目次 第1章 始まり  第1節 アヒルの鳴き声  第2節 臓器提供  第3節 葬儀 第2章 発覚  第1節 手紙  第2節 ディズニーリゾート  第3節 ヌード写真 第3章 更なる発覚  第1節 からすのパン屋さん  第2節 ご主人のことが好きでした  第3節 続くメール攻撃 第4章 義父と義母と遺産相続  第1節 謝罪  第2節 苛立ち  第3節 遺産相続 第5章 余波  第1節 お寺  第2節 住職  第3節 慰謝料  第4節 マインドコントロール 第6章 裁判  第1節 ブラジャーとショーツとコンドーム  第2節 裁判 第7章 その後 第1節 2分の1成人式 第2節 前妻と娘 あとがき 第1章 始まり 第1節 アヒルの鳴き声  2019年6月3日、月曜日の朝、突然にそれは始まった。  私は朝6時のスマホの目覚ましの音で目が覚めた。隣で8歳の息子がまだすやすやと眠っている。 「もう起きる時間だよ。下に降りよう。」  そう息子に声をかけたが、一向に起きる気配は無い。  私は強い尿意を感じ、階下のトイレに向かうべく、トントンと階段を駆け下り始めた。  すると、階下から妙な音が聞こえてきた。 「グワーッ! グワーッ!」  ーーえっ⁉︎  アヒルの鳴き声のようなその音は、とんでもない大音量だった。  ただならね気配を感じた私は、階段を駆け下り、夫が寝ている和室に入った。  私は仰天した。  夫が布団の上で仰向けに倒れていた。なぜか全裸で、ハンバーグのドミグラスソースのような茶色いものが顔一面に張り付いていた。アヒルの鳴き声のような音は夫が発しているいびきのようなものだった。  ーーこれは一体なんなのだろう……  心臓がドキドキしてきた。  ーーとにかく救急車を呼ばなければ。  震える声でスマホから119番に電話をした。すぐに救急車が来てくれることになった。  そのあとは意外と冷静だった。  ーー救急車が来るということは、子供を置いて家を出なければならない。誰かに家に来てもらわなければ。  姉に電話をして来てもらう事になった。母にも電話をした。二人とも仰天していた。  それから、救急車に自分も救急車に乗るのだろうと考え、それに備えて、まずはトイレに行き、パジャマからジーパンとTシャツに着替え、薄手のカーディガンも羽織った。  その時、119番からスマートフォンに電話がかかって来た。 「救急車が向かっていますが、それまでの間にやってもらいたい事があります! ご主人の顔を横向きにして、心臓の辺りを強く繰り返し押してもらえますか⁉︎ 心臓マッサージです!」 「えっ! 体を横にして心臓マッサージをするんですか⁉︎」 「いえ、顔だけを横にしてください!」  電話の相手は慌てた様子だった。  ーーそんな事までしなければならないほど、切迫した状況なのか……  さらに心臓がドキドキし始めた。  そして、夫の顔を横に向けようとしたが、びくともしない。 「顔が全然横に向きません! どうしたらいいですか⁉︎」  私は泣きながら言った。 「そのままで良いから、心臓マッサージを続けてください!」  自分が正しいやり方をしているのかどうか確信が持てなかったが、とにかく夢中で心臓の辺りを押し続けた。  その時、救急車のサイレンの音が聞こえた。  家が分かりにくいのではないかと思い、家の前に出て救急車に向かって手を振った。  救急隊員数名が家に駆け込み、すばやく夫を毛布で包み、担架に乗せ、救急車に運び込んだ。 「奥さんもご主人の保険証を持って車に乗ってください。」  そう言われて、家を出ようとしたら、姉が到着した。  ーーそうだった……  姉が来ないうちは、息子を残して救急車に乗り込むことは出来ないのだということを、すっかり忘れていた。  その時、息子が階段を降りてきた。  ーー良かった!  父親の変わり果てた姿を息子見せなくて済んだ。1分でも起きてくるのが早ければ目にしていただろう。  救急車に乗り込むと、救急隊員が受け入れ先の病院を探して電話をかけていた。そして、40分位で受け入れ先の大学病院に到着すると聞かされた。  その頃には気分が少し落ち着いた。  ーー夫はまだ44歳なのだ。医療はどんどん進歩しているのだし、まだ息をしているうちに救急車に乗せられたのだから助かるに違いない。  ーー『奇跡的に助かった』などとテレビでよく言っているではないか。まさかこのまま亡くなる筈はないだろう。  ーー夫はこのまましばらく入院することになるだろうから、私は当分の間、仕事を休んでずっと夫の面倒を見て、思い切り大事にしてやろう。  救急車に乗ってからは、そんな事を考えていた。それから、母と姉に大学病院に向かっていることをメールで伝えた。  車の中では、救急隊員達が夫に酸素ボンベを着けてずっと何かの処置をしていた。なんと大変な仕事なのだろうと思って見つめていた。終始一生懸命で、時折、私に優しい言葉をかけてくれる彼らが神様のように思えた。  助手席にいる隊員の声が聞こえた。 「救急車が通ります! 道を開けて下さい!」  朝のラッシュが始まりかけている時間帯で、救急車がスムーズに通行できない時もあった。  ーー1分1秒を争う事態かも知れないのに! 夫が助からなかったら、すぐにどかなかった車の運転手を一生恨んでやる!  そんなふうに思いながら、祈るような気持ちだった。    救急車が病院に到着すると、夫はすぐに集中治療室に運ばれていった。  しばらく集中治療室の外で待っていると、スマホに着信が入った。  ーーあっ! そうだった!  毎朝、息子は小学校に登校する際、友人と待ち合わせをしていた。息子は下校したら私の実家であり、私の職場である飲食店に帰るために、自宅から少し離れた学区外の小学校に通っていた。そして、夫が毎朝、通勤がてら、その待ち合わせ場所まで車で送っていた。ところが、その朝は夫と息子がまだ姿を見せないので、その友人の母親が私に電話をして来たのだ。     「まだ来ないのですが、遅れるので先に行ってもいいですか?」  彼女は単なる息子の友人の母親ではなかった。私と彼女とは、息子同士が幼稚園の同級生の時からの付き合いがあった。しかも、その幼稚園は彼女の実家であるお寺が経営をしており、彼女は副園長でもあった。そして、私の最も親しい友人のうちの一人と言っても良い存在だった。  彼女からの電話で思わず涙が溢れ、夫が救急車で運ばれたことを告げた。  「そんな! でも、きっと大丈夫ですよ! ずっと祈ってます!」  彼女は泣きながら言った。    それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。よく覚えていない。ぼーっとしていると、医師が待つ個室に通された。  その医師はまず、神妙な面持ちで言った。 「お子さんはいらっしいますか? おいくつですか?」 「息子が一人、8歳です」 「そう、ですか……」  その医師は、心の底から残念そうな顔をした。  ーーえっ! まさか……  心臓が高鳴った。  ーー深刻な後遺症が残るのだろうか…… まさか命までは取られまい。  そして、夫の頭部のレントゲン写真を見せられた。 「脳内の血管が切れて出血していて、その血液が脳幹を圧迫しています。これだけ脳内に血液が溜まっていると手術は出来ません。今は心臓が動いていて、自発的に呼吸もしていますが、しだいにそれも無くなるでしょう。あとは人工呼吸器をつけて、いつまでもつか……」  訳がわからない状態で、ふらふらとその個室を出た。  ーーまさか…… これは現実なのか……    再び集中治療室の外で待っていると、母と夫の両親の3人が到着した。私の父は10年以上前に他界している。  義父が慌てて運転を誤るといけないので、3人でタクシーで来たそうだ。   私は医師に言われたことを皆んなに告げた。  母も義母も絶句していたが、義父は受け入れられないようだった。 「今は手術が出来ないというだけで、脳の血が引けば手術できるんだろ?」  そう言った義父に、『そんな訳はない』とは、とても言えなかった。 「奥さん、ご主人にお会いになりますか?」  そう看護師に言われたので、私一人で集中治療室に入った。  夫はたくさんの管に繋がれて、ベッドの上で横になっていた。  私は体が震え、嗚咽した。もう、いつ呼吸が止まってもおかしくない状況なのだろうと思った。  しばらくすると、夫の弟夫婦が到着した。その後、全員が個室に呼ばれ、医師から詳しい状況説明があった。  夫はまもなく脳死状態か植物状態になるということだった。原因を探ろうと色々な検査をしたが、結局、原因となる物は見つからなかったそうだ。おそらく、たまたま血圧が高い状態にあって、肉体的、あるいは精神的に強いストレスがかかり、たまたま脳の血管が破裂してしまったとしか言いようがない、ということだった。  ようやくその場にいた全員が、夫がもう助からないということを理解したようだった。 「仕方がない。寿命だったんだろう……」  義父が弱々しい声で言った。だが、義父は自分の息子の死をすぐには受け入れられないでいるに違いないはずだった。    その後、夫は救急病棟に移されることになった。これからも色々な検査が行われるということだった。  その晩は私が一人で病院に泊まることになり、あとの皆は家に帰った。  私は意外と落ち着いていた。というより、何も考えられなかった。  とりあえず、病院の売店に行き、洗面用具や食べ物を買った。  夫の病室に戻り、買った物を食べようとしたが、ほとんど喉を通らなかった。  やはり平気なようでも、体は正直だった。おにぎりを一口かじったが、なかなかゴックンと飲み込めなかった。仕方なく、ゼリー状の栄養食を買ってきて、なんとか口に含んだ。    夫が病院に着いた時に電話をくれたママ友にラインメールをした。夫がどうなったのか、さぞかし心配しているのではないかと思ったのだ。  彼女に夫が脳死状態か植物状態になることを告げると、面会に行っても良いのか、自分に何か出来ることはないのか、他のママ友やパパ友達に知らせても良いのか、という返事がすぐに返ってきた。  私はママ友やパパ友達に知らせる事を少し躊躇った。  実はその前日、夫と息子は、息子の幼稚園時代からの友人家族達と、ある自然公園に出掛け、丸一日一緒に過ごしていた。その公園で遊んだ後は、皆んなで近くにあるかき氷屋さんでかき氷を食べたり、近く商店街を見て回ったそうだ。ちなみに、私は実家の飲食店での勤務の為、日曜日のその集まりには参加出来なかった。  前日に、丸一日一緒に過ごしていた彼等に夫の事を告げたら、とてつもないショックを受けるに違いなかった。そして、その瞬間にも彼等の間で、前日の様子を撮った画像や、思い出を語るラインメールが飛び交っていた。  だが、いつまでも黙っている訳にはいかなかった。彼女からママ友やパパ友達に告げてもらうことにした。  夕方になるとママ友やパパ友たちが面会に来た。もう夫が助からなせいなのか、誰がいつ面会に来ても夫に会わせてくれた。  皆、夫の変わり果てた姿を見て言葉を失っていた。 「大丈夫! きっと奇跡が起きるから!」と口々に言ってくれた。でも、私はもう諦めていた。    その夜は、夫の隣に簡易ベッドを用意してもらって横になった。だが、もちろん寝られなかった。  夜中じゅう、夫に装着された人工呼吸器の警告音が鳴り、看護師が様子を見に出入りした。  私は精力的に活動をしていた夫の変わり果てた姿を眺めた。  たくさんの管に繋がれ、口は半開き、目も少し開いて白目を剥いていた。最期に皆にそんな姿を晒して、なんと哀れなのだろうと思った。  夫の頬を撫で、もう嗅げなくなるであろう、脂臭い夫の頭を何度も嗅いだ。    ーーそもそも、夫と寝室を別にしていたのが間違いだったのだろうか…  我が家を建てる時、寝室は和室にして、畳に布団を敷いて寝たらどうかと、夫は言っていた。夫にとって、ベッドは下に落ちる可能性があるから布団の方が落ち着いて寝られるそうだ。だが、布団の上げ下げや、将来、足腰が悪くなったり、介護をしたりする事を考えて、やはりベッドにすることにしたのある。  最初の数年は息子と3人でクィーンサイズのベッドに寝ていたのだが、夫は狭そうにしている様子だった。そして、夫がある日、風邪を引き、私達に移さないようにと一階の和室に寝た事をきっかけに、その後、夫だけずっとそこで寝ることになってしまったのだ。  それがいけなかったのだろうか。    前日の夜の事を思い出していた。  夫と息子が帰ってくると、二人共とても機嫌が良さそうだった。  特に夫はご機嫌だった。その日一日を満喫したらしく、自然公園で息子と二人用の自転車に乗った話や、帰りに寄ったかき氷屋さんのかき氷が美味しかった事や、近くの商店街が面白かった事などを楽しそうに話してくれた。 「私も行きたかったな」 「もうすぐその商店街で大きなお祭りがあるそうだから、その時は3人で行こうよ」  そんな話をした。  その後、息子が寝てしまうと、私は録画していた連続ドラマを見始めた。  「俺、疲れたからもう寝るわ」  「そう。おやすみ」   そして、夫は寝室に向かった。私はすでにドラマに没頭していて、よく顔も見なかった。それが最後だった。  結婚当初、私は夫をいつも賞賛して、頼りにして、夫の言うようにしていた。だが、そのうちに子供が生まれ、時が経つうちに、子供にばかりかまっていたり、夫に相談せずに色々な事を自分で決めたり、自分一人の時間を大事にするようになっていた。だが、私が世界中で最も信頼し、心の拠り所にしているのは夫であり、何があっても夫さえいれば大丈夫だと信じていた。  息子はいつか私の元を去る事は分かっていた。だが、夫は間違いなくずっと私と一緒にいて、一緒に歳をとってくれるものだとばかり思って、それを疑う事はなかった。万が一にでも、夫が私の元から去る、あるいは死ぬという事があったら、私は死ぬしかないと本気で思っていた。  ーー神様は私から一番大事な物を奪ったんだ。私は何かバチが当たるような事をしたのだろうか…  そう思いながら、ひたすらベッドで横になった。 第2節 臓器提供  あくる日になった。夫の容態はいつ急変するか分からない状態だと言われていたが、意外と落ち着いていた。そこで、着替えなどを取りに一旦自宅に帰ることにした。  義弟の妻に車で送ってもらうことになり、自宅への帰り道の途中で大きなショッピングモールの横を通り過ぎた。  そこはこの辺りでは一番大きなショッピングモールだった。大きなフードコートなどもあり、地元では休日に家族で出かける定番中の定番の場所と言っても良かった。私達家族もよく買い物に来ていた。  そのショッピングモールを眺めながら、もうこの場所に3人で来ることはないのかと思うと、改めて絶望感に襲われ、涙が出た。    自宅に到着すると、母と姉が家に居て、掃除をしてくれたり、洗濯物を洗って干してくれたりしていた。  私は母達に促されるままに風呂に入り、ベットで休ませてもらった。  私が寝ている間も、母と姉と義弟の妻の3人で片付けや掃除をしてくれていた。  その後、夫の両親から連絡があり、私が自宅に戻っていると言うと、自分たちも病院に行きたいから、戻る時に一緒に連れて行って欲しいと言われた。義母は元々車の運転をしないし、義父はその前の年に軽い脳梗塞をして入院して以来、長距離の運転を避けていた。  その間にも、病院から電話がかかってきた。夫の友人達が面会に来ているが会わせても良いかという問い合わせだった。もし会わせたくない人がいたら教えて欲しいとも言われた。だが、私は誰でも許可なく会わせてくださいとお願いした。  その後、夫の両親を迎えに行き、皆んなで病院に向かった。  車の中は意外なほど穏やかな雰囲気だった。夫が仕掛かっている仕事をどうするかや、棺を運ぶ和室にエアコンを取り付けたほうが良いかなどの話をした。こんな状況なのに、穏やかな雰囲気であるのがなんだか不思議な気がした。皆、まだ実感が湧いていなかったのかも知れない。    病院に戻ると医師からまた説明があった。夫の容態は落ち着いていて、しばらくの間、心臓が止まる事はないが、いわゆる脳死に極めて近い状態であるらしかった。それから、いつまで人工呼吸器を付けているのか決めなければならないということや、臓器提供という選択肢があると言われた。  その頃には皆、完全に夫の回復は諦めていた。奇跡は起こらなかったし、これからも起こらないのだろうということも皆が分かっていた。  皆で夫の病室に行き、夫を囲んでいる時、私は臓器提供についてどう思うか訊いた。  私は、どのみち夫は助からないのだし、他の人を救えるのなら臓器提供をしても良いのではないかと口にした。  夫の両親は驚いたようだった。特に義母は簡単には受け入れられないようだった。  私はハッとして、自分の意見を言う前に、もっと夫の両親の気持ちを考えるべきだったし、もっと慎重に言葉を選ぶべきだったと後悔した。  夫の両親は夫を産み、育て、私の何倍も夫と時間を共にしてきたのだ。もし自分の息子が将来、若くして急に死んで、嫁が臓器提供しても良いと言ったら、どんな気がするだろうと思い、申し訳ない気持ちになった。    それでも、私は臓器提供のことを前向きに考えていた。  こんなに夫を失くすのが辛いのだから、他の人だって死にたくない、あるいは家族を失いたくないと思っているに違いない。臓器提供で救えるならいいじゃないかと思った。  それに、夫が救急車で運ばれた時から今まで、どれだけ多くの人が夫を救おうと全力を尽くしてくれたことか。それをこれまで目の当たりにしてきたのだ。  それが彼らの仕事なのだと言われれば、そうなのかも知れない。だが、恐らく夫の脳はとっくに死んでいるのに、ここまで無事に心臓が動き続けているのには、何か意味があるのではないかと思った。  それに、臓器提供をすれば、その時点で死亡した事になる。だが、そうでなければ、人工呼吸器をいつ外すかを決めたり、人工呼吸器を外した後、弱っていく夫を側で見ていなければならないはずだった。  夫の両親が迷っていたら、義弟が言った。 「俺は良いと思うよ。実は、俺は健康保険証の裏の臓器提供の意思を表示する欄に全て提供するように丸を付けてある」 「今の若い人達はこういう事に抵抗ないのかしらね?」  義母がつぶやくように言った。  そして、夫の両親は最終的には妻である私が決断しても良いと言ってくれた。いざと言う時はこんなふうに言ってくれるのが、夫の両親だった。  但し、義母が顔だけは手を付けないで欲しいと言うので、眼球の提供だけはしない事にした。私が義母の立場なら同じ事を言っただろう。    その日の夕方、医師に臓器提供をしたいという意思を告げると、急に動きが慌ただしくなった。  まずは夫の臓器が提供できる状態なのかを詳しく検査されることになり、夫はその検査の為に度々病室から連れて行かれた。  夜遅くなってから医師より説明があり、夫の体は大変良好で、どの臓器も問題なく提供できる状態だと聞かされた。  その日の夜、私は疲れて病室でぐっすりと眠った。    翌朝、息子の幼稚園時代からのママ友が訪ねてきた。  彼女も5年程前に夫を心不全で急に亡くしていた。彼女の夫の死後、彼女の子供達は別の保育園に移ったが、ママ友として交流は続いていた。  夫が病院に運ばれた日の夜、他のママ友たちと一緒に病院に来てくれたり、その後も私に励ましのメールをくれた。彼女は子供達と自分の実家の近くに引っ越していたのだが、彼女の勤めている職場がその大学病院に近い為に、いつでも来られるということだった。 「私に手伝えることがあったら、何でも言ってね」と彼女は言った。  彼女なら、今の私の気持ちを理解してくれているのではないかと、深い親近感が湧いた。    その後、日本臓器移植ネットワークという組織の女性二人が私に会いに来た。いかにもそういった組織に相応しい、丁寧で腰の低い人達だった。私は心配していた事を二人に訊いた。  まず、臓器を取り出してしまうと、自宅に帰ってきた時に、夫がどのような見た目になっているかということだった。葬儀までの間に、息子や訪ねてくれた人達が夫の姿を目にするからだ。夫の両親もそれをとても気にしていた。  二人の説明によると、臓器を取り出しても臓器の上にはそもそも肋骨があるので、お腹の辺りが不自然に凹んで見えたり等の変化はほとんど無いということだった。  そして、臓器を取り出す直前まで、体をなるべく良い状態で保とうとするので、むしろ綺麗な状態で荼毘に付されるのだそうだ。  その他にも、一度、臓器を提供する意思を示しても、この先臓器を取り出す直前まで、いつ気が変わって臓器提供を取りやめても構わないし、提供される相手もその事は承知しているという事だった。私はその説明を聞いて安心した。  だが、一方で、私は少しずつ体調を崩し始めていた。  私は20年近く前からパニック障害を患っていた。その為、強い不安や責任のある立場に立たされると、めまいや吐き気などがして、その場にじっとしていられなくなるのだ。  臓器提供の説明の途中で気分が悪くなり、話を中断してもらって、しばらく待合室のような場所のソファーで横になった。  そして、数時間後にまた続きの説明を聞き、なんとか最後まで聞き終えると、臓器提供に承諾をするサインをした。    その日も親戚や友人などが度々訪れていたが、私はなかなか応対が出来ず、病院のスタッフが来客に対応してくれた。  病院のスタッフの勧めもあり、その夜、私は病院には泊まらず、近くのビジネスホテルに部屋を取った。  ホテルの部屋に入ってからも、臓器移植ネットワークから電話が入ったり、母や義母に状況を伝えるために電話をしたりと忙しく、夜10時過ぎまで夕食をとる時間も無かった。  全く食欲が無かったが、近くのコンビニに行ってカレーを買ってきて食べた。こういう時はカレーがするすると喉を通りやすいことが分かった。    翌朝、チェックアウトして病院に戻ろうとしたが、強い吐き気やめまいに襲われた。  ーーまずい。とうとう始まってしまった……  怒涛のようなパニック発作がついに始まってしまったのだ。こうなってしまうと、もうどうにも体が言うことをきかなかった。  病院に戻らなければと焦れば焦るほど、体が震え、目の前が霞んできた。  泣きながら姉に電話をして、迎えに来てもらうことにした。こうなってしまったら自宅に戻るしかなかった。  病院に電話をすると、夫の容態は安定しているし、その日は病状の説明などの予定は無いから、病院に戻らなくても良いと言ってくれた。    家に帰ると、居間のウォークインクローゼットの隅に、夫の匂いが染み付いたパジャマが転がっていた。  そのパジャマの匂いを嗅いで、涙を流しながら、ソファーでしばらく横になった。  しばらくして、姉に送られて息子が家に戻ってきた。息子は夫が倒れた日からずっと姉夫婦の家に泊まっていたが、私が帰って来てることを連絡したら、家に戻りたいと言ったそうだ。  その夜は久しぶりに息子と一緒に寝た。息子は『やっぱりママと寝るのが良いよ』と言ってしがみついてきた。私は久しぶりに息子の匂いを嗅いで、気分が落ち着いた。やはり、臓器提供をして、少しでも早く家に戻り、息子と一緒に居なければ、と思った。    翌朝、夫の両親と共に病院に行った。その日は1回目の脳死判定が行われる日だった。  脳死判定とは、臓器提供に先立ち、脳波等を検査して、脳が回復不能だと判断されることである。2度の脳死判定をして、完全に脳が死んでいると判断されてから、臓器移植手術が行われる。  脳死判定と同時に、臓器移植ネットワークのほうで、臓器を受け入れる患者とのマッチングも進んでいるようだった。提供する相手についての詳しいことはもちろん知らされないが、何十代の男性か女性かだけは最終的に知る事ができるようだった。  臓器提供が決まった途端、動きが随分と早いように思えるが、いつ夫の容態が急変するか分からないので、早い方が良いに決まっていた。  私の方も臓器提供をする事が決まってしまえば、早く無事に済んで欲しかったし、私と居たがっている息子をこれ以上待たせたくなかったので、着々と事を進めてくれて構わないと関係者達に言ってあった。  最終的に、心臓、肺、左右の肝臓、膵臓、腎臓が移植されることになった。  事前に手渡された資料によると、それぞれの臓器は病院からタクシーで駅に向かい、新幹線で運ばれるか、空港から定期便で運ばれる。だが、心臓だけは救急車で空港まで向かい、チャーター機で運ばれるようだった。それだけ心臓の場合は急を要するのだろう。  ネットで検索してみたら、臓器摘出から移植を完了するのに許される時間は、心臓が4時間、肺が8時間、肝臓が12時間、膵臓や腎臓が24時間だそうだ。そして、他の臓器は心停止していても臓器提供が可能だが、心臓だけはいわゆる脳死状態出ないと提供が出来ないという。  ちなみに、飛行場で心臓が飛び立つところを見送るサービスもあると言われたが、希望しなかった。  2回目の脳死判定は翌日の朝に行われ、完全な脳死状態だと判断されれば、その日のうちに臓器摘出手術が行われる予定になっていた。  その頃になると、私のパニック障害の症状はどんどん悪くなっていた。臓器提供の前の最後の夜を、病室で夫と一緒に過ごすべきだったのかも知れないが、それも出来なかった。  翌日になったが、私は具合が悪くて病院に行くことが出来なかった。  臓器摘出手術に立ち会う事や、多くの人に囲まれる夫の通夜や葬儀の事を考えるだけで、激しいめまいや吐き気がした。それは、パニック障害の症状の一つの予期不安というもので、これから予定している事に不安を感じるだけでパニック発作が現れるというものだった。  臓器摘出手術には夫の両親と私の母、それから義弟夫婦が立ち会ってくれた。それぞれの臓器を摘出する前に、皆が集まっている待合室に、それぞれの臓器を摘出する医師団が次々に現れ、『これから、腎臓を摘出させていただきます。よろしくお願い致します』などと丁寧に挨拶されたそうだ。そして、手術は全て問題なく、滞りなく行われたようだった。  私のパニック障害は30歳頃に始まった。  私は当時、ハローワークの職業訓練を利用してCAD(キャド)を学んでいた。CADとは、コンピューターで建築物等の設計をすることである。私は手に職をつけて就職するために、新しく開講されたばかりのその職業訓練に興味を持ち、学校で学んでいた。  ある日、その授業中に突然、とてつもない寒気がした。そして、目の前が真っ白になり、一瞬、意識を失ってその場に倒れ、胃の中の物を大量に吐いてしまった。  私はすぐにその学校の中にある救護室のベッドに運ばれたが、その後も激しい目眩や吐き気に襲われ、何時間も起き上がることが出来なかった。  翌日、近くのクリニックを受診したが、これといって問題は見つからなかった。医師には『たまたま体調を崩したのでしょう』と言われ、点滴をされただけだった。  その学校を1週間ほど休み、また授業を受け始めた。だが、『また具合が悪くなって、大勢の前で吐いたらどうしよう』と思ったら、本当にまた具合が悪くなり、すぐに帰宅した。  だが、帰宅するとすぐに具合が良くなった。いや、帰宅しようとするだけで具合が良くなった。  それ以来、学校に行くとあっと言う間に具合が悪くなり、帰宅することを繰り返し、その職業訓練は辞めざるを得なかった。  最初は外に出ると具合が悪くなり、自宅に戻ると具合が良くなったので、精神的なものだけが影響しているのだと思っていたが、次第に家にいても具合が悪くなるようになってきた。  ある時は、夕食を食べようとした途端に具合が悪くなり、激しい吐き気に襲われた。またある時は、ベッドに入り寝ようとした時、全身を虫が這うような激しい寒気が襲い、起き上がった途端、目の前が真っ白になって一瞬気を失った。一度具合が悪くなると、何時間も激しい吐き気やめまいに襲われた。  それ以来、不安でほとんど家から出る事が出来なくなった。実際に外出すると、ほぼ毎回具合が悪くなり、すぐに家に戻るということが続いた。  そんな中で、なんとか這うようにして、いくつかの大きな病院に行って診てもらい、MRIやCTなどを撮って多額のお金を支払ったが、原因は分からなかった。当時、パニック障害は今ほど知られてはいなかったせいか、自立神経失調症の類ではないかと言われた。  地獄のような日々が続いたが、数ヶ月経つうち、具合が悪くなる頻度が徐々に少なくなり、少しずつ日常を取り戻していった。  だが、完全にパニック発作が出なくなるわけではなかった。  最初のうちはまだ楽観的に考えていた。一時的なもので、しばらくすればいつの間にか治ってしまうのではないかと考えていた。だが、20年近く経った今も完治していない。     今まで色々な事を諦めてきたし、限られた生活をしてきた。だが、自分はそれほど不幸だとは思っていなかった。実家の飲食店で働き、地元をウロウロして入れば、大きな支障は無く生活することが出来た。そして、何よりも、夫に出会い、幸せな結婚をして、子供にも恵まれたと思っていた。 第3節 葬儀     その翌日、つまり救急搬送されてから5日後に、夫は私が待つ自宅に帰ってきた。  夫の顔はとても穏やかだった。顔色が少し黄色味がかっていたが、人工呼吸器を付けていた時の哀れな顔と比べればずっと良い顔をしていた。病院のスタッフがなるべく生前の夫に近づくよう、時間をかけて顔をマッサージしてくれたそうだ。  通夜と葬式の日取りも決まり、慌ただしく準備が進められていった。  その間にも自宅に次々と訪問客が現れ、夫の顔を見ては泣いて帰って行った。だが、彼等が泣いている姿を見ても、私は涙一つ出なかった。人が亡くなっても、家族は忙しくて悲しんでいる暇もないと聞いていたが、こういう事を言うのだろうと思った。    夫の家は分家で、まだどこのお寺の檀家でもなかった。だが、夫が急に亡くなったことで急にお寺を決めなければいけなくなり、夫の両親は息子が通っていた幼稚園を経営しているお寺にお願いした。夫が救急車で運ばれた時に、『待ち合わせの場所に来ない』と電話をくれたママ友の実家のお寺だ。  そのお寺の人達とは家族ぐるみで仲良くしていたこともあるが、義父の会社がその縁で、そのママ友の家をリフォームさせてもらった事が大きな理由のはずだ。  その日のうちに、そのお寺の僧侶である、そのママ友の夫が葬儀の打ち合わせに来た。そして、そのママ友と3人の子供達も一緒に来た。その夫婦には息子と同級生の男の子の他に、上と下に女の子が一人ずついた。 「お世話になったご主人にお会いしたくて、それから、子供達も一緒に行きたいというので、夫について来てしまいました」  彼女はそう言い、子供達と一緒に夫の顔を見て涙を流していた。    その2日後の通夜の日の昼間、納棺式が行われた。納棺式とは故人を棺に納める為の儀式である。  家に来た納棺師達は、いかにもそれに相応しい物腰が柔らかく控えめな男女2名だった。親族皆んなで立ち会い、一時間程かけてその納棺式は行われた。  まず、白くて大きな布を一枚、夫の体にかけ、直接見えない状態で、夫が着ていた服が全て脱がされ、体全体が清拭され、そして白装束が着せられた。  夫の体が死後硬直をしているにもかかわらず、白い布の下で、丁寧に、かつ手際良く行われるその様は感心するほどだった。顔の黄ばみもメークで自然な顔色に修正された。そして、最後に親族からも清拭するように促された。  まず、私が夫の顔を拭くために近づいて前屈みになった。そして、夫の頬に自分の左手を添えて、濡れたガーゼタオルで夫の顔をそっと拭き始めた。  メークで黄ばみがとれた夫の顔は、まるで息を吹き返したかのように生き生きとして見えた。  私は手が震え、涙が溢れ、思わず夫に頬ずりをして大声で泣いた。夫が亡くなってから初めて大声で泣いた。そして、その場にいる皆んなもそれを見て泣いた。    その日の夕方、通夜が始まる時間が近づくと、私は緊張し始めた。  参列者は皆、若くして急に夫を亡くした私に注目するだろうと思った。それから、喪主の挨拶もしなければいけなかった。パニック障害を患っている私にとって、人々に注目されるのは最も苦手な状況であった。調子が良い時は何でも出来るのだが、一旦具合が悪くなり始めると、ちょっとした事にも反応して体調が悪くなってしまうのだった。  だからといって喪主をしない訳にはいかなかった。そして、不安な気持ちを抱えたまま葬儀場に出向いた。  葬儀場の入り口に立って参列者を迎えたが、皆んながさぞかし心配してくれているだろうと思い、なるべく明るく話しかけた。  お経が始まると、焼香をしに来てくれた人達を見つめた。夫は交友関係が広かったせいか、会場に入りきらない程の人々が参列に来てくれた。  だが、私は少しずつ階段を下りるように、具合が悪くなり始めていた。  お経が終わると、僧侶が神妙な面持ちで言った。 「私にとっても、故人は親しい友人の一人であり、このような形でお経を読ませていただくのは本当に辛い気持ちです……」  その時、私に限界が来た。パニック発作が頂点に達したのだ。  私は母に目配せをした。すると母は驚いた表情をし、もう少し我慢しなさいと言うように何度も首を振ったが、私も『もう駄目だ』というように何度も首を横に振った。  そして、とうとう私は母に抱きかかえられるようにして、大勢の参列者の脇をすり抜けるようにして会場を出た。  ーーついにやってしまった…… 恐れていた事を。皆んながどんなに驚いている事だろう。  私は葬儀場の控え室に連れて行ってもらうと、恥ずかしいやら、申し訳ないやら、情けないやらで涙が溢れた。  喪主の挨拶は、私が予め紙に書いて用意しておいた文章を義弟に代読してもらい、会場へは戻らずに母とタクシーで自宅に帰った。  結局、翌日の葬式にも出ることが出来なかったし、火葬場にも行くことも出来なかった。葬式の日は自宅で一日中横になって泣いていた。  私と夫の出会いは、私が地元の青年会議所に入ったことがきっかけだった。  実家が日本料理店を営んでいることから、ある時、毎年新年会などをしてくれるその青年会議所に誰かが入会しておいた方が良いということになり、当時、独身で暇のある私が入会することになった。  その会員達は男性ばかりで、ほとんどが既婚者だった。私は女性とはすぐに打ち解ける方だが、男性だと何を話したら良いか分からないタイプだった。でも、入会すれば何とかなるだろうと気軽な気持ちだった。だが、いざ男性達の中に入ってみるとどうして良いか分からず、私だけ皆んなから浮いている気がした。  そんな中で私に積極的に話しかけてきてくれて、親切にしてくれたのが、のちに夫となるK男だった。K男は私がその時に配属された委員会の委員長だった。  K男は既婚者だった。そして、当時2歳の子供がいた。  当然、お付き合いするような相手としては見ていなかった。だが、話しやすくて、面白くて、頭が切れるK男に、他の会員達とは違う興味と親近感を抱いていた。    青年会議所に入会してから3ヶ月ほど経った頃、あるイベントに青年会議所が協力することになり、そのイベントの説明会に私とK男の二人で参加した。そして、その帰りに二人でお茶を飲みながら、そのイベントについて話をしていた。  すると突然、「良かったら、またこんなふうに二人で会いたい。付き合って欲しい」とK男が言った。私は驚き、眉をひそめた。  ーー既婚者のくせに、この男はいったい何を言ってるんだろう。私に愛人になれと言っているのか。こんな人だとは思わなかった。そもそも青年会議所というのはそういう人達の集まりなのか……  私は訳が分からず、眉をひそめたまま、しばらく黙り込んでいた。  すると、K男は焦った顔をして言った。 「ああ、ごめんなさい。突然変なことを言って…… 実は、誰にも言ってなかったんだけど、俺は離婚してバツイチなんですよ。それを先に言わなきゃいけませんでした。あなたみたいなに人に二度と出会わないんじゃないかと思って、思わず言っちゃいました」  それで納得した。それまでにも『ひょっとして私に気があるのかも』と思うこと何度かあったのだが、そういう事だったのかと思った。  そして、お付き合いが始まった。もちろん、周囲には黙っていた。  後にK男から聞いたが、私と二人きりになるために私をそのイベントの担当にして、二人でその会議に出席したそうだ。    付き合い始めて3ヶ月後にはK男に結婚しようと言われた。  正直、嬉しいとは思わなかった。むしろ困惑した。まだ付き合い始めたばかりだったし、K男は離婚したばかりのはずだった。もっと様子を見る時間が欲しかった。  K男は私が二つ返事で承諾するものだと思っていたのか、返事を訊きもしなかった。『責任をとってちゃんと結婚するからね』という口調だった。  私は数日間、困惑していたが思い直した。  K男はバツイチだったが、魅力的で、会っていると毎日楽しかった。34歳の私にこれ以上の贅沢があるのだろうかと思った。  そもそも、結婚なんてものは勢いが必要であって、考え過ぎると永遠に出来ないものなのではないか。まだ早いからもう少し待ってくれなどと言っていたら、お互いの気持ちがいつすれ違うか分からない。相手がその気になってくれているのであれば、思い切って結婚したほうが良いのではないか、そんなふうに考えた。  それに、今までお付き合いはしたことがあっても、結婚まで話が進んだことが無かったので、積極的で強引なK男の気持ちが嬉しかった。  前妻との離婚原因については、性格の不一致や、前妻が口うるさい事や、K男の両親と仲良くしてくれなかった事などを挙げていたが、私は深く追及しなかった。あまり触れてはいけない事なのだと思っていた。私はプロポーズをされてただただ浮かれていた。  私達は出会ってから約一年後にスピード結婚をした。  周りはK男が離婚していたことすら知らなかった人が多く、驚いていたようだった。私の両親や姉はK男がバツイチである事が気にならないわけではなかったようだが、30過ぎの娘なのだから、贅沢は言ってられないし、もう自分の責任で結婚すれば良いと思ってくれたようだった。    結婚生活は幸せだったと思う。  最初は六畳二間の古いアパートに住んでいた。夫は前妻との間の子供の養育費を払っていたが、二人で働いていればお金には困らなかった。私達の間に子供はなかなか出来なかったが、その代わりに自由で楽しい時間がたくさんあった。  その頃の夫との楽しい思い出を挙げたらキリがない。結婚当初は、ほとんどテレビを点ける必要がないほど二人であれこれ語り合った。夫と会話をするのが楽しくて仕方がなかった。  