。これはその日の夜に起こったお話。 「───というわけでして……」 リーガロウからの襲撃を逃れ、 家に帰り、ソフィアに事情を説明する。 「……」 「…………」 訪れる沈黙。 接触自体をソフィアが好まなく思っていることは前に聞いている。 ソフィアの浮かない顔から察するに、複雑な気持ちになる。 とは言え、どうすれば正解だったのだろうか。 黙ってミュウと一緒に寝る、それは後が恐い。 そもそもお礼をしない、それはそれで今後助けてもらえなくなりそうだ。 最初のキスにしておけばよかったのか? でも初めてのキスは出来ればソフィアとしたい……。 長い沈黙のあと、ソフィアが口を開いた。 「わかりました。ひとまず、シオリが無事に帰って来れたことに感謝です。ミュウにも後でお礼を言わないと」 ソフィアの落ち着いた口調。 だが、手が震えている。 平静を保とうとしているのが、丸わかりだった。 「ソフィア、言いたいことは言った方がいい」 沈黙の中、シェイドが喋り出す。 こいつ、肝が据わっているというか、こういう時に真っ先に切り出せるのは尊敬する。 「シオリと寝たいならはっきりと言うべきだ」 「シェイドー!?」 話の進め方なんてものは関係なく、直球を投げ込むその姿勢については一度話し合わなければいけない。 シェイドの言葉で顔を真っ赤にさせてうつむくソフィア。 そりゃ、こんなにストレートな物言いされれば真っ赤にもなる。 「シオリもシオリだ。何故ソフィアと寝たいと言わないのだ」 「言うわけないだろ!」 「何故だ。言葉で伝えないと伝わらないと言ったはずだ」 「……シオリは、私も一緒に寝たいと言ったら軽蔑しますか?」 黙っていたソフィアが恐る恐る口を開いた。 「えっ、いや全然しないよ! それじゃ、ソフィアも一緒に寝よう! それなら安心だ!」 思いもしないソフィアからの提案。 この機を逃してはいけないと直感が告げていた。 「じゃ、じゃあ今日はミュウとソフィア、三人で寝るということで…」 「は、はい、お願いします……」 ◆◆◆◆◆ 「それで、姉さまも一緒になったのね」 「うん、そうなんだ」 ミュウは、荷物片手に僕の家にやって来た。玄関前で事情を説明する。 「別に構わないわよ」 ミュウは特に気にするそぶりもなく、靴を脱ぐと階段を上っていく。 「もう部屋に行くのか?」 「パジャマに着替えてくるわ。見たければ別についてきてもいいけれど?」 「見ないよ! じゃあ僕はリビングの方にいるからさ」 「まったく張り合いがないわね。少しは喜んだらどうなのかしら」 「そう言われたってなぁ……」 ミュウはパタパタと階段から降りてくると僕を上目遣いに見つめてきた。 「私って……魅力ないかしら」 少し切なそうな表情をするミュウ。不覚にもドキッとしてしまった。 僕が顔を赤くするのを見ていじわるそうに笑う。 「なによ、ちゃんと反応できるんじゃない。そういう顔、もっと私に見せなさいよね」 ミュウはそう言うと階段を上っていった。 「ミュウ、来ましたか?」 ソフィアの声に、ドキッと心臓が跳ねる。 「う、うん、部屋で着替えてくるって」 「わかりました。デザートをつくってみたのでミュウの分も用意しておきますね」 「じゃあ、そのこと伝えてくるよ」 階段を上がり自分の部屋をノックする。 自分の部屋なのにノックするっていうのもなんか変だな。 「どうぞ」 ミュウの声が聞こえたのでドアを開けて中に入る。 パジャマをこれから着ようとしているミュウの姿が目に映った。 濃い紫色の肌が透けて見えるパンティとブラジャー、ガータベルト。 パジャマ自体は薄紫色の可愛いワンピースだった。 これから着るところみたいで肌と下着がばっちり見えている。 「どうぞって!? 着替え終わってないじゃん!」 「別にいいじゃない。見たかったから来たんでしょ?」 「違うよ! ソフィアがデザート用意してくれたからって、伝えにきたんだよ!」 「あら、そうなの。姉さまにはありがとうって伝えておいて。着替えが終わったら下に行くわ」 ミュウは平然と着替えを続ける。 頭に帽子まで載せていて、それだけ見れば可愛らしい女の子なのだが。 しかし、さっきドスケベな下着を見てしまったので心がドギマギしている。 「わ、わかった。次から着替え中の時はそう言ってくれよ」 「考えとくわ」 ふふっとミュウは笑うと長い黒髪を束ね始めた。 僕は心臓を落ち着かせながら階段を下りていく。 「ミュウ、どうでした?」 「着替えが終わったらリビングに来るってさ」 「そうですか。何かシオリに変な事しませんでした?」 “されては”いないので、何もないと答えておく。 「それならよかったです。あの子がここまで異性に興味を示すなんて。天界にいた時は見たことないので不思議な気持ちです」 「え、そうなんだ」 「ミュウは私のそばにずっといましたので。異性に対する印象もあまり良くなかったのではないかと思っています。ですから、ミュウがシオリのことを好きになるのは安心ではあるのですが……なんだか落ち着きませんね」 ソフィアは困ったようにふふっと笑う。 「心配するな、シオリにはソフィアだけだ」 「お前、そこ、わざわざ口にしなくてもいいから」 今日はセリフをシェイドにとられてばっかりだ。 シェイドの空気の読まなさっぷりに、さすがにあきれて僕とソフィア二人で苦笑いした。 ◆◆◆◆◆ 「姉さま、さすがね。このデザート美味しいわ」 ソファに座りながらソフィアのつくったプリンを食べるミュウ。 足をパタパタさせている。嬉しいと足が動いてしまうのが、やっぱり子どもらしい。 「うん、美味しいよソフィア」 「ありがとう。試しにつくってみたのですが、上手くいって良かったです」 カラメルの苦みと甘さがほどよい感じで美味しかった。 これならいくつでも食べられそうだ。 「はい、あーん」 ミュウが僕にスプーンを差し出してくる。 「いや、僕も食べてるし」 「いいから、はい」 困ってソフィアの方を見ると、ソフィアの目が細くなっている。 最近わかったことだがソフィアは機嫌が悪いと目を細める。 「ミュウ、楽しんでるだろ」 「なんのことかしら?」 「……まったく」 ここで食べないのも後々面倒になりそうだ。 差し出されたプリンを食べることにする。 スッ。 反対の方向からスプーンが出てくる。 ソフィアが無言でこちらにプリンが載ったスプーンを差し出している。 顔はちょっとだけむくれ気味だ。 「ソ、ソフィア…」 スッ スッ 無言の圧。 空気に耐えかねて、ソフィアのスプーンのプリンも食べる。 「美味しい」 ソフィアの目を見て答える。 コクッと黙って嬉しそうにうなずくソフィア。 「姉さまがそこまでムキになるなんて……」 ソフィアに驚くミュウ。 姉妹同士、お互いの変化に驚いている。 普段ならほほえましく見守るが、若干火花が飛んでいるので落ち着けない。 「さ、さて、デザートも食べたしお風呂に入ってくるかな」 「じゃあ私も」 「ちょっと待て」 するっと後をついてくるミュウを引き留める。 「それはさすがにマズイ」 「どうして? 私は気にしないわよ」 「僕が気にするんだよ! ソフィア、ミュウのことを見ててもらっていいかい」 「はい。ミュウ、今日は私と一緒に入りましょう」 「……むぅ。そうね、姉さまと入れるほうが嬉しいし」 ミュウをソフィアに引き渡し、風呂に入ることにする。 湯船に浸かり、大きく息を吐く。 今日も色々あって疲れた。 最近は近くにシェイドがいるし、なにかあればトラブルに巻き込まれるし。 一人でゆっくりすること自体がだいぶ久しぶりな気がする。 「まったく、ミュウは……」 打ち解けてきたし、妹と思えば別に可愛くないわけではない。 ただ、ソフィアとのことを考えると、やっぱりはっきりさせておいた方がいいだろう。 しかし、振り返れば、僕の周りが、だいぶ賑やかになった。 ちょっと前までは考えられないことだった。親父はずっと家を空けているのが当たり前だし(今もチャミュが来たっきり会っていない)、一人で暮らすのが普通だと思っていたから、不思議な感じだ。 「シオリ」 「は、はいっ」 風呂場の入口からソフィアの声が聞こえる。 「もうそろそろ上がれますか? ミュウが一緒に入るって聞かなくて…」 「あぁ! もう上がるから、もうちょっと押さえてて!」 ソフィアがいるから安心かと思いきや、そんなにゆっくりできるわけでもなかった。 家の風呂場の扉には鍵が付いていないため、強行されれば入られてしまう。 僕は急いで頭と体を洗うと風呂場を出る。 「はい、もう大丈夫だよ」 「すみません、せかす形になってしまって」 「まだ入ってても良かったのに」 「そしたら入って来たんだろ?」 「ええ、もちろん」 「自信満々に答えんでいい」 ミュウは嬉しそうに僕とソフィアを見上げる。 「姉さまと、私の「奴隷」と一緒に入る。楽しそうじゃない?」 「色々困るよ!」 「そうです、ミュウ。困らせないの」 「むぅ」 「さ、私たちも入ってしまいましょう」 「気が向いたらシオリも入ってきていいのよ」 「入るかっ!」 そんなやりとりをしながら僕はリビングへと戻った。 まだ布団にすら入っていないのに。 今夜は長くなりそうだった。 ◆◆◆◆◆ 私と姉さま、サキュバス二人で湯船に浸かる。 二人入るので丁度ぴったりくらいの広さでお世辞にも余裕があるとは言えない。 姉さまとお風呂に入るなんてあったかしら。 天界の入浴場はこれの何倍も広くて湯気で奥が見えないくらいだった。 でも、今より落ち着いて入った記憶なんてなかった。 好きな人がこんなに近くにいる安心感は心地良いわ。 姉さまでこうなのだから、シオリが一緒にいればもっと素敵に違いないのに──。 「ミュウ、シオリをあまり困らせてはダメよ」 珍しく、姉さまの諌《いさ》めるような声。 「私はシオリに好意を示しているだけよ。サキュバスなら普通でしょ?」 「そうね。でも人間にとっては普通ではないの。急なアプローチはシオリも困ってしまうわ。してはいけないとは言わない、けれどシオリの気持ちも考えてあげて。あなたは天使でもあるのだから」 「姉さまはどうして待てるの? 不安にならないの?」 私は、純粋に気になった。 サキュバスの力を抑えているとはいえ、半分はサキュバスの本質はあるはずなのに。 ゆっくり待っているなんて考えられない。自分を最大限使って相手を魅了させてこそ サキュバスとしての喜びがある。事実、シオリが少しでも私に興味を向けてくれると、他の男性が寄ってくるのとは比にならないくらい気持ち良さがこみあげてくる。その快感をもっと味わいたい。シオリにもっと私を見てほしい。 「姉さまはシオリと仲良くなりたくないの?」 私の言葉に、言葉を詰まらせる姉さま。 なにかを考えているように視線を泳がせる。 「私も、で、できることならなりたいわ。でも、サキュバスとしてではないの……シオリとは、もっと、ちゃんと、こう……」 ここまでしどろもどろになる姉さまを見たことがなかったので、とても新鮮だった。 姉さまをそこまでにさせるシオリに、もっと興味が湧いてくる。 「……姉さまには姉さまなりの想いがあるのね。わかったわ。でも、私もシオリのことが好き。この気持ちは止められない」 「わかっているわ。あなたもサキュバスの血を引いているから。その気持ちを止めはしない。ただ約束してほしいの、シオリにはちゃんと幸せになってほしい」 「わかったわ。私は姉さまもシオリも好き。どちらにも幸せになってほしいもの」 「ミュウ……」 「だから、シオリには姉さまと私、どちらも好きになってくれればいいのだけれど」 「シオリは真面目だから、きっと悩んでしまうわ。人間世界では、それは二股っていうのよ」 「フタマタ? 悪いことなの?」 「ええ。とても悪いことで、相手を裏切ることなの」 「人間って不思議ね」 そう言いながら、湯船をみつめる。 姉さまの大きな胸が、ぷかりと水面に浮かんでいる。 姉さまのつらそうな顔。そんな顔は見たくない。 「分かった。とりあず、シオリも姉さまも幸せにする、それは約束するわ」 「ミュウ……やっぱり、いい子ね」 姉さまはそう言って、私の頭をなでる。 二人でゆっくりと湯船に浸かる。 その時、私は一つ油断をしていた。 サキュバスが持つ魅了の力は汗としても染み出すことを忘れていたのだった。 ◆◆◆◆◆ 「良いお湯でした」 「久しぶりに姉さまとゆっくりできたわ」 お風呂からソフィアとミュウが上がってくる。 風呂上がりのいい匂いが鼻の奥をくすぐる。 優しいシャンプーの香りを嗅ぐだけで心が安らぐようだ。 「それは良かった」 「シオリも入ってくれば良かったのに」 「だからそれは無理だって」 「じゃあ次の機会ということで」 「それもないって」 「本当にそうかしら?」 イタズラっぽく笑みを浮かべるミュウ。 「あんまりからかうなよ」 「あら、私はいつだって本気よ」 「さぁ二人とも、そろそろ寝る準備をしましょうか」 「そうだね、そうしようか」 それぞれ洗面台で歯を磨く。 こうして見ていると僕も兄弟の一人になったような気がする。 家族のような雰囲気は悪くない。 「じゃあ、寝ようか」 寝る準備もでき、自分の部屋へと上がっていく。 ミュウとソフィアも後をついてくる。 結局、シェイドにはリビングにいてもらうことにした。 寝ている現場に居合わせたらどんな横槍が入ってくるかわからないからだ。 「で、どうしようか」 どう寝たらよいものか。腕組みをして思案する。 「シオリが真ん中になって。私はこっちにするわ。姉さまは反対側」 ささっとスペースを確保するミュウ。 手早い動きに完全に先手をとられる。 「じゃ、じゃあお邪魔します」 自分のベッドなのに。 どちらかを向くこともできず、大の字になる。 その左脇にソフィア、右脇にミュウがいる。 それぞれのよい匂いがしてきて頭がクラクラする。 「シオリ、あの、ひとつ謝らないといけないことが…」 「え? 何?」 ソフィアの声が甘ったるくなっていることにドキッとする。 「私たちサキュバスには肌からも魅了の効果がでていて、それは水にも溶けるんです。そのことを忘れていて」 「私と姉さま、二人でそれぞれお風呂に入ってしまったから」 「から?」 「前みたいに発作が起きているような状況なんです…」 「あー、そういう……」 前に、ソフィアが言っていた不定期にくるサキュバスの衝動。 それがミュウの魅了と相まって無理矢理引き起こされた感じになっているらしい。 「わかった、僕に手伝えることがあれば手伝うよ」 「助かります」 「ちなみに、私も同じだから」 ミュウも心なしか目がとろんとしているような気がする。 ミュウは僕の指に自分の指を絡めてくる。 小さな手が一生懸命何かを求めているようだ。 ミュウだけだと不公平なので、ソフィアの手を取り、指を絡める。 最初は驚いたソフィアだったが、抵抗せずすんなりと受け入れてくれる。 端から見て、美女二人と一緒に寝るこの光景は夢のようなのだろう。 だが、僕にとっては、とてつもない生殺し状態になっていた。 僕はもう何も考えず、このまま寝ることにする。それが一番安全だ。 誰にとってか? 全員にとって。 「それじゃ、二人ともお休み」 「もう寝ちゃうの?」 ミュウのいたずらっぽい微笑み。絡めた指を動かしてくる。 「ミュウ」 「ちょっとしたスキンシップよ」 ミュウは僕の胸に顔をうずめるとおとなしくなる。ソフィアの方はというと、僕の腕にしがみついてきて衝動を抑えようと丸くなっている。 「シオリの匂いって落ち着く」 ミュウは僕の胸に顔を近付けたまま大きく息を吸い込む。 余程気に入っているのか、なかなか離れようとしない。 「ねぇシオリ」 「なんだ?」 「サキュバスはね、好きな人と一緒にいられるとそれだけで幸せになるの。好きな人が振り向いてくれるともっと幸せになれる」 「姉さまのこともいいけれど、私の方も見てほしいわ」 ミュウが僕の上に乗っかり、僕を見つめてくる。 「(姉さまを愛して、私も愛しなさい)」 「えっ、ええっ!?」 ミュウに耳打ちされ、一気に鼓動が荒くなる。 「そうすれば私も何も言わないわ。別に選ばなくていいの。平等に愛してくれれば、それでいいわ。私、姉さまのことも大好きだもの」 ミュウの言葉には迷いがなかった。本当にそう思っているのだろう。 「ミュウの言っていることはサキュバスとしての純愛です……。サキュバスは別に一人だけしかいけないというルールはないんです。でも、シオリは人間です。ですから、私は無理強いはできないと思ってます」 「姉さまの意志は尊重したいから、私も無理は言わないわ。けれど、私はどちらも愛してさえくれれば、後は何も言わないわ。あなたが嫌なら変に迫るようなこともしない」 サキュバス二人からの求愛に困惑する僕。ここでどちらも、と即答できたらどんなに楽なことか。それでも、その選択をとることは今の僕にはできなかった。 困っている僕の顔を見つめるミュウ。 「あなたがそういう性格なのはわかってきたわ。別に今すぐとは言わない。ただ、私はそうしてもらうつもりでこれからもシオリには接する」 「ねぇ、姉さま」 「なに、ミュウ」 「シオリとキスしてくれないかしら」 「ええ!?」 ミュウの突然の提案にドキッとする僕とソフィア。 「ど、ど、どうしてっ!?」 「そ、そうだよ突然すぎる!?」 「姉さまが先にしてくれないと、私ができないじゃない。シオリだって初めては姉さまがいいんでしょ?」 あまりにも直球。 子どもみたいな体で、子どもみたいなことをいう。 でも実際にはその精神はサキュバスのものだと思うと、矛盾が胸をついた。 いわゆるロリコンは、こういうところにグッときてしまうのだろうか、と考える。 「え、でも、そ、それは」 「はっきりしなさいよね。姉さまもそうなんでしょ?」 「ミュ、ミュウ。あまりはっきり言わないで……」 「いえ、ダメよ。そうしないと私ができないんだから。私は今すぐにでもシオリとしたいの。姉さま、私が先にしちゃってもいいのかしら?」 「そ、それは……」 ミュウのはっきりとした物言いにたじろぐソフィア。 「初めてのキスは、私で……」 振り絞るような、小さな声でソフィアが喋る。 「シオリ、姉さまにここまで言わせたのよ?」 ミュウが迫ってくる。 「ミュ、ミュウ。ミュウの気持ちはよくわかったよ。ソフィアの気持ちも。ただ、色んなことがいっぺんにありすぎて。一旦気持ちを整理させてくれないか」 ミュウ、ソフィアとお互いに顔を見合わせる。 「ソフィアと、その、キスは、付き合うのを、ちゃんと、宣言してから、が、いいというか……」 こんがらがった頭で必死に説明をする。 「え。まだ、付き合おうって言ってなかったの?」 「あ、当たり前だろ」 「デートはしたんでしょ?」 「したけど……その、良く言うじゃないか。三回目のデートで告白しろって」 「そんなの知らないけど……仕方ないわね。じゃあもう今ここで宣言しなさい」 若干投げやりにミュウが言う。 「仕方ないって……」 「ほら、早く」 ミュウは起きあがると、僕とソフィアを無理矢理向かい合わせる。 有無をいわさず、見つめ合う形になる僕とソフィア。 早く言いなさいと言わんばかりのミュウの表情。 なんで、今この展開になっているのか…。 でも、こうなったらヤケだ。 僕はソフィアの手を取ると、ソフィアの目を見つめる。 この機会を逃したら、一生告白しないで終わってしまう気もする。 「ソ、ソフィア」 「は、はい……」 「こんな形になってしまったけど……」 「はい……」 「そ、その、」 まだるっこしいわね! という顔のミュウが、隣でイライラしているのが見える。 仕方ないだろ! 僕にとって初めての告白なんだから! 僕は大きく深呼吸する。さあ、言うんだ! 「こ、これからも、僕と、一緒に……いてほしい……」 「は、はい……喜んで」 お互い顔を真っ赤にしてうつむく。 「はい、キスして」 ミュウが間髪入れずキスを促してくる。 「ちょ、余韻に浸らせろよ!」 「そんな暇はないのよ! ほら、早く」 一体なんなんだ、この展開は! 人前でキスをする気恥ずかしさもある。 しかし、サキュバスの魅了のせいなのかわからないが感覚が麻痺してきた。 促されるままに、ソフィアと向かい合う。 「い、いくよ……」 「は、はい……」 ソフィアの肩をとり、優しく引き寄せる。 目をつむり、唇と唇をゆっくり重ね合わせる。 一瞬の至福の時。 そのあと、恥ずかしすぎてまともに目を合わせることもできず、目をそらしたままお互い背を向ける形でベッドに横になる。 