タイトル 「死になおり - 脳出血とICUの少女の話 -」 ——- プロローグ ——- プロローグ カタカタ・・・カタ・・・ モニターを見ながら単調な作業を繰り返す。 使えなくなった右手を膝の上に乗せながら 左手だけでパソコンを操作する。 元々ネット通販の店長をしていたから 少しはパソコンを触れるといっても 片手ではスピードに限界がある。 せいぜいパソコン初級者程度だろうか。 昔と比べて能力の低下っぷりに やるせない気持ちになってしまう事もあるが、 それでも今こうやってパソコンを触って 仕事が出来る事に感謝している。 俺は高田和一、32歳。 5年前に脳出血を起こしてしまい 片麻痺と高次脳機能障害になってしまった。 あの日から人生は大きく変わった。 俺自身も周りの環境も一変してしまった。 この身体になり色々なことを経験した。 嫌な事も、辛い事も。 時には良い事も、嬉しい事も。 今回は俺が倒れた時の事、 そして一番印象的だった 不思議な少女の話をしたいと思う。 「死になおり ~脳出血とICUと少女の話~」 第一話 早過ぎる発症 あれは8月の日曜日だった。 午後から遊びに行く為、先に家事を 済ませようと洗濯をしていた時だ。 「…あれ?」 靴下を干そうとピンチハンガーに 手を伸ばすが掴めない。 ちゃんと見ていなかったのかなと ハンガーをしっかり見ながら 改めて掴もうとしても スカッとかわされてしまう。 その後も何度か繰り返し、 どうにか掴む事が出来た。 どうやら実際の場所より下に向けて 手を伸ばしているらしい。 とりあえず原因はわかった。 問題はどうしてそうなっているかだ。 こんなのは生まれて初めてだ。 「……あっ」 嫌な事が頭をよぎった。 それは父親の事だ。 父親は脳出血で亡くなっており、 そもそも高血圧の家系である。 そして俺も降圧剤を飲んでいるのだ。 「マジかよ…」 何か非常事態が起きている。 心臓がバクバクし始める。 俺は最後にもう一度だけハンガーに 手を伸ばしてみる。これでダメだったら… …俺の手は空を切った。 「ダメだ!諦めた!」 その瞬間、俺はスマホに手を伸ばし 即座に119番にかけて繋がった。 これでとりあえず最悪の事態は 避けられると思っていた。 しかし、問題はここからだった。 救急隊から住所を聞かれた時、 アパートの住所が一切頭に浮かばない。 浮かぶのは実家の住所だけだ。 なんだこれ?おかしい!なんだこれ!? とさらなる異常事態に俺は一気に混乱した。 それに合わせるように頭がボーッとし始め、 喋りにくくもなっている。 やばい!このままでは 救急隊はここに来れない! 非常に焦った俺は当たりを見渡すと 近くに一通の葉書があった。 …これだ! 俺は葉書に書かれてるアパートの 住所を必死に読み上げたが、 既に意識が混濁しており、 その後の事はよく覚えていない。 既に床に横たわっていて動く事も出来ず、 おそらく目も瞑っていたのだろう。 真っ暗な世界の中、全てが混乱していた。 訳がわからない…どうなってるんだ… しかし、その時とある「言葉」が 俺の頭をよぎった。 非常にハッキリ浮かんできた言葉。 それは自分自身への問い。 そしてその答えだった。 「これで終わりかな…  それでもいいかな」 そう頭の中でつぶやいた直後、 俺は完全に意識を失った。 第二話 右片麻痺 「……」 気がつくと知らない天井があった。 とは言っても特に驚きとかは無く 「あぁ、病院に連れてこられたのか」と すんなり現状を受け入れていた。 むしろ横に母親と兄貴がいる事に驚いていた。 一人暮らしだから連絡先知らない筈なのに… 病院側がスマホとか覗いたのだろうか。 折角の日曜日なのに家族に申し訳ないな…と 自分自身の事よりそこに意識が行っていたのを よく憶えている。 話を聞けば、予想通り 俺は脳出血にやられていた。 左被殻出血で出血量は30mlオーバー。 