夫は美味しいものや雑貨が好きで、週末になるとよく二人で買い物に出かけた。夫は特に食べる事が大好きで、太り気味でもあったのだが、お気に入りの韓国料理店やタイ料理店に行き、二人でお酒を飲み、近くのビジネスホテルに泊まったりすることもあった。  夫は東京に行くのも好きで、半年に一度は二人で東京に遊びにも出掛け、美味しいものを食べたり、買い物を楽しんだ。  美味しい物を食べた時の、『うーん』と言って目をつぶる夫は、本当に幸せそうだった。  お互いに全く不満が無いわけではなかったと思う。時々、喧嘩もした。だが、喧嘩を長く続けることもなく、必ずその日のうちに仲直りをしていた。周囲からは『いつまでも新婚みたいに仲が良いね』と言われていた。    夫の全くイケメンではないし、背が低くて、ポッチャリしていた。だが、頭が切れて、頼り甲斐があって、器用で、知識も豊富で、アイデアがあって、行動力があって、そして面白い夫は私の自慢だった。  夫は青年会議所の活動を驚くほど精力的にこなしていた。夫はテレビのスーパー戦隊風の地元ヒーローを企画し、ヒーローが身に付けるマスクなどを手作りしたり、ショーのシナリオを作ったり、音楽や音声を編集したりと、ヒーローショーを精力的に行なっていた。その他にも、灯りをテーマにしたイベントを企画運営し、そのイベントは年々盛り上がりを見せ、各団体や、地元の商工会議所とも連携して地元の一大イベントとなっていた。    私達は不妊治療を5年ほど続けたのち、やっと男の子を授かった。  夫は『子供は無理に要らないよ。二人で仲良く暮らしていければそれで良い』と言ってくれていたが、やれる事を全てやった上で諦めようと思っていた私を理解してくれ、色々と協力してくれた。  子供が産まれると、一軒家を建て、移り住んだ。  その数年前までは、子供を授かることや一軒家に住むことはおろか、結婚をするかどうかも分からない状態だった私は、全部夢が叶って幸せだった。  息子が幼稚園に入ると、同じクラスのママ達と仲良くなった。晩婚で、しかも何年も子供が出来なかった私は、他のママ達よりもずいぶん年上だったが、仲良くなれてとても嬉しかった。  私はママ友達やその子供達を我が家にしょっちゅう招いた。次第にパパ達も仲良くなり、皆んなでバーベキューをしたり、集まって飲んだりした。とても幸せな幼稚園生活だった。  しだいに夫とは、最初の頃のような恋愛感情は薄れ、なんでも夫を頼って、夫に相談してばかりの時期は終わり、私は私自信が興味のある事に時間を使うことが増えていた。  でも、長年夫婦をやっていればそういう時期が来るのは当然の事で、お互いの趣味や時間を尊重できれば良いと思っていたし、夫のことは相変わらず人間として、パートナーとして大好きだった。  息子が大きくなって家を出て、二人きりになれば、また関係が変化したり、恋愛感情を超えた人間同士の、あるいは夫婦の絆のようなものが築かれるものだと思っていた。よくある老夫婦のように、寄り添って歩いたり、一緒に旅行などに行くのを楽しみにしていた。  夫が急死してからの出来事は、まるで悪い夢を見ているようだった。  ーーやはり、私は何かバチが当たるような事をしたのだろうか……    だが、バチが当たるような事をしていたのは夫のほうだった。 第2章 発覚 第1節 手紙  夫が死んでから3週間ほどが過ぎた。  私はまだ仕事を休んで毎日家にいた。時折、夫の死を知った人が香典を持って訪れたりしていた。  何かしていないと落ち着かない気持ちだったので、夫のパソコンが置いてあるデスクの周りを整理していると、ある引出しから小さな封筒に入った手紙を見つけた。  それを読んで、私は驚愕した。  K男へ  いつもお仕事頑張ってるK男。  あなたの体が心配だわ。  いつもそばに居てあげられなくてごめんね。  耳かきしてあげられなくてごめんね。  離れていても、いつもあなたの事を思ってるわ。  会えなくても我慢するけど、どうしても会いたくなったら会いに行くわ。  ヤックルに乗って……    ーーこれは一体なんなのだろう……   名前は書かれていない。この内容からして特別は関係に間違いなかった。  生々しい内容に心臓がドキドキした。夫は耳かきをしてもらうのが大好きだったからだ。  その時、ハッとした。  ーーこの内容。そして、このディズニーのリトルマーメイドの便箋。この字も何だか見覚えがあるような……  その時、ある女性の顔が頭に浮かんだ。  それは、息子の幼稚園時代からのママ友で、5年程前に夫を亡くしたA子の顔だった。夫が運ばれた病院に度々訪れ、私を励ましてくれたり、励ましのメールを送ってくれたあのママ友だ。  ーーそういえば! 年賀状!  震える手でもらった年賀状の束をめくると、A子からのそれがあった。  宛名の所に夫と私と息子の名が並んでいて、『K男様』の字と手紙の字がそっくりだった。  ーー彼女に間違いない! やっぱり彼女なのだ!  それにしても、『ヤックル』とはいったい何だろうと思い、ネットで検索してみた。『ヤックル』とは、ジブリ映画『もののけ姫』に登場する、主人公のアシタカという青年が乗っているカモシカのような動物の名前だった。  心臓がドキドキし、体が震え、涙が溢れ、どうしたら良いかわからなくなった。    そうこうしているうちに、児童館に行っている息子を迎えに行かなければならない時間になった。  わけが分からないまま、児童館に向かった。車のハンドルを握る手が震え、涙で前が見えなくなりそうだった。  児童館で会ったママ友に色々話しかけられたが、うわの空でまともに返事が出来なかった。そのママ友は少し怪訝な顔をしていたが、それどころではなかった。何も出来そうになかったので、息子の夕飯用にマクドナルドを買って帰った。  家に帰ると、息子は大喜びでマクドナルドを食べていたが、私は体の震えが止まらず、涙が出そうになり、それを息子に気取られまいと必死だった。  いてもたっても居られず、A子にラインメールで訊いてみることにした。  ーーA子じゃないかも知れない。何かの勘違いかも知れない。あるいはA子だとしても、何かのおふざけか、彼女の妄想とか……   そうであって欲しいと、祈るような気持ちだった。  私はまず、その手紙を画像で撮り、A子に送ってからメールをした。 「この手紙を書いたのはあなたですか?」  すぐに既読になったが、しばらく返事が来なかった。そして15分後に返事が来た。 「N子さん、私が書きました。」  ーーやっぱりそうなのか……  絶望的な気持ちになった。 「いつからですか?」 「子供達が幼稚園の年中組の秋頃から、私が地元に引っ越したあたりまでです。」  めまいがした。子供達が年中組の秋頃といったら4年程前だ。そんなに前からそんな事があったとは、全く気が付いていなかった。 「詳しい話を聞きたいので、明日そっちに行っても良いですか?」 「明日は仕事がお休みなので、私がそちらに行きます」  翌日、A子がこちらに来る事になった。  もう何も考えられなかった。とにかく明日、A子から話を聞くしかないと思った。  その夜はやはり眠れなかった。  ーー神様は私から夫との思い出までも奪うつもりなのか。これは何かの罰なのだろうか……    よく眠れないまま翌朝を迎えた。  A子は午後から来る事になっていたが、相変わらず食欲は無いし、体調も悪いので、午前中はベットに横になって過ごした。  午後になると、A子がよく見慣れた車に乗って家にやって来た。彼女が車から降りる姿を窓から見ているだけで、涙が溢れて前が見えなくなった。  私は玄関でA子を「どうぞ」と言って招き入れた。やっと絞り出した一言だった。  リビングルームに案内して、丸い座卓に彼女と向かい合わせに座った。    今まで、どれだけこの丸いテーブルを囲んで、A子を含むママ達と一緒におしゃべりを楽しんだだろう。この同じテーブルでこんな話をしようとは夢にも思わなかった。  私はジーパンにTシャツで、ノーメイクで、おまけに何度も涙を流して目を腫らしていた。だが、A子はバッチリメークで、きれいなワンピースを着て、とても生き生きとしているように見えた。  私はしばらく涙が止まらず、彼女の前でおいおいと泣いていた。彼女は小さな声で何度か『ごめんね』と言いながら、私が泣き終わるのを待っていた。私は泣き終わると口を開いた。 「こんな事が分かった以上、訳が分からずモヤモヤした気持ちではいられない。正直に洗いざらい話してもらいたい。全部真実が知りたい」 「分かった。全部正直に話すね。何でも訊いて」  A子は落ち着いた様子で言った。    A子の話によれば、子供達が年中組の秋頃、我が家で夫と度々顔を合わせるようになってから、夫のことが気になり始めたという。それは約4年前のことで、A子の夫が亡くなってから一年も経っていなかったはずだ。A子の夫はその前の年の冬に亡くなっていた。  A子の夫が亡くなった後、彼女の子供二人は同じ市内の別の保育園に移った。ひとり親世帯の場合、幼稚園より保育園の方が時間的にも金銭的にも都合が良いからだ。  そしてしばらくの間、何となくママ友達で集まらずにいた。だが、半年ほど経ってから、ある事でまた我が家で集まるようになっていた。  きっかけを作ったのは夫だった。夫から、青年会議所の灯りのイベントで飾る灯りをママ達で手作りするように提案されたのである。  ママ友達に話をしたら、面白そうだと快諾してくれた。私も、皆んなと作品を作ることは面白そうだと思った。そして、それと同時にA子のことが頭に浮かんでいた。  当時、A子は自分の夫が亡くなった事で、私を含むママ友達と集まることを遠慮しているように見えた。でも、A子もこの集まりに誘い、皆んなで作品作りに没頭すれば、自然に楽しくやれるのではないかと思ったのだ。  だが、結局はそれが仇となってしまった。    通常、平日の昼間に家でママ友達が集まっても、彼女達がその家の主人と顔を合わせることはあまり無いだろう。主人は仕事で外に出ている場合が多いからだ。だが、私の夫は違った。  夫の父親は自営で塗装業をやっていて、夫も一緒に働いていた。主な仕事はもちろん塗装をすることだった。  だが、夫は美術大学を出ていて、看板などのデザイン頼まれるとパソコンを使って自己流でデザインをしていた。そのデザインが好評で、数年前から、看板に限らず、会社のパンフレットやイベントのチラシなど、様々なデザインの仕事を請け負っていた。そのため、自宅のパソコンで作業をすることも多く、比較的家にいることが多くなっていたのだ。  夫は元々、女性達とすぐに仲良くなるタイプだった。ママ友達が我が家で作業をしている間も、灯り作りについてアドバイスをしたり、一緒におしゃべりをしたりしていた。    そうして、夫と顔を合わせるようになり、夫の事が気になり始めたA子は、夫が青年会議所での活動を載せるためにフェイスブックをしていることを知り、フェイスブックの機能を使って、夫に個人的にメッセージを送るようになったそうだ。  そして、私も二人がフェイスブックでやり取りをしている事を知っていたが、夫が他にもたくさんの人と繋がっていたので特に気にしていなかった。  そしてA子はある日、「あなたの事が気になって仕方がないのですが…」というメッセージを夫に送ったそうだ。  夫からはしばらく返事が無かったそうだ。だが、数日後、「絶対に妻にも周りにもバレないようにするという条件なら付き合っても良い」という返事が返ってきたそうだ。  ーー頻繁に会っているママ友の夫を誘うとは、一体どういうつもりなのだろう。  夫もしばらくの間、迷ってはいたが、結局、誘惑に勝てなかったという事なのか。  信じられない気持ちだった。  そして、どのような付き合いをしていたのか尋ねた。 「月に1、2回位かな。子供達が寝た後で、ご主人に家に来てもらって…… 一緒にお酒を飲んだりとか…… 」  わざわざ訊くまでもなかったが、肉体関係があった事は言うまでもないだろう。  A子によれば、夫からA子に連絡が来ることはほとんど無く、いつもA子から会いたいと誘って、会っていたという。  そんな関係が1年ほど続いたが、A子に他に好きな人が出来たという。それからは夫とは男友達となり、今度は、新しく好きになった人の相談を夫にしていたのだそうだ。   ーーはぁ⁉︎   急に馬鹿馬鹿しくなった。  ーー目の前にいる友人の夫に手を出しておいて! 一年後に別に好きな人が出来たから、今度は男友達として夫には相談相手になってもらってた⁉︎ いったい何なんだこの女は! 頭がおかしいのか……   夫も夫だ。妻を裏切った上に、関係を持っていた女の次の恋愛の相談に乗っていたのだ。A子を都合の良いセックスフレンドだと割り切っていたとしても、馬鹿じゃないのかと思った。    最後に夫に会ったのはいつだったか訊いた。  それは一ヶ月程前で、A子が見たいテレビ番組があって録画したかったのだが、テレビとレコーダーが上手く接続出来なかったので、夫に家に来て接続をしてもらったそうだ。  ーーはぁ⁉︎ そんな事で人の夫をわざわざ呼ぶなよ!  我が家からA子の家までは車で一時間半はかかる距離だった。次に付き合っている男になぜ頼まなかったのだろうかと思った。どうせまた不倫でもしていて、気軽に頼めないような関係だったんじゃないだろうか。  そんな所まで夫がわざわざ行って、テレビの接続だけで済んだはずはないと思った。その後、お楽しみの時間があったはずだ。 「旦那さんと内緒で連絡取っててごめんね。旦那さんは私の事、可哀想だと思ってただけかもね。私もN子さんの事が羨ましかったのかも知れない」  ーー何なんだ! A子も夫も! 馬鹿じゃないのか!  呆気にとられていた。力が抜けて、もう何も言う気が無くなった。    何も言わなくなった私の態度を見て、A子は自分が許されたと思ったのか、態度を変え始めた。 「そういえば、夫が無くなると色々と大変でしょ?役所の手続きとか。何か分からない事があったら、私に何でも聞いて。私に出来る事があれば何でもするから……」  ーーこの女は何を言っているんだろう! 人に何かして欲しい事があったとしても、お前にだけは絶対に頼まない!  共に夫を亡くした者同志、あるいは同じ男を愛した者同士、気持ちが通っているとでも思ったのだろうか。ある国の国王の第一夫人と第二夫人の和解の場面でもあるまいし…… と思った。 「もう分かったから、帰っても良いよ。もう会う事は無いと思うけど、じゃあね」  A子がなかなか帰る様子がないので、私はうんざりして言った。 「えっ⁉︎ あっ、そうか。そうだよね……」とA子は意外そうな顔をした。  ーーはぁ⁉︎ 今まで通り友達でいられるとでも思っていたのか! 普通にママ友達とこれからも集まるつもりでいたのか!  あまりに呆れて、何も言い返さなかった。    最後に夫にお線香をあげてから帰りたいと言うので、もうどうでもいいやという気持ちになり、A子を祭壇に案内した。  チーンと、彼女が鈴を鳴らす音が響いた。  葬儀場に飾った数枚の家族写真がそのままその部屋に飾ってあり、その写真を見て彼女が言った。 「この写真、お葬式の時に見たけど、本当に良い写真だよね! 素敵なご家族だったよ!」  ーーその思い出も全てそれをぶち壊したのは、お前だろ! 「二人で旦那さんの分まで長生きしようね。旦那さんは本当に素敵な人だったよね。イベントを色々やったりして、たくさんの人を幸せにしたよね」  A子は振り返って私に言った。  ーーお前のことも、さぞかし幸せにしたんだろうね!  そう言い返してやりたかったが、言わなかった。  玄関のところで、A子は私に「最後にハグして良い?」と言った。  馬鹿馬鹿しくて話にならなかった。 「それは、ちょっと……」と言ったが、 「お願い!」と言って、それでもA子は手を広げてきた。 「本当に嫌だから……」  ーー本物の馬鹿なのだろうか… ハグをしたら友達に戻れるとでも思っているのか。  A子は口を少し尖らせて、肩をすくめるような仕草をした。  そして、「じゃあね!」と言って、キラキラした笑顔を見せて帰って行った。   私はしばらくベッドに入って寝込んでしまった。 第2節 ディズニーリゾート  私は数時間後にベッドから起き上がったが、それからどんどん怒りが湧いてきて、その日の夜も寝られなかった。  時計を見ると午前3時だった。A子はあの様子では、全て話した事で罪悪感も無くなり、スッキリしてすやすやと子供達と一緒に寝ているのだろうと思った。  そう思うと、あまりの怒りに我慢出来なくなって、彼女にラインメールをした。 私:「A子さん、あれからもずっと苦しくて苦しくて、眠れません。この4年間、あの時も、あの時も、夫とあなたに騙されていたのかと思うと苦しくて苦しくて仕方がないです。それなのに、あなたはもう過去の終わった出来事のようにあっけらかんとしているように見えました」 私:「最後には、『私に出来る事があれば何でもするから』とか、『二人で旦那さんの分まで長生きしようね』とか、『最後にハグしていい?』とか言って、笑顔でバイバイして帰りましたよね。私は途中から呆気にとられていました。あなたは私に話すことで、私に対する罪悪感から逃れられたのでしょうが、私はこれから何年先も地獄です」 私:「今、あなたがお付き合いしている人がもし不倫ならもうやめてください。もう人を苦しめるのはやめてください。あなたの子供達のことを考えてください。子供達は親が思う以上に色々な事を感じ取っているはずです」 私:「あなたの亡くなった旦那さんとの思い出は素晴らしいものでしたか?私にはもう、そんなものはありません。それとも、私からそれを奪う事がお望みでしたか?そうだとしたら、成功しましたね」 私:「夫との結婚生活はそれほど長くなかったけど、私にたくさんの幸せをくれた事を胸に抱いて、これから前向きに生きていこうと、気持ちを切り替え始めていたところでしたが、それも奪われました。この苦しみがいつまで続くのか、終わる時が来るのか、それまで精神がもつのか、息子に何かしらの影響がでないのか、検討もつきません」  A子が気が付くように数回に分けてラインメールを入れた。  しばらくして、彼女から返事が来た。 「主人と死別して、今でも悲しみは消えません。学校や保育園の行事があるたび、どうしてここに主人がいないのか、いつも涙がでます。この姿をみせてあげられることはないのかと。私も苦しいです。あなたに話す事で罪悪感から逃れたなんて思ってない!」  ーーはぁ⁉︎ 何言ってんの⁉︎ 自分の事⁉︎ 真剣に謝る気無いの⁉︎ 私:「でも、少なくともあなたには、旦那さんとの素敵な思い出があるでしょう⁉︎ 私は完全に奪われましたよ!」 A子:「あなたにだって素敵な思い出あるじゃないですか! ◯◯◯◯さん」  ーー何を言ってるのか、この女は! フルネームで私の名前を言って、『あなたはK男の正妻でしょ』とでも言いたいのだろうか。その思い出も何もかもをめちゃくちゃにしたくせに! 私:「もう今までの思い出を前と同じ気持ちで思い出す事はできません。あなたは亡くなったご主人に浮気をされた事がありましたか?私の気持ちが分かりますか?あなたがどんなに学校の行事などで辛い思いをしても、旦那さんとの良い思い出がありますよね?」 A子:「二人の歴史、子供と言う最高の宝物。それは偽りない素晴らしいものです!」  ーーふざけるな! お前に言われたくない! 私:「本当に今まではそう思っていました。でも騙されている期間があまりにも長すぎて、あなたと夫のことを見ていた期間があまりも長すぎて、思い起こすと心当たりが多すぎて、とても受け入れる事が出来ません。あなたはそれほど長い期間、ご主人と親しい友人に騙されていた事がありますか?」 私:「私も学校の行事などで苦しいとか、ふざけないでください! だから何をしても許されるのですか⁉︎ あなたは自分のことばかりですね!」 A子:「私の事は許さなくても、旦那さんの事は許してあげて下さい。あなたの旦那さんはあなたが思っている通りの素晴らしい方です」  ーーお前なんかにそんな事言われたくない! 何が許してあげてくれなんだ! 何が素晴らしい方なんだ! ふざけるな!  怒りが爆発しそうだった。私は震える手で精一杯のメールをした。 「あなたは、ご主人が亡くなってから一年もしないうちに私の夫を誘惑し、ご主人と思い出が詰まっているはずの家に、子供達が居るにもかかわらず、私の夫を引き入れて関係を持った! ご主人を裏切り、子供達も裏切り、私を裏切り、幼稚園の仲間達も欺いていた!」 「そのあなたが、学校や幼稚園の行事で悲しいとか、子供達の姿を見せてあげられないとか、そんな事を言うとは、とても理解出来ません! あなたの不倫まみれの今の姿を、ご主人が見てどう思いますかね? あなたに『旦那さんのことは許してあげてくれ』とか、『素晴らしい人だった』とか、言われたくありません! 今は夫に対して何の感情も持てません!」  そのあとA子から返事は返って来なかった。    私はその後、何日も苦しみ続けた。毎日眠れず、食欲も無かった。  度々パニック発作にも襲われた。それまで、パニック発作の頓服薬を年に数回飲むことはあったが、その頃には毎朝毎晩飲むようになっていた。  夫とA子が付き合い始めた頃からの様々な出来事を色々と思い出した。    灯りを作って飾った秋のイベントが終わり、我が家で皆んなで集まって打ち上げをした時だった。A子が暑いと行って薄着になったり、髪をかきあげたりしては、夫に楽しそうに話しかけ、夫もデレデレしていた。A子はけっして美人というわけではないが、セクシーなタイプだった。あの頃からすでに、夫へのアプローチは始まっていたのかも知れない。    その年の冬のある日曜日、私の仕事中にA子からラインメールが来た。 「事情があって、N子さんが居ない時に申し訳ないですが、子供達とお宅にお邪魔して、遊ばせてもらっています」  その数時間後にまたメールが来た。 「勝手にお邪魔して申し訳ありませんでしたが、今、帰るところです。ありがとうございました」  どうしたんだろうと思い、仕事を終えて家に帰ってから、夫に尋ねた。  夫によれば、夫が息子と近所の本屋に行くと、A子が子供達とそこに居たそうだ。  A子はその本屋の向かいにあるガソリンスタンドでタイヤ交換をしてもらっているが、タイヤ交換が急な雪で混んでいて、かなり時間がかかりそうなので、その本屋で時間を潰していたという。彼女の下の子供はその時2歳でくらいで、店内をチョロチョロと走り回っていて、時間を持て余して、とても困っている様子だったそうだ。  そこで夫が「良かったら、家で一緒に子供達を遊ばせますか?うちの子も喜ぶから」と声をかけたという。  私はそれを聞いて簡単に納得してしまったのだ。二人を信用しきっていたし、A子は夫を亡くして、親兄弟も近くに居ないのだから、色々と大変なのだろうと思った。  だが、その頃二人は既に関係を持っていたはずだ。  A子が『タイヤ交換をしている間、時間を持て余して困るから、車で迎えに来てもらいたい』と夫に言ったのか、そもそもタイヤ交換の話さえ嘘なのか、今となっては分かりようもない。  どちらにしろ、二人を信じ切って、A子の心配までしている私を、二人で口裏を合わせてラインメールまで入れて、完全に騙していた。    A子はディスニーリゾート好きだった。A子は夫を亡くした後、「子供達と気晴らしにディズニーリゾートに行ったらハマった」と言って、子供達を連れて、年に4、5回は行っていた。  夫もディズニーリゾートが好きで、二人はディズニーリゾートの話でよく盛り上がっていたようだった。  夫が行きたがるので、私達家族も年に1、2度はディズニーリゾートに行っていた。だが、私は人混みに入るとパニック発作が出てしまうので、いつもディズニーリゾートには入場せずに、隣のショッピングセンターで時間を潰していた。  私は夫と息子が楽しんでくれればそれで満足だったし、夫もそれを理解してくれているはずだった。  ある日、私と母と姉の三人で東京に行く用事ができた。だが、私はパニック障害のせいで、かなり前から電車に乗ることが出来なかった。そこで、夫に車を運転してもらって東京に行こうということになった。  夫がいつもディズニーリゾートに行きたがっているのを母も姉も知っていた。だから、夫と息子も一緒に連れて行って、自分達が用事を足している間に、夫達はディスニーリゾートに遊びに行ってもらおうということになった。  夫に運転してもらう代わりに、往復の交通費、宿泊費、食事代、それにディズニーリゾートの入場料やお小遣いまで母が奢るという話に、夫は大喜びした。  東京に行く数日前になると、夫が私に言った。 「今日、フェイスブックを見たら、俺達がディズニーに行く日に、偶然A子さんも子供達とディズニーに行くという投稿をしてたんだよ。だから、『俺達もその日にディズニーに行くよ』とメッセージを送ったんだよ。そしたら、A子さんが『一日目にディズニーシーに行って、二日目にディズニーランドに行く』って。でも、俺らはその一日目にディズニーランドのほうに行くから、偶然会うことも無いみたいだけど」と言った。 「へぇー、そうなんだ」と私は特に気にしなかった。  その当日、予定通り夫の運転する車で東京に着くと、私と母と姉は東京での用事に向かい、夫と息子はディズニーリゾートに向かった。そして、夕方になり、母と姉とは、当時大学に通っていた姉の息子のアパートに泊まらせてもらうことになっていたので別れた。  私が宿泊先のホテルで夫と息子の帰りを待っていると、11時過ぎになってやっと帰ってきた。 私:「ずいぶん遅かったね」 夫:「やっぱり、ディズニーランドでA子さん達に偶然会って、子供達が大喜びしてたし、一緒に回ろうという事になったよ。それでずっと一緒にいて、夕飯も近くの焼肉屋で一緒に食べて遅くなった」 私:「でも、A子さん、今日はディズニーシーに行ったんじゃなかったの?」 夫:「元々はディズニーシーに行く予定だったらしいんだけど、ネットで混雑予定を見たらディズニーシーがあまりにも混みそうだったから、急遽、ディズニーランドの方に変更したんだって。ディズニーシーには明日、行くそうだよ」 私:「そう。子供達が一緒に遊べて良かったんじゃない?」 夫:「うん。それに親の方も一人より二人だと何かと楽だったよ」  私はなんと間抜けだったのだろう。私自身がなかなか夫達と一緒にディズニーリゾートに入れないから、大勢でわいわいと楽しんで来てくれたことを、むしろ有難いと思っていたのだ。  そして、夫もA子もなんと小賢しいのだろう。二人は最初から一緒に行動するつもりだったのだ。  夫はあの日の朝、私と母と姉を車に乗せて東京まで行き、私達を降ろした後、ディズニーリゾートで不倫相手とその子供達と合流して、母からもらったお金で皆で焼肉を食べ、その夜は私とホテルに泊まり、次の日は母と姉とまた合流して、東京で買い物をしたり母に食事などを奢ってもらって、それから帰ってきたのだ。  夫はなんという神経の持ち主なのだろう。怖いもの知らずにも程がある。  たしかに、あのあと母が「K男さんに『ディズニーリゾートで使って』と2万円も渡したはずなのに、私達にディズニーのお土産を一つも買ってきてくれなかったよね」と言っていたことを思い出した。  それは、夫が亡くなる約1ヶ月前のゴールデンウィーク中の出来事だった。  夫はローカルヒーローの企画運営をしており、近くの地場産センターから依頼で、毎年のゴールデンウィークにはそこでヒーローショー行っていた。私は飲食店での仕事が忙しくて休みが取れないので、夫は毎年、息子を連れてそのヒーローショーを運営しに行っていた。  ステージが終わると、その地場産センターで焼肉用の肉をたくさん買って帰り、我が家の前で打ち上げと称して皆んなでバーベキューをするのが毎年の恒例行事だった。  そして、そのヒーローショーを、A子が子供達を連れて毎年見に来ていた事は夫から聞いていた。  その日、私が仕事を終えて家に帰ると、みんながバーベキューをしている中にA子とその子供達の姿があった。 「あれ、来てたの?」  A子に声をかけた。 「今年もヒーローショー見に来てたんだけど、子供達が喜んで一緒に遊び始めちゃって。そしたら、ご主人が『これからバーベキューやるから一緒にどう?』って誘ってくれたから、来ちゃった」  私はそれを聞いて納得し、そのままバーベキューに加わった。  いつも胸元の開いた服を着ているA子は、途中で寒くなったのか、夫のスウェットパーカーを借りて堂々と羽織っていたが、私はそれを見ても何とも思わなかった。  その後、バーベキューが終わって皆が帰ったが、A子だけ帰らず、「子供達が楽しそうで、なかなか帰りたがらないね」などと言って、我が家のリビングルームに1時間ほど残っていた。  何も知らない私は、繁忙期の仕事でかなり疲れてはいたが、A子にお茶を出したりして、おしゃべりをした。その時、その空間に私と夫とA子の3人でいたわけだが、夫もA子もどのような気持ちでいたのだろうと思った。  夫の無神経さにも腹が立ったが、A子は私に対して何の遠慮も無く、常に堂々としていた。なんと図々しい女なのだろうと思うと、怒りで頭がどうにかなりそうだった。    A子は夫の通夜にも、そして翌日の告別式にも子供達を連れて現れた。  親族でもないのに通夜にも告別式にも参列する人はまれで、しかも子連れで来ていたので目立っていたらしく、後で母や姉にも、そして夫の両親にもどういう人なのかと訊かれた。  その時は、二日も続けて参列してくれて有り難いと思ったが、今になってみると、図々しすぎるA子の振る舞いに怒りが込み上げてきた。    それにしても、夫がA子の家に行っていたのを、誰も見ていなかったのだろうかと思った。小さな町だし、A子の家の辺りには夫の知り合いが何人も住んでいたのだ。  ーー私の耳には入っていなかったが、本当は周りの皆が知っていて、皆が私を憐れんだり、笑ったりしていたのではないだろうか……  そんな風に考えると、絶望的な気持ちになり、地元に住んでいるのも嫌で、すぐにでも引っ越したい気分だった。 第3節 ヌード写真  夫とA子の不倫の事は、母や姉にも、そして夫の両親にもしばらく話さなかった。夫が亡くなったばかりなのに、さらに皆んなに辛い思いをさせたくなかったし、私自身も話す気になれなかった。  だが、しばらくしたら夫の両親に話す気になった。   夫が死んでも、飲食店で働いている私が週末に仕事を休むわけにはいかなかったので、毎週末は夫の両親に息子の面倒を見てもらっていた。夫の両親も孫に会うのを楽しみにしてくれていたようだった。  ある週末に仕事をしていると、義母から電話がかかってきた。 「いつもお父さん(義父)が○○ちゃん(息子)を家に送り届けてるんだけど、今日はもう、夕飯を食べながらお酒を飲んじゃったから、送れなくなっちゃったのよ。ごめんなさいね」 「大丈夫です。もうすぐ仕事が終わるので迎えに行きます。」 「あら、そう?悪いわね。急がなくて大丈夫だから。ゆっくり迎えに来て」  私はすぐに帰ろうとしたが、母と姉に仕事の事で話しかけられ、少し時間が経った。  その後、夫の両親のところへ息子を迎えに行くために車を走らせていた。  すると、私のスマホが鳴った。表示を見ると義父からだった。運転中なので電話に出られなかった。一旦着信音が鳴り終わったが、またすぐに鳴り始めた。また義父からだった。  義父は電話に出ないと何度も立て続けに電話をかけて来て、『なんですぐに電話に出ないんだ!』と言うタイプだった。すぐに車を停めて電話に出た。  すると、義父はいきなり怒鳴り出した。 「おい! いったい何をやってるんだ!」 「えっ⁉︎ 何ですか?」 「だから! 何をやってるんだ! 子供が待ってるんだぞ! すぐに迎えに来ると言っておいて、何をやってるんだ!」  義父は気が短く、やれと言ったらすぐにやらないと何度でも言ってくる気質だった。  けっして悪い人ではなかった。それは今までの付き合いでよく分かっていた。だが、とにかくせっかちで待てないタイプだった。酒癖が悪いというほどではないが、お酒が入るとさらに気性が荒々しくなった。  今までも、義父にカチンと来る事は何度かあったが飲み込んでいた。今までは夫も居たし、私よりも夫に言ってくることがほとんどだったからだ。それに、義父には息子の面倒を見てもらったりと、色々とお世話になっていた。  だが、今回ばかりは許せなかった。いや、これからはこんな事はに許せないと思った。  夫がもう居ないのだから、これから夫の両親のことは私一人で受けなければならないのに、こんな事をちょくちょく言われては堪らない。  それに、夫に裏切られていたのに、その親からもこんな仕打ちを受けなくてはいけないのか。私はそういう心の狭い人間なのだ。  「子供が待ってるんだから、何やってるんだ!」  迎えに行くと、義父がもう一度言ったので、さらに腹がたったが、歯を食いしばって『遅くなってすみませんでした』と頭を下げ、そそくさと息子を引き取って帰った。義母は申し訳なさそうな顔をしていた。    その時はなんとか堪えたが、後日、機会を見計らって、夫の両親に夫がA子と不倫していたことを打ち明けた。  夫がした事なので、夫の両親を責めたかったわけではなかった。それ知って、少しは悪いと思ってもらって、嫌な事をあまり言わないようにしてくれればそれで良かった。だから軽く明るい感じで話した。 「不倫なんかしていたんですよ。しょうがない人ですよね、K男さんは」  夫の両親は、私が話している様子を見て、それほど深刻ではないと感じたのか、あまり重く受け止めなかったようだ。 「K男は昔からそういう所があったのよね。付き合っている人がいるにもかかわらず、誰かに言い寄られるとそっちの方へ行くっていうのか……」と義母は言った。 「K男は俺に似てなかなかモテるんだ。どんな女だって」と義父は聞いた。 「お通夜と告別式と両方に子連れで来てて……」 「ああ、あの女か。そんなにいい女じゃなかったけどねぇ」  義父が言った。 「ああ、あの人! 告別式の日にも来てたわよね。二日間も連続で、しかも子連れで来てたから変だと思ってたのよね」  義母も言った。  やはりA子は目立っていたらしく、二人とも覚えていた。  そして、義母が言った。 「そういえば何年前だったか、K男が会社のETCカードで2回ほど〇〇インターまで行った時の請求が来たから、何しに行ったか聞いたら、『別にいいだろ。いちいちうるさいな』と言われて、変だと思ったのよね。あの時、その女の人に会いに行ってたのかしら」  その高速道路のインターはA子の引っ越し先からほど近い場所にあった。やはり最近まで、夫はA子に会いに行っていたようだ。    それから数日後、私のおかしな様子を母と姉に問い詰められて、A子の事を話した。母と姉は激怒した。 「お通夜も告別式も子連れで来て目立っていて、誰だろうと気になってたけど、通夜振る舞いまで出席して、なんて図々しい女なんだ! このままじゃ気が治らないから、もらった香典を突き返してやる!」  私は『もういいよ』と言ったが、母達は頑として譲らなかった。  母がさっそくA子に電話をして、『話があるから時間を作ってほしい』と伝えた。A子はすぐに折り返し電話をすると言って電話を切ったが、その後、なかなか連絡は無かった。痺れを切らした母がもう一度電話をかけると着信拒否になっていた。そのまま逃げるつもりだったのだろう。  母達はさらに激怒し、香典帳に書いてあったA子の職場先に電話をして、『時間を作ってくれなければそちらに行く』と言うと、時間と場所を指定してきた。  そして数日後、A子の職場の近くのミスタードーナツで会い、二人であれこれ責め立てて、香典を突き返してきたという。  母と姉によると、A子はずっと斜に構えて母と姉を睨んでいたそうだ。そして、ボイスレコーダーでその時の会話を録音していたらしい。A子は母達に脅されて、多額の金銭を要求されるとでも思っていたのだろうか。    それから何日か経ち、また夫の遺品を整理していた。また何かが出てきそうで嫌な気分だったが、ずっと整理をしないわけにもいかなかったし、何かしていないと気持ちが落ち着かなかった。  古い音楽CDがたくさん入っている箱があり、全部捨ててしまおうとゴミ袋にCDを入れていると、下の方から処方箋の薬の袋が出てきた。  ーーえっ⁉︎  また、胸がドキッとした。○○○○様とA子のフルネームが袋に大きく書かれてあった。処方された日付は3年ほど前で、近所の耳鼻科から処方された、スプレー式の鼻の通りを良くする薬のようだった。  ーー何故、こんな物が我が家にあるのか……  色々と想像してみた。  例えば、A子と夫が会った時、夫は鼻の具合が悪く、少し苦しそうにしていたとする。      そこで、A子は後日、私がいない週末に我が家に来て、「この前、鼻の調子が悪そうだったけど大丈夫?K男のことが心配だわ。私が鼻の調子が悪い時、耳鼻科でその薬をもらって使ったらすぐに良くなったから、あなたもこの薬使ってみてね』とか何とか言い、いかにも体を気遣うようなそぶりをして薬を渡したのではないか。  夫は思わず受け取ったが、こんなにでかでかと彼女の名前が書いてある処方箋の袋を私に見られてはマズイと、古いCDの下にとりあえずギュッと押し込んだ。そして、そのまま何年もその存在を忘れていたとか。その薬の袋は大事にとってあったと言うより、数年分の埃をかぶってぐちゃぐちゃになっていた。  おおかた、そんなことだろうと思った。夫は時々鼻の調子が悪くなるタイプで、耳鼻科によく行っていたからだ。  薬自体は大した物じゃないのかも知れない。だが、A子は中の薬だけを渡さず、わざわざ名前入りの袋ごと渡したのだ。でかでかとしたA子のフルネームの字を我が家で見せつけられて、A子の我が家を侵害する強い意思のようなものを感じてゾッとした。    A子からのあの手紙も、大事にとってあったと言うよりは、引き出しの奥で埃を被ってぐちゃぐちゃに入れてあった。恐らくその手紙も、A子から渡されたが処理に困り、引き出しの奥に隠したものの、その存在をすっかり忘れていたのではないだろうか。夫はそれほど色々な細々した物を取っておくタイプで、どこに何があるのか分からなくなっても不思議ではなかった。   A子が夫にその手紙をいつ渡したのかはだいたいの想像がつく。おそらく幼稚園の卒園式の日だろう。その日はA子が自分の地元に引越しをする数日前だった。  卒園式の夜、幼稚園のママ達は集まって飲み会をしていた。それは、その幼稚園の昔からの慣例だった。  