自然とミュウと向かい合う形になる。 「ようやくここまで進んだのね。私に感謝しなさい」 小声で僕に語りかけてくるミュウ。 「だいぶ強引だったけど。でもまぁ、ありがとう」 「お礼なんて、」 そう言うとミュウは僕の唇に自分の唇を重ね合わせた。 「!?」 「こっちでいいわ」 口の中いっぱいに広がるバニラの味。 サキュバスの唾液はデザートなのだろうか。 甘ったるい味と舌の感触が口の中に充満する。 「セカンドキスは私がいただいたわね」 ミュウはペロッと舌を出すとイタズラっぽく笑った。 「姉さまも、私も大事にしてね」 「あ、あぁ……」 気恥ずかしくて、ミュウの顔も見れなくなる。 この数分のうちに二度キスすることになろうとは。 いろんな気に当てられて、まともな思考ができていない。 僕は二人の顔をまともに見れないまま、目をつむった。 そのまま、眠りへと落ちていく。脳が情報量の多さにショートしたかのように。 ◆ 朝から頭がぼーっとしている。 昨日の出来事があまりにも沢山起きすぎてオーバーヒート状態だ。 リーガロウとの出会いなど遠い過去の出来事のように思える。 朝、目覚めた時にはソフィアもミュウも、パジャマを着ておらず下着姿のみというあられもない格好だった。状況が理解出来ず、二人が寝ぼけている間に慌てて部屋を飛び出す。 そのあと、朝食の準備やらを進めていたが、頭がまったく働かず、出来もいつもよりぼんやりとした朝食が出来上がった。 そのあと、ソフィアとミュウが起きてくる。 「おはようシオリ」 「シオリ、おはようございます」 二人ともしっかりとパジャマを着ている。あれは見間違いだったのだろうか。 「二人とも、おはよう」 三人でテーブルに座り、朝食を食べ始める。 「シオリ、昨日は進展したのか?」 シェイドが語りかけてくる。状況がわからないだろうか気になるのもわかるのだが、口にするのも恥ずかしい状態で、どう説明したらよいものやら。 「だいぶ進んだわよ。ねえ?」 「ほう、そんなに進展したのか。シオリよ、見せてみてくれ」 「えっ、そういうのじゃないからさ」 「あら、いいじゃない、シオリ」 「えっ」 そう言うと、横にいたミュウが僕の唇にキスをした。 「なっ!?」 照れて思わず唇を手で覆う。昨日のはやはり夢ではなかった。 「シオリ、私が期待していた進展とは違う方向に進んでいるのだが」 「えっ、あっ、そうじゃなくて! ちゃんと、ソフィアとも、ねっ」 しどろもどろになりながらシェイドに説明するが最早伝わらない。 「ミュウ、そういうことは人がいるところで堂々とするのは禁止ですっ!」 「あら、姉さまもすればいいじゃない」 「駄目ですっ! そういうのは、もっと、ちゃんとしたところでないと……」 「わかったわ、姉さまのいるところではしないから」 それは、いなかったらするという風に受け取れるのだが……。 「とにかく、事態は余計悪化したと見ていいのか?」 「進みはしたんだけど、真っ直ぐ進んだわけじゃないことだけは確かだね」 シェイドの言葉に、今伝えられる言葉で返す。 ミュウは、すこしうっとりした顔で言った。 「私は満足しているわ」 「ミュウはそうなんだろうけど」 「ソフィアよ、言いたいことははっきり言った方がいい」 「妹が好きな人とキスできたことは嬉しいことでは、あるのですが……シオリの恋人としては、複雑な気持ちです」 こうして、僕とソフィアの関係がまたひとつ複雑になりながら、怒涛のような一日が過ぎていったのであった。 追伸:後日、僕とソフィアは二人で話し合い、二人だけの時間をつくることで仲を深められるよう約束したのだった。 ** ある晴れた日のこと、今日は学校がお休み。 午前中は家の掃除をしながら過ごしていた。 久しぶりに何もなくゆっくりできる日。最近ではこういう日が本当に珍しいので、面倒事が起きないよう慎重に細心の注意を払いながら堪能する。 端末を眺めながらニヤニヤしている変態ポメラニアンをソファに追いやり掃除機をかける。シェイドはキーホルダー掛けに置く。時折なにかを呼びかけているようだが、掃除機の音で聞こえないフリをする。 自分一人の時間を持って考え事をするのが必要だ。 というのも、ミュウ、ソフィアと一夜をともにした衝撃的な一件から、ソフィアの行動にも変化が出てきたからだ。 ソフィアも、前に比べて自分の意志が前に出てくるようになった。 それに、スキンシップが増えた。前は手を繋ぐことすらためらわれていたのに、今では人目のつかない場所だったら少し近付いてくるようになった。 「ソフィアもようやく主張をしてくるようになったな。良いことだ」 「お前、ソフィアになんか言ったのか?」 窓を拭きながらシェイドの言葉に答える。 「我慢するのもよいがミュウに先を越されるぞ、と言っておいた」 「あまりソフィアを焦らせるなよ」 シェイドに触発された部分もあるのだろうが、ひとまずは進展したということでいいのだろか。ミュウの方はというと、アプローチが収まるどころかより大胆になる一方だ。 「正式にソフィアと付き合うことにしたのだろう? だったら、それ相応の努力はしなければいけない」 「まぁ、そうなんだけど」 僕が何もしていない、というのはたしかに心に引っ掛かっている。ソフィアがこっちの世界で楽しく過ごせるようなにかしたいと思っているのは本当だし、その役に立つなら、なにか行動した方がいいと思っているのも本心だ。 「シオリ、洗面台の掃除は終わりました」 「ありがとう。こっちももう少しで終わるから、終わったら少し出掛けようか」 「はい、じゃあ部屋の整理をしてますね」 ミュウはそう言って階段を上がっていく。 「今日はどうする予定なんだ」 「買い物にでも連れて行こうかなって。そろそろ春物の服があってもいいだろ」 「シオリにしては賢明な判断だ」 「しては、ってなんだよ」 シェイドにツッコミを入れながら掃除を終わらせる。 日中やることもあらかた終わり、支度をしてソフィアと一緒に家を出る。 「今日はどこに行くんですか?」 「今まで一緒に行ったことないから、アウトレットでも見て回ろうよ」 「ホントですか! 行ったことがないので楽しみです」 「テレビでは見てたけど、一緒に行ったことはなかったもんね」 「はいっ、色んなお店があるですよね。楽しみだなぁ」 嬉々とした声を上げるソフィア。喜びを素直に表現することが少ないので、こういう時は純粋に可愛いなと思う。 「じゃあ行こうかっ」 「はいっ」 僕はソフィアの手を取り、アウトレットに向けて出発した。 二人の時間を作る。その約束をさっそく実行するときが来たのだ。 ◆◆◆◆◆ 場所は変わって、天界の宮殿―――。 丸いベーグルのようなお菓子を食べながらベッドで寝そべっているラム。 横ではカゲトラが書類をまとめている。 「主人、いい加減デスクを掃除してくださいよ」 「イヤよ。犬、あなたがやりなさいよ」 「そう言ったって、まとめるのはできますけど申請出さないといけないやつとかあるんですから……あ、主人、これ天帝の使い宛で来てるやつですよ」 カゲトラの言葉に反応し、バッと紙を引ったくるラム。 「そういうのは早くいいなさいよね! なになに『サキュバス姫、捜索の任、状況好転せず。我、自ら出陣せり』」 「……お前らがソフィアを連れてくるの遅いから、天帝自らが討って出る、ってことですかね?」 淡々と書面を読むカゲトラ。 ラムの顔が見る見る怒りに変わっていく。 「なんで早く気が付かないのよ! 行くわよ、犬!」 ラムは慌てて上着を取り出すと、部屋を飛び出していく。 「今からですか!? もうとっくに天帝出てますよ!」 「いいの! ほら、早く!!」 「ご主人、服着替えてー!」 パジャマで出ていったラムを、カゲトラはそう言って、追いかけるのだった。 ◆◆◆◆◆ また同じような時刻、宮殿内部の別の場所では、 同じく文書を受け取ったリーガロウが同じくデスクで唸っていた。 「リーガロウ様、いかがいたしましょう」 リーガロウの側近、エメがデスク前に直立不動し命令を待つ。 がっちりとした屈強な身体に角刈りの頭、戦士と呼ぶにふさわしい天使だ。 「(この内容から察するに天帝はもう既に人間界に降りているだろう。せっかちな人だからな、無理もない。さて、この後私はどうするか、だが……)」 「リーガロウ様、ご命令を」 「エメは例のサキュバス天使の行動を確認して連絡をくれ。私は天帝にお会いしてくる」 「承知致しました!」 ビッと敬礼をするとエメは部屋を出て行く。 真面目な性格で役割を与えるときっちりとこなす。 その分、柔軟性は足りず、曖昧な命令だと中途半端な成果しかあがってこない。 まぁ、上手く使ってやればよいのだ。 リーガロウはそう言って、胸に閉まっていたロケットを取り出す。 そこにはミュウのウエイトレス姿の写真が写っていた。 喫茶店の店長なる人物から購入した代物だ。 あの時、一目見てから忘れられなくなってしまった彼女。 凛々しさと可愛さが同居したあの愛らしい姿、出来ればまた一目会いたい。 機会を伺っているが、なかなかチャンスに恵まれない。 「リーガロウ様!」 「な、なんだ!?」 慌ててロケットをしまう。 こんなものを見られたら軽蔑されてしまう。 「天帝が人間界に降りたとのことです!! 至急護衛を!」 「なに!?」 やはり、もう既に降りていたか、こうなったら天帝は止められない。 なんとか出来るだけ穏便にお戻りいただくようにしなければ。 リーガロウはロケットをしまうと上着を羽織り、自分の部屋を後にした。 これで、「ミュウたん」に会えると、心の奥でウキウキしながら。 ◆◆◆◆◆ アウトレットモール『サラミス』。 街の近くにあるショッピングセンターの中では比較的規模の大きいものだ。 僕は来てみたことはないが、テレビではよく取り上げられている。 ブランド物や、美味しい屋台なども紹介されている。 実際に訪れてみると、思ったより人がいて休日の賑やかな雰囲気だった。 「わぁーっ! いろんなお店がありますね! 」 驚いてあたりを見回すソフィア。 「色んなお店が入っているからね、気になるお店があったら入ってみていいよ」 「どこから見たらいいか迷いますね。とにかく、色々見てみたいです」 「そうだね、行こうか」 僕がソフィアの手を握る前に、逆に手を握られる。 「私も、もっと積極的になれるよう、がんばりますっ」 顔を真っ赤にしながらも一生懸命に笑うソフィア。 ミュウのおかげだ、と感謝しそうにさえなる。 「ソフィア、さぁ行こうかっ!」 アウトレットモールを色々と見て回る僕とソフィア。普段着ないような衣装やアクセサリーを付けたりして試着してみたり、雑貨屋で何に使うかわからない道具で遊んでみたり、歌いながら作ってくれるアイスクリーム屋でアイスを注文してみたり、二人で楽しい時間を過ごした。 一通り見て回り、休憩でベンチに腰掛ける。 「結構見て回ったね」 「はい、今までに見たことのないものばかりで面白かったです!」 満面の笑顔を見せるソフィア。無邪気な笑顔を久しぶりに見られて僕も嬉しくなる。 「シオリ、このスカートありがとうございます」 アウトレットを周っている時に、ソフィアが気になったスカートを買ってあげていたのだった。丈の長さで悩んでいたみたいだったのだが、僕は似合っていると思った。 「似合ってると思うよ。今度見てみたいな」 「はい。今度出かける時に着ていきますね」 ソフィアは嬉しそうに袋をしまう。 「にしても、久しぶりに二人でゆっくりできたね」 「そうですね。ここのところ色々ありましたから」 「私はいるがな」 「シェイド! そこは、あえて連れて来てるんだから黙っていてくれよ」 「二人とも上手くいっているようだから極力黙っていはいるが。もし、変なことに―――」 「あーっ! ならないから! 大丈夫だから」 シェイドが変なことを喋り出す前に言葉を遮る。 「にしても、まさか今日は天帝の使いは来ないよな」 「一応チャミュには私たちの行く場所を伝えておいた」 「あっ、そうなんだ」 「念のためということもある」 「シェイド、ありがとう」 「二人が上手くいくのなら、私のことは気にしなくていい」 「杞憂《きゆう》で終わればいいけどな」 僕はそう言ってベンチから立ち上がる。 「さて、もう少し見たら帰ろっか」 「はい」 ソフィアに手をさしのべ、その手をソフィアがとろうとしたその時、 「シオリ!」 シェイドの叫び声、それとほぼ同じくらいに上空からとてつもない衝撃波が降りてきた。 爆風とともに弾き飛ばされる僕とソフィア、近くにいた客もまとめて吹き飛ばされた。 激しい衝撃がベンチのまわりの物、一切を吹き飛ばしていた。 「いたたっ……」 いたた、で済むのもシェイドがいてこそだ……。 大怪我をしていてもおかしくない。 まわりを見渡すがたくさんの人が倒れて気を失っている。 「ソフィア……、ソフィア、どこにいる!?」 辺りを見回すと、そこには白いローブを着た男がソフィアを抱えて浮いていた。 オールバックの白髪につり目の男性が嬉々としてソフィアを見つめている。 「おぉ、姫よ。探したぞ。一体何故こんな世界に降りたというのか」 つり目の男がソフィアに口付けをしようとする。 体を反らして逃げるソフィア。 「い、いやっ……」 「何を逃げることがある。久しぶりの再会を祝おうではないか」 ぐいっとソフィアの腰を掴み引き寄せる男。 「ソフィアから……離れろ!」 僕は起き上がり、男に向かって叫ぶ。 「シオリ、こいつはマズイぞ。力の差があり過ぎる」 「シェイド、頼む。力を貸してくれ、ソフィアを取り戻す」 「……地面を思い切り蹴って跳べ。能力は私が渡す」 「なんだ、まだ動くゴミがいたか」 シェイドの力で大きく跳んだ僕は男に向かって拳を振り上げる。 冷酷な視線を向けられた瞬間、激しい衝撃波に吹き飛ばされる。 「が、はっ…!!」 再び幾度となく地面に打ち付けられ転げ回る。圧倒的な力の差になす術もない。 「シオリ、無事か。このままダメージを受け続けると私も耐え切れなくなる」 「すまない、シェイド……」 体は動くが、シェイドの耐久力が最早悲鳴を上げていた。これ以上は無茶ができない。 「シオリー!」 男に抱かれたまま、僕の名前を必死に叫ぶソフィア。 「姫よ、ゴミのことは気にしなくていい。私との再会を喜べ」 ソフィアの胸をもみしだきながら、キスを迫ろうとする男。 「そんなっ…喜ぶなんて……できませんっ!」 男の腕から逃れようとするが、より激しく締め付けられる。 「あ、あぁっ…!」 苦痛に悲鳴を上げるソフィア。 あまりの痛みのせいか、気絶したように体がガクッと崩れ落ちる。 「ソフィア!」 「まったく、人間界に降りてすっかり毒されたか。これは早急に浄化せねばならんな。ネリアーチェよ」 「はっ」 男の呼びかけに応じる寡黙そうな紫髪の女天使。 「姫を連れていけ。私はここを片付ける」 「御意」 男はソフィアを女天使に渡すと、地面へと降り立った。 ソフィアは女天使によってどこかに連れ去られていく。 「……お前は、誰なんだ……」 ふらつく体を、無理矢理起こす。 「我が名はエルデバルト。天帝とも呼ばれているな」 そう言って男は不敵に笑う。 「お前が姫の近くにいたことは知っている。ゴミの風情でよくも舐めた真似を。我自ら消し去ってやる、光栄に思え」 エルデバルトと名乗った男は、両手に極大なエネルギーを溜める。まわりの地面が剥がれていき、宙に浮いていくほどの力。 「シオリ、逃げろ。これは受けきれない……」 「わかってる、でも、体が動かないんだ……」 さっきの衝撃で足がまったく動かなくなっていた。 「焼却だ」 エルデバルトから放たれるエネルギーがまわりの物をすべて消し飛ばしながらこちらに向かってくる。それが僕に到達する直前、横から現れた何者かによって僕は突き飛ばされた。 エネルギーの通った後は焼け焦げた後が残り真っ黒になっている。 何も残っていないのを確認したエルデバルトは、満足そうに空へと帰って行った。 「う、うぅ……」 衝撃により意識が朦朧とし、状況が理解できない。目の前には、金髪の女性が僕に覆い被さっていた。背中の羽根が半分焼け焦げている。 「チャ、チャミュ!?」 助けてくれた人物がチャミュだと気付き、慌てて身体を起こす。 「すまない、もう少し早く助けられれば、良かった……」 「チャミュ、喋らなくていい……なんとかするから」 「ソフィアを、を助けてあげてほしい…」 「わかった、わかったから……」 その言葉を残して意識を失うチャミュ。 今起きたことを受け入れられず、僕は天に向かって叫び声を上げた。 ソフィアがさらわれ、チャミュが片羽根を失った。 そして僕は……何も、できなかった。 ふがいない、情けない。 そんな気持ちで、いっぱいだった。 ** ソフィアが天帝にさらわれた。 ついさっきまで楽しかった一日が、絶望に変わり果てる。 僕とチャミュは、自宅のリビングで黙ってテレビを見ていた。 今回の件は、ショッピングモールでテロが起きたという報道がされていた。 外の広場は爆発で原形を留めておらず、事態のひどさを物語っていた。 幸いにも、死んだ人や怪我した人はいないらしい。チャミュの話によると、天界のものが人間界のものを傷つけると罰せられる。さすがに天帝とはいえ、そこまでのことはしなかったという。 そのなかで、僕は「人間」という括りではなく、「ソフィアに近づくゴミ」だったため、天帝も手出しできたらしい。 僕はソフィアを連れて行かれた悔しさで思わず机を叩く。 「シオリ、すまない…」 「謝るのは僕のほうだろ! 僕がもっとちゃんとしていれば……」 「天帝の力は圧倒的だ。人間一人でどうにかなる相手ではない」 「このままだとソフィアはどうなる?」 「天帝のことだ。ソフィアが壊れるまで、自分の玩具《おもちゃ》にするだろう。早く連れ戻さないと」 「天帝……!」 怒りに拳を強く握る。 「シオリ、怒る気持ちはわかる。だが、このままではソフィアは救えない。方法を考えないと……」 「ソフィアのいる場所はわかるのか?」 「天帝の元にいるだろう。そうなれば、天界大宮殿にいるはずだ」 「それじゃあ…!」 「気持ちはわかる、だが私たちだけでは無理だ。まずは準備を整えよう」 「準備って?」 「ソフィアを救うには仲間が必要だ」 チャミュはそう言ってテーブルから立ち上がる。 「仲間って、まさか…」 「そう、そのまさかだよ」 ◆◆◆◆◆ 「姉さまがさらわれた!?」 喫茶店の裏で、仕事中だったミュウに今までに起きたことを話す。 「あなたがいながら何してたのよ!」 「ごめん……」 「とにかく、これから助けに行くんでしょ? 源十郎に話してくるわ」 「あ、あぁ。ミュウ、すまない……」 「謝るくらいなら、姉さまを救う方法を考えてくれないかしら。話をしたら向かうから、準備をしておいてちょうだい」 ミュウは淡々と話をすると、喫茶店の方に戻って行った。 やはり、心強い。でも、ミュウですら相手になるかどうか……。 「シオリ、私たちも準備をしよう」 「あぁ、そうだな……」 僕とチャミュは家に戻り、天界に行くための準備を進める。とりあえず何が必要かわからないので携帯食、懐中電灯、寝袋等をリュックに詰め込む。 そこに、ミュウが簡単な荷物を片手にやって来た。 「あなた、その荷物は何?」 「何って、天界に行く準備だよ」 「ピクニックに行くわけじゃないのよ? まぁ、いいわ。行けばわかるでしょう」 「ミュウは準備はいいのかい?」 「ええ、問題ないわ。早く姉さまを取り返さないと。あの変態、絶対に許さないんだから……」 そこに、思わぬ人物が現れる。 ショートカットに大きめのピアスを付けた女の子だ。 「おや、君は」 大きな鎌を後ろ手に携えたスカーレットが立っていた。 「話は聞かせてもらったわ」 「あなた……何しに来たのよ」 スカーレットの登場に露骨に嫌な顔をするミュウ。 「帰って」 「つれないな、まぁ別に私はあなたのために来たんじゃないし。シオリ、困ってるんでしょ?」 スカーレットはステップを踏みながら僕の近くまで来る。 「手伝ってあげるっ」 「本当か?」 「うんっ」 満面の笑みを浮かべるスカーレット。 「そのかわり、」 耳元でこっそりささかれる。 「(ご褒美、期待してるからね)」 前にも助けてもらった一日スカーレットの言うことを聞く約束をしていたが……。だが、最早そういうこともどうでもよかった。ソフィアが助かるなら安いものだ。 