開頭手術寸前の状態だったがとりあえず 様子見となったらしい。 手術するとデメリットも多いと聞く。 とりあえずその点についてはホッとした。 「…あっ」 俺の右半身がおかしい事に気づいた。 もちろん力が入らないのもあるが、 それより重大な異変があった。 “右半身が無い”と感じている事だ。 先生曰く、出血した場所の問題で 「運動麻痺はリハビリでどうにかなるが  感覚については正直厳しい」らしい。 右半身の感覚喪失は例えるなら 歯医者での麻酔注射を右半身全体に たっぷり打たれた感じに非常に近い。 歯医者で麻酔を打たれた時に想像してほしい。 感覚鈍麻や感覚消失について理解出来るだろう。 おもしろいのは、手足は勿論の事、 頭の先、口の中、まさかの亀頭まで キレイに左右で感覚が全く違う事だ。 正直驚きと苦笑いを禁じ得ない。 また、表面の皮膚感覚だけではなく 深部感覚もやられているらしく、 とても奇妙な体験をする。 例えば、右腕を動かす事自体は 弱々しいながらなんとか出来るものの、 腕を動かしている実感が殆ど無いのだ。 例えるなら脳波で動くロボットアーム。 何で動くんだこいつという違和感。 それらの事実を突きつけられたが、 これからどうなってしまうんだ… という気持ちや不安よりも先に 何だこれは?という好奇心が優っていた。 それは脳をやられた事による 思考や感情への影響が大きかったのを 後日理解する事になるが、その時の俺は 未知な事に対する楽しさすら感じていたのである。 第三話 せん妄の世界 しかし、その感覚も夜になると一転してしまう。 人の気配がなくなり、物音も静かになり、 ICUなので当然スマホも所持出来ず、 更に時計もなく今が何時かもわからない。 つまり外界からの刺激が無くなるのだ。 脳をやられて思考、判断能力が落ちてる上に 外界からの刺激が乏しくなると何が起こるか あなたは予想出来るだろうか? ……… …… … そう。意識が混濁してしまうのだ。 初めてそれを実感したのは初日の夜。 電気を消された後の話だ。 ーーーーーーーーーー いきなりだが俺は悟ってしまった。 この世は実は妖怪に支配されており 人間はそれに気づいていないだけだと。 ーーーーーーーーーー 上の文章を見てどう思われただろうか? 「なんだこいつ。頭がおかしくなったか?」 と思っただろう。 そう。俺も“そう思った“のだ。 つまり、妖怪の支配を信じる俺と それを信じない俺の両方が同時に 存在しているのである。 これはいわば脳の認識と知性のズレだ。 これをきっかけに 脳が伝えてくる訳わからない事を 必死にそれは違う!と否定する俺の 深夜脳内バトルが開始されてしまった。 - さすがICUだ。足元に幽霊が立っているわ - よく目を凝らして見ろ!何もいない! - 何を言ってる。お前は気づいている筈だ  チラチラこっちを見ている幽霊の存在に - めんどくせー!お前黙ってろ! もし俺の知性、理性が負けてしまったら 俺はナースコールを押して助けて!と懇願したり 色々と訳わからない事をベラベラ喋る事になるのだろう。 だから負けるわけにはいかない。 このような事がずっとでは無いが 一晩だけでも数回起こってしまう。 俺はこのランダムイベントに疲れと 少しの恐怖を感じてしまっていた。 ……… そして朝がやってくる。 もっとも、外界を見る窓が無いから 電気がつけられてそう判断するのだが それでも外界の刺激があるのは嬉しい。 あの混濁した世界から抜け出せるからだ。 第四話 リハビリ 入院2日目。 俺のリハビリが始まった。 昨日の今日で本当に大丈夫か?と 不安にもなったが、早期のリハビリは 廃用症候群を回避する為非常に重要らしい。 俺のリハビリは3種類。 歩く、立つ、座る等を専門に行う理学療法士(PT)、 箸を持つ、文字を書く等を専門に行う作業療法士(OT)、 言語でのコミュニケーションのリハビリを行う 言語聴覚士(ST)の3つになる。 