そこで、パパ達は『ママ達ばかり飲み会をしてずるい』と、子供達を連れて我が家に集まってパパと子供達だけで飲み会をしたのだ。  その日、私がそのママ達との飲み会を終えて帰宅すると、夫からA子も家に来て自分達と一緒に飲み会に参加して帰ったと聞いた。その日に我が家でパパ達の飲み会があると聞いて、自分も参加したいと言って、A子が急に家に来たのだそうだ。  私はそれを聞いて「私ならパパ達だけの会に参加しないけど、彼女らしいな」と思った。A子はセクシーで、男好きするタイプで、男の中に女一人でいるのが好きそうなタイプだと思っていたからだ。  おそらく、A子はその手紙を渡すために我が家に来て、その飲み会が終わった後に、自分だけ少し家に残って、手紙を渡したのではないだろうか。  そして、A子は引っ越す前に手紙を渡すことで、夫の気持ちを繋ぎ止めて、その後も何かと利用したり、相談に乗ってもらおうとしていたのではないだろうか。  私は改めて強い憤りを感じた。    それからしばらくすると、自宅の倉庫の箱の中から彼女のヌード写真が数枚出てきた。背景から察するに、二人でラブホテルに行って撮った写真だと思われた。  1枚は、全裸で浴槽に入って脇の下を見せるようなポーズをとっているのA子写真だ。それから、A子が下着姿でベッドの脇に立ち、ブラジャーからわざとおっぱいをはみ出させているような写真が2枚あった。夫は写っていなかった。  A子の勤務先は写真店だった。おそらく、夫がA子の携帯電話で画像を撮り、A子が自分の勤務先の写真店でこっそりと現像して夫に渡したのだろう。  あの手紙や薬の袋と同じように、その写真は存在を忘れ去られて放置されていたかのように埃をかぶっていた。『そんな事あり得るのか』と思う人もいるだろうが、夫の異常なほどの遺品の多さを目にしたら納得するかも知れない。  私はその日のうちに彼女の勤務先の住所を調べ、その写真を送りつけた。  その写真を1秒でも家に置いておきたくなかったのと、私がそれを見つけて苦しんでいる事を知って欲しかったからだ。A子の自宅に送った方が良かったのかも知れないが、住所が分からなかった。封筒にただ写真を入れて、A子様と書いて送ってやった。    何だか全てが馬鹿馬鹿しく思えてきた。  夫やA子を決して許したわけではなかったが、それからしばらく経つうちに、なんとかこの事を受け入れようとしていた。  夫と彼女とは、お互いの寂しさや性欲を満たすだけのただの遊びだったのだろう。A子は私が羨ましかったのだろう。夫は私と別れたいと思っていたわけではなかったのだろう。そう思う事でなんとか飲み込もうとしていた。  そして、息子のためにも自分のためにも、前向きに生きていこうと思い始めていた。    だが、現実はそんなものでは済まなかった。 第3章 更なる発覚 第1節 からすのパン屋さん  それからさらに、3週間ほど過ぎた頃、夫のクレジットカードの利用明細をインターネットで確認していた。  夫のクレジットカードを解約する必要がある為、毎月引落しになっているものを調べ、必要なものは私のクレジットカードからの引落しに変更し、不要なものは解約をしなければいけなかったからだ。  すると、利用明細の中に『絵本ナビ』という名目で毎月300円が引き落とされていた。  ーー『絵本ナビ』って一体なんだろう?  不思議に思い、インターネットで検索してみた。どうやら、インターネット上で絵本の最初の部分だけ試し読みをして、気に入ればそれを購入できるという、ウェブサイトらしかった。  確かに、夫は何にでも興味を持つタイプで、絵本も好きだった。古本屋で素敵な絵本を見つけるとよく購入していた。  ーーでも、こんなサイトに登録して、毎月会費まで払うとは……  違和感と胸騒ぎを感じた。  よく見ると、右上に購入履歴というタブがあったので、そこをクリックしてみた。  その購入履歴によると、夫はそのウェブサイトで絵本を数冊買っていた。そして、その絵本のほとんどは我が家のリビングルームの本棚に置いてあるものだった。  ーーあの絵本たちはこのウェブサイトから購入していたのか……  そして、ずーっと下まで購入履歴を見ていくと、夫が数年前にそのウェブサイトで一番最初に購入した物が表示された。  それを見て、私は心臓がどきりとした。  それはエプロンだった。幼稚園の先生が仕事の時に身に付けるような、キャラクターが全面に施された物で、かこさとしの人気絵本『からすのパン屋さん』のピンク色のエプロンだった。  ーーどうしてこんな物を。我が家にあるのを見たこともないのに……  その時、ある事に気がついた。  ーーこのエプロン、見覚えがある…… あのエプロンだ!  そのエプロンは、息子が卒園した幼稚園の副園長先生がよく身に付けていた物と同じ物だった。  彼女は息子の同級生の母親であり、息子同士はその時も小学校で同じクラスであり、夫が入るお墓を建てることになっているお寺の長女であるS子だった。  ーーまさか! 嘘だろう…… S子とも関係を持っていたと言うのか。まさか、そんなはずはない。何か事情があるのだろう……  とにかく、彼女に訊いてみるしかなかった。震える手で、S子にエプロンの画像とラインメールを送った。   「こんばんは。夜分に変なこと聞いてすみません。この、からすのパンやさんのエプロンお持ちでしたっけ?」  2時間ほど経って、やっと返事が来た。 「メッセージに気付くのが遅くてスミマセン。このエプロン、持ってます。お気に入りだったんですが、先日、プールの塩素消毒がついて、ところどころ脱色してしまい、ガーンとなりました。何年か前に、園に出入りの業者から買いまして、また買いたいけどもう無いみたいで残念です。からすのパン屋さん、というか、かこさとしさんが大好きで、ここ2年くらい家のカレンダーもからすのパンやさんです」  わざわざカレンダーの画像まで撮って、一緒に送って来た。  ーー怪しい。怪しすぎる…… まずは、なぜこんな夜更けにそんな事を尋ねてきたのかを訊くはずじゃないのか。それに、カレンダーの画像まで撮って送ってきて、説明がやけに長すぎる。  私は気持ちを抑えきれず、続けてメールを送った。 私:「ひょっとして、そのエプロンは私の夫からのプレゼントでしたか?たまたまインターネットを見ていたら、夫が2年程前に通販でからすのパンやさんのエプロンを購入していました。どこにも見当たらないし、どこかで見たことがあるようだと思っていたら、あなたがいつも着ているのを思い出しまして……」 S子:「私、業者さんから買ったのですが」  驚いた様子もなく、やけに短い答えだった。ますます怪しかった。 私:「そうですか。あなたはもう買えないと言いましたが、からすのパンやさんのエプロンは楽天などで今でも普通に販売されてますよ」 S子:「そうなんですね!業者さんのカタログで買ったので、そこで扱ってないから無いのかと」  私はもう我慢できずに切り込んだ。 私:「夫と特別な関係にありましたか?」 S子:「私はとても尊敬していましたが、特別な関係ではないです」 私:「でも、そのエプロンは我が家には無いです。それに、夫は最近、かこさとしのキャラクターのTシャツをよく着ていました」  その晩、S子からの返信は無かった。  信じられないような気持ちで、よく眠れぬまま翌朝になった。その日は、夫の四十九日法要が行われる日だった。  この辺りの風習に従い、午前中に自宅の仏壇にS子の夫にお経を上げてもらい、そのあとお寺に向かい、御本尊の前で読経と焼香があった。それから、実家の日本料理店で僧侶を交えて親族で会食をした。  当然ながら、私は朝からずっとうわの空だった。「元気がないね。大丈夫?」と皆んなに言われ、何も言わなかったが、感情を隠しきれなかった。  会食が始まって少し経ったころ、S子がお店にやって来た。親族以外の人が会食の席に着くことはあまりないはずなのだが、義父がS子を会食に招待したのだ。  S子は義父の大のお気に入りだった。息子が幼稚園に通っていた頃から、幼稚園のイベント等で顔を合わせる度に、「おじいちゃま、おじいちゃま」とS子の積極的に話しかけられ、義父も「S子ちゃん、S子ちゃん」と呼んで、たいそう気に入っていた。義父は周りにも「S子ちゃんは良い子だ。お寺の若奥様だからってツンツンしていないし、俺と気が合う」などと言っていた。  夫が死んでからは、仕事場にある夫が使っていた物を指して、「これ、幼稚園で使えるんじゃないか?」、「これ、幼稚園の子供達にあげたら喜ぶんじゃないか?」、「S子ちゃんに連絡してみるか」と、何かとS子の名前を口にしていた。  夫の死後、夫の代わりに義父が息子を登校時の待ち合わせ場所まで車で送っていくと、S子は毎日のように義父の前で泣いたという。そこで、義父が私に相談もなく、四十九日法要にS子を誘ったそうだ。 「いくらなんでも、普通は親族以外の人は誘わないし、彼女も迷惑だろうに……」と義母も呆れていた。  S子は会食の席に着くと、ほとんど喋らずに大人しくしていた。  しばらくすると、私は堪らなくなり、「ちょっといいですか?」とS子に声をかけ、店の応接室に案内した。義父やS子の夫は上機嫌で飲んでしたし、皆、何かの話で盛り上がっていて、私たちにあまり注意を払っていなかったように見えた。    私は早速、S子に尋ねた。 「夫と何かありましたよね?プレゼントを受け取っていましたよね?」  S子は私と目を合わせず、うつむき加減で、やっと聞き取れるほどの小さな声で言った。 「私はご主人の事をとても尊敬していましたが、何もありません。どうしてご主人がそのエプロンを買っていたのかも分かりません」  そんな風にしばらく押し問答が続いて、彼女はなかなか口を割らなかった。だが、私は二人の間に何かあったのだと確信していた。  もし、私が友人にその夫との仲を疑われて、何もなければ怒るはずだと思った。『なぜ疑うのか』、『私の事をそんな人間だと思っているのか』と、烈火のごとく怒るはずだった。  そして、私なら、夫を亡くした上に不倫で悩んでいる彼女を気の毒に思い、必死で疑いを晴らそうと、詳しい事を色々と聞き出して、それに対して説明をするはずだった。  彼女がそうしない以上は、絶対に二人の間に何かがあったのだと確信していた。だが、私はそれ以上、何と言って攻めたら良いのか分からなかった。  そこで、私は彼女の心を揺さぶるためにある事を言った。 「実は、夫はA子さんと関係を持っていたんです。夫はそういう男でした。だから、あなたとも何かあったんじゃありませんか?」  俯いていたS子が急に目を見開き、驚いた様子で私に訊いてきた。 「えっ! 本当ですか⁉︎ ちょっと待ってください! 私、頭がパニックになりそうで…… それは、いつからいつまでですか⁉︎」 「子供達が年中の秋頃から、一年くらい関係を持っていたそうですよ。でも、彼女が地元に帰ってからも、たまに彼女の家に行ったりしていたそうです。本人に問いただして聞きました」 「そんな……」  S子は自分とダブっていたことにショックを受けているようだったが、それ以上は何も言わなかった。そして、いつまでも彼女を引き留めておくことは出来ず、二人で席に戻るしかなかった。  会食の席に戻ると、S子の夫を中心にして話が盛り上がっていた。彼は、いかに幼稚園のパパ友ママ友たちが仲が良かったかを力説していた。また皆んなでバーベキューをやりたいとも話していた。私はなんと哀れなのだろうと思いながら、その話をただ聞いていた。S子は夫とA子の話をきいてショックを受けたのか、動揺している様子でほとんど喋らなかった。  皆が帰ると、母と姉は私に「本当に様子がおかしいけど大丈夫?」と訊いた。そして、私はついにエプロンの話をし、夫とS子が深い関係だったようだと言った。  だが、母も姉も「まさか!」と言って信じなかった。無理もない。彼女のような立場の人間がする事だとは誰も信じられないはずなのだ。  そこで、私はその前日のS子とのラインメールのやりとりを母と姉に見せた。それを見た姉はすぐに表情を曇らせた。 「確かにこれはおかしい! 『特別な関係でしたか?』と訊かれたら、『特別な関係とはどういう意味ですか?』と逆に聞き返すのが普通じゃない⁉︎ これは何かあったね!」  母はそれでも信じなかった。 「まさか! お寺の人間であるS子さんがそんなことする訳ないでしょう⁉︎ K男さんがS子さんに一方的に恋心を持っていたとか。そういうこともあるんじゃないの?それくらい許してあげたら?」  そのまま為す術もなく夕方になり、息子を迎えに行く時間になった。  息子はその日、体育教室に行っていた。体育教室は息子が幼稚園に通っている時から続けているもので、S子の幼稚園の体育館で毎週水曜日に行われていた。  私は早めに幼稚園に行くとS子を探した。ますますS子を問いたださずにはいられなかったのだ。  S子が二階にいるのが階段の下から見えた。階段を駆け上がり、辺りを見回すと、運良く誰もいなかった。S子に駆け寄って声をかけた。彼女はギョッとした顔で振り向いた。 「K男さんと何かありましたよね⁉︎ 昨日のメールと今日のS子先生の態度で、私はもう確信していますよ! いい加減に認めてください! 認めてさえくれれば誰にも言いませんから! でも、認めないなら檀家を辞めさせてもらうしかないです! そうなったら困りますよね⁉︎ どうして檀家を辞めたのかをご両親に話すしかなくなりますよ!」と言った。  だが、S子は私と目を合わさず、俯いたまま言うだけだった。 「本当に何も無いものは、何も無かったとした言いようがありませんので…… 」  その様子を見て、私はさらに確信せざるを得なかった。 「私だったら、疑われたことを怒りますよ!」 「でも、N子さんはご主人を亡くされたばかりなので、責める事はできません」  こんなとんでもない事を、彼女が簡単に認めるわけがないと思った。私はそれ以上、どうやって追い詰めたら良いか分からなかった。    夜になり、私はS子にまたメールを送った。 「S子先生、今回のことは旦那さんにすぐに話しますよね⁉︎ あらぬ疑いをかけられて、檀家を辞めると言われたら大変な事なので、何も無いならすぐに旦那さんに相談して、どうしようかと言う事になりますよね⁉︎ あるいは、ママ友の誰かに話して、見に覚えのない疑いをかけられて大変な事になっているから、どうしたら良いかと相談したり、説得してくれないかと頼んだり、普通はしますよね⁉︎」  彼女からしばらく返事は無かった。私はまたメールをした。 「私は夫とS子先生が特別な関係だったと確信しています。すぐに全てを正直に話してくれたら、私だけの胸にしまって、我慢して檀家を続けます。でも、話してくれないなら考えがあります。どうしますか⁉︎ 私がS子先生にこんなメールを送らなくてはいけないのがどんなに苦しい事か分かりますか⁉︎」  夜遅くなってから、やっと返事が来た。 「お返事が遅くなってすみませんでした。N子さんの辛いお気持ちはよくわかります。でも、私とご主人とは本当に何もありません。仕事が出来る方なので、色々相談したり、力になっていただいたり、頼りにしていたのは事実です。夫にも話しました。『誤解されるような事をしたおまえが悪い』と言われました。子どもが寝てから話したので遅くなり、すみませんでした」  やはり、認めるつもりはないらしい。それよりも、認めてほしくて鎌をかけただけなのに、S子の旦那に話してしまったとは、面倒なことになったと思った。    翌日、母や姉にS子とのメールのやり取りした事を話した。  姉は完全にS子を疑っていたが、母は「そんな事があるわけない」と相変わらず信じなかった。  その時、急にある事を思い出した。  数年前のある朝、息子と一緒に幼稚園に着いたら、玄関で園児達を迎えていたS子が話しかけてきた。  「そのスウェットパーカー、私とお揃いですよね。私もそのブランドの服、好きなんですよ」  よく見てみると、その時に息子が着ていた上着とS子が着ていた物が、サイズ違いで色違いの同じ商品だった。 「あ、本当ですね。全然気付かなかった」と私は言い、深くは考えなかった。  そのスウェットパーカーは、夫が自分とお揃いで息子にも買ってあげた物だった。という事は、夫とS子もお揃いの服ということになる。  私はハッとして、夫のパソコンでそのブランドのウェブサイトを見た。  購入履歴のタブを開くと、今まで夫が通販で購入した服の一覧が出てきた。夫はそのブランドの服がお気に入りで、息子や私の服まで色々と購入していた。  そして、一番下までスクロールすると、夫がそのサイトで一番最初に購入したものが表示された。それは、夫とS子が着ていた2着のスウェットパーカーだった。  これで、証拠がとうとう出てきたと思った。  彼女とお揃いではまずいと思ったのか、しばらく後になってから息子の分も追加で購入していた。  それから、見たことの無い女性用のTシャツとワンピースも購入していた。これらもS子へのプレゼントに違いなかった。どちらも彼女が着ていたのを見たことがあるような気がした。  これで間違いないと思った。これだけ色々なプレゼントを受け取っていて、S子が私に黙っていたのはおかしいからだ。  それから、楽天のウェブサイトの購入履歴も見てみた。その中にも、幼稚園の先生が着るようなキャラクターの他のエプロンと、見たことの無い水玉のマフラーがあった。    私は泣きながら姉に電話をした。姉は激怒した。 「あんたが問い詰められないなら、私がやってあげる! 今からS子を呼び出して白状させるからね!」  そしてその夜、本当に姉はS子を呼び出し白状させた。私は息子と家に居て、同席しなかった。  姉の話によれば、S子はなかなか白状せず、2時間もかかったのだという。  そして、S子は何度も頭を下げて、私に一生かけて償うと言ったそうだ。だが、姉が見たところ、彼女は泣いているふりをしていて、全然涙が出ていなかったらしい。 「相当の女だ! 一生かけて償うってどうやって償うつもりなのか! 口先だけに決まってる! 絶対に示談金を請求した方が良い!」と姉は憤慨していた。 第2節 ご主人のことが好きでした     私は夫とS子が関係を持っていた事を、世間にはもちろん、夫の両親にも、S子の夫や親にも話すつもりはなかった。  まず、S子の夫がこの事を知ったら何をするか分からない。前にS子から、彼が暴力的だと聞いていた。  S子の夫は県外の出身で、実家がやはりお寺の長男だった。本当は跡継ぎのはずだったのだが、実家の寺を捨て、地元も捨て、たった一人で田舎に来て、S子の寺に婿養子に入ったのだ。  もし、彼がこの事を知ったら、S子や子供達を殴り、そして、S子の両親にも手を出す可能性があった。  それから、S子達の家は義父と夫がリフォームをしたばかりだった。私が彼だったら住みたくもない。S子の夫が家の中をめちゃくちゃに壊して暴れたり、義父に数百万円のリフォーム代を返せと言ってくる可能性もあった。  そして、最終的には不倫の事を周りの人々にぶちまけて、自分の地元に帰ることになるだろう。私ならそうする。そうなればS子の子供達はどうなるのか。  騒ぎが大きくなって、世間の人々が知ったらどうなる。私達は好奇の目に晒され、噂話が息子の耳にも入るかも知れない。そうなれば息子も私の周りの人達もどんな目に遭い、どんなに傷つくことか。    S子の両親にも話せなかった。私の実家のお店は創業200年近い老舗の料亭だ。法事などでよく利用されることから、昔からお寺との関係がとても深く、切っても切れない関係だった。しかもS子の家のお寺は地元では一番古く、位の高いお寺だった。もしその寺との関係が悪くなってしまったら、この先どうなってしまうのか検討もつかなかった。  そして、夫の両親に対しても、S子の家のお寺の檀家になってしまったので、話してしまえばこの先どうなってしまうのか検討もつかなかった。  「悔しいけど、この事はS子を含めた4人で墓場まで持っていくしかない」と、母と姉と話していた。    それから数日後、S子から謝りに行きたいというメールが入った。姉が白状させた時、私に直接、謝るようにと彼女に言ったらしい。 「夫がプレゼントした服を全部と、あなたにあげた夫の絵本と漫画本を全部返してください」と私は返した。  S子は夫の死後、息子を彼女の家に遊びに来るように誘っては、遊んだ後に我が家に送って来て、家に上がり込んだ。そして、夫の仏壇に線香をあげたり、「以前、ご主人から素敵な絵本を借りたことがあったけど、その本はどこにあるのかしら」と言ってきた。だから、私はS子に夫が購入していた絵本を何冊か譲ったりしていた。  夫は絵本好きの彼女と話を合わせるために、例の『絵本ナビ』というサイトに毎月会員費を支払っていたのだろう。  彼女は漫画本も大好きだった。特に、あの有名な『ガラスの仮面』という漫画本で夫と話が盛り上がっていたらしく、夫が持っているその漫画本を欲しがったので、全巻を彼女に譲っていた。 「どうぞ、どうぞ」と彼女を家に上げ、絵本や漫画本を彼女に譲ったりして、私はなんとお人好しで、そして、とんでもなくマヌケだったのだろう。    S子はたくさんの絵本と漫画本を入れた紙袋を重たそうに抱えて、我が家にやって来た。 「あっ! すみません」玄関先で紙袋が切れた。 「別にいいです」そう言いながら、私はその袋を受け取った。  夫がプレゼントした服はすでに全部ゴミに出したそうだ。疑われた時点で証拠隠滅をしたのだろう。  部屋に案内すると、S子は言った。 「N子さん、申し訳ありません! N子さんのご主人のことが好きでした! 申し訳ありません!」  ーーはぁ⁉︎ 好きでした⁉︎ 純粋ぶってるのか!  いきなり激しい憤りを感じた。  そして、私は一番の疑問をS子に投げかけた。まずは、夫とS子がいつ、どこで、どうやって会っていたのかということだ。  彼女は平日の昼間は幼稚園の副園長として忙しく働き、夜と週末は3人の子供の母親として忙しく過ごしているはずだった。以前、S子は私に『トイレに入っている時だけが、一人になれる時間なんです』と言っていたほどだ。  父親なら、母親に子供達を任せて夜に出かけることは簡単だろうが、母親はなかなかそういう訳にはいかないはずだ。いったい、そんな時間がいつあるのか不思議だった。それに、どこで会うというのか。  S子によれば、S子の夫が夜に出掛けて、子供達が寝た後、夫に連絡を入れ、近くの公園の駐車場に夫に車で来てもらい、車の中で30分位会っていたそうだ。  S子の家から公園の駐車場は目と鼻の先で、歩いて1、2分の距離だった。  S子の夫は飲みに出かける事も多いが、水槽で魚を育てるのが趣味で、近くにある場所を借りて、そこで魚の餌をやったり様子を見たりするために、毎晩のように外出していたそうだ。  ーー子供達を家に置き去りにして、夜中に会っていたとは……  S子の一番下の娘は、その頃まだ幼稚園にも通っていないほど小さかったはずだ。それをさせていた夫も最低だ。  それにしても、よくS子の夫にバレなかったものだと思った。彼が借りていた水槽のある場所は、歩いてすぐに家に戻れるような近い場所なのだ。S子も、そして夫も、なんと怖いもの知らずなのだろう。  30分で何をしていたのかは訊く気にならなかった。S子は「会って話をしていただけです」と言う事も出来たかもしれないが、そうは言わなかった。大人の男と女なのだから、する事は決まっている。  どういうきっかけで深い関係になったのかを訊いた。  彼女によれば、夫からメールで『あなたの事が気になって仕方がないから、二人だけで会って欲しい』という内容の連絡が来るようになったという。  S子は全くその気は無かったので、しばらくの間は『気のせいじゃないですか?』などと言ってごまかしていたそうだが、次第に『自分も好きかも』という気持ちになって来たという。  そして、夫から「もやもやした気持ちをどうにも抑えられないから、一回だけでも良いから二人きりで会って欲しい」と言われ、断りきれずに近くの公園の駐車場で会ったそうだ。そこで無理やりキスをされて舞い上がってしまい、次に会う約束をしてしまったという。  それは、2年以上前の、子供達が幼稚園の年長組の冬だったという。それ以来、月に1回くらいの頻度で会っていたそうだ。    彼女の話を全て鵜呑みにしたわけではないが、夫のほうから誘ったと聞いてショックだった。しかも2年以上も前からだという事にもショックを受けた。 「まさか、二人で一緒になろうとか考えていたわけじゃないよね?」 「ご主人は『バレたら一緒に逃げよう』と言っていましたが、本心では無かったと思います」  ーーはぁ⁉︎ そういうこと言うなよ! K男が口から出まかせを言ってたとしても傷つくだろうが! 『本心では無かったと思います』と言いながら、S子は平気でそういう事を口にした。  A子の時のほうが生々しい話をしなかっただけマシな気がした。  S子の顔をよく見てみると、なるほど、姉の言う通り、泣きながら話をしているように振る舞ってはいるが、涙が流れていないし、ボソボソと喋っているだけで、声が乱れていなかった。  ーーたいした女だ。私を何年も騙し続けて、にこにこと平気な顔をしていられただけのことはある。 「私や周りの人達のことを考えて、別れようとは思わなかったの?」 「私は何度も『別れたい』とご主人に言いましたが、止められて、別れることが出来ませんでした」  ーーふざけるな! 本気で別れたいと思えば、本気で拒否すれば、いつでも別れられるだろうが!  死人に口無しで、全て夫が悪かった事にするつもりなのだろうと思った。 「ご主人のことはどう思っているの⁉︎ 裏切って平気なの⁉︎」 「夫は暴力的で、自分の思い通りにならないと気が済まないタイプなんです。婚約中にそれに気が付いて、両親に結婚をやめたいと言いましたが、お寺の世界ではそういう事は出来ないのだと言われて、婚約破棄できませんでした」  ーー本当なのか。子供を3人も作っておいて…… 自分がした事を正当化したいだけな んじゃないのか。    話を聞いて、胸をえぐられるような気持ちだったが、私にも妻としてのプライドがあった。S子に狼狽えているところを見られたくなかったし、夫が彼女に本気だったわけでないと言いたくなった。  だから、A子の話をもう一度して、「K男は性欲がとても強いタイプだったから、自分がもっと相手をしていれば違っていたかも知れない」と言った。 「とにかく、この事がご主人や世間に知られたら大変な事になるし、子供達がどんなに傷つくか分からない。だから、自分はこの事をご主人にも、誰にも話すつもりはないから、あなたも誰にも話さないように」 「ありがとうございます。よろしくお願い致します。私に出来ることは何でもします」と彼女は言って帰っていった。    結局、私が逆上してS子に怒鳴ることは無かったし、この事を誰にも話さないと言った。S子にとって好都合だったことだろう。その時点では、彼女は助かったと思ったかもしれない。だが、A子の時もそうだったが、本当の怒りというものは、後からジワジワと沸いて出てくるものだ。  それから、私は毎日のようにS子にラインメールで気持ちをぶつけるようになった。私は狂い始めていたのかも知れない。   「S子先生、やっぱりあなたと夫のことが頭から離れなくて、あなたが何年も、何も知らない私に笑顔で話しかけてきたことや、夫とあなたが2人きりでイチャイチャしてるところを想像して、頭がおかしくなりそうです」 「あなたは夫に何度も誘われたと言いました。確かに夫の方から声をかけたのかも知れません。でも、お互いの立場を考えたら、夫が何の脈も無い相手をそんなにしつこく誘うわけはありません。あなたのほうだって好きだと言うサインを出していたに違いないはずです。私だって、あなたがかなり夫のことを慕っているとは思っていました」 「世間の人々にバレたら、うちの店とお寺様達との付き合いはどうなるのでしょう。私や母や姉は噂のネタになって笑われるでしょうね。そして何よりも、あなたのご主人がどう出るか。『妻を寝取った男の為に、一生懸命お通夜でお経を読んでいた』と世間の笑い者になり、プライドをズタズタに傷つけられるでしょうね。あなたにはもちろん、子供達にも暴力を振るい、『あいつらに改築してもらった家になんか住めるか!』と言って家をめちゃくちゃに壊し、義父に『払った金を全部返せ!』と言うかも知れないですよね。だから、なんとかなんとか耐えているのです。でも、どこまで持ち堪えられるのか保証は出来ません。それをご承知おき下さい」 「何度も私のことを考えて別れようとしたけど、夫に止められたって言いましたよね⁉︎ でも、本気でやめようと思ったらやめられたはずです! 死人に口無しとばかり、都合の良いことを言わないでください!」 「バレたら自分の子供達がどんな目に合うか、どんな思いをするか考えなかったのですか⁉︎ それでも母親ですか⁉︎」 「こんなメールを送り続けなければいけないとは、自分が本当に嫌な女みたいで辛い! なぜこんな思いをしなければいけないんでしょうか⁉︎」  私は返事が来るまで、何度もメールを送り続けた。数時間後に返事が来た。   「N子さん、苦しくさせて本当にごめんなさい。N子さんは何一つ悪くないですし、嫌な女性なんかじゃありません。N子さんをそんな気持ちにさせている私が何より悪いのです。自分のした事を悔やんでも悔やんでも悔やみきれません」 「私がご主人に尊敬以上の気持ちを持っていたことを、ご主人も感じ取っていたのだと思います。感じ取られるように私もしていたのかもしれません。結果的にご主人の誘いに私の理性が勝てず、自分の立場を省みることより、好きという感情に負けてしまったのですから、私も悪いのです」 「やめようと思ったけれど、ご主人に止められてやめられなかったのも本当ですが、私の心の弱さが原因です。色々なことで助けていただくうちに、いつの間にかご主人の存在に依存してしまっていました。N子さんのご主人なのに、そんな風に思ってしまっていたことが大間違いでした」 「N子さんのこと、子供達のことを考えたら、キッパリと絶ちきる気持ちを強く持たなければいけなかったのに、それが出来なかった私は最低な人間です」 「ご主人のこれまでのご活躍は、N子さんとの結婚生活という基盤があったからこそです。それは絶対的なことですし、ご主人は『あなたは自分の生活に不満を持っているけど、俺は今の生活に不満はない』と言っていました。だから、私との関係はただの遊びで、本気ではなかったのだと思います。何より大切なのはN子さんとの生活なのだろうと感じていました」 「今は、N子さんを深く傷つけて苦しめてしまっていることへの強い後悔と懺悔の気持ちと、事態が明るみになって、N子さんが仰ったような事態になる日が来るのではないかと、正直生きた心地がせず、重苦しい気持ちの毎日です。Nさんこそ、私のせいでこんなに辛いのに、こんなこと言ってごめんなさい」  彼女は何を言われても、下手に出るしかないのだ。私にこの事をバラされたらS子は終わりだ。私を怒らせないようにするしかなかったなずだ。  それにしても、『ご主人に尊敬以上の気持ちがあった』と言っておきながら、『誘いに負けてしまった自分も悪い』とか言いやがって。要は、『誘ったご主人の方が悪いけど、自分も少しは悪かったです』とでも言いたいのだろうかと思って腹が立った。  それからもやり取りが続いた。 私:「誰かにバレて大騒ぎになる前に、夫が死んでくれて良かった。夫の人生はもう限界だったのだと思います。」 S子:「ご主人が亡くなられた事を、N子さんにそんな風に思わせてしまったことも、本当に申し訳なくて、ずっと自分を責めています。私の方が死ねば良かった」 S子:「今回のこと、全力で隠しとおす覚悟をしています。絶対に墓場まで持っていく覚悟です。夫には、お店に呼ばれた時のことを『私がK男さんから洋服を受け取ったり、お通夜の時に泣いたりして、誤解を招く行動をとったことを謝って来た。尊敬はしていたけど、それ以上の感情はなかった』と伝えています。でも、妻が疑われて呼び出されたことを未だによく思っておらず、怒りの矛先がお姉さんやN子さんに向けられないように何とか食い止めるようにします。本当にごめんなさい」  私は驚いた。どこまでS子は自分の夫に話をしたのだろうか。バレたらまずいと思って、すぐに訊き返した。 私:「服を受け取ったことを話したんですか?ご主人に何か言われたら、服をプレゼントしたと思ったのは私の勘違いで、服は夫の仕事場の倉庫にあったと言おうとしていました。ご主人に言ったのはスウェットパーカーのことだけですか?からすのパンやさんのエプロンはどうですか?アフタヌーンティーのマフラーやミッフィーのエプロンはどうですか?」 私:「ご主人に何をどう話したか詳しく教えてください。ご主人に何か言われたら口裏を合わせなくてはいけないので。今は子供達の事を考えるしかないです」 私:「あなたは墓場まで持って行く覚悟だと言いましたが、服を受け取ったことを話したとなるとそう簡単ではないです。なぜ服を受け取ったことを今まで隠していたのか、そして、なぜ夫があなたに服をプレゼントしたのか、ご主人は考えますよね。私もそうでしたが、疑い始めたら色々な事を思い出し、疑惑が次から次へと膨らんでいきますよ!」 私:「怒りの矛先を我々に向けているそうですが、そう言ってあなたにカマをかけているのではないですか?ご主人にしてみれば『妻を疑っておいてよく平気だな。誤りにも来ないで』と思うのが普通でしょう。だからもし、私がご主人に何か訊かれたら『S子先生は否定しましたが、私は今も半信半疑です。今となっては、何があったか知りようもありません』と言うしかありません」 S子:「夫にはスウェットパーカーや他のエプロンのことは話していません。『K男さんのパソコンに、からすのパンやさんのエプロンの購入履歴があってそれで呼ばれた』と話しました」 S子:「私が『それは、私も同じ物を持っているけど、自分で買った。でも、Tシャツをもらってしまったことはある』と言ったら、夫は『そういえばそんなこと言ってたね。子供達にも何かのTシャツくれたもんね』と全く追及しませんでした。ご主人が私や子供達に灯りのイベントのTシャツをくれたことがあり、夫もその事だと思っているようです。だから、他のエプロンや服のことは話していません。『Tシャツを受け取ったり、お通夜の時に泣いたり、誤解を招く行動をしたことを謝ってきた。色々できた人だから尊敬していたし、仕事もしてもらって感謝している。でも本当にそれ以上の気持ちはない』と話しました」 S子:「もし何か言われたら、N子さんは『夫がエプロンをプレゼントしたと思ったが、それは仕事場の倉庫にあった』と伝えてください。本当に申し訳ありません」 S子:「今のところ夫は、私とご主人のことは疑っていないと感じています。あるのは、N子さんの仰るように、妻が疑われたことへの憤りです。全力で隠しとおします。隠しとおさなければならないと覚悟しています」  私はなんだかものすごく腹が立ってきた。  ーー何が『全力で隠しとおします。隠しとおさなければならないと覚悟しています』だ! お前にとっては好都合この上ないだろ! バレたらお前は終わりなんだから!  私:「分かりました。それにしても、ご主人は本当に哀れですね。それから、私も……」 私:「子供達の為に隠し通さなければならないとはいえ、長い間、あなたと夫に騙されたうえに、さらに今、死に物狂いで耐えなければならないとは、本当に自分が哀れです。母も姉も『どうして騙された続けた私達がこんなに苦しい思いをしなきゃいけないのか。K男さんもS子さんも、よくもまあ、長い間とんでもないことをし続けてくれたもんだ。バレたらどれだけ多くの人達が傷つくのか考えた事はなかったのかね。子供達のことが頭をよぎる事はなかったのかね。それに、本当に誰にも気づかれないとでも思っていたのか』と、毎日頭を抱えています。私も毎日、息子の寝顔を見ながら、悔しくて、泣きながら耐え続けるしかありません」  それにしても、夫の無謀さが恐ろしくなり、ふと、グーグルマップで調べてみた。  我が家からS子の家までは直線距離が約600メートル、そして、我が家からA子の家までは約550メートルだった。どちらも、歩いても10分もかからない距離だ。そして、A子の家とS子の家も直線距離で約550メートルだった。  地図上で見ると、狭い範囲で我が家とA子の家とS子の家は見事な三角形を成している。  ーーまるで、魔の三角形だ! 夫はその三角形の中で巧みに夜這いをしていたのだ!  地元で『平成の夜這い事件』と騒がれてもおかしくないと思った。絶望的な気分だった。息子の為になんとか正気を保っていたが、息子がいなければどうなっていたか分からない。 第3節 続くメール攻撃  その後も私の怒りは治らず、夜中の3時頃にまたS子にメールを送った。 「くやしくて、くやしくて、全く眠れない! あなたから夫との話を聞いた時は、あまりのことに事実を受け止める事が出来ず、『私が15年間連れ添った夫はそんな人じゃない! 息子の父親はそんな人じゃない! 冷静になれ!』と自分に言い聞かせていました。でも、時が経つにつれて、色々な事を思い出したり想像したりして、憎悪が膨らんでいって、今では、はっきりと夫とあなたに憎悪を感じます!」 「夫の遺骨が家にあるのも嫌です。早くお墓を建てて納骨したいです。納骨されたら、あなたは毎日のように夫にお参りしたらいいんじゃないですか?そんなに慕っていたのならどうぞ遺骨は差し上げます」 「本当に夫を好きで尊敬していたんですか?平気で家族を裏切ってしていたような人を。毎年、小学校の運動会の時は、私と夫が運んできたイスやベンチに座ってきて、一緒に運動会を見て、夫の両親とも平気で話をしていましたよね?普通はとてもそんな事は出来ないんじゃないですか?夫の両親がこの事を知ったらどう思いますかね?そのうち耐えきれなくなって夫の両親には話すかも知れません。事が事だけに他言はしないと思いますが」 「自分が母親なのに憎悪の固まりになっているのがとても辛いです。息子に何か影響が出るのではないかと思うと辛いです。S子先生、どうしたら良いですか?」  翌日の夕方になってから、ようやく返事が返ってきた。 S子:「N子さん、本当にごめんなさい。謝って許されることではないと分かっています。N子さんとお母様やお姉様のことも苦しめてしまっていること、本当に申し訳なく苦しいです。自分のしてしまったことの罪の大きさ、事の重大さに苛まれています。人としてどうしようもなく愚かなことをしてしまっていました。