「わかった、スカーレット、力を貸してくれ」 「ひゅー。話が早くていいねっ」 大きなリアクションで僕の首に抱き着くスカーレット。 「シオリ! 私は反対よ!」 キッと僕をにらんで詰め寄るミュウ。 「いつ裏切るかもわからない奴がいたら落ち着かない」 「へぇ、言ってくれるじゃないさ」 バチバチと火花が散る。早速険悪なムードだ。 「二人とも、喧嘩はソフィアを助けてからにしてくれ。今は、一人でも多く仲間が欲しい」 「そういうこと、お子様は黙ってなさい」 「くっ。覚えておきなさい!」 ミュウは悔しそうな顔を残しながらスカーレットの元を離れていく。 「スカーレット、よろしく頼む」 「まかせておいて、シオリの言うことなら聞いちゃうっ」 「準備はできたかな、それじゃあ天界に向かうとしよう」 チャミュの声に、僕は頷く。 チャミュの片方の羽根は、包帯で包んでおいた。 一生回復することはないらしい。それでも、ソフィアを助けようとしているのだ。 僕も、すべての力を出さなければと思った。 ◆◆◆◆◆ 天界の大宮殿―――。 大広間にラム、リーガロウが整列している。 その隣には狐目の外はねショートカットの女性が立っていた。ひょうひょうとしていて表情が読めないが、ラム達と同じく隊長格であることが制服から見て取れる。 「(結局、天帝自ら捕まえちゃったのよね……この後絶対お仕置きがくるわ。それもこれも犬がしっかり監視してなかったせいよ……)」 「(なんだか、ご主人から殺気を感じる)」 リーガロウはと言うと、瞑想しているようだ。 もしくは、もうお仕置きを受けることを覚悟しているようにも見える。 狐目の女性は特に変わりはないようだ。 しばらくすると、天帝が大扉から入ってきた。後ろには白い豪華なウェディングドレスのような衣装を着せられたソフィアが、ネリアーチェにサポートされながらついてくる。 首には真っ白な首輪をつけられており、表情は重々しい。 「どうだ、結局我自身で連れてきてしまったな」 天帝は玉座にドカッと座ると、高笑いをした。 「一体何に手こずったというのか。なぁ、ラム」 「はっ、はい、返す言葉もございません…」 「つまらんな」 天帝はラムに向けて手をかざすと、ラムの周りを紫色の光が囲い出す。 「うっうわあああぁぁぁ!」 紫色の電撃が走りうめき声を上げるラム。 その光景に目を逸らすソフィア。 制服が完全に黒焦げになり、地面に崩れ落ちる。 カゲトラがそれを倒れないように支えた。 「誰が一番早くソフィアを連れてくるかと楽しみにしていれば、誠残念な結果だ」 「リーガロウ、ネツキ、お前らもだ」 リーガロウ、ネツキと呼ばれた狐目の女性にも同じく紫色の球体状の電撃が襲い掛かる。 「ぐ、ぐぐっ!」 「あ、ああぁぁぁぁぁ!」 それぞれ電撃を受け、膝をつく。 ネツキの声だけは嬌声のように、喜びを帯びたような声だった。 「天帝様……今のをもう一度」 ネツキは起き上がると天帝におかわりをねだる。 「ハハハッ! 相変わらずお前にはこれが罰とはならんな! まあよい。今日は我も機嫌が良い。くれてやろう」 再び紫色の電撃がネツキに襲い掛かる。 「ア、アァァァァァァ!」 達するような声を上げるネツキ。 天帝はそれをみて、「まったく」というように苦笑する。 「……ふふ、ありがとうございます……」 細い目がさらに細くなる。 衣服はほぼ焦げてなくなっている。 裸体に近いが、天帝は動じることもない。 「相変わらず、変わったやつだな。まあ、よいネツキのおかげで気が済んだ。お前ら全員下がっていい」 「は……はい!」 皆がひざまずき頭を下げ、広間を後にする。 ラムとリーガロウは、ぼろぼろの体を引きずっていった。 「あやつらが迎えではソフィアも余程困ったであろうな」 そう言って天帝はソフィアの体を無理矢理引き寄せる。 「天界中を探してもいないわけだ。いつの間にか人間界に連れて行かれたのだからな」 そう言って天帝はソフィアの胸元の服に手を伸ばすと一気に引きちぎる。 衣装がちぎれ、ソフィアの胸が露わになる。 「……なにを!?」 なるべく反応しないようにしていたソフィアだったが、あまりの恥ずかしさに声を押し殺したまま腕で胸を隠すように体を丸める。 「ハハハッ! ! 相変わらず初い奴だな! 良い、その恥じらいが実に良いぞ。 普段は触れられないようなものを自由にできるのは誠楽しいものだな」 「ネリアーチェ」 「ハッ」 「それはもう飽きた。次の衣装を着せてこい」 「御意」 ネリアーチェはソフィアを抱きかかえると、広間を降りて行った。ソフィアは抵抗することもなく大人しくしている。抵抗しても無駄だと悟っているのだ。 それを、頬杖を突きながら見つめる天帝。 「ふむ。なかなか心を開かんな。よいよい。そのほうが楽しみが増えるというもの。さて、次はどうやって遊ぼうか」 クククッと体を揺すらせたあと、大きく高笑いをする。 広間には、その声だけが響き渡った。 ◆◆◆◆◆ 天帝の雷撃を喰らい、退室した隊長三人。 「あぁ、完全に怒られたわ……」 ボロボロの衣装のまま、しょげるラム。 「ラムはん、そんなに気にやむことないで。天帝、いつものことやんか」 ケラケラと笑いながらラムを慰めるネツキ。 「あなたはただの変態でしょ! なんで雷撃喰らって平然としてるのよ、おかわりまでねだってるし!」 「ウチ、天帝の雷撃好きでなぁ」 「待って、もしかして、あなたが今回の件で一切動いてなかったのって……」 「バレました?」 「バレました、じゃないわよ!」 同じくボロボロのリーガロウが、苦々しく呟く。 「俺は、元よりネツキはアテになどしていない」 「リーガはんは相変わらず辛辣ですなぁ。まぁ、それがゾクッとくるんやけど」 「筋金入りね……。まぁいいわ、天帝様の癇癪も済んだし、しばらくは落ち着くんじゃないかしら。あとは、あの子がどこまでもつかだけど……」 「案外早いかもしらんなぁ、天帝なかなか過激なお方やから」 「俺たちが考えるようなことではないな」 「ホント堅物よね、あなた………さぁてと、お風呂入って綺麗にしなくちゃ」 「賛成どすな。ラムはん、一緒に入りましょ」 「あなた、私の胸と自分の比べて見てドヤりたいだけでしょ……」 「バレました?」 「バレました、じゃない!」 三隊長達は、黒焦げになりながら宮殿の廊下を歩いて行った。 天帝のおそろしさは、誰よりも知っている。 ソフィアがどうなるのかも、理解している。 だが、手出しはできないし、する気もない。 もし天帝に抵抗すれば、次は、罰としての雷が落ちるだけでは済まないからだ……。 ◆◆◆◆◆ 場所は変わって、エデモアの骨董屋。 準備を終えた僕たちは、エデモアに事情を話し、天界への扉を開けてもらった。 エデモアは話を聞いた時は驚いていたが、僕の真剣な表情を見ると後押しをしてくれた。 「頑張って行ってくるんだよ」 「うん、大事な人を取り返さないといけないからね」 僕は心配そうなエデモアの頭をポンと叩く。 「大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ」 「そうかい。じゃあこれを持っていくといい」 エデモアは僕に青色の宝石を渡す。 「シェイドが危なくなったとき使うといいよ。役に立つ」 「エデモア、感謝する」 「ははっ、シェイドもよく喋るようになったねぇ」 「じゃあ、行ってくるよ」 「気を付けてね」 扉を開けると、前と同じく綺麗な草原が広がる。 「天帝のいる宮殿はこの階層の更に上。三層だ。ここからは長い道のりになる」 「あぁ、わかってる。待ってろ……ソフィア!」 僕は強い決意とともに、草原を力強く歩み出した。 ** 天界の大宮殿――。 最上階のとある一室にソフィアは閉じこめられていた。 最低限の自由は保証され、部屋の中ならば動き回ることはできる。一日数回、天帝に呼ばれては天帝好みの衣装を着せられ弄ばれる、ということが繰り返されていた。 着替えにはネリアーチェが同行し、着付けからすべて彼女が行ってくれる。 下着の上から下までも指定され、どんなにいやらしい下着でも絶対に拒否することはできなかった。 また、ソフィアの髪は薬によって無理矢理伸ばされ、今では腰くらいの長さに届こうかというほどになっていた。 一番嫌だったことは、天帝のことしか考えられなくなる薬を無理矢理与え続けられたことだ。自分の意志とはいえ関係なく、記憶がぼやけてくることが、吐き気がするくらい悲しかった。 今も、覚えてるなかで必死にシオリのことを思い出そうとする。 それも霞がかかったようにあいまいなものになっている。 「今頃シオリはどうしているんでしょうか……シオリに会いたい……」 ◆◆◆◆◆ 「だから、さっさとその腕を離しなさいって言ってるのがわからないのかしら!」 「え、別にいいじゃん減るもんじゃないんだし」 ムニュッ。 「減る減らないの話じゃないのよ。その行為が不愉快だと言っているの」 「あなたが不愉快とか知らないし。シオリは気持ち良いもんね?」 ムニュッ ムニュッ。 僕の左腕に胸を押し当ててくるスカーレット。 それに負けじと右腕に絡みついてくるミュウ。 板挟みにあいながら、僕は今天界第二層に向けて歩いていた。 天界は大きく分けて三層に別れており、一層は草原や森の広がる大地エリア、二層は街や店などが活発な商業エリア、そして三層は上位の天使か住むことを許されない特例エリアとなっている。 層の切り替え場所にはゲートと呼ばれるものが存在し、別層に行くには必ずそこを通る必要がある。 一層から二層の移動は特に問題ないらしいが、問題は三層だった。 特例エリアを移動するためには、許可証ないしは上位の天使である必要がある。 その部分をどうクリアするかは、三層に上がるまでに考えなければいけないのであった。 なのだが……、一層に着いてからスカーレットとミュウは僕を挟んでずっとこの調子で喧嘩をしている。スカーレットが僕にちょっかいをかけてはミュウが怒り、の繰り返し。 「シオリも色んな女性から好かれると大変だな」 とチャミュから同情のような言葉をもらった。 ちなみに、別に助けてくれるわけではない。 不毛な攻防が続いたまま、一層の森林エリアにたどり着く。 チャミュの話だと、ここを抜けると第二層に繋がるゲートがあるとのことらしい。 比較的暖かく、じんわりと汗をかくような気温だ。 天界とは言うが特に地上にいる時との違いは感じない。 見たことのない植物や動物はいたりする。 だが、どことなく、どこかで見たことのある景色に似ていることの方が多い。 草木をかきわけながら奥へと進む。 しばらく進むと大きな湖にでくわした。 「わー! 大きいー!」 はしゃぐスカーレット。靴を脱ぎ、湖の中へと入る。 「つめたーい、気持ち良いよシオリ!」 「おい、スカーレット……」 そんなことをしている暇はないと諌《いさ》めるがまったく聞いていない。 「いいじゃないか、少し休もう」 「チャミュまで!」 「第三層まではまだまだ先だ。それにゲートの件もどうにかしないといけない。休憩がてらに考えるとしよう」 「そうか……」 「そう気を落とすな。焦っても、ソフィアも救えない」 「わかってるよ……」 「シオリ、私はシオリに感謝しているよ。ソフィアをこれほど大切に思っている相手が現れたことを」 「チャミュ……」 「さあ、シオリも少し遊んでくるといい。彼女たちのケアも今後にとっては大事なことだ」 チャミュの言葉に、黙ってうなずく。 「シオリー! 早くー!」 「わかった、今行くよ!」 僕はスカーレットの言葉に応えると、湖に入っていった。 ◆◆◆◆◆ 大宮殿、ラムの私室。 下着姿でベッドに寝そべるラム。 焦げた制服は脱ぎっぱなしになっている。丁度風呂上がりのようだ。 横にはカゲトラがいるのだが一切お構いなし。 「あー、やっぱりあのキツネ目最悪だったわ……」 風呂場で胸とお尻の大きさを煽られ続けたラム。小振りながら形の綺麗さでは負けないと自負しているが、如何せんボリュームにはどうやっても勝てない。 「どうしてここの隊長って変なのばかりなのかしら」 その言葉を聞いてなにか言いたそうにしているカゲトラ。黙って聞いている。 「なによ、犬。言いたいことがあるなら言いなさいよ」 「いや、別に」 「はっ、まぁいいわ。ちょっと肩揉んで」 ラムに言われるまま肩を揉むカゲトラ。 「あぁ、そこそこ」 「(ババくさいなぁ、うちの主人は)」 「今、ババくさいって思ったでしょ?」 「!? そんなことないですよ。それより、ソフィア大丈夫なんですかね」 「大丈夫なわけないでしょ。天帝様に気に入られたら、飽きられるまで使い倒されるんだから」 「可哀想だなぁ」 「同情はするわ。天帝様のことは好きだけど、同じことをやられてたら身が持たないもの」 「助けてあげたりとかは」 「無理よ、あそこは天帝かネリアーチェしか入れない場所だもの。仮に侵入しようと思っても鍵がなければ開かない」 「あいつ、助けに来たりしないかな」 「そうしたら面白そうね、大宮殿が一大事になるわよ」 ラムは他人事のようにくくっと笑った。 「そしたら、天帝は困るから、ご主人も困るんですかね?」 「それとこれとは別よ。それより、犬、新しい制服用意しといて」 「もう頼んでますよ」 「あら、やるじゃない。下着も適当なの見繕っておいて」 「それは主人がやってくださいよ」 「あなたの好きなの選んでいいから」 「(ええ……。そしたら百枚くらい用意しちゃうけどなあ)」 「私だって、たまには犬にご褒美あげたいんだからね」 そういって、ラムはまた寝そべるのだった。 こういうところが、カゲトラとしては憎めないのだ。 ◆◆◆◆◆ リーガロウの私室。 焦げた制服を処分し、エメに新しい物を手配させる。 デスクに置いてあるファイリングを出し、ミュウのベストショット集を眺めて、心を落ち着かせる。 何があっても、ミュウの姿を見れば心が落ち着いた。 日増しに高まる彼女への思い。 一体どんな女性なのだろう。 花を送れば喜ぶだろうか。 シャワーを浴びながら、そのことを考えていた。 次に彼女に会う口実を考えないといけない。 それにはまたあの男を使うのが早いか。 次のプランが色々と浮かんでくる。 頭の中ではミュウが自身の嫁となりバージンロードを歩いている姿を妄想していた。 「リーガロウ様!」 「!? なんだ!? 俺は何も妄想なんて……」 シャワー室の向こうから聞こえてくるエメの声に、とっさに答える。 「妄想?」 「あ、いや、なんでもない。要件は?」 「着替えをお持ちいたしました! 新しい制服も用意してございます!」 「そうか、ご苦労。下がっていいぞ」 「ハッ!」 制服を置いて退室するエメ。タイミングは読めないが、真面目な奴だ。 そこまで考えて、あることを閃いた。 「そうか。エメか。そうか、その手があったか」 リーガロウは何かに気がつくと、笑みを浮かべた。 ◆◆◆◆◆ 森林を抜け、ゲートまでたどり着いた僕たち四人。そこは大きな駅のような形をしていた。広々とした無人駅で、ホームには草木が生えている。 「ここが、ゲート?」 「そう、階層間には天界列車《エアトレイン》が走っていてね。これに乗って第二層まで行くんだ」 そこに大きな白塗りの列車がやってくる。宙に浮く路面電車のようは形で何か懐かしさを感じる。 「さぁ行こうか」 「切符とかはいらないのか?」 「第一層と二層間は特に必要ないんだ」 そう言ってチャミュは列車に乗っていく。 「さ、行くわよ」 その後をミュウ、スカーレットに押される形で僕も列車に乗っていく。 列車はゆっくりと走り出し、大きく回りながら徐々に上の方へと上がっていく。 「うわぁ!」 「なかなか綺麗だろう?」 下を眺めると、絶景が広がっていた。 先ほどまでいた一層を上から眺めるとここまで綺麗だったとは──。 「次は二層ね……」  渋い顔をするミュウ。 「どうかしたのか?」 「色々と因縁のある場所なのよ」 「そうなのか」 窓から外を眺めているミュウを見る。心なしか憂鬱そうな顔をしているように見えた。 「第二層、出来れば穏便に抜けたいところだが……」 チャミュもまた、一抹の不安を抱えながら思案するのであった。 ** 「気持ち悪い……」 列車が動き出して数分、 僕の膝を枕にして横になっているスカーレット。 列車酔いでぐったりとしている。 「スカーレットは乗り物に弱かったのか」 「忘れてた……。やっぱ天界嫌いだわ」 「まぁ、しばらく人間界にいたし……。着くまで安静にしてるといいよ」 可哀想に思いスカーレットの背中を軽くさすってやる。 「えへへ、もっと……」 そう言いながら僕の太ももをさするスカーレット。 「触るのはやめような」 「触れば落ち着くから……」 「そんなわけないでしょ」 「あいたっ」 スカーレットの頭を小突くミュウ。 「具合が悪いのなら黙って席の端で寝ていなさいな」 「ふふ、うらやましいんだろぉ……うぇ」 勝ち誇りながらえづくスカーレット。 「具合悪いのに張り合うなって……」 「ふん、別に羨ましくなんてないわ。だって、」 そう言ってミュウは僕の顎をくいっと上げ、 チュッ 軽く唇を重ねる。 「あなたとはもうレベルが違うもんだの」 「あーーーーーっ! なにそれ!? なにそれ!?」 目を真ん丸にさせて起き上がるスカーレット。 それを見て勝ち誇った表情をするミュウ。 「ずるい! いつの間にそんな関係になってるわけ!?」 スカーレットは子どものように手足をジタバタとさせる。 「スカーレット、具合悪いのは?」 「そんなの、今ので飛んじゃったよ! え、シオリどうして! ?」 「シオリと私の関係を考えたら当り前よ」 唇を軽く触り、ペロッと舌を出す。 相変わらず、口のなかがバニラの匂いで満たされる。 スカーレットはボスンッと僕の膝の上に跨がってくる。 「ずるーい! ずるいずるいずるいずるい!」 僕の肩を掴みながらガクガクと揺するスカーレット。 「お、お、落ち着いて。僕が酔う……」 「私もする!」 ぐいっと近づいてきた唇をミュウがむんずと頭を掴んで止める。 「させるわけないでしょ」 「こ、このっ! 大体なんであなたがシオリとキスしてるのよ! ソフィアに譲ったんじゃなかったの?」 「勿論姉さまに譲ってるわよ。私はその次だから」 「へ、なぁんだ。シオリそれでいいんだ。じゃあ私も入れてよっ!」 「よくはないよっ! ミュウのはなし崩し的にそうなってるだけであって……」 「あら、あの時の約束忘れたの…?」 「だーかーらー!」 顔を寄せてくるスカーレットとミュウにたじろぐ僕、シェイドはだんまりを決め込んでいる。なんでこういう時は助けてくれないんだ! チャミュは窓の遠くを見て聞こえないフリをしている。 余計なもめごとには巻き込まれたくない、と顔に書いてあった。 「サキュバスは人数にこだわりはないから、受け入れても悪くないと思うよ」 「僕がもたないよ!」 「大丈夫、シオリなら私とソフィア、どっちも愛せる!」 「勝手に私を外さないでくれるかしら。シオリには姉さまと私、二人だけで十分よ」 「頼むからどっちも落ち着いてくれ……」 目の前で繰り広げられる喧嘩。 だいぶ見慣れた光景になってきたが、不毛な争いに心が痛い。 「さて、そろそろ第二層に着くよ。外を見てみるといい」 「もう二層かぁ。おぉ、でっかい! 」 そこには、空に浮かぶ大きな島が広がっていた。 高くそびえる外壁が二つあり、その中に建物がたくさん見える。フランスの港町のようなオレンジ色の屋根に所狭しと建ち並ぶ民家。その一画とは別に工場のようなものや教会のような建物も。天使が行き交う姿も見え、非常に活発なようだ。 その様子なのだが、なにやら駅付近が物々しい雰囲気になっている。 「あれって……」 「さっきの天界蜘蛛ね、ここが発生源だったのかしら」 一層で列車にへばりついていた大型の天界蜘蛛が二層の駅にも蠢《うごめ》いていた。天使たちは遠くに避難していて、駅員らしき天使がかろうじて戦っている。 「助けよう! シェイド」 「わかった」 僕は列車が駅に入ると、シェイドを起動させると蜘蛛に向かっていく。 「まったく、熱いな彼は。私はサポートに回る。君たちも各自頼むよ」 「私はシオリのお手伝いするだけだから」 「勝手にやらせてもらうわ」 「本当に協調性のない……」 それぞれ勝手に動きながら蜘蛛を片付けていく。 「やぁあっ!」 ザシュッ! ザシュッ!  ミュウの鋭い剣さばき。 スカーレットは大鎌で一振り、蜘蛛を薙ぎ払っていく。 