リハビリの流れはこんな感じだ。 PT→足のマッサージや曲げ伸ばし。 OT→同じく手や腕のマッサージや曲げ伸ばし。 ST→簡単な質問をして状態の確認。 「今は何月何日ですか?」 「ここはどこですか?」 「ここの病院名わかりますか?」 とSTに質問された時は 正直少し嫌な気持ちにもなったが、 いざ答えようとした時、答えが出るのに かなり時間がかかってしまった。 俺は「そういう事か…」と失望した。 知能的な部分も確実にやられてる事実を 突きつけられたからである。 1日3回のリハビリを行い、 誤嚥防止の柔らかいご飯を食べ、 あとはベッドで1日を過ごす。 こうして俺の入院生活は始まったのである。 第五話 夢と現実の境目 あれから数日が経過した。 淡々と日は過ぎていき 懸念されていた脳のむくみも 問題無さそうなので一般病棟に 移動出来る状態になった。 しかし肝心の一般病棟の 空きが無いという事で 俺はICUの奥にある個室で 数日空きを待つ事になる。 この白い個室は綺麗で中々に広く、 更にテレビまで設置してくれた。 また、家族からノートと筆記用具も 持ってきてもらったので 暇な時間に左手で絵を描く リハビリも始めた。 左手だとロクに描けないけれど やはり創作は楽しい。 数日前と比べたら遥かに 環境は良くなったと思えた。 … しかし一つ問題があった。 例の“深夜バトル“である。 状態が安定したので看護士の 見回りも減りおまけに場所は奥だ。 人気が更に無くなってしまった。 その結果、減りつつあった 深夜バトルの回数は 明らかに増えてしまう、 唯一の救いはテレビの存在だ。 もしテレビが無かったら本当に 頭がどうなっていたかもしれない。 夜中が更に怖くなってしまった。 ……… とある日、晩御飯を食べてウトウトしていたら テレビで特番、夏の怪談スペシャルが 始まってしまった。最悪である。 電源を消す、もしくはチャンネルを変えれば 即解決なのだが半覚醒状態なので リモコンに手が伸ばせない。 頭の中に様々な妄想が浮かんでくる。 夢と現実の境目はとっくになくなっている。 やばい。やばい。やばい。 俺は倒れる前から睡眠障害を持っているので、 悪夢を見る事は良くあるが、このタイミングで 深夜バトルされるのはたまったもんじゃない。 訳のわからない状態に陥りそうになった時、 全てを消し去ってしまうような 信じられない事が起こった。 TVから流れる音とは明らかに違う 声が聞こえてきたのである。 「この声、聞こえる?」 第六話 少女 俺はウトウトとした頭のまま 声のした方向にゆっくり顔を向ける。 ………まいった。 そこにワンピース姿の少女が立っていた。 見た感じ高校生ぐらいだろうか。 「お兄さん、私見えてる?」 なんてこった。最悪すぎる。 今までは見える、聞こえる“気がする”だったのに 遂に本物の幻覚、幻聴が始まってしまったらしい。 「やった!お兄さん、お兄さん!」 なんか凄く喜んでる。 まるで数年ぶりの恋人と再会してるみたいだ。 さて、俺は目の前の非常事態に対して どうしたら良いのだろうか。 かわいい少女が俺の前にやってくるという この都合の良い幻を楽しめば良いのか? ………駄目だろ。悪化してしまう。 俺は今度こそちゃんと眠る事にした。 「…えっ?嘘でしょ!?」 幻覚が戸惑っている。 「ねー。私に気づいてるのわかってるんだよ!?」 幻覚が焦っている。 「ねーこっち向いてよー!  私に気づいてくれた人は  お兄さんが初めてなんだからさー」 そりゃそうだろうな。 お前は俺が生み出した 幻なんだから… 「あ、本当に寝ちゃうんだ…  いいもん。私明日もここにいるからね。  その時は私とおしゃべりしてねー!」 最後まで…騒がしい…奴だ… 眠気が凄い。意識が落ちる。 