家族に後ろめたさを感じ、ひどい母親だと自責しながらも、ご主人との関係をやめなかった自分が本当に馬鹿でした。N子さんから恨まれて当然です。恨んでも恨んでもはらしきれないほどのお気持ちであること、そんな気持ちにさせていることがまたどうしよもなく辛いです。自分がそれだけのことをしたのだから、この先も隠し続けて、嘘をつき続けていくことの苦しさ、明るみになることへの恐怖、N子さんはじめN子さんのご家族を苦しめていることへの罪の意識に苛まれて生きる辛さ、どんなに苦しくても耐えて生きていかなければなりません」 私:「どんなにくるしくても耐えて生きていかなければなりません⁉︎ 当たり前でしょ⁉︎  自分も苦しいのだからわかって欲しいとか、勘違いしてませんか⁉︎ あなたは周りがどんなに苦しむのかも考えずに、夫との関係を2年半以上も続けて、平気で私に笑いかけていたんですよ! もし周りに知られて、『同じクラスの〇〇くんのお父さんと〇〇くんのお母さんが付き合っていたんだって!』と噂されたら、子供達がどんなに傷つくか! あなたの息子が、母親が自分のことを考えずに性欲に溺れていたと知ったら、どんなに傷つくか! そう思ってあなた達二人が思い止まることが無かったことが、本当に信じられません!」  その後、S子からの返事は無かった。というより、なかなか既読にならなかった。このころになると既読になるのに2日位かかるようになった。私からのメールを見るのが怖かったのだろう。    その頃、私も母も姉も仕事が手に付かず、夫とS子の話ばかりしていた。そして、やはり夫の両親にこの事を知らせた方が良いのではないかと話していた。  義父によるS子の家のリフォームは終わっていたが、S子の夫は新たに増築した倉庫に趣味の水槽などを運ぶ為に、義父からトラックを借りたりして、その頃、義父に頻繁に会っていた。  もしS子の夫が義父に「N子さん達、うちのS子を疑うなんて。そんな事あり得ないのにどうかしてますよね?」などど話したら、義父は「そんな事、俺は聞いていない! 一体どういう事なんだ!」と激怒して何を言い出すか分からないし、大ごとになるかも知れないのだ。だから、先に事実を話して、「S子の夫が何か言ってくるかも知れないが、孫の為に、どうか適当に話を受け流して欲しい」と言ったほうが良いだろうと言う話になっていた。    私はまたある事を思い出した。子供達が年長組で、夫とS子が深い関係になる数ヶ月前のことだった。  S子の実家の幼稚園はこの辺りでは最も古く、様々な伝統行事があるのだが、その中の一つに毎年、秋に行われる『虫干し』という行事があった。  大昔からの慣例で、毎年、その幼稚園の園児は地元の春のお祭りの行列に、特別な衣装を身につけて参加することになったいた。その行列に参加することや、その衣装を持っていることはその幼稚園の自慢で、女の子は赤い着物の上に白い袈裟のような丈の長い着物を羽織り、金色の冠をつけ、榊の葉の束を手に持つ。男の子は着物を着て、下に黒いレギンスを履き、その上に光沢のある紫や緑の着物をさらに羽織り、腰には刀をさし、肩に編み傘をかける。それぞれに専用の足袋や草履もある。大昔にお母さん達が手作りをして、代々受け継がれている大切なものだそうだ。  毎年秋になると、それらの衣装を箱から出し、園の体育館に吊るされたロープにかけ、風を通して、湿り気やカビや虫の害を防ぐのだ。。衣装は大小様々あり、おそらく100枚以上はあるだろう。母親達が総出でその衣装を干し、それが体育館で棚引く様子は壮観だった。  母親達の中で一番の年長者であった私は、その年のPTA会長しており、前もって日にちを相談し、母親達に声をかけ、当日は先頭きって『虫干し』行っていた。  すると、干してある着物たちの間からS子がひょっこりと顔を出し、話しかけてきた。 「N子さん、ちょっと良いですか?…… あの、実は私、今年の作品展のワークショップで何をしたら良いか行き詰まっているんですけど、N子さんのご主人に相談させてもらっていいですか?ご主人は青年会議所のイベントとかでワークショップを度々やられているので、色々とアイデアをお持ちじゃないかと思って……」  S子はその一年ほど前から、夫が器用で色々な事ができると知ると、幼稚園の傷んだ遊具や階段の手すりなどの修理を頼んだり、ヒーローショーの音声などをやっていると知ると、幼稚園の豆まきの音楽の編集を頼んだりして、とにかく何でもかんでも夫を頼るようになっていた。息子がお世話になっている幼稚園のお役に立っているのであればと、私はそれをむしろ誇りに思っていた。  S子は次の日曜日に子供達を連れて我が家に来て、子供達を遊ばせている間に夫にワークショップのを相談しても構わないかと言った。  飲食店で働いている私が日曜日に仕事を休むことはできなかったので、私はその場に居られないが、彼女は3人の子供達を連れてくる訳だし、私の息子は彼女の息子が大好きだったので、さぞかし喜ぶだろうと思ったのだ。それに、彼女も本当に困って夫に相談したいのだと思った。 「私は仕事で居ないけど、よかったら遠慮なくどうぞ」と言った。それが大きな間違いだった。    その日、S子と子供達は午前10時頃にワークショップの相談に我が家に来ることになっていた。私は彼女達の顔を見てから仕事に行こうと思っていたが、10時半頃まで待っても現れなかったので、会わずに仕事に出かけた。  そして、夕方、家に帰ると夫に話しかけた。 「今日、S子先生達は来た?」 「来たよ。それでね、たったさっき帰ったばかりなんだよ」  夫は苦笑いをして言った。 「えっ! そうなの⁉︎」  私は驚いた。というのは、S子は私に午前中のうちに帰ると言っていたからだ。  夫によると、あのあと待っていたが、S子達はなかなか現れず、結局11時半頃になってやっと現れたのだという。 「どうしたんですか?」 「実は、出掛けようとしていたら、夫に飼ってる魚の餌にするダンゴムシを採るのを手伝うように言われて、子供達と手伝ってから来たので、なかなか来られませんでした」  そして、S子が自分の夫に対する愚痴を話し始めたので、しばらく聞いていたそうだ。  それからしばらくすると、S子が言ったそうだ。 「子供達がお腹が空いたみたいなのですが、どうしましょう?」  夫が冷蔵庫を開けると焼きそばの材料があったので、焼きそばを作ってあげて、全員で食べたという。  その後、やっとワークショップの話になり、一通り終わったが、S子は帰る様子がなかったそうだ。  そして、またS子の夫に対する愚痴や相談事を聞かされていたが、S子の一番下の娘がパンツにウンチをもらしたという。そこで、夫は今度こそ帰るだろうと思ったそうだ。  ところが、S子がこう言ったそうだ。 「娘がウンチをもらしたんですが、どうしましょう?…… 〇〇くん(息子)のパンツを借りても良いですか?」と言ってきたそうだ。        そして、彼女は息子のパンツを自分の娘に履かせ、そのままずっといて、私が帰ってくる直前まで家にいたと言う。  それを聞いた時、さすがにS子はちょっと図々しいなと思った。だが、S子は元々天然タイプで、そういう事を悪気無くするところが彼女らしいと思い直した。私は本当におめでたい人間だった。  S子は私が不在の家に、実に5時間以上も居たのだ。これをきっかけに、夫とS子の間に特別な空気が流れ始めたのではないだろうか。    それを思い出したら、また無性に腹が立ち、S子にメールをした。 私:「毎朝、暗いうちに目が覚めて、夫がいないことと、あなたと夫が私を裏切って、私の前で笑い合ってたことを思って苦しいです。何度目が覚めても、この悪夢は絶対に消えて無くなることはないのだと実感して涙が出ます。毎日苦しくて、苦しくて、どうしたらいいですか?」 私:「夫が息子を可愛いと思わなかったはずはない! 私のことをどうなってもいいと思っていたはずはない!」 私:「最初から夫に気があったと認めて下さい! 最初から下心があって、幼稚園の作品展のワークショップのことを相談したのだと認めて下さい! その気があって、私の居ない時に我が家を訪れ、5時間以上も居て、思わせぶりな態度を取っていたと認めてください!」 私:「あの時も、午前中に帰ると言ってましたよね! それがご主人にダンゴムシを取るのを手伝えと言われて、来るのが11時半頃になったと夫に言ったんですよね! 最初からご主人に、私の家に行く約束があると言っていれば、そんな事を無理強いされることはなかったはずじゃないですか⁉︎ それを言っていなかったという事は、最初から下心があったという事じゃないですか⁉︎」 私:「あなたは、私のことを考えて何度も別れようとしたけど、夫が別れてくれなかったと言いましたよね⁉︎ でも、どんなに夫が会いたいと言って連絡して来ても、あなたに会えるはずはないんです! ご主人がが夜に出かけて、子供達が3人とも寝たタイミングで、あなたから誘わなければ、物理的に会えないのではないですか⁉︎ あなたが夫に「旦那がなかなか出かけない」とか、「子供達がなかなか寝ない」と言えば、それで終わる関係だったのではないですか⁉︎ 夫はあなたにそう言われれば、諦めるしかありませんよね⁉︎」 私:「母と姉と話をしましたが、やはり夫の両親には知らせたほうが良いと言う事になりました。あなたは『本当に素敵なおじいちゃまですね』と、夫に好かれるためか、私や夫の前でいつも義父を持ち上げていましたよね。でも、知らないかもしれませんが、義父は怒ると何を言い出すか本当に分からない人です。今までに、私も母も姉も、何度も大変な思いをしました。あなたのご主人がいつ義父に、あなたが疑われた事を話すか分かりません。もしそうなったら、義父は激怒して何を言い出すか分かりませんよ」 S子:「子供達の顔を見ていると、何でこんなことをしたのだろうと悔やんでも悔やみきれません。何より典子さんを傷つけ苦しめていることが一番の罪です。本当に本当に申し訳ありません」 S子:「作品展のワークショップの相談にいった時は、ご主人にたいしてそんな気持ちはありませんでした。純粋に技法を教えてもらおうと伺いました。何時頃、伺ったかも覚えていません。私がご主人の作品をいつも賞賛していたので、私がご主人に気があるのではないかと思わせてしまったのだと思います。」 S子:「ご主人のお父さんことですが、激しい性格については分かっています。良い方だとは思いますが、家のリフォームで約5ヶ月間、間近で色々な方に毎日のように怒鳴ったり理不尽なことを言っている場面を見てきました。夫はご主人のお父さんには何も言わない気がします。ご主人のお父さんが今回のことを聞いて、どういう反応をされるのか想像がつきません」 私:「あなたは、自分が気のあるそぶりをしたとは絶対に認めないつもりなんですね。夫があなたに『好きだから会って欲しい』と言うだけでも大変な事ですよね?よほど確信がないと言えませんよね?もし夫の勘違いだったら、その後気まずくなるし、『N子さんのご主人にしつこく言い寄られて困ってる』とか周りに言いふらされたら大変ですよね?」 私:「それに、夫がいつどうやって会えるか分からない人を、不倫相手として選ぶと思いますか?私だって、あなたどうやって家を出ていたのかが一番の疑問でしたよ。あなたがご主人の目を盗んで、子供達を置き去りにして、夜中に抜け出して不倫に走るタイプだとは、夫も知らなかったはずですよ。あなたの事を、お寺の娘で幼稚園の副園長を務めるまともな人間だと思っていたはずですからね。夫にどんなに誘われても『二人だけで会うのは物理的に不可能ですよ』と言えば、夫は諦めたんじゃありませんか?あなたが『私が夫の居ない深夜に家を抜け出します』と言わなければ、どうやって二人きりになれるのか、夫は想像すら出来なかったはずです」 私:「この前は尊敬以上の感情があったと言いながら、今度は作品を賞賛していたのを勘違いされたと言うんですか⁉︎ 状況を考えても、あなたから『夜中なら、二人きりになれる』と誘ったと考えるほうが辻褄が合いますよ! 『私はそんな気持ちは全くなかったけど、しつこく誘われてるうちに、私も好きかもと思い始めてしまった』などと、嘘をつくのはやめて下さい! 自分は純粋で、夫だけを悪者にしようとしているとしか思えなくて腹が立ちます!」 私:「もしこの事がバレたら、あなたのご主人が義父を脅迫してくるかも知れないという恐れがありましたが、もしそうなったら、ご主人にこのような事をよくお話しして、夫が一方的な思い込みであなたをたぶらかしたのではないはずだと、納得してもらうつもりです!」 S子:「私の言葉が足りませんでした。最初は作品を賞賛していましたが、徐々に尊敬以上の感情が出てきたことを、ご主人が感じていたのだと思います。たぶん、私の気持ちに気付いて、確信したのだと思います」 S子:「会いたいと言われたら、夫がいない日で子どもを寝かせ終わる時間を伝えて、その時間に来てもらっていました」 S子:「最初に誘ったのはご主人ですが、私にもそういう気持ちがあったことは確かなので、誘いに乗って流された私も悪いのです。ご主人だけが悪い訳ではありません」 S子:「N子さんのことを思うと申し訳なくて、やめなければ、やめなければと思いながら、ご主人を慕って頼りにしてしまっていました。ご主人は何でも出来る方だったので、仕事も色々お願いしていました。私の愚痴も聞いてくれました。終わりにする勇気が持てなかった自分が弱かったのです」 S子:「A子さんのことは本当に知らなかったので、知ったときは驚いて、私との関係もやはり遊びだったのだと確信しました。気づかず慕っていた自分は本当に愚かでした」  ーー『誘いに乗って流された私も悪いのです。ご主人だけが悪い訳ではありません』だと⁉︎ ふざけるな!   それにしてもS子という女は、人の夫によくも遠慮なく、なんでもかんでも頼りきっていたものだ。夫にしてみれば、何かにつけ自分に相談して頼ってくるS子が気になってくるのは当然だ。  もし、夫の方から誘っていたとしても、深い関係になってはマズいとS子が距離を置くこともできたはずだ。S子は息子が通っていた幼稚園の副園長であり、教育者ではないのか。S子が誘われても無視し続ければ、夫だって諦めたはずだ。幼稚園の送り迎えはほとんど私がしていたのだから、顔を合わせる事もそれほど無かったはずなのに、それでも夫が誘い続けていたとしたら、可能性があるかのようにS子が何かと夫に相談の連絡を入れ、思わせぶりな態度をとり続けていたからに違いない。 『会いたいと言われたら、夫がいない日で子どもを寝かせ終わる時間を伝えて、その時間に来てもらっていました』とS子はメールで言ったが、S子は何時頃に3人の子供達が完全に眠ってしまうか、予め分かっていたとでも言うのだろうか。そのうち一人でもなかなか寝付かない場合はどうしたのだろう。それに、夫が会いたいと告げてから、会えるのに何日かかるか分からないのだ。夫の性欲はそんなに我慢強いのだろうか。  S子は前に、『何度も誘われて流されてしまった』とか、『何度も別れたいとご主人に言いましたが、止められました』と無理やり関係を迫られていたような事を言ったくせに、今度は、「ご主人を慕って、頼りにしてしまっていました」とか、「A子の事を知らずに、慕っていた自分が本当に愚かだった」と言ってきたりして、都合に良いように話を変えている事に強い憤りを感じた。   私:「夫の両親にはやはり話します。夫が前に言ってましたが、あなたのご主人は驚くほど口が軽く、パパ飲み会の席では、まずあなたの父親である御住職の悪口に始まり、『ジジイが早く死んでくれないかな』と言い、それから、『しょうもない幼稚園なんて早く辞めてほしいんだけどね。S子は家事をろくにやらない』と言っていたそうです。その幼稚園を選んで子供を通わせている親達に対して…… 」 私:「ご主人は今回のことも、他のお寺の若い人達に『うちのS子がK男さんと深い関係にあったと疑われているんだよ。いくらなんでもあり得ないのに、N子さん達は頭がおかしいんじゃないのかな』と言って、皆んなで笑い者にしている可能性は充分にあります。小さな町ですからね。そんな事から回り回って義父の耳に入り、大騒ぎになる可能性があります。だから、義父には事前によく言い聞かせる必要があります」 S子:「夫が口が軽いのは事実です。だから、『今回、私が疑われたことは、絶対誰にも言わないように』と言ってあります。『私も噂をたてられると困るから、やめてくれ』と言ってあるので、誰にも言っていないはずです」 S子:「こうなったら、今からご主人のお父様にお電話をして、お家にお伺いして、正直に全てお話します。お父さんが激怒して、新盆直前に檀家をやめると言い出したり、家に怒鳴り込みに来るかもしれません。そうなったら子供達を守りきることができなくなります。そういう状況になるのは、自分の犯した罪の大きさを考えたら当然のことですが。でも、子供達に罪はないので、何としても子供達のことを守らねばなりません」 私:「待ってください! 勝手なことをされるのは困ります! あなたは自分の都合のいいように話をして、夫の両親が丸め込まれるかも知れません。今までも義父を持ち上げて、手玉に取ってきたように…… こちらはこちらで、これからお墓のことや檀家の事をどうしたら良いか親族で話し合わなければならないので、義父に勝手に連絡しないで下さい!」 S子:「お願いできる立場でないことは充分、分かっていますが、お願いがあります。ご主人のお父様との話し合いがどういうことになるか分かりませんが、どうか子供達への被害がないようにしたいです。自分勝手なことを言って本当に申し訳ありませんが、お父様には、夫には絶対に知られないようにしたいということを分かっていただきたいです。夫はキレると何をするかわからないので、私は殺されるかもしれません。でも、子供達を傷つけられることは何としても阻止したいのです。どうかお願いします」 私:「分かってます。いつ、どんな形で義父に気づかれるか分からないので、今のうちから十分に説明をして、今後どうするか話し合っておく必要があるんです。」  ーー『私は殺されるかもしれません。でも、子供達を傷つけられることは何としても阻止したいのです』だと⁉︎ 何を言ってるんだ! 充分、その可能性が出てくると分かっててやってたんだろ! ふざけるな! 子供達がどうなっても良いと思ってやってたのか!  私はS子への怒りで頭がどうにかなりそうだった。 第4章 義父と義母と遺産相続 第1節 謝罪  その日の夕方、母が義父に電話をした。 「話があるから、明日の朝、お母さんと二人で店に来て欲しい」  すると、義父が怒鳴り出した。 「いったい何の用事だ! もったいつけるんじゃない! 何の用事か今すぐ話せ!」  隣で会話を聞いていた私の耳にも、義父の怒鳴り声がよく聞こえた。  すでに、A子の事で母達に責められている義父は、『まだ何か言うつもりなのか!』と敏感になっていたのだろう。  収拾がつかなくなったので、母が夫とS子が関係を持っていた事を告げた。 「そんな馬鹿な事があるわけないだろう! 頭がおかしいのか!」  義父は再び怒鳴りちらし、電話を切ってしまった。  私は義父のあまりの剣幕に心臓がドキドキして、どうにかなりそうだった。  あまりに毎日ドキドキする事ばかりが続いて、その頃になると、私は精神安定剤を頻繁に飲むようになっていた。  義父達に話し合いに来てもらうのは無理かと思われたが、しばらくして、義母から翌日に二人で行くと電話で連絡があった。  義父が夫とS子との事をにわかには信じられないのも無理はなかった。それほどに信じ難い事だったのだ。  翌朝、夫の両親が店にやって来た。定休日で私達の他には誰も居なかった。  まず、私がS子疑うことになったきっかけと、その後の顛末を話した。私が話している間、夫の両親はだまって話を聞いていた。  私が一通り話し終えると、義父が言った。 「まあ、二人のことはただの浮気なんだし、ただの遊びだったんだから。K男も苦しんだんだし…… 」  姉がすぐに言い返した。 「苦しんだって、どういう事ですか⁈ これだけN子が苦しんでるのに、自分は死んで責められることも無いのに、苦しんだって、どういう事ですか⁈」 「K男だって、急に死んで、苦しかったに決まってるだろう!」  そこからは義父と姉の言い合いになった。 「だから! それ聞いて、俺らにどうしろって言うんだ! もう死んでるもんはどうしようもないだろ!」  義父はその一点張りだった。 「だいだい、K男がそこまでするなんて! なにが原因があるんじゃないか⁉︎」   ーーえっ⁉︎ 私に責任があると言いたいのか!  一瞬、怒りで体が震えたが、何も言わなかった。  すると、母が言い返した。 「原因があるって、どういう意味ですか⁉︎ N子に原因があるって言うんですか⁉︎ 原因があるとすればK男さんのほうでしょ⁉︎ これが初めてじゃないんですから!」 「へっ、俺だって機会があればやるわ! 男だったら誰だってそうだろ⁉︎ だいたいK男は俺に似てモテるんだ! 何人にもモテて、いい人生だったわ!」と義父が言った。 「もうこれ以上話し合っても無駄だよ。もう帰ってもらおう」 私はもう、まともに会話をする事を諦めて言った。 「あー、そうだそうだ! こんな話してもしょうがねえよ! もうお昼か、腹減ったな。お母さん、帰ろう帰ろう」と言って義父は帰っていった。  「本当に申し訳ありません。申し訳ありません」  義母は何度も頭を下げながら帰っていった。  義父にしてみれば、長男を失ったばかりなのに、次から次へと私達に責められ、息子を否定され、自分達のことも否定されているような気分になって、逆ギレしたり、強がりを言ってしまったのかも知れない。息子の人生を全て否定されたような気がして、いい人生だったと言いたくなったのかも知れない。自分の息子が平気でそんな事をできるわけがないと思いたくて、何か原因があるんじゃないかと言いたくなったのかも知れない。その気持ちは分からなくもなかった。  これまでの15年以上の付き合いで、義父が悪い人ではない事は十分に分かっていたし、これまでさんざんお世話になった。  しかし、その15年以上付き合いのあった嫁が、誰よりも信じていた夫と親友に長年裏切られて平気な顔をされていたことに対して、同情の気持ちや心配の言葉は無いのか、あるいは、本当に私に原因があると思ってるのか、と憤りを感じた。    その夜、S子にメールで、夫の両親に全て話した事とその時の様子を告げた。 「お父様、そんな酷い事をおっしゃったのですね。やはり私が謝罪に伺ってお話ししましょうか?」と返事が返ってきた。  ーーいい子ぶって、でしゃばるんじゃない! 自分が義父に気に入られていると思って丸め込むつもりに違いない!  お気に入りのS子が泣きながら謝ったら、『K男がそそのかして悪かった。それに、N子にも原因があるはずだ」と義父は言いかねないと思った。 「義父には絶対に会わないで下さい」と返事をした。  一方で、わたしには気がかりな事があった。S子の夫の事だ。  もし、夫とS子の事が誤解だったならば、私はS子の夫にも一言、侘びを入れるのが筋だった。それに、姉がS子を店に呼び出す時、「S子に連絡が取れない」とS子の夫にわざわざ電話をしたのだ。そのあと姉が彼に何も言わないのは不自然だと思われた。  私はS子を責める一方で、S子の夫をどうやって宥めるかを考えて、再びS子にメールをした。 「もし、今回の事が誤解だったとしたら、私はすぐにでもご主人にお会いして『とんでもない誤解をした。許してほしい』と謝るのが筋だと思います。でも、ご主人に会って話をすると緊張するし、ほころびが出るかも知れないので、私からということで、このメールの内容をあなたからご主人に転送してもらおうと思いますが、どうですか?あなたとご主人との今までの話と辻褄が合いますか?確認してください」  私が必死で一晩中考えて、S子に送った内容はこうだった。 「N子です。この度は夫と奥様のことを疑って申し訳ありませんでした。」 「どうして疑ってしまったかという経緯からお話しさせて頂きます。夫の四十九日法要の前日のことでした。夫のパソコンを見ていたら、2年ほど前に、からすのパン屋さんのエプロンを夫が購入しているのをたまたま見つけて、心臓が止まるほどドキッとしてしまいました。そのエプロンはS子先生が『お気に入りだ』と言ってよく身につけているものだったからです。夫がプレゼントしたものだと思いました。プレゼントしているのに2人とも黙っているのは絶対におかしいと思いました」 「それからいてもたっても居られなくなり、S子先生を度々問い詰めました。でも、S子先生は『ご主人の事は尊敬して何かと相談をしていましたが、何もありませんでした』とおっしゃるだけでした」 「それでも疑いは消えず、母と姉に打ち明けたら、姉がS子先生を呼び出して問い詰めてしまいました。その時、S子先生は『本当に何も無かった。誤解を招くような事をして申し訳なかった』と謝って下さいました。それでも、私は半信半疑でした。」 「ところが、その翌日に夫の父が『こんな物が仕事場にあったけど、おまえこれ使うか?』と言って、そのエプロンを私に渡してきたのです。本当に驚きました。そして、私の誤解だったと知りました」 「未だに、夫がどうしてそのエプロンを購入していたのか分かりません。ひょっとしたら、慕ってくれて、何でも相談してくれていたS子先生に、夫が淡い恋心のようなものを抱いていて、たまたまインターネットでS子先生が好きなからすのパン屋さんのエプロンを見つけ、プレゼントしたくなって購入したものの、S子先生がすでに同じ物を持っていたからやめたのか、それともこんな事をしてはいけないと思いとどまったかして、プレゼントしなかったのかも知れません。そういえば、我が家に絵本が少しずつ増えていました。息子の為だと思っていましたが、絵本好きのS子先生と話が合いやすいように、夫は絵本を見ていたのかも知れません」 「正直、S子先生には一時、強い嫉妬心を持ちました。でも、だからといって家庭をないがしろにしているような夫ではありませんでしたし、長く夫婦をやっていると、夫も私も男と女という感じでは無くなっていたので、そういう感情が芽生えてしまう事もあるのかな、全くしようがない男だな、という気持ちで今は飲み込んでいます。夫がS子先生に、淡いとはいえ、恋心を抱いていた時期があったとしたら、妻として謝りたいです。申し訳ありませんでした」 「私も馬鹿でした。よくよく考えてみると、夫は自由に出かけたりしていましたが、S子先生にそんな時間があるはずありません」 「もっと早く、しかもお会いして謝罪しなければいけなかったのですが、S子先生への嫉妬の気持ちがあったり、ご主人が本当に怒っていたら怖いな、とか、上手くしゃべれるかな、という気持ちがあり、こんなに遅く、こんな形での謝罪になってしまいました。本当に申し訳ありません。私の母と姉からも『N子の話を信じてしまい、S子さんを疑ってしまって、本当に申し訳なかった』と伝えてくれと言われています。許していだだけるか分かりませんが、私としては、今後とも、親子共々、お寺様と檀家としても、よろしくお願いしたいです」 「それから、誠に勝手なお願いなのですが、我々が、夫とS子先生の仲を疑ったという事は、他言しないで頂けないでしょうか?もし人が聞いたら、でも二人の間にやはり何かあったのかも知れない、いや、何かあったに違いない、となるのが世間というものですから。それに、この事が子供達の耳にいつか入ってしまったら大変です。疑っておいて、誠に勝手を言って申し訳ありませんが、どうかどうかよろしくお願い申し上げます」    どうして私がここまでしなければいけないのかと思うと、悔しかった。だが、息子や、長年見てきた周りの子供達のことを考えると、こうするより仕方がなかった。とにかくS子の夫にバレないように、そして今後の事も考えて穏便に済ませるようにすることに精一杯だった。  しばらくして、S子から返事が来た。 「N子さん、本当に本当に申し訳ありません。昨日のお父様のことにしろ、N子さんは何一つ悪くないのに、N子さんに嫌な思いや、こんなご面倒をおかけしてしまって、本当に心が苦しいです。自分のしてしまったことで、N子さんがどれだけ苦しみ辛い思いをしているかと思うと、死んでお詫びするしかないという気持ちです。毎日N子さんの辛さを思い、自分のおかしたことの罪の大きさを深く反省しています。典子さんの考えてくださった内容で夫は納得すると思います。本当にすみません。この文章を考えてくださった典子さんのお気持ちを考えると申し訳なくて、心が潰れそうです」  翌日になってから、気になってまたS子にメールをした。 「私からのメールを見て、ご主人の反応はどうでしたか?それから、ご主人は本当にあなたが言うような酷い人なのでしょうか?この前、あなたは『夫は子供達に暴力を振るいます。でも、別れたくても父が許してくれないんです』と言いました。でも、もしそれが本当だったら、私なら一緒に生活するなんてとても耐えられません。どんな事をしても別れます。両親に反対されても何度でも説得します。ご主人は本当にそんなに悪い人ですか?故郷を捨てて、たった一人であなたの為にお寺に入ってくれた人なのに。ご住職様と上手くいかなくて、時々イライラしてしまうだけなのではないのでしょうか?」    S子から返事が来た。 「N子さん、すみません。夫の反応ですが、正直なことを言いますと、納得していないと言いますか、N子さんに対してではなく、お姉様に対しての怒りがまだあるようです。お姉様に呼ばれた日に、私がすぐに電話に出られなかったのが悪いのですが、お姉様は葬儀屋さんに夫の携帯電話の番号を聞いて、夫に電話をかけてこられました」 「夫は『そこまでして俺に連絡してきて、お前を呼び出して、結局勘違いだったのに、何で直接謝らないんだ。N子さんの気持ちはわかるが、それとこれとは別だ』と言い、『お前はお姉さんに、夫に謝ってくださいって言えないのか!』と怒鳴られました」 「夫はまた『お前も疑われていたのに、よく平気でいられるな』と言ってきましたが、『私も今まで、K男さんに相談したり助けてもらったり、Tシャツをもらったりして、N子さんに疑われるような行動をしていたから、それは自分が悪かったし、私が謝るところだったから』というと、『謝る時点で、お前はバカだ!』と言われました」 「私のしてしまったことで、N子さんはじめ、お母様やお姉様、皆さんに多大なる迷惑をかけている上に、N子さんにあのようなメッセージを送っていただき、私としてはもうこれ以上ない感謝を感じています。これから先、もし夫が失礼な振る舞いをしたらと思うと、今から申し訳なくいたたまれません」 「それから、夫のことですが、暴力は本当です。心底、悪人ではないのですが、キレると酷く、今までどれだけ家の家具などを壊したか分かりません。機嫌の良い時は良い父親なのですが、ひとたび機嫌が悪くなると怒鳴ったりして恐ろしいです」 「そもそも、結婚前に、夫がキレて手がつけられないことが何度かあり、結婚をやめようと思いましたが、寺同士のことなので、結婚式の一年以上前から色々なところへ報告していたりして、やめるにやめられない状況でした」 「そして、いざ結婚してみたら、私の父と折り合いが悪く、それは父も色々悪いのですが、確かに父へのストレスでキレることも増えました。子供が生まれたら直るかとも思いましたが、子供には躾の範疇を越えて手をあげたり、自分の感情で手をあげたりと酷くて、どこかに相談しようと本気で考えました。でも、そこで世間体を気にして思いとどまってしまった情けない自分がいます」 「離婚も考えて、父に言いましたが、父も彼を嫌っているのに『離婚だけは我慢しろ』と言われました。子供達へ手を上げることも分かっているのに、自分に被害が及ぶのが嫌なのか黙っています。こんな酷い家庭状況をお話しするのはお恥ずかしいのですが、事実です」  やはり、S子は夫への不満から不倫に走ったのだろう。そして、夫はそれを利用して、性欲を満足させていたのかも知れない。  それにしても、S子も夫も、S子の夫の気性を知りながら、よく関係を持ち続けられたものだと思った。そして、S子の夫は身長もあり、横幅もあり、体重は100キロ以上あると聞いていた。いわゆるスキンヘッドの大男だった。私なら、彼の事を知らず、コンビニで彼を見かけたら、なるべく避けて関わらないようにしてしまうだろう。もし彼のような人に不倫がバレたらどうなるのか、恐ろしくはなかったのだろうか。  そして、彼のような大男に暴力を振るわれているのだとしたら、その子供達はなんと恐怖に怯えていることなのだろう。やはり彼にバレる事だけはなんとしても避けなければならないと思った。  ーーこのままではまずい! 何とかしなければ……  この翌日は新盆の日だった。夫が死んで初めて迎える、8月1日のお盆の日だ。  新盆を迎える親族は、お寺に行ってお経を読んでもらったり、お寺が用意した食事をいただくことになっていて、我々もお寺を訪ねる予定になっていた。その時にS子の夫がお経を読むことになっているので、彼と顔を合わせなければいけないかった。  私はまたS子にメールをした。 「ご主人が姉に対して怒りがあるのは大問題です。姉はお店の若女将なんです。これからご主人をはじめ、お寺様達との関係がいっそう深くなるのに、ご主人にそのような気持ちを持ち続けられたら、この先、仕事上に支障をきたすかも知れません」 「姉に昨日、『新盆の時にS子のご主人と話す機会があったら、謝ったほうがいいんじゃない?』と言ったら、姉は『なぜ私が謝らなきゃいけないんだ!』と言ったので、姉に謝罪させるのは難しいかも知れないです。私が明日、ひと気のない所でご主人とお話しする機会があったら『この度のことは疑って申し訳ありませんでした。姉の事も申し訳ありません。夫が亡くなったばかりなので、姉は私のことを過剰に守ろうとしてしまったんだと思います。どうか許してください』と言う事くらいしか出来ません」 S子から返事が来た。 「私が呼ばれた時のお姉様の剣幕を思うと、お姉様に謝っていただくなど、到底無理なことだと私も思います。ご自分の大切な妹さんを傷つけられたのですから、なぜ自分が謝らねばいけないのかとお思いになるのは、当然のお気持ちだと思います。ただ、夫の怒りの矛先がお姉様なので、明日のお姉様の様子によって、夫の怒りが倍増し、事態が悪くなる可能性が高いので心配です。『疑いをかけられて呼び出されて、違ったのに、謝ってもらってない!』と言って、夫が自分の憤りを誰かにぶつけることは確実です。周りのお寺様達にも言ってしまうかもしれません。夫はそういう人間なのです。自分の気が済むようにしない限りは、穏便に済ませることなど考えてもくれないです」  私はその後、姉に電話をして、二人で新盆の儀式が始まる前にS子の夫に謝ることになった。  翌日になり、私達が集合時間の30分前にお寺に行くと、S子の夫が準備をしているのが見えた。  私と姉がS子の夫に近づき話しかけようとすると、彼は周りを気にするように左右を見回してから言った。 「あの、例のことですよね?」 「はい。この度は本当に申し訳ありませんでした」  私達は口々に謝った。 「まあ、こういう場で言われても本当はあれなんですけどね。一歩間違えば、お寺と、それから子供達の名誉が傷つく訳ですし…… 『勘違いだった』じゃ、本当は済まない話なんですけどね…… 私も新盆前に、自分の思うところをお話しに行こうと思ったりもしたんですけどね。S子がやめてくれと言うもんだから」  姉が言った。 「N子の夫が亡くなったばかりで、色々な事があり、敏感になってしまいました。どうか許してください」 「それを言ったら、こっちだって敏感になりましたよ! 敏感になって、S子に『本当に何もなかったのか?』と何度も確認しましたけど、S子は『まさか! ある訳ないじゃん』と……」 「まあ…… 今回は許しますけど」と彼はフッと鼻で笑った。 「本当に申し訳ありませんでした。これからもお寺と檀家としても、子供が同級生の親同士としても、仲良くさせてもらいたいです。どうかよろしくお願い致します」と私は必死で頭を下げた。 「こちらこそ、よろしくお願い致します」と言って、S子の夫はやっとニコッと笑った。  姉は我慢をするのがやっとの状態だったようで、彼とは目を合わせないでいた。S子の夫は、姉に目を見て謝ってもらいたかったのか、姉の顔を怪訝そうに覗き込んでいて、私はドキドキした。  その後、新盆の儀式が始まったが、私はまたもやパニック発作が出てしまい、早めにその場を後にした。家に着くと、悔しくて涙が溢れた。  ーーどうしてこんな事になってしまったのだろう。どうして私がこんな目に遭わなければいけないのか……  新盆の儀式が終わって、母達が帰る時、S子が出入口に立ち、母と姉にばかりペコペコと深く頭を下げたらしい。母は『他のお寺に集まった人達から、変に思われたらどうしよう』と思って戸惑ったそうだ。そして、その様子をS子の夫が怪訝そうな顔をして遠くから見ていたという。  ーー私達がどんな思いで謝っているのか分かっているのか! 余計な事をしやがって!  心配になったので、S子にメールでその後の様子を訊ねたら、S子の夫は謝られて満足している様子だということだった。 第2節 苛立ち  その数日後、私は義母を訪ねた。  夫とS子の事を打ち明けた後、会っていなかったし、新盆の時にお寺で会ったが、ほとんど口をきかなかった。だから、義父も義母もどんな様子か気になっていた。  家を訪ねる前に義母に電話をした。義母は沈んだ声で電話に出た。 「これからお伺いしても良いですか?」 「N子さん、もう家には来ないかと思ってたわ……」 「そんな事ないです。お義父さんとお義母さんには今までさんざんお世話になったのに……」 「あらそう⁉︎ じゃ、待ってるわね!」と義母は急に明るい声になった。  義母はとても苦しんでいるだろう。そして、私の顔を見て平謝りするに違いない。「私は大丈夫ですよ」と言って安心してもらおう。そんな風に思いながら向かった。  ところが、家を訪ねると、義母は玄関先で開口一番に明るい声で行った。 「N子さん。このTシャツ、きつくて着れなかったんだけど、少し痩せたから着れるようになったのよ。うふふ。」  私は面食らった。  それから、居間に入るとお茶を出してくれて、夫とS子のことには全く触れず、世間話を始めた。  そして、しばらくすると、「そういえば、お父さん(義父)がカメラで撮影した画像をプリンターで印刷しようとしてるんだけど、上手くいかないからN子さんみてくれないかしら?」  