ほんと、戦いに関しては、頼りになる。 チャミュはというと、正確な射撃で蜘蛛を撃ち落としていった。 わあ、そうやってると、ほんとに天使みたい。 ◆◆◆◆◆ 退治は物の数分で片付いた。 蜘蛛を倒して一段落している僕たちに駅員が駆け寄ってくる。 「君たち! おかげで助かったよ」 「これって一体何があったんですか?」 「なぜか天界蜘蛛が大量発生してね。乗っ取られてしまったんだ。一層に降りた列車にも蜘蛛が行ってしまったから下が心配で」 「それ、僕達で倒しましたよ」 「ほ、本当かい! 助かるよ。ひとまずこれで、掃除が終わり次第また運行できるよ、ありがとう」 駅員はお礼を言うと、駅の掃除に行ってしまった。 「なんだか変なことになってるみたいだね」 状況を訝《いぶか》しむチャミュ。 「確かに、異変が起きているのは間違いないみたいだ。とにかく、三層に急ごう」 「それなんだが、まだすぐには行けなくてね。作戦を練る必要がある。まずは街へと行こう」 チャミュの提案で、二層の街を歩くことになった。 本当はそんなことより、ソフィアを助けたい。 だが、焦って、気づかれるほうがまずい。 しぶしぶチャミュの提案に従いつつも、心は逸《はや》るばかりだった。 二層は、自分の天界のイメージとはまた違い、庶民的だった。天使たちの服装も、白いローブをまとったような物だが、微妙に装飾でオシャレをしていたり、丈が違ったりしている。 「この辺りは二層の中でもどちらかといえば貧しい地域だ。それぞれ上層、中層、下層と三エリアに分かれていて列車で移動することができるよ」 「二層の中でも格差があるのか」 「そうだね、そのうち三層に上がるには二層の上層から直接行くしかない。その前に上層に入るにしても知り合いの紹介がないと行くことができなくてね」 「そうなんだ」 「その点は心配いらないわ」 髪をサラッとなびかせるミュウ。 「ミュウ、どうしてだ?」 「私がいるからね」 「ミュウが?」 「そう、ソフィアとミュウの家は上層にあるんだ」 「あー、いやらしい」 「あなたは黙ってなさい」 いわゆる天使のお嬢様とでも言うべきなのだろう。 色々な台詞からわかってはいたが、やはり裕福な家系のようだ。 「家に寄る気はないわ。三層に殴りこみに行くのに私たちがここにいるのがバレたら絶対に止められる」 そう言えば、ソフィアたちは三人姉妹って話してたっけ。 「ミュウをアテにしていた部分はある。三層に突入する算段がつかめたら上層へと向かおう。今日のところは宿にでも泊まろうか」 「こっちの世界では通貨とかあるのか?」 「それは私が出すから心配いらないよ。なにか欲しいのがあったら買ってあげるから言ってくれ」 「わかった」 と言っても観光に来てるわけでもないし、欲しい物は特にないかな。 早くソフィアを助けないと……。 「シオリ、大丈夫。姉さまは必ず助けるわ」 「ミュウ……」 「シオリは安全に帰ることを考えていればいいの」 ミュウは僕に顔を近付け、ゆっくり唇を重ねようとする。 「させないから!」 そこにすかさず、スカーレットの邪魔が入る。 今回ばかりは、スカーレットに感謝をしなくてはならない。 「せっかくの夫婦のコミュニケーションの邪魔をしないでくれるかしら」  「夫婦じゃないでしょ!?」 「うん。今のはスカーレットが正しいね」 「だよね!? 何一段すっとばしてるよの! シオリ、油断しちゃダメなんだから」 ガシッと飛びついてくるスカーレット。 「決めた。ソフィアを助けたら私もシオリと夫婦になる」 「ちょっと待って! これ以上話をややこしくしないで! そもそも夫婦じゃないって言ってるじゃん!」 話があらぬ方向へと飛び火していく。 「スカーレット、今シオリをあまり困らせないでやってくれ。ソフィアを助けた後にいくらでも愛し合えばいい」 「チャミュ、待って」 「……わかった、でも今日は一緒に寝る」 「ダメよ、私が寝るんだから」 「いーっだ!」 「なによやる気なの」 「んーっ、もー!」 火花を散らすスカーレットとミュウ。 早くソフィアを助けて家に帰りたい、心の底からそう思った。 ◆◆◆◆◆ 同時刻、天界第三層にある天界宮殿。 連日、ソフィアを陰湿に弄ぶ行為が行われていた。 ソフィアは別の部屋に閉じこめられ、囚われている。 両手両足を鎖で縛られ、顔以外はシルエットがわからないくらいの厚手の衣装を着せられていた。 地面から緑の液体がソフィアの足下からせり上がり、ソフィアの衣装を溶かしていく。 腰当たりまで衣装が溶け、肌が露わになっているが、ソフィアは一切表情を変えない。 反応すればするほど、天帝が喜ぶからだ。 その様をモニター越しでのんびり眺めている天帝。 だが、反応を示さないソフィアにいら立っている。 薬の効きも鈍いらしく、彼の想定通りになっていないらしい。 「つまらんな…、色々試しているが一向に反応を示さん。我はもっとこう、彼女が悶え、我を求める姿を見たい……」 天帝は横にあったグラスを地面に叩きつけながら熱弁する。 そばにいたネリアーチェは慣れた手つきでグラスの片づけを始める。 「おい、誰か彼女を辱める方法を知るものはいないのか!?」 「天帝」 「なんだ、リーガロウ」 「サキュバス天使には、ともに暮らしていた人間界の男がおりました。そいつを使えば、なにかしらの反応を得られるかもしれません」 「人間界の……、もしやあのゴミか。あれは我が燃やしてしまったわ。ふむ、燃やしたことだけでも伝えて反応を見るか」 天帝は念話によってソフィアに直前話しかける。 「ソフィアよ、いい加減我のものになると言ってはどうだ?」 「……」 「ふむ。だめか。いいか、お前が大事にしていたあのゴミ、なんといったか。人間界の男は我が燃やしてしまった。もう、助けに来ることもないぞ?」 その言葉に激しく心を揺さぶられるソフィア。 人間界の男……シオリしかいない。シオリが、殺された!? 「そんなはずないっ!?」 「おおっ、ようやく反応してくれたな!」 激しく感情を見せるソフィアに喜びを隠せない天帝。 「シオリは絶対に助けに来てくれる……」 「ははっ、健気だな。実にいい…もっとそういう表情を見せてくれ」 天帝は苦痛に歪むソフィアの顔を見ることができて上機嫌になる。 「おいリーガロウよ」 「ハッ」 「ソフィアが大事にしていたというゴミ、あれの人形を大量につくってまいれ」 「承知いたしました」 リーガロウは一礼し、部屋を後にする。 「はっはっは、あれの人形があればソフィアの心を少しずつ壊せそうだ。……くっくっく、これはよい。よいぞ! ゴミよ、いい仕事をしてくれる!」 天帝は上機嫌になり、高笑いしたのだった。 ◆◆◆◆◆ 場所は戻って第二層の宿。 一人ベッドで考え事をしていると、リュックの中がなにやらガサゴソと騒がしい。 「なんだ?」 なにか変なものでも入れただろうか。いや、そんなはずはないのだが。様子を見ようとリュックに近付くと、ポーンッと大きな毛玉のようなものが飛び出してくる。 「やっぱり……フーマルか!?」 「やっと出れたぜ……」 「いつの間に……」 「お嬢の一大事について行かなくてどうする! 」 フーマルは僕に体当たりをしてくる。 「私は知っていた」 「シェイド! いつ気づいた!」 「リュックがうるさかったからな」 「にしても、どうして今まで出てこなかったんだ?」 「あの天使がいる限り、俺様は出ない」 「本当に、昔何があったんだよ……まぁいい。第三層に行く手掛かりを探しているんだ。なにかないか?」 「許可証がないと行けないからな。俺様はお嬢の姉に頼むのが一番早いと思うが」 「姉?」 たしか、三姉妹だと言っていた気がする。 「そうだ。お嬢の姉は第二層の上層にいるはずだ」 「そうか、わかった」 「うわ。なんかいやな気配が。俺様はまたリュックに戻るが、お嬢のこと頼んだぞ」 さっとリュックに戻っていくフーマル。 その時、ノックの音がした。 「シオリくん、今後の作戦を話し合いたい。君の部屋で話してもいいかい?」 「あぁ、いいよ」 チャミュ、ミュウ、スカーレットが僕の部屋に集まる。 「あー、シオリの匂い……」 早速ボスンッと僕のベッドで寝そべるスカーレット。 「スカーレット、そんなことをしている時間はないよ。チャミュ、これからどうするんだ?」 「それなんだが、方法は二つ。上層にいる人物から第三層への許可証を用意してもらうか、第三層行の夜間列車に潜入するか、のどちらかだ」 「許可証を用意してもらう人のアテはあるのか?」 「私の知り合いに許可証を用意してもらえる可能性はある。あとは、裏市で買うという手もあるが、金額が法外に高いから望みとしては薄い」 「そうか。ミュウの上のお姉さんって上層にいるんだよな?」 さっきフーマルから聞いた情報を探ってみる。 「姉さまから聞いたのかしら? そうね…大姉さまは上層で仕事をしていらっしゃるわ。でも、大姉さまから許可証を貰うなんて無理よ。さっきも言ったけど、三層行き自体を止められる可能性が高い」 「そしたら、そっちの望みは薄そうだな……。じゃあ、チャミュの知り合いのところに行ってみるとしよう」 ミュウがここまで消極的になる人物、気になるな。 「行くならば死を覚悟することね」 「一体どんな人なんだ……」 「事情はわかった。そしたら私の知り合いのところを訪ねるとしよう。今日は動くには遅い。明日の朝、列車に乗って上層へと移動しよう」 「わかった」 「じゃあ、今日のところは休むとしようか」 「うんっ」 ギュッ。 ピトッ。 僕の左腕を掴むが一人、右腕にくっつくが一人……。 誰なのかは、もう言わなくてもいいだろう。 「あなた、離しなさいよ」 「そっちが離したら?」 「二人とも……」 「それ、私も混ざった方がいいだろうか」 天使がとぼけた顔で言う。 「チャミュはいいよ! ていうか、できれば止めてよ!」 シェイドは口を挟まなかった。 スカーレットとミュウの事に関しては、我関せずを貫くことにしたらしい。 自分が被害に遭っていなければ、賢明な判断だと思ったことだろう。 ◆◆◆◆◆ 大宮殿、リーガロウの私室。 天帝から人間の男の模造品をつくるよう指示を受けたが、リーガロウは悩んでいた。 人形をつくるにしても、元がもう存在しないのだ。 天帝の無茶ぶりにも困ったものだと頭を抱えているとエメが入ってきた。 「リーガロウ様」 「エメか、どうした?」 「第二層の下層駅にて謎の魔形《モンスター》が現れたとの情報を受けています。そこに、こんな人物が……」 そう言って出された写真を見る。 「こいつは……!?」 それは、まさしく、模造品を用意しようとしていた男だった。 生きていたとは……!  以前、エメにリストとしてソフィアを知る者の情報を渡していたのが功を奏した。 それに、ミュウもいる。これは千載一遇のチャンス……!  リーガロウは机の下で軽くガッツポーズをする。 「至急、この男を捕まえて来い! 他の部隊を動かしてもかまわん!」 「ハッ!」 エメは下の部隊に伝達し、部屋を出ていく。 「よし。念のため私も出るとするか」 リーガロウも装備を取ると自分の部屋を出た。 そんなリーガロウの部屋の天井、耳をそばだてていた男が一人……。 「そうか、あいつ生きてたのか……これはご主人に知らせないと」 カゲトラも、動き始めた。それは、天界全体が、大きく変わる前兆だった。 ** 第二層下層の宿。 一日が経ち、僕たちは上層に向けて出発した。 目指すはチャミュの知り合いがいると言われている場所だ。 チャミュが言うには古くからの知り合いで、ソフィアのことも知っているという。 「上層に行くには列車を使う必要がある。まずは下層駅に向かおう」 駅は昨日の事件の慌ただしさはなくなり、平常の運行に戻っていた。 「それじゃあ、ちょっと手続きしてくるから少し待っていなさいな」 ミュウは上層の改札に歩いて行くと、手続きを済ませてチケットを手に帰ってきた。 「はい、これで上層に行けるわ」 「ありがとう、ミュウ」 「あら、お礼なんて」 唇を近付けてきたミュウの角をスカーレットが掴んで阻止をする。 「ちょっと! 角を触らないでちょうだい!」 「油断も隙もないんだから!」 「いいじゃない、シオリの役に立ってるんだから」 「それだったら私もできるし! 私もシオリとチューしたいし!」 暴れる二人をなんとかなだめる。 そろそろ心労が積み重なって来た。胃が痛い。 ソフィアのところに着くまで、なんとかもたせないと。 「シオリ、列車が来る。先に行くよ」 「あ、あぁうん」 やり取りに慣れたチャミュはさっさと列車の方へと歩いていく。 「二人の熱意もなかなかのものだな。ソフィアもあれくらい積極的ならわかりやすいのだが」 「ソフィアもああだったら、落ち着かないよ……」 上層行きの列車は、一二層間の列車とは違い少し綺麗な感じになっていた。 シートも柔らかい気がする。 「上層といってもすぐ着くからね」 「そうなんだ」 「外周を回るだけなのさ」 僕の両端にスカーレットとミュウ、ぎっちり詰まっている。 向かいの席にチャミュ一人とバランスの悪い配置で座る。 スカーレットとミュウの地獄のような板挟み状態にあいながら一〇分程すると、上層の駅へとたどり着いた。 「上層、だいぶ他と雰囲気が違うんだな」 二層の中でも、建物が洗練されているというか整っている雰囲気が見て取れる。 外に出ている天使もあまり見あたらない。 「上層の天使たちはあまり出歩かないからね。従者がいる家も多いし」 「ふぅん、そうなのか」 キョロキョロとあたりを見回すミュウ。 「ミュウ、どうした?」 「私は上層にあまり良い思い出はないの。出来れば関わらずに通過したいわね」 ミュウの場合は、ソフィア以外とは関係がなかったんだっけ。出来るだけ、穏便に行きたいところだな。 「私の知り合いの家はこの区画の外れにあってね、少し歩くことになってしまうが我慢してくれ」 チャミュの案内で、第三層をしばらく歩く。舗装された道路から外れ、山道のような場所になってきた。都会的な印象から自然の風景へと変わっていく。 「私の知り合いは少々変わっていてね、自然に囲まれて静かに過ごすのが好きなんだ。仕事の都合で第三層にいるけど、なにもなければ一層にいるような人物だ」 「なんだかエデモアみたいだな」 彼女の顔が目に浮かぶ。 「彼女の師匠にあたる人だよ」 「えっ!?」 「私の創造主だな」 シェイドがようやく口を開いた。 「そうだね」 「なんだよ、言ってくれれば良かったのに」 「行けばわかることだ」 「そうなんだけどさ」 相変わらず、必要そうなことでも直前まで黙っているなんて。 シェイドらしいと言えばそれまでだが。 「彼なら三層に行くチケットが用意できるはず。きっと、助けになってくれる」 「そっか、どんな人なんだろう」 シェイドをつくった人物なのだから、相当な変わり者なんだろうな……。 その時、スカーレットが僕の裾を引っ張って足を止める。 「スカーレット、どうした?」 「止まって! 多分、囲まれてるよ」 「なんだって!?」 「シオリ、スカーレットの言うとおりらしい。どうやら先回りされていたようだ」 それぞれ武器を出して構える。 前から、白い軍服を着た兵士らしき集団がゾロゾロと現れる。 「天帝の手の者だな」 「私たちがソフィアを助けに来たのはもう伝わってるのかしらね」 「おそらくそうだろう。博士の安否が心配だ、急ごう」 チャミュは銀色の弓を構えると兵士たちに向けて撃つ。 「うおっ!」 「ぐあっ!」 矢をくらい、次々と倒れて行く兵士たち。 「雑魚は私たちに任せて。シオリはあいつの後を追って」 「わかった!」 スカーレット、ミュウが切り開いてくれた道を駆け抜ける。 「エメ様! 奴等が突破してきました!」 「なにっ! まだ博士を捕らえていないというのに……。仕方あるまい、迎え撃て!」 チャミュの後を追うと高い壁に阻まれ立ち往生している兵士の集団と鉢合わせした。 「シオリ! どうやら防壁が作動しているようだ。一旦ここの兵士たちを片付けよう」 「わかった。シェイド、頼む」 「了解した」 主導権がシェイドに移ることで、体を透明なオーラの鎧をまとう形になる。 僕はそれを第三者視点で見る形になるが、実に自分とは思えない凛々しい動きで兵士達を次々と倒していくのだ。 こんな状況でなければ悦に入っていたかもしれない。 兵士はあっという間に倒してしまい、残るはエメだけになった。 「く、くそっ…!」 「なんでここに私達が来るってわかったのかしら」 「そんなこと、教えるわけないだろう!」 盾を構え、徹底抗戦の姿勢を見せるエメ。 「シオリ、ここはまかせて」 スカーレットは一人前に出ると、自分のスカートに手を伸ばす。 「な、なんだ!? 色仕掛けなど通用しないぞ!」 強がりを言うエメだが、目線はスカーレットのスカートがたくし上がるのをしっかりと追っている。天界にいるサキュバスは、ミュウやソフィアたち姉妹だけ。 つまり、普通の天使たちは、サキュバスに耐性がないのだ。 「単純だとわかりやすいね。集中魅了《コンセントチャーム》」 スカーレットの目とエメの視線が合うと、エメの目の色が紫へと変色する。 強ばっていた身体が緩み、盾を構えていた腕が下へと下がる。 「さて、なんで私たちがここに来たのを知っていたの?」 「う、うぐぅ。リーガロウ様からいただいた情報を元に、二層からお前達を尾行していたのだ。そこの天使が博士と関係があるという情報を掴み、待ち伏せしていたのだ」 「なるほど、そういうことだったのか。天帝側には私たちの情報は筒抜けみたいだね」 チャミュが頷く。 「尾行は何人くらい?」 「私の部隊だけだ。捕まえ次第、リーガロウ様の部隊が来る手筈になっている」 「そしたら、ここに長居するのもまずいわね。皆、場所を移動しましょう」 「わかった、スカーレットありがとう。もう大丈夫だ」 「ありがとう、そしたら自分で気絶してくれるかしら?」 「わかった……」 ドスッ。 「うっ……」 エメは手に持っていた剣の柄を自分の腹に当てて気絶する。 「結構痛そうな音したが、大丈夫か?」 「平気だよ。その人、まともにやりあったら強そうだし」 あっけらかんとスカーレットが言う。 だがその顔には、わずかに焦燥が現れていた。 魅了が効かなければ戦うほかなかった。安心もしたのだろう。 「行くわよ、シオリ」 「あ、あぁ…」 倒れこむエメを踏み越えていくミュウ。 スカーレットも構わず踏んでエメの巨体を乗り越えていく。 「シオリ! どう、見直した?」 「流石スカーレットだな」 「でしょ。もっと褒めて褒めて」 「それくらいにしておきなさいよ」 「ふーん、あなた、魅了がうまく使えないから悔しいんでしょ」 「うるさいっ。力のことは言わないで! 次喋ったら斬るわよ」 こんな状況でも変わらない険悪な雰囲気。 というか、スカーレット、わざわざミュウの地雷を踏んでいくなよ……。 ミュウにとっては、そこがコンプレックスなんだから、触れてやるなよ……。 「二人とも、静かにしてくれ。博士の声が聞こえない」 防壁に耳を当てて様子を伺うチャミュ。 こういう時は、頼りになる。 居酒屋でうちの父親に会ったとは思えないノリだ。 「奥に誰かいるのか?」 「おそらく博士がいると思うんだが」 「呼んでみればいいんじゃないの?」 「そんな安直な……」 「おーい、誰かいますかー!?」 スカーレットが壁に向かって大声をあげる。 「スカーレット!?」 「その方が早いか……。博士ー! 敵は倒しましたー!」 チャミュも続いて声をあげる。 「そんな声をあげたくらいで壁が解除されたら苦労しないわよ」 呆れて後ろから見ているミュウ。僕も同意見だった。 ゴゴゴゴゴ……。 その時、壁の一部がゆっくりと下がっていく。 「開いたみたいだな……」 「みたいね……」 「おかしくない!?」 「まあ、いい。博士が気付いたみたいだな。中に入ろう」 そんな簡単に開いていいのか、と戸惑う僕とミュウを置いて、チャミュとスカーレットは中に入っていく。 「何をしているシオリ、博士に会いに行くよ」 「あ、あぁ……、わかった」 防壁の中に入ると、先程下がった防壁は再び元に戻っていく。 「あれ、元に戻るのね……よくわからないつくりね」 「あぁ」 「……な、なによ」 「いや、ミュウもそんな顔するんだなって」 普段あまり見たことのないテンションだったので、気になってしまった。 「あ、あまり見ないでくれるかしら……」 予想外の返答に照れて目を逸らすミュウ。 