俺はそのまま眠りにつくだろう。 そしておそらく俺は笑っているのだろう。 こんな気分で眠るのは久しぶりだから。 第七話 たわいのない話 そしてその翌日の夜である。 「あ、来た来た。お兄さーん!」 少女は笑顔で手を振っている。 マジかよオイ。 こいつ本当に来ちゃったぞ。 「今日こそおしゃべりしてもらうからね!」 「……あんたは何だ?」 俺は観念して少女に話しかける。 「ん?私?アヤナだよ」 「うんうん名前はアヤナさんねわかった。  で、あんたは何なんだ?幽霊か?」 「知らない」 即答されても困る。 「知らないって…」 「だって本当にわからないもん」 少女は困ったような表情を見せた。 本当なのだろうか。 「そもそも来た来たって言ってたけど  あんたの方がここに来たんじゃ無いのか?」 「ううん。お兄さんが現れるんだよ?」 「…」 どういう事だ? 俺がウトウトした時だけ会える感じなのか? 「それより名前っ!」 「ん?」 「お兄さんの名前も教えるのが礼儀でしょ!?」 「あーはいはい。俺は和一だよ」 「カズさんね。わかった。  でね?お兄さんは…」 「名前教えたのにスルーかよ!」 こんな感じで、俺が本格的に眠ってしまうまでの 少しの間、少女とたわいのない話をする。 そして、俺は少しずつこの時間が 1日の楽しみになっていった。 少女と話してると嫌な妄想に 襲われる事が 無いのもあるが、 それよりも誰かと気楽に話せるのが 純粋に嬉しかったのである。 第八話 呪いの言葉 リハビリは一歩一歩着実に進み、 流動食では無い普通のご飯を食べ、 1日の終わりには少女との雑談を楽しむ。 確実に状況は良くなっている筈なのに それに同時に俺の奥底にあるとある言葉が 少しずつ俺を蝕んでいった。 それは、俺が脳出血で倒れた時、 意識を失う寸前に不意に出てきた独り言。 「これで終わりかな…  それでもいいかな」 たったこれだけの言葉。 しかし、この言葉は非常に重く 俺の心にのし掛かる。 いわば“呪いの言葉”だ。 俺はこの瞬間、死ぬ事を甘受したのだ。 そして、この言葉に安堵したからこそ その直後に意識を失ったのではないか。 死ぬのは怖い。それは当然だ。 なら、なぜ死ぬのが怖いのか。 その答えは人それぞれだが、 俺はどうやって死ぬかわからない事が 大きなウエイトになっている。 苦しみながら死ぬかもしれない。 死にたくないと思いながら死ぬかもしれない。 この世に絶望しながら死ぬかもしれない。 考えたらキリがない。 なら、今回のケースはどうだろう。 痛みは一切無く、あるのは意識の混濁だけ。 病気等による死が迫ってくる恐怖もなく、 自殺による後ろめたさも無い。 いきなり過ぎてお別れが出来ないのが 心残りではあるけれど、意識の混濁で そこまで気が回らない。 つまり、あれは理想的な死に方だった。 だからこそ俺は自らの死を甘受した。 そうとしか思えないのだ。 ……… しかし、俺は生き残ってしまった。 一旦手放した“生“が戻ってきてしまった。 しかも障害者というオマケ付きだ。 果たしてこれは幸せな事なのだろうか。 これからの人生がどうなるかわからないが 障害者として生きるのは大きなハンデだ。 歩けるかどうかが一番大きな事だが、 それ以外にも不安な事はたくさんある。 実家に戻る事になるかもしれない。 大好きな車を運転出来なくなるかもしれない。 創作趣味も出来なくなるかもしれない。 仕事が出来なくなり家族に迷惑をかけながら 生きる事になるかもしれない。 今の俺には明るい未来は見えてこない。 病院でのリハビリ生活が 絶え間なく現実を突きつけてくる。 そして、その分あの“呪いの言葉”が 俺の心に重くのしかかる。 もしかしたら俺はあの時に 一度死んでいるのかもしれない。 俺は泥沼に陥ってしまった。 第九話 闇に触れる二人 「ねぇ、最近どうしたの?」 