2階に上がると、義父はプリンターと格闘していた。夫が居ないので、こういった機器の操作をするのに困っている様子だった。  義父は私を見ると、「おう。これプリント出来るか?」と言った。私がやり方を説明して、すぐにプリントする事が出来た。    私は苛立ち始めていた。  義父も義母も、私を見るなり『この前は悪かった』と、一言でも言ってくると思っていた。だから、私は『もう、あまり気にしないでください』というつもりだった。今までお世話になったし、二人が気の毒だと思って、少しでも安心させたかった。だが、義父も義母も全くその事に触れようとはしなかった。  ーーそうか! 二人とも、その事にはもう触れるつもりはないし、触れて欲しくはないのだ!  義父達の立場に立ってみれば、それはそうかも知れない。それに、私の方から訪ねてきたのだから大丈夫だと思ったのかも知れない。あとは、私がこのまま時間と共に忘れてくれれば、と思ったのかも知れない。  その事に触れて欲しくない夫の両親と、二十四時間その事しか考えられない私とでは、心が通うわけがないと思った。  それからしばらくは、義父達から度々連絡が来た。  会社名義の夫の携帯電話を解約してもらいたいとか、仕事場に電話が入ると夫の携帯電話に転送されるようになっているので解除してもらいたいとか、会社に届くファクシミリを自宅に送られるように転送してもらいたいとか、夫のパソコンに入っているデータを探してほしいとか、銀行から毎月引き落とされているインターネット接続料をどうしたら解約できるか、などだ。私の仕事以外の時間は、そういった事に費やされることが多くなった。  私が対応するのを義父が気長に待っていてくれるのならまだ良かった。だが、義父は超せっかちで、言い出したら、私がそれをやるまで「まだか! 今、何をやってる! 今すぐに来てくれ!」と頻繁に電話してくるタイプだった。  私が電話に出られない時は、電話に出るまで何度もかけてきた。数分おきに入っている着信をみてドキッとする事も多かった。  夫を亡くしたばかりの私を心配した友人達が電話をかけて来てくれて、話し込んでいても、頻繁に鳴るキャッチホンの音で義父から電話がかかって来ていると知り、ゆっくり話が出来ない事もあった。  すぐに折り返し電話をすると「なぜ、電話に出ない!」と怒鳴られた。人には電話に出られない状況があるという事が分からないのだろうかと思った。    義父が我が家に来て、庭の木が枯れかかっているのを見て、「木に水をやらなきゃ、枯れてしまうだろ! そんな事もわからないのか!」と怒鳴られた事もあった。  自分が来た時に車が停めにくいと言って、私にもっと端に車を停めておくように注意をされた事もあった。でも我が家は駐車スペースが割と広く、そんなに注意する必要は無いはずだった。それに、義父の方こそ、いつもとんでもなく適当な停め方をして、後に駐車するのが大変な事も多かった。  我が家の玄関の上がり框の所に、私に何の断りもなく、義父が勝手にドライバーで壁に穴を開け、手摺りをつけた。自分が来た時に家に上がりにくいのだそうだ。無断でそんな事をされると、今後どれだけ無断で色々なことをされるのだろうと憤りを感じた。  義父は、一家の主人を失った私達に対して、これからは自分が色々と面倒を見てあげようという気持ちだったのかも知れない。だが、義父の性格を考えると、これからトラブルが増えていきそうだった。    私はますます苛立っていた。  ーー冗談じゃない! 自分達の息子が私に何をしたか忘れたのか! このまま何事も無かったかのように振る舞うつもりなのか! もう我慢などしていられない!  私はそういう、心の狭い人間なのだ。  私は義父達に頼まれた事を一通り終えると、次第に夫の両親に対して態度を曇らせ、あまり連絡しないようになった。そして、向こうからも連絡が来なくなった。 第3節 遺産相続  その一方で、私にはまだやらなければいけない事があった。  夫はバツイチで、私と夫が結婚した時、前妻との間に生まれた娘は2歳位だった。だから、その17歳か18歳位になっているはず娘には、夫の遺産を相続する権利があるはずだった。  私はその母親である前妻にいつかは連絡しなければならないとは思いつつも、いつ、どのような形で連絡したら良いのかも分からず、しかも、夫の度重なる不倫の発覚で、前妻のことは後回しになってしまっていた。  だが、夫の口座がある銀行から電話があり、「遺産相続の件はお済みですか?」と訊かれた。そこで事情を話すと、早く遺産相続の手続きをした方が良いと言われたのだ。  いよいよ前妻とその娘に対峙する時が来た。    まず、知り合いの司法書士に会って相談をした。  私は相手には直接連絡せず、弁護士などを通すのものだと思い込んでいた。だが、その司法書士によると、連絡先が分かるのであれば、直接連絡してなるべく穏便に済ませるのが得策で、最初から弁護士に連絡させると、喧嘩を売っていると思われかねない、ということだった。  まずは、財産目録や土地と持ち家の登記簿などをその司法書士に用意してもらい、相手の連絡先は夫の両親が知っているので、夫の両親から相手に連絡してもらい、私が相手に会った時にそれらの資料を渡そうということになった。    財産と言っても、実際は土地と持ち家だけで、現金はほとんど無かった。  住宅ローンを組んでいた事もあるし、夫が養育費を払っていたこともあった。それに、夫は色々なものに興味がありすぎて、常にあれが欲しい、これを買って試してみたい、という具合に、買い物が大好きだった。子供にも色々な物をいつの間にか買い与えていた。 「今の子供達は幸せだな。こんなに面白い物を色々と買ってもらえて…… 俺が子供の時は親に何も買ってもらえなかった」と言い、子供に買ってやっていると言いながら、自分も興味のある玩具やゲームなどを一緒に楽しんでいた。  夫は外食も大好きだった。外食に行くといつもお店で一番高いものを注文したがったり、食べ切れないほどあれこれと注文して、食べ残しを包んでもらったりしていた。   結婚当初、夫に「元の嫁に、やりたい事や買いたい物をいつも我慢させられて嫌だった」と何度も聞かされていたので、夫と喧嘩をするのが嫌で、浪費することをあまり指摘できなかった。  何度か口にした事はあったが、「お前だってお金使っているだろう⁉︎ 俺がこんなに仕事とか色々頑張ったり、子供の面倒も見てるのに、こんなの事も許されないのか!」と言い、一度機嫌が悪くなると、宥めるのが大変だったので、あまり言えなかった。  それから、夫は週に一度、日曜日だけ仕事が休みだったが、私はほぼ毎週、日曜日は仕事だったので、夫は週に一度の休日を子供と過ごすことになっていた。だが、翌月曜日は私の休日で、私は自分だけで1日自由に過ごすことが出来た。それを言われると反論できず、夫の浪費をあまり咎めることが出来なかった。  そんなわけで、二人で働いていても現金はほとんど無かった。だが、土地と持ち家を現金に換算し、その4分の1は夫の娘に権利があるとすると、それは結構な金額になった。   「財産分与の権利を放棄する書類も用意しておきます」と司法書士に言われた。 「お金をもらう権利があるのに、放棄する人なんているんですか?私が彼女の立場なら、娘の為にも、もらえるものは絶対に貰いますけどね……」 「でも、色々な理由で財産放棄をする場合がありますよ。もう関わり合いたくないとか…… それに、現金はほとんど無いのだし、『息子と二人で、これからも我が家に住み続けたいので、財産を放棄していただけませんか?』と言ってみても良いんじゃないでしょうか?」  そんなこと、言い出せるような雰囲気になるのだろうかと思った。  そういえば、夫の通夜のあと、姉が「お通夜にK男の娘らしき、女の子が列席していたよ。この辺では見かけない制服を着ていたし、こんな高校生みたいな子がどうして来ているのだろうと思って、ピーンと来たよ」と言っていた。  夫の両親はそのことには全く気付かなかったと言っていた。だが、葬式の芳名簿を見てもらったら、前妻とその娘の連名で名前が記入してあった。住所は記入されていたが電話番号は書かれていなかった。    司法書士から書類が整った旨の連絡をもらうと、いよいよ前妻に連絡をする時が来た。  ここからは夫の前妻をIさんと呼ぶ。  まず、義母を訪ねた。義母がIさんの連絡先を知っていたからだ。  私からIさんにいきなり電話をするのは躊躇われたし、Iさんも話しづらいだろうと言うことになり、義母から連絡をしてもらって、会う時も義母に一緒に来てもらうという話になった。  ところがそこへ、仕事に出かけていた義父が帰ってきた。 「いったい、何の話をしてるんだ!」  義父は私の姿を見て、不機嫌そうに言った。私は義父に事情を話した。 「何でお母さんが電話をかけたり、ついて行ったりしなきゃいけないんだ! 俺たちは関係ないだろ! お母さんがその話し合いに参加したら、俺らもお金もらえるって訳じゃあるまいし!」 「あんた、何言ってるの⁉︎ 私達がお金なんかもらえる訳ないでしょ⁉︎」と義母は言った。  義父は決して悪い人ではないが、一度怒りを買うと、激しく感情を剥き出しにして来るタイプだった。  私はもう、どうでも良くなってきた。 「分かりました。私が電話して、私一人で会ってきます」 そう言って、Iさんの電話番号のメモをもらい、その家を後にした。  車に乗り込んでいる時、「あんた、一体何言ってるの!」と、義母が義父に怒っている声が聞こえた。    家に帰ると母に電話をして、事の顛末を話した。そして、Iさんに会う時、母にも一緒に来てもらう事になった。  その時、母が言った。 「実は、今まで黙ってたんだけど。あなたとK男さんの結婚式の前日の夜に、Iさんから電話がかかってきたんだよ」 「彼女は『K男と娘さんを結婚させない方が良いですよ。K男には気をつけた方が良いです』と言ってきた。そこで私が『あなたはもう離婚しているんでしょ?じゃあ、もう関係ないでしょ?』と言い返した。そしたら電話が切れたんだよ」 「あなたがあの頃、あまりにも幸せそうだったから言えなかった。でも、何かあるんじゃないかと思って心配だった」  まさに晴天の霹靂だった。私はそのことを全然知らなかった。そして、その事で母や姉に心配をかけていた。そして、その心配は十数年後に的中したのだ。  ーーきっとIさんは気の強い女性に違いない。  怖くなった。だが、電話しなければならないことは分かっていた。    その夜、覚悟をきめてIさんに電話をした。心臓が飛び出しそうなほど緊張した。 「もしもし。私、亡くなったK男の妻でN子と申します。Iさんですか?」 「あっ…… はい!そうです!」  驚いた様子だったが、Iさんはっきりとした口調で答えた。 「実は、遺産相続の事でお話をしたいので、近いうちにお会いできないでしょうか?」 「今週は忙しいので、来週の平日の夜なら大丈夫です」 「平日の夜なら、私もいつでも大丈夫ですが……」 「ちょっと、お待ち下さい」  Iさんはそう言って、近くにいる娘に予定を確認しているようだった。 「来週の木曜日なら、娘もバイトが無いから大丈夫です。娘も来ていいんですよね?娘が相続するんですよね?」 「はい、もちろんです。お嬢さんと二人で来られますか?私は自分の母と行きます」  Iさんは仕事帰りに行くということで、帰りが遅くならないように、彼女の家の近くのファミレスで会う事になった。私も地元で会うと誰に見られるか分からないので、都合が良かった。 「必ず娘と行きます。娘は色々言いたい事があるそうなので……」と最後に彼女は言った。  Iさんはとても毅然としていて、気の強い女性のように思えた。夫からも、夫の両親からも、頭が良くて気の強い女性だと聞いていた。だから、電話ではそれほど威圧的ではなかったが、怖かった。  ーーそれにしても、K男の娘が私に言いたい事とは一体なんだろう?  それを考えると会うのがなんだか恐ろしかった。でも、会ってみなければ何を言いたいのか分からない。何か私が責められるような事をしたのだろうか?それとも、単にK男が生前どんな人だったのか訊きたいとか…… 色々と考えてみたが、とにかく会ってみるしかなかった。  それにしても、なんでこんなに次々と修羅場が待ち受けているのだろう。これも全てK男が原因ではないか。私が何をした。K男と結婚した私が悪いのか。  次々と待ち受ける出来事に、私は頭がどうにかなりそうだった。    その当日、Iさんに会うために母と待ち合わせの場所に行くと、Iさん達は先に来ていて、お店の隅の6人掛けの席の窓側に、3人で横並びに座っていた。相手は2人で来ると思っていたが、大人の女性が2人と、制服を着た女の子が待っていた。  席に着くと、心臓が飛び出しそうなほどドキドキしてきた。ところが、母がいきなり「トイレに行って来る」と言って、私だけを置き去りにした。  3対1になった私は頭が真っ白になり、どうして良いか分からず下を向いた。そして、しだいに顔を上げるとハッとした。その女の子の顔があまりにも夫にそっくりだったのだ。  一瞬、夫が生き返ったような不思議な気持ちになった。夫に血を分けた娘がいる事は知っていたが、会ったことは無かったし、正直なところ、その存在は私の中であまり現実味がなかった。だがその時、まさに夫のDNAを見せつけられたのだ。彼女は仏頂面で半分むこうを向いて、私と目を合わせようともしていなかった。  母はトイレに行ったきり、なかなか戻って来なかった。このまま黙っているわけにもいかず、何か言わなければと思って話しかけた。 「あの…… さっそくですが。こちらが財産目録と、土地と建物の登記簿と、姻戚関係を表す戸籍です。目を通してもらえますか?」と言った。  そして、あっ!と思って言い直した。 「すみません。その前に、私はK男の妻でN子と申します。自己紹介もしないですみません」  すると、真ん中に座っている女性が口を開いた。 「私が元妻です。そして、これが娘です。そして、これが私の妹です。やっぱり妹にも一緒に来てもらいました。K男の通夜に来ていたのは娘と妹です。私は行っていません」  その時になって、自分が2人の女性のうち、どちらがIさんかもよく分かっていなかったことに気がついた。  Iさんは会社の帰りにそのまま来た様子で、髪を後ろで一つに束ねて、事務員のような制服を着ていた。真面目でしっかりとした女性に見えた。 「団信に入っていましたよね⁉︎」彼女はいきなり切り出した。 「えっ?」 「団信、団体信用生命保険です! 夫が死ぬと住宅ローンが無くなる保険です! 入ってましたよね⁉︎」  彼女は睨みながら言った。 「はい。入っていました」 「じゃあ、住宅ローンはもう無いんですよね!」 「はい。ありません」 「K男が病院に運ばれてから亡くなるまでの間に何日かありましたよね⁉ ︎その間にK男の口座からお金を下ろしませんでしたか⁉︎」 「あ、はい。下ろしていませんが……」  すると、彼女の妹が横を向いて言った。 「なにも、いきなりそんな事言わなくても…… だいたい、そんなこと考えられないんじゃないの?」 「はい。第一、下ろすお金がほとんど無かったんです。財産目録を見ていただくをお分かりになると思うんですが……」  そして、私はどうして貯金が無かったかという話をした。 「ああ、K男は確かにそういうタイプですよね。すごくよく分かります」と言って、私の説明にすぐ納得してくれた。  そこで、母がトイレからやっと帰ってきた。そして、同じ話をもう一度しなければならなかった。  それから、私は持ってきた書類を見せ、一通りの説明をした。  だが、「今見ても、すぐには何が何だかよく分からないから、後でよく見ておきます」と彼女は言った。そう言われてみればその通りだと思った。  そして、Iさんは渡した書類をさっさとバッグにしまうと、私の方に向き直って言った。 「それよりも…… いっぱい、いっぱいお話ししたい事があります! いいですか⁉︎」  ーーえっ⁉︎  私はまた心臓がドキドキしてきた。 「私と結婚してるって知ってて、付き合ってましたよね⁉︎ 知ってて、不倫してましたよね⁉︎」  ーーどういう事だろう?……  私はわけが分からなくなった。 「いえ、離婚された後だったはずですけど…… K男さんからはそう聞いてました」  私はやっとの思いで声を絞り出した。 「あー、やっぱりそうなんですね!」  彼女が大きな声で呆れたように言い、私はビクッとした。 「やっぱり嘘つかれてたんですね! そうか! そういうことか!」 「あなたが付き合ってた時、K男はまだ私と結婚してたんですよ! まだ離婚していなかたんです! 離婚調停中もあなたと付き合っている事を知ってたけど、黙っていたんです!」  ーーなんという事なのだ!  だから彼女は怖い顔をして私を睨み、娘は私と目を合わさずにそっぽを向いていたのだ。頭がクラクラしてきた。  K男は私と知り合ったから彼女と離婚をしたのだろうか。それとも離婚を考えている時に私と知り合ったのだろうか。当時、嘘がよくバレなかったものだ。夫はやはり嘘をつくのが上手いのだ。欲望を叶えるためには、平気で嘘をつけるのだ。  いずれにしろ、彼女は私が原因で離婚したと思っている訳だから、私を恨んでいるのは当たり前だ。彼女の娘も同じ気持ちだろう。 「K男はブランドとか、肩書きに弱いんですよ! だから私からあなたに乗り換えたんです! 普通の家に生まれた私より、料亭の家に生まれたあなたを選んだんですよ! あなたのお店からたくさん仕事もらってたでしょ⁉︎ K男もあの父親も、そうやって名のある人達に寄生して、仕事をもらって生きてきたんですよ! そういう家なんです。あの家は!」  確かに、義父の会社は私の実家の店で内装や外装の仕事をたくさんしていた。料亭のような商売は建物を維持するのが大変で、そのような仕事はいくらでも湧いて出てきた。でも、それはいくらなんでも言い過ぎではないかと思って聞いていた。 「あの…… K男さんは、Iさんとは結婚してまもなく関係が上手くいかなくなったと言ってました。それから、K男さんのお父さんとお母さんとも上手くいかなかったって」  私は思わず言った。 「いいえ! 全然そんな事ありませんでしたよ! 普通の夫婦みたいに仲良くやってましたよ! それに、K男の両親とも普通に仲良くしてましたよ!」 「それなのに、あなたが現れてからまもなくK男はあまり家に帰って来なくなって、そのうちに連絡も取れなくなって、やっと連絡が取れたら、離婚しようと言われたんです!」  確かに、K男は私と付き合い始めてから、私が住んでいたアパートに頻繁に寝泊まりするようになっていた。その間、彼女からの電話を無視していたのだろうか。  それから、彼女は離婚の際、夫や夫の両親からどんなに酷い目に遭わされたかという話をした。  私は狐につままれたようだった。私が夫から聞いていた離婚時のエピソードと、全く違う話をIさんはした。  夫は『彼女に財産の何もかも持っていかれた』と言っていたが、「自分の居ない間に、K男が住んでいたアパートから金目の物を全て持ち去っていた」と彼女は言った。 「私の事をとんでもない鬼嫁みたいに言ってたんじゃありませんか⁉︎ K男は大嘘つきなんです! 自分の都合の良いように何でも嘘をつくんですよ! それで、父親は長男可愛さになんでもK男の言うことを信じるんです! 私はどんでもない鬼嫁に仕立て上げられていたんですよ!」  確かに夫も義父達も、Iさんの事を良くは言ってなかった。  Iさんの実家は私が住んでいる所と同じ市内にあった。そして、彼女の妹は結婚して、そのご主人が婿養子に入り、Iさんの両親と共にその家に住んでいるそうだ。  その妹は時々、スーパーマーケットで私と夫と息子の3人で買い物をしているところを見かけていたそうだ。夫は彼女に気付くとそっぽを向いて、その場から離れたりしていたらしい。そんな事も全く知らなかった。夫は私に何でも話してくれていると思っていが、夫の身の回りで起きていた事の多くを私は知らなかった。  Iさんの妹は、時にIさんをたしなめたり、話を補足したりと、終始冷静で感じが良かった。最初は3対2でこちらが部が悪いような気がしたが、彼女も来てくれて良かったと思った。  そして、母が言った。 「実は、K男さんが亡くなった後、不倫してた事が分かって…… しかもN子がよく知ってる二人の女性と。それでN子は本当に苦しんでいるんです」 「そうなんです。正直言うと、今、死にたいくらいの気持ちなんです」と私も言った。 「そんな! あの男の為に死ぬ事ないですよ! あなたも被害者なんですね!」とIさんが言った。  彼女にそんな話をするべきではなかったのかも知れない。でも、母は彼女の話を聞いて、つい打ち明けてしまったのだろう。私も少しくらい話しても良いだろうという気持ちになっていた。  気がつくと、そっぽを向いていたIさんの娘がこちらを向いて真剣に話を聞いていた。 「こんな話、お嬢さんの前でしても大丈夫ですか?」と私は訊いた。 「全然大丈夫です。この子は昔から父親のそういう話を散々聞かされて、慣れていますから」とIさんは言った。 「そういえば、お嬢さんは何か私に言いたい事があるんですよね?」と私は尋ねた。 「いや、そんな話聞いちゃうと、言うことも180度違ってくるって言うか……」とその娘は困惑した様子で言った。  きっと彼女は、私がK男を奪ったせいで自分達がどんなに辛い思いをしたかを、私に言おうとしていたに違いなかった。ところが意外な事を言われて、言おうとしていた言葉を失ったのだろう。  その後、また私から連絡することになって別れた。最後は和やかな雰囲気で、3人共笑顔を見せてくれてほっとした。    その後、しばらくはIさんの事ばかり考えていた。  Iさんは私が聞いていた話と全く違うことを言っていたが、一体どう言うことなのだろうと思った。  人というものは、物事を自分に都合の良いように捉えて記憶しているものだと、テレビか何かで聞いた事がある。そうでなければ辛くて生きてはいけないそうだ。私だってそうやって生きているのかも知れない。  夫は自分に都合の良いように私に話をし、そして、Iさんも自分のなりの解釈でその時の出来事を捉えていたということなのか。  私なりに考えてみた。これは、あくまで私なりの想像だ。  Iさんは私と違って、しっかりした妻だったようだ。K男の金の使い方や、夜の外出などに色々注意をしていた。妻なら家計を守るのは当然の事だ。Iさんは専業主婦だったそうだから、お金に関しては私達夫婦より余裕が無かったはずなのに、Iさんは毎月きちんと貯金もしていたそうだ。  夫とIさんは離婚するような状態ではなかった。だが、夫は自分のする事を否定されたり、邪魔されたりするのが大嫌いなタイプだ。だから、Iさんに色々注意されるのを疎ましく思っていたのかも知れない。  そこへ私が現れた。アプローチしてみたら上手くいきそうだから、すでに離婚していることにして付き合い始めて、早く離婚の話を進めようとK男は考えた。そんなところなのではないか。   だがIさんにしてみればたまったものではない。夫が急に帰って来なくなり、連絡も取れなくなり、連絡が取れたと思ったら『離婚しよう』と言われたのだ。しかも子供はまだ2歳位だった。私ならとても耐えられそうにない。  彼女は離婚後、ショックで地元に近づくこともできず、薬も飲んでいたという。無理もない話だ。夫はなんと酷いことをしたのだろう。  そして、私は彼女が苦しんでいることも知らずに、結婚に向けてたいそうはしゃいでいた。盛大な結婚式を挙げだり、友人達と集まって二次会もした。その頃、K男が再婚すると聞いた彼女がどれほど私達を恨んでいるかも知らずに。  そして、娘と二人でこれまで、どれほど私達を恨んできたことかと想像するだけで、背筋が凍るようだった。    そういえば、財産放棄の話を持ち出す事などすっかり忘れていた。それに、私達が彼女達にした事を考えると、財産の4分の1をお渡しするのが当然に思えた。  数日後、Iさんに電話をした。 「お渡しした書類を確認していただきましたか?それで、ご希望をお伺いしたいのですが……」 「逆にどうしたら良いと思いますか?」と彼女は言った。 「細かい金額も含めて、きっちり4分の1が良いかと……」 「私もそれが良いと思います」  それで話がまとまった。    数週間後、財産分与の書類に判子を押してもらう為に、同じファミレスで再びIさんに会った。  Iさんは前回と同じ格好で現れたが、雰囲気は全く違っていた。人というものは、相手に対する気持ちが違うと、こんなにも違った印象を与えるのかと思った。Iさんはとてもにこやかで、まるで友人に会っているようだった。さっさと用件を済ませると、私達は色々な話をした。  Iさんによると、K男は同じ高校の美術部の先輩だったそうだ。ちなみに、私も偶然その高校の卒業生だが、4つ上の学年なので顔を合わせてはいなかった。その頃から二人が付き合っていた訳ではなく、K男は別の美術部の同級生と付き合っていたそうだ。  K男は高校を卒業すると、京都の美術短大に進学した。そして、その付き合っていた彼女を京都に連れて行ったそうだ。  そういえば、義父達にA子との不倫の事を打ち明けた時、「K男はね。京都に行った時も、手に手を取り合って駆け落ち同然で行ったのよね」と義母が言っていた。『駆け落ち同然』というのはどういう意味なのかよく分からなかったが、その彼女の親は反対をしたが、その親を出し抜いて二人で京都に行ったということなのだろうか。  だが、京都に行ったら行ったで、K男は様々な女性との出会いがあり、何人もの女性と付き合ったそうだ。その後、京都に連れて行った彼女がどうなったかは知らない。だが、彼女の親にしてみれば、駆け落ち同然で娘を連れて行ったくせに、別の女性と付き合い始めて、娘が傷心して家に戻ってきたということなら、とんでもない話だ。  K男はその後、その短大を卒業して地元に帰ってきた。すると間もなくして、京都で付き合っていた関西出身の女性が夫を追いかけてきて、こちらに住み、仕事もしていたという。  その時、高校の美術部の先輩後輩として付き合いのあったIさんは、その女性とK男が結婚するものだと思っていたそうだ。  ところがしばらくすると、当時、東京に住んでいたIさんにK男が頻繁に連絡してきたり、東京に会いにくるようになったという。そして、「地元に帰って結婚してほしい」と言われたそうだ。 「京都から追いかけてきた人と結婚すると思ってたのにおかしいな、と思いましたけど…… 私、モテないんですよ。だから嬉しくて舞い上がっちゃったんです」  その気持ちはよく理解できた。私もK男にプロポーズされた時、『離婚して何年も経っていないはずなのに良いのかな?』と思いながらも、嬉しくて舞い上がってしまった。K男はみかけによらずモテるし、人々を魅了するのが上手かったのだ。  こうしてIさんは、東京のレベルの高い美術大学を卒業し、きちんとした会社で給料の良い仕事をしていたが、全てを捨てて地元に帰ってきたという。  そころが、その京都から追いかけてきた女性がまだそこに住んでいて驚いたそうだ。しかも、Iさんが東京から帰ってきて、その女性から夫を奪ったように周囲に誤解されて、困惑したらしい。K男が自分を悪者にしないために、そんな風に話をでっち上げたのだろうか。  K男は色々な女を渡り歩いていた。元々そういうタイプだったのだ。それなのに2度も結婚するとは。結婚に向いていないくせに、結婚願望だけは強かったのだろうか。    ところで、Iさんの娘は通夜に参列した時、式が終わったら私のところに来て『人の家庭を壊しておいて! いい気味だ!』と怒鳴りつけるつもりだったらしい。その機会にそう言わなければ気が済まないと言っていたそうだ。ところが、私が途中で退場してしまい。言うことが出来なかったのだという。  ーー危なかった…… あやうく通夜の席が大騒ぎになるところだった。  パニック発作が出て死ぬほど恥ずかしいと思ったが、結果的に途中で退場して助かったと思った。  私にファミレスで会った時も、彼女は私に色々言おうと思って意気込んでいたが、私もK男に騙されていたと知って言う言葉が無くなり、家に帰ってからもぼーっとして、しばらく放心状態だったそうだ。 「あなたとこんな風に、穏やかに色々な話が出来るなんて思ってもみなかった。本当に良かった」とIさんは最後に笑顔で言ってくれた。私も同じ気持ちだった。 第5章 余波 第1節 お寺  遺産相続は無事に終わったが、全てが解決したわけではなかった。  その頃、S子の寺の敷地内に夫が入る墓を建てようと、義父が寺と墓石屋と話を進めていた。  私は悩んでいた。このまま墓があの寺に建てられても良いのだろうか。もし今後、夫とS子の事がバレたらどうなるのだろう。第一、その寺の娘に手を出した男の骨を納めたりして、バチが当たったりはしないのだろうかと思った。  それに、S子の家の寺は地元でとても評判が悪かった。地元では一番古くて位の高い寺だと自負しているせいか、お布施が他と比べると高い上に、住職は檀家が萎縮してしまうほど偉そうだったし、その妻は慇懃無礼そのものだった。  夫の死後、葬儀屋や仏壇屋がその寺の住職に特に気を遣っていて、それぞれにその寺の担当者がいることが分かった。その住職が認めている人物でなければ話も聞いてくれないそうだ。  息子が通う幼稚園の園長でもあるその妻は、私がPTA会長している時、「PTAというのは園の為に存在しているのだから、常に園の為に行動することを忘れないように」と上から目線で言われた。話をしていても、自分が言いたいことを言い終えると、こちらが話している途中でも、くるりと向きを変えて何か別の事を始めたりと、目を疑いたくなるような事が色々とあった。  法事があるたびに、気難しい住職やその妻に気を遣い、しかも高いお布施を払うのが本当に嫌だと、知り合いが愚痴をこぼしていたこともある。  夫の死後、何人かに「あそこの檀家になっちゃったのか……」などと言われたりもした。  そもそも、なんであんな所の幼稚園に息子を通わせたんだろうと改めて思った。  入園前、「本当にあの幼稚園で良いのかな?悪い評判しか聞いたことないけど……」と夫が言っていた。でも、実家の店とお寺との昔からの関係を考えると他に選択肢は無かった。  息子が産まれると、S子の母親である園長から早速電話がかかって来て、「ご出産、おめでとうございます。ぜひうちの幼稚園でお待ちしております」と電話もかかって来ていた。  そもそも私の父親の代から、実家は全員その幼稚園の卒業生だった。秀才で有名だったS子の祖母が始めた幼稚園だが、私の父親が通っていた時代は幼稚園自体が珍しく、その幼稚園に子供を通わせることは一種のステータスのようなものだったらしい。  私がその幼稚園に通っていた頃は数百人もの園児がいた。だが、古風なやり方が時代に合わなくなってきたのか、園長の評判が悪いせいか、息子の時は、全学年を合わせても園児の数は30人にも満たない状態だった。    ーー冗談じゃない! 法事の度にあの住職に気を遣って! 高いお布施を払って! あの幼稚園に息子を通わせて! 園長に気を遣って! 私は幼稚園のPTA会長まで引き受けたのだ! ふざけるな!  なんとかするなら、すぐに決断するしかなかった。  私は母に言った。 「あの寺にK男の骨を納めるのはやっぱりどうかと思う! バチが当たったらどうする!  それに、法事の度に、住職達にぺこぺこと気を使った上に、高いお布施を払い続けるのも我慢できない! 第一、この先、不倫の事がバレたらどうする⁉︎ お義父さん達に言ってお寺を変えてもらいたい!」  母は当初、お店の事や世間体を考えて、色々な事を我慢するしかないと言っていたが、私が毎日のように苦しんでいるのを目の当たりにして、もう仕方がないと思い始めていたようだった。 「もう、あなたの好きなようにしたら良いと思うよ。実はね、あなたに黙ってたことがあるんだけど…… 言って良いよね?」  母は姉と目を合わせて言った。 「S子にお店で白状させた時に聞いたんだけど、実はS子とK男はね、週に1、2回も会っていたんだって! 週に1、2回だよ!」  ーーえっ⁉︎ 「私らもう、びっくりして…… それじゃあ、あんまりN子が可哀想だから、N子には月に1回程度だったことにしてくれとお願いしたんだよ」  私は何も考えられず、狼狽えていたが、「へ、へぇー。まあ、そんなところじゃないかと思ってた」とやっと声を絞り出した。  母も姉も私の顔を心配そうに覗き込んでいたが、平気なふりをした。    その夜、息子が寝た後、一人でビールを飲んだ。夫が死んでから初めてアルコールを口にした。  ーーもう…… 全て終わりだ!  A子やS子の事を知った後でも、夫に対してはわずかな愛情が残っていた。  夫は二人の女性に次々に誘われて、舞い上がってしまっただけかも知れない。彼女達に頼られて、同情して親切にしているうちに、情にほだされてしまっただけかも知れない。私に配慮が足りなかったのかも知れない。と……  でも、週に1、2回となると、おそらくS子と100回以上は会って、裏切っていたことになる。もう二重生活をしていたも同然だ。  ーー二人とも異常じゃないのか! 人として許せない!  私は本当に本当にマヌケだった。週に1、2回も裏切られて気が付かなかったのだから。  S子の夫にもよくバレなかったものだ。子供達はどうだろう。S子の長女はもう中学生になっていたはずだ。母親がしょっ中、夜中に出て行くのに気が付かないなんて事があるのだろうか。夜、頻繁に父親も母親も不在のS子の家は、一体どんな状態になっていたのだろう。それをさせていた夫も最低の野郎だ!  夫への気持ちが完全に憎悪に変わった。  ーーいくらなんでも酷すぎる! それでも父親なのか! それでも人間なのか!  私は仏壇のある和室に向かった。夫の遺骨が入った桐箱が置いてあった。その箱を睨みつけると、それを蹴り上げようとした。  だが、もし箱が壊れて遺骨が散らばったら大変だと思い直し、箱の上に右足を乗せてギュッと踏みつけた。もう涙で前がほとんど見えなかった。  ーー許さない! もう絶対に許さない! 仏壇も遺骨も要らない!    少し前までは、夫を許したという気持ちがあった。  真夏の暑い時は『さぞかし暑いだろう』と遺骨の箱を居間に持ってきて、そばに置いたり、息子が従兄弟の家に泊まりに行ったりすると、遺骨の箱を2階の寝室に持って行って、そばに置いて寝たりした。『私が悪かったのかも知れないね』と声をかけながら、泣きながら抱きしめた事もあった。  だが、そんな事はもう2度としない。はっきりと憎しみを感じたのだ。やはり、夫には相応の罰が下ったのだと思った。  その数日後、母と二人で夫の両親を訪ね、『寺を変えて欲しい』と申し出た。 「変えられるもんなら、変えても良いと思うけど……」  義父は言葉を濁した。 「このまま、あのお寺にお墓を建てても良いと思いますか⁉︎ もしこの先、世間にあの事がバレたらどうするんですか⁉︎ それでも檀家を続けるんですか⁉︎ それに、あのお寺の娘に手を出したK男さんの骨なんか納骨して、バチが当ったらどうするんですか⁉︎」  私は食い下がった。 「そう言われたって、そんなに簡単に寺なんて変えられるもんじゃ無いだろう」  義父は気が乗らない様子だった。 「インターネットで調べましたが、こちらが申し出れば、お寺はいつでも変えられるそうですよ! 理由なんかなんとで言えるんじゃないですか⁉︎」  私は諦めるつもりはなかった。そして、母も言い出した。 「このままあの寺の檀家でいるなんて、N子が可哀想だと思わないんですか⁉︎ お父さん達が死んだ後も、N子はあの寺とずっと関係が続くんですよ!」  そして、母はまたK男がどんなに酷い事をしたかを語り始め、それに対して義父がまた怒り始めた。 「いつまで死んだ人間の事を悪く言うつもりだ! もう終わった事じゃねえか! もう終わった事なんだよ!」  私は最初、母が余計な事を言い出したと思った。だが、義父が『終わった事だ』と言うのを聞いて、黙っていられなかった。 「終わった事じゃありません! 私の苦しみはこれから始まったんです! 終わった事じゃありません!」 「終わった事なんだよ! 終わった事なんだ! いい加減にしろ!」  義父も言い返した。 「とにかく、お寺を変える理由はお義父さんにお任せしますので、住職に会って、必ずお寺を変えてください!」  そう言い残して、母とその家を後にした。  本当に、終わった事ではないのだ。これから長い長い地獄が始まったのだ。    その数日後、義母から電話がかかってきた。  義父がお寺のことを相談しようと、義弟を家に呼んだのだという。  すると、義弟の妻と息子も一緒に来たので、二階で義父と義弟だけで話をすることになったそうだ。ところが、しばらくすると激しく言い争う声が聞こえて、義弟家族はすぐに帰ってしまったのだという。 「お寺を変える話は、なかなか進みそうもないみたいなの」  義母は申し訳なさそうに言った。  義父はいったい何をどんな風に義弟に話したのだろう。やはり私の口から直接、義弟達に詳しい話をして、納得してもらうしかないと思った。 それから数日後、お店をアルバイトの女性に任せて、母を連れて近くのホームセンターに買い物に行った。母は車の運転をしないので、用事を済ませるのにいつも運転手が必要だった。  すると、母が買い物をしている時に、お店のから私の携帯電話に電話があった。『急にお客さんが大勢来て困っているから、すぐに戻って来て欲しい』という。  慌てて母と一緒に帰ろうとしたが、母がまだ買い物を終えていなかったので、母を置いてお店に戻り、仕事が落ち着いたらまた迎えに来ることになった。  ところがお店に戻ってしばらくすると、母が帰ってきていた。どうやって帰って来たのか尋ねると、そのホームセンターで偶然、義父に会い、車で送ってもらったのだそうだ。  あんな事があったのに、母を送ってくれるとは、やはり義父は悪い人ではないと思った。  義父は車の中で「お寺を変えたくないんだ」と言ったそうだ。  それはそうだろう。いや、お寺を変えたくないと言うより、何と言ってお寺を変えてもらうか悩んでいるのかも知れなかった。まさか真実を話すわけにはいかない。だからと言って、あのいかにも気難しい住職に何と言えば良いのか。それに、世間体もある。お寺を変えたとなれば、周りがどう思うか。  そう考えると義父が気の毒だった。だが、数日前に「もう終わった事だ」と義父に言われたことに私はまだ腹を立てていた。 