「さて、中に入ってみようか」 木造の家の扉を開けるチャミュ。僕とソフィアも後に続いて入る。 「博士、いるか?」 薄暗い部屋の中。エデモアの骨董屋に入った時もこんな感じだったのを思い出す。 「……チャミュかい?」 暗い部屋の中から声がする。徐々に声が大きくなり、こっちに近付いてくる。 「この人が………」 僕の目の前に現れたのは、背の高いクセ毛の男性だった。 ** 僕の前に現れた男性――。 クセ毛のボサボサ頭をかきながらこっちに向かってくる。 ヨレヨレの白衣を着た、如何にも研究者といった風体だ。 「チャミュ、久しぶりだね」 「博士、お久しぶりです」 チャミュは軽く頭を下げる。どうやらこの人が博士、そしてエデモアの師匠らしい。 「さっき急に天使達が押し掛けてきたから防壁作動させて追い返したんだけど、これは君達が原因なのかな?」 「はい、実は天帝にソフィアがさらわれてしまって」 「ソフィアが? ……なるほど、君達はそれでソフィアを助けに来たということだね」 「さすが、理解が早い」 チャミュが満足そうにうなずく。 たしかに。ソフィアがさらわれた。 その情報だけで理解できるとは、昔から、危機感はあったのかもしれないと思った。 「それで第三層行きのチケットを用意してもらえないかと思い、博士のところに…」 「事情は理解したよ。けど、残念ながらチケットを用意してあげることはできないんだ。あの一件以来、天帝側にはすっかり目を付けられちゃってね」 「そうですか……」 「力になれなくてすまないね」 「創造主よ」 話が終わったタイミングで、シェイドが口を挟んだ。 「その声は……シェイドかい!? また、随分懐かしいのが来たね! シェイドはエデモアに渡していたと思うけど」 「彼がエデモアから譲り受けました」 「君が……」 僕の顔を驚いた顔で見る博士。 「は、初めまして。天寿シオリと言います」 「私の主人だ。ソフィアを救いに来た」 「そうか、ということは……」 博士はチャミュの方を見る。チャミュもそれに黙ってうなずく。 「そうか、ようやく見つかったんだね……。シオリくん、第三層行きの手配はできないが、出来る限りの手助けはしよう」 「あ、ありがとうございます」 そこに、 ガンガンガンガン!!  防壁に激しく衝突する音が響き渡る。 「この音は! ?」 「おそらく異変に気付いた別の部隊が来たんだろうね。このままだといずれ防壁も突破されてしまう。こっちに来て」 博士は僕達を部屋の奥へと案内する。 奥の扉を開けると、舗装された道の路地裏へと続いていた。 「これって……」 エデモアの骨董屋でも見たことがある。 「本来は繋がらない場所と場所をこの扉で無理矢理繋げてるんだ」 「博士、これは違法では?」 「うん。バレたら翼もがれて人間界に追放だね。でも大丈夫。君たちは天帝を倒すんだからね」 あっさりという博士に、僕は驚く。 そこまで大変なことなのに、力を貸してくれるというのか。 「急いで。奴等が来る前に連結先を変えちゃうから」 皆扉を通り終えると、博士はなにやら閉じた扉を調節し始める。 「これでよしっ、と」 「何に変えたんですか?」 「ちょっとした場所にね。さ、行こうか」 ◆◆◆◆◆ 場所は変わって博士の家―――。 周囲防壁を壊したリーガロウが家へと入ってくる。完璧な作戦だと思っていたが、エメが取り逃し、あまつさえミュウにも会えず怒っていた。 「エメ、誰も見あたらないようだが」 「ハッ! たしかにこの家に入っていったのですが…」 「くまなく探せ!」 「ハッ! 」 兵士達数人で入り、中の物を蹴散らしながら奥へと進む。 「リーガロウ様!」 「どうした!?」 「奥に扉がありました! それ以外は何も見当たりません」 「よし、突入するぞ!」 リーガロウの命令で、扉に勢いよく体当たりして突入するエメ達。 しかし、扉の先は崖になっていた。 「あああああぁぁ! リ、リーガロウ様ぁぁぁ! ! 」 「崖だと…!? クソッ、してやられた! おい、這い上がってこい、二層市街地に戻るぞ!」 「そ、そんなぁ……」 崖から落ちそうになっているエメ達兵士を残して、リーガロウの部隊は部屋を出ていったのだった。エメは思った。今日一日、ひどい目にしかあっていないぞ、と。 ◆◆◆◆◆ 「と、まぁ今頃皆崖の下なんじゃないかな。高さはそこまでじゃない場所にしておいたから落ちても大丈夫だと思うよ」 「博士もなかなかイタズラが好きですね」 「人の家を勝手に荒らした代償くらいは払ってもらわないとね」 そう言ってアハハと笑う博士。結構大胆なことをする人なんだな。けど、おかげで追手をだいぶ撒くことができた。 「ここから先、どうしましょうか。チケットも用意できないとなると…」 「ツテはあるよ」 「本当ですか!?」 「うん、ただ」 「ただ?」 「そこのお嬢さんが嫌がるだろうけどね」 博士は、きょとんとしているミュウの方を見た。 ミュウ、苦手なひと多すぎない? まあ、今までのメンツをみれば、しょうがないことだと思うけれども。 ◆◆◆◆◆ 天界大宮殿、ソフィアの囚われ部屋―――。 連日による玩具《おもちゃ》のような扱いに、ソフィアの精神も肉体もボロボロになっていた。今は白い布一枚でベッドに横たわっている。 最近では、薬のせいで記憶ももっとぼんやりとしてきていた。 目の虹彩もなくなるほど、精神にダメージを負っていた。 「シオリ……」 かろうじて、覚えている言葉。私が大切にしていたであろう言葉。 この言葉だけは、忘れてはいけない気がする……。 忘れた時には、私はもう私を維持できないだろう……。 うずくまるソフィアをモニター越しに眺める天帝。 後ろにはネリアーチェがピシッと垂直に立っている。 「だいぶ弱ったようだな、次でもう落ちるだろう。思いつくことはやったしな。さて、どう終わらせようか……」 天帝は手に持ったグラスをくるくると回しながら思案する。 「天帝様」 「どうした?」 「リーガロウから、例の男がまだ生きていたとの情報が。どうやらソフィアを救うためにこちらを目指しているとのことです」 「なんだと!? そうか、あのゴミが生きていたのか……まぁよい、それならそれで好都合だ! その男をここに連れて来い! ソフィアを落とす仕上げに使ってくれようぞ」 シオリが生きていたことに憤慨した天帝だったが、利用価値に気付きすぐさま上機嫌になる。 「ラム、ネツキ! お前等も奴を捕まえてこい!」 「ハッ」 「かしこまりまして」 天帝の命に応え、それぞれ部屋を出ていく。 「ゴミの分際でこの地に足を踏み入れようとは……。まあいい。ソフィアにとって最後にふさわしい舞台を用意してやろうではないか!」 天帝は玉座から立ち上がると、持っていたグラスを勢いよく地面へと叩きつけた。 ◆◆◆◆◆ 「私は行かないわよ」 そう言って一向に譲らないミュウ。 と言うのも、博士が提案した内容がソフィアのお姉さん、つまりミュウの姉でもあるエレダに第三層行きのチケットを用意してもらう、ということだったからだ。 「うーむ、困ったね」 あごに手を当てどうしようかと考えている博士。 「ミュウが嫌なら僕一人でも」 「いやいや、それは無理だよ。エレダと近い存在でなければ直接話すことはできないだろう。門前払いを食らうだけだね」 「でも……」 そう言って、ミュウの方を見る。 普段では見たことのない困り顔をしている。余程嫌なんだろうな。 「他に方法はないのか?」 「深夜の天界列車に潜入するという手が」 「それももう使えないんだ。警備が厳しくなってしまってね」 無理だ、と首を横に振る博士。 「そんな……、じゃあ、どうすればいいんだ」 万策尽きた。ここに来て三層に行く手段が見つからず途方に暮れる五人。 「……わかったわ」 沈黙を破ってミュウが口を開いた。 「行きましょう、大姉さまのところに」 表情は強張ったままだ。 「ミュウ、いいのか?」 「いいも何も、このままだと姉さまを救うことはできないわ。やるしかないわよ……」 「ありがとう、ミュウ」 「………」 ミュウは黙って、僕の手を握ってくる。 ミュウの身体が小刻みに震えてるのを見て、緊張が伝わってきた。 ちょっと待って。自分の姉に会うのに、そこまで怖がるってどういうこと? 「行くならさっさと行くって言えばいいのに」 「あなたはあの人の怖さを知らないからそんなことが言えるのよ」 スカーレットが言った言葉に噛みつくミュウ。 「ミュウ、ありがとう」 「ソフィア姉さまのためよ。仕方がないわ」 周りの強張った空気に、僕もつられて怖い妄想が働いてくるのであった。 ** 天界第二層上層。 その中心に位置するところにソフィアの家はあるらしい。 見るからに大きな家が立ち並ぶ。どこを見渡しても高級そうなところばかりだ。 「結構凄いところなんだな……」 景色に圧倒されて言葉が出てこない。 「ソフィア達は名家の生まれだからね、上層の中でもかなり上に位置しているよ」 「私はこの空気が好きではないけれど…」 「ミュウにとっては良い思い出ではないんだっけ」 「ええ、堅苦しくて偏見ばかりで…とても不自由だったわ」 「そうか……」 綺麗な景色からは見えない裏側もきっとあるのだろう。 ミュウのことをあれこれ詮索するのはやめよう。 僕は二層の建物を色々と見てみることにする。 しばらく歩くと、人間界で言えば教会のような建物へと辿り着いた。 「着いたよ、シオリくん」 チャミュが立ち止まって振り返る。 「ここが?」 「そう、ソフィアの家だ。そして彼らの家でもある」 「久しぶりに帰って来たわね……」 「へー、ここがねぇ」 渋い顔をするミュウ。スカーレットはその状況を面白がっている。 ミュウが言うとおり、如何にも清く正しく、といった雰囲気が前面に出ている家だと思った。 「じゃあ、僕はここで待っているから。頼んだよ」 「私も、ここに残って君たちを待つとする」 「あれ、チャミュと博士は来ないんですか?」 「僕たちが行くとややこしくなるだけだからね」 「え??」 「気にしないでくれ。色々あるんだ」 「私もここで待ってるから」 スカーレットが鎌をクルクル回し、後ろへと下がる。 「わかった、そしたらチャミュ、博士とスカーレットはここで待っていてくれ」 チャミュに促されて玄関へと進む。 大きな柵があり、中へ入ることは出来ない。 横にあったインターフォンのようなものを押す。 リーンリーン。 甲高い鐘の音が鳴り響く。 「はい、どちら様でしょう?」 落ち着いた女性の声がする。 「あの、エレダさんに会いに来たんですけど」 「お約束でしょうか?」 「いえ、そういうわけではないんですが」 「では、お取次ぎするわけにはいきませんので、お引き取り下さい」 「ちょっと待ちなさい。私よ、ミュウよ。帰って来たから大姉さまに会わせなさい」 ミュウが僕の会話に割って入ってくる。 僕の裾を力強く握っているのが彼女の緊張を物語っていた。 「………少々お待ちください」 女性はそれだけ告げると、少しの沈黙が流れた。 「どうぞ、お通り下さい」 ガガガガ 女性の言葉と同時に、重々しい柵が勝手に開いていく。 「……行くわよ」 沈痛な面持ちのミュウ。 柵を越えると、そこにはとても大きな庭が広がっていた。 家の扉までの距離がとても遠く感じる。しばらく歩いただろうか。 周りの緑を見ながら歩き、ようやく玄関前までたどり着いた。 玄関が開き、メイド二人が中から出てくる。髪を後ろで束ねてお団子状にした女の子だ。二人とも似た姿をしている。クラシックなメイド服、髪はどちらも白色でお団子の位置だけが違う。顔も似ているが、双子なんだろうか?  「ミュウ様、お帰りなさいませ」 二人とも、息ぴったりに声を揃えて挨拶をする。 「挨拶はいいわ。大姉さまに会わせて」 ミュウはインターフォンで話してからずっと、僕の裾を掴んでいる。いつものように 僕を誘った表情ではない、無意識のうちにそうしているのだ。 メイドは黙って僕たちを案内してくれる。 「ミュウ、お姉さんってどんな人なんだ?」 「自分にも他人にも、とても厳しい人よ…」 「そうか、無理するなよ。僕が話すから」 「馬鹿言わないで。あなたが言ったところで無理よ。知らない人の話を聞く人ではないわ……」 「それ、どういう人なの? 人間的に、いや、天使的に? 問題ない?」 そんな僕の問いを無視して、メイドが二人、また声を揃えてミュウに話しかける。 「ミュウ様、こちらでございます」 「開けてちょうだい」 ミュウの一言で、メイド二人が左右の扉を開ける。 扉の先には、髪の長い女性がティーカップを持って座っていた。 ◆◆◆◆◆ ちょうど、その頃のチャミュ、博士とスカーレットというと―――。 家の外でぼんやりと立っていた。博士に一切興味を示さないスカーレット。鎌をチアリーディングのように回しては飛ばしている。 「……来たみたいね」 スカーレットはそう言うと、上に放り投げていた鎌をキャッチし、前の草むらに向かって投げる。 鎌は大きく弧を描き、草を一刀両断にしていく。 そこには、隠れていた天使兵達がいた。 奥にラムとカゲトラの姿も見える。 「邪魔者を足止めしないとね?」 「残念だが、ここから先には行かせられないな」 スカーレットは戻ってきた鎌をパシッと掴む。 チャミュも弓を取り出し、矢を構えた。 「な、なんでバレちゃったのよ!」 完璧な尾行だと思っていたのがあっさりバレて焦るラム。 「なんでですかね、バレないように隠れてきたと思ってたんですが」 「ここから先は行かせないわよ」 「僕は戦闘要員じゃないんで、後ろで応援させてもらうよ」 スカーレットの後ろの草むらへと隠れる博士。 「しょうがない、こうなったら実力行使よ。あの男をとらえるのよ!」 ラムの掛け声で、スカーレットに向かっていく兵士たち。 「させないんだから!」 シオリを守る。そのためにここに来た。 だけど、ソフィアも知らない仲ではない。 シオリを奪い合う敵ではあるが、天帝に壊されていいわけでもない。 スカーレットは鎌をふるう。ありったけの力を込めて。 ◆◆◆◆◆ スカーレットがラム達と戦っている中、家の中ではエレダと僕、ミュウが対峙していた。 ベージュの前髪を横に流し、如何にも切れ者といった雰囲気を漂わせているソフィアの姉エレダ。 色気がたっぷりで、女王様のような空気すら漂わせていた。 「勝手に天界を抜け出して、今頃帰ってくるとは。なにをしに来た?」 久しぶりに帰ってきた妹に対する言葉なのか、僕は少しムッと来ていた。 「別に、帰ってきたかったわけではないわ」 ミュウは僕の裾を握ったまま、懸命に声を振り絞る。 普段聞くような声とは違う、かすれるような弱々しい声だ。 目の前の姉の威圧《オーラ》にだいぶ押されているのがわかる。 「言うようになったな。姉に対する敬意すら忘れたか?」 冷たい視線。ギロッとした目がミュウを睨みつける。 「……大姉さまはいつもそう、人を見下すことしかしない。ソフィア姉さまがどうなっているかは知っていて?」 「ソフィアが? 逃げたやつのことを、私が知るはずがないだろう」 「姉さまは……天帝にさらわれたのよ……」 「……それで。だからどうしたというのだ?」 その言葉を聞いて、僕は気付けば声を荒げていた。 ここまで我慢できないことは生まれて初めてだったと思う。 怒りと単純な疑問が、僕の口を突いて出た。 「あなたの妹だろう!? なんでそんなことが言えるんだ!」 拳を強く握り、僕は震えていた。 ミュウは驚いた顔をして僕を見ている。 「お前は誰だ?」 エレダは動じず、冷たい視線を僕へと向ける。 「天寿シオリだ。ソフィアを助けに来た」 僕も負けじとエレダの目を見つめ返す。 この人は何故ここまで妹に対して冷たい言葉が吐けるのだろう。 僕には兄弟はいないが、大事な人を放っておくようなことだけは許せなかった。 「あなたが第三層へ行けるチケットを持っていると聞いた。ソフィアを助けに行きたい、力を貸してくれ」 「出来ない話だな、私にも立場がある。人間がここにいることだけでも重大な規律違反だ。この場でお前を捕らえてやってもいいんだぞ?」 「妹が天帝にさらわれているんだぞ!」 「言っただろう、私にも立場があると言った。天帝ならなお更だ。逆らえるはずがない」 「そんな……。じゃあ、妹がどうなってもいいのかよ……」 僕はエレダの非情な返事に言葉を失くす。 姉妹なのに、こんなにはっきりと関係ないと言えるのか。 怒りと同時に悲しさがこみ上げてきた。 「シオリ、もういいわ。あなたの気持ちは充分わかった」 ミュウは僕の裾を引っ張ると、僕より一歩前に出て、膝をつく。 「大姉さま、先ほどの失言お許しください。私はソフィア姉さまを助けたい、そのためにお力をお貸しください」 「ミュウ……」 膝を突いて、懇願するミュウ。それを見て、僕も同じく膝をついた。ミュウの姿勢を見て、もうなりふり構わず言っていられないと感じたからだ。 「お願いします……! 力を貸してください!」 「……いくら頼まれたところで無理だ。さぁ、終わりだ。さっさと帰るがよい。今ならまだ、人間のことも通報しないでやる」 エレダはメイド二人を呼び出し、僕とミュウは外へと連れ出されていく。 ◆◆◆◆◆ 結局、エレダは相手にしてくれなかった。 「二人とも……他の方法を探そう」 立ち上がれない僕とミュウに、声をかけるチャミュ。 「このままいても、チケットは手に入らない。残念だが他を当たろう」 「あぁ……」 エレダにまったく相手にされなかったことに、疲れと怒りが溢れてくる。 「外までご案内致します」 メイド二人は変わらず声を揃え、通ってきた道を逆に案内する。 とぼとぼと後ろを歩く僕とミュウ。 その時メイドの一人が、小さな声で話しかけてきた。 「第三層行の列車は最後の便が到着した時のみ、二分間だけ警備がまったくない状態がございます」 「……えっ?」 「えっ……」 メイドの思いがけない言葉に顔を上げる僕とミュウ。 「エレダ様はお立場がございます。助ける、とは言えないのです」 「大姉さまが……」 「どうかエレダ様の苦悩をご理解ください」 もう一人のメイドが言葉を添える。 「エル、アル……」 ミュウは、瞳からこぼれる涙を袖で拭い取った。 ◆◆◆◆◆ 「あーっ! もうしぶといわねー!」 業を煮やして、雷撃の攻撃を立て続けに放つラム。 チャミュの正確な射撃、スカーレットのすばしっこい動きに、イライラが溜まっているようだ。 「ご主人、それ以上使うと体力が」 「うるさいわね犬! こいつ、ちょこまかと目障りなのよ!」 放電が辺りを飛び周り、仲間の兵士も巻き込んでいく。 「随分とまたヒステリックなのね、上司がこれだと下も大変じゃない! 」 「よくわかってらっしゃる」 「なんか言った!? 犬!?」 「いえ、なんにも!」 雷撃をかわしながら、スカーレットに攻撃を繰り出すカゲトラ。 ようやく蹴りがスカーレットの体をとらえる。 「もらった!」 「ぐぅっ!」 転がるスカーレット。だんだん、疲れの色が見えてきている。 「やるじゃない犬、もうその女は置いといて、ターゲットを捕まえにいくわよ! 」 その時、二人の足元に槍が二本飛んできた。 「誰よ! ?」 ラムが振り向くと、そこにはメイド二人が立っていた。 「ミュウ様、ここは私たちが引き受けます」 「エル、アル!」 「さぁ、ここは私たちに任せて先をお急ぎください」 「すまない……ありがとう!」 僕は二人に礼を言い、スカーレットの腕を取り走っていく。 「──エル、珍しいじゃない。あなたが誰かの肩を持つなんて」 「エルダ様の苦悩する顔、ゾクゾク致しましたわ。その見返りに、多少手助けをするのもよいでしょう?」 「ふふっ、あなたも変わらないわね」 メイドは二人顔を見合わせると、敵を見据えて槍をクロスさせる。 「ここから先は、私たちを倒してからにしなさい!」 ◆◆◆◆◆ 「大丈夫かな、あの二人」 メイド二人が心配になる。 「エルとアルなら心配することはない」 信頼があるのだろう、特に心配することなく前を走るミュウ。 「あの二人、もとは天使長になるくらい強かったから」 「ええ!? じゃあ、なんでメイドに?」 「さあ。聞いた話では、大姉様と関係があるみたいだけど。詳しくは知らないわね」 ミュウも首をかしげる。 謎だが、それ以上聞いても仕方ないだろう。 走りながら、ミュウの方を見る。ミュウも僕の視線に気づき、僕の方を見る。 「ミュウ、ありがとな」 「なによ」 「いや、だってあの時」 「言わないで……恥ずかしい」 ミュウはうつむいて顔を真っ赤にする。 