ある日、彼女は少し表情を曇らせながら言った。 あまり見せない顔だった。 「んー。なんだろうなー」 「聞いてもいい?お兄さんは何で入院してるの?」 これまで雑談ばかりで俺も彼女も お互いの踏み込んだ話はしてこなかった。 その方が良い時間が過ごせると思ったからだ。 それなのにあえて聞いてくるという事は そこまで顔に出ているのだろうか。 「…脳出血。右半身やられちゃったよ」 なるべく暗い雰囲気にならないよう 明るく答えたつもりだ。 「そっかぁ…大変だったんだね。  でもさ。生き残ったから良いじゃない!」 彼女も同じく明るく答えたつもりなのだろう。 それが余計に俺の心を苦しめた。 「そっかな…良かったのかな…」 「へ?」 「死んでも良いと思ったら  生き延びてしまったよ」 「……」 変なスイッチが入った俺は勢いで “呪いの言葉“について細かく話してしまった。 更に彼女は表情を曇らせていく。 俺はしまったと思ったがもう遅い。 「…ごめん。変な事を話しちゃって」 「…お兄さんは、終わりしか見えてないんだね」 彼女は泣きそうになりながらつぶやいた。 「……」 「お兄さん、そんな事言っちゃダメだよ。  まだ、お兄さんは生きてるんだよ!?  生きて私の前にいるんだよ!?  そんな話されたら私も…」 消え入るような声で彼女は話し続ける。 「アヤナ…」 「ごめん!ごめんね変な事を言って。  本当にごめんなさい…」 泣きながらそっと消えてしまった… 彼女はいつも俺がちゃんと眠るまで そばにいてくれた。彼女から去っていくのは これが初めてだ。 俺は取り返しのつかない事を してしまったかもしれないと 後悔しながら眠りにつくことになった。 そして、次の夜も、 またその次の夜も、 彼女は現れなかった。 第十話 設定された結末 一般病棟への移動日が決まった。 明日の午後になるらしい。急な話だ。 病院の都合により予定より大幅に ICUに滞在したけどようやく “普通の世界“に帰る事が出来る。 一般病棟なら友人がお見舞いに 来てくれるかもしれないし、 何よりスマホを触る事が出来る。 数日ツイートが途絶えただけで周りが本気で 心配してくるレベルのネットジャンキーな 俺にとってはまさに救済だった。 とても喜ばしい事ではあるけれど 一つだけ気になる事がある。彼女の事だ。 非日常感が強く、人気のないICUだからこそ 俺は彼女に会う事が出来るのだろうと感じていた。 おそらく、ここから出たらもう彼女とは会えない。 悪夢から俺を救ってくれた彼女にお礼を言いたいし 嫌な気持ちにさせてしまった事を謝りたい。 しかし、俺は彼女に会いに行く方法を知らない。 どうしたら良いのだろうか… その時、ふと思った。 彼女に会う方法はわからなくとも 会えるタイミングを俺は知っている。 それは夢と現実が混同するあの境目の無い世界。 あそこで彼女を探すのは可能かもしれない。 しかし、それは魑魅魍魎が渦巻く あの世界に自ら飛び込む事になる。 正直、気が進まない。最悪だ。 悪夢に好き好んで飛び込むバカはいない。 しかし、彼女に会う可能性が少しでも上がるなら…! 俺は腹をくくった。 第十一話 悪夢の中へ 今日3回目のリハビリが終わり、 晩御飯までの自由時間が出来た。 ここから彼女に会うための作戦開始だ。 先に言った通り俺は睡眠麻痺を持っている。 入眠時幻覚やいわゆる金縛りは 毎日とまでは言わないが不定期にやってくる。 俺に出来るのは意識してこれらを発生させ、 夢と現実の境目に長時間滞在する事ぐらいだ。 分の悪い賭けなのはわかっているが 唯一俺が出来る事だから仕方ない。 その為に俺はまず昼寝をとった。 睡眠バランスを崩して夜の睡眠の質を落とし なるべく長く睡眠障害を起こす為だ。 そうして昼寝を取った後、 身体と頭のバランスも崩す為、 消灯まで身体を動かし疲労を溜めた。 あとはなるべく何も考えず眠れば良いだけだ。 