「何だか、お父さんが可哀想になってきたわ」と母は言ったが、 「悪いけど、お寺は絶対に変えてもらう! それだけは絶対に譲れない!」と私は言った。  その一方で、母は義母に何度か電話をしていた。  母がこだわっているのは、寺を変える事ではなかった。  K男が私にどれだけ酷い事をしたかをよく考えてもらい、「N子にも原因があるのではないか」とか、「もう終わった事だ」と言って私を傷つけるのだけはやめて欲しいと、繰り返し義母に訴えていた。そして、義父に言っても聞く耳を持たないので、義母から義父に諭してもらおうとしていた。  するとある時、「もう、分かりましたよ! K男は死刑になったんです! 死刑! だからもう勘弁して下さい!」そう言って、義母はいきなり電話を切ったそうだ。  それを聞いた私は、心配になってすぐに義母に会いに行った。 「どうぞ、どうぞ、上がって!」といつも笑顔で家に招き入れてくれる義母が、玄関先で立ったまま言った。 「N子さん! 私、心臓が悪いんです! この前医者に行ったら、心臓が悪いって言われたんです! 私、心臓が悪いんですよ!」  義母が私にそんな口調で話すのは初めてだった。 「それなのに、あなたのお母さん、何回も電話をかけてきて、何度も何度も、同じ話を繰り返し繰り返し…… もう勘弁してもらえませんか⁉︎ 真綿でぎりぎりと首を絞められているようで…… お母さんから電話がかかってくると、首の辺りがぎゅーっと痛くなって、目眩がしてくるんです! もう勘弁してください! K男が悪いことは充分、分かりました! でも、同じ事を繰り返し繰り返し言われて…… 本当にもう許してもらませんか⁉︎」  そんな義母を見るのは初めてだった。 「申し訳ありません! 母が言い過ぎました。母は自分の気持ちを分かってもらいたかっただけだと思いますが、それにしても繰り返し言い過ぎていると思います! 本当に申し訳ありません!」 「それからね、N子さん、お盆にあなたの家に行きましたよね?」  義母は一ヶ月ほど前の、お盆の8月15日のことを言っているのだった。  この辺りでは、8月13日に寺を訪れ、お墓参りをするのか習慣だった。だが、まだ夫の墓もなく、納骨もしていないので、お寺を訪れる必要が無かった。私はただ、家の仏壇に母が用意してくれたお盆用の食べ物やお菓子などを並べて、それらしくしておいた。  実家の日本料理店にはカフェが併設してあり、数年前からかき氷を提供していたのだが、昨今のかき氷ブームにより好評で、夏は年々忙しくなっていたし、特にお盆の期間中は、帰省客や、墓参りの前後に食事やかき氷を食べにくるお客さんで常に満席だった。  その日も私が仕事に追われていると、義母から連絡があった。  お寺から連絡があり、我が家の仏壇にお経を読みに来ると言われたが、私が仕事で自宅に戻れないことは分かっているので、義父と義母が家に入って、お経を読んでもらっても良いかという事だった。私はもちろん承諾した。夫の死後、何かあった時の為にと、義父に我が家の鍵を1つ預けていた。 「あの時ね! 仏壇の花が枯れていたんですよ! 慌てて買いに行きましたけどね! それから、四十九日法要の時にお寺様が差したあの赤い蝋燭、あの蝋燭はね、四十九日法要の日にだけ使う特別な蝋燭なんですよ! お寺様に言われましたよ! あれはその日にだけ立てる蝋燭だって! その蝋燭がまだ刺さってて! もう仏壇の世話をするのも嫌なんでしょ⁉︎ そんなんだったら…… 私だって色々言いたい事があるけど、こちらが悪いと思ってグッと我慢しているんですよ!」  義母は決してそんな事を言う人では無かった。私に対していつも笑顔で優しく、何かあるといつも私の味方をしてくれた。姑くさい事を言われた事も一度も無かった。姑に対する不満を漏らす人の話を聞くたび、お義母さんが姑で良かったといつも思っていた。  ーーどうしてこんな事になってしまったんだのか……  仏壇の花は切らさないように、母がいつも買って用意してくれていた。でも、仕事が忙しい上に、猛暑日が続き、たまたま花が萎れていたのだろう。赤い蝋燭についても、私は最後まで使って良いものだと思っていたし、夫の両親だって知らなかったはずだ。だから寺の人間が来る前に気付いて取り替えておく事もしなかったのだろう。  それなのに、義母はそんな事を言ってきた。あの性格の義父の態度を責められても、義母にはどうする事も出来ないし、繰り返し繰り返し母に追い詰められて、何でも言いたくなったのだろう。無理もなかった。 「本当に申し訳ありませんでした! 母には二度と電話しないように言っておきます! 本当に残念です。お義父さんとお義母さんに今まで仲良くしていただいて、子供も産まれて、みんなでワイワイと楽しくやっていたのに、何でこんな事になってしまったのか…… 本当に残念です……」  義母は一瞬、ハッとしたような表情をした後、悲しそうな顔で言った。 「本当はK男が全部悪いんだけど……」  ーーあの男はなんて親不孝なのだろう。どれだけ周りの人達を苦しめれば済むのだろうか。  義母の変わり果てた様子は、今までに無いほどの衝撃だった。強い悲しみと憤りを感じた。  その数日後、義弟夫婦に会いにいった。  義弟は厳しい顔をして待っていた。 「親父から何があったか聞いた! 相手の名前も聞いた! でもね! それは兄貴がした事で、親父達は関係ないと思うんだけど! お袋はN子さんのお母さんに追い詰められておかしくなってるんだよ!」  義弟は義母の様子を見て、よほど私達が義母を責め立てていると思ったのだろう。  早速、私は義弟夫婦にS子の事やA子の事を詳しく話した。  二人は目を見開いたり、「えっ⁉︎」と声を上げたり、呆れたような顔をしていた。そして、義弟は最後に「兄貴は異常だったんだ……」と呟いた。  やはり思った通りだった。義父は義弟に詳しい話をしていないのではないかと思っていたのだ。K男が生前にS子とちょっとやらかした事で、私達がひどく義父達を責め続けているとか、そんなところではないかと思っていた。 「話はよく分かった。それで、N子さんはどうしたいの?」 「私はただお寺を変えて欲しいんです。それだけは絶対に譲れません」  その夜、義弟の妻から電話があり、私が帰った後、すぐに夫の両親の家に行き、話をしてくれたそうだ。  途中で何度か義父が怒鳴り出し、話が中断したそうだが、最終的には、私達に謝って、お寺も変えるように説得してくれたらしい。  私は深く感謝するとともに、思っている事を正直に彼女に告げた。 「本当に助かりました。ありがとうございます。でもね。もし謝られても、お寺を変えられても、お義父さん達と今までのように仲良くすることは無理だと思う。不倫の事を忘れられない私と、その事に触れられたくないお義父さん達とでは心が通わないと思うし、会って何事も無かったように話をするなんて無理だと思う。お義父さん達の事をけっして憎んでいるわけじゃないんだけど、会っても、ギクシャクしたり、傷つけあうだけだから、お互いもう会わない方がいいんじゃないかな。お義父さん達を説得してくれたのに、本当に申し訳ないんだけど……」 「分かりますよ、その気持ち。本当にそうだと思います。今後はお義父さん達の事は私達に任せてください。夫もその気になっているみたいだし…… N子さんはご自身と○○くん(息子)が幸せになる事だけを考えてくださいね」  本当に義弟夫婦には頭が上がらないと思った。    翌日、義母から電話があった。 「N子さん、今回のこと、本当にごめんなさい。お義父さんの事もそうだけど、私も追い詰められちゃってどうかしてたわ。お母さんにも申し訳なかったと言っておいてもらえないかしら。お寺の事も、お父さんが近いうちに必ず住職に話をすると言っているから、もう少し待ってちょうだいね」 「ありがとうございます。こちらこそ、本当に母がお義母さんを追い詰めすぎてました。母も、もう電話しないと言ってました。お寺の事もありがとうございます。よろしくお願い致します。それにしても、お互いどうしてこんな辛い目に遭わなきゃいけないんでしょうね」  そう言いながら、涙が溢れた。義母も泣いているようだった。    さらにその数日後、再び義母から電話があり、お寺を変える事ができたと言われた。 「案外、あっさりと承諾してくれたみたいよ。あれこれ理由を訊かれなかったみたい。それに、あっちのお寺の人達の方が感じが良いし、お布施とかもずっと安いみたいだから良かったわ。第一、あんなお寺にお墓を建てるわけにはいかないものね。」  義母は無事にお寺を変えられて安堵している様子だった。移った先のお寺は夫の両親の家のすぐ近くだった。  そもそも、義父達は成り行きでS子の寺を選んだが、次第に不満を持つようになっていたように見えた。義父は気難しい住職と話すのが嫌で、何かと私にお寺に電話をするように言ってきたり、義母は住職の妻に初めてあった時、「いかにも慇懃無礼というような態度の人ね」と眉をひそめていた。しかも、夫とS子の事があるのだから、お寺を変えられて内心ほっとしているに違いなかった。  私もお寺を変えられた事と、義母が安堵している様子にほっとした。  そして数日後、我が家にあった仏壇を夫の実家に移してもらった。夫の仏壇の世話をする気にはなれなかったし、夫の両親も私に任せているよりも自分達の家に置いた方が安心だろうと思った。    その数日後、私はS子にメールをした。  S子の夫が、私達がお寺を変えたと聞いて、やはりK男とS子の間に何かあったからお寺を変えたんじゃないかと、揉め事になっていないか気になったのだ。 「私達がお寺を変えたと聞いて、ご主人はどんな反応でしたか?」  すると、S子から意外な返事が返ってきた。 「お寺を変えられたんですね。両親から何も聞いていないので知りませんでした。夫も何も聞いていないと思います」  ーーどういう事なのだろう。お寺を変えたいと言われたら一大事じゃないのか。しかも今までこれだけ親しい間柄だったのに……   あの住職や妻はいったい何を考えているのかと、訳が分からなかった。 第2節 住職  それから数日後、S子の父である住職が、法事の会食をしに実家の店に来た。  お寺を変えたことについて何か言われるのではないかとドキドキしていたが、他の人達の手前もあるのか、私には何も言わなかった。  住職が店を出る時、女将である母がいつもそうするように見送りに出た。  すると、住職から話しかけられたそうだ。 「女将さん、お寺を変えたことはご存知ですか?」 「はい。知っています」 「N子さんはご存知なんですか?」 「N子も分かっています」 「お父さんが『親戚に反対されたから』と言ったんですが、若方丈(S子の夫)が何かしましたか?」 「いいえ、若方丈さんは何もしていません」 「じゃあ、我々が何か不愉快な事をしましたか?」 「いいえ、何も……」 「じゃあ、どうしたんでしょうか?」  そう言われ、母はもう隠しておくことは出来ないと覚悟を決め、住職にS子とK男の事を話したと言う。  すると、住職は言ったそうだ。 「ああ、若方丈は夜いないんだ…… それにしても、若い人達は何をしてるんでしょうね?」 「N子は苦しくて、死にたいと言っていますよ」 「それは、そうでしょうね」     それを聞いて、私は母に言った。 「ご住職はすぐにでもS子に色々と訊くと思うけど、S子は死人に口無しで、『私は全くその気が無かったけど、K男さんがしつこく誘ってきて断りきれなかった。幼稚園の事も色々相談していたからつい頼ってしまった』などと、自分の都合の良いように話すに違いない。だから、私からご住職たちに話をする必要がある。私も言いたいことがある」  さっそく母は住職の家に電話をして、私が話をしたいと言ってる旨を伝えた。 「今月は忙しいので、来月になってからいつ話を聞けるかを連絡する。どこかの料亭に部屋をとって話を聞く」と住職は言ったそうだ。  すぐに話を聞いてくれない住職の態度に腹が立ったが、とりあえず待つしかなかった。  S子は幼稚園で仕事中だろうから、住職は今晩にでもS子に今回の事を問い詰めることだろうと思った。    それから数日後、S子にまたメールをした。  S子の家は今頃、大騒ぎになっているだろうと思っていたが、様子が分からないし、どうなっているのか気になって仕方がなくなったのだ。 私:「ご両親から訊かれましたか?夫とあなたのこと……」 S子:「何か両親に話したのですか?」  ーーいったいどういう事なのだろうか。まさか住職はS子にまだ何も言っていないのだろうか。 私:「私の母がご住職に『なぜお寺を変えたのか』と、お店に来た時に訊かれて、『若方丈が何か失礼な事をしたのか』と言われたので、あなたと夫のことを話したのですが、ご両親とはどのような話になっているんですか?」 S子:「そうだったのですね。それはいつの事ですか?両親からはまだ何も言われていません。檀家をやめたことは聞きました。お父様の家の近くのお寺の方が、お墓参りなども行きやすいからだと聞いていました。だから、なぜ父が女将さんにそんなことを聞いたのか分かりません」 S子:「私がお店に呼ばれてお姉さんと女将さんに問い詰められ、ご主人とのことを話した時、女将さんは私にこう仰いました。『山重も大昌寺もこの地を離れられないし、これからも嫌でも付き合わなければならない。だからこのことはあなたのご両親と旦那さんには絶対に知られてはいけません。墓場まで持っていく覚悟をしなさい』と。だから私は誰にも一生話さないと覚悟していました。女将さんは父に何を話したのでしょうか?」  訳が分からなかった。お寺を変えたこともなかなかS子夫婦に言わなかったし、ましてやS子と夫の事を知っても何も言わないとは…… 普通なら、何をおいてもすぐにS子を問い詰めるのが普通ではないか。一体どういう親子関係なのだろう。    私はメールを返した。 「あの時は、私も母も姉も、自分達の立場や子供達のことを考えて誰にも話すまいと覚悟を決めていました。ですが、後になって、『やはり、このまま檀家を続けるのは私が辛すぎる。夫の両親が死んだ後も私と寺の関係はずーっと続く。それに、このまま夫の骨をその寺に埋めるなんておぞましい』ということになり、檀家を変えてもらうことになりました」 「夫の両親のどちらかが先に亡くなったら、そのお墓に入るわけだし、そうなったら、夫の両親の家の近くのお寺の方がお参りしやすいと住職に説明して、変えてもらおうという事になりました」 「お義父さんがどう説明したかはよく分かりません。でも、お義父さんは夫のように平気で嘘をつくタイプではありません。ご住職は何か違和感を感じて、若方丈が何か失礼な事をしたのではないかと思ったのでしょう。それで堪らず、お店に来た時に母に聞いたのだと思います」 「母は『もう隠しきれない。若方丈さんのせいにする事はできない。ご住職をごまかすことも出来ない』と思って真実を話したそうです。つまり、夫とあなたが2年以上前から関係を持っていたという事をです。『長話は出来ないので、あとはS子さんに聞いて下さい』と言ったそうですが、何も訊かれていないのですね。驚きです」 「これほどの親しい間柄で不倫をしていたとなると、物事が複雑過ぎて、隠し通すというのはやはり難しいのではないでしょうか?そのことを全く考えずに、これだけの事を2年以上も夫とあなたがしていたというのは、どうしても理解し難いです。自分達さえ良ければ周りはどうなっても構わないと思っていたのではないですか?でなければ到底出来ませんよね?」 「私だけでなく、母も姉も追い詰められてとても苦しんでいます。それから、夫の両親もあなたのご両親もです。夫とあなたのように、何年も人を裏切って傷つけて、平気でいられる人はそうはいないんじゃないですか?」  翌日、S子からメールが来た。 「両親にご主人とのことを話しました。女将さんから聞いた時、父は卒倒しそうだったと言っていました」 「父から『自分の娘がこんなに馬鹿なことをするとは思わなかった。自分の立場を分かってるのか。先方に合わせる顔がない。自分のしたことがどれだけの人を傷つけているのか分かっているのか。子供達が知ったらどれだけショックを受けるか。本当に馬鹿なことをした』等々言われました。母も『N子さんに本当に申し訳ない』と悲痛な面持ちでした」「母は夫が知ったら逆上して家に火をつけるんじゃないかと心配しています。子供達と夫には絶対に知られないようにしなければと両親と話しました。ここまでたくさんの人を傷つけることになることに思いが及ばなかった私は、本当に馬鹿で身勝手な人間でした。悔やんでも悔やみきれません」 私:「どうしてご両親は今まであなたに何も聞かなかったのですか?それから、ご両親は夫に対する怒りは無いのですか?」 「私から話すのを待っていたのでしょうか…… なぜ何も聞かなかったかについては分かりません。両親は『相手があることだからお前だけが悪いのではない。相手にも責任がある』とは言いましたが、ご主人に対する怒りは感じませんでした。それよりも流されたお前が馬鹿だったのだと私を責めていました。『40年も生きてきて人生で何を学んで来たんだ。自分の娘がこんな間違いをおかすなんて情けない』と私に対するだけ怒りでした」    それから1週間以上が過ぎたが、住職からは連絡が無かった。母はとうとう痺れを切らして寺に電話をした。 「11月に入ってから時間を作るという話ですけど、いつですか?」 「いえ、11月に時間を作るとは言ってませんよ。11月になったらご連絡すると申し上げたんです」 「娘はそんなに待てないって言ってるんですよ! 私も同じ気持ちです! どこかの料亭に部屋を取るとおっしゃってましたが、そんな事しないでうちに来てください! それから、娘はあなただけではなく、奥様やS子さんにも来てもらいたいと言ってますよ!」 「いや、そんなこと言われても…… 3人でお寺を開けるわけにはいきませんから、私一人だけにさせてください」 「3人で出られないなら、私達がそちらに伺いましょうか? 夜中に伺っても構いませんよ! S子さんは夜中に家を出て、K男さんに会っていたんですよね⁉︎」  いつも穏やかで落ち着いている母が、めずらしく声を荒げた。  私は母に「S子抜きで住職と話をすることなど考えられない。S子には必ず来てもらう」と言っていた。  もしS子抜きで話をすれば、その時に我々に言われた事に対して、S子は自分の都合の良いように後で住職に反論をするだろう。それだけは絶対に許せなかった。私はS子の前で全てを話して、住職たちに納得してもらうつもりだった。  住職はいったん電話を切ったが、また連絡があり、翌週に3人で実家のお店に来ることになった。    私はまたS子にメールをした。 「来週火曜日の午前中に住職と会う約束をしました。『詳細はS子さんに訊いてください』と母が言ったのに、なかなか訊こうともしなかったし、いつ会うのか連絡もしてこないので、こちらから電話をしました」 「ご住職は母に『私は話を聞くことしかできない。もう起きてしまったことはどうにもならない。S子だけが悪いわけではない』と言ったそうです。」 「私から毎日メールが来て責められてると言ったそうですね。私が悪者ですか…… よほどご両親に上手く話されたんでしょうね?『強引に押し切られ、流されてしまった』とか言ったんですか?2年以上も流され続けたんですか⁉︎ いい大人が⁉︎」 「夫が何をするか分からない?子供達が可愛そう?そんな事は最初から分かっていた事ですよね⁉︎ 母親である事を忘れていたあなたが、今になって子供をダシにしてくるなんて、最低ですね!」 「住職は『どちらが悪いかという話なら聞きたくない』と母に言ったそうですが、自分の娘がした事でどれだけ私達が苦しんでいるのか考えたら、よくそんな事が言えるな、と驚きました」  S子から返事が来た。 「父が言ったことで不愉快にさせてしまい、申し訳ありませんでした。私は決してご主人やN子さんを悪者にするような言い方はしていません。ありのままを話しました。ご主人から誘われたのは事実です。しかし、自分の立場を省みず感情に流されてしまったのは私自身です。『本当に馬鹿なことをした。私自身が悪いのだ』と話しました」 「父に『N子さんとは今どうなってるのか?』と聞かれたので、メールが来ることは話しました。『N子さんが辛い気持ちを私にぶつけて来るのは当然だし、そういう気持ちにさせている私が悪いのだから』と両親には言いました。それを聞いて、責められていると受け取ってしまったのかも知れません。申し訳ありません」 「父は『男女のことだから、お前と相手が二人共どうしようもない愚か者だった』と言っていました。どちらもが悪いと考えているようです。自分の娘がとんでもないことをしたという自覚は十分あり、私のことも随分責めました。だから女将さんとの電話でそういう風に言ってしまったのだと思います。本当に申し訳ありませんでした」  ーー『私自身が悪い』だとか、『メールが来るのは当然だ』とか、下手に出てるけど、本心かどうか分かったもんじゃない! 何年も周りを欺き続けて平気な顔をしていた女なのだから!  私の抑え切れない怒りはどんどん増して、さらにメールを送り続けた。 「最初に姉に問い詰められた時、あなたは『私に一生償う』と言ったそうですね。でも何も出来ないですよね?何か方法を思いつきましたか?ご両親と話された結果は『若方丈が何をするか分からないから、3人で隠し通そう』と言うことだけですか?私に対してどう償ったら良いかという話は全くありませんでしたか?『あなただけが悪いわけじゃないし、もう起きてしまった事は覆せないのだからもう仕方がない。N子さんと話す事はもう無い』って感じですか?」 「あなたにもご両親にも、私の気持ちは一生分からない! あなた達がこんな酷いこと一生されるはずもないわけだから! あなたはやったけど、あなたがやられる事はまず無いのだから!」 「15年も生活を共にして、真の家族だと思っていた夫と、子供がヨチヨチ歩きの頃からお世話になり、仲の良いママ友でもあると思っていた人から裏切られていたんです、2年以上も。それがどれだけ辛い事なのが、私の一生の苦しみが、やった本人であるあなたには一生分かりようもないでしょうね!」 「『あなたの夫は、あなたと子供のことなんかどうでもよくて、私のことを愛してたのよ』という優越感があるんじゃないですか⁉︎ その優越感に浸って気分良くいられるんじゃありませんか⁉︎」 「夫とはもちろん、あなたとも付き合いが深すぎて、夫がどんな笑顔で笑うか、あなたがどんな笑顔で笑うかよく知っています。だから夫とあなたがどんな笑顔で笑い合って、愛を囁き合って、そしてキスをしたり、抱き合ったりしていたのか、簡単に想像できます! いつでも頭に浮かんで来ます! 本当に、死ねるものなら死にたい!」  その翌日は息子の誕生日だった。  夫が亡くなる前の、去年の誕生日は、息子が『家でゲーム大会がしたい』と言ったので、息子が自分でプログラムを考えて、3人でキャーキャー言いながらゲーム大会をした事を思い出した。愛情のある仲の良い家族だと思ってたのは、私の独りよがりだったようだと絶望的な気分になった。  その日の誕生日は、母と姉が息子の誕生日を皆んなで祝おうと言ってくれたが、息子が「ママと二人が良い」と言ったので、大きなケーキを買い、ささやかなご馳走を食べ、二人でゲーム大会をした。  そして、息子と布団に潜りながら、息子に気付かれないように涙を流した。  さらにその翌日は、小学校の作品展の日だった。  体育館で各学年ごとに何かを発表する事になっていた。私は体育館へと向かったが、S子の事が頭をよぎった。私の息子とS子の息子はその時も同じクラスだった。  ーーS子は私に合わせる顔が無くて体育館に来ないか、あるいは来ても、目立たないように後ろの方でこっそりと見るに違いない。  そう思いながら体育館に入ると、いきなりS子の姿が飛び込んできた。  ーーえっ⁉︎ どうして⁉︎  S子は観客の最前列の一番左端に大きな三脚を立て、カメラを構えていた。三脚を立てているせいか、彼女の周りだけ空いていて目立っていた。  私はひどく動揺したが、息子のクラスの発表が始まると、息子に集中しようと努めた。  ーー落ち着け! 気にするな! 私は息子を見にきているのだから……  だが、最前列にいるボーダー柄のシャツを着たS子の後ろ姿がどうしても目に入ってしまう。  ーー夫はあの背中を抱き寄せたのだろうか。二人で微笑みあったり、キスをしたり……  気がつくと涙が出ていた。前が見えない。ハッと気づくと、息子がセリフを言う場面が終わってしまっていた。  ーーなんでこんな事になってしまうのだろう。  さらに涙が溢れ出した。もう限界だった。周りに泣いているところを見られないように、すぐに体育館を出た。 第3節 慰謝料  住職達と対峙する日がやってきた。  約束の時間になると、住職は袈裟を着て、タクシーに乗って現れた。法事のお務めに来ているように装ったのだろう。そして、S子の母親はその約15分後に徒歩でやってきて、そのまた15分後にS子が現れた。  平日の昼間に3人揃ってお店に向かっているところを、近所の人に見られたら不審がられると思ったのだろう。だから3人で示し合わせて、15分後ずつ時間をずらして家を出ることにしたはずだ。とても用意周到だった。    こちら側は母と2人で待っていた。  S子が部屋に入ると、久しぶりにその姿を目の当たりした私は思わず涙が出てきた。  その様子を見て、母が話し始めようとしたが、「待って! 私が話すから!」と制止した。 「なぜ今回の事を、すぐにS子先生に問いたださなかったんですか?」  まずは住職に訊いた。 「えっ! 今、それを答えるのですか?」  住職は狼狽えた様子で言った。 「はい。今、答えてください!」  私はキッパリと言った。 「まあ、我々も若夫婦も寺の同じ敷地内に住んでるとは言ってもですね。若夫婦は別棟に住んでるもんですから、今回の事も全く気付かなかった訳ですし…… 我々は我々、若夫婦は若夫婦という風に、若夫婦を尊重しているというか、いちいち干渉しないわけです。何か本当に困った事があったら、向こうから打ち明けてくれると思っていた訳なので……」  ーー何を訳の分からない事を言ってるんだ! この一大事に! 第一、S子の方から言うわけないだろう!  私はそう住職に言ってやりたかったが、抑えた。  それから私は、結婚前に夫が様々な女性達を渡り歩いていたこと、それから、A子とも関係を持っていた事を正直に話した。  というのは、彼らが後で夫の噂を聞き、「じゃあ、K男はやっぱり酷い男だったんじゃないか。こちらは騙されていただけなんだ」というふうに片付けられたら癪に触るからだ。正直に全部話して、その上で、それでもS子が私を騙し続けていた事は別だ、と言いたかった。  私が話している間、向かって右端に座っているS子はずっと下を向き、伸びた前髪が庇のように顔に掛かり、顔が全く見えない状態だった。左端に座る住職は、あっちを向いたり首を傾げたりして、考えながら話を聞いている様子だった。そして、真ん中に座っているS子の母親は、ほぼ目を逸らさずに私の話を真摯に聞いている様子だった。いつも慇懃無礼なS子の母親が、私の話を真剣に聞いている様子を見るのは初めてだった。  夫の過去についての話が終わると、私は言った。 「だからと言って、S子先生が私を騙して良いという事にはなりませんよね⁉︎ 私とS子先生のこれまでの関係を考えても、今回の事はあり得ませんよね⁉︎ S子先生は息子が通った幼稚園の副園長のはずですよね! 息子が未満児で通園していた時期も含めて、6年近くも、息子と、それから息子の手を引いていた私の姿を見てきたはずですよね! どうしてあんな事が出来たんですか⁉︎」  そして私は、S子が私の居ない時に我が家に作品展のワークショップの相談に来て、5時間以上も居た話をした。彼女は何か反論したかったのか、途中で何回かモゾモゾしていたが、私が「何か反論があるんですか⁉︎ あるんだったら遠慮なく言ってください!」と言っても、S子は「いえ」と何も言わなかった。  それから、S子が夫と付き合い始めた頃に、まつげのエクステをしていた事を思い出してを言った。  「あれは、夜中にノーメークで夫に会った時に可愛く見える為にですよね⁉︎ あの頃はいつも楽しそうにしていて、私に申し訳ないと思って関係を持っていたようには思えない様子でしたよ!」  先にA子の事が発覚し、それをあるママ友に打ち明けた時、「てっきりS子先生と何かあるのかな?と思ってたよ。だってS子先生、いかにもご主人のこと好きだっていう感じに見えたから。でもA子さんのほうだったんだ……」と言われた事や、また別のママ友が、お通夜の時に夫の顔を拝んでいるS子を見て、「あの時のS子先生にはびっくりしたよね。感情的になって、K男さんに触りまくって、髪がぐちゃぐちゃになっちゃって。誰かが愛人かと思うんじゃないかって、止めた方が良いんじゃないかと思ったよ。S子先生って本当に天然ていうか…… K男さんの事、本当に慕っている様子だったもんね」と言っていた事も話した。どちらも実際に言われた事だった。 「これでもあなたは『自分には全くその気が無かったのに、ご主人にしつこく誘われて流されていただけだ』って言うんですか⁉︎ いい大人が2年以上も⁉︎ それだけは絶対に言われたくありません!」  すると彼女は「私もその気がありました! すみません!」と泣きながら言った。  やっとS子に両親の前でそう言わせたと思った。    それから、私は自分の考えを述べた。 「少し前までは、色々な影響を考えて、若方丈さんにはこの事を黙っているべきだと思っていました。でも今は違います。これから先、数日後か数年後か分かりませんが、若方丈さんが何かの形でこの事を知ることになるかも知れません。そしたらどうなりますか?自分以外の周りは全員この事を知っていて、自分だけ何年も騙されていた事を知ったらどうなると思いますか?今、打ち明ければS子先生への怒りだけで済みます。でも、後になって知ったらどうですか?あなた達にはもちろん、夫の両親に対しても、我々にだって怒りを生むでしょう。皆んなで騙していたとなったら、怒りは何倍にも膨らみますよ!今、正直に全てを打ち明けて、『どうか子供達の為に堪えてくれ』と誠心誠意、頭を下げるべきじゃないでしょうか?私もその時になればいくらでも一緒に頭を下げますよ。それが若方丈さんに対するせめてもの誠意ではないですか?」  すると住職が言った。 「いえ、それは若夫婦の問題であって、我々は関係ありませんので…… もし後で若方丈がこの事を知ったら、我々は一切知らなかったという事にします」  ーーなんてずるい人なのだ! それでも仏に仕える人間か! 普段は偉そうな事を言っているくせに、こういう時に本性が出たな!  私は心底、住職の狡猾さに呆れた。 「もし若方丈さんがこの事を知って、私に『あなたも私と同じ立場でありながらなぜ黙ってたんだ!』と責めてきたらこう言いますよ! 『私はS子先生のご両親に真実を告げて、あなたにもきちんと打ち明けて謝るべきだと言いましたよ。でも、我々は知らなかった事にするし、あなたも黙っていてくれと言われたんです』と言いますからね! 若方丈さんがこの事を知ったら本当にどうなるんでしょうね⁉︎ たぶん、ご実家に帰られるんじゃないですか!」  すると、住職が言った。 「あれは…… 私の弟子なんですよ。私が師匠で、あれは私の弟子なんです。だから、私の方から出て行けとは言えませんし、若方丈が勝手に実家に帰ることもできないんです」  ーーはぁ⁉︎ 何を言ってるんだ! この後に及んで師匠とか弟子とかそんな事、関係ないだろう! 第一、住職の方から出て行けと言える立場だとでも思っているのか!  叫びたい気持ちだったが、抑えて言った。 「ご住職から出て行けと言うんではなくて、若方丈さんのほうから勝手に出ていくんじゃないですか?」  すると、S子が何度もウンウンと頷いているのが見えた。彼女もそう思っているらしい。 「いや、若方丈は耐えるでしょう。そういう修行をしていますから…… 先程も言いましたが、あれは私の弟子なんですよ。私の言う事には従わなければなりません」  ーー全く話にならない! 若方丈にしてみれば、お前の娘に裏切られて師匠も弟子もあるか! だいたい信頼関係なんて元々ひとかけらも無いくせに! 若方丈が飲み会の席でお前の悪口しか言わない事を知らないのか!  呆れて何も言わなかった。 「私はこれからも一生苦しみ続けると思います。でも、S子先生は、世間にもご主人にもバレず、今まで通りの生活をしているのだから、ほとばりが冷めればこの事は忘れてしまうでしょうね。。人間は自分を守るために都合の悪い事は忘れるように出来ているそうですから…… だから、制裁が必要じゃないですか?」 「私は一生忘れません! 一生後悔して生きていきます!」  S子はそう言ったが、どうせ口先だけだろうと思った。これまで自分に都合の悪い事を全て正当化して、あれだけの事を何年もしていたのだから。  すると、住職が言った。 「まあ、我々のような仏に仕える世界ではですね。こういう事が発覚すると、まず修行に出すんですよ。1年くらい…… 頭を冷やしてこいって。でも、娘は女性ですからね…… そんな事も出来ないし」  ーーまた何をふざけた事言っているんだ! 「我々の世界では……」とか、お前らの世界なんか知るか! こんな時にまで「仏に仕える世界では……」とか言い出して、仏が聞いて呆れるよ! 自分達は特別だと勘違いしてるんじゃないのか!  そう言いたかったが、堪えた。 「私の為に何が出来るか、皆さんで話し合われましたか?それとも、『起きてしまった事はもう覆せないからしょうがない』と、それだけですか?」 「じゃあ、どうすれば良いでしょうか?」と住職は言った。  そう言われるだろうと、私は答えを用意していた。 「先程も言いましたが、この先、忘れてもらっちゃ困るので、やはり制裁が必要です。だから慰謝料をください」  3人とも意外そうな顔をして、一瞬シーンとなった。そして、住職が言った。 「いや、おたくと我々の今までの付き合いがあって、そんな事言うんですか?」  ーー嘘くさい反応しやがって! どうせいざとなったら、お金で解決しようと思っていたに決まってる。それとも、本当にタダで済むとでも思ったいたというのか。 「その付き合いがあったのに、とんでもない事をしていたのはそちらじゃないですか! それとも、弁護士を通じて通知書を送りましょうか⁉︎」 「それは困ります! 噂になったらどうするんですか⁉︎」  私はもう、噂になろうが何だろうが、どうでも良い気持ちになっていた。 「それはおいくらですか?」と住職が言った。 「そちらにお任せします」 「いくらにしたら良いのか分かりませんので、どうぞハッキリ言ってください」  私はそう言われた時の答えも用意していた。 「じゃあ、150万円ください。その根拠を今から言います」    不倫の慰謝料についてはインターネットなどで検索して、色々と調べていた。  大まかに言うと、不倫の慰謝料は100〜300万円前後だった。つまり、軽いものだと100万円位で、悪質なものは300万円位になる事例もあった。夫とS子の不倫は期間も長いし、頻繁だった。それに、私とS子の関係も考えると、悪質な部類に決まっていると思った。  だとしても、300万円をそのまま相手に請求できるわけではない。半分は夫が悪いのだ。だから半分はS子が支払い、もう半分は夫が支払わなければならない。だが、夫が死んでいるので、その遺産相続をした私が私自身に支払うことになる。つまり、民法では半分しか請求できない。3人にそう説明をした。  その前日に、私が姉に「S子に150万円を要求するつもりだ」と言ったら、姉は「いや、200万円でも300万円でもむこうは払うと思うよ。だって、今回のことをバラされたらあの家は終わりだからね」と言った。  だが、私はそうしなかった。私にもプライドがあるし、高額な請求をして、「こんなに支払ったのだから、完全に罪は償った」とS子達に思われたくなかったからだ。  ちなみに、姉は「ついでにS子に『坊主頭にしろ!』と言ったら?』とも言ったが、もちろん言わなかった。   「分かりました。150万円お支払い致します」とS子が言った。 「150万円も払って、若方丈さんには気付かれないんですか?」と母が訊いた。 「大丈夫です。私の銀行口座がありますから」とS子は答えた。  あのお寺なら、若奥様が自分だけのお金として150万円くらい持っていたとしても不思議はない。たいしたお金ではないだろう。だが、その150万円がいつの間にか無くなっても、夫が気付かないものだろうか。S子が払うと言いながら、本当は住職が支払うのではないだろうかと思った。 「そのお金を払ったら、今回の事が若方丈にバレないという保証があるんですか?」と住職が言った。  私は怒りをようやく抑えながら言った。 「保証なんかありませんよ! あれだけ大胆に不倫をしておいて、いつバレるかわからない状態ですからね! もう知っている人は知っているかも知れないし! 私は慰謝料と言ったんです! それとも、口止め料なんですか⁉︎」 「まあ、口止め料の意味もあります」と住職は言った。 「慰謝料ですよ! 私がもし150万円をもらって、その上で誰かにバラしても、私が責められる言われはありませんよ!」  私ははっきりと言い返してやった。    そこで、S子の母親が言った。 「N子さん、申し訳ありませんが、お願いがあります。実は今日、職員が一人風邪を引いて休んでおりまして…… 私が園に帰らないと子供達だけになってしまうので、帰ってもよろしいでしょうか?」  どうせ別々に帰るために嘘をついているんだろうと思ったが、もうどうでも良かった。丁寧にお願いをする園長を見たのは初めてだった。  私が「どうぞ」と言うと、彼女はすぐに帰っていった。  それからしばらくして、住職が「お前も、もう帰りなさい」とS子に言った。  S子はしばらく躊躇していたが、私が「どうぞ、S子先生も帰ってください」と言うと帰って行った。  やはり、少しずつ時間をずらして帰る作戦なのだろうと思った。    住職と母と私の3人だけになった。  すると、住職は言い訳をしたいのか、S子の話を始めた。 「S子は長女だから、我々も甘やかしてしまいまして…… S子は自分は何をやっても許されると思っているようなところがあるんです」  それから、S子と若方丈との馴れ初めを話し始めた。  元々、若方丈は寺に修行に来ていたそうだ。その寺は県外から修行に来る人がいるほど由緒ある寺だった。  