「でも…あなたのこと、もっと好きになったわ……」 ミュウがボソッと呟く。 「え、なんて?」 「なんでもないわ! 奴隷のくせに、なかなかやるなと思っただけ。さ、急ぐわよ!」 ミュウは耳を真っ赤にしたまま、僕を置いて先に行ってしまった。 ** ソフィアの家を離れ、敵の追っ手も撒くことに成功した僕達は、第二層上層の宿で一息着くことにした。 「ふぅ、ようやく一息つける」 「だいぶ走ったからね。流石に疲れたよ」 「だらしないわね、あなた達」 あれだけ動いたというのに、ミュウとスカーレット、チャミュは平然としていた。 どうやら体力は女性チームの方があるみたいだ。情けない限りだが。 「それで、結局チケットは貰えなかったけど、なんとかなりそうでいいのかな?」 「そうだね、三層行きの列車の抜け穴を教えてもらったから、いけると思う」 「シオリの言う通り、どうやら別に抜け道があるみたいだね。二分間の警備が手薄な時間帯、そこが勝負だ」 「具体的にはどうやって突破するんだ?」 「第三層行きの最終列車とは、つまり貨物列車のことなんだ。三層にあらゆる物が運ばれる形になる。そこに紛れ込むというわけさ」 「なるほど、そういうことか」 「そうと決まれば夜までは休むとしよう。最終列車の到着時間は二一時四五分、二一時にはここを出発だ」 「わかった、それじゃあ各自とった部屋で休んでくれ」 説明が終わったあと、皆それぞれの部屋に分かれていく。 ミュウとスカーレットは残るかと思ったが、あっさり自分の部屋に入っていった。 毎回の出来事に感覚が麻痺してただけだな。 シャワーに入って疲れを落とすとしよう。 服を脱いで備え付けのお風呂に入る。 地上の物と変わらず、蛇口を捻る形でお湯が出てくる。 「ふぅ……」 最近一人になる時間がなかったので、ようやく落ち着けた気がする。エレダとの話し合いで高ぶった神経を落ち着けるには丁度よい形だ。 宿屋のお風呂にしてはそこそこ広めの湯船に浸かり、目を閉じる。疲れがたまっていたんだろう、そのまま少し気を失ってしまっていた。 カラララ…。 チャポンッ。 何かの音がする。 なんだっけ……扉が開く音か……。 ……。 ………。 扉が開く音!?  意識が戻り、目を開けると、入り口に髪を結った裸のミュウが立っていた。 「ミュ、ミュウ!?」 「返事がないから入ってみれば。あなた、疲れてるんじゃないの?」 ミュウはそう言って僕のおでこに自分のおでこをくっつける。 そのまま、湯船に入ってきた。 「やっぱり、熱があるわね」 「お、お風呂だからだよ! ダメじゃないか勝手に入ってきたら!」 「あら、ちゃんと言ったわよ。「入っていいかしら?」って。無言だったからいいのかと思って」 多分、気を失っていた時だ。 「答えてないってことは、良いってことにはならないだろ!」 「あなた疲れて寝てたみたいだし、溺れなくて良かったわね。私が見つけてなかったら危なかったわよ」 「そ、それはそうだけどさ」 お腹にミュウの柔らかい太ももと谷間がプニュッと当たる。 「私に少しでも感謝の気持ちがあるのなら、このくらいいでしょう」 「このくらいって、若い男と女が……」 「若い男と女が?」 イジワルな顔を浮かべてミュウが見下ろしてくる。 最初に会った時以来の久しぶりの危機感だ。 「が、が……」 「ふふっ、やっぱりあなたを見ていると楽しい」 ミュウは満足そうな顔をすると、僕に体を預けてくる。 「ミュ、ミュウ!?」 「今日は一緒にいてくれて助かったわ。大姉さまは、色々教えてくれたとしても、やっぱり苦手。いつ会っても慣れないから」 「そうか……頑張ったな」 「ううん。……あのね、言いたいことがあって」 「なんだ? 今日はからかうなよ。体力のこってないからな」 「そんなことじゃなくて……ソフィア姉さまのために、怒ってくれてありがとう」 ミュウは、真剣な声をしていた。 「ミュウ……こっちこそ、ミュウのソフィアを思う気持ちが伝わって来たよ」 「……当然よ」 ミュウは顔を起こすと、にっこりと笑う。 「シオリー! 一緒に入ろー! 」 その時、スカーレットが風呂場の扉を開けて入ってきた。 「……」 「………」 互いに見合わせる僕、ミュウとスカーレット。 「ちょーーーーーっと!! 何してるのよ泥棒猫!!」 「うるさいわね、シオリからご褒美もらっていただけじゃないの」 「だ、け、じゃないでしょ!」 ドボォンと湯船に飛び込んでくるスカーレット。僕の上に重みがのしかかる。 「ぐぉえ……」 「まったく油断も隙も無いわね」 「油断をするあなたが悪いのよ」 「被害者を断罪しないで!?」 湯船の中で喧嘩を始める二人。 場所など関係ないようだ。 「二人とも、落ち着いて……」 「シオリは黙ってて!」 強めの言葉に圧倒されたじろぐ。 「大体、あなた自分の部屋に行ったんじゃないの?」 「行ったわよ。その後でシオリと一緒にいたくなったからこっちに来たんじゃないの」 「来たんじゃないの。じゃないわよ!」 スカーレットはミュウに向かってイーッと歯を見せる。 「シオリもシオリよ、なんでこんな奴をそばに置くわけ!?」 「スカーレット、苦しい、助けて助けて」 背中から僕の首を絞めるスカーレット。胸が背中に当たる感触と首を締められる苦しさで色んな思いが入り混じる。スカーレットの腕をパンパンと叩きギブアップ宣言をする。 「いいじゃない、シオリと私の仲なんだから。ねぇ」 ミュウはそう言って僕に体を密着してくる。前門のミュウ。後門のスカーレット。 「よーくなーいー!」 ギュウウウ。 「たす…け……て……」 二人に物理的に挟まれながら、僕の休憩時間はゴリゴリと削られていった……。 ◆◆◆◆◆ 「どうしたシオリくん、疲れはとれなかったかい?」 ぐったりした僕を見てチャミュが声をかけてくる。 そりゃ、休む前より疲れている顔をしていたら心配するよな。 「大丈夫だよ、まぁ色々あったけど……」 「ミュウとスカーレットか、彼女達にも困ったものだな。いっそのこと、全員と付き合ったらどうなんだい?」 「ブハッ!」 思いがけない言葉に飲んでいたお茶を吹き出してしまう。 「な、なんでそうなるんだよ! 」 「だって、曖昧な態度をしているからこんなことになるんだろう? だとしたら皆と付き合ってあげたらいいじゃないか、サキュバスはその辺問題ないんだから」 「人間の僕には大問題なんだよ……」 感覚がすれ違う。こればっかりはどうしようもない。 「ま、でも彼女たちは満足してるみたいだし、いいんじゃないかい?」 「チャミュってソフィア以外のサキュバスが俺の近くにいても気にならないんだな」 「今は彼女たち二人がいないとソフィアを救うことはできない。まぁ、君だったらソフィア以外のサキュバスもきっと幸せにできるさ」 「無茶言うよ……」 「ハハ、本当のことさ。さぁ、第三層に突入しよう」 チャミュの作戦により、第三層行き列車の突入作戦が決行される。 いよいよ、天帝と戦うのだ。 ◆◆◆◆◆ 二一時四五分、時間ちょうどに最終列車が駅に入ってくる。 列車の上に飛び乗れる場所でスタンバイしていた僕達は飛び乗る準備をする。 「それじゃあ僕はここまでだ。ソフィアを救ってあげてくれ」 「博士、ありがとう」 「シェイドも。エデモアから渡された宝石で強化しておいたから、多少の無茶は大丈夫だ」 「恩に着る。創造主よ」 シェイドの声は、いつにもまして真剣だった。 シェイドとしては、創造主は神のごとき存在なのだろう。 休憩時間に、博士にシェイドのことを見てもらった時に少し改造してもらっていたのも見ている。エデモアからもらった青い宝石は、シェイドの拡張パーツだったらしい。 「オートリゼーション!」 この言葉を口にすることで、シェイドをまとうことができる。 最終列車の荷物がすべて運び込まれたのを確認、シェイドに主導権を渡して列車に飛び乗る。列車に飛び乗ることに不安を感じなかったのも、シェイドがいたからだ。 衝撃もほぼなく、以前より体が軽く感じる。 皆も次々と列車に飛び乗り、天井にある入り口を開ける。 僕達は博士に手を振り、中へと入っていった。 列車は折り返し、再び第三層へと向かって動き出す。その姿を見つめる博士。 「頑張れ、シオリくん……」 その瞳は、祈りに満ちていた。 ◆◆◆◆◆ 場所は変わり、天界第三層大宮殿。 ソフィアは首輪をつけられ、十字架に磔《はりつけ》にされていた。 腕には白い手袋、足には白いタイツ、白い下着の衣装を無理矢理着させられていた。 薬の投与は途中で止められたことで完全に記憶はなくなっていなかったが、精神状態はだいぶ不安定なものになっていた。 目は虚ろになり、生気も失われていた。 天帝は玉座に座り、退屈そうにグラスをいじる。 「あのゴミがここに来るというんだな?」 「ハッ、あと少しで第三層に到着するはずです」 ひざまづいて報告するリーガロウ。 「そうか」 天帝は玉座から立ち上がると、ソフィアの前まで歩いていく。 ソフィアの目の前で立ち止まると、うなだれる彼女の顎をくいっと上げ顔を近づける。 虹彩を失くしたソフィアの瞳を見つめる天帝。 その表情は、天使のものとは思えない廃人そのものだった。 「ソフィアよ、お前が待ち焦がれているシオリという男がもうすぐやってくる」 「……シオ…リ……」 シオリ、という言葉に反応するソフィア。 「お前はこのまま、愛する男が散る様を見届けるがいい」 「…あなた……許さ……な……い……」 瞳に少しだけ光が戻る。徐々に涙が溢れていく。 「いいぞ、その顔だ……その顔をもっと見せろ」 ゾクゾクと体が震える感触を楽しむ天帝。 やはりこうでなくては。笑みは、高笑いへと変わっていく。 「よいか! 今からここに来るゴミを徹底的に叩きのめしてここに連れてこい! ソフィアの目の前でその屍を叩き砕いてくれるわ!」 「ハッ!」 天帝は部屋中に響き渡る声で、天使たちに号令をかけた。 リーガロウは思う。あの男は、なぜこのサキュバス天使に必死になれるのだろうと。 それは、自分がミュウに必死になるのと同じなのだろうかと。 だとしてら、相手が悪すぎた。天帝に対して戦いを挑むなど、無謀にもほどがある。 だが……。と、リーガロウは思う。 そんな無謀なことまでしてしまうのが、恋なのだ。 リーガロウは、ミュウのことを思い出して、胸が熱くなるのだった。 ** 第三層行最終列車、最後尾の列車内。 様々な食べ物が箱にぎっしりと詰まって積まれている。 その空いたスペースに縮こまっている僕たち四人。 鮮度を保つためなのか列車内部が微妙に冷たい。 スカーレットとミュウは暖をとるために僕にピッタリとくっついていた。 「ミュウ、僕の服に直接手を入れるのはダメだ」 「あら、私の中にも入れていいのだけれど」 「そういう問題じゃない!」 僕の手を胸元にあてがうミュウ。 「シオリ、こっちの方が暖かいよ」 スカーレットも負けじと僕の手を掴んで自分の服に引き込む。 「シオリくんも大変だね」 チャミュだけは、自分の羽を出して風を遮断している。 片羽根とはいえ、一番暖かそうだ。 「見てないで助けてくれよ」 「いやあ。はっは。無理な相談だねえ」 「笑い事じゃないんだけど……」 「まあまあ、しばらくの間なんだから、辛抱しなさい」 「そうそう。あぁ、シオリの匂い好き」 その時、 ガコォオオオン! !  激しい音とともに列車のスピードが落ちる。 慣性のまま、食べ物が入った箱に突っ込んでいく僕たち。 「いたた……な、何が起きたの?」 「列車が止まったらしいな、何か起きたことは間違いないようだ」 「んー!! んー! 」 「シオリ、何よ。うるさいわね」 「何言ってるのかわかんないよ、シオリ痛い痛い」 スカーレットの太股を叩き、身の危険を知らせる。 スカーレットのお尻が顔面に乗っかり窒息寸前だった。 「ごめんねシオリ」 「死ぬかと思ったよ……で、何が起きたんだ?」 「列車の衝撃を考えると、前の方で何か起きてるみたいだね」 「ちょっと見てみようか」 恐る恐る、天井のハッチを開けて見てみると先の方でなにかが蠢《うごめ》いているのが確認できた。 「あれって…」 「天界蜘蛛みたいね」 「ここにも出てくるのか、しつこいなぁ」 小蜘蛛がぞろぞろと動くのを確認してハッチを閉じる。 「どうする、蜘蛛がこちらまで来ると面倒になるが、応戦すると私達がここにいるのがバレてしまう」 「出来ればこのままやり過ごしたいところだね、列車には悪いんだけど」 無用な動きでソフィアを救えなくなっては元も子もない。 「ぐぁぁぁ!」 前の列車から、誰かの叫び声が聞こえる。どうやら徐々に近付いてきているようだ。 「あと少しで三層へと着く。そこまでもってくれればいいが」 その祈りも通じず、蜘蛛がぞろぞろとこちらへ向かってやってくる。 「列車の警備ってザルなのかしら?」 「蜘蛛に負けるくらいのレベルってことだけはわかるけど」 「どちらにしろ、このままではいられないね。応戦しようか」 「あーっ、もー面倒だなぁ」 「仕方ない、やろう!」 列車の最後部から飛び出し、蜘蛛を蹴散らしていくチャミュ達。 ザシュッ! ザシュッ!  体液を吹き出し、動かなくなる蜘蛛。 「これって運転席は大丈夫なの?」 「大丈夫ではない可能性が高いな」 「僕見てくるよ。皆は蜘蛛の駆除を頼む」 「了解した、気を付けて」 拳銃を華麗に回し、蜘蛛を撃ち落としていくチャミュ。 連結の扉を開けて、前の運転席へと急ぐ。 列車内部は既に蜘蛛によって荒らされており、警備員も気絶しているようだった。 「全員、蜘蛛にやられているようね」 「ミュウ、着いてきたのか」 「あなただけでは心配だもの。これは運転席も危ない可能性があるわ、急ぎましょう」 「あぁ」 倒れる警備員を飛び越して、運転席へと急ぐ。 面倒ごとが重なっている。ソフィアのもとへ急ぎたいのに。 ◆◆◆◆◆ 天界第三層では、ラムが宮殿にて指揮を執っていた。 メイド二人に為すすべもなくコテンパンにやられて、カゲトラに無理矢理引きづられて戻ってきたのであった。 「ご主人、まだ機嫌悪いんですか?」 「二人がかりじゃなければあのメイド……なんとかなったのよ」 「息ぴったりで強かったですからね、あの二人」 「犬がちゃんと敵の気を引いてればこんなことにならなかったのよ! まったく」 「はいはい、すいませんでした。それはそうと、リーガロウ様の話だと、シオリ達はここに来ると」 「なんだかんだでしぶとい奴らだからね。きっと来るんでしょう。そしたら、そこを一網打尽よ。きっと、天帝様も見直してくださる」 「これがラストチャンスってことですかね」 「ええ、だから失敗は許されないわ」 ラムは顔に貼っていた絆創膏をベリベリと剥がす。 「やってやるわ、見てなさい……!」 ◆◆◆◆◆ 場所は戻って第三層行最終列車。 群がる蜘蛛をなぎ倒し、運転席へと辿り着く。 「やっぱり、運転席もやられてるようね……」 時既に遅く、運転手も蜘蛛にやられていた。 完全に気絶していて起きる気配は感じられない。 第三層が徐々に近づいてきているのが見える。 このままだと、列車はスピードを落とさず駅に突っ込んでしまう。 「ミュウ、どうやって止めればいいかわかるか?」 「私がわかるわけないでしょ」 「そうだよな……」 駅が徐々に近づいてくる。 「そうは言ったって、ブレーキを踏めばなんとかなるだろ! 」 一か八か、運転席に座りブレーキを思いっきり踏む。 キキキキキキィィィィィィィ!  急激なブレーキ音を立てて列車が減速していく。 「間に合えぇぇぇぇ!」 ミュウは僕に後ろからくっつき、防御姿勢をとる。 キィィィィィィ!  列車は駅を通り越し、ギリギリのところで踏みとどまった。 急激なブレーキの反動で車体が大きく揺れる。 「な、なんとか間に合ったか……」 「間一髪ってところね……」 衝撃で吹き飛んだ身を起こし、僕とミュウは立ち上がる。 「シオリ、なんとかなったみたいだね!」 「二人とも、大丈夫か!?」 「なんとかね、さぁ警備が来る前に第三層の大宮殿へ急ごう」 列車を飛び降り、集まり始める警備をすり抜けて駅を駆けていく。 「駅はもうめちゃくちゃだな」 「可哀想だが、仕方ないな。警備の腕を上げることだ」 「ここを真っ直ぐ抜ければ大宮殿よ。後戻りはできない、覚悟はいい?」 「あぁ、ソフィアを助けて家に帰ろう!」 決意を新たに、大宮殿へ向けて足を進める。 足は細かく震えていたが、武者震いなのか恐れなのかは判断がつかない。 第三層には、既に大勢の天使兵達が僕を捕まえようと待ち構えていた。 かなりの人数が投入されているようだが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。 「シオリ、ここは私に任せろ」 「あぁシェイド、頼んだ」 シェイドに主導権が渡り、軽やかな体術で天使達を踏み台にし、天使の波を飛び越えていく。 「なんだと!?」 「ターゲットがそっちにいったぞ、捕まえろ!」 「そんなよそ見してていいのかしら?」 僕を追おうとした天使達に黒と白の薔薇の花びらが襲い掛かる。竜巻のように舞い上がった花びらは天使達もろとも天へと突きあげる。 やはり、ミュウは強い。 「うわぁぁぁぁ! 」 「このくらいじゃ済まないよ」 次はスカーレットが鎌を振り回し、天使達を吹き飛ばしていく。 「ぎゃああああ!」 鎌の風圧によって吹き飛ばされた天使達が積み上がる。 彼女達の強さは相変わらずで、仲間で本当に良かったと思う。 この調子で天帝のところまで一気に突っ切りたい。 僕は大宮殿の扉を開け、中へと入る。 「待ってたわよ!」 扉を開けた僕の足元に雷撃が走る。 間一髪、シェイドの反応で横っ飛びに避ける。 目の前にはラムとカゲトラ。二人とも、宮殿の広場で待ち構えていたようだ。 「よくもまぁここまで来たものだわ。でも、ここで私に捕まって終わりよ」 「捕まえないとご主人が大変な目になってしまうんでね。シオリには悪いが本気でいかせてもらうよ」 「こっちはソフィアを助けないといけないんだ。全力で戦うよ」 僕も応戦するべく構える。そこに、僕を制止する人の手が現れた。 前を見ると、スカーレットが立っていた。 「ここは私に任せて。シオリは先に行って」 スカーレットは鎌をクルクルと回し、肩に乗せる。 「スカーレット……」 「早くソフィアを助けてさ、私とデートしてよね」 スカーレットはそう言ってイタズラっぽく笑う。 「でも、スカーレットたちを危ない目にあわせるわけには……」 「シオリ、この先にも敵はいるだろう。ここはスカーレットに任せて先を急ごう」 チャミュが、僕の肩をたたく。 「時間もないんだ。急がなくては」 「……わかった。スカーレット、また後で、必ず会おう!」 「もちろんよ、シオリこそ約束忘れないでよね」 「あぁ……二人とも行こう!」 この場をスカーレットに任せて、僕とチャミュとミュウは螺旋階段を駆け上がっていく。 「そう簡単に行かせるわけないでしょ!」 バチィ! ラムの放った雷撃を、スカーレットの鎌が切り裂く。 「ここは私が任されたからね、シオリは追わせないよ!」 「あなたはまた……散々私たちを邪魔したのに、まだ懲りないわけ!?」 「懲りるとか、そういうんじゃないんだよね。愛する人のために、ここから先は一歩も進ませないよ」 スカーレットは鎌を大きく振りかぶると、ラムに向かって突き立てる。 「随分と舐めたことを言ってくれるじゃないの。愛する人のことなら、私だって天帝様のために引くわけにはいかないわ」 両手に行雷を溜め、スカーレットに向けていつでも放てる態勢をとる。 「あなた一人で残ったこと、後悔させてあげる!」 「それはこっちのセリフだよ!」 お互い地面を蹴り、共に強烈な一撃を見舞う。 激しい雷撃と風が、宮殿の広場全体を覆いつくした。 ** 天界第三層大宮殿―――。 僕たちは階段をのぼり、上を目指していた。 「ソフィアはどこにいるんだ?」 「おそらく、天帝の部屋、あるいは、囚われている場所があるはずだ」 ようやくここまで来た、あと少しでソフィアに会える。 それだけで、はやる気持ちを抑えきれなかった。 階段を上りきったところで、突如空中に映像が映し出される。 そこには十字架に磔にされたソフィアと天帝の姿が映っていた。 「ソフィア!? そこにいるのか!」 「シオリ、落ち着いて。これは仮想映像《ホログラム》よ」 「ゴミどもよ、よくぞここまで来た」 天帝の挑発するような声。 「ゴミのためにふさわしい死に場所を用意している。