眠いけど眠れない。眠れないけど眠ってしまう。 その状態に持ち込めばもしかしたら… 俺は人気のない真っ暗な部屋でそっと目をつぶった。 … …… ……… 何か嫌な声が聞こえてくる。 … …… ……… 身体が何かの奥底に引きずり込まれる。 … …… ……… 色々な妄想が襲ってくる。 歪な悪夢を見せられている。息が苦しい。 これは…完全に境目に入った。 よし。ここからが本番だ。 俺はおぞましいモノに包まれながら 彼女の声を探す、姿を探す、気配を探る。 悪夢が俺の耳を遮る。集中を乱す。目の前が暗くなる。 時間はそれほど残っていない。 俺は必死に彼女を探す。 ………あっ。 雑音の中、微かに少女の泣いている声が聞こえた。 どこだ。どこだ。どこだ。 泣き声のする場所を必死で探す。 どこだ。どこだ。…そこか! 遠くに僅かな光が見える。 間違いない。光の向こうに彼女がいる! 俺は光の中に飛び込もうとするが 身体は動かない。動かし方を知らない。 しかし、それでも俺は諦めない。 そして、試行錯誤を繰り返して 少しずつ移動の仕方がわかってきた。 光が大きくなっていく。 ようやく彼女に会える。 早く会いたい。 彼女に会って俺は…! …… 光の中に飛び込んだ時、 俺の視界に入ったのは知らない病院の病室、 そしてベッドで寝ている彼女だった。 第十二話 夢から覚める日 「こ、ここは…」 「お兄さん」 「!?」 彼女の声はベッドの外から聞こえてきた。 俺は驚いて声のする方向に振り向いたら もう一人のアヤナが立っていた。 「今度はお兄さんがここに来ちゃったんだね。  ビックリしちゃったけど、とても嬉しいよ」 「これは、一体…」 「…私はね?ずっと寝ているもう一人の私を  見ながらここにいたんだ。昼も、夜も」 「ずっと、か…」 「でね?ある日、変な光が現れて…  その中にお兄さんがいたの」 「うん」 「こんなの初めてで怖かったけど  思い切って話しかける事にしたんだ。  この人は私に気づいてくれると思ったから…」 「……」 「お久しぶり、お兄さんっ」 彼女は前と同じ笑顔を見せた。 「久しぶりって3日も経ってないぞ?」 「私が会いたかったから久しぶりなの!  …お兄さんもそうじゃなかったの?」 彼女は含みのある表情で見つめてくる。 「ああ。そうだな。久しぶりだ。」 「うん!」 「あ、あとこの前は本当に…」 「あのね?」 俺は謝ろうとしたが、それを止めるように 彼女は言葉を被せてきた。 「私ね、もうすぐ夢から覚めるの」 「夢?どういう事?」 「私もわからない。でも感じるの。  私の中で何かが動き始めてる」 いきなり変な事を言われて少し戸惑ってしまう。 でも、一番大事な事はその後どうなるかだ。 「うん。それで夢から覚めたらどうなるの?」 「それもわからないんだ。でも、少なくとも  こうやってお兄さんとは会えなくなると思う。  だから今日ここに来てくれて本当に良かった」 「そっか…俺もさ、明日から一般病棟に移るから  今日がラストチャンスだったんだよ」 「そうなんだ…ごめんね?あれから会わなくて。  あの日から色々怖くなっちゃって…」 「いや、俺の方こそ…」 ベッドの彼女と目の前の彼女を見せられたら 俺は何も言う事が出来ない。 あの話がどれだけ彼女の心を 傷つけたか想像もつかない。 「だーかーらー。謝る必要は無いんだって!  私はお兄さんに救われたんだからさ」 笑顔のまま彼女は喋り続けた。 「きっと私が夢から覚める事が  出来るのはお兄さんのおかげ。  お兄さんと会うまでは誰にも  気づいてもらえず泣いてばかりだった。   でもね、お兄さんと出会えたから  私は元気と笑顔を取り戻す事が出来たし、  それがキッカケで目を覚ますんだから。  だからね…」 彼女は俺の目をじっと見つめた後、 ペコリと頭を下げた。 「本当にありがとうございました!」 