その時、S子は東京で仕事をしていたそうだが、手伝いをする為に実家の寺に帰って来ていた。そこで、若方丈が「自分には霊感がある」などと言い、S子達姉妹に怖い話などをして喜ばせていたそうだ。 「世の中にはいるんですな。人を魅了して、たぶらかす人間が……」と住職が言った。 『男達が悪い』とでも言いたかったのだろうか。S子は何度たぶらかされれば気が済むのだろう。  当時、S子も若方丈も失恋したばかりで、そのせいもあって、若方丈がS子に会いに東京に遊びに行くようになったそうだ。  それから間もなくして、二人で住職の前に現れ、「結婚させて欲しい」と言ったという。  住職は自分が適当な人物を娘の結婚相手に選びたかったそうだが、そうなったら許さないわけにはいかなかったそうだ。 「我々の世界では、あっちのお寺の人間と付き合っていて、駄目になったからじゃあこっちの人、というわけにはいかないんです。狭い世界ですからね」  だからって、S子が何をしても良いわけじゃないだろ!自分で若方丈を選んだんだから!という気持ちで聞いていた。  そして、私は住職に訊いた。 「S子先生から、若方丈さんが子供達に暴力を振るうと聞いたのですが、本当ですか?もし私がS子先生さんの立場なら、何がなんでも離婚するか、子供達を連れて家を出ますけどね。母親ならそうじゃないですか?」 「まさか! 暴力なんて。子供達は若方丈の事が本当に大好きですよ」  また訳が分からなくなった。暴力のこともS子が大袈裟に言っているのだけなのだろうか。    帰る時、住職はお金で解決したと思ってほっとしているのか、とても機嫌が良くなったように見え、「この前の法事の〇〇さん、とてもお料理が美味しかったと喜んでいらっしゃいましたよ」と母に言った。 「有難うございます。これからもよろしくお願いいたします」と、母もほっとした様子で答えた。  ーー二人とも何を言ってんだ! 馬鹿じゃないのか!  私は癪に触ったが、母が死に物狂いで守ってきた店を守る為に、穏便に済ませなければいけないのは仕方のない事かも知れなかった。 第4節 マインドコントロール  住職達との話し合いは終わったが、私の気は晴れなかった。  またS子にメールをした。 「お金なんて要求して、がめつい女だと思うかもしれないけど、私が要求したかったことは他にあるんです! それは、あなたに幼稚園の副園長の座を降りてもらうことです! でも、母に話したら『それだけは絶対に言うな』と止められました。だからせめてもの制裁に慰謝料のことを言いました。それを分かってもらいたいです。慰謝料を払ったからといって全て償ったと思わないでくださいね!」 「あなたのことが本当に憎くて恨めしいです。自分の夫が気に入らないからといって、人の夫を笑顔で賞賛して近づいて、深い仲になり、快楽と優越感を味わった。それなのに、バレても子供のことやお店とお寺の関係を盾にして、お金さえ払えば、今まで通り生活して行けるんですからね! 私が今どんな気持ちでいるか、あなたには分からないでしょうね⁉︎」 「住職は『そのお金を払ったら、若方丈にバレない保証でもあるのか』などとわけの分からない事を言ってましたが、あれだけあなた達が大胆な行動をとっていたのだから、そんな保証できる訳もないし、慰謝料の意味が分からないんでしょうかね! 私らの世界ではこうだとか、若方丈は私の弟子だからこうだとか、全然関係ないですよね! 寺の世界から離れて、一人の人間として人の気持ちを推し測ろうという気持ちはないのでしょうか⁉︎」 「ちなみに、私があなたに園を退いてもらいたいというのは、あなたのような人間が幼稚園の副園長をやっているのが我慢がならないということです。それから、それを知らずに大事な子供を園に預ける親達が気の毒だからです。真実を知ったら、子供を預ける人は誰も居なくなるでしょうね。良かったですね。私が怒りに任せてご主人や周りにバラさなくて」 「あなたにとっては、夫との事は人生のスパイスになるような官能的で素敵な思い出だったんじゃないですか⁉︎ 夫とあなたは絵本好き同士ということで盛り上がってたみたいですが、絵本は子供が読むものだから、人の気持ちを学んだりする内容が多いと思うんですが、絵本から何を学んでいたのでしょうね?絵本好きっていうと、いかにも純粋な人のように思えますよね?お2人が絵本好きだと言って盛り上がっていたとは本当に笑えます。ダシに使われた絵本たちが可哀想です。家にある息子が好きだった思い出の絵本も全部捨てました。小児科などで絵本が並んでいるのを見ただけで苦しくなります。その気持ち分かりますか⁉︎」 「ご主人にはどのように償いをするつもりですか⁉︎ このまま黙って、騙し続けるだけですか⁉︎」  私は怒りに任せてメールを送り続けた。もう止められなかった。    S子から返事が来た。 「N子さん、辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。先週のお話で、私の知らなかったご主人の遍歴を聞いて驚きましたし、さらにご主人がN子さんや女将さん、そして私に対していかに自分に都合のいいように話していたのかがよく分かりました。ご主人の言っていたことは全部嘘でした」 「罪をおかしたのは私の責任でもありますし、被害者だと言いたい訳ではありません。ただ、騙されていた私が、信じていた私が馬鹿でした。たくさんの人を傷つけ、こんな大変なことをおかした自分が改めて情けないです。私のおかした過ちは消えません。慰謝料をお支払してもこれからもN子さんへの謝罪の気持ちが消えることはありません」 「夫に話すことは即、子供達に知れることです。そして、街中に知れることにもなると思います。息子さんのことはもちろん、子供達だけは絶対に傷つけるわけにはいきません。何の罪もない子供達の生活を守らなければなりません。だから夫には一生隠し通します。精一杯尽くすことで償って行きます。子供達を蔑ろにした私が言えることではないかもしれませんが、将来のある子供達のことを一番に考えなければと思います」  ーー将来のある子供達のことを一番に考えなければ⁉︎ いったいどの口がそんな事言ってるんだ! 若方丈に隠す事を正当化してるだけだろう! 夫には精一杯尽くすことで償うって…… いつも若方丈の事をボロクソに言ってたお前がそんな事するわけないだろう!  怒りに震えながら、またメールをした。 「夫がどのような人間だったにせよ、どんなつもりであなたと付き合っていたにせよ、あなたが私を長期間に渡って裏切り続けていたことには変わりはありませんよ! 夫と2人でこの数年間、私の周りをうろつき、良い夫、良い友人を演じ、息子の幼稚園と小学校の思い出をめちゃくちゃにしたんです!」 「『信じていた私が馬鹿でした』って、夫はあなたにどんな嘘をついていたんですか?私と結婚した時の話とかですか?それとも、『子供達が大きくなったら、一緒になろう』とか言われていたんですか?」  S子から返事は無かった。    翌日、住職が150万円を持って母を訪れた。  また言い訳をしたかったのか、住職は言ったそうだ。 「自分の妻と娘は、遺伝的におかしいのかも知れない。寺の先祖に、頭の弱い女性が居て、夜な夜な山でいかがわしい事をしていたらしい」  住職は婿養子で、婿入りする時に、同じく婿養子だった先代からそれを聞いたそうだ。その寺はいわゆる女系で、息子と同い年のS子の子が80年ぶりに生まれた男の子だという。 「とにかく、娘をこれ以上追い詰めると病気になるかもしれなからやめて欲しい」と住職は言ったそうだ。 「それを言ったら、うちの娘の方が病気になりそうですよ!」と母は言い返したという。  住職は帰る時に、また念を押したそうだ。  「くれぐれもN子さんがS子に二度とメールをしないようにお願いします。子供達がS子が辛そうな表情でケータイを見ているのを見て、心配しています」  その夜、S子からメールが来た。 「作品展の相談に行った時に、何だかんだと引き留めていたのはご主人のほうです。ご主人は過去のことはほとんど話しませんでした。付き合ってた人は人並みにいた程度の話だけです。訊こうとすると嫌がりました。だから、知らないことばかりで驚きの連続でした。これまでの遍歴を聞いて、生前、私に甘い言葉をささやいたり、親切にしたのも全部嘘だったと確信しました。そういう人間だとは思いもせず、信じていました」 「私を好きにさせ、自分に頼らせ、離れられないようにマインドコントロールしていたのだと思います。やめたくてもやめられない覚醒剤や洗脳と同じです」 「官能的な思い出なんかではありません。性欲処理に使われていただけだとはっきりと分かりました。そうだとは思っていましたが。私にも飽きて次のターゲットを探そうとしていたのかもしれませんね」 「ご主人がとても恨めしいです。私との関係を精算せずに亡くなり、残された私にすべての責任をおしつけ、N子さんを苦しめているが一番の罪です」  ーー今度は、K男がマインドコントロールしていたと言ってくるとは! ふざけるな!  それにしても、『性欲処理に使われていただけだ』とはっきりと言ってくるとは…… いつも悩みを聞いてもらう代わりに、夜中に車の中で夫の処理をしていたのだろうか。気持ちが悪い。    住職に言われてもうメールはしないつもりでいたが、このまま言われたままでいる訳にはいかなかった。 「作品展の相談の時に引き止めていたのは夫のほうだということですが、もしそうだとしたら、奥さんが居ない時に家を訪ねて、何だかんだ引き止められたら、『私が気があると誤解しているのだろうか。それではマズイから、もう色々と相談するのはやめよう』となりませんか?その後も夫に色々と相談しまくっておいて、それはないんじゃないでしょうか?私だって、あなたが夫に何でもかんでも頼っているのを、少し図々しいと思わなくはありませんでしたよ。でも、私があなたに『もう夫に相談するな』とか『近づくな』とか言えたと思いますか?あなたがそんな事するはずないと思っていましたし」 「洗脳されていたことにすれば、夫が全て悪い事にすれは、あなたは楽ですよね?私はあの夫の事を包み隠さずに、正直にあなたとあなたのご両親にお話したつもりですが、早速そんな風に利用しましたか」 「あなたは『あの男が恨めしい。私との関係を清算せずに亡くなり、残された私にすべての責任をおしつけ……』とありますが、あなたからいつでも清算すれば良かったんじゃないですか⁉︎ 半分は夫が悪いのだと言いたいんですか⁉︎ その通り、半分は夫が悪いですよ。では、半分は誰か別の人が悪いのであれば、あと半分は自分がやっても良いという事ですか⁉︎ しかも、あなたは息子が通った幼稚園の副園長であり、私とも深い付き合いあって、家同士も長い付き合いがあったんですよ!」 「不倫なんて元々騙し合いみたいなもので、嘘つかれてたとか、洗脳されていたとか、そういう話ではないんじゃないですか⁉︎ 薄汚い不倫の関係で、都合よく甘い言葉をささやくのが当たり前じゃないですか! それとも、あなたは夫が言っていたことを全部純粋に信じていたとでも言うんですか⁉︎ 自分だけは純粋だったとでも言いたいんですか⁉︎」 「ただあるのは、あなたと夫が薄汚い心で、私や若方丈さんや周りを騙して、『癒されている』だの『気持ちが良い』だのと言い合って、性欲に溺れていたという事実だけです」 「あなたも苦しんでるかも知れないけど、それはあなたがそれだけの事をしたのだから、責められているのは当然の事です。でも、私はあれだけの事をされた側なのに、ずっと苦しんでる。これからも苦しみ続けるんです。それを忘れないで下さい! 何かあったら150万なんていつでも突き返して、私の気が済むようにやらせていただきますから!」 「このメールに返信は不要です。私ももうメールはしません」  本当にもうメールはしないつもりだった。私の最後のメールをS子が見てくれれば、それで良かった。言いたい事は全部言ったつもりだった。でも、3日経ってもメールが既読にならなかった。    だから、私はまたメールを送った。  「どうして私のメールを見ないんですか⁉︎ ブロックしているんですか⁉︎ 私に一生償うと言ったのはやはり嘘だったんですね! 最後には洗脳されていたと言ってきたり、メールを見なくなったり、あれだけ私を傷つける事を何年もしておいて、自分を守ることだけは一生懸命なんですね!」 「私の事、異常だと思うかも知れませんが、あれだけ異常なことをされて、私だけ正常でいろと言うほうが無理じゃありませんか⁉︎ 私はもう異常かも知れませんよ!」 「また住職に泣きついたらいいんじゃないですか⁉︎ 気が狂いそうだとか、子供が心配してるとか。住職が言う通りなら、あなたはわざわざ子供の目の前でスマホを見ながら、曇った顔をしているんですか?あれほどの事をしておいて、みんなの前で平気な顔して隠し続けていたあなたが⁉︎ 住職が150万を返せと言ってきたら、すぐに返しますよ!」  それでもメールは既読にならなかった。  ーーもう一生、私からのメールを見ないつもりなのか! 金を払った途端にこういう事をするのか! ふざけるな!  これ以上我慢が出来なかった私は、何がなんでもS子にメールを見てもらう為に、10人程の幼稚園のママ友グループのトークにメッセージを入れた。 「S子先生、最後にもう一度だけ、私からのメールを見ていただけませんか?」  幼稚園のママ友たちとは卒園後もずっと交流が続いていて、年に数回は飲み会をやっていた。ちょうどその頃も、何も知らないママ友たちの間で、次の飲み会の話題で盛り上がっていた。私は参加すると返事をしていたが、数日前になったら仕事で行けなくなったという事にする予定だった。S子はもう参加しないとしても、とても皆の顔を見る気にはなれなかった。今後、私がその大好きだったママ友たちとの飲み会に参加することはないだろう。    やっと、S子から返事が来た。 「N子さん、すみませんでした。ブロックしていたのではありません。メッセージを見る勇気がなくて、開けませんでした。お願いがあります。ママ友グループのトークに送ったメッセージの取り消しをしていただけますか?もう皆さん見たかも知れませんが…… 子供達のことは絶対に傷つける訳にはいきません。罪のない子供達の生活を守らなければなりません。お願いします…… お金を支払ったからといって終わったとは思っていません。N子さんに対しての謝罪の気持ちを一生持ち続けていきます」  私はすぐにそのメッセージを取り消した。そして、すぐにS子にメールをした。 「メッセージは取り消しました。あなたが自分のした事の責任において、苦しくても私からのメールをちゃんと受け止めていればこんな事にはならないんじゃないですか⁉︎ 「子供達のことは絶対に傷つける訳にはいきません。罪のない子供達の生活を守らなければなりません」ですか…… だったら、なおさらですよね⁉︎子供達の人生を脅かしていた張本人は誰なんですか⁉︎ 皆んなが通った幼稚園の副園長であり、ママ友である、あなたですよ! 私を悪者にして、自分は子供達を心配してるまともな人ぶるのはやめて下さい!」  S子から返事が来た。 「メッセージを取り消していただいて、ありがとうございました。私がお願いできる立場でも、子供達の心配をできる立場でもないことは十分分かっています…… 私に出来る事として、子供達を守りたいと言ってしまいました」  S子とのメールのやりとりはそれで終わった。 第6章 裁判 第1節 ブラジャーとショーツとコンドーム  2つの不倫が発覚し、奔走していたのは、春から夏に向かってどんどん暑くなる時期だった。そして気が付くと、秋から冬に向かってどんどん寒くなる季節になっていた。  やっと半年が経ったのだ、と思った。色々な事があり過ぎて、毎日が長く感じられた。早く10年位経ってくれたら、少しは楽になれるのにと思った。  夫の姿だけがポツリと居なくなったような、相変わらずの家の雰囲気に嫌気が差して、模様替えをする為に家具屋に行った。  久しぶりにその店内に入ってハッとした。昔、夫とよく来ていたのだ。  特に家を新築した時には、まだ赤ん坊だった息子を連れて毎週のように訪れ、ベッドや食器棚や雑貨などを購入したり、隣接するイタリアンレストランで食事もした。その頃は、念願の子供が出来て、家も新築し、今思えば夢のように幸せだった。  その頃の情景が次々と頭に浮かんだが、なんとか涙を堪えながら店内を歩いた。だが、結局、何も買うことが出来ずに店を出た。車に乗り込むと涙が込み上げて来た。帰り道は、涙で前が見えなくならないように運転するのに精一杯だった。  このような地方都市では、出かける場所は限られていて、どこに行っても夫との思い出の場所ばかりだと気がついて、また絶望的な気持ちになった。    まだまだ遺品の整理が続いていた。夫は収集癖がある上、紙切れでも何でもとにかく取っておくタイプで、大量に遺品があった。  物置を物色していると、ディズニーリゾートのお土産の袋が出てきた。私はギョッとした。ディズニーと言えばA子だからだ。最近はディズニーリゾートのテレビCMを見るのも嫌になっていた。  恐る恐るその袋を開けてみると、ベージュ色のブラジャーと黒のショーツ、そして、その奥にコンドームが3つ入っていた。ひと目でこの前見つけた、ラブホテルの写真でA子が身につけていた物だと分かった。  ーーいったい、どういうつもりなのだろう。二人でラブホテルに行った事があるとしても、どうしてこんな物をA子は夫に渡す必要があるのだ。  ブラジャーもショーツもそれなりに使い古されたような雰囲気だった。それから、3つのコンドームはそれぞれ種類が違う物で、『ぶつぶつが気持ち良い』とか、『極薄で生感覚』などと書いてあった。A子が「どれが一番良いか、色々試してみて!」と言いながら夫に渡す情景が目に浮かんだ。  ーー私の事をどこまで馬鹿にすれば気が済むのか!  それを受け取るあの男もあの男だ。写真や下着を受け取って、倉庫の引き出しにこっそり隠しておいたのだろうが、その後、S子に夢中になっているうちにその存在を忘れて、すっかり埃を被っていたようだ。そんな事があるのかと人々は思うかも知れない。だが、夫の物の異常な多さを見れば納得してもらえるだろう。  ーーなんて馬鹿な男なのだ! こんな物を何年も前から家に置いておくとは!  それにしても、A子はこれだけの事をしておいて、平気で私の家に何度も遊びに来て、バレたら『旦那さんと内緒で連絡取っててごめんね』で済まそうとした。  ーーそれだけで済まされる訳ないだろう! 『ごめんね』で済ませられないことを思い知らせてやる必要がある!  A子がこれだけ大胆な行動をとっているのに、私が何を遠慮する事があるのだろうと思った。    私はまず、A子に手紙を書き、彼女の勤務先のカメラ店に送ることにした。 「この前は話に来てくれて、知りたいことが分かって良かった。それから、母と姉が押しかけて悪かった。やり過ぎだったかも知れない。私は決して脅したり、声を荒げたりしないからもう一度だけ会って話がしたい」というような内容だった。  悔しいが、A子に会ってもらうために低姿勢でお願いをする事にした。  A子に会ったら、きちんを謝罪して欲しいという事と、慰謝料を50万円請求するつもりだった。  彼女が言うように月1回位の頻度で夫に会い、1年足らずの関係であれば、S子に比べて程度が軽いとみなし、100万円くらいだろう。その半分を請求出来るとすれば、50万円とすることにした。S子に比べるとだいぶ安いが、彼女の家が母子家庭で、2人の子供がいるという事も考えざるを得なかった。  ところが、1週間経っても、2週間経っても返事が来なかった。会えないなら会えないという返事でも来ればまだしも、無視されていることに腹が立った。  このまま引き下がるわけにはいかないので、勤務先のカメラ店に電話をすることにした。手紙を受け取ったかどうかと、私に会うつもりがあるかどうかと訊くためだった。  A子の勤務先に電話をするなんて、緊張するし、どうなるか怖かったが。だが、「私は強くならなければならない! 私が弱いから舐められていたんだ!」と勇気を奮い起こした。   「○○と申しますが、A子さんはいらっしゃいますか?」  まずは、名前を名乗ってから、できるだけ丁寧に言った。 「本日は出勤していません」  だいぶ長く待たされた挙句に言われた。『嘘に決まっている』と思ったが、どうしようもなかった。 「明日は出勤されますか?」 「一応…… 出勤する予定ではありますが」と歯切れが悪かった。 「それでは、明日またお電話させていただきます」  1日待って、再び電話をした。今度は電話に出た女性の声色が急に変わった。 「まだ出勤していません」  11時を過ぎていたので、嘘だと思ったが、丁寧に訊いた。 「何時頃に出勤されますか?」 「11時半に出勤予定ですが、その時間に撮影の予約が入っているので、電話には出られません」と、またもや長く待たされた後に言われた。 「じゃあ、ずっとお電話お待ちしておりますので、手が空いたら必ずお電話いただけるようにお伝えください。お電話いただかなければ、こちらからまた何度でもお電話します」   そう言って、こちらの電話番号を伝えて電話を切った。  数時間後、先ほどの女性から電話がかかってきた。 「本人は怖くて電話に出られないと言っているんです。ここは職場ですし、迷惑なのでやめてもらえませんか?」 「私は訊きたいことがあるから、電話に出て欲しいと言っているだけです。彼女が電話に出てくれれば5分もかかりません。迷惑かどうか、どうしてあなたに分かるんですか⁉︎」 「彼女は怯えているんですよ! 営業妨害じゃないですか⁉︎」  A子はおそらく、『頭のおかしな女に脅されている』とでも言っているだろう。これ以上は無理だと思った。そして、そのような場合にはどうするかも考えていた。 「分かりました。それでは、彼女に弁護士を通じて通知書を送りたいので、自宅の住所だけ教えてください」  しばらく待たされてから、電話口の女性は言った。 「怖くてあなたに住所は教えられないそうですが、こちらに送っていただければ彼女に渡します」  彼女に電話に出てもらうための、半分脅しのつもりだったが、こうなったら弁護士に連絡をするしかなくなった。このまま引き下がるわけにはいかない。母や姉も「絶対そうした方が良い! あの女に負けるな!」と言った。  私は誰に連絡をしたら良いのか分からなかったので、地元の弁護士会に電話をして内容を告げた。すると、地元のある弁護士を紹介してくれた。  その40代後半くらいに見える男性の弁護士は、とても気さくで明るい雰囲気だった。 「それはとんでもない女ですね。懲らしめてやった方が良いと思いますよ。とりあえず、300万円請求しましょう!」 「300万円⁉︎ そんなに取れません! 母子家庭ですし、子供達の進学とかに影響があるといけないので…… 」 「いや、とりあえず300万円請求しますが、普通は交渉して金額が下がっていくものですからね。落とし所は100万ぐらいじゃないですか?」     数週間後には、A子の自宅に通知書を送った。その住所は弁護士の権限で簡単に調べられた。  内容は、私が夫の死後、夫とA子の不倫関係を知って苦しんでいる事、その慰謝料として300万円を10日以内に指定の銀行口座に振り込む事、そして、その件について質問や不服があれば、こちらの弁護士に連絡をしてもらう事などであった。  私は当初、A子がその通知書を見て、慌ててこちらの弁護士に連絡をし、「そんな大金は支払えないから減額して欲しい」と言ってくると思っていた。そうしたら、私は100万円にしてあげるつもりだった。その半分近くは弁護士費用に消えてしまうが、それで良かった。  だが、そう簡単にはいかなかった。  その数週間後、弁護士から連絡があり、A子が自身に弁護士をつけた事、それから、今後は弁護士同士の話し合いになるから、直接A子に連絡できない事などを告げられた。  ーーなんて馬鹿な女なのだ! 連絡をよこせばすぐに減額してやったのに……   これで、私もA子もお互いの弁護士に相当のお金を支払わなければならなくなった。  でも、彼女にしてみれば、通知書が見てどうして良いか分からず、とりあえず弁護士に連絡したのかも知れない。その弁護士事務所はテレビでしょっ中、CMが流れる有名な事務所だった。  それからさらに数週間が経ち、A子の弁護士から初めての反論書が届いた。  向こうの言い分としては、私と夫の結婚生活が消滅したのは夫が死亡したからであり、A子と夫の不倫関係には気付いていなかったわけだから、婚姻生活を害してはいなかったわけであり、従って、慰謝料は発生しないというものだった。そして、過去の不倫の慰謝料の請求が退けられた判例を挙げてきた。  私は憤慨した。  ーー何を言ってるんだ! たまたま不倫がバレなかっただけだろう! 不倫を知って、今、苦しんでいる私のこの気持ちはどうなるのだ! それに対する慰謝料は無いのか!  こちらの弁護士によると、気付いていたかどうかに関わらず、不倫をしていた事自体が婚姻生活を侵害していたことなるから、そんな言い分が通るはずもないし、向こうの弁護士が挙げてきた判例も今回と全く違うケースだということだった。  A子側は、まずは慰謝料は0円と主張して、最終的な解決金をなるべく低くしようといているのかも知れなかった。  すぐに反論書を出した。今回は、A子がどのように婚姻生活を侵害していたかという具体的な事柄を示した。真摯に金額の交渉に応じれば、減額を考える旨も記載した。それから、手紙で私が今、どのように苦しんでいるかという事を書いて、一緒に送ってもらった。    すると、さらに数週間後、相手はまた別の判例を出し、婚姻生活が大きく害されてはいない事と、精神的苦痛を受けたとする具体的な内容が明らかではないから、慰謝料は発生しないと主張してきた。前回の判例も、次に持ち出してきた判例も、婚姻生活が既に破綻していて、別居した後に別の人と関係を持っていたというような事例で、今回の事には当てはまらないようなものだった。  弁護士が言った。 「相手側の意図がよく掴めないんですよね。相手が不倫を認めていないならともかく、不倫の事実を認めていながら、自分には非がないと言ってるわけですからね。私が相手側の弁護士なら、『不倫をしていたのは事実だから、全くお金を支払わないという訳にはいかない。だから、交渉をしてなるべく低い金額に抑えるようにしましょう』と提案して、早く解決させてあげようとしますけどね。A子さんが『私は絶対に1円も支払いたくない!』と主張しているんですかね?」  ーーどこまで私を馬鹿にすれば気が済むんだ! A子がお金を支払うまで徹底的にやるしかない! 本当に馬鹿な女だ!  私は強い憤りを感じた。  そこで今度は、時系列で詳しく起きた事柄を示し、不倫発覚後にA子が我が家に来た時の会話の様子も詳しく記述した。それから、今、私に具体的にどのような精神的苦痛があるかも述べた。    すると相手は、またもや同じような主張を繰り返すものの、夫にも不貞行為の責任があり、もし仮に慰謝料が発生したとしても、極めて低額なものになるという事。それから、私のA子への報復とする行動で、A子が多大な精神的苦痛を受け、社会的に制裁を十分に受けていることを考慮すると慰謝料は発生しない、と主張してきた。  相手の言う私の報復行為とは、私が彼女の裸の写真を職場に送りつけた事、彼女の職場に何度も電話をした事、それから、共通の友人達に不倫の事を暴露して、A子の友人関係を崩壊させたとする事であった。    それにはこのように反論した。  私が彼女に裸の写真を送りつけたのは、写真を発見して苦しんでいる事をA子に知って欲しかったからであった。メールも電話もブロックされ、住所も分からなかったから、職場に送るしかなかった。本当に報復する気なら、A子様と書かず、職場の誰かが目にして大騒ぎになるようにする事も出来た。  それから、職場に何度も電話せざるおえなかったのは、メールも電話もブロックされ、手紙を出しても無視され、職場に電話をせざる終えなかった。そして、何度も電話をしたのは、出勤していないとか、まだ出勤していないとか、予約が入っているから電話できない等と言われ、電話に出なかったからである。A子が職場に迷惑をかけまいと、一度でも電話に出て用件を済ませば、私が何度も電話をする必要はなかったのである。  共通の友人達に暴露した件は、最初はママ友の一人だけに打ち明けたが、その彼女に「他の人達にも事実を打ち明けなければ、誰かがバーベキューや飲み会などに彼女に声をかけてしまうかも知れない。それに、彼女がその場に居なくても、いつ彼女のことが会話の中に出てくるか分からない。その度にあなたが辛い思いをすることになる。だから、このまま隠し通していくことなど無理だし、皆んなに事実を打ち明けるべきだ」と言われて、打ち明けることになった。事実をそのまま告げただけで、陥れようと嘘や作り話は一切していない。もし友人関係が崩壊したというならば、彼女が行った行為そのものが友人関係を崩壊させるような行為だったということになる。    このようなやりとりが数回続いたが、A子側は『慰謝料は一切支払う必要がない』の一点ばりだった。少しは私に申し訳ないと思って、お金を支払うつもりはないのだろうかと強い憤りを感じた。  もちろん、このまま引き下がる訳にはいかなかった。私にもプライドがある。こうなればやれるところまでやるしかなかった。そして、ついに裁判提起をする事になった。  それにしても、A子が何を考えているのかさっぱり分からなかった。  普通に考えれば、A子が慰謝料をいくらか支払わなければならないのは、目に見えていた。インターネットで検索しても、相手が死んだ場合でも慰謝料を支払わなければならないと出てくる。それに、A子はその段階で相当な弁護士費用をすでに支払っているはずで、裁判となればさらに費用がかさむはずだった。しかも、裁判となれば、A子が不倫で裁判を起こされたという記録が一生残る。  ひょっとしたら、相手の弁護士にそそのかされているのではないかと思った。 第2節 裁判  そうこうしているうちに、夫の死から約一年が経とうとしていた。  義母から夫の一周忌法要の連絡があった。私は気が重かったが、寺の住職達や世間の手前、出席しないわけにはいかなかった。  ちょうどその頃、新型コロナウイルスが猛威を奮い始め、世界中が大騒ぎになっていた。世間的にも自粛ムードの最中だったので、法要の後の会食はしないことになったそうだ。もちろん、皆んなで食事をするような気分では無かったのでちょうど良かった。夫の両親も同じ気持ちだったことだろう。  その法要は平日に予定されており、息子は出席しないことになった。当日はどんな雰囲気になるか分からなかったので、それもちょうど良かった。  本来なら、妻である私が施主となり、夫の一周忌法要の準備をするはずなのだが、あんな事があり、仏壇も夫の両親の家にあるので、夫の両親が仕切るのが当然の雰囲気だった。  その法要の当日、私はどうしたら良いのかよく分からなかったが、手ぶらで伺うのもどうかと思い、仏壇に飾る花束を買い、母から渡されたお菓子も持って行った。  まずは、仏壇に手を合わせた。夫の遺影の写真を見るのは久しぶりだった。自宅には遺影どころか、夫の写真は一切飾っていなかった。『こんな顔だったっけ?』と不思議な気がした。  その後、夫の両親と義弟の4人で寺に向かった。その寺に行くのはこれが初めてだった。小さな寺だったが、50代くらいに見える住職とその奥さんが感じよく迎えてくれた。  本堂でのお経の後、墓に向かい、納骨もした。その墓を見るのも、もちろん初めてだった。  その後、また夫の両親の家に戻り、皆んなで30分ほど他愛もない話をした。  皆、一切あの話はせず、何事も無かったかのようにしていた。誰もあの話には触れたくなかったし、考えたくもなかったのだろう。そうする他なかった。  義母は私に色々と話しかけてくれたが、義父が私と目を合わせることは無かった。  帰り際に義母からお菓子を渡された。本当に私は分家の人間のようだと思った。 「今度、○○ちゃん(息子)を連れて遊びに来たらどうだ?」と義父が帰り際に言ったので、「そうですね」と答えた。だが、そのつもりは無かった。  夫の両親の事は気の毒だと思っていた。二人とも70歳を過ぎたところで長男を失い、しかもその長男が不倫をしていた事で、私や私の母や姉に散々責められ、可愛がっていた孫にも会えなくなったのだ。  でも、私にもプライドがあった。たとえ言葉の綾だったとしても、「ただの浮気じゃないか」、「モテていい人生だったじゃないか」、「お前にも原因があったんじゃないか」、「もう終わった事じゃねえか」などと義父に言われて、簡単に許す気持ちにはなれなかった。  それに、顔を合わせて、何事も無かったかのように皆んなで楽しくおしゃべりをしたり、食事をしたりする事など二度とできないだろう。  夫の両親には悪いが、次の三回忌法要まで会う事は無いだろうと思った。    それからしばらくして、ちょっとした出来事があった。  小学校の同学年の児童の母親達で構成された30人以上のライングループがあった。普段、用事がなければ誰もメッセージを送る事は無いのだが、学校の準備や宿題等で疑問などがあると、誰かがメッセージを送ってくることがあった。  その日も、ある母親が「子供に訊いても、週末の宿題の内容が分からないから、誰か教えて欲しい」というメッセージを送ってきた。  すると、すぐにS子が宿題の内容を伝えるメッセージを送ってきた。 『ありがとうございます』、『私も知らなかったので助かりました』という内容や、可愛いスタンプなどがその後、数人の間でやりとりされた。  私はそれを見て驚愕し、怒りに震えた。  ーーいったいどういうつもりなのだ! そのライングループに私がいることを意識していないのか! お前が他の人達と楽しそうにメッセージのやりとりをしているのを見て、私が何とも思わないとでも思っているのか!   S子の笑顔の記憶が蘇り、怒りが治まらず、よく眠れないまま翌日の朝を迎えた。  そして、明け方にそのライングループを退会した。他のお母さん達から変な風に思われるかも知れないと思ったが、もうどうでも良かった。  次の日の夜になっても怒りが治らず、S子にメールを送った。住職に言われて、二度とメールをしないつもりだったが、我慢出来なかった。 「あなたは一体どこまで私を馬鹿にすれば気が済むんですか⁉︎ もし、悪気は無く、ただの天然なのだとしたら、度が過ぎて殺人的ですね! 私が毎日、どんな気持ちで過ごしているのか想像すら出来ませんか⁉︎」 「あれから、息子の幼稚園の写真で、あなたも写っている物は全て捨てました。それから、みんなでワイワイ言いながら作った思い出の卒園アルバムも捨てました。表紙を開くとまず、園長とあなたの大きな写真が目に飛び込んで来るので。無理に決まってますよね⁉︎ それから、あの公園の前の通りは、あなたと夫が会っていた駐車場があるし、その先には、あの忌まわしい幼稚園が見える角があるので、通らないように遠回りをして、毎日、実家に行ってます。もちろん、あの公園に息子を連れて行くことも出来なくなりました」 「それでも、なるべくあなたと夫の事を頭から取り払い、息子と前向きに生きていこうと毎日、努めています。でも、あなたが一昨日の夜、小学校のグループラインでの質問に普通に答えているのを見て、驚きと怒りに震えました。昨日も一昨日もよく眠れていません。」 「そのグループラインの中に私がいるのですから、あなたが何事も無かったかのようにメッセージのやりとりをしているのを見て、あなたの存在を感じて、私が何とも思わないとでも思いましたか⁉︎ もう一周忌も終わったし、それくらいは良いだろうとでも思いましたか⁉︎ ただラインの会話に入っただけ、それだけの事かも知れませんが、それだけであなたが今、どういう気持ちで暮らしているのか手に取るように分かりました」 「私がこの先、どれだけの悲しみ、苦しみ、怒りを抱えて生きていかなければならないか検討もつかないというのに、あなたにとってはもう終わったことですか⁉︎ 私の気持ちを考える事も出来ませんか⁉︎ どこまで私を蔑ろにし続ければすれば気が済むのですか⁉︎」 「あんな事を何年もし続けて平気な顔をしていたのですから、あなたにとっては当たり前の事なのでしょうね⁉︎ 自分の夫や生活に不満があって、そのストレスを解消したり、一時に癒される為なら、周りの人達や子供達の事は一切考えないタイプですもんね⁉︎ あなたが幼稚園の副園長をやっている事が本当に恐ろしいです」 「これから先の小学校での運動会や作品展を、私がどのような気持ちで迎えるのか考えた事があるのですか⁉︎ 息子の卒園式も、小学校の入学式も、運動会も、作品展も、その他の様々な思い出も、全て踏みにじられたんですよ! 私は今まで、これほど人に馬鹿にされたと思ったことも無ければ、これほど人を憎んだこともありません!」 「150万円を渡したのだから気持ちを切り替えろと言うのなら、いつでもお返しします! 口座番号を教えて下さい!」 「あなたが夫に向けたような笑顔で笑っているところや、人と楽しそうに会話をしている様子なんて二度と見たくありません! あなたの気配を感じたくもないし、同じ空間にいる事など絶対に無理です! それが、これからの子供達の小学校や中学校の生活に多少の支障が出るとしても、それは全てあなたが撒いた種です! それをよくご承知おき下さい!」  私は狂ったように、ずっと抑えていた気持ちを次々とS子にぶつけた。だが、数時間経ってもメールが既読にならなかった。  ーーグループラインにはすぐに返事をしたくせに! 馬鹿にしやがって!  怒りが頂点に達した。 「早く私からのメッセージを見てください! さもなければ次の行動を起こします!」  しばらくすると、S子から返事が来た。 「軽率な行動をしてしまい、本当に本当に申し訳ありませんでした。N子さんのことを考えない日はありませんし、自分の過ちを毎日、悔いています」 「あの日、たまたま息子の家庭学習カードを見ている時にグループラインを見ました。息子に分からない子がいることを話したら『教えてあげて』と言われたのですが、『N子さんを不快にさせるのでは』と送信を躊躇したていたら、息子が送信を押してしまいました。N子さんを不快にしてしまい本当に申し訳ありません」  ーー嘘くさい言い訳を並べやがって! さすが、今まで私や周りの人達を欺いてきただけの事はあるな!  都合の良い言い訳を聞いて、ますます腹が立った。 