早くここまで上がってくるといい」 ソフィアの近くに立ち、ソフィアの首筋に顔を近付ける。 それを避けるように身体を動かそうとするソフィア。 だが、鎖のせいで上手く動くことができない。 「待ってろ天帝! 絶対ぶっ飛ばしてやる」 ソフィアを弄ぶ天帝の行動。 僕の天帝に対する怒りが最高潮に達していた。 映像をかき消し、更に上へと進む。 「あの様子だとソフィアはだいぶ弱っているようだな。早く救出しないと危ない」 「あぁ、早く救わないと」 「急ぎましょう!」 階段を上がっていく途中、上から霧が発生し僕たちを取り囲んでいく。 「これは……!?」 「新手のようだな」 ガキィン!  いつの間にかネツキに近くまで接近されていたのを、チャミュが拳銃で防いでくれていた。 「あら、上手く隠れたつもりやったんやけども」 「霧を使っても気配がバレバレだよ」 ネツキの刃で出来た爪を弾き、弓に矢をつぐチャミュ。 「ここは私に任せてくれ。二人はソフィアの元へ」 「チャミュ!」 「終わったら駆けつける、先に行っていてくれ」 「シオリ、行くわよ!」 「わかった、チャミュ待ってるぞ!」 「うん、またあとでね」 飄々と言ってから、チャミュは大きく息を吸い込む。 左肩の衣装がネツキの爪によってパックリと割れていた。 「あんた一人でウチとやり合うの?」 「そうだ、十分だろう?」 「あほやなあ。死ぬで? あんた、そう強うないやろ?」 「それは、戦わないでいい理由にはならないさ」 ネツキは身体をくるりと一回転させて姿を消したかと思うと、チャミュの背後に移動し斬りかかる。 ガキィン!  続けざまの二連撃。つば迫り合う弓と爪、激しい火花が散る。お互いに弾き合うと距離を取り態勢を整え直す。 「何故、そこまでの力があって天帝に与する?」 「それは、ウチを拾ってくれたんが天帝だけやから。天帝、勝手なお人やけど待遇はきっちりしてくれはるからなぁ」 「なるほどね、わからないでもないな」 ネツキを目掛けて放たれた矢はすべて避けられる。 チャミュは武装を解除し、新たに銀色の銃を構えた。 友人――天界で唯一の友人の命がかかっている。 ソフィアにはチャミュが唯一であるように、チャミュにとっても、ソフィアが唯一だった。自分が死んだとしても、ソフィアを助けたい、と。 ◆◆◆◆◆ 第三層大宮殿、広場―――。 壁一面に雷撃の焦げあとと斬撃の後がつき、広場はボロボロだった。 「ハァ、ハァ……」 鎌を杖代わりにしてかろうじて立っているスカーレット。 ラムも雷撃を出し尽くしたらしく、地面にへたり込んでいる。 カゲトラはそんな疲弊したラムを気遣って、汚れた顔をタオルで拭いてあげている。 「あなた、結構やるじゃないの…」 「そっちもね……ねぇ、なんでそこまで天帝のために戦うの?」 「さっきも言ったでしょ。愛する人だからよ」 「でも、天帝よ。とてもあなたが愛されているようには見えないけど……」 「愛されていなければ、愛してはいけないの?」 ラムは、疲れた身体を無理矢理起こす。 「天帝様は私にとって、唯一自分の居場所をくれた人なの。こんないつ爆発するかわからない放電女の子、誰だって近くに置きたくないでしょ。でも天帝様は違った。好きにしていいって。思うままに生きていいんだって、それで私は救われたの」 「そっか……」 ラムの話を聞き、合点がいったスカーレット。 彼女にとって、天帝とは唯一の拠り所なのだ。 善悪ではなく、自分の存在価値を認めてくれるという貴重な存在なのだ───。 「あなた、出会い方が違ってたら友達になれたかもね」 「奇遇ね、私もそれは思ったわ。あなたもなんか私に似てる。自分の存在を認知してくれる人のために頑張っている気がする」 「ふふっ」 ラムの言うとおり、スカーレットにとってその存在がシオリだった。 暮らしには特に不自由なかったが、それ以上の喜びもなかった。 自分でないと出来ないことがわからず、それを渇望するようになった。 地上に降りたのは勝手に天界からいなくなったソフィアに対するやっかみだったのだが、シオリに出会ったことにより世界が一変してしまった。 サキュバスでもなく天使でもなく、スカーレットという存在を認めて接してくれたシオリは今まで存在しなかった人物だった。 いつの間にか、彼に見てほしい、存在を認めてほしい、その想いが溢れるようになった。 「ホント、似てるわ私達……でも」 スカーレットは立ち上がり、大きくスタンスをとり、鎌を構え直す。 「シオリの元に行かないといけないから」 「そうね、私もこのままじゃ天帝様に会わせる顔がない」 ラムもバチバチと弱々しい雷撃を纏い、ポーズをとる。 「はぁぁぁああッ!」 「やぁぁぁああ!」 ふり下ろした鎌と打ち上げられたら雷撃。 二つは激しくぶつかり合い、同時に、すべてを吹き飛ばした。 「ご主人にも、ようやく分かり合えそうな人がでてきたんですね」 カゲトラはその光景を眺めながら、少し感慨深く思いに耽《ふけ》っていた。 ◆◆◆◆◆ 「スカーレットとチャミュ、大丈夫だろうか」 「あの二人ならなんとかするでしょう。それよりあなたは自分のことを心配なさい。これから天帝と戦うんだから」 「そうだな、皆を信じよう」 「次に敵が出てくるようであれば私が相手をする」 「ミュウ、ありがとう」 「な、なによ。今更改まって」 「いや、こっちに来てからずっと世話になりっぱなしだなって」 ミュウの真っ赤な顔がより赤くなる。 「夫を支えるのが妻の役目でしょう?」 「ブッ! まだそれ言ってるの!?」 「あら、私はずっとそのつもりだけれど。姉さまが帰ってきたら三人で暮らすんだから。勿論姉さまが一番ね、私は二番でいいわ。それなら文句ないでしょ?」 「いや、そういうわけには……」 「決定事項よ。サキュバスと天使の愛、たっぷり教えて上げるんだから」 ミュウはイタズラっぽく笑うと僕の手を掴んだ。 「だから、絶対帰るのよ。あの家に。姉さまを連れてね」 「……わかった、約束するよ」 ミュウの言葉に優しく応える。 「シオリ、ソフィアの反応が近くなっている。おそらくこの上だ」 「ホントか、シェイド!」 「あぁ、反応が近くなっている」 「急ごう!」 階段を駆け上がり最上階に到達する。 扉を蹴破り、部屋へと入ると玉座の前で仁王立ちしている天帝が目に入った。 横には囚われているソフィアがいる。 「ソフィア!」 近付こうとするが、リーガロウの部隊が行く手を阻む。 「よくぞここまで来たな。ゴミの分際で我が大宮殿に足を踏み入れるとは最も愚かなことだ。我自らの手でソフィアの前で葬り去ってくれる」 天帝はマントを翻し、階段を一段ずつ降りてくる。 「天帝……!」 「リーガロウよ、適当に痛めつけてやれ」 「ハッ!」 リーガロウ、エメの部隊が僕を狙って迫ってくる。 「シオリは下がって」 両手に白と黒の薔薇を構えたミュウが一回転すると、花びらが舞い上がり兵士達を巻き込んでいく。 「う、うおおおっ!」 次々と吹き飛ばされていく兵士達。 ミュウは、サキュバスとしての力が弱い。 だからこそ、常に鍛えてきた。せめて武力では一番になろうと。 その力は、今ここで発揮するためにあったのかもしれない。 姉さまと、愛する人を、守るために。 ミュウの斬撃に耐えたのは、エメとリーガロウだけだ。 もしかしたらミュウは、次代の天使長かもしれない、とリーガロウは思う。 「リーガロウ様!」 「私のことは気にするな、男を捕らえろ!」 「ハッ!」 エメのかけ声と同時に僕は懐に潜り込み、エメの腹に掌底を喰らわせる。 「ぐふっ……!」 衝撃が鎧を突き抜け、エメの肉体まで通る。 「隙だらけだな」 シェイドが操る僕は、そのまま回転蹴りをエメの頭へと見舞う。 いつもの自分じゃないみたいに、俊敏に動けている。 エメの巨躯がぐらりと揺れ、前へと倒れる。 「そのまま寝ていた方が楽だ」 「この! うちの部下をよくも! 労災は下りないんだぞ!」 ガキィン!  振り下ろされた剣を弾く二本の剣。 「き、君は……!」 「シオリはやらせないわよ。引っ込んでいて頂戴」 「ぐっ……このっ!」 ミュウに押され、剣を弾かれるリーガロウ。 ミュウを目にしたことで顔が若干赤みを帯びてきた。 「シオリ! 急いで天帝の元へ!」 「助かる! 行こうシェイド!」 たしかに、この場はミュウに任せたほうがいいだろう。 「あぁ、気を引き締めていくぞ」 天帝に近付くために階段を駆け上がる。 その行く手を遮るように現れるネリアーチェ。 「ネリアーチェ! よい、下がっておれ!」 「天帝様! しかし…!」 「お前はソフィアをここに連れて来い。ゴミに力の差をはっきりと思い知らせてやる」 「……ハッ」 ネリアーチェは下がり、ソフィアの元へと走っていく。 「シオリ、後のことは気にするな。思いっきりやれ」 「あぁ、ありがとうシェイド!」 大きく飛び跳ねた僕は天帝に上から殴りかかる。 「天帝ー!!」 「フッ」 天帝は僕の拳を身のこなしで軽くいなし、自らの攻撃に繋げてくる。 天帝の手刀をガードし、僕も再び攻撃を繰り出す。 やはり、天帝は強い。勝ち筋が見えなかった。 「あの攻撃は使わないのか?」 「ゴミ程度に使ってやるまでもない。我が相手をしているだけでも光栄に思うことだな!」 天帝の高らかな声が、王宮中に響いた。 ** 再び天界第三層大宮殿―――。 チャミュとネツキは激しい攻防を繰り広げていた。 ネツキの素早い動きと周囲を覆う霧がチャミュを苦しめる。 「(相手の動きを予測しなければ、攻撃を当てることはできない…)」 チャミュは精神を集中させる。 地面の擦れる音、金属のわずかな音に意識が集まる。 「そこだ!」 引き金を引くと、硬いなにかに当たったような音がする。 「急にええ動きするようになったわ。今のは少しだけ気持ち良かったで」 銃弾はネツキに当たっていた。 しかし、鋼のような肉体に弾かれ、僅かな傷しかついていない。 「今の攻撃がかすり傷か、参ったね」 「ウチの身体は頑丈やさかい。そのせいで周りからは化け物呼ばわり。他の天使達の奇異な目は残酷やで。頑丈やから何したっていいとはならんやろ?」 ネツキは先ほど受けたお腹の傷跡をさする。傷はもうほぼ治っているようだった。 「心の傷は癒えない、か……」 チャミュは拳銃に弾を込め直す。 「私の大切な友人にも、周囲から仲間外れにされて孤独な毎日を送っていた天使がいる。その天使は、自分の持つ力のせいで周りが不幸になると、ずっとそう脅されて生きてきた。そんな彼女に私は救われた。私は彼女のことを救ってあげたい」 銃口をネツキに向ける。 「私は、彼女を救いたい」 「それが、上にいる子なんやね」 「そうだ」 「なら、ウチも引かれんな。ウチは天帝の願いを叶えたい」 「天帝がソフィアにやっていることは、昔に自分がやられたことではないのか? それを繰り返していいのか?」 「天帝のは、愛や。純粋な愛。真っ直ぐで、それでいてどうしようもなくひどく歪んだな」 「それをわかっていて……」 「ウチは善悪の非は問わん。天帝の好きなようにやらせたるのがウチの愛や」 ネツキも、両手の長い爪を交差させ、加速させる構えをとる。 「それを邪魔するんやったら、誰であったとしても容赦はせん」 「君も歪んでいるな……」 「自覚はあるで……」 空気が一瞬固まったように感じた。 刹那、お互いに飛び出しチャミュは拳銃を、ネツキは爪を突き立てる。 ネツキの爪を紙一重で避け、自分の拳銃を爪と爪の間に割り込ませるチャミュ。 それをテコにネツキの身体を自分の方へと引き寄せる。 「いくら強固でも、この距離なら…!」 「…なっ!?」 ゼロ距離からの射撃《バースト》。 チャミュの弾を受けたネツキの身体が反動で宙に浮く。 ドサァッ!!  倒れるネツキ。 「やったか……」 自身も反動で倒れこむチャミュ。 「……やられた」 仰向けになったまま、喋るネツキ 「なんや、細工したやろ。体が動かれへん…」 「麻痺弾に切り替えておいた。それだけ頑丈な身体だ、普通に戦っては勝ち目がないからな」 「頭も回るんやないか……ウチの負けや。好きにしぃ」 ネツキは諦めたように、身体の力を抜く。 「私の役目はこれで終わりだ。あとは彼がなんとかしてくれる」 「えらい信用してるやないの、ただの人間を」 「ただの人間が天帝を倒すんだよ。痛快じゃないか」 「ハハッ、そしたらえらいことになる」 ネツキは笑う。天帝以外ではじめて、自分を倒した天使が目の前にいる。 天帝以外にもそんなことができるのだ……。 そう思うと、自分の呪われた体が、救われた気がした。 ◆◆◆◆◆ 時を同じくして、最上階にいる天帝との戦いに決着をつけるべく、僕はありったけの力を右手に込めていた。 「ほら、ゴミ! 来い!」 天帝は笑っている。 明らかに、僕を侮っている様子だ。 「(シェイド……)」 「(ああ。奴は油断しているな)」 「(ソフィアをさらった時ほどの強さも感じられないな……)」 「(ソフィアのほうに気をとられているんだろう。今がチャンスだ。一気にケリをつけるぞ)」 シェイドと小声で話した僕は、天帝にトドメをさすために全神経を集中させた。 このワンチャンスにすべてを賭ける。 僕はシェイドの力を借り、天帝にインファイトを仕掛ける。 先ほどの戦いで天帝の動きは大体読めるようになっていた。 動き自体は早いが追えないほどではない。 それに、防御力がそれほどではなさそうだ。 油断している今なら十分に勝ち目がある。 「天帝!」 ガッ! ガガッ!  互いの攻撃をガードしながら、一進一退の攻防が続く。 「ゴミがっ…!」 天帝の攻撃を弾き、拳に力を込める。 その一瞬のエネルギーの大きさにぎょっとする天帝。 「貴様、まさかっ…!? それを放てば、貴様自身も死ぬかもしれぬぞ!」 「ソフィアのいない世界で生きる価値なんてない! 天帝、これで終わりだぁぁ!」 僕のパンチが天帝に当たった瞬間、銃が暴発したような激しい爆発と衝撃が天帝の身体を連続的に貫通していく。 シェイドの守護があってこそ成り立つ、至近距離からの捨て身の一撃だった。 ボォォォォォン!!  「うおあああああっっ!」 壁に叩きつけられ、倒れ込む天帝。 「シオリ、やった!」 「天帝様!」 「まさか、天帝様がっ…!?」 攻撃する手を止め、皆が天帝の方を見る。 「やったな、シオリ」 「あぁ、シェイドのおかげだ」 息を大きく吐き、ふぅっとため息をつく。 「そうだ、ソフィアは!?」 僕はソフィアの元へと駆け寄る。ネリアーチェによって、はりつけられた腕が途中まで外されていた。当のネリアーチェも天帝の元に向かっている。今は僕とソフィアの二人だけだ。 本当に長かった気がする。僕は、優しくソフィアの頬を撫でる。 「ソフィア、迎えに来たよ」 「……」 虹彩がなくなり、完全に虚ろな瞳をしているソフィア。 僕の目から、自然と涙が零れ落ちる。 「ソフィア、遅くなってごめん」 「……シ……オリ…」 ソフィアの目に、徐々に光が戻っていく。 それにつれて、大粒の涙がソフィアの眼に溢れ出す。 「シオリ、シオリッ!」 「うん。うん、大丈夫だから……。ソフィア、本当に無事で良かった……」 「ずっと、待ってて……、来てほしいってずっと思ってて……」 「うん。大丈夫。今、鎖を解くね」 久しぶりの再会に涙が止まらない。 早くソフィアを自由にしたくて、鎖の鍵を探す。 「!! シオリ!!!!」 その時、僕の背中に強烈な衝撃が走った。 「許さん、許さんぞ……」 痛みをこらえながら、後ろを振り返る。 怒りの形相の天帝が、紫色の波動をまといゆっくりと僕に近付いていた。 僕は背中を打ち抜かれた反動を遅れて感じ取る。 身体が上手く動かない。膝をつき、身体の力すべてが抜けたようにうなだれる。 「シオリーーーーーーー!」 ソフィアの悲痛な叫び。喜びの涙が哀しみへと変わる。 「シオリ、すまない……私だけで受けきれなかった……もう一発くらえば、私も消える」 「……」 シェイドが謝ることじゃない、と言おうと思っても、言葉が出てこない。 膝をついたまま、固まる。背中からはとめどなく血が溢れていく。 ――死ぬ、のか? 「このゴミがっ!」 近くまで来た天帝は、僕を力いっぱい蹴り飛ばす。 倒れる僕を天帝は容赦なく踏みつける。 「ゴミ風情がっ! 私に! 傷を負わせるなど! あっては! ならないのだ!」 傷を執拗《しつよう》に蹴られる。 「やめて! シオリを傷つけないで!!」 ソフィアが鳴きながら叫ぶ。 シェイドに抑えきれない分の痛みが次々に襲ってくる。 シェイドがいなければ一撃で死んでいただろう。 「クソッ、こんなゴミに手傷を負わされるとは……」 天帝は僕を思いきり蹴り飛ばす。ゴロゴロと階段を転がり落ちる僕。 「もうよい、ゴミはそこで跡形もなく消え去れ……」 天帝は手に紫の巨大な波動をつくり出すと、僕に向かって投げる。 ゴォォォォ!  ソフィアの叫ぶ声もかき消えるほどの波動。 その間に割り込んだミュウが、二本の剣で波動を受け止める。 激しい衝撃が、ミュウの綺麗な肌に無数の傷をつくり、衣装を破壊していく。 「ミュウ、やめろ! お前ごと消滅するぞ!」 喋れない僕に変わり、叫ぶシェイド。 「言ったでしょ、夫を守るのが妻の役目だって……ここで、守らないで……どうするのよ……!」 ミュウはありったけの力を全身に込める。 今までこんな力が自分にあったのかと思うほど、力が沸いてくるのを、ミュウは感じていた。 黒と白の混ざり合ったオーラが紫のオーラと均衡しあう。 「小賢しいな!」 天帝は更に力を込め、波動を飛ばす。 「きゃああああああ!」 圧倒された波動に吹き飛ばされるミュウ。服もほとんどが消し飛び、角も片方折れ、身体もボロボロの状態だった。 「最早、チリ一つ残さん!」 天帝が再び波動を溜め始めた時、思わぬところから援護が入った。 「天帝様! このまま消してしまっては当初の目的が」 「……リーガロウか、私に意見するのか?」 不機嫌そうに、傷だらけのリーガロウを見下ろす天帝。 「いえ、しかしそこまでせずとも、天帝様の目的は達成できるかと」 「……」 少しの沈黙が流れた。 「わかった」 「天帝様」 「今すぐ消そう」 天帝の手から放たれた波動がミュウ目掛けて飛んでいく。 「!?」 その光景に目を疑う僕。 リーガロウがミュウの前に割って入り、波動を受け止めた。 盾、鎧が一瞬で吹き飛びリーガロウの体力を削っていく。 「やはり、裏切りだったか。リーガロウよ」 「私にもわかりません……しかし、悔いは…ありません……」 ガクッと倒れ込むリーガロウ。 「今日は最悪な日だな。部下が使えないだけではなく裏切られるとは。せめてソフィア、お前の心だけでも壊して終わるとしよう」 天帝はソフィアの鎖を断ち切ると、僕の前まで引きずってくる。 階段の段差でソフィアの足がこすれて血がにじんでいく。 僕は必死に身体を起こし、立ち上がる。しかし、もうそこから一歩も動く気力はない。 「ゴミの分際でよくもここまでかき乱してくれた。貴様の存在すべてかき消して、終わりとしてくれる」 「天帝…やめて……! シオリを助けて! 私、あなたのもにになるから!」 「もう、今更何を言われても遅い。怒りは収まらん」 天帝は僕の首を掴み、片手で持ち上げる。 「消えろ……」 波動が僕の首に集まっていく。さすがにもう、終わりのようだ。 「……シオリ、お別れの時が来たようだ」 「(ああ、今までありがとう)」 シェイドの言葉が意味するところを、僕はまったくわかっていなかった。 僕は天帝に掴まれた腕を力強く掴み返す。 「くっ! ? なんだと! どこにそんな力があった!」 天帝はたまらず僕の首を放す。 僕はそのままもう片方の手で、天帝の腹へと拳を突き立てる。 それをしているのは僕でなかった。 「シオリよ、お前は、良き主人であった。今まで様々な天使に使われたが、最後まで使ってくれた者はいなかった。私を自由にしてくれたのはお前だけだ」 「(シェイド……どういうことだ?)」 「なんだこいつ、何を言っているのだ!?」 シェイドが操る僕の拳に、無数の光が集まり出す。それを察知して逃げようとする天帝だが、片腕を強く握られているために逃げることができない。 「このっ、このっ! 、ええい、はなさんか!」 みにくくあがく天帝。光が眩い光を放つ。 「天帝よ、これが私とシオリの最後の手向けだ。受け取れ」 「(シェイド、まさか…!? やめろおおお!!!)」 シェイドは自分の命と引き換えに最後の一撃を繰り出すつもりだ。 心の中でありったけに叫ぶが、シェイドには届かない。 僕と天帝を中心に激しい光が起こった。 パァンッ!!!!!  シュオオオオォォォォォン!!  「ぐぅおおおぁぁぁぁっ!!」 次の瞬間、収束された光が分裂し、無数の激しい衝撃が天帝にたたき込まれていく。 「おあああああぁぁぁぁぁぁっ!!」 凄まじい乱打。 それと同時に僕も意識が自分に戻り、受け身も取れず地面へと叩きつけられる。 「(シェイド! シェイド!)」 「……」 心の中で何度もシェイドの名を叫ぶが、返事がくることはなかった。 かわりに、あたたかい、まるで満足したような笑顔のシェイドの気配が、あたりには漂っていた。 ** 大宮殿。 すべてが終わり、静まり返る天帝の部屋。 僕は、シェイドが残してくれた最後の力を使い、ゆっくりと起き上がる。 体の感覚は自分に戻っている。シェイドに呼び掛けても返答は何も返ってこない。 力を振り絞り、倒れるソフィアの元まで這っていく。 「ソフィア……」 「シオリ……」 ソフィアの体をゆっくり抱き起こし見つめる。ずいぶん、やつれているのがわかる。 僕はソフィア抱きしめた。ソフィアも今ある力を振り絞り、僕の手を握り締めてくる。 「家に帰ろう……」 「はい……」 「大丈夫だからね。全部元通りだ」 「はい……」 「公園にいって、ご飯を作って、また一緒に暮らすんだ」 「シオリ、もう喋らないで。傷に触ります」 「でもソフィア。君は傷ついてる。なんとかしてあげたいのに、もう体が動かなくて……」 「シオリ、こっちを向いて……」 ソフィアは僕の顔を上げると目を閉じてゆっくりと唇を重ねてきた。 僕も、目を閉じて唇を重ね合わせる。 今まで会えなかった時間を取り戻すように、長く、長い間、互いを求め合う。 背中の激痛が徐々に引いていく、体に生気が宿るようだった。 口惜しそうに唇を離すソフィア。顔が少し紅潮している。 「……これが私の能力なんです……」 手を握る力が戻っているのを感じる。 「触れた者を癒すのが私の能力。清き天使の加護《ピュアメルシィ》です」 ふと、ソフィアの体を見渡すが、ソフィアには変化が見られない。 「その能力は、ソフィアには使えないの?」 「ええ。治せるのは他人だけです」 「そうなのか……じゃあ、ソフィアのことは僕が癒そう。家に帰って、ゆっくり休もうね」 ソフィアを抱きかかえて階段を降りる。 途中の階段で倒れているミュウを見つけ、そばにソフィアを下す。 意識を失ってはいるが、息はある。よかった……。本当に、よかった。 「ミュウ、ごめんね……」 ソフィアがミュウに触れると、二人のまわりを淡い光が包み込む。 意識を取り戻し、ゆっくりと目を開けるミュウ。 「……ね……姉さま……」 「ミュウ……!」 「倒したのね、天帝を……!」 「あぁ、終わったよ」 「そう、良かった……」 ミュウの目から涙があふれる。 「姉さまが無事で……よかったよぅぅぅぅ」 そうして、わんわんと泣き始める。 今まで、気丈に振舞ってはいたが、ソフィアのことを心配していたのは分かっていた。 いつも以上に僕にモーションをかけていたのも、気晴らしのためだっただろう。 ソフィアは、ぎゅっとミュウを抱きしめる。 姉妹同士で抱きしめあう姿に、僕は安堵の息をついた。 この光景を見るために、僕らは命を賭したのだ。 ポンポンとミュウの頭を叩く。角が折れているのに気付き、ミュウには申し訳ないことをしたと罪悪感が残る。 「さぁ、皆で帰ろうか……」 その時、大宮殿が大きく揺れ出した。揺れは大きくなり、壁や柱に亀裂が走り始める。 「これは!?」 「宮殿が崩れるようね」 「急いでここを出ましょう…」 僕は再びソフィアを抱え、階段を下りる。 途中、倒れているリーガロウを見つけ、ソフィアに頼んで回復してもらった。 「シオリ、なんで敵をわざわざ助けるのかしら?」 「こいつ、天帝の攻撃からミュウを守ったんだよ」 「……私を?」 「うん……何故かは知らないけど。だから、悪い奴じゃないんじゃないかと」 「相変わらずお人よしね」 ソフィアのおかげで意識を取り戻すリーガロウ。 「こ、ここは…!? 私は天帝に殺されたはずでは……」 「生きてるよ、ここはもうじき崩れるみたいだ。早く脱出してください」 「なんだと!? では、天帝が……貴様、天帝を殺したのか!?」 「うるさいわね! さっさと逃げなさいよ! ここにいたら危ないのよ!」 ギラッと僕を睨むリーガロウだったが、ミュウが割って入ったことによりリーガロウの表情が弱まる。 「殺してはいない、まだ生きていると思うよ……僕たちは脱出する。あとは好きにすればいい」 僕はソフィアを抱きかかえるとリーガロウに背を向けて階段を下りていく。 ミュウもリーガロウを一瞥すると、同じく階段を駆けて行った。 「……私は、どうすれば……」 ◆◆◆◆◆ 崩れ行く大宮殿。 揺れはますます大きくなり、大小の瓦礫が落ちていく。 意識を失った天帝を抱えるネリアーチェ。 最強だと信じていた天帝がこうも無残にやられようとは。 信じられない気持ちがネリアーチェを支配する。天帝を支えられるのは自分だけだ、ネリアーチェは心に誓っていた。 「天帝様、また一から始めましょう……天帝様がいれば私はどこへでも着いていきます…」 ネリアーチェは天帝とともに、宮殿の奥深くへと消えていった。 ◆◆◆◆◆ 宮殿から脱出するために、急いで階段を下りる。 ソフィアの能力のおかげで、体力はそこそこ戻ってきていた。 ミュウもソフィアの手を握ることで、徐々に体力を取り戻してきている。 途中、壁際で休んでいたチャミュを見つける。 「チャミュ!」 「やぁ、無事ソフィアを助けられたようだね。ここは無事ではないようだけど」 チャミュに抱き着くソフィア、それを優しく抱き締めるチャミュ。 能力のおかげでチャミュの傷が癒えていく。 「おかえり、ソフィア」 「チャミュ、ありがとう」 「それもすべてシオリくんのおかげだ。さぁ、喜びたいところだがここも時間の問題だね。急いで出たいところなんだが、ひとつ頼まれてもいいかい?」 「なんだ?」 「そこの彼女も助けてやってほしい」 チャミュは、仰向けになって倒れているネツキを指さした。 「麻痺で痺れさせたのは良かったんだが、このまま死なれるのも目覚めが悪い」 「……回復させても、大丈夫ってことなんだな?」 「あぁ、責任は私が持つよ」 「わかりました、チャミュが言うなら信頼していいのでしょう」 ソフィアをネツキの近くにまで運ぶ。 ソフィアの能力によって光に包まれるネツキ。 やがて眼をあけると、にやりと目を細めた。 「天帝、やられたんやなぁ……予想外や」 「あなたを治し終わったら、僕たちはここを脱出する。後は自由にしたらいい」 「あんさんが、天帝を倒しはったんやね? …ふふっ、ほんまに」 「な、なにがおかしいんだよ」 「普通の人間やなぁって……。そんなんに、この天界が大騒乱や。ふふっ。うちの嫌いな天界が、ここまで……」 ネツキは立ち上がると、爪を落とし、埃をはたく。 「ウチに構わずお行き。大丈夫、死にはせぇへんから」 ネツキはカラカラと笑うと奥に行ってしまった。 「不思議な奴だな…」 「そうだな……」 天使たちにも、皆事情があるのだろう。 そう思ったが、先を急ぐことにした。 早く脱出しなければ、物思いにふけることもできなくなりそうだ。 ◆◆◆◆◆ 大宮殿の広場まで戻ってきたとき、広場には誰もいなかった。 スカーレット達はどうしたんだろうか。 「スカーレットの姿が見当たらないな?」 「先に脱出しているかもしれない、まずは外に出よう」 瓦礫を避けながら、宮殿の外へと出る。 宮殿はまだ形を残しているものの、もうじき崩れてしまいそうだ。 「シオリー!!」 スカーレットの声が聞こえる。 「スカーレット!」 そこにはスカーレットにラム、カゲトラがいた。全員、ボロボロだ。 「シオリッ!」 スカーレットはぴょんと飛び乗ってきて熱烈なキスをせがんでくる。 それを手で押さえながら、 「スカーレット、ありがとな」 「えぇぇ! なんでよー! こんなに頑張ったのにー!」 「スカーレットさん、こんなになるまで戦ってくれて。ありがとうございます」 「……あら、生きてたんだ?」 ソフィアを見た途端、目を丸くするスカーレット。 「あんたにお礼を言われる筋合いじゃないけどねー。私はシオリのために来ただけだからっ」 顔を背けて、突き放すように言うスカーレット。 あれ? ちょっとミュウと同じツンデレ属性入ってない? 「……それでも、ありがとう」 「……んーっ! ! あなたのそういうところがホント嫌い!」 イーッと舌を出すスカーレット。 ソフィアを無視して再び僕にキスをせがんでくる。 「は、離れてくれスカーレット」 「イーヤー! 約束忘れてないよね、シオリ!」 「か、帰ったらな!」 ドタバタしている僕の元にラムとカゲトラがやってくる。 「天帝は、どうなったの?」 「倒したよ。死んではいないと思う」 「あの天帝を倒すとはね……大した奴だよ」 「あなた達はこれからどうするの?」 僕にくっついたたまラムに尋ねるスカーレット。 「さぁね、宮殿もこの通り壊れちゃってるし、ふらふらしながら考えるわ」 「僕は主人に着いていくだけなんで、ま、なんとかなりますよ」 「困ったらシオリの家に来るといいわ。シオリならなんとかしてくれるから」 「おい、スカーレット!」 「ふふふっ、家主よりえらそうなサキュバスなんんて聞いたことないわ!」 笑うラム、カゲトラも苦笑いをする。 「気が向いたらお邪魔するわ。行くわよ、犬」 「シオリ、またな」 ラムとカゲトラは僕達に手を振ると、第三層に消えていった。 「さて、ここからどうやって帰ろうか」 「また第一層まで戻るのは御免ね……」 帰りをどうしようか悩んでいた時、上空から車のような物がけたたましい音とともに降りてくる。 「シオリくーん!!」 聞きなれた声。この声は……。 「博士!?」 「と、私たちもいます」 メイド二人のハモる声。 「博士、どうしてここに? 三層には来れなかったのでは?」 「ゴタゴタが起きているのに便乗してね。彼女たちも心配そうにしてたから、迎えの車を用意してたんだ」 「エレダ様が本日だけ、急に『お休み』をくださるとのことでしたので、お迎えに上がりました」 なるほど。休暇中のメイドが何をしても、エルダの罪には問えないということか。 「ソフィア様、お帰りなさいませ」 「エル、アル……ありがとう」 「ミュウ様も、ご無事で何よりです」 「二人のおかげよ」 「さぁ、これで一気に一層まで送って行きますよ!」 ◆◆◆◆◆ 博士が運転する浮遊車《ホバーワゴン》に乗り、第三層を後にする僕たち。 大宮殿はほとんどが崩れ落ちた状態になっていた。 僕はそれを眺めながら、これまでのことを振り返る。 長いようであっという間だった気がする。 「やっと、終わったんだな……」 「……」 返事はない。 そうか、シェイドは、もういないんだ。 落ち着いてきて寂しさがこみ上げてくる。 あの時、彼に無理をさせなければ……。 思えばシェイドには助けてもらってばかりだった。 今回のことも彼がいなかったらどうにもならなかったに違いない。 「…シオリ? 涙が……」 「あ、あぁ……ごめんね、みっともないとこ見せちゃって…」 「いえ……泣きたいときは、泣いてください」 そう言って、ソフィアが僕を優しく抱きしめてくれる。 「泣いていいんです、私にも、こうしてくれたように」 「……ありがとう、ありがとう」 僕は、せきを切ったようにソフィアの腕の中で泣きじゃくった。こらえきれなかった。 スカーレットが僕のそばに来ようとしたのをミュウが静止する。 大事な物を取り戻し、大事な物を失った。 僕の天界での冒険はこうして幕を閉じた──。 ** 天帝との闘いから数日が経った。 博士に第一層まで運んでもらった僕達は、そのまま地上へと戻って行った。 エル、アルのメイド二人はソフィア達が屋敷に戻ることを望んだが、ソフィアは僕の家に戻ることを選択した。 唯一、一緒に帰ることができなかったシェイド。 動かなくなった本体を博士へ渡し、直すことはできないか聞いてみたが核《コア》が壊れてしまっている以上、元に戻すのは無理とのことだった。 一縷《いちる》の望みを抱いていたが、それも叶わないことを知り、僕はひどく落胆した。 ミュウは喫茶店に戻り、スカーレットはふらっとどこかに行ってしまい、学校にはたまに顔を出す。またいつもの日常が戻ってきた。 ソフィアはすっかり伸びた髪の毛を首の下で結び雰囲気は変わったものの、日が経つにつれまた笑顔が戻ってきた。 ただ、天帝に捕まっていた影響で一人になるのが極端に怖くなるらしく、前よりも僕のそばにいることが多くなった。夜はソフィアが落ち着くまで手を握っていてあげることもしばしばだ。 この傷を癒すにはまだまだ時間がかかりそうだ──—。 「はぁ……」 僕はリビングのソファに座りながらため息をつく。 こっちに戻ってきてからというもの、ぼんやりとすることが多くなった気がする。シェイドに話し掛ける癖も出てしまい、気付いたフーマルがたまに反応してくれる(と言っても変態ポメラニアンは大抵秘蔵コレクションに夢中だが)。 天界での時間が濃かったこともあり、地上で暮らしていたことも遠い過去のように感じていた。ソフィアの顔を見ると、僕がやってきたことが無駄ではなかったんだとようやく落ち着けるのだった。 ソフィアが洗濯カゴを持ってリビングに戻ってくる。 ソフィアは、以前にもまして、家事をやるようになった気がする。 家を空けていた罪悪感のようなものがあったりするのだろうか。 「シオリ、家事が一段落したらミュウのところに行きませんか?」 「喫茶店に?」 「はい、ミュウが会いたいって」 洗濯物を畳みながら、ソフィアが提案してくる。 ここ数日ミュウには会ってなかったし、悪くない提案だ。 家の外にも出ていなかったし、丁度いいかな。 「いいね、じゃあ終わったら行こうか」 「はい、じゃあこれだけ片付けちゃいますね」 ソフィアはテキパキと洗濯物を畳み終えると、それぞれタンスの中にしまい込んだ。 準備が出来た僕とソフィアは、上着を羽織り、家を出る。 日差しが暖かく良い天気だ。外を散歩するにはもってこいだろう。 相変わらず、街行く人々からは好意の視線で見られることが多いソフィアだが、前に比べてビクビクするようなことはなくなった。 自然と一緒に歩いていられるようになったと思う。 並木道を通り抜け、喫茶店へと入る。 中にはマスター、ミュウと常連が何人かいた。 「あら、いらっしゃい」 前と同じく、メイド姿で迎えるミュウ。 折れた角を隠すように帽子をかぶっている以外はいつも通りだ。 やっぱり角は彼女も気にしているんだろうな。 僕のせいで角をなくしてしまって、申し訳なさでいっぱいになる。 僕に近付き、軽くハグをしてくるミュウ。 それを見て、くっと悶えているように見える店長と、常連たち。 ミュウの恋心を見られる瞬間を楽しみにしているのだろう。 「ミュウ、お客さんが見てるよ」 気恥ずかしくなる僕。 「あら、あなたも照れるのね。じゃあ、キスのひとつでもしてみる?」 「もっと恥ずかしいだろ」 「ふふ、私はいつだって本気よ。姉さまもいらっしゃい、こっちに掛けて」 ソフィアにもハグをするミュウ。 初めに会った頃に比べるとトゲトゲしさはなくなり丸い雰囲気が出てきた気がする。 彼女の力のおかげだろう。店の雰囲気もなんだか良い感じだ。 ミュウのオススメでオリジナルブレンドのコーヒーとホットケーキを注文する。 「元気そうで安心したわ。姉さまからシオリが元気ないって聞いてたから」 「心配かけてたみたいだね、もう大丈夫だよ」 「無理は禁物よ。私も姉さまもいるんだから何かあったら言いなさい」 「そうですよ、もっと私達を頼ってくれていいんですから」 「二人とも、ありがとう……」 「……やっぱり、シェイドのことですか?」 心配そうに僕の顔を覗き込むソフィア。 「うん、あの後エデモアにも聞いてみたけど、博士で無理なものは無理だってさ…」 自分で説明しながら、現実を再度認識して声が小さくなる僕。 パンッ。 「!?」 急にミュウに背中をはたかれる。 「しっかりしなさい、まだすべて調べたわけじゃないんでしょ? 調べる前に諦めるなんてあなたらしくないわ」 「ミュウ……」 ミュウなりの励ましの言葉なんだろう。そうだ、まだ諦めるには早かったな。 「……そうだな、ミュウの言う通りだ。色々調べてみるよ」 「シオリ、私も手伝います」   ソフィアが真っ直ぐ僕の方を見つめる。 「あぁ、ありがとうソフィア」 「その時は私も呼びなさい」 「ミュウも、ありがとう」 照れながら顔をそらすミュウ。 そうして、ホットケーキを食べた僕達はミュウに別れを告げて喫茶店を後にした。 ◆◆◆◆◆ 喫茶店の帰り道、途中でバッタリとチャミュに会う。 どうやらピザ配達の帰りだったらしい。最近、また人間界でバイトを始めた。 ついでに、コスプレも始めた。「片羽根の天使」という名前でツイッターやインスタもやっており、「本物みたい!」とフォロワー数は一気に増えた。 羽根をなくしたことにも、ポジティブでいることにしたらしい。 「もう働いてるんだな」 「人間界にいつくことにしたからね。しっかり金を稼がないといけないから、大忙しだよ」 ハハハと笑うチャミュ。 「チャミュには世話になってばかりだな」 「そんなことはない。礼を言うのは私の方だ。ソフィアを助けてくれてありがとう」 「チャミュ……」 「ソフィアが天帝にさらわれた時は、正直終わりだと思った。だが、君に賭けて良かったと思っているよ」 「チャミュも、助けてくれてありがとう」 「私がソフィアを助けるのは当たり前のことだ。礼を言われることじゃない」 「それだって、チャミュがソフィアのために頑張ったことには違いないだろ」 「……そうだね。ソフィアがこうやって無事に戻ってきて本当に良かった。さて、私はまた仕事に戻るとしよう。休みが出来たときにでもまた家にお邪魔するよ」 「うん、待ってる」 「チャミュ、気をつけて」 チャミュはヘルメットをかぶると、バイクに乗って街に消えていった。 その背中には、片方だけの羽根。最近は、隠すこともなくなってきている。 ◆◆◆◆◆ 僕とソフィアは、公園を少し立ち寄ることにした。夕焼けが綺麗な時間帯だ。 二人ベンチに腰掛けて、ゆっくりと湖を眺める。 投げ出した手と手が触れ合う。 僕はソフィアの小さな手の上に自分の手をそっと重ね合わせる。 「シオリ、助けに来てくれてありがとう」 湖を見つめたまま、しんみりと言葉を呟くミュウ。 「ソフィア……当然さ。助けるって約束したんだから」 「私、すごく怖かったんです。天帝に捕まってから、ずっと……。でも、シオリならきっと来てくれる、助けてくれるって、それだけを信じてたから……」 「うん……」 「だから、あの時シオリの姿を見て、とても嬉しかった……」 ソフィアは僕の方に向き直る。潤んだ瞳が僕を見つめる。 「あなたに必要とされることが、こんなに嬉しいなんて……」 「ソフィア……」 僕は、思わずソフィアの唇に自分の唇を重ねていた。 少し驚きながらも、受け入れてくれるソフィア。 「あっ……」 時が止まったと思うくらいお互いを感じ合った後に唇を離す。 「シオリ、息、できないです…」 「ごめん……愛しさが抑えきれなくて」 「ふふっ。んっ……」 軽く笑ったあと、今度はソフィアの方が僕に唇を重ねる。今までにない積極的なキスに驚きながらも、生きていることを確かめ合うように何回も何回も唇を重ねた。 ◆◆◆◆◆ 気持ちが落ち着き、二人手を繋ぎながら湖を眺める。 勢いでキスしたのは良かったが、気持ちが高ぶり過ぎた反動で恥ずかしくなり、お互い顔を真っ赤にしたまま何も喋らない時間が流れた。 「…」 「……」 それでも、その沈黙も不思議と嫌な感じはしなかった。 ソフィアとまた一緒にいることができたという感覚が心を満たしていた。 きっとソフィアも同じなんだと思う。 「ソフィア……」 「はい……」 「これからも、ずっと一緒にいてくれないかな……?」 「……はい、もちろんです。ずっと、ずっと……しぬまで、一緒にいてください」 ぎゅっとお互いの手を握る。この時間がずっと続けばいい。 ソフィアさえいれば、僕は幸せなんだ。 僕とソフィアは再び見つめ合うと、目を閉じて、ゆっくりと唇を重ねた。 この幸福を、謳歌するように。 (了)