この溢れる笑顔を見るとわかる。 彼女はこの夢から覚めるのを 長い間待ち望んでいたんだ。 そしてようやくその日がやってきた。 俺は自分の事のようにとても嬉しかった。 「そっか。良かった…」 「だからね?ご褒美あげる」 「?」 「はいっ!」 彼女は右手を差し出した。 「右手?」 「うん。右手出して?」 「左手の方が…」 「だめ!」 「仕方ないな」 俺はぎこちなく麻痺している右手を出した。 彼女はその右手を繋いできたが その手はとても温かった。 「!?」 俺の右手は重度の感覚麻痺がある。 なのにこんなにハッキリ 体温や感触を感じられるなんて…! 驚いている俺を彼女は楽しそうに見つめている。 「あのね?」 彼女は手を繋ぎながら話し始めた。 「お兄さんはあの時死んでいれば良かった。と  思っているけれど、それは違うと思うの。  だってあなたという人はまだここにいるんだもん。  脳卒中になった人の中には性格が変わったり、  感情がコントロール出来なかったりして  全くの別人になる人もいるって聞いたよ?  でも、お兄さんはお兄さんのままここにいる。   だからこそやり直せる。そのまま  次のステージに行けるんだよ?  それにね?私を救ってくれた人には  後ろではなく前を向いて歩いてて欲しいんだ。  だからさ、頑張れ!カズさんっ!」 彼女はそのまま笑いながらゆっくりと消えていった。 「アヤナっ!」 俺は目を覚まして思わず大声を出してしまう。 右手を見ると、その右手はベッドの手すりを握っていた。 「そっか…俺はまだいけるんだな。  わかったよ。ありがとう。アヤナ」 俺は真っ暗な病室の中、 泣きそうになりながら 少女にお礼の言葉を呟いた。 最終話 物語は続いていく その後、俺はリハビリを頑張り、 退院時には杖と装具付きながら どうにか歩く事が出来るようになった。 残念ながらアパートは引き払って 自宅に戻る事になってしまったけど、 念願だった車の運転は 無事再開する事が出来た。 仕事も障害者枠ながらも新しい会社に 入ることが出来て順調に働いている。 まだまだ俺の物語は進んでいくんだ。 時々、週刊誌とかで作者が ちゃんと物語を完結させたのに、 編集部の意向か大人の都合でその続きを 無理矢理描かされるのを見る事がある。 今の俺もそれと同じなのかもしれない。 無理矢理最終回の続きを描かせてるから 最初はグダグダな展開だったり色々と 作者の苦労が見える事もあるけれど、 それでも頑張った末に更に面白い最終回を 描く事がある事も知っている。 だから、俺も同じようにより良い人生、 より良い最終回を迎えられるよう頑張ろう。 生き残ったからには何かを残したいし 大好きな創作活動を続けていきたい。 元からやっていた絵や音楽、 動画を作るのは身体、環境的に 難しくなってしまったけど、 これを機に小説を書いてみるのも悪くない。 文章下手だし少し恥ずかしいけど。 小説なら左手だけでも何も支障は無い。 そして、生からの解放から戻されて また死の恐怖に怯える事になったけど、 ”あの時、死ななくて良かった”と 思えるように生きていこうと心から思う。 それに、俺には密かな楽しみがある。 これは転職したての時の話だけど、 通勤中の信号待ちでアヤナにそっくりな 女子高生を見かけたんだ。 本当に驚いて、ずっと見ていたから その視線に気づいて彼女もこちらを見返したけど、 彼女、俺と同じくらいびっくりしてた気がする。 信号が青になったからそのまま走ってしまい 彼女とはそれっきりだけど、もしかしたら また彼女に会えるかもしれない。 そんな予感がするんだ。 俺はまたアヤナに会える日を楽しみにしながら しっかりと最後まで生きていきたい。 …カタカタ、カタ。ターン! そう思いながら、 俺はエンターキーを力強く叩いた。 ——- 終 ——- 文字数:10670文字