「なんでもかんでも子供をダシにする、あなたの言い訳なんか聞きたくありません! 私の事を毎日考えているなら、絶対にそんな事は出来ないはずです! まともな人間のフリをするのはやめて下さい!」 「今後、グループラインにはもう返信しません。本当にすみませんでした」と返事が来た。  その後、よく考えた後、そのグループラインの一人に連絡をし、『機種変更したら、グループから退会してしまったので、またグループに誘って欲しい』とお願いをし、再びそのグループに入った。    苦しかった。人を恨み続ける事がこんなに苦しい事だとは思わなかった。  人を恨み続けることが、どんなに自分にとって損な事なのかは分かっていた。でも、どうしてもS子への恨みを頭から追い払う事ができなかった。  そして、ふと思った。私が夫と結婚して幸せ絶頂の時、夫の前妻のIさんは小さい子供を抱えながら、どんなに私達二人を恨み、苦しんで生活していたことだろうか。  夫が私に離婚していたと嘘をついていたにせよ、子供がその当時2歳位だったことを考えれば、離婚をして何年も経っていなかったはずなのに、私は深く考えなかった。それに、夫に離婚した理由や経緯についても深く追及しなかった。私は周りが見えなくなって、有頂天になっていたのだ。  私にA子やS子を責める資格など無いのかも知れない。私も奴らと同等の人間なのかも知れないと思った。    同じ頃、A子との裁判が始まった。裁判といっても、私がすることはそう多くはない。  月に一度、一方が反論し、それに対して翌月、もう一方が反論をする。つまり、2ヶ月に一度、反論をする機会が与えられるのだ。  弁護士と反論文の内容を話し合ったりするが、今までのやりとりに毛の生えたようなもので、反論する内容もだいたい決まっていた。それに、裁判期日には弁護士が裁判所に行き、反論文の内容を読み上げるだけで、私が裁判所に行く必要も無かった。  A子側の主張は相変わらず、不倫をしていた事は認めるが、家庭を崩壊させていた訳ではないから慰謝料が発生したとしても少額であり、私や母が職場に連絡をした事で精神的苦痛を受けているから、慰謝料は発生しないといった内容だった。  ただ、今までとは少し違う事も主張してきた。 『A子はK男とは親しくしていたが、N子は大勢のママ友の仲にいた一人で、特に親しい友人関係だったわけでない』とか、『A子からフェイスブックを通じて誘ったと言うのは嘘で、本当はK男から誘われた』などと言ってきた。  もちろん、これらは交渉の段階では全く主張してこなかった事なので、嘘であることは明らかだった。相手は裁判を有利に進めようとしていたのだろうが、A子が反省しているどころか、嘘をついて私をさらに傷つけようとしていることに激しい憤りを感じた。  だが、裁判をしたおかげで一つだけ新しく分かった事があった。相手の反論文の中に、『A子がK男と最後に関係を持ったのは、平成30年の1月15日であった』とする供述があったのだ。  関係を持っていたのは1年間ほどだったとA子は言っていたが、私はA子が自分の地元に引っ越した後も、二人が時々関係を持っていたのではないかと思っていた。だが、確証が無かったので、そう主張する事ができなかったのである。これで、数年間に渡り、肉体関係があった事がはっきりした。 『地元に引っ越した後は、たまにK男に会って色々と相談していただけで、肉体関係は無かった』とA子が主張することは十分に出来た。それなのに、そうしなかったのは不思議だった。『K男が死亡する直前まで関係を持っていたわけでは無い』と主張したかったのだろうか。  それにしても、最後に関係を持った日付をよく覚えていたものだと思った。ラインメールの記録が残っていたのだろうか。そんなものをいつまでも消さずに取っておいて、気味の悪い女だと思った。他にどんな内容のやりとりが残っていたのだろう。  やはり、夫は恐ろしい人だった。A子が地元に引っ越した後、新たにS子との関係が始まっていたが、同時にA子とも時々、関係を持っていたのだ。    裁判が始まってから約半年後の年末、A子が私に和解金50万円を支払うことが裁判所から提案され、それで和解することになった。  実際の慰謝料損害金は80万円と判断された。ただ、やはり夫が半分悪いということで、A子がこの先、その2分の1の40万円を夫の遺産を相続した私に対し請求することになる。その手間を省き、一度に解決を図るために案として、和解金50万円をA子が私に支払うことが提案された。私の方が10万円分有利となっているのは、A子が慰謝料の半分を私に請求する際に、弁護士費用が10万円ほど発生すると予想され、その手間を省く代わりに、その費用を私の方に上乗せしたからだった。    私が支払った弁護士費用は合計で46万円だった。まず、着手金が税込で11万円、印紙代などでさらに2万円を支払った。そして、解決したら20万円と報酬金額の20%を支払うことになっていたので、和解後に消費税を含めて33万円を支払った。つまり、50万円が支払われても、プラス4万円にしかならなかった。でも、そもそも金額の問題では無かったし、弁護士から『ほとんどプラスにならないかも知れない』と聞いていたので、不満は無かった。  A子の方はどうだろう。依頼した弁護士事務所はテレビCMが頻繁に流れている大手だ。ウェブサイトを検索して見てみると、不倫で慰謝料を請求された場合の弁護士費用が載っていた。  それによると、基本費用が20万円、報酬金額が成功報酬金額の18%、弁護士が出廷する度に3万円、その他に事務手数料が1万円だった。  こちらの弁護士から聞いたが、300万円の請求が50万円で決着したので、成功報酬は250万円となるそうだ。つまり、報酬金額は250万円の18%で45万円、基本費用が20万円、3回の出廷で9万円、事務手数料が1万円、それに加え、私に払う慰謝料の50万円を加えると、合計で125万円位を支払うことになったはずだ。  私にはほんのわずかなお金しか残らなかったが、A子にはたくさんのお金を支払わせ、いくらかの精神的な苦痛を与えることができたと思う。それに、不倫をして訴えられた事があるという、一生残る不名誉なレッテルをA子に貼ってやる事が出来た。これでA子も少しは懲りて、同じ事を繰り返すのをやめるかも知れないと思った。  A子にとっては、ママ友の夫と関係を持つという、ドキドキするような思い出の一つかも知れなかったが、『旦那さんと内緒で連絡取っててごめんね』では済まないことを思い知らせてやる事ができたと思う。  A子の件はこれで区切りをつけて、前に進むしかなかった。 第7章 その後 第1節 2分の1成人式    夫の死から約一年半が経ち、2度目のクリスマスや正月を迎えようとしていた。  義父がクリスマスのお小遣いを息子に渡すために家にやってきた。そして、玄関先で息子に言った。 「〇〇ちゃん(義兄夫婦の息子)が正月に家に来るかも知れないから、おまえも来るか?」「えっ⁉︎ 〇〇ちゃんが来るなら、僕も行く!」と息子は答えた。  私は少し離れたところでその会話を聞き、複雑な気持ちになった。  義父の気持ちは痛いほど分かる。どれほど孫に会いたいと思っていることか。それに、義弟家族が正月に来ても、その子供は息子が居なければ遊び相手がおらず、寂しく時間を持て余すことになるだろう。  だが、私は夫の両親とはあまりお付き合いをしない方が良いと思っていた。あんな事があったのに、何も無かったかのようにお付き合いをしていくことなど、到底出来ないと思っていた。それに、内心どうあれ、夫の両親が何事も無かったように接してきただけで、私は憤りを感じるに違いないと思ったのだ。  その後しばらくは、義父から連絡が無かった。義弟夫婦に2人目の子供が生まれたばかりだったし、彼らが正月に夫の両親を訪れない可能性もあった。  だが、大晦日に義父から連絡があった。 「今日、○○ちゃん(息子)はこっちに来るかね?」  私は一瞬迷ったが、断ることは出来なかった。急いで泊まらせる支度をして、義父に迎えに来てもらった。息子は大喜びで出かけて行った。  母に話すと、涙ぐんで喜んでいた。母はその頃になると、同じ祖父母という立場に立って、夫の両親に同情していた。  それから数日後、町内に回ってきた回覧板を見ていたら、いきなりS子の写真が目に飛び込んできた。  それは近くにある中学校の広報誌のようなもので、PTA役員の名前の中に、副会長としてS子の名前と笑顔の彼女の写真が載っていた。S子の娘がその中学校に通っているのは知っていたが、PTAの副会長をやっていたことは知らなかった。講演会の感想を書いたS子の寄稿文も載っていた。テーマは「Change(チェンジ)をChance(チャンス)に!」だった。  一気に気分が悪くなった。  ーー何が「チェンジをチャンスに!」だ! ふざけるな! お前にそんな事を言う資格があるとでも思ってるのか!  反省して形を潜めているのかと思えば、PTAの副会長などやっているとは思いもしなかった。何か断れない事情があったのかも知れないが、本気で断ろうと思えばいくらでも言い訳なんて出来るはずだった。偉そうに寄稿文まで載せて、何を考えているのかと強いい怒りを感じた。  小学校のグループラインの事にしろ、この中学校の広報誌の事にしろ、私がそれを目にしてどんな気分になるのか想像すら出来ないのだろうかと思った。もう彼女にとって不倫は過去の事で、私の事など大して気にもしていないのかも知れないと強い憤りを感じた。とにかく、S子が普通に生活をしている様を感じることすら、耐えられない気持ちだった。    それからしばらくして、小学校の学習参観の日が近づいていた。私はもちろん、S子を意識して落ち着かない気分になっていた。  半年前にも学習参観があったが、その時は1時間目から5時間目まで、いつ保護者が見にきても自由という形式だった。その学習参観の前日に私はS子にメールをした。 「明日の学習参観ですが、私は午前中だけ参観して、午後は居ません。どういう意味か分かりますよね?あなたを許したという意味ではありません。あくまで○○くん(S子の息子)の為です。この件に関して返信は不要です」  私がわざわざこのようなメールを送ったのは、もちろんS子を許した訳ではなかった。私が譲っているようで癪に障る気持ちもあったが、参観中にいつS子に遭遇するか分からない状態だと落ち着かないし、S子の姿を目にしたらどんな気持ちになるか分からないという思いもあった。それに、S子の息子が丸一日、自分の母親がいつ来るかと、そわそわして待っているかも知れないと思うと、気の毒だった。  S子からもちろん返信はなかったが、その当日、S子が午後から学校に来たことは、息子にさりげなく聞いて知っていた。  だが、今回の学習参観はそういう訳にはいかなかった。決まった1時間しかなかったからだ。しかも4年生の学習参観は特別なものだった。  私が子供の頃には無かったが、昨今は小学4年生になると、20歳の半分の10歳になったということで『2分の1成人式』といって、特別なセレモニーをする。1年生からの歩みを振り返りながら、親子でスライドを見たり、発表をしたり、それぞれの親に手紙を読んで渡したりするのだ。  S子は今回の学習参観はどうするのだろうと思った。  母や姉は「S子は来れないんじゃない?私がS子の立場だったら、とてもじゃないけど参加できないよね。若方丈さんが来るんじゃないかな。○○くんは可哀想だけどね。でも、S子それだけの事をしたんだからしょうがないよね」と言った。    私は落ち着かない気持ちで、会場であるその小学校の体育館に足を踏み入れた。  すると、S子の姿がすぐ目に飛び込んできた。  ーーえっ⁉︎  S子はまさに、最前列の真ん中に大きなカメラの三脚を立てて座っていた。  信じられなかった。あんなにも堂々と最前列の真ん中に座っているとは…… しかも、カメラの三脚のおかげでとても目立っていた。後ろを振り向かなければ、私が分からないとでも思っているのだろうか。  ーー私には分かるんだよ! お前が会場のどこに居てもすぐに分かるんだよ!  私は興奮して、何が何だか分からなくなってきた。  ーー落ち着け! 落ち着け! これ以上、S子に振り回されちゃいけない! 息子を見に来たのだ!  そう、自分に言い聞かせた。でも、駄目だった。次から次へと色々な事を思い出し、涙が溢れが出てきた。  ーー悔しい! なんでこんな思いをしなければいけないのか!  スライドが流されたり、発表があったり、息子に手紙を渡されたりしたが、S子の姿がどうしても目に入り、ほとんど集中できなかった。涙を堪えるのに必死だった。  ーーまたS子に台無しにされた! なぜ平気でこんな事が出来るのか! これが本当の天然女というものなのか!  セレモニーが終わり、子供達は教室に向かい、親達は席を立ち始めていたが、私はしばらく放心状態で席に座っていた。  前の席に座っているS子が、こちら側を向いて帰る時、睨んでやるつもりだった。だが、S子もいつまでもグズグズと三脚を畳んだりして、なかなか帰ろうとしなかった。S子も私と目が合うのを恐れていたのだろう。いつまでも二人で残っていたら周りに怪しまれると思い、先に帰るしか無かった。    帰宅してすぐに、S子にメールをした。 「すぐにこのメールを見て返事をしなければ、私にも考えがあります。今日、あなたは体育館の最前列の真ん中で、堂々と2分の1成人式を見ていましたね。それがどういう事なのか分かりますか⁉︎」 「あなたは真っ先に体育館に来て、一番良い席を取り、ずっと前を向いていれば、私とは顔を合わさずに済むし、帰る時は最後まで残って体育館を出れば、私と顔を合わさずに済むのでしょう。では、私の方はどうなりますか⁉︎ 息子の大事な2分の1成人式を、真ん中にいるあなたを視界に捉えながら見なければいけないんですよ! 2年以上も私を裏切り続けて、微笑んでいた女を! その状況で、私が平常心でいられるとでも思ってるんですか⁉︎」 「あなたには幼稚園からの息子の思い出を全て台無しにされました。そして、今回も見事に台無しにしてくれましたね! 本当に本当にあなたは、自分の気分が悪くならないようにする事しか考えていないのですね! 信じられません! あなたと同じ空間に居たり、視界に入ったりする事は耐えられないと言いましたよね! あなたの存在を感じることも耐えられないと言いましたよね! どういうつもりですか⁉︎」 「母と姉に話したら、母は『こんなことが続くようなら、もう一度住職に会う』と言っていますが、どうされますか⁉︎ お金は一旦お返しするので、もう一度話し合いをしますか⁉︎ このような事が続くようなら、私はあなたに副園長の退任や引っ越しを要求します!」 「それとも、私が気にし過ぎで、おかしいのでしょうか⁉︎ 私が頭がおかしいと思うのなら、そう言ってください! このまま既読にもならず、連絡も無ければ、ご主人にラインで連絡をします!」  私は半狂乱になり、返信があるまでメールを送り続けた。徹底的にS子をやり込めなければ気が済まなかった。  それから数時間後に、やっと返信があった。 「今日は本当に本当に申し訳ありませんでした。今日の参観日に私は行かないつもりでしたが、夫が仕事の都合がつかず、私が行くことになりました。1年生を参観した後、1年生にも兄弟がいる他のお母さん方と一緒に体育館に来たら、まだ皆さんに来ていなくて、『前が空いてるから、前から座った方がいいよね』と誰かが言ったので、その流れで座ってしまいました。一番後ろに座るべきでした。本当に申し訳ありませんでした。今後、出来る限り、参観日などには行かないようにします。行かなければならない状況でも、N子さんの視界に入らないように気を付けます。本当に申し訳ありませんでした」  そう言われても私は気が治らず、すぐに返事をした。 「毎回、毎回、よくも自分に都合の良い事を言えますね。仕事の都合がどうとか、他のお母さん方とどうとか…… 私の事が少しでも頭にあるなら、何がなんでもやらないようにするんじゃないですか! 住職や園長にも、もっとなんとかしてもらってください! お母さん達との付き合いなど諦めてください! まともな人間関係よりも、刺激や性欲をずっと選んでいたんじゃないんですか⁉︎ バレたら私や子供達を一生傷つける事だと十分に分かっていて、それでも続けていたんですよね⁉︎」 「今さら、母親らしく子供のイベントに参加できるとは思わないでください! あなたの子供達は可愛そうですが、あなたは自分の子供達を犠牲にしたのです! そうなる事もちょっと考えれば分かっていたはずです! もう取り返しのつかないことをしたのです! これが夫とあなたがした事の結果です! そして、夫はバチが当たって死にました。死んで当然です! あなたは生きていますが、欲を出さずに色々なことをもっと諦めるべきです!」 「あなたはこの前の作品展の時も前の方の真ん中に居ましたよね⁉︎ 緑色のマウンテンパーカーを着て、フードを被って顔を隠してましたけど、あなただということは私には分かるんです! たぶん、会場のどこにいても分かるんです! 私を甘く見ないでください! フードを被っているあなたの姿を見て、夫に買ってもらった黒いスウェットパーカーを着ているあなたを思い出しました!」 「学校のイベントがある度に、あなたが来ようが来まいが、あなたがこの空間にいるような気配を感じて、これまでの出来事を次々に思い出して、絶望的な気分になるんです! そんな気持ち分かりませんか⁉︎ あなたにとってはもう過去の出来事ですか⁉︎ それとも、私がおかしいですか⁉︎ あなたにここまでコケにされて、これ以上我慢出来ません!」  S子から返事が来た。 「自分でも取り返しのつかないことをしてしまったことを、本当に後悔しています。何でそんなことをしてしまったのか、時間が戻せるならと毎日思います。私が死ねば良かったと思います。本当に申し訳ありません」  私はまだS子にメールを送り続けた。 「どうしても納得いきません。『時間が戻せるなら』ですか?時間が戻ったって人は変わりませんよ。あなたは自分の欲望を優先して、また同じ事をするでしょう。『何でそんなことをしてしまったのか』ですか?あなたがそういう人間だからですよ! たまたま魔が差したんじゃない! 2年以上もの間、確信を持って繰り返していたんです! たまたまやったような事を言わないで下さい! あなたはそういう人間なんです! だから私が来るに決まっている体育館で最前列の真ん中に座れるんです!」 「私が死ねば良かった⁉︎ そういう事を言えば良いと思ってるんですか⁉︎ 不倫相手の妻にいじめられている悲劇のヒロインですか⁉︎ こっちが死にたいよ! あなたにこんな事まで言わなきゃならない、夫やあなたを恨み続けなきゃならない苦しみが、あなたに分かりますか⁉︎ 『時間が戻せるなら』と思うんじゃない! これから、どうしたらこれ以上人を傷つけないようにできるのか、もっと真剣に考えて下さい! 息子が私の様子に気付いて何か影響が出たら、どう責任を取ってくれるんですか⁉︎」 「今、思い返すと、夫と関係を持っている間、あなたはとっても元気そうで、楽しそうでしたよ! 卒園式、入学式、運動会、それから作品展もいつも一緒に過ごして…… 毎朝、夫と待ち合わせて、子供達を学校に送ったりして、『佐竹さん。佐竹さん』と、とっても楽しそうでしたよ! 私に遠慮する様子や、悩んでいる様子は全く感じられず、いつもはしゃいでましたよ! それがあなたの姿です!」  S子から返事が来た。 「N子さんを苦しめ続けていること、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 私が生きていることが典子さんを苦しめていると思うと死んだ方がいいと思っています。授業参観での行動も配慮に欠けていました。本当に申し訳ありませんでした。今後、これ以上N子さんを不快にさせないよう、出来る限り学校へは行かないようにします」  私はまた返事をした。 「分かってないんですね! あなたが生きていることが私を苦しめているんじゃない! 夫とあなたがした事が私を苦しめているんです! それは、あなたが学校に来なくなろうが、あなたが死のうが変わりません! でも、あなただけ楽になりたければ死ねばいいんじゃないですか⁉︎ あなたを責めた私に一生の罪悪感を植え付けて、あなたの家族をどん底に突き落とせば良いんじゃないですか⁉︎ もう返信しなくていいです」 それからしばらくして、テレビアニメ『妖怪ウォッチ』の放送が始まった。妖怪ウォッチのシリーズの放送はずっと続いていたのだが、数年ぶりに初代のシリーズの新しいエピソードが始まったのだ。  その放送を息子と一緒に見ると、心臓が止まりそうなほど動揺した。  息子が幼稚園に入園した頃、妖怪ウォッチのテレビ放送が始まり、家族3人で夢中になった。毎週欠かさずに放送を見たし、当時流行っていた、オープニング曲の踊りも3人で練習した。妖怪ウォッチの映画が上映されると必ず映画館に見に行った。スマートフォンの妖怪ウォッチのゲームやカードゲームにも夢中になった。  息子が小さい頃の、家族の思い出の象徴の一つが『妖怪ウォッチ』だと言っても過言ではない。  久しぶりに放送された妖怪ウォッチは、3人で盛り上がって見ていた頃と、主題歌や挿入歌がほとんど変わらなかった。あの頃の3人の様子や思い出が走馬灯のように次々と思い出され、息子の前で涙を見せないようにするのに必死だった。  あの頃は幸せだった。A子やS子との不倫が始まることや、その後の夫の急死など、誰が想像できただろう。  これから先、思い出の場所、事柄や音楽などに触れるたび、どれだけ苦しい思いをしなければいけないのだろうと思った。 第2節 前妻と娘  夢の中を生きているような気がしていた。それは、おそらく夫が死んでも変わらない生活をしているからだろう。  夫が死んでも、同じ家に住み、同じ仕事をし、息子も同じ小学校に通って、私も息子も以前と全く変わらない生活をしている。本当に夫だけがポツンと消えてしまったような生活なのだ。  息子にとって、急に生活環境を変えられるのは酷な事だったろう。あまり変わらない生活を続けられるというはとても有難い事だった。だが、私は複雑な気持ちだった。  時々、リビングルームの片隅で夫がパソコンの前に座って、何か作業をしているような気がした。  生前、同じ市内で私も夫も仕事をしていたせいで、日中に車ですれ違うことがよくあった。運転中に夫と同じ車とすれ違い、ぱっと見て夫と似たような雰囲気の人だったりすると、心臓がドキッとした。  私が生きている世界の他に、夫が生きていて、家族3人で生活しているパラレルワールドのようなものが存在しているような気がしたり、私が元々未婚の母で、初めからこの家に息子と二人で暮らしていて、夫と3人で過ごした日々がこそが幻や妄想だったような気がした。    夫の形跡をなるべく消すために、家中のありとあらゆる物を取り替えた。ソファーとテーブル、ダイニングテーブルと4脚のチェア、カーテン、置物、食器類、服など、見ると夫を思い出してしまう物は全てだ。  かなりのお金を使ってしまった。でも、自分が辛くなる機会を少しでも減らす為には、仕方がないことだった。慰謝料とはこういう為にあるものかと思った。  だが、まだ捨てられない物もたくさんあった。夫の写真、服やバッグ、食器、思い出のある置物、私にプレゼントしてくれた物などだ。それらはダンボールに入れて物置にしまった。  それらを何度か捨てようとしたが、涙が出たり、体が震えたりして、捨てることが出来なかった。夫の形跡を全て消し去ってしまいたいと思う反面、夫との事を全て消し去ることが出来なかった。私の心の中をそのまま表しているようだった。  躊躇いなくそれらを捨てる事ができるようになるまでは、無理に捨てようとするのをやめた。それが無理なくできるようになったら、私は本当の意味で立ち直る事ができたと言えるのかも知れない。    夫が亡くなってから2年近くが経とうとしていた。  ゴールデンウィーク直前のある日、夫の前妻であるIさんからメールが来た。 「お久しぶりです。N子さん、お元気ですか?娘がこの春から大学に進学する事になりました。今まで学校が嫌いで、朝、なかなか起きてこなかった娘が、早起きして、好きな服を着て、楽しく大学に通っているようです。諦めていた大学進学をする事が出来て、本当に感謝しています。ありがとうございました。私も仕事、まだまだ頑張らないとです。それでは、N子さんもお身体に気をつけて、お仕事と子育て頑張って下さいね」  久しぶりに嬉しいニュースだった。私はすぐに返信した。 「Iさん、お久しぶりです。お元気ですか?ご連絡ありがとうございます。○○ちゃん(Iさんの娘)のこと気になっていましたが、こちらからご連絡して良いものか迷っていました。大学入学おめでとうございます!楽しそうに通っていらっしゃるようですね。本当に良かったです。○○ちゃんのこれからのご活躍、陰ながら応援しております。お店のほうはコロナウイルスの影響で大変ですが、私も息子もとても元気にしております。また何かありましたら、ぜひご連絡下さいね。Iさんもお元気で」  母と姉に話すと2人とも喜んでくれた。そして、大学入学のお祝い代わりに、ゴールデンウィークにお店で二人にお食事をご馳走する事にした。  久しぶりに会ったIさん達は別人のように見えた。  初めて顔を合わせた時、Iさんは事務員のような制服を着て、娘は高校の制服を着ており、二人とも険しい表情をしていた。  だが、その時の二人は素敵な服を着て、化粧をしていて、表情も穏やかで、とても綺麗で輝いているように見えた。人というものは、服装や表情や状況で、こんなにも印象が変わるものかと驚かされた。  息子にはまだ事情を話してはいないが、「ママのお友達からお菓子をもらったから挨拶しようね」と言って、息子を二人に会わせることもできた。二人は息子が私にも夫にもよく似ていると言った。  ちょうど夫が亡くなった頃、Iさんは古民家を購入して移り住み、DIYで色々手を加えるのを楽しんでいるそうで、「お店の内装がとても参考になる」と言ってくれたので、私はお店の隅々までIさん達を案内をした。それから、色々な話もした。Iさん達とそんな風に過ごす事が出来て、夢のような時間だった。  久しぶりに、『世の中捨てたもんじゃない』と思わせてくれた出来事だった。    人間というものは複雑で、色々な面を持ち合わせているという事を改めて実感させられた。辛い事が色々あったが、同時に色々と学ばせてもらっているのかも知れない。  初めてIさんに会った時、「お金を下ろしませんでしたか⁉︎」と言って私を睨みつけたのもIさんなら、店に来てくれて、自宅の古民家のDIYについて楽しそうに語ってくれたのも本当のIさんだ。  義父や義母に対しても思う。長男を亡くした上に、不倫の事で色々と責められて、あんな風に言わざるを得ない精神状態だったのだろう。  私だってそうだ。息子の寝顔を見て、そばに居てくれる事に無上の喜びを感じたり、庭に紫陽花が咲いたら、嬉しくて眺めたりするのも私なら、A子に慰謝料を求めて訴えたり、S子に辛辣なメールを繰り返し送ったりするのも私なのだ。  フリーマーケットで面白い物を見つけて買ってきては喜んで見せてくれたり、私や息子を喜ばせるために他愛もないイタズラをするのも夫なら、夜中にママ友たちと関係を持っていたのも夫なのだ。  A子やS子にしてもそうだ。ママ友として共に楽しい時間を過ごしたのも彼女達なら、一方で私の夫と関係を持って平気な顔をしていた。  それから数週間後、小学校の運動会が近づいて来た。  私は少し悩んだ末、運動会の2日前にS子にメールをした。 「明後日の運動会には来て下さい。この前は私の言いたかったモヤモヤした気持ちをあなたに全部ぶつける事ができたと思います。だからもう、あなたを見かけても何も言いません。いつか、あなたを許せる日が来るのかどうかは分かりません。でも、学校の行事に母親を行かせない自分が嫌ですし、何よりも、同じ母親として、そして、あなたの子供達をを昔から見ている人間として、子供達が悲しそうにしているのを見たくないからです。だから、もし来られるようだったら運動会に来て下さい。返信はしなくていいです」  しばらくして既読にはなったが、S子からの返信はもちろん無かった。  その運動会当日、皆が帽子を被り、コロナ禍でマスクをしていて、誰が誰だかよく分からず、S子が校庭に居たのかどうかも、結局分からなかった。    私はやはり、S子に運動会に来てほしいというメールをして良かったと思った。それは、人として息子に恥じない生き方をしたかったからだ。  私はとんでもない間抜けだった。夫とS子と、そしてA子にも、まんまとしてやられたのだ。だが、彼等のようになるよりはマシだと思うことにした。彼等のように、ズルくて、平気で人を欺いて、そして、寂しい人間にだけはなりたくないと思った。  私は人として恥じない生き方をして、どこかで見ているかも知れない夫や彼女達に知らしめてやるのだ。『私はお前達とは違う! 私はお前達より一段上のステージに上がったのだ!』と…… あとがき  私はこの本を何度も読み返したり、書き直しては、当時の事を鮮明に思い出して苦しんだ。  倒れていた夫が発する、アヒルの鳴き声のような音を思い出したり、口からあふれ出した血を顔一面に浴びて、真っ黒になっている夫の顔が蘇ってきたり、その時の血生臭い匂いや、血で湿った夫の頬の感触を思い出しては、涙が出たり、吐き気がしたり、食事が喉を通らなくなる事もあった。  A子やS子との不倫が発覚した時の、それまでに感じたことのないほどの驚きや絶望感、孤独感を思い出しては涙が出たり、夫や彼女達の飄々とした態度を思い出しては、怒りに震えたり、眠れなくなったりした。  本当に辛くなり、薬を飲んだり、何ヶ月も読み返さなかったこともあった。  だが、私は気力を振り絞って、思いの丈を全て書き残す為に、洗いざらい書き続けた。  もしこの本を書かなかったとしても、どのみち、私はこれから先、何かのはずみに様々な出来事を思い出し、その度に胸をえぐられるような思いをするはずだ。それがいつまで続くのか分からない。  そうであれば、私はこの本を書くことで、自分に何があったのかを整理し、見つめ直したかった。そして、自分に起こった出来事を吸収し、思い出しても揺るぎない精神力を身につけたかった。    それに、この本を読み返していると、夫が亡くなった時、母や姉、夫の両親、それから義弟夫婦を含む、多くの周りの人々に助けてもらった事を思い出した。  義弟夫婦は病院の送り迎えをしてくれたり、息子の面倒を見てくれたり、寺を変える時に夫の両親を説得してくれた。  夫の両親は、病院で私と夫の二人だけにしてくれたり、臓器提供の決定を私に委ねてくれたり、葬儀に出席しなかった私を責めることもしなかった。それから、庭をきれいにしてくれたり、息子を学校に車で送ってくれたり、息子の面倒を見てくれたりした。  母や姉は、夫が亡くなった時、息子の面倒を見てくれたり、家の掃除をしてくれたり、食べる物を買ってきてくれたり、ゴミを出してくれたりして、私を休ませてくれた。それから、不倫が発覚すると、A子のところに乗り込んだり、S子を呼び出して白状させたり、住職達に話をつけてくれた。    なんと言っても、こんなに絶望的な状況でもなんとか生きていられたのは、息子がいたからだ。息子はいつも明るく無邪気で、私をひたすら必要としてくれた。本当に魔法のように可愛いかった。  子供というものは本当に不思議なものだ。ベッドの中で私が絶望的な気持ちになっていたり、背を向けて涙を流していたりすると、私の体を優しくさすってきたり、「やっぱりママと寝るのは気分が良いなあ」と言ってきたりした。ベッドの中で嗅ぐ息子の匂いが、どれだけ私を救ってくれたことか。  もし息子がこの本を読めば、少なからずショックを受けるだろう。だが、息子がこの先、夫についての噂話を耳にするかも知れないのだ。息子は全てを知る権利がある。だから、この本から真実や私の気持ちを知ってもらえたらと思う。  それから、僭越ながら、同じような経験をした人達に、この本を通して少しでも生きる勇気を与えられたら幸いだと思う。  私が勝手に誤解している事があるとすれば、それを除けば、この本の内容に嘘や偽りはないつもりだ。個人が特定される可能性のある部分や、分かりにくい文言は少し書き換えてあるが、メールのやりとりはスマホに残っていた記録をほぼそのまま転記してある。  だが、所々、私に都合の良いように解釈してあるところもあると思う。人間とはそういうものであるらしいから。  夫には夫の、A子にはA子の、そしてS子にはS子なりの別の真実があるのかも知れない。  私なりに夫や彼女達の立場や気持ちを推測してみた。  A子は夫を亡くし、心にぽっかりと穴が空いていたのだろう。そして、遠くから嫁に来た彼女には、私のように頼れる親兄弟や友人が近くにいなかったようだ。  そこに、あるママ友の夫が優しくしてくれて、なんでも相談に乗ってくれた。そして、自分に対してまんざらでもない様子だった。彼に本気にはならないのだろうが、自分は夫を亡くしたんだし、少しくらい頼っても良いのではないだろうかと思った。そんなところではないだろうか。  S子は以前から夫に不満があり、他にも子供のことや、幼稚園の仕事の事でも色々と悩んでいた。そして、それをいつも誰かに相談したがっているように見えた。  そこに、あるママ友の夫が現れ、色々と相談にのってくれたり、面倒を見てくれるようになった。そこで、なんでも彼に相談し、依存するようになっていった。そんなところではないだろうか。    夫はどうだったのだろう。  結婚当初、私は夫を頼りにして、いつも夫の言うようにしていた。だが、そのうちに子供が生まれ、時が経つうち、子供にばかりかまっていたり、夫に相談せずに何でも決めたりするようになった。そして、夫と二人でというより、自分一人の時間や自分の世界を大事にするようになっていた。夫婦とはそんな風になっていくものが当たり前だと思っていて、私はそれを不満にも思っていなかった。  だが、夫は違っていたのかも知れない。次第に私との関係に寂しさを感じていたところに、賞賛して頼ってくる女性達が現れて、舞い上がってしまったのだろう。  特に、S子とはお互い求めているものが合致してしまい、依存している関係だったのかも知れない。でも、それはあくまで依存していただけで、本当に愛し合っていた訳ではないのだろう。    息子が幼稚園の年長組で、私がPTA会長を務めた時の話だ。  そのPTAの恒例行事である日帰りの研修旅行に行った時のことだった。  その日の朝から、私はパニック発作が出ないかと緊張し、具合が悪いのをずっと我慢していた。だが、これから皆んなでランチタイムというところでいよいよ限界が来た。私は他の役員達に断って夫に連絡を取り、ランチをとっているレストランまで迎えに来てもらった。  仕事中に突然迎えに来させられて、迷惑をかけているはずなのに、夫は何故か嬉しそうだった。 「あなたは病気持ちで一人では何も出来ないタイプなんだから、いい気になってPTA会長なんか引き受けるんじゃないよ」  そう言って私の頭をポンポンと撫で、体を抱き寄せた。夫は久しぶりに私に頼られて嬉しかったのだろう。  夫は男女問わず、人に頼られるタイプで、また頼られると放っておけないタイプだった。  夫はA子もS子も放っておくことが出来ず、そして、パニック障害持ちの私も放っておくことが出来なかったのだろう。  いずれにしろ、夫が私を何年も裏切り続けていたことに変わりはないし、この先も私が夫を許すことは無いと思うが。    ここ数年、夫は何を思って生きていたのだろう。ただ欲望にのめり込んでいたのか、二人の愛人に囲まれて有頂天になっていたのか。それとも、罪悪感はあったのだろうか。バレるかも知れないという恐怖に怯えていたのか。虚しさを抱えていたのか。  母は、『K男はとんでもない秘密を抱えて、ストレスで死んだのではないか』と言ったことがある。私はその可能性も十分にあると思った。  夫が亡くなる2週間ほど前の、地元の祭の夜店に家族3人で出かけた時の事を思い出した。  屋台の群衆の中にS子達の家族を見つけ、私が声をかけようとすると、「いいよ! 別に声なんかかけなくても!」と、夫が私を強く制止した。そして、しばらくすると「もう帰ろう」と言って、浮かない顔をして帰ろうとする夫を見て、私は少し不思議な気持ちがしたのだった。  あの時、夫はS子と関係を持っていたことを後悔していたのではないだろうか。あるいは、別れようとしていたとか。いや、私がそう思いたいだけなのかも知れない。  夫の遺品を整理している時、夫の子供の頃の写真や写真付きの学生証、小学生の頃に書いたらしいマンガ、ハガキで応募したプレゼントの景品、年賀状や手紙などが見つかった。  確かに夫が生きてきた証がそこにあった。夫は44年間、様々な思いを抱えて生きていた。そして、私と結婚し、最後の15年を共に過ごしたのだ。  小学校高学年頃の、肩をすくめるようにして、はにかみ笑いをする夫の写真があった。この純粋そうな少年が、どうしてあんな事をして、なぜあんな風に死ななければならなかったのだろうと思った。  私はそれらの遺品を抱きしめて声を出して泣いた。声を出して泣いたのは久しぶりだった。  やっぱり夫に死んで欲しくなかった。夫が助かり、不倫が発覚したら、私は夫に殴りかかって、責めて責めて、残りの人生でたっぷり償わせてやりたかった。  やっぱり夫が居ないのが寂しかった。    私は夫と結婚した事を後悔している訳ではない。何よりも、息子に出会えたのだから。  それに、夫との生活が愛情のある素晴らしい時間であった事は間違いなかったはずだ。楽しい思い出がたくさんあるし、たくさんの愛情をもらった。夫はパニック障害だった私を受け入れてくれて、結婚してくれて、面倒を見てくれた。私は幸せだった。  息子が5歳位の頃のある日、「僕はママと結婚するんだよ!」と言った。すると、夫が「へーんだ。ママはお父さんと結婚してるんだよ!」と得意そうに言い、二人で私の腕を左右に引っ張り合った。その時、私はそのまま死んでも良いと思えるくらい幸せだった。  その後、私達の結婚生活はとても残念な結果になっが、それは私にとって避けられない運命だったのだろう。  いっぱい泣いて、いっぱい苦しんで、いっぱい憎んだ後は、それを抱き締めつつ、私はさらに幸